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落書き帳

へび談義

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[77004]2010年12月10日
hmt
[77010]2010年12月11日
oki
[77015]2010年12月11日
hmt
[77020]2010年12月12日
oki
[77021]2010年12月12日
伊豆之国
[77022]2010年12月12日
inakanomozart
[77023]2010年12月12日
hmt
[77024]2010年12月12日
Issie
[77025]2010年12月12日
ぺとぺと
[77026]2010年12月13日
hmt
[77028]2010年12月14日
hmt
[77486]2011年1月19日
oki
[82417]2013年1月1日
伊豆之国
[84520]2013年12月7日
hmt
[86335]2014年8月27日
伊豆之国

[77004] 2010年 12月 10日(金)13:42:10hmt さん
「蛇窪」という地名
昨夜のテレビ東京「空から日本を見てみよう」は、東急大井町線でしたが、大井町を出て次の駅の「下神明駅」で紹介されていたのが、別々の鉄道会社による三重立体交差でした。

三重立体交差は、地上が JR東日本。その上を高架線で直交するのが 東京急行の大井町線。更に上が JR東海の東海道新幹線。
大井町を地下駅で出た「りんかい線」は、少し手前で北に曲がっているので、地下を含めても 4社四重 にはなっていません。

この話を持ち出したのは、「トライアングル」に関して、この地が 落書き帳で 取り上げられたことがあるからです。

[49640] オーナー グリグリさん
こちらは ひねり の入った三角。
[49652] デスクトップ鉄 さん
最後尾に展望車を連結していた、客車列車時代の特急「つばめ」と「はと」が方向転換していた場所です。
東急大井町線の下神明駅近くの、現在の横須賀線と湘南新宿ラインが分岐しているところが旧蛇窪信号場
[49796] hmt
「ひねりの入った三角」[49640]として例示された目黒川・蛇窪・大崎デルタ線 [49652]も、現在は横須賀線(1980)と湘南新宿ライン(2001)の旅客線になっていますが、元々は1929年にできた品鶴貨物線に大崎支線が加わり(1934)、変形トライアングルになった貨物線です。

「空から…」ではよく見えない1層目の JR在来線ですが、3本の貨物複線【現在は旅客線化】が、すべて平面分岐によって トライアングルを形成している、珍しい場所です。

その一角をなす「旧蛇窪信号場」。
東京府荏原郡上蛇窪村と下蛇窪村とは、1889年の町村制で 中延村・戸越村・小山村などと合併して 平塚村になり、これが荏原町を経て 1932年に 東京市に編入されました。

おそらく目黒川水系の蛇行する窪地に由来する「蛇窪」の地名は、郡部時代は大字として残っていましたが、東京市編入を機会に改称され、東京市荏原区上神明町と下神明町とになりました。

エデンの園以来嫌われ者の「蛇」が使われた地名は、行政が使う公式の町名からは消されてしまいました。

省線の品鶴貨物線に、大崎支線が作られた1934年はその直後ですが、分岐点の信号場には「蛇窪」の名が使われました(計画段階から決まっていた?)。おかげで、私のような鉄道路線ファンの記憶に残る地名として生き延びた次第です。
なお、1927年の目黒蒲田電鉄大井町線開業時には、大字名由来の蛇窪駅がありました。行政地名から消された後の1936年に戸越公園駅に改称。

「蛇窪」という地名が消滅する過程で、地名の保存とは何かを考える

「蛇」から離れれば、荻窪・柳窪・恋ヶ窪など「窪」の付く地名は、東京近郊にも多数あります。
大久保のように異字を用いたものは更に多数。
[77010] 2010年 12月 11日(土)03:17:09oki さん
よしなしごと
今日(もはや昨日ですが)、奈良県まで出張に行ったのですが、途中、新幹線で多摩川を渡っているときに、「考えたら大きな川をたくさん越えるな」と思い、渡った大河を順に書き連ねると次のようになりました。
荒川、隅田川(渡ったのではなく、くぐったのですが)、多摩川、相模川、酒匂川、富士川、安倍川、大井川、天竜川、浜名湖(番外)、矢作川、木曽川、長良川、揖斐川、瀬田川、桂川、淀川、大和川、木津川。そのほか、中小河川、水路等は数知れず。
ま、だからどうだと言うことは別になく、川がたくさんあって、そのそばに街ができているのを再確認しただけですが。

川に注意しながら窓外を眺めていると、琵琶湖の東側で次のような看板を目にしました。
「愛荘町 ここはどこの県?」
いったい何のことかいな、と思っったのですが、しばらくして「愛知中学校」、「愛知高校」の大きな看板と、それぞれに添えられた「えち」という読仮名を見て納得しました。看板の「愛荘町」はもともと「愛知川町」だったのでしょう。確かに、滋賀県民(とここの常連)以外で、愛知高校を「えちこうこう」と読んでくれる人はほとんどいないでしょうからね(古いグーグルマップを見ていると、「愛知川図書館」に「Aichigawa Library」という英語の読みが当てられていました)。

渡った川を見れば分かるように、新幹線で新大阪まで行き、大和路快速で奈良県に入ったのですが、大阪(梅田の方がしっくりくるが)から乗ったので環状線の海側を半周して天王寺から関西本線を経由しています。途中、西九条の駅に停車したとき、反対側の車線に極彩色の電車が停まっていて、「なんじゃこれは」と思っていると、桜島線(いまは「ゆめ咲線」と呼ぶようです)を走るUSJ行きの電車でした。ディズニーリゾート線の、いかにも「リゾートムード盛り上げ」という列車はあまり好きではないのですが、USJ電車の派手というよりケバさには「ついていけんな」という感覚を持ちました。
で、西九条を出てしばらく進むと、大阪市立の「咲くやこの花中学・高校」という看板が。発想は分かるのですが、東京都が「いざ言問わん高校」をつくるかというと、大江戸線を命名した「あの」都知事でもそこまではやらないでしょう。
私はもともと、文化的には関西の影響下で育った人間で、いわゆる大阪的な発想や言動にはあまり違和感を感じないのですが、上の2件には「ついていけんな」という感想です。東京生活が長くなって、知らず知らずのうちに感性が染められているのかしらん。

