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落書き帳

第6回落書き帳公式オフ会関連記事(白桃さん)

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[72944]2009年11月23日
白桃
[72972]2009年11月28日
白桃
[73137]2009年11月30日
白桃

[72944] 2009年 11月 23日(月)22:33:15【1】白桃 さん
矢掛、井原、瀬戸内(牛窓)
前回のオフ会では、北秋田(鷹巣)、大館を歩きましたが、今回は、タイトルに記した地味な街を散策いたしました。特に井原市では、白桃としては珍しく結構時間をかけて歩きました。
そして、特記すべきは、2泊3日の旅程で2日間は酒類を全く口にしなかったことです。やれば、できるもんだ!
もっとも、オフ会のあった日はどういうわけか12時間ぐらい飲んでいたから、それを考えると3日間で歩いていた通算時間はやはり少ないですね。反省・・・。
[72972] 2009年 11月 28日(土)02:37:24白桃 さん
グリグリ劇場「水戸黄門」(石島騒動の巻)
あらすじ:ときは寛文10年(1670年)のこと
船坂峠を越えて備前三石にご老公一行がさしかかったとき、いきなり刺客に襲われる・・・
その頃、讃岐と備前の間で世に言う「石島騒動」が持ち上がっていた。讃岐高松藩2代目藩主松平頼常は光圀の実子であることから、不利な裁きになることを怖れた備前岡山藩では、国家老の神山油天が悪徳商人加賀屋と結託し、黄門暗殺を企てていた。ただ、そのような陰謀は岡山藩主である名君池田光政の耳には入っていなかった。果たして黄門様の運命やいかに!
主なキャスト(俳優は敬称略)
登場人物俳優役回り他
風車の弥七じゃごたろ
隠密ニジェガロージェッツ実は松尾芭蕉
駕籠かき(前)リトルお銀に高速道路代金2両をふっかける
駕籠かき(後)ソーナンス
謎の薬売りペーロケ実は高松藩御雇忍者
かわら版売り星野彼方本筋に全く影響を与えない
傘張り浪人らるふ岡山藩家臣であったがリストラにあう
丹波屋主人今川焼岡山の宿屋の主であるが、ドラマ終盤で重要な役目を演じる
素浪人白桃岡山城下でいつも飲んでいる単なる酔っぱらいセリフなし
大工の熊五郎BANDALGOM前述の素浪人といつも飲んでいる
石島の漁師久兵衛かぱぷう隠密らを石島に案内
慈円futsunoおじ西大寺の僧
格さんいっちゃん実は印籠のセールスマン
小松帯刀小松原ラガー祖父は小早川秀秋。加賀屋にそそのかされ、光圀を襲う
多羅尾坂内MasAka閑谷学校で地理を教える先生
飛猿スナフキん
神山油天油天神山岡山藩国家老(どっちかいえば悪役)
うっかり八兵エぺとぺと
松平頼常N-H
助さん88
飴売りでるでる実は岡山藩御雇忍者
八墓村の子どもあっちゃん
六車宗旦JOUTOU高松藩城代家老
お銀かすみ今回は入浴シーンなし
水戸黄門hmt
池田光政グリグリ
船吉YASU吉井川船頭
加賀屋EMM(どっちかいわなくても悪役)

オフ会に参加されなかった皆様へ:テキトーにキャスティングしたものであり、くれぐれも役柄からご本人をイメージしないでください。
[73137] 2009年 11月 30日(月)23:26:56【1】白桃 さん
史実無視の「御野中納言」
[73119]ニジェガロージェッツ さん
ところが,岡山には隠密の偽ニジェ[72972]が現れて一騒動起こしたらしく,わたくしのもとに抗議メールが寄せられて困っています。
じゃぁ、あの人はニジェガロージェッツさんではなく、二ジェガロージェッツさんだったのだ。(カタカナの「ニ」ではなく漢数字の「二」)
それはともかく、
小早川秀秋は二十歳そこそこの若くして亡くなっていましたが,孫がいたんですか!
まあ,子さえ作っておけば後の時代に孫が出来てもおかしくないのですが,本当ですか?
また、[73098]伊豆之国さん
そもそも光圀公は関東一円しか歩いておらず、岡山にやってくるはずなどあり得ないのですがね‥
等々、史学科?を一応卒業している白桃に対してボッケェ疑りマナコ。(笑)
ま、少々のつじつま合わせを兼ねて続編「刺客-小松帯刀の秘密の巻」を・・・

小早川秀秋(「関ヶ原」後は「秀詮」)は関ヶ原戦後、岡山に栄転(55万石)となるが、東軍に寝返ったという自責の念からか精神不安定となり、1602年に20歳ちょっとで亡くなったということです。子はなかったとされておりますが、一説には、秀秋死後に生まれた「羽柴秀行」という側室の子がおり、叔父の木下勝俊(備中足守藩主)に預けられたとのこと。

以上、ここまでは史実と言えないまでも、全くのデタラメは言っておりません。
・・・中断(アルコール入る)・・・
さて、木下家に預けられた秀行ではあるが、肝心の木下家が改易(ここまでは、まだ史実)となり、幼少の秀行は路頭に迷い、結局、西大寺(会陽-裸祭りで有名)に行くことになる。この頃すでに、姓を小早川(羽柴)から小松原に変えていた秀行ではあるが、やがてfutsunoおじ、いやfutsunoお坊さんになり、慈円を名乗ったのである。(聡明な読者なら、ここいらから全くデタラメの白桃ワールドに突入していることはお判り頂けると思います)
慈円はfutsuno修行生活をしていたのであるが、西大寺の人口を一人増やしたことから、話がややこしくなるのである。その子(つまり、小早川秀秋の孫)帯刀は僧侶になることを嫌い、岡山城下で無頼の輩となる。そしてその頃、小松原から小松に苗字を変える。(一説には「加賀小松」、「河内松原」、「相模小原」のうち、当時人口が多かった「小松」を選んだという)この小松帯刀に目をつけたのが、今回の十番勝負でしぶとく完答を果たした岡山藩国家老、神山油天と加賀屋なのである。(ウワー、十番勝負もうヒントが出てる!)
小早川家再興、という油田、いや油天と加賀屋の甘いエサにつられた帯刀が、ご老公を襲うという暴挙に出るのであるが、ニセ格さん、ニセ助さんの活躍で失敗するのである。その後の帯刀の消息は知りません。(風の又三郎の噂では、摂津・灘で杜氏となり、ラガービールを造るのに成功したとか・・・、なお、ちょくちょく薩摩に姿をあらわしたという風聞もあり、幕末・維新で活躍する同姓同名の人物とあながち関係ないこともないのかもしれません)
お話はこれで全て終わりなんですが、ついでです。
格さん、助さん、黄門様もみんな偽物だったとか・・・
「格さん」:日生沖の鹿久居(かくい)島出身の牛窓の船大工、手先が器用で印籠も作り、行商セールスも行っていた。
「助さん」:備中高松で助郷をやっていたという。ニセ者ということがばれた後、心いれかえ八十八箇所詣を行ったことは超有名な話。
「水戸黄門」:御野(みの)郷の中納言(岡電、東山線の停留所に名を残す)に住んでいた正真正銘のご隠居さん。みのの中納言、中納言の唐名は黄門であり、みののこうもん→みとこうもん、とシャレたらしい。

十番勝負、問二のアナグラム解けない・・・

訂正箇所:摂津松原→河内松原


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