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メートル法と標準時

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[3290] 2002年 9月 23日(月)19:03:27Issie さん
続・レールの幅
[3277]
>1m丁度の「メーターゲージ」 なんてのもあるそうですね。

主にフランスの影響の強い地域の軽便規格の鉄道に多く採用されています。ベトナムはフランスの植民地ですね。
“1m”とは,いかにも「メートル法」発祥の地,フランスらしい規格です。

実は世界的に標準的なゲージである 1435mm も,日本で標準の 1067mm も本当はメートル法ではなく,イギリスの「ヤード・ポンド法」の値を換算したものです。
1435mm は本当は 4フィート8インチ半,1067mm は 3フィート6インチ。もちろん,メートル法に換算すれば mm 以下の端数があるのですが,それは無視しても大丈夫…かな?
ヤード・ポンド法の数字の方が少しはスッキリしていますね。
「4フィート8インチ半」というのは,当時のイギリスで標準的な馬車の車輪の幅なのだそうです。
そもそも,鉄道は馬車を母胎に発展したものですから(自動車も同じだけど)。
そして,自転車やオートバイは騎馬から…。
[15066] 2003年 5月 11日(日)22:21:13Hermit さん
カナダの独自性?
[15009]月の輪熊さん
書き込みありがとうございます.
カナダが鉄道も道路も右側通行なのは,圧倒的なアメリカの影響力かと思います.鉄道路線がカナダ国内で完結していればご指摘のような理由も成り立ったかと思いますが,アメリカとの間を結ぶ路線の方が重要度が高い(特に貨物)のでは,「大は小を兼ねる」ことになっても仕方がなかったのでしょう.
何と言っても,今でも輸出入の約80%がアメリカ向けですから.日本で「アメリカがくしゃみをすると日本は風邪を引く」と一時期いわれたことがありますが,そんな生やさしいものではありません.自動車や家電製品などでも,保証書を見るとカナダで買ってもアメリカも保証の範囲に含まれていますし.
カナダにいてアメリカとの違いを感じるのは,生活に根付いた部分ではここ(カナダ)はメートル法を採用していて道路や地図の表記も全てキロメートル単位(この方がヨーロッパが長かった私にはわかりやすくて助かります)なこと,ガソリンもリッター単位で売られること(ガロン当たりXXドルは換算するのが大変です),天気予報などでの気温表示が摂氏で行われること(華氏表示は分かりにくいですよ,実際),公式の書類が全て英仏語表記なことくらいですから.
カナダがメートル法を正式に採用したのが1977年だったと聞いています.25年もたてばもうなじんでいるのでしょうが,当初はさぞかし大変だったろうと思います.有名な話ですが,飛行機に燃料を積み込む際にポンドとキログラムを間違えてあわや大惨事の事故がエアカナダで起きていますし.
アメリカでメートル法に基づく表記が一般的になる日は来ないのでしょうな.株価の表記もようやくわかりやすい1/100単位(decimalisation)になるなど,「兆し」はないことはないのですが....
[45385] 2005年 10月 3日(月)23:59:15hmt さん
地球を測った人々(8) 地球の目方、そしてメートル法のための測量
ここは地理の話題が中心なので、「地球を測った人々」と言っても、主として地球の寸法を中心として、経度の測定と地図作りまでに話題を限って進めてきました。
勿論、地球の内部の探求とか、地磁気とか、地球を測る対象は他にあるわけですが、これらはすべて省略して、一つだけ、地球の質量を測った(量ったと書くべきか?)キャベンディッシュHenry Cavendish 1731-1810についてのみ、言及しておきます。

リンゴを落す万有引力の法則は、ニュートンによって発見されていますから、万有引力の定数を測れば、既に知られている地球の寸法と重力加速度とから地球の質量が計算できます。彼が、細い糸で吊るした球体に大きな質量を近づけて、そのねじれから引力を測っている実験の様子は、高校の教科書に出ていました。
こうして求めた定数から求めた地球の質量は、5.98×10の27乗gで、体積で割ると平均密度は5.52g/cm3と、地球表面の岩石の倍以上あり、地球の中心には重い物質が沈んでいることがわかりました。

さて、話題はまた経度の長さの測定に戻ります。
18世紀の終頃にフランス革命が起ると、宗教によらない共和暦の制定、時刻や角度も60進法から10進法に変更、そして、単位もメートル法へと、大改革が行なわれました。

1年を自然現象から命名した12ヶ月プラス5日とし、長い伝統を持つ「週」も廃止して10日ごとの「旬」休にした共和暦は不評で、「ブリュメール(霧の月)のクーデタ」で政権を握ったナポレオンの時代、1806年からグレゴリオ暦に復帰しました。時刻や角度の10進法化も定着しませんでした。現在、人々に受け入れられて定着しているものが、唯一、メートル法でした。

