昨日,仕事の関係でちょと必要があって,戦後,“公選制”の教育委員会制度について定めていた 「
教育委員会法」(昭和23年法律第170号;1948年7月15日公布・施行,1956年10月1日廃止) を眺めていたら,末尾の 附則 にこんな条文がありました。
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第70条 大阪市、京都市、名古屋市、神戸市及び横浜市(五大市という。以下同じ。)並びに既に教育委員会を設置しているその他の市以外の市は昭和25年12月1日又は昭和27年11月1日に、町村(既に教育委員会を設置している町村を除く。)は昭和27年11月1日に、それぞれ教育委員会を設置しなければならない。
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このサイトに掲載されているのは,20回ほどの改正を経て,1956年の全面改正で「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(昭和31年法律第162号;略称:地方教育行政法 または 地教行法)に引き継がれる直前の,いわば“最終形態”なのですが,ここでの関心の対象となるのは「5大市」という表現ですね。
(※なお,この 「旧)教育委員会法」 から 「地教行法」 への切り替えで,教育委員会の委員は従来の公選制から現行の任命制に変更され,教育委員会の組織や教育行政のシステムも大幅に変えられました。なので,この法律は当時 「新教育委員会法」 とも呼ばれましたが,この法律も,もうすぐ変えられちゃうんでしょうかね。)
きっとね,ここは本当は当時の 地方自治法 に規定のあった「特別市」と書きたかったんじゃないか,と思うのでした。
当時の 地方自治法 には,こんな条文がありました。
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第3編 特別地方公共団体及び地方公共団体に関する特例
第1章 特別地方公共団体
第1節 特別市
第265条 特別市は、都道府県の区域外とする。
特別市は、人口五十万以上の市につき、法律でこれを指定する。その指定を廃止する場合も、また、同樣とする。
(第3項以下省略)
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当時,「特別市」と指定されるべく想定されたのは恐らく前記「5大市」なのでしょう。
けれども,まさにこの条文の 第1項 の規定が仇となって多くの反対を呼び,1つも指定されることなく,1956年にこの節(第264条~第280条)が丸ごと削除されて(昭和31年法律第147号による),かわってこの第3編の“直前”に現行の 第12章(大都市に関する特例) が挿入されて,「指定都市」(政令市,政令指定都市)なる,ある意味,“中途半端”な制度が導入され,この年7月31日の 政令第254号 によって件の 5大市 が指定されて,同年9月1日に「初めての政令指定都市」が誕生したのでした。
この「第3編の“直前”」というのがミソで,指定市は「特別地方公共団体」ではなく「普通地方公共団体」であって,あくまでも「普通の市」が“特に指定”されてより広範な権限を持つ,という位置づけなのですね。「中途半端」たる所以です。
よく見ると,教育委員会法 の改正と,地方自治法 の改正は同時期ですね。お互い,無関係ではないのですが,もし,この後も 教育委員会法 が存続していたら,冒頭に述べた「5大市」の部分は「指定市」と改正されていたことでしょう(…と思ってよく読んだら,制度移行に関する1回限りの時限規定でしたね。改正の必要はないか)。なお,現行の 地教行法 では,「指定市」という語が使用されています。
つまり,現行のような「政令指定都市」制度もなく,当時規定されていた「特別市」に指定された市が1つもない段階では,それにふさわしい市を「5大市」と呼ぶしかなかったのでしょうね。
さて,それでは,1947年5月3日以降の 現行憲法・地方自治法体制 以前の 旧憲法(明治憲法)体制下 での「5大市」,さらに 1932年に“消滅”した 東京市 も加えた「6大市」はどういう位置づけであったか調べてみると(←これは,以前に別ネタを調べた副産物なのですが),
現行地方自治法の施行まで有効であった「(改正)市制」(明治44年法律第68号)にこんな規定がありました。
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第6条 勅令ヲ以テ指定スル市ノ区ハ之ヲ法人トス(以下略)
第80条 第6条ノ市ノ区ニ区長一人ヲ置キ市有給吏員トシ市長之ヲ任免ス
第82条 第6条ノ市ヲ除キ其ノ他ノ市ハ処務便宜ノ為区ヲ画シ区長及其ノ代理者一人ヲ置クコトヲ得
前項ノ区長及其ノ代理者ハ名誉職トス市会ニ於テ市公民中選挙権ヲ有スル者ヨリ之ヲ選挙ス
内務大臣ハ前項ノ規定ニ拘ラス区長ヲ有給吏員ト為スヘキ市ヲ指定スルコトヲ得
(以下略)
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で,これを受けた 明治44年勅令第239号「市制第6条ノ市ノ指定ニ関スル件」(1911年9月21日)で 東京市・京都市・大阪市 の3市が指定され(施行は同年10月1日),明治44年内務省令第14号(1911年9月22日)で 市制第82条第3項 に該当する市として 名古屋市 が指定されています(施行は同じく同年10月1日)。
後者については,昭和2年内務省令第32号(1927年6月22日,同年10月1日施行)で 横浜市 が,昭和6年内務省令第14号(1931年7月1日,同年9月1日施行)で 神戸市 が追加指定されています。
なお,明治44年勅令第244号「市制第6条ノ市ノ区ニ関スル件」(1911年9月23日) では,該当市の 区 を“自治体”とし,その自治制に関する規定が定められていました。
つまり,今風の言い方をすれば,“自治体としての区”を持つ「勅令指定都市」と,有給吏員としての区長が配置され,だからそのための“市の下部行政機関としての区”を持つ「省令指定都市」とがあって,前者に 東京・京都・大阪 の3市が,後者に 名古屋・横浜・神戸 の3市があった,ということになるのでしょうね。