[79427] 伊豆之国 さん
十和田のヒメマス
1905年に和井内貞行が十和田湖での養殖に成功したヒメマスは ベニザケの陸封型で、日本では北海道のチミケップ湖と阿寒湖とが原産地だそうです。
氷河時代の北海道の河川には、北方から回遊したベニザケが遡上し繁殖していたが、地殻変動による隆起で河川が遮断され、湖に取り残されたベニザケの子孫がヒメマスになったと言われています。
和井内貞行の生涯 によると、明治14年に小坂鉱山寮吏員とあります。
[67452]を見ると、 第2次官営になった銀鉱山の時代とわかります。
養魚事業に手を染めたのは明治17年というから、小坂鉱山が藤田組に払い下げられた時代です。初期は鯉の養殖が主体ですが、鉱夫の食料供給とかいう名目を付けた会社公認のサイドビジネスかもしれません。
明治30年、「金本位制」の採用で銀の価格が暴落し、藤田組の鉱山事業の先行きが暗くなった時期
[67436]に退社して、養魚事業に専念することになりました。
しかし、鯉養殖は採算性が悪く失敗しました。
十和田湖に放流した魚は大きな湖の中に散在してしまい、密漁を防ぐことが困難です。
そこで、放流水域を覚えていて産卵時に戻ってくるサケ類に目を付けました。
ビワマス養殖の先進地・日光養魚場に長男を派遣するなど、研究を進めました。奥入瀬川の銚子の大滝が魚止めになって魚の遡上を阻んでいることを知り、魚道を掘ってみたが、これも成果に結びつかず。
こんな苦労をしている間に教えてもらったのが、北海道の支笏湖で、数年前から養殖が始まったという回帰性のマスの話でした。
アイヌ語で カバチェッポ と呼ばれたこの魚が、後にヒメマスと名付けられました。
明治27年(1894)に阿寒湖から支笏湖に移植されたというヒメマスは、1996年に千歳市の「市の魚」になっています。
現在の支笏湖では、アイヌ語カバチェッポの短縮形と思われる「チップ」の名で呼ばれているようです。
千歳市のシンボル
和井内貞行は、全財産をはたいて手に入れた3万尾の稚魚を十和田湖に放流。明治36年(1903)のことでした。
この後で日露戦争がありましたが、それも終った放流3年後の明治38年秋、産卵のために放流された湖岸近くに回帰してきた魚群を目にすることができました。長年の苦労が報われた一瞬でした。
「われ幻の魚を見たり」(1950年大映)という映画が知られています。
実は、私が中学生の時の国語教科書に、「カバチェッポ」というタイトルの映画シナリオが収録されていました。
もちろん和井内貞行の事業を題材にした映画ですが、タイトルも違うし、どうも別の作品のようです。
成功に結びついたカバチェッポは、青森水産試験場から入手したものですが、本格的にヒメマス増殖事業を行った和井内鱒孵化場は、十和田湖南西岸の生出(おいで)にありました。現在の
地図 に「和井内」という地名を見ることができます(小坂町)。
和井内家の出身は毛馬内(鹿角市)で、盛岡藩士の子でした。
こんな具合に、秋田県だけでなく、青森県や盛岡藩もからみあった地帯でした。
十和田湖では、1980年頃に移植されたワカサギが 1985年ころから漁獲量急増。ヒメマスが餌の獲得競争に負けて姿を消しつつあるとかいうことも
伝えられています。本当に「幻の魚」にならなければよいのですが。
話題の元になった十和田観光電鉄。
確かに十和田市を走っていますが、十和田湖の観光客は利用しているのでしょうか?