しばらく前に、朝日放送の人気番組である「探偵ナイトスクープ」を東京MXで見ていたときに、奈良県に住んでいて堺市に通っている人が、電車を使うより大和川を舟で下るほうが早いのではないかと考え、実行してみたというネタがありました。確かゴムボートを使って川下りに挑んだと思いますが、川の水深が浅すぎて至るところで座礁し、容易に前進できず、結局職場に着いたのは夕方だった、とうオチだった思います。今日、阪奈県境の地峡部で大和川の流れを観察していたところでは、確かに水深は非常に浅く、とても舟で下れそうにないということを改めて確認しました。

ということで、東京から奈良県王寺に着くまで、まったく退屈することなく過ごすことができました。こういうとき、地理好きというのは得ですね(単なる暇人という声もあろうが)。


川の話のついでに。
[77004] hmt さん
おそらく目黒川水系の蛇行する窪地に由来する「蛇窪」の地名は
蛇窪が位置していたのは、目黒川ではなく立会川の谷だと思います。立会川は、かつての碑文谷村当たりに源流があり、上下蛇窪村の南を東流、現在の大井町駅のあたりで流路を南に転じて現在のように立会川駅の東側で海に注いでいたようです。
また、「窪」の地名は平地にできた窪地ではなく、両側の尾根から見て低くなっているところ、つまり谷地を意味するのではないかと思います。明治42年側図の2万分の一地形図を見ると、上蛇窪と下蛇窪の間には、立会川から北に伸びる谷地があり、その最奥部に当たる現在の戸越公園駅の近辺には、「谷戸」という小字があります。おそらく、蛇「窪」とはこの谷戸地形を表す地名だろうと思います。

ところで、この種の調べ物をするのに格好のツールに「今昔マップ」があります。その名の通り、首都圏、中京圏、関西圏の3地域について、明治(または大正)時代から現在までの地形図を閲覧できるようにした優れものです。簡易GIS「MANDARA」を開発した埼玉大学の谷謙二氏の作品で、こちらからDLできます。地図イメージの多くはネット上からDLするようになっているので、データを揃えるまでに少し時間がかかりますが、すべて完備すると非常に使いでがあります。
もしご存じでなければ、試してみてください。
[77015] 2010年 12月 11日(土)14:57:49【1】hmt さん
「蛇窪」という地名(2)
[77010] oki さん
蛇窪が位置していたのは、目黒川ではなく立会川の谷だと思います。

鉄道の旧蛇窪信号場を念頭に、目黒川水系と書いてしまいましたが、信号場の位置は下蛇窪と戸越の境界付近であり、本来の下蛇窪という地名は、南側にある立会川の谷だったのですね。ご指摘ありがとうございます。

で、どこが目黒川と立会川の分水界(…というほど大袈裟なものではありませんが)かと、重ね地図[56611]で幕末の絵図を見ると、現在の下神明駅の東から南西に走る道の位置に品川用水【注:玉川上水の分水】とあり、これが尾根線らしい。
その北西には伊予松山・松平隠岐守の下屋敷。現在の戸越公園です。
屋敷からの流れは、まさに鉄道が三重立体交差している地点を通過し、南品川で目黒川に入る。

現在の戸越公園駅の近辺には、「谷戸」という小字があります。

重ね地図の明治で、戸越公園の南に「大字下蛇窪字中谷戸」を確認。
でも、竹薮の中を品川用水が貫流しています。「窪」の由来となった谷戸地形ではないようです。

【追記】
上記のように書いてから更に調べたら、蛇窪付近の地形地図 がありました。
右上が下神明駅。左上に戸越公園駅。両者を結ぶ大井町線と品川用水(水色の線)。
下部の青線は立会川。それに斜交する横須賀線の西大井駅。ここから図の中央を北北西に向かう谷戸地形があり、説明文中に「立会川上蛇窪谷戸支流」とありました。重ね地図の明治で確認すると、「大字上蛇窪字谷戸耕地」。

oki さんが指摘された「谷戸」は、こちらだったことがわかりました。【追記終り】


「今昔マップ」

初めて知りました。有用なツールを紹介していただき、ありがとうございます。
[77020] 2010年 12月 12日(日)11:52:07oki さん
「長すぎる」地名
[77004] hmt さん
エデンの園以来嫌われ者の「蛇」が使われた地名は、行政が使う公式の町名からは消されてしまいました。

確かに、東京からは「蛇」のつく地名は消えてしまいましたが、全国を見渡すとまだたくさんあります。地名コレクションにあるかなと思ったのですが、蛇はまだないようなので、調べた地名を以下に記しておきます。

所属自治体地名読み
下北郡風間浦村蛇浦へびうら
三戸郡三戸町蛇沼じゃぬま
九戸郡軽米町蛇口へびぐち
石巻市蛇田へびた
横手市蛇の崎町じゃのさきまち
由利本荘市下蛇田しもへびた
由利本荘市上蛇田かみへびた
東置賜郡高畠町蛇口じゃぐち
田村郡三春町蛇石へびいし
田村郡三春町蛇沢へびさわ
常総市上蛇町じょうじゃまち
猿島郡境町蛇池じゃいけ
富岡市南蛇井なんじゃい
佐倉市大蛇町おおじゃまち
旭市蛇園へびその
岩船郡関川村蛇喰じゃばみ
魚津市蛇田へびた
下新川郡入善町蛇沢へびさわ
南砺市蛇喰じゃばみ
下伊那郡天龍村大蛇だいじゃ
海津市蛇池じゃいけ
養老郡養老町蛇持じゃもち
下呂市蛇之尾へびのお
賀茂郡南伊豆町蛇石じゃいし
東近江市蛇溝町へびみぞちょう
福知山市蛇ヶ端へびがはな
御所市蛇穴さらぎ
八代市蛇篭町じゃかごまち
菊池市班蛇口はんじゃく

