都道府県市区町村
落書き帳

連称自治体名

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[79346] 2011年 9月 16日(金)15:36:24【1】hmt さん
連称自治体名 (1)現存組など
[79337] 山野 さん
千葉県山武郡大網白里町の市制移行へのアンケ(新市の名称について) 1位「大網白里市・約58%」

57年前の昭和大合併で生まれた連称自治体名「大網白里」は、住民の支持を得て、新しい市の名に引き継がれることになりそうです。

連称自治体名というと、最初に脳裏に浮かぶのが 1959年「大湊田名部」市 の失敗事例です。合併に際しての配慮から、下北の中心地・田名部[44559]の前に大湊を付けた、いかにも「据りの悪い」長い名(5+3音)になりました。
これがが嫌われたためか、1年も持たずに「むつ市」に改名されました。市役所看板の掛け替え
[20447] 末尾にも考察があります。

同じく8音でも、文字(2+2字)と発音(4+4音)とのバランスが取れた「大網白里」町の名は、人々に受け入れられ 定着しました。

こんなことを考えながら、その存続期間に注目して、連称自治体名を調べてみました。
連称自治体名は、既に市区町村雑学の題材になっているかと思いましたが、見当たりません。
合成地名コレクション には、大部分を占める部分合成の後に「連称」が別記されています。内訳は現存 14郡市町村、消滅したもの 60市町村となっています。

最初に、14郡市町村を調べてみると、3グループに分かれます。

第1グループは、福岡県糸島郡(怡土+志摩)・香川県綾歌郡(阿野+鵜足)・香川県仲多度郡(那珂+多度)です。
長さもさることながら、スマートな文字変換処理によって、一見すると連称であることを思わせない郡名になっています。
1923年郡会廃止以降の「郡」[51042]は 「自治体」でないのですが、「郡制」という法律に基づいて自治体として発足した歴史をふまえて、連称自治体名の仲間に加えておきます。

コレクションでは現存とされている糸島郡は、2010年の糸島市成立により消滅しています。
糸島市HPは、「糸島」を 郡名由来地名 と説明しており、間接的には【綾歌町と同様に】「糸島市」も連称自治体名に該当するものと思われます。>yamadaさん

糸島郡は、明治29年(1896)旧・郡制施行[62662]に先立つ統合で成立し、約114年も使われました。
香川県の2郡は、明治32年の新・郡制施行に先立つ統合で成立。112年以上を経て現存しています。

第2グループは、昭和大合併で生まれた 千葉県山武郡大網白里町・和歌山県東牟婁郡那智勝浦町・大阪府南河内郡千早赤阪村の3町村です。
55~57年間使われ、それなりの安定感を得た名になっています。

第3グループは、今のところ脱落者もなく、数年間の実績を重ねている 平成大合併組です。
薩摩川内市・那須塩原市・由利本荘市・山陽小野田市・いちき串木野市の5市は、大湊田名部市の二の舞を踏まずに済むでしょうか?
町村は、群馬県吾妻郡東吾妻町と千葉県山武郡横芝光町の2町があります。
2005年にできた福井県三方上中郡は、郡名の連称(三方遠敷)でなく、町名の連称が選ばれました。
この郡は、前記の通り自治体ではありませんが、便宜上この仲間に加えておきます。
[79347] 2011年 9月 16日(金)15:52:44【2】hmt さん
連称自治体名 (2)町村制施行時誕生組
過去帳入りした連称自治体名の存続期間は、長短さまざまです。最も長持ちしたのは、群馬県新田郡藪塚本町です。連称と実感されにくい名ですが、町村制施行時から平成大合併時まで 116年間を生き抜きました。

町村制施行時から 昭和大合併までの約66~68年間 存続した 連称自治体は 8つあります。
その中で特に有名なのは、伊勢の皇大神宮(内宮)の所在地「宇治」と、豊受大神宮(外宮)の所在地「山田」とを連ねた三重県の「宇治山田」です。
もっとも、宇治も山田も町村制以前には単独の町村名ではなく[32564]、それぞれの門前町の集合体でしょうか。

宇治と山田は対立した時代もありますが、江戸時代には伊勢参りで繁栄。幕府の山田奉行所の管轄地。
そして明治の町村制では、両地域を包括する三重県度会郡宇治山田町となり、1906年には 連称名のまま市制が施行されました。1955年に宇治山田市が伊勢市と改称するまでの 通算存続期間は約66年です。