「universal」な長さの単位を制定する発端となったタレーランの提案(1790)では、秒打ち振子の長さが示されていたようですが、フランス学士院で検討の結果、地球の子午線1象限の長さの1000万分の1を、新たな単位「メートル」とすることになりました。

パリを通る子午線の三角測量は、既にカッシーニ[45183]によって実施されていたわけですが、新しい単位を正確に定めるために、1793年に、メシェンとドゥランブルによって、ダンケルクからバルセロナまでの精密測量が再び実施されました。革命の動乱時代、スパイと疑われたり、メシェンがスペインから帰国できないなどの社会的な状況の中でも、当時の技術による精密測量の限界に挑戦したと言われます。

この測量結果に基づいて、白金製の標準器Metre des archivesが作られたのは1799年でした。もちろん、地球楕円体[45211]を考慮して計算した値です。

しかしこの後も時代は激変し、革命の産物だったメートル法は、フランスでさえ直ぐには普及せず、メートル法の正式採用は1840年になります。国際条約が締結されるのは更に後で、1875年でした。1889年に、白金イリジウム製の30本の原器の内、 Metre des archivesに最も近い1本が國際メートル原器として指定されました。革命時代の子午線測量の結果は、このような形で、国際的な「メートルの定義」に生かされたわけです。

余談ですが、國際メートル原器による定義は、やがてその精度が問題になり、精度測定手段に用いられたスペクトル線の波長に定義が変更になりました(1960)。その後1983年に改定され、日本でも平成4年の計量単位令で、新しい定義が採用されています。
[67006] 2008年 10月 13日(月)14:25:05【1】hmt さん
面積単位の換算
[66996] YT さん
明治15年統計年鑑の国土面積未確認と記したら、早速のレスをいただき、ありがとうございます。
明治15年の国土面積総計は 24,796.63方里で、大正元年記載の値から内地分を合計した 24,794.36方里[66993]と大差なかったものの、内訳に違いがありますね。

例えば、30年前の明治15年に 893もあった本州の属島数[66998]が 大正元年には 165.5と減少しているのに、属島面積は 逆に 76.20→ 78.91方里と増加。

[66997] YT さん
1方里が何平方キロメートルなのか悩みますが・・・
メートル法基準なら15.4234711 km2ですが、ここ【注】とかだと15.3664 km2で換算していますし。
【注】熊本県統計調査課のページ(統計年報の引用と思われます)。

1方里が15.3664 km2という値は、1里≒3.92 kmという概略値を二乗した値と思われ、YT さんが記された15.4234711 km2の方が、1方里に近い値です。

「方里」とは、もちろん「平方里」の意味で、1里=36町、1町=60間、1間=6尺という 6進法に近い距離単位の体系から 1里=6の4乗×10尺ということになります。
明治24年(1891)に制定された 度量衡法 の第二条に、
棒【メートル原器】の面に記したる標線間の摂氏0.15度に於ける長さ 33分の10 を尺とし
とあるように 1尺=33分の10メートルですから、1里=6の4乗÷330=3.9272727…km です。
これから、前記のとおり 1方里は 約15.4234711 km2 となります。
私が[66993]で付け加えておいた km2 への換算には、上記の計算式を使っています。

けれども、伊能忠敬が測量した時代はもとより、国土面積24,796.63方里と発表した明治15年も、尺とメートルとの関係が厳密に定義された1891年より前のことです。1尺=33分の10メートルでよいのか?

実は、伊能忠敬が測量器具の長さの検定に使用したと伝えられる「折衷尺」が 伊能忠敬遺品目録 の74番に掲載されています。そして、大辞林の「折衷尺」の説明文には
現在に残る遺品によればその一尺は 30.304センチメートル。明治時代に曲尺(かねじやく)を定めるのに最も有力な根拠となった。
と記されています。
33分の10メートルと比べると10万分の3くらい違いますが、ほぼ同じ。
明治前期の面積単位も、これで換算して大きな誤りはないと思われます。

厳密に考えると、「折衷尺」の材料である木の線膨張係数は金属に比べればずっと小さいが、それでも繊維方向で 100万分の2くらいありますから夏と冬では基準となる「ものさし」の長さが変ります。
湿度の影響もあると思うので、あまり細かい差異を問題にしても無意味でしょう。

