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落書き帳

別寒辺牛

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[49596]2006年3月2日
みやこ♂
[49600]2006年3月2日
hmt
[49684]2006年3月5日
北の住人
[49716]2006年3月6日
hmt
[49797]2006年3月11日
北の住人
[49823]2006年3月13日
スナフキん

[49596] 2006年 3月 2日(木)22:00:58みやこ♂ さん
環境省「日本のラムサール登録地」(2005)から
ども。中毒患者2号です。さて先日,標記パンフレットを見る機会がありました。
これによれば,「日本の湿地」には「湿原:河川:淡水湖沼:水田:地下水系:海岸線:汽水湖:藻場:干潟:マングローブ林:サンゴ礁」があるとされ,ラムサール条約登録湿地は,これら11カテゴリーのいずれかに区分されています。
「水田」,「地下水系」,「サンゴ礁」までもが湿地だなんて,ちょっと意外な気がしませんか?

この中から以下,わたくしがコレクション編集担当をやらせていただいている,「湿原」の説明書きを抜き書きしてみましょう。

湿原:湿原は土壌学的には泥炭地と呼ばれ,貧栄養の雨水だけで涵養されミズゴケなどにおおわれた高層湿原,上流部から栄養塩が流入しヨシやスゲの生育する低層湿原,その中間の性質を有しヌマガヤなどに代表される中間湿原にわけられる。
低層湿原は周辺域の開発などの影響を受けやすく,本州以南の低地にあるもののほとんどは,早い時期に水田や宅地に姿を変えてしまった。
中間湿原は,鹿児島県屋久島を最南端に,主に冷涼な地域に広く分布している。
高層湿原の大部分は本州の中部山岳地帯および北海道に分布しており,氷河期から生き残っている古い野生生物種の生息地として,現在も重要な役割を果たしている。
(以下略)

同パンフには,これらの総括的な説明のあと,国内の全33箇所の登録湿地について,各々1ページを費やして説明がなされています。全部,総天然色印刷です。


あと,とても感動した記述があったので最後にそれを・・・。
「別寒辺牛湿原 ・・・大部分はヨシ・スゲ・ハンノキからなる低層湿原だが,1989年に人工衛星写真の解析から約100ヘクタールの高層湿原が,ほぼ手つかずの原生状態で発見された。」
すげっ!
[49600] 2006年 3月 2日(木)23:39:29hmt さん
丹頂の繁殖地・別寒辺牛湿原
[49596]みやこ♂ さん
「別寒辺牛湿原 ・・・大部分はヨシ・スゲ・ハンノキからなる低層湿原だが,1989年に人工衛星写真の解析から約100ヘクタールの高層湿原が,ほぼ手つかずの原生状態で発見された。」

シロウトには低層湿原と高層湿原とを見分けることはできないと知りつつも、こう書かれるとGoogle mapsの衛星画像を見てしまいます。
画面右側にある厚岸湾の北に茶色に広がるのが別寒辺牛湿原。釧路湿原(画面左側)、サロベツ原野に次いで日本で3番目の広さの湿原だそうです。

NHKの「さわやか自然百景」で放送していたのを思い出して、6年前に録画したビデオを見直してみました。「べかんべうし」とは、アイヌ語で「水の上を行き来した場所」という意味とか。
番組では、丹頂にとって餌の豊富な水辺と隠れ場所になる葭原のある繁殖地が紹介されていましたが、これは低層湿原ですね。
[49684] 2006年 3月 5日(日)21:38:20【1】北の住人 さん
菱の実
[49600] hmt さん
NHKの「さわやか自然百景」で放送していたのを思い出して、6年前に録画したビデオを見直してみました。「べかんべうし」とは、アイヌ語で「水の上を行き来した場所」という意味とか。
この地名の説明シーンに、「菱の実」が登場してなかったでしょうか。「べかんべうし」を解くには、彼が主演となるはずなので。
「水の上を行き来した場所」は「ベカンベクシ」説からの引用だと思います。アイヌ語で「ベカンベクシ(pe-kam-pe-kus-i か?)=水上を通行した場所」となるのかは分りませんが、「菱があると思って水上を行ったが菱はなかった」というエピソードで「ベカンベクシ」の説明がされています。「ベカンベクシ」という言葉がアイヌ語上成り立つのかという、シロート的な疑問はありますが。
「菱がなかった」という意味なら「ベカンベなし(pekampe nashi)」も面白いかなと思ったりします。(だからシロートはコワイ!←このフレーズ、そのうち説明します。)

一方、「ベカンベウシ(pekampe-us-i)」説では「菱の実の群生地」。菱の実は食料であり、その群生地を指しているという訳です。
別寒辺牛の西側、塘路湖が「ベカンベ」の名産地とされています。名産地への道のりとして別寒辺牛川水系が存在したのなら、別の解釈も成り立つのではと、シロート的な発想が湧いてきました。
(以上、永田方正「北海道蝦夷語地名解」、更科源蔵「アイヌ語地名解」、山田秀三「北海道の地名」を読みながら)
[49716] 2006年 3月 6日(月)23:28:33hmt さん
別寒辺牛湿原には主役になるはずの「ヒシ」が生えていないらしい
[49684] 北の住人 さん
この地名の説明シーンに、「菱の実」が登場してなかったでしょうか。「べかんべうし」を解くには、彼が主演となるはずなので。