示したのは全部で29ヶ所。小字レベルまで含めると100ヶ所以上になるのですが、表示が長たらしくなるので、大字レベルの地名に絞ってあります。分布としては、東北、関東、中部に多いようで、中国、四国にはまったくありません(小字レベルの地名はあります)。
地名コレクションでは、「狸・狢」が119件、「狼」89件で、それらと同じような数です。ただし、100ヶ所というのは居住地名だけで、自然地名も100以上あるので、合計すると「狸・狢」は確実に上回り、「猫」に匹敵するだろうと思います。

hmt さんが引用されたサイトでは、蛇窪を改称すべき理由として
「由来我国民性ノ蛇ヲ嫌忌スル感情ヨリスルモ亦此ノ都市文化ノ中心タル地名ニ蛇窪ナル名称ハ恰モ山村辺輙ノ地名ノ如ク到底不適当タルヲ免レス」
とありますが、これだけ蛇を名乗る地名があるのですから、「蛇ヲ嫌忌スル国民性」とは必ずしも言えないだろうと思います。また、「恰モ山村辺輙ノ地名ノ如ク」という表現は、戦前の1932年(昭和7)だから許されたので、いまこのような文章を公表すれば、世論から袋だたきにあうでしょう。このサイトでは、「結果的に合理的だったことや長年使用される間に愛着が出てきたということになるだろう」と、「蛇窪」から現在の「豊町」、「二葉]への改称を肯定していますが、「蛇」地名の残存状況を考えれば、「蛇窪」を残しても特に問題なかったのではないかと思えます。

上記地名での「蛇」の読みは多くが「へび」または「じゃ」ですが、御所市蛇穴(さらぎ)は難読です。この地名については、こちらのサイトで柳田国男を引用しながら起源を説明してあります(確か、谷川健一氏も同じようなことを書いていたと思います)。

[77015] hmt さん
上記のように書いてから更に調べたら、蛇窪付近の地形地図 がありました。(中略)
oki さんが指摘された「谷戸」は、こちらだったことがわかりました。

私が指摘したかった谷戸はそこですが、かなり浅い谷で、分かりにくいのは事実。現在の地形図では痕跡すら見分けられません。一方、「今昔マップ」には50mのDEMから作成した彩色段彩図が付属しているので、明治42年の2万分の1地形図を見ると、立会川の谷から北側に向けて谷戸が伸びているのを確認できます。
[77021] 2010年 12月 12日(日)14:06:29伊豆之国 さん
Snake Valley
[77004][77015]hmtさん
[77010][77020]okiさん
蛇窪
エデンの園以来嫌われ者の「蛇」
‥こちらでは「ヤマタノオロチ」以来の嫌われ者「蛇」。その「蛇」が付く駅名、現存しているのは次の3駅。

駅名路線所在地
大蛇(おおじゃ)JR八戸線青森県階上町
蛇田(へびた)JR仙石線宮城県石巻市[77020]
南蛇井(なんじゃい)上信電鉄群馬県富岡市[77020]

東京からは「蛇」のつく地名は消えてしまいましたが
「蛇」の付く自然地名はいくつか残っていました。

蛇崩(じゃくずれ)川」(目黒区~世田谷区)。世田谷に住んでいた頃にはなじみの川でしたが、当時はまさに「どぶ川」でした。現在はほとんど暗渠になっているようです。目黒区上目黒の交差点にも「蛇崩」が残っています。
横関英一氏著「江戸の坂 東京の坂」([71910])には、「蛇」の付く坂が2ヶ所出ています。その一つは、三田4丁目の「蛇坂」。HPによると、「付近の藪から蛇が出ることがあったためと想像されている」とあります。また、同じく三田3丁目にある「安全(寺)坂」にも、「蛇坂」という別名があったようです。「江戸の坂‥」によると、「蛇坂」と「安全坂」から「安珍清姫」の物語に取り違えられて「安珍坂」に訛ってしまった、ということが書かれています。

さて、三田から泉岳寺は程近く。来る14日は赤穂浪士討ち入りの日。昨日のTV番組の最後に出ていたクイズより。
赤穂市と吉良町に共通する「ある人気の場所」とは何でしょうか?

‥赤穂市と「新・西尾市」は改めて「手打ち」を行うのでしょうか?

おしまいに、「蛇足」。
[77019]白桃さん
茨城県各市の市歌
水戸 水戸黄門の主題歌(以下略)
こりゃ、南蛇井?!