更に言えば、面積統計自体、地図上で一部の地域について測定し、それを集計したものですが、古い時代のデータでは、測地の誤差と面積測定の誤差は大きいものと思われます。
どの桁までを信用してよいのか、疑えばきりがないでしょう。
[73957] 2010年 1月 17日(日)13:47:59hmt さん
標準時 (1)鉄道と標準時
[73827] hmt
東経135度からすぐに連想する場所と言えば、日本標準時の子午線が通る明石です。
経緯度に関する上記の記事に続いて、子午線と深い関係にある 標準時 を取り上げます。

人々の生活時間は太陽に支配されています。
正午、すなわち お日様が真南に来る時(天文学的な用語を使えば 太陽の南中時刻)を境に 午前・午後。
十二支は、「午(うま)の刻」のように時刻にも使いますが、方位にも使います。
だから北(子)から南(午)へと貫く経線が「子午線」。

もちろん、太陽の南中に基づく局所時は、西の町では東の町より遅れて進行します。月食が観測される局所時も西と東では異なります。この原理を木星の衛星食(月食より頻繁なので好都合)に応用したのが、カッシーニの 経度測定法[45211]でした。
でも、日常生活という観点からすれば、各地の人は「その町の時刻」(局所時)を使って不便を感じていなかったのでした。

19世紀、遠くの町を結ぶ鉄道が出現してから、各地バラバラな局所時の不都合が顕在化してきました。

東海道線が全通した1889年7月から半年後の「明治23年1月大日本全国各鉄道汽車発着時刻並賃金表」を見ると、新橋発6:10am→京都着11:20pmと、辛うじて東西両京をその日のうちに結ぶことを達成した状況が示されています。所要時間17時間10分。
両地点の経度差4度は局所時の差に換算すると16分ですから、所要時間に対して1.6%となります。当時の社会通念からすれば、これは許容範囲内の誤差と思われますが、分刻みのタイムスケジュールで運行している内閣鉄道局にとっては、もしも列車発車時刻を各地で使われている局所時に合わせて公示しなければならないとしたら、誠に不都合なことになります。

イギリスでは鉄道普及の結果、全国的にグリニッジ時刻が使われるようになり、1880年に標準時が法制化されました。

アメリカ合衆国の独立当初には、独立の「あかし」として首都ワシントンの国会議事堂を経度の原点とする考えもあったようです。
しかし、東西に広いアメリカで、バラバラな局所時による混乱を避ける必要を切実に感じていたのは、やはり鉄道でした。
イギリスで標準時が制定されると、アメリカの鉄道もこれに倣い鉄道標準時を採用しました。広い国なので、東部はグリニッジから5時間遅れ、太平洋岸は8時間遅れという具合に、1時間刻み 4ゾーンに標準化 したわけです。
これが決め手となり、イェール大学天文台もニューヨーク時間を廃止し、「東部標準時」を採用しました(1883/11/18)。

アメリカ合衆国において、ワシントン基準でなく、グリニッジから整数の時間差を持つ基準が採用されたことは、標準時の制定に際して、国内的な要請だけでなく 国際的統一も考慮されたことがわかります。
当時、測地学では 経度の国際的な統一問題 が議論されていました。
1884年にワシントンで開かれた25ヶ国による国際子午線会議(日本も出席)で、グリニッジを本初子午線とすることなど7項目が決議されました。

この決議は条約と違って強制力がないので、角度や時間を60進法から10進法にする希望のように実現していない項目もあります。
しかし、眼目となる経度の国際的統一と、普通日(universal day)の例外的な形で認められた局所時の一つを「本邦一般の標準時」とすることについては、明治19年勅令51号が制定されました。

第1項・第2項はグリニッジ基準で統一された経度であり、第3項には次のように記されています。
明治21年1月1日より東経135度の子午線の時を以て本邦一般の標準時と定む

冒頭において、各地の駅と、その間で動いている列車を同一の分刻みタイムスケジュールに載せるためには、各地で違う局所時の使用は不都合であることを指摘しましたが、日本では 1888年から標準時を実施しており、鉄道が自ら主体となって標準時化を進める必要はなかったのでした。
[73958] 2010年 1月 17日(日)13:57:59【1】hmt さん
標準時 (2)勅令に残る「中央標準時」・総務省の“標準時”・JJYの「日本標準時」
ここまで、ある地域で共通に使われる時刻、いわば普通名詞の“標準時”を主として使ってきました。
限定された意味を持つ「中央標準時」、「日本標準時」という言葉もあり、少し調べてみましょう。

明治28年、日清戦争後の下関条約で台湾と澎湖列島が日本領になりました。
そして、台湾及澎湖列島並に八重山・宮古列島には「西部標準時」(東経120度)が設けられ、従来の【東経135度】標準時は 1896年から「中央標準時」と改称されました。明治28年勅令第167号

