[85269] Shouta さん
【人口10万人を超えていた町が】なぜ市にならなかったのか疑問
[85271] 白桃 さん
ざっくりいえば、人口要件以外に都市的要素(中略)を満たしてはいなければならない
Shouta さん はじめまして。hmtマガジンの特集
市と町の違い を編集した hmt です。
この特集や、アーカイブズ
「市」になる要件 の記事をお読みになれば、「市」になるためには人口以外の要件を満たすことが必要であることがお分かりになることと思います。
この記事では 法令に記された要件や その解釈という観点から、少々フォローしておきます。
現在の地方自治法は、その第八条第一項で 市となるべき自治体が具えるべき要件を規定しています。
そこには、5万以上という人口要件(第一号)に加えて、中心市街地要件(第二号、しばしば連たん要件と呼ばれる)・業態要件(第三号)・都市的施設要件(第四号)が求められています。後の3要件は都市要件と総括してもよいでしょう。
今回のような戦前【正確に言えば、地方自治法施行前】の話になると、法律も変りますが、前記マガジンの特集に収録された むっくん さん の記事3件を参照すると、制度の変遷がわかります。
基本になるのは、「市」という制度を誕生させるにあたり明治21年に制定された 「市制町村制理由」の記載
[62749]です。リンク文書右頁19行。
今此市制を施行せんとするものは三府其外人口凡二万五千以上の市街地に在りとす
数字や、具体的な都市要件など細かい規定の違いはありますが、基本的に 人口と市街地、この2つを要件とするという考え方は、現行法の 人口要件と都市要件 に引き継がれていることがわかります。
1930年当時に施行されていた
明治44年市制 という法律の第1条に記された“市は従来の区域に依る”も、明治21年の法律の基本的な考え方を踏襲する方針を示しています。
昭和戦前(1930年頃)の「市」は、建前上は この 明治時代に決めた制度から 変っていません。
しかし、日本の産業構造は 19世紀から20世紀へと変化しており、「市」の範囲にも 本来の市街地に加えて周辺部が加わり、広域の市域が形成されつつありました。
[79563]で示した人口密度から見た旧富山市の変遷は、その実例です。
M22-H15の旧富山市人口リストは、リンクが切れていますが、WARPを辿れば、到達することができます
[84569]。
富山市の事例は、「市」の範囲が 「市制町村制理由」に記された“市街地”そのものだけではなく、市街地を核とする
都市圏 へと拡大したことを示しています。
つまり、昔ながらの“人口2万5千以上の市街地”は“市の核”として必要ではあるが、その周辺には市街地でない郊外部を含むことが 許容されるようになりました。
本来ならば このような実態をふまえて、法律「市制」を改正すべきであったと思われます。
しかし、実際には 都市要件を成文化した規定は、ずっと後の 昭和18年内務省発地第三六號 市制施行詮議内規
[83139] として現れています。
人口5万人以上で都市的形態を具備するものと認められること
そして、これが現行法の第8条第1項第1号(人口要件)と第2~4号(都市要件)の起源と思われます。
関東大震災後の人口急増で出現した荏原町
[83708] 等の新興住宅地の自治体。
これが「市」になれるのか? という問題に戻ります。
郊外にできた住宅地は、あくまでも東京都市圏の一部にすぎない存在である。市の中心市街地たる“核”が東京都心と 別個に存在するとは認められない。これが荏原市否定論の根拠でしょう。
渋谷になると、単独で市になる構想もあった
[35674]ようです。
しかし、誕生後2年で京都市に編入された伏見市(1929-1931)のように、現実的ではありません。
1930年当時 東京市の周辺にあった 東京府5郡の町村が 「市」にならなかった【なれなかった】理由は、法律・市制の下での「市」という存在の捉え方に起因するのだと思います。
[64148]では「中心市街地」について記しました。
しかし、その捉え方は法律・市制の時代(戦前)と現在とでは変化しているようです。
背景が東京市の周辺町村とは異なりますが、1941年に大規模な戦時合併で誕生した相模原町。
この町は、中心市街地を欠く という理由で 「市」になることができませんでした
[64153]。
その後も 中心市街地がどこなのかは 定かでない状態が続いていたと思いますが、とにかく昭和大合併時代の 1954年には「相模原市」が誕生しました。
この間には 法律も 市制から地方自治法へ と変り、相模原町自体の発展もありました。
しかし、決定的に変ったのは、「都市圏の中心市街地」についての要求だったのではないでしょうか。
戦前・戦中までは市に対して厳しく求められた 都市要件が 戦後の政策変化により緩和されました。
平成合併では、平成17年施行の合併新法第7条で、一時的とはいえ都市要件が不要になった時代もありました
参考資料。
これは極端な緩和の事例です。しかし、それよりもずっと前の昭和合併の時代から 匙加減により都市要件の緩和は進められてきました。そして、これにより多くの市が生み出されたものと思われます。