ところで、この私。「さそり座」生まれということになっているのですが、本当はどうやら「蛇遣い座」らしいのです。太陽の見かけの通り道「黄道」で、「さそり座」と「いて座」の間に「蛇遣い座」が割り込んでいるのです。
[77022] 2010年 12月 12日(日)14:57:04inakanomozart さん
蛇がつく地名
[77020] 2010 年 12 月 12 日 (日) 11:52:07   okiさん
東京からは「蛇」のつく地名は消えてしまいましたが、全国を見渡すとまだたくさんあります。

静岡市清水区の町名に「蛇塚(へびづか)」があります。
[77023] 2010年 12月 12日(日)16:59:31【1】hmt さん
Re:「長すぎる」地名
[77020] oki さん
示したのは全部で29ヶ所。小字レベルまで含めると100ヶ所以上になるのですが、表示が長たらしくなるので、大字レベルの地名に絞ってあります。分布としては、東北、関東、中部に多いようで

たしかに、小字レベルでは、私の居住する富士見市にも、蛇木という地名が現存しています。参考

[77021] 伊豆之国 さん
‥こちらでは「ヤマタノオロチ」以来の嫌われ者「蛇」。その「蛇」が付く駅名、現存しているのは次の3駅。
「蛇」の付く自然地名はいくつか残っていました。

上信電鉄の南蛇井駅は、おもしろ駅名として、過去記事でも取り上げられています。[47382][58430][61111]

タイトルの「長すぎる」。
悪魔の辞典を離れて、文字通りの「長すぎる地名」を、落書き帳過去記事の中から探してみます。

まず、アーカイブズ には、“いささか反則に近いですが”と断りながらも、当時の千葉県香取郡小見川町にあった、漢字で12文字の町名「木内虫幡上小堀入会地大平」が挙げられています[15581]。3大字入会地の地名は、そのまま香取市に引き継がれているようです。
末尾の「大平」は3大字入会地の後に付けられた小字レベルの地名と思われるので、レベルの異なる2地名を複合して一つの町字名としている点にも、いささか疑問があります。

町名とは性格が異なりますが、京都の住所表記には13文字(かなを含む)があります[15646]

日本一長い住所として、愛知県海部郡飛島村大字飛島新田字竹ノ郷ヨタレ南ノ割979が紹介されています。[65077][65080] 桜通り十文字 さん
「字竹ノ郷ヨタレ南ノ割」は10文字で、久兵衛市右衛門請新田[15585]と同じで、上記の12文字町名?には負けますが、これに大字の6文字その他の積み上げがあり、番地の前までの合計が 25文字。

長い学校名[42300]長い駅名、長い山名[30619]などの話題もありました。

ウェールズのLlanfairpwllgwyngyllgogerychwyrndrobwllllantysiliogogogoch[15585]の読み方は、[19115]で紹介されています。
[77024] 2010年 12月 12日(日)18:17:10【1】Issie さん
蛇は嫌われているのか?
[77020] oki さん
東京からは「蛇」のつく地名は消えてしまいましたが

町丁字レベルの行政地名としては消えてしまったかもしれませんが,もっと小さなレベルの地名では決して少なくないのでは? たとえば,谷中には「へび道」と呼ばれる街路がありますね。昔の川の跡で,蛇のようにノタくっているから。[77021](伊豆之国 さん)にも出てくる 「へび坂」なんていうのも,割とよく聞くように思います。
ただ,大字以上の地名となっているのは少ないので,「ウォッちず」のような地名検索には引っかかりにくい。

ところで,どうも「蛇は嫌われ者」という前提で話が進んでいるような気がしますが,本当に蛇は嫌われているのでしょうか。
確か,“白い蛇”はおめでたいものとして珍重する風習があったし,全国の神社の中には蛇を信仰の対象とするところが多くありますよね。「お金が貯まる」なんて言って,蛇の抜け殻を財布に入れたりしませんでした?
まあ,積極的に好かれてはいないかもしれませんが,必ずしも忌み嫌われているわけではないのでは…(「蛇蝎のように」という表現がありますが,これは漢文由来ですね)。信仰の対象として崇めつつ,「敬して遠ざけ」ているのかもしれませんが。ヤマタノオロチも,恐れられてはいても敬いの対象であり,嫌われているのではないと思います。

日本の農耕社会では蛇は少なくとも身近な存在ではあり,日常生活に非常に身近なレベルでの小地名でも「蛇」は意外に身近にあるような気がします。
「由来我国民性ノ蛇ヲ嫌忌スル感情」というのは本当なのか。むしろ,そのあとに続く「都市文化ノ中心タル地名ニ蛇窪ナル名称ハ恰モ山村辺輙ノ地名ノ如ク到底不適当タルヲ免レス」という表現に現れているような,農耕を離れた都会の,もしかしたら「アダムとイブ」の説話を持つキリスト教の価値観の影響を(少なからず)受けた人々の勝手な思い込みなんじゃないかな,という気がします。

※NHKの「ブラタモリ」。少し以前に放送された「住宅」の回で,空襲にも耐えた深川の鉄筋コンクリートのアパートで毎年 田中邦衛…,もとい,アオダイショウの抜け殻を集めているおじさんが登場してきました。「ええっ,東京の真ん中の深川で?」と思ったのですが,アパートの裏側は清澄庭園なのですね。後ろに見えていた高い木(ケヤキ?)は庭園の木だったのか。

[77019] 白桃 さん
水戸黄門の主題歌

「あゝ人生に涙あり」というタイトルだそうです。
木下忠司お得意のマーチ調。現在放送中のシリーズでは 東幹久(助さん)・的場浩司(格さん) の2人が歌っています。今回,善光寺宿をあっさり通過してしまって,ちょっぴり不満。
[77025] 2010年 12月 12日(日)23:10:08ぺとぺと さん
ローカルな話題ですが
[77012] Issieさん
中原御殿があったのは現在の平塚市で,この街道がその御殿の方まで続いているので「中原街道」となった次第。
川崎市のこちらの地名は,1889年の明治の大合併で 小杉村 その他が合併して新しい村を編成するに当たり,ここを中原街道が通ることから「中原村」という呼称が採用されたことによるもの。だから,「中原区」は“交通由来地名”なのでした。
川崎市中原区、平塚市双方に居住経験のある私にとって、非常に身近に感じられる話題ですね。