NHKの番組では、「菱の実」についての言及はありませんでした。

なるほど。アイヌ語の「ベカンベ」とは、水草である菱 (ヒシ) の実を表していたのですか。
ヒシという植物は、私にとっては「菱形」という言葉の由来としての認識しかありません。ソバのように実の形が「菱形」なのかと思ったら、葉の形が「菱形」なのですね。

食用になるヒシの実は、昔は重要な資源だったのかもしれませんが、厚岸水鳥観察館によると、現在の別寒辺牛にはヒシは生えておらず、「昔はベカンベが多かった」という言い伝えもないようです。
そんなとろから「水上交通の要所」という異説が出てくるのかもしれませんが、これもあまり説得力のあるものではないようで、上記サイトも
この河川の名前の由来は、厚岸の地名のなぞの一つ
と、お手上げ状態です。

なお、厚岸町 によると、別寒辺牛湿原という名は、厚岸町観光十景に選定されてから名付けられ、1993年のラムサール条約の登録湿地となって注目された、比較的新しい地名のようです。

みやこ♂ さんが[49596] [49655]で書かれたように、1989年になって空中映像から、上流部には高層湿原があるらしいことがわかった後、現地調査により、それが確認されたとのことです。厚岸・別寒辺牛湿原

北海道の湿原には、26の湿原がリストアップされていました。
「湿原」という言葉が使われていなければ、地名コレクションの対象外でしょうが、ご参考までに。
[49797] 2006年 3月 11日(土)21:54:21北の住人 さん
[49716] hmt さん
[49725] スナフキん さん
別寒辺牛湿原は容易に到達できない地のようで、近くをかすめたことありますが、知床とはまた違った秘境のようです。奥地では水上を歩くのは困難ですから、いにしえの民は丸太舟を使って行き来していたのでしょう。松浦武四郎も河口からやや入った小休所を訪れています。

[49684]の「菱の実の群生地」という私の日本語はちょっと変でした。「菱の実がたくさんあるところ」か「菱の群生地」ですね。(「ベカンベ」=「菱の実」ですが、「ベカンベ」=「菱」となるかは分りません)
「ヒシ」は東アジア特産らしく、学名では「Trapa japonica Flerov」となってました。
[49823] 2006年 3月 13日(月)13:23:30スナフキん さん
別寒辺牛の由来、一説
[49725]で、私がほのめかした別寒辺牛の由来、その続きです。なお、前項では「由来の真相」と書きましたが、アイヌ時代の史実は確定していない事柄も数多く、以下に紹介する由来はあくまでも「一説」であると思ってください。他に見解があってもおかしくないと思うので…(アイヌ語地名の由来って、そういうことが往々にしてありますよね)。

ネイチャーウォッチングの際にいただいたウォーキングマップには、塘路湖の中に確かに「ペカンペ(ひしの実)」とあります。塘路湖がペカンペの産地であることは今も昔も変わらないようです。しかし、集落の名前も湖の名前にも「ペカンペ」は現れず、逆にはるか遠い厚岸の方には「ペカンペ」と関係がないのにその名前を付した地名が残っている…。この妙な状況を、同伴してくださった地元のネイチャーガイドの方は「アイヌ部族間の争いが引き起こした結果だ」と説明してくれました。

--
塘路アイヌは、その昔は純然たる内陸アイヌであり、日々の食糧は狩猟に頼らざるを得ない、どちらかといえば力の弱いアイヌ部族であったようです。伝説の内容はさすがに覚えていませんが、自然現象による啓示により塘路湖に実るひしの実が食材として有用なことを知った塘路アイヌは、これを機に食に飢えることなく、日々の生活を安定的に送ることのできる部族へと変わり身を遂げました。ひしの実は乾燥させることで長期保存が可能なので、多少の不作年があっても飢えに苦しむことは激減したようです。塘路湖には淡水魚(ハンドルネームが出てきてしまいました、ゴメンナサイ!)も生息しているため動物性たんぱく質にも事欠かず、塘路のアイヌは富める部族になったのです。

それをねたんだのが、どうも厚岸アイヌであったようです。厚岸は海べりであり、内陸はやせた根釧台地ですから、どうしても食材は海産物に重きを置かざるを得ないのですが、こればかりは自然が相手なので獲れる量は一定にはできません。年によっても多い少ないの波があり、生活は決して安定しているとは言えなかったようです。そういった環境にあって、毎年ほぼ一定量の保存食が確保できる塘路の地は、のどから手が出るほど欲しい立地だったことでしょう。こんなことから、厚岸アイヌはたびたび塘路アイヌとの間で対立していました。これは史実として裏づけされており、現に塘路湖を見下ろすサルボ展望台近くには、厚岸の方角を向いたチャシ跡が残されています。これは、厚岸からの攻撃に対する防御のために塘路アイヌが築いた砦であるとされています。

つまり、厚岸のアイヌはペカンペという自分たちの生活を安定させてくれる産物を求めて、塘路に攻め込む、まさにそのルートがこんにちの別寒辺牛川沿いだというのです。確かに、多少の回り道には思えますけど、厚岸から塘路を目指すルートとしてこんにちの別寒辺牛川及び主流上流をたどると塘路湖の東畔に達することができます。私はこの時、周りの地図ともにらめっこして比較的説得力があるなあと思ったのです。


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