馴染みのない自治体名が多いのですが、宇治山田以外の 7村名も、一応列挙しておきます。
山形県南村山郡柏倉門伝村、熊本県下益城郡小野部田村、秋田県河辺郡岩見三内村、三重県度会郡宿田曽村、広島県芦田郡常金丸村、熊本県飽託郡小山戸島村、新潟県西頸城郡歌外波村。
歌外波村の名は知られていませんが、「親不知」と言えば有名な地名です。

町村制施行時には、上記9市町村を含めて 23の連称自治体が誕生しました。
神奈川県鎌倉郡腰越津村[34676][34719]は、1931年に腰越町になり、連称の存続は約42年。この例のように、一旦は「腰越」と「津」の連称にしながら、町制その他の機会に主たる方の単独名に戻す例はよくあることです。
東京府の事例では、東多摩郡から豊多摩郡になった和田堀内村[35838]は、町制に際して少し縮めて和田堀町(1926)。完全連称存続期間は37年余。
千葉の郊外では、千葉郡生実浜野(おゆみはまの)村が、1925年に生浜村に短縮されるまで、存続期間36年。
山口県大津郡仙崎通村は、町村制施行から丁度10年で仙崎村と通村との分割されたので、10年。

合成地名コレクション愛知県 の末尾に「松山中島村」があります。村の西側を迂回していた木曽川に、正保3年(1646)東側の掘割が作られた結果、天保の村絵図 に示されたような木曽川に囲まれた輪中になりました。行政的には尾張藩→愛知県に所属していましたが、明治20年(1887)岐阜県海西郡に編入されました。東京書籍

木曽川堤防変遷図 を御覧ください。長良川は成戸村で木曽川に合流して岐阜・愛知県境を南流。青で加筆された東海大橋の下流・岐阜県側に、松山中島村が見え、その南は日原村です。明治20年に開始された改修工事[20690]の第一期として、成戸-日原間に長良川と木曽川とを分離する背割堤が作られました【地図にはまだその姿を見せていません】。
赤で加筆された新堤防の位置により、背割堤は松山中島村を縦断し、その西側の長良川河川敷が集落を完全に水没させたことがわかります。
合成地名コレクションにも、“木曽川改修により水没”と書いてあります。

形式的には、変遷情報 に記されているように、1897年海津郡東江村への統合により、松山中島村が消滅。つまり連称村名存続期間は、8年間ということです。
しかし、明治20年工事開始ですから、明治22年町村制が施行された松山中島村は、既に事実上廃村であったと思われます。

付言すると、岐阜県においては、木曽川改修工事の最中に 町村制が施行されたわけです。
これが、他の府県で行なわれた「明治大合併」を 同時に実施できなかった一因であろうと思われます。
そして、明治24年には 濃尾地震で大被害を受け、更に日清戦争(明治27-28年)も続きました。
こんな理由で「明治大合併」が遅れ、とうとう 旧・郡制施行準備と同じ時期にまで ずれ込んだ結果が、明治30年(1897)に岐阜県で行なわれた 大規模な「郡と町村とをひっくるめた再編成」[70814][70820]だったのではないでしょうか。
[79356] 2011年 9月 19日(月)19:49:12hmt さん
連称自治体名 (3)昭和誕生組
町→市が実現しそうな「大網白里」に始まる連称自治体名の話題です。
現存する自治体は3郡6市4町ですが、連称になった時代で3グループに分類しました[79346]。便宜上 糸島郡にも言及。
明治生まれの町村は、2町【宇治山田町>市を含む】21村ありますが、[79347]では、愛媛県南宇和郡緑僧都村(1952年消滅)と地方自治法施行前に消滅した 13村は、一部(5村)を除き村名を挙げていません。

今回は昭和生まれの1市15町7村を対象にします。
実は、町村制施行の1889年に 23の連称町村が誕生した後、長いこと連称自治体名は誕生していません。
現存3町村を含む昭和生まれ 26市町村のうち 唯一戦前の事例は、千葉県安房郡 館山北条町 であり、その他はすべて昭和大合併を中心とする1950年代の誕生です。

館山北条町は、約6年半後の市制を機会に館山市になりました。
これと同様に、一度は連称を選んだものの、結局その中の1つに戻った事例を列挙します。大部分は短期間です。