平塚宿が、隣の大磯宿からわずか3kmしか離れていないにもかかわらず、東海道の宿駅として成立した理由について、「中原御殿の存在があったからではないか」とする説もあるようです。
さて、その中原御殿は現在の御殿2丁目、中原小学校付近にありました。
現在の御殿1~3丁目という町名は、もちろん中原御殿があったことに因んで付けられたものですが、平成48年の住居表示に伴う町名変更以前は、このあたりの大字は「中原上宿」「中原下宿」でした。
当時の資料「平塚市町界町名変更概要住居表示実施(昭和49年1月平塚市都市開発部開発課)」によると、町名変更に際して審議会の出した案は、
・現在の御殿1丁目:徳川家ゆかりの地に因んで「葵町」
・現在の御殿2丁目:中原御殿跡地および従来からの通称名を採って「御殿町」
・現在の御殿3丁目:中原御殿の別称「雲雀野御殿」から「ひばり野」
とするものでしたが、地元住民より「葵は当用漢字になく、また徳川家そのものを表す」「ひばり野は団地のイメージが沸く」といった反対意見があり、現在の町名に落ち着いたという経緯があるようです。

ローカルな話題ついでに、
[70909] くるりさん
[70913] みかちゅうさん
で話題になった、平塚市立相模小学校ですが、平成22年度の平塚市総合計画に「隣接校解消のための移転整備事業」が掲げられており、数年内に大神・吉際地区に移転する可能性があるようです。

最後に、“蛇”地名に関連して地元より。
秦野市の国道246号線に「蛇塚(じゃづか)」という交差点があります。通るたびに気になっていたのですが、由来についてはよくわかっていません。
[77026] 2010年 12月 13日(月)19:24:44hmt さん
へび談義
蛇だけあって意外に長く続く へび談義

最初の記事で“エデンの園以来嫌われ者”と書き、「蛇窪」という地名を変えようとする 1932年の建議書には、“我国民性ノ蛇ヲ嫌忌スル感情”とありました。

しかし、[77024] Issie さん の問いかけにあるように、
本当に蛇は嫌われているのでしょうか。

たしかに、毒蛇や「うわばみ」として恐れの対象になっている一面もありますが、プラスのイメージもあります。

一橋大学の校章 に使われているように、蛇は叡智の象徴です。
聡明で、周囲の動きを敏感に察知して行動する蛇の姿は、ビジネスマンのお手本とされています。
商業や交通の象徴として使われる、2匹の蛇が巻きついた翼のある杖は、ヘルメスの杖(ケリュケイオン)。

もう一つ、蛇と杖との組合せは、医療や医学の象徴として使われるアスクレピオスの杖です。
こちらの杖には、蛇が1匹だけ巻きついています。使用例:世界保健機関WHO
アスクレピオスというのは、ギリシャ神話に登場する名医で、死後天に昇り「へびつかい座」[77021]になりました。
この場合の蛇は、脱皮を繰り返す不滅の生命力の象徴なのでしょう。蛇毒を治療に利用?

賢くて、しばしば毒を持つ蛇は、悪の化身との疑いもかけられています。
もしかしたら「アダムとイブ」の説話を持つキリスト教の価値観の影響

でも、キリストは、羊を狼の中に送るような状況をふまえ、弟子たちに「汝らへびの如くさとく 鳩のように素直なれ」と注意し(マタイ10:16)、蛇の能力を評価していたのでした。

インドにしてもエジプトにしても、蛇の代表格はコブラ。やはりこれは強烈。
しかし、日本では、蛇に対する畏怖の代表は「ヤマタノオロチ」でした。これは毒蛇ではなく、川のモンスター。

もちろん、蛇嫌いの人もいたでしょうが、“我国民性”は、“蛇ヲ嫌忌スル感情”だけではなかったようです。
岩国の白蛇 [8832] のように天然記念物として保護されている例もありますが、それに限らず、青大将のような蛇は、ネズミ退治してくれる家の守り神として、日本の農村で親しまれた動物でした。

その「青大将」。
蛇窪信号場経由で方向転換をしていた特急「つばめ」「はと」のあだ名になった時代がありました。
最後尾に一等展望車を連結し、その前に5両の特別二等車【現在のグリーン車】と食堂車。
三等車も一方向きの固定クロスシートで、手荷物室もあり。
このように編成内容も「特別の急行列車」だった「つばめ」と「はと」は、東海道本線全線電化(1956)で、蒸気機関車の煤煙から解放されたことを示すように、電気機関車を含めてグリーン塗装になりました。
東京大阪間7時間半へのスピードアップもこの時です。
この青大将編成は、1960年の電車化まで使用。

蛇と民俗で検索してみると、南方熊楠の十二支考 が出てきました。さすが該博な知識に感嘆。

東京大学総合研究博物館ニュースの題名がウルボロス です。
これは、 自分の尾を噛んで環を作る蛇。
元・ケミストとしては、ケクレが夢の中でこのような姿を見て、ベンゼンの環状構造を着想したという逸話を思い出します。

蛇にかかわる雑多な話の最後に、かつて世界最大の銅会社だった Anaconda Copper社のことを、ふと思い出しました。
調べてみると、起源は米国モンタナ州ビュートの近くのアナコンダ銀鉱とありましたが、大蛇の出た地名ではなさそうですね。
この会社は、1970年代以降、すっかり様変わりしていました。
[77028] 2010年 12月 14日(火)15:25:56【2】hmt さん
「長すぎる」のは 蛇だけではない
「へび談義」[77026]の最後にアナコンダに触れました。
大蛇として有名なアナコンダは、南米大陸北部やトリニダード島の湿地や川に生息するようですが、この名を付けた Anaconda Copper社は、米国モンタナ州 ビュートに本拠地があり、南米の チリにも進出していました。

