[79661]に引き続き、前小屋の事例から出発し、県境変更の原因となる河川改修について記します。
落書き帳を遡ると、利根川右岸(埼玉県側)にありながら群馬県太田市であった南前小屋地区の住民が、2006年に深谷市へ編入求め両市議会に請願を提出した記事があります。
[52705] KMKZ さん
一見すると、前小屋地区における県境変更手続の歴史は、2006年からの4年弱のように思われます。
しかし、境界変更の原因になった河川改修は、明治43年の大水害を契機として内務省により立案実行された 大正から昭和初期にかけての利根川第三期改修工事(1918~1929)です。
つまり利根川の流路が変更されて、左岸(群馬県)にあった土地が右岸になってしまってからでも 80年以上であり、この間には水面下を含めて多くの県境変更運動が行なわれたもの推察されます。
原因になった大水害から数えれば、境界変更リスト
[79523] No.39の境界変更は、実に 100年越しの問題解決だったのでした。
付言すると、昨年オフ会への参加途中の Hiro_as_Filler さんが、“看板に誘われ深谷市前小屋にふらりと入りこむ ”
[76893]際に渡った 小山川が利根川の旧河道で、38世帯 137人が住む前小屋の集落は 小山川と利根川との間の導流堤上に並んでいます。
写真の(4)
[79523]で示された境界変更リストから、河川に関連しそうな箇所を拾ってみました。
利根川では印旛沼付近の No.6と 佐原付近の No.20。
リストには挙げられていませんが、その間にある 滑川駅対岸と 神崎の市街地上手(昭和40年12月13日自治省告示第167号)も 「県の境界にわたる境界変更」に該当すると思われます。
常陸利根川では No.19。上流部では No.39の前小屋。
利根川水系では、No.23が鬼怒川付近ですが、河川改修との関係は不明。矢場川付近(No16、22)も不明。
荒川は No.1、4(舟渡)とNo.10(白子川)で、いずれも既報。
東京・神奈川の都県境を流れる境川直流化がもたらした県境との食い違いとその是正(領地交換)については、
過去記事 で度々話題になりました。境界変更リストでは、No. 28、32、35、38。
このように境界変更リストから拾い上げてみると、関東地方に集中しています。
明治時代の特別法による県境変更
[47106][79538]も、江戸川(明治28年3月30日法律第24号)、利根川(明治32年2月8日法律第4号)、多摩川(明治45年3月28日法律第5号)と関東地方に集中。
もっと前になると、木曽川沿いの 松山中島村が1887年に愛知県から岐阜県に移された事例
[79347]もあるし、江戸時代の初めには 木曽川の新流路が濃尾国境になったことにより 羽栗/葉栗・中島・海西3郡が 美濃と尾張に分割されたという歴史
[39454] もあるのですが、現代の河川改修による県境変更が 概ね関東だけに見られる現象は何故なのでしょうか。
[4248] でるでる さん
【北川辺町や藤岡町】の他にも流路変更によって、現在の行政区域とが一致しないところは多いですよね。
利根川を挟んだ茨城県と千葉県(佐原市周辺)、同じく利根川を挟んだ群馬県と埼玉県、筑後川を挟んだ福岡県と佐賀県が特に目立つかなという印象があります。
筑後川の場合、江戸時代に行なわれた河川改修の後も、筑後国(柳川藩)と肥前国(佐賀藩)との国境は変更されず、これが現在の県境と流路との不整合に持ち越されているようです。
mapion
佐賀県道・福岡県道19号諸富西島線が、「県境跨ぎ」の道路になっています。
これで何百年もやってきたのだから、今更県境を流路に合わせる必要はないのではないか。
そう言われると、それも御尤もな意見と思われてきます。
筑後川の地図を出したついでに、県境変更とは無関係の余談を。
河口部にある大野島(福岡県)/大詫間(佐賀県)は、元々別々の中洲であったものが、砂の堆積により陸続きになったもののようです。
「2県にまたがる島」コレクション[41368]