福島県東白川郡塙笹原町→21日後の合併で塙町
栃木県下都賀郡国分寺小金井町【注1】→28日後の改称で国分寺町
長野県更級郡稲荷山桑原町→8ヶ月後の改称で稲荷山町
鳥取県東伯郡東郷松崎町→2年余後の合併で東郷町
島根県大原郡雲南木次町【注2】→2年余後の改称で木次町
岐阜県土岐郡瑞浪土岐町→3年後の合併で瑞浪市
鹿児島県姶良郡隼人日当山町→3年後の改称で隼人町
【注1】小金井村は旧村名(1889以前)であり、「国分寺小金井」は町村制自治体名の連称ではない。
【注2】雲南は新町名案の1つであり、「雲南木次」は町村制自治体名の連称ではない。

短寿命の極致「即日改称」も、合成地名コレクションに3例あります。これは手続的理由でしょうか?
千葉県香取郡神崎米沢町→神崎町 は逆戻りです。
茨城県東茨城郡竹原堅倉村→美野里村
茨城県那珂郡檜沢嶐郷村→美和村 変遷情報には連称経由の記載なし

ストレートの逆戻りではないが、「かな」で11字という最高記録?を持つ 大阪府南河内郡藤井寺道明寺町は、8ヶ月余で 改称
連称名の寿命が短かかっただけでなく、改称後の美陵町(みささぎちょう)が市になる時には、結局は 藤井寺市 に戻っています。長すぎる名前ということで、古くから話題になっています[13374]

長野県南佐久郡田口青沼村は、半年後の合併で臼田町となり、塙笹原町21日、国分寺小金井町28日に次ぐ昭和の短寿命第3位(即日改称を除く)です。
そして、稲荷山桑原町・藤井寺道明寺町に次ぐ第6位が あの大湊田名部市です。ここまでが寿命1年以内で、三重県南牟婁郡市木尾呂志村の2年弱と続きます。

館山北条町など短期逆戻り組4町は既出で、栃木県下都賀郡桑絹村>町、秋田県雄勝郡稲庭川連町[13645]、佐賀県東松浦郡浜崎玉島町[20520]、熊本県飽託郡河内芳野村【逆戻り組の中では例外的長寿命】、広島県安佐郡安古市町の5町村は9~18年の寿命がありました。

少数派ですが、昭和生まれで長寿命の連称町村名もあります。
大網白里町を始めとする現存3町村[79346]以外にも、福島県耶麻郡熱塩加納村 52年弱、千葉県安房郡天津小湊町 50年。町村名の連称ではなくて連称郡名由来の香川県綾歌郡綾歌町が 46年。
[79363] 2011年 9月 22日(木)18:49:05hmt さん
連称自治体名 (4)「連称」とは何か
ここで、そもそも「連称自治体名」とは何か という問題を考えてみます。
これまでにも[79356]の【注1】【注2】で記したように「町村制自治体名の連称ではない」事例が含まれていました。糸島市や綾歌町も、郡名由来の自治体名で、連称であるのは間接的にすぎません。

[20558]には静岡県田方郡天城湯ケ島町が挙げられています。これも地名を連ねた自治体名であることには相違ありませんが、温泉地の「湯ヶ島」を修飾した広域地名の「天城」は、会津若松・大和高田・富士吉田のケースと同類である「冠称」と思われます。
もっとも、冠称地名の多くは、複数の同じ地名が存在する中での識別を目的とするものですが、湯ヶ島の場合は識別性よりも「天城」のイメージを利用した宣伝目的の冠称であるように思われます。

大和高田市の「大和」は国名で、【1971年まで存在した越後の】高田市と区別するための「冠称」です。
薩摩川内市の「薩摩」も国名なのですが、「薩摩国の川内市」でなく、別の解釈がなされています。
つまり、薩摩郡8町村と川内市との合併だから「連称」であるという理屈です。

[79272] グリグリさんによると、仙台市との同音市名回避の意向が働いていたのではないかと考え、合併協議会の協議議事録などを確認したが、そのような意向が働いた気配はなかったとのことです。
何はともあれ、合併協議会にとり 大切だったのは、「川内市」以外の名前を付けることで、これによって対等合併であると宣言したかったのだと思われます。

本来の連称「AB」は、「A」と「B」とが並列的(つまり「BA」になる可能性もある)と考えていましたが、薩摩川内市の事例で見られるように、一見すると、「A⊃B」 のように見える連称もあるのですね。