この西部標準時を定めた勅令の第2条は 1937年に削除されました。
標準時は1つになったのに わざわざ「中央」を残すこともないと思われますが、国際連盟脱退後の当時も日本が統治していた南洋群島[35703][71808]で3つの標準時(東経135,150,165度)を使っていたためかもしれません。
とにかく、上記の勅令自体は今も生きており、理科年表でも「中央標準時」という言葉を見ることができます。

国立大学法人法施行規則 別表第一にある国立天文台の目的には次のように記されており、「中央標準時」は文部科学省の所管とわかります。
…天象観測並びに暦書編製、中央標準時の決定及び現示…

ところで、時刻と密接な関係のある時間の単位は、経済産業省所管の計量単位令別表第一に記されており、「秒」はセシウム原子振動数を用いた値で定義されています。これは、1967年の国際会議決議に基づくものです。
昔の計量法の定義は平均太陽日基準でしたが、地球の自転が一定でないことがわかって回帰年基準になり、更に昭和47年改正で地球の自転観測値に依存せずに一定の時を刻む上記の原子基準へと再々定義され、現在の政令に引き継がれたわけです。

このように、時間を測ることについては厳密に定義された法令があるのですが、いくら正確な時計を使っても、「時刻合わせ」をしなければ「正確な時刻」にはなりません。
その「時刻合わせ」の拠り所となるものが 標準時を定めた法令 ということになるわけですが、これが上記の「秒」の定義のような厳密なものでないのです。

1896年から「中央標準時」と改称された明治19年の勅令[73957]には、
明治21年1月1日より東経135度の子午線の時を以て本邦一般の標準時と定む
と書いてあるだけで、それが平均太陽時であることさえ示されていません。

旧暦時代の明治4年に始まった午砲(ドン)[22989]でさえも 平均太陽時によっていたので、明治19年の標準時も明治28年に改称された中央標準時も、当然平均太陽時を想定していたと思われるのですが…
要するに、標準時の定義に関する法令は明治のまま放置されており、時間の定義に比べて厳密さを欠いた状態であることは明らかです。

明石の時計塔[73827]には、JSTM = Japan Standard Time Meridian日本標準時子午線と記されていました。
この「日本標準時」とは、独立行政法人情報通信研究機構(NICT)の 日本標準時プロジェクト が使っている用語です。

小金井市に本部があるこのプロジェクトは、コールサイン「JJY」という無線局を運用して、 協定世界時UTCを9時間進めた 日本標準時 JST(Japan Standard Time) を通報しています。運用状況

JJYの法令上の根拠は 総務省設置法 第四条七十三号と思われます。
周波数標準値の設定、標準電波の発射及び標準時の通報に関すること。
この法律に使われている言葉は“標準時”【普通名詞?】であり、「日本標準時」でも「中央標準時」でもありません。

本稿を書くにあたり主として参照した『青木信仰著 時と暦(1982 UP選書)』の254頁によると、発射する標準時の内容は郵政省告示【現在は平成11年総務省告示第382号?】で詳しく規定しており、
勅令の中央標準時が法的には生きており、郵政省の告示の標準時とは別ものである。というか「中央標準時」と「標準時」の間には法的関係がない。
と記されています。

東京天文台(当時)の先生の発言ですから“法的関係がない”ことに間違いはないでしょうが、筋道としては、国立天文台がその目的に沿って UTC+9時間 = 「中央標準時」という“決定”を行い、(総務省に?)“現示”し、総務省管轄下のJJYプロジェクトが“標準時の通報”を行うという実務関係があると推測します。「日本標準時」は JJYのサービスネーム(役務名称)でしょう。

結局のところ、現在の標準時の基準は協定世界時UTC(coordinated universal time)です。
歴史を遡るとグリニッチ平均太陽時GMT(Greenwich Mean Time)に行き着き、世界時UT(universal time)とも呼ばれます。
原子時計の精度が向上すると、これを時報の基準にも使うことになり、地球自転に基づくUTに近い時刻になるように操作した(旧)協定世界時が1960~1971年に実施されました。1972年以降は、「うるう秒」方式によりUTに近い時刻を保持する方式になっています。
JJYの説明でも[71808]でも、説明なしに使った UTC は、このようなものでした。

「協定世界時の9時間先」は、実質的には東経 135度に相当しますが、[5253] ゆう さんの発言にあるように、
現在の日本の標準時の定義を要約すると「協定世界時の9時間先」で、定義上は東経135°という言葉がなくなってしまいました。

この記事を書くにあたっては、上記の本(時と暦)と共に、教えて!gooも参照しました。


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