アナコンダ社に触れた機会に、「へび談義」からは外れてしまいますが、世界の銅鉱山について記しておきます。

ビュートという言葉は、地理の世界では、地名よりも、侵食によって形成された地形用語として知られています。
硬い岩に覆われてテーブル状に残された台地がメサで、更に浸食が進んで孤立した岩山になったものをビュートと呼びます。
世界的に有名なのはモニュメント・バレーで、西部劇でお馴染みの乾燥地帯の風景。
日本では屋島と飯野山。リンク先 を少し進めると、図解があります。

話変って 19世紀初頭。
米国のジェファーソン大統領は、ミシシッピ川河口の物流拠点であるニューオリンズの領有を希望していました。
当時 この地を領有していたのは フランスで、ここから北西にかけての 広大なフランス領は、ルイジアナと呼ばれていました。
ニューオリンズ買収を 提案されたナポレオンは、敵対していたイギリスに カナダから攻め込まれた場合、新大陸の防衛は 困難と考え、ルイジアナ全体を 米国に売却することに 同意しました(1803)。210万km2以上の領土の代金は、なんと 1500万ドル。
後にロシアから買ったアラスカ(1867年、720万ドル)と並ぶ破格の買い物でした。

モンタナ州 ビュートは、この「ルイジアナ」の北西部、ロッキー山脈中にあります。
もともと フランス領だったから、「小さい丘」を意味するフランス語が地名になっていたのでした。

1848年 カリフォルニアでの金鉱脈発見に端を発し、北米大陸の西部に 人々を集めた ゴールドラッシュ。
ビュートの鉱山も 最初は金銀を狙ったものの成功せず。
しかし、電力の普及に伴い銅の需要が増えると、銅の大生産地として「最も豊かな丘」と呼ばれるようになり、生産量は 20世紀の前半にピークを迎えました。
三菱の尾去沢鉱山[67407]、藤田の小坂鉱山[67466]、久原の日立鉱山[76480]、古河の足尾銅山[43138]、住友の別子銅山と、日本でも銅の生産に拍車がかかった時代でした。

鉱物資源は限りあるのが宿命です。20世紀後半以降は、南米のチリが銅生産の主役になります。
そして、チリの銅鉱山というと 頭に浮かぶのが、今年の8月に 落盤事故があり、10月に 33人が救出された アタカマ州コピアポ近郊の鉱山です。

2005年チリ銅鉱業レビュー というPDF資料によると、チリは 1981年以降、世界最大の銅生産国だそうです。
事故のあった鉱山は 記されておらず、小さい鉱山と思われます。

同じく アタカマ州のチュキカマタ鉱山は、1990年以前には チリ全生産量の約半分を占める(PDF資料の図1)大規模鉱山で、Anaconda Copper社は ここを経営していました。1971年に 完全国有化されています。
Chuquicamata などの位置を示した地図(資料の8/18)には、「長すぎる」国の全体が描かれていないので、改めて チリの地方行政区分 をリンクしておきます。

チリに次ぐ銅の生産地はアフリカ中央部です。
ザイール(旧ベルギー領コンゴ、現在の国名はコンゴ民主共和国)の カタンガ州から ザンビア(旧北ローデシア)にかけて、「カッパーベルト」と呼ばれる 銅鉱床密集地帯があります。

銅ビジネスの歴史(金属資源情報センター) という詳細な資料があったので、参考までにリンクしておきます。
[77486] 2011年 1月 19日(水)16:36:54oki さん
再び、小字について
遅くなりましたが、今年もよろしくお願いいたします。

[77484] hmt さん
[77481]のリストを見ると、愛知県など特定の地域に 字名らしきハサマが目立ちますが、同様に 多数の字名を抱えている市町村があるとすると、日本中の地名の数は 驚くべきものになりそうです。

「大和地名大辞典」では、奈良県における小字地名の数が10万ほどだった、と言うのを読んだことがあります。北海道と沖縄を除く45都府県に同程度の小字があるとすると、全国の地名の数は450万ほど、と言うことになります。
こちらの「小字データベース」を見ても、奈良平野が条里制に由来する方形の小字で埋め尽くされていることが分かります。

ただし、これらの小字の多くは、現在のネット上の地図では検索できないと思います。前にも[74206]で触れたことがありますが、ネット上の地図では、小字単位で番地が設定されている(小字起番)地域の小字は検索されますが、大字起番地域の小字は検索できないからです。たとえば、先の小字データベースでは、御所市蛇穴に垣内、車ノ本など数十の小字があることが分かりますが、Mapionの住所一覧検索には御所市蛇穴について4~750番地が記載されているだけで、小字は一切ありません。もちろん、御所市蛇穴字垣内で検索しても出てこないし、地図上に表示されることもありません
一方、[77423] 油天神山 さん の「一宮市千秋町佐野工高前」は小字起番の小字なので(1~69番地があるようです)、検索できるし、地図上にも表示されます。
また、[77481] 油天神山 さん 「豊田市大蔵町(柳ハザマ)」は、4番地と12番地しかないようで、検索はできるものの地図表示はされません。

では、小字起番の地域はどのように分布しているのか。
日本郵便は、ほぼ毎月、全国の郵便番号簿を改定しており、ネット上からダウンロードできます。この郵便番号簿には、「小字毎に番地が起番」という欄があり、これをチェックすることで、全国の大字地域について、それが小字起番かどうかを確認することができます。昨年の2月くらいに、これを使って小字起番地域の分布を調べた結果が以下の表です。