石川県羽咋郡宝達志水町の例[33977]では、外見上は志雄町と押水町とから合成した「志水町」に、地元のシンボルである山名の「宝達」を冠したもので、富士吉田市の「富士」の同類のように見えます。
しかし、「宝達」と「志水」とは 新町名の最終候補になっており、「宝達志水」は 有力候補2つの連称である という解釈がされるようです。

構成要素として、既存の自治体名だけでなく 新町名候補を含ませた 連称の事例は、[79356]で【注2】を付けた 「雲南木次町」で、既に言及していました。
なお「雲南」は、昭和大合併の連称町名から 一度消えた後、平成大合併で 雲南市として復活しました。

愛媛県上浮穴郡久万高原町も、外見上は 地形名に由来する町名ですが、ウオッちずで 「久万高原」を検索しても 該当する自然地名は出てきません。これが地形名としての「久万高原」を否定するものではありませんが、どうやら 新町名最終候補2点 を連ねたものと いう解釈[18906]が真相に近く、(候補町名を含めた)連称自治体名と言えるようです。

本筋の「自治体名」と少し違いますが、地名の連称が目立つのが 自然公園です。
国立公園だけを列挙しますが、国定公園や 都道府県立自然公園にも多数の連称事例があります。
3連称の国立公園
利尻礼文サロベツ国立公園、富士箱根伊豆国立公園、秩父多摩甲斐国立公園、
2連称の国立公園
支笏洞爺国立公園、十和田八幡平国立公園、磐梯朝日国立公園、伊勢志摩国立公園、吉野熊野国立公園、大山隠岐国立公園、足摺宇和海国立公園、雲仙天草国立公園、霧島屋久国立公園、阿蘇くじゅう国立公園、西表石垣国立公園
[79392] 2011年 9月 27日(火)17:35:38【1】hmt さん
連称自治体名 (5)町村制以前からあった連称村名
合成地名コレクション に収録された郡町村名 2006件の内、連称は僅かに 74件で、4%にもならない少数派です。
やはり、「参互折衷」により「二字の嘉名(延喜式)」を組立てる「部分合成」方式が、圧倒的に優勢。

連称自治体名を、誕生した時代別に概観します。

現存する平成生まれ[79346]は、明治大合併に比べて合成自治体名の絶対数が少なくなった中で、5市2町1郡と、かなり健闘していると思います。
特に市名については、宇治山田市が伊勢市になり、大湊田名部市が短寿命に終った昭和時代から一変して、 2004年に薩摩川内市が誕生した後、2005年には那須塩原市・由利本荘市・山陽小野田市・いちき串木野市と続き、合計5市が既に数年間の実績を積み重ねているのが注目されます。

昭和大合併の時代には、数から言えばかなりの連称自治体名ができました。
しかし、現存する3町村(大網白里町・那智勝浦町・千早赤阪村)や会津の熱塩加納村・外房の天津小湊町など一部を除けば、概して短寿命に終ったものが多かったと言えるのではないでしょうか[79356]
失敗作の双璧?は、何と言っても 藤井寺道明寺町と大湊田名部市です。

明治22年の町村制施行時に誕生した連称町村名は、合成地名コレクションによると2町21村です[79347]
しかし、参互折衷方式[37482]により膨大な数の新町村名が生まれた中では、23町村は極めて少数であると言えます。
しかも 23町村のうち、和歌山県西牟婁郡瀬戸鉛山村、新潟県加茂郡>佐渡郡加茂歌代村、岐阜県海西郡松山中島村は、町村制以前の旧村時代からの連称村名ですから、明治大合併による連称は、20町村しかありません。

地名コレクションで連称として収録された74市町村のうち、14村は旧村です。同名のまま単独で町村制の村になった上記3村を加えて17村は町村制以前からあった連称村名ということになります。
探せば、まだまだあるでしょう。

木曽川改修工事のため既に実質的に廃村になっていた松山中島村のことは[79347]で既に記しました。
14の旧村のうち、海士有木村(千葉県市原郡)は、小湊鉄道の駅名になっているので、現代の地図で探してみましたが、「海士」や「有木」という地名がみつかりませんでした。

町村制以前から存在した連称村名と言えば、現在は東広島市になっている 広島県賀茂郡西条町の前身が 四日市次郎丸村という名で、むっくんさんが提示した疑問に対する、[65136] okiさんによる 詳細な回答があります。記事集
次郎丸の一部が町場になったもので、街道に沿って人家が密集する地域が四日市、その周りの田園地帯が次郎丸であったと考えられます。町場と農村という2つの地域からなっていたわけですが、先のように近世初頭から、2つ合わせて四日市次郎丸村という1つの村を構成しており、江戸期を通じて、庄屋職も1人しか置かれていません。

