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落書き帳

古高松

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[44216]2005年8月16日
88
[44225]2005年8月17日
白桃
[80302]2012年2月18日
88

[44216] 2005年 8月 16日(火)23:21:4888 さん
職業由来町名 など小レス
[44205] EMM さん
高松市にも勅使町
高松市勅使町の由来については、(元香川郡勅使村、香川郡鷺田村大字勅使)
1 承平7年朱雀天皇が観賢僧正に紫衣を追賜した際、勅使が当地に宿泊したことに由来する(三代物語)
2 天皇の勅旨をもって荒蕪地を開墾させた勅旨田に由来する(香川県通史)
の2つの通説があります(「角川日本地名大辞典37香川県」より)。
コレクションへの採用の可否は、お任せします。>笠津前浜さん

[44070] 白桃 さん、([44087]拙稿のフォロー)
高松の丸亀町のように、近くにある別の都市の名前がついている町や商店街
高松市兵庫町
やはり、「地内に兵器庫(兵庫)があったことによるという(高松地名史話)」(上述(「角川日本地名大辞典37香川県」より)ですね。
余談ですが、「高松」という地名自体が、もともとは借り物です。現在の高松市高松町付近が「高松」の地名の発祥です。天正16年、讃岐17万3000石領主生駒親正が香東郡野原郷(現在の高松市の中心部)に高松城を築いた時に、郊外の「高松」の地名を借りたものです。今では、高松市高松町は通称「古高松」と呼ばれ、古高松小学校・JR四国古高松南駅・高松琴平電鉄古高松駅・(正確には高松市新田町になるが)古高松南小学校・古高松中学校があります。
[44225] 2005年 8月 17日(水)07:37:39白桃 さん
古高松と馬篠
[44216]88さん
今では、高松市高松町は通称「古高松」と呼ばれ、
私、てっきり古高松は「古高松○丁目」とか「古高松町○丁目」になっていると思ってました。「高松町」なんて知っていたら問七、早く土気ていた加茂。

[44212]88さん
馬篠(ベッセルおおち付近)は景色もきれいなのに(ローカルネタ失礼)。
「ベッセルおおち」は新しい施設ですけど、数年前帰省した際に行きました。丸亀(島)や絹島の眺めはまさに国立公園級やぁけどな。絹島、丸亀島は無人島ゆえ、問一、東かがわ市は×。小砂にある白桃国屋敷も無人家。
[80302] 2012年 2月 18日(土)08:41:1288 さん
地名の成り立ち
[80276][80281] EMM さん

門前町門前の件、[80271]拙稿の投稿前に輪島市門前町門前付近の地図で、各字の境が錯綜していることは確認していました。例えば参道は沿道の家屋敷地と異なり切り取ったように「門前町門前」であることも。
M22.4.1の市制町村制施行前に、「門前村」や「走出村」があったこともあり、そのままの投稿となったわけですが、確かに、おっしゃるように「スジ悪」であったようで、 門前町剱地などを挙げれば、紛れもなく、私の趣旨の主張は全く問題はなかったところです。
正式な住所表示が明白な輪島市門前総合支所(旧門前町役場)の住所の例にこだわり過ぎたのは反省点です。

――――――――――
#以下は特にEMMさんあてに限定したものではありません。念のため。
#異論がある方ももちろん多いとは存じますが、観点の一つとして見ていただければと思います。

私が近世村に主眼を置いているのは確かですが、その理由は、単に近世村であるからではなく、さらに遡ると・・・自然発生的に生まれた「自然地名」につながる、ということを見据えているからです。
私の[80270][80271]では、記事番号を紹介しただけで内容には触れなかったのですが、私のもっと根底の主張は、[61545][61847]で述べています。
[61545]
「地名」を、長い歴史の中でたかだか100年しか存在しない「現在の住民」に、恣意的に決定する権利があるのかどうか、個人的には大いに疑問を持っています。「現在の」住民の感覚で判断するからさまざまな誤解が生じるのではないか、と。
[61847]
人類は地上で集団生活をしなければ種の保存も個体の保存も不可能であった。いつ(季節・時間)、どこ(地名)にいけば、どんな食料が得られ、あるいはどんな危険があるのか、集団生活で周知しあわなければ生きていけなかった。多層、多重の集団社会では『あそこ』『こっち』と言う代名詞だけでは円滑なコミュニケーションは成り立たず、必然的に、場所を特定するための言語=地名を大地の部分に命名して使いこなす必要があった。
(「こんな市名はもういらない!」(楠原佑介著、2003年4月30日初版発行、東京堂出版)の要約)
あとから命名した「人為地名」ではなく、その地に人類が初めてつけた、自然発生的な地名こそが、1000年前でも、現在でも、1000年後でも、どの時代でもたかだか100年しか生活しない、「点」に過ぎない個々の「ヒト」が、「線」となった「人類」として見た場合に、「自然地名」が普遍的に最も歴史性を備えた地名であると考えています。

全体の印象として。すごく大雑把な、個人的な印象かもしれませんが、城下町等により開発された地区よりも、いわゆる農村地区の方が、人類が生活し始めて自然発生的に生まれた「地名」が、現在に至るまで残っているように感じます。

私の居住する「高松」も、500年前に他地域の地名を持ってきて命名された、『新しい』地名です。
元々は讃岐国香東郡篦原(のはら、野原とも)郷です。天正15年(1587年)8月、生駒親正が前領主に代わって讃岐国の領主となり、その翌年天正16年(1588年)から城を築き、それまでの高松左馬之助の居城があった郊外の「高松郷」の名を採って、城下を高松、城は高松城(玉藻城)と呼びました。源平の屋島の合戦以来全国によく知られた高松に、との意識もあったようです。
本来の「高松」は、現在の高松市高松町。山田郡高松郷で、「高松」の由来は各説あります。
・古くからこの地に「大松樹」があった(翁媼夜話)
・当地では中国から渡来した漢民族の居住地には高を用い、格別に松をめでたい木としたものから、高松はこの渡来人の居住地に由来(高松地名考)。
「高松郷」の名は、平安期「和名抄」(和名類聚抄)にも見えます。
この「高松」は、城下の「高松」と区別するために江戸期からは「古高松」と呼ばれました。
#参考資料
・「角川日本地名大辞典 37香川県」(角川書店、「角川日本地名大辞典編集委員会編、昭和60年10月8日平成5年2月25日」)
・「香川県の歴史」(山川出版社、木原博幸・丹羽佑一・田中健二・和田仁著、1997年10月25日第1版第1刷発行)
・「香川県史 第三巻 通史編 近世I」(平成元年2月28日発行、香川県編集・発行)
・「高松城主とその時代」(高松市歴史民俗協会、越智繁杉著、昭和62年3月初版、平成8年10月改訂)
高松城の歴史 (高松市HP内)
現在でこそ「高松市」ですが、「篦原市」「野原市」となっていた可能性も十分ある、その方が、歴史性はある、ということを、私は思い出したように意識することが多々あります。

もちろん、この500年の人類の「歴史」を、他の生物とは異なり、人類特有の文明とともに歩んできた発展の歴史として、ともに歩んできた地名を肯定的に捕らえる考え方もあると思います。
地域要因・個別要因によるのでしょうが、当地付近では、「和名抄」にもある地名が、大字等として多数残存しているように感じます。


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