都道府県名大字数小字起番小字起番率
青森県2244112049.9
秋田県206499348.1
福島県3711170045.8
山形県167964838.6
岩手県175960934.6
徳島県131940230.5
愛知県4699127727.2
宮城県284877327.1
石川県230029212.7
京都府65754747.2
兵庫県41261132.7
静岡県2597501.9
三重県2276421.8
岐阜県2356361.5
島根県1153151.3
熊本県169170.4
長野県149250.3
山口県62220.3
群馬県141040.3
香川県144840.3
新潟県161340.2
富山県478480.2
広島県308050.2
鳥取県131420.2
大阪府67610.1
奈良県164820.1
滋賀県162810.1
栃木県170610.1
宮崎県177810.1
北海道251510
千葉県542620
茨城県289610
福岡県168400
埼玉県130200
福井県200900
岡山県147200
長崎県200800
大分県71600
高知県159700
愛媛県81600
和歌山県218400
鹿児島県87900
神奈川県136200
山梨県178100
佐賀県59600
沖縄県227300
東京都146700
合計9957985958.6

以上で、大字とは市町村の直下にある地名で、多くの場合江戸時代の近世村ですが、そうでない場合もあります(住居表示された丁目地名やビル名は、小字起番があり得ないので除去してあります)。
全国で約10万の大字地名があるうち、小字起番なのは8595で8.6%です。地理的分布はきわめて偏っており、青森、秋田、福島県では半数の大字が小字起番で、ほかの東北各県も高率、徳島、愛知、石川各県も10%を越えています。
しかし、小字起番が多い県は少なく、1%未満が熊本など30県以上、北海道以下の18県は小字起番の大字が皆無です。
なお、徳島や宮城は小字起番の割合が30%程度になっていますが、これらの県では大字が分解されてかつての小字が市町村の直下に組み込まれる事例が少なくなく、この場合は小字が大字扱いになってしまいます。これを本来の小字と考えると、小字起番の比率はさらに高まります(他の県でも同様の事例があるかもしれませんが確認していません)。

いずれにせよ、現在のネット上の地図で検索される小字は、上に示した県に所在するものに偏ってしまうと思われます。地名コレクションで収集する地名にこのような偏在を許容するかどうかは、検討した方がよいかもしれません。
現実問題として、大字起番地域にどのような小字地名があるのかを調べるのは、非常に難しいことだとは思いますが。
[82417] 2013年 1月 1日(火)09:49:54伊豆之国 さん
蛇(じゃ)の道は蛇(へび)
新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

さて、今年は「巳年」。ということで、「蛇」にまつわる話題からはじめます。
まずは「十八番」の「駅」ネタから。「蛇」の付く駅は、全国に次の3駅([77021])。「巳」はわずかに1駅のみです。

駅名路線所在地
辰巳(たつみ)東京メトロ有楽町線東京都江東区
大蛇(おおじゃ)JR八戸線青森県階上町
蛇田(へびた)JR仙石線宮城県石巻市
南蛇井(なんじゃい)上信電鉄群馬県富岡市

…「辰巳」界隈で辰年から巳年への年越しを過ごした人も案外いるのでしょうか…。
そういえば、「蛇」地名にまつわる話、2年ちょっと前に落書き帳を賑わせたことがありました…「蛇」談義

ところで、[77021]
この私。「さそり座」生まれということになっているのですが、本当はどうやら「蛇遣い座」らしいのです。太陽の見かけの通り道「黄道」で、「さそり座」と「いて座」の間に「蛇遣い座」が割り込んでいるのです
と書いたのですが、全天に88を数える「星座」には、この「へびつかい(蛇遣い)座」を初め、「蛇」に関係する星座が4つもあります。その蛇遣いが抱えているのが「へび(蛇)座」。胴体の部分がへびつかい座の中に入っているため、頭と尾の部分に分断されている珍しい星座です。「うみへび(海蛇)座」は、全天で最も横に長い巨大な星座で、日本がある緯度では春から初夏にかけて南の中天に横たわるように見えますが、明るい星が少ないので都会の夜空では見つけにくいでしょう。ギリシャ神話によると、頭が9つあったという怪物で、ヘラクレスに退治されたといいます。「ヤマタノオロチ」よりも一枚上手、「九頭竜」? あと一つ、「みずへび(水蛇)座」というのもあります。天の南極の近くにあるため、日本からは見ることができません。
[84520] 2013年 12月 7日(土)18:34:34【1】hmt さん
出雲への旅(6)八岐の大蛇のふるさと
松江オフ会2013の翌日に泊った奥出雲多根自然博物館[84513]
そのフロントで訊ねたところ、「多根」というのは人名で、「メガネの三城」(東日本では「メガネのパリミキ」)知られる 眼鏡小売チェーンの創業者・多根良尾に由来するとのことでした。
多根良尾の父・三城實治は広島県から中国山地越えの流浪を経て奥出雲の三成にたどりついた苦労人。多芸多才で地域に奉仕するも、金儲けとは無縁な器用貧乏生活に終始。
その三男として佐白に生まれた多根良尾も 父親譲りの手先が器用な人でしたが、就職先の姫路で 1930年に時計店を創業。当時の写真
この店は「一人一芸」を活かして経済的にも成功。父の実家の姓である「三城」を名乗る 眼鏡小売チェーンに発展しました。

しまね観光ナビ による博物館の説明、
メガネの三城創業者である多根良尾氏の構想の下に建築された記念館の1-3階を展示スペースとした自然史博物館。
主に三城ホールディングス社長多根弘師【注】氏の化石コレクションをベースにした展示となっており(以下略)
【注】赤ん坊時代の多根弘師(裕詞)が、先に示した創業店舗内の写真に写されています。