現存市町村では 1954年生まれの大網白里町が最古という連称自治体名の中で、近世初頭に遡る由緒ある連称村名です。
しかも短期間ながら 町村制の自治体 として存在した歴史もある 貴重な事例です。
ぜひ合成地名コレクションに収録していただきたいと思います。>yamadaさん

【追記】
町村制施行時に誕生した千葉県千葉郡生実浜野(おゆみはまの)村[79347]ですが、変遷情報では 生身浜野村 になっています。前日の合併も同様ですが、旧村名は「生実」です。
誤記でしたら、修正をお願いします。>88さん
なお、生浜村 への変更情報では「生実浜野村」となっています。
[79420] 2011年 10月 2日(日)15:18:52【2】hmt さん
連称自治体名 (6)国名の連称
外国の連称地名に目を向けてみます。最初は国名から。

「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」という接続詞入りの国名は、日本でもよく知られています。
外務省のサイト では「英国」の後に括弧書きで記され、普通に使われている「イギリス」は使われていません。
「United States」や 「United Ntions」は 複数形なのに、「United Kingdom」は単数形です。
複数の王国の連合体ではなく、連称両地域に及ぶ単一の「連合王国」であるという意味なのでしょう。

「連合王国」という存在自体は、それまで同君連合関係にあったイングランド王国とスコットランド王国とが 1707年に統一されてできた グレートブリテン王国 に遡るのでしょうが、連称国名という形で使われるようになったのは、1801年のアイルランド王国合併以来です。
「グレートブリテン及びアイルランド連合王国」からは、1922年にアイルランド自由国が独立し、現在の「…及び北アイルランド…」という国名になりました。
3地域(ウェールズは無視されている)を表す3つの十字を組み合わせた国旗(ユニオンジャック)も、国名と同様に一体化した連合王国を象徴しています。

深刻なのが第一次大戦後に誕生した「チェコスロバキア」で、正式国名もハイフンなしになったり、ハイフン入りになったり。
ナチス・ドイツに併合され、第二次大戦後にハイフンなしで復活しましたが、東西冷戦時代は東側の体制に組み入れられました。

「ビロード革命」と通称される社会主義体制崩壊後の 1990年に「ハイフン戦争」と揶揄された大論争に発展。
結局のところ、ハイフン記号でなく 接続詞を用いた「チェコ および スロバキア連邦共和国」になりました。
ところが、今度は 正書法では大文字で始まるチェコに対して 小文字で始まるスロバキアの反発が出て、例外的に 単語の先頭を大文字にした国名 になったそうです。
このように苦心の作品である連称国名ですが、1993年から連邦制が解消され、別々の国になりました。

バルカン半島の 「ボスニア・ヘルツェゴビナ」 を有名にしたのは、残念なことに、ユーゴスラビア連邦解体後の 1992~1995年の紛争によるニュースでした。
この国での対立は、複雑な民族や宗教の分布がもたらしたもので、両地域の対立という単純な図式ではありません。

ボスニア・ヘルツェゴビナは、第一次大戦後には、セルボ・クロアート・スローヴェン王国の一部でした。
この3連称国名は、チェコスロバキアと共に 落書き帳の初期から登場しています[3250]翌2003年にも記事

1934年に アガサ・クリスティが発表した『オリエント急行殺人事件』は、もちろん密室の列車内を舞台にしていますが、その列車が豪雪のために立往生していたのは この国でした。
【追記訂正】
ユーゴスラビア王国と改称されたのは、この小説よりも後のことと思っていたのですが、調べてみたら意外に早く、1929年でした。
従って、列車がいた事件現場(ベオグラードの南の山中)は、既に長い連称名の王国ではなかったことになります。

日本の南、赤道を越えた先にも 連称国名があります。その名は、パプアニューギニア独立国
世界第2の面積を持つ大きな島は、19世紀の植民地時代に東西に分割され、島の東半分は 南側の英領パプアと 北側のドイツ領ニューギニアとに分割されました(1884)。

