初めて書き込みさせていただきます。これまで,いつも覗かせていただいておりまして,その中でも両毛人さんやGさん,いっちゃんさん達による栃木県南(両毛)ネタが多いので,実におもしろい思いをさせていただいておりました。
さて,栃木県南,両毛では「宇都宮指向がない」ということについて。
[23929]いっちゃんさん
栃木・小山を中心としたいわゆる県南地域の“非宇都宮志向”の原因としては、
として3つの理由を書かれており,全くの賛意を表します。で,私としてはこれにもうひとつ,歴史的な積み重ねを挙げたいと思います。もちろん,「言うまでもないこと!」とおっしゃるでしょうが。
実は私,県南のS市在住でありまして(←そりゃ,佐野市だんべな),地元高に進学しました。その時,三毳山の東(つまり,下都賀郡)から来た連中の言葉にびっくりしたのですね。アクセントが違う,語尾が違う(「べ」ではなく「ぺ」)。思わず「ちゃんとした栃木弁つかえよ」とトンチンカンな感想を持ちました。つまり,言葉が違うと言うことは,もう歴史的に交流がないのですね。実際我が家の親戚はみんな,東武佐野線,伊勢崎線沿線です。
今でこそ郷里に帰ってきましたが,学生時代を含めて10年以上宇都宮に住んでいたので(カミさんは県東芳賀郡の人間で,宇都宮指向が滅法強い),しゃべりの方は,すっかりでたらめ佐野弁になってしまいましたが,「濃い」人の話を聞くだけなら「あ,この人佐野の人」「この人田沼の人」「こちらは足利かな」とわかります。
鉄道が通じる前は,歩くか船か,ですから渡良瀬川の船運で江戸との結びつきが強かった影響もあるのかもしれません。私の曾祖母は娘の頃,船に乗って東京まで行ったそうです。
[10690]でるでる さん
仙波地区
それといささか古い話で恐縮ですが,飛び地の話です。今度合併して佐野市になる葛生町,それの飛び地が「栃木市の向こう」にあるわけですが,これの中に実は栃木市の飛び地があって,さらにその中に一筆,葛生町があったような記憶があります。アカミチ(認定外道路)に接するかなにかで,不完全だったような気もしますが。あやふやな記憶で申し訳ございませんが,一応情報提供ということで。どなたか法務局へ行って確認してくださるとありがたいのですが(なに,おまえが行け,お説ごもっとも)。ちなみに現場は石灰鉱山になっていて,何がなにやら,ひとつもおもしろくありませんよ。