博物館の とんがり帽子屋根は、三城の記念館だからと判明。
八重の塔付近は、三寳荒神社 の祠を復旧拡張した「志學荒神社」の敷地で、創業者・多根良尾の胸像もありました。
塔が八重である理由は不明のままですが、寺院の仏塔でなく、伝統的な三重塔・五重塔・七重塔にこだわる必要はないのかもしれません。佐白地区観光マップ に見るように、写真の道路を進めば、八岐の大蛇のふるさと 「八頭(やず)」です。これに因んだ「八」かもしれません。
「志學荒神社」とい名は、創業者が志を立てて外の世界に旅立とうとする 十五歳 の決意?を示しているものかもしれません。
荒神さまの向かい(写真の奥)には、田舎に似合わぬ「メガネの三城」の店舗がありました。

358本の銅剣が出土した荒神谷遺跡と言い、出雲は荒神社と縁がありそうな土地です。
荒神さまというと、台所に祀られいる竈の神様というくらいの認識しかありませんでしたが、荒神社の数(Wikipedia)から、中国四国地方が荒神信仰の盛んであった土地と知れます。
岡山県(200社)、広島県(140社)、島根県(120社)、兵庫県(110社)、中国四国以外の県は全て10社以下で、荒神社が一つもない県も多いとのこと。

長者の湯の「長者」とは、足摩稚(あしなづち)・手摩稚(てなづち)のことです。神話では、素盞鳴尊が八岐の大蛇を退治して、長者の末娘・櫛名田姫を妻に娶りました。
長者屋敷跡は、マップの一番上・八頭(やず)地区にあり、元八重垣神社跡などもあります。
このマップの左下に、「さくらおろち湖」があります。2011年完成の 尾原ダム による貯水池。斐伊川の治水が主目的。
ダム湖コレクション 未収録。>美濃織部さん

奥出雲の地名について少し整理しておきます。
奥出雲布勢の郷HP に示されているように、この付近の地名には、仁多>布勢>佐白という3段階が使われています。

近世村の「佐白」は、仁多郡の門戸に位置する宿場町とあり、現在でも大字名として使われています。先に例示した「八頭」は、大字佐白の下位にある字と思われます。
明治22年の町村制では、仁多郡北部の4村(佐白村, 八代村, 馬馳村, 上三所村)が合併して布勢村になりました。
地図を見れば、出雲八代駅や布勢小学校は、大字として現存している旧4村が集まる街道筋の中心地に作られたことがわかります。
布勢村の時代は1889年から1955年まで続きましたが、現在の町村名・字名システムから脱落した「布勢」の名は、使われる機会が少なくなったように思われます。

仁多は、昭和合併から平成合併までの間 50年間使われた 町名 でもありますが、1955年に三成町他4村の合併で 仁多町 が成立する ずっと前からの 郡名 でもありました。
仁多郡と仁多町との領域が一致していなかった時代、「仁多米」というブランド米の産地「仁多」は、広い方の郡名であるとして 受け入れられていたのでしょうね。
横田町を中心とする4町村が合併して仁多郡が2町になったのが 1957年。新しい町は、合併直後 斐上町 を名乗りましたが、すぐに改称して 横田町 に戻りました。

妥当な組み合わせと思われながら、役場の位置で最後までもめ、最終幕が慌ただしく引かれた平成合併[43856]
その結果、現在は 奥出雲町 という「一郡一町」になり、「仁多郡」という郡名を使う機会は 少なくなったと思われます。
他所者にとってのわかり易さという面では、とても「奥出雲町」には及ばず、「仁多郡」という地名が使われなくなってゆくのは、不可避と思われます。

出雲そろばんで有名だった旧横田町の領域。今回は訪れることができませんでしたが、帰宅後放送されたテレビ番組は、この地方を取り上げていました。
[86335] 2014年 8月 27日(水)18:28:12伊豆之国 さん
蛇崩川 & 淀川越え & 松阪牛
足の故障が予想以上に長引き、相変わらず自宅と病院との往復が続いています…。

[86328] 山野 さん
[86329] hmt さん
[86330] ペーロケ さん
八木蛇落地悪谷
地元の人が 昔は蛇が降りるような水害が多かったから 蛇落地(じゃらくじ)、悪い谷で 悪谷(あしだに) と伝えていた地名
「蛇」で思い出したのが、私が20数年間をその近くで過ごし、「面白い名前だなぁ」と思いながらも別になんとも思ってはいなかった、当時はまさにどぶ川だった(今は暗渠)「蛇崩(じゃくずれ)川」([77021])。世田谷区HPによると
川の名称の由来は、流れる形が赤土の地層を崩したように蛇行しているところから、そう呼ばれるようになったと言われています
とあり、広島の「蛇落地」に通じるような「地層の崩壊」「水害常襲地帯」を暗示させるような地形だった、と今更ながらも気づいたのでした。

さて、ご承知の通り、今年の夏の「甲子園」は、大阪桐蔭が三重高校を振り切り2年ぶり4度目の制覇を果たしました。
[86331] ペーロケ さん
猪名川しか越えなかった優勝旗
大阪桐蔭高校(&四条畷駅)がある大東市は、甲子園から見ると淀川を越えた南東側にあるので、「淀川越え」と表現したほうがわかりやすいのではないでしょうか。…その大阪桐蔭の所在地は、「大東市中垣内(なかがいと)」。しっかり「"かいと"コレクション」に登録されていました…。
惜しくも準優勝となった三重高校。失礼ながら、まさかここまで勝ち進むとは予想以上の大健闘でした。私が先月の遠出([86317])で、2泊目に投宿したのが、その三重高校のお膝元、松阪市。翌朝宿を出ていきなり足に異変、必死で痛みをこらえながらの町歩き、タクシーを初めいろいろとお世話になった松阪市の皆さんには、本当に大感謝です…。
そういうわけで、まだ誰も反応していない[86317]のクイズですが、ここで一つだけその答を発表します…。【F市】が、その松阪市ということになります。(残りの答えは、来月になってから発表する予定です)


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