ビスマルク諸島など周辺の島を含む旧ドイツ領は、第一次大戦後に オーストラリア委任統治領になりました。
第二次大戦では 日本軍が ラバウルのあるニューブリテン島(九州とほぼ同じ面積)などの一部地域を奪いました。
しかし、ニューギニア攻防戦では、両軍共に苛酷な自然に苦しめられたそうです。
戦後の 1949年、オーストラリア統治時代に 南のパプアと北のニューギニアとが統合され、「パプアニューギニア」という行政単位が生れました。1975年独立。日本よりも広い国です。

なお、パプア島の西半分はオランダ領東インド(蘭印[40148])からインドネシア領になり、西イリアン→イリアンジャヤと呼ばれていました。「イリアン」の元の意味は「東」らしいので、「西イリアン」は奇妙な言葉? 現在はパプア州・西パプア州と改称。

あまり話題になることはありませんが、小さな島国で、主要な2島の名を連ねた国名があります。
アフリカでは、赤道直下ギニア湾の火山島で サントメ・プリンシペ民主共和国
小さな島国が たくさんある カリブ海の小アンティル諸島では、北の方に アンティグア・バーブーダセントクリストファー・ネーヴィス。南の方に セントビンセント及びグレナディーン諸島、そしてベネズエラ沖とも言える位置に トリニダード・トバゴ共和国
[79421] 2011年 10月 3日(月)14:19:36【1】hmt さん
連称自治体名 (7)外国の都市名・地域名
大網白里町の 10月の広報誌 です。
市への移行に賛成83%、市の名称は「大網白里市」希望が58% という住民アンケート結果を記されています。

[79337]で紹介されたこの結果を見て書き始めた 今回の 連称シリーズ は、連称名の寿命に注目しながら時代別に概観し、外国の連称地名に及びました。

カタカナで書いた場合 ただでさえ長く感じる外国の地名。その連称というと、どうしても 長い地名になりがちです。
「長い呼称を持つ」地名選手権 というアーカイブズもありますが、長い地名になる主な原因は 連称ではなく、多数の修飾語によるものが普通でしょう。例:バンコクの正式名称[15600]、リビアの正式国名[65289]
余談ですが、リビアの首都トリポリ陥落から 40日以上になりますが、内戦はまだ終結せず、国民評議会の暫定首相は リビア全土が解放されるまで暫定政権の発足はない と言明しています。2011/9/30ロイター

逆に、連称であっても、短く収まっている都市名もあります。
その代表として「ブダペスト」を挙げることができます。言うまでもなく、2000年8月20日に 建国1000年 を祝ったハンガリーの首都です。
1000年前の古都・エステルゴムはドナウ川の少し上流右岸だったようですが、13世紀にモンゴル軍襲来を受けた後の王宮所在地が「ブダ」です。ドナウ川対岸の「ペシュト」との間に最初の架橋ができたのは 1849年。
別々の町だった両市が合併して「ブダペスト」になった 1873年は、オーストリア・ハンガリー「二重帝国」[42173]の下で ハンガリー(トランスライタニア)が広範な自治権を獲得した後でした。

[20558] はやいち@大内裏 さん
【連称は】欧米なら普通に行われているのですけどね。
(たとえばフランスならイリエ=コンブレーとかクレルモン=フェランとか)

ミシュランの本社があるクレルモン=フェランは、1095年にウルバヌス2世が第1回十字軍の結成を呼びかけた「クレルモン教会会議」の開催地と「モンフェラン」の連称ですね。
隣接する両市の合併は 1630年の勅令以来何度も試みられていたようですが、対等な完全統合が実現したのは20世紀とか。

イリエ=コンブレー。これは、フィクションが現実の町の名の一部として取り入れられた、ちょっと風変わりな連称です。
この町は元来「イリエ」という名でしたが、『失われた時を求めて』に登場する「コンブレー」のモデルとして有名になり、イリエ=コンブレーと改称するに至りました。

国名や都市の名だけでなく、地域名にも連称があります。
過去に話題になったのは、ドイツの 長~い州名 です。

以下の4例は、[20549] 琉球の風 さんの記事から引用
------------------------------
「バーデン・ビュルテンベルク」はバーデン(温泉地)とビュルテンベルク(草の茂った山)の合成語
「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン」→シュレスヴィヒ(泥だらけの水域)・ホルシュタイン(森に住む人)だそうです。
「メルヘンブルク・フォアポルメン州」はそのままメルヘンブルクとフォアポルメンの二つの地域名をくっつけただけ
「ノルトライン・ウェストファーレン州」は「(北ライン地方)・(西の平原)」の意
------------------------------

フランスにも、マルセイユやニースのある「プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏」なんてのがあります。


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