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落書き帳

明石は播磨?摂津?

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[80187]2012年1月22日
白桃
[80188]2012年1月22日
k-ace
[80190]2012年1月22日
Issie
[80192]2012年1月22日
hmt
[52196]2006年7月16日
むっくん
[80194]2012年1月22日
星野彼方
[80196]2012年1月23日
miki
[80197]2012年1月23日
N-H
[80198]2012年1月23日
hmt
[80199]2012年1月23日
今川焼
[80201]2012年1月23日
k-ace
[80202]2012年1月23日
Issie
[80204]2012年1月23日
紅葉橋律乃介
[80207]2012年1月24日
miki
[80213]2012年1月27日
実那川蒼
[80214]2012年1月27日
N-H
[80216]2012年1月28日
Issie
[80218]2012年1月28日
白桃

[80187] 2012年 1月 22日(日)18:34:32【1】白桃 さん
播磨投げ(脱線が続く)
[80184]hmt さん
[80174]の末尾に書いた蛇足を分割・加筆し、地理ネタに仕立ててみました。
私の脱線話を地理ネタに仕立てていただき、恐縮至極です。
同時昇進の最初の事例は第二次大戦中で、安藝ノ海と照國とが 37~38人目の横綱になりました。
この両横綱の現役時代は親から聞いたぐらいの知識しかありませんが、「安芸ノ海」「照国」と書かれなかったところがなんとなく嬉しいですね。(同時昇進については、これより前に谷風&小野川、常陸山&梅ヶ谷(二代目)の事例があるようですが、いずれにしろ大昔の話です。)
その信ぴょう性は低いようですが、ともかく初代横綱は明石志賀之助ということになっております。これが、明石播磨之助or明石兵庫之助だったら、絶対に疑りたいところです。(笑)

脱線話はこれぐらいにして・・・
現在の兵庫県が丹波、但馬、淡路、摂津、播磨の5カ国(越県合併もあったので備前を含むと6カ国?)に及んでおり、明石市は旧国名でいうと播磨なんですが、どうも「摂津」と言う感じが強くて、私の心の中の地域区分では宝塚市、伊丹市、西宮市、川西市、尼崎市、三田市、猪名川町、芦屋市、神戸市とともに大阪府全体をプラスして「阪神ブロック」としております。

これに関して、どなたかご意見をいただければ幸いです。
[80188] 2012年 1月 22日(日)20:19:55【2】k-ace さん
播磨(脱線が続く)
[80187]白桃さん
播磨
私は播磨国の範囲で解釈してますので、明石市に加え、明石郡であった神戸市西区と垂水区、それに須磨区の一部、美嚢郡であった北区淡河(おうご)地区も播磨と思っていますが、現在では神戸市域は神戸・阪神地域でまとめるのが自然かな。神戸市西区の岩岡地区が神戸・阪神地域というのは違和感がありますが。

播磨といえば。
本日第17回全国都道府県対抗男子駅伝競走大会が広島であり、兵庫が優勝しましたが、
赤穂郡上郡町、加古川市、加西市、加西市、川西市、加古川市、揖保郡太子町(姫路市)と5区を除き播州(播磨)出身のメンバーでした。
竹澤選手は小学校=太子町立、中学校=姫路市立のようなので、太子町出身となっているものと姫路市出身となっているものがあります。
[80190] 2012年 1月 22日(日)20:55:53【2】Issie さん
ああ播磨灘
…ってお相撲さんの漫画がありましたね。

[80187] 白桃 さん
明石市は旧国名でいうと播磨なんですが、どうも「摂津」と言う感じが強くて

ここの所は [80188] k-ace さんのご説明の通りで,つまり須磨の浦・一ノ谷までが摂津の国で,親不知のような崖下の海岸を抜けた垂水区の塩屋から先が「播磨」。元々あまり大きくない明石郡の大部分が神戸市に取り込まれて海岸部だけが明石市として残っているから,そのような印象が強くなるのでしょうね。
この辺りは奇しくも,“武蔵国”に属する横浜市のうち,権太坂を越えた先の西南部(瀬谷・泉・戸塚・栄区および港南区の西半)が“相模国”で,しかもその“相模国鎌倉郡”の過半が横浜市に吸収されてしまったこととパラレルな関係ですね。ただし,神奈川県の場合は大部分が相模国で,源氏の鎌倉や後北条氏の小田原があるその「相模」のイメージの方が強くて,むしろ横浜・川崎が「武蔵」であるということの方が忘れられ勝ちのような気がしますが。また,鎌倉市が「京浜」である(←県の行政では,多くの分野で県の管轄外のこの2市の範囲をしばしば「浜川(はまかわ)」と表現します)と捉える人もあまりいないでしょう。
ちなみに,県の行政では北半分を失った 旧鎌倉郡(鎌倉市) は,その一部を吸収した藤沢市を中心とする 旧高座郡南部(藤沢市・茅ヶ崎市・寒川町) とともに「湘南」とすることが多いです。

須磨・一ノ谷と言えば源平合戦。
さっきまでやっていた今年の大河ドラマ。やっぱり今年も去年に負けず劣らず思いっきりファンタジーですねえ。
でも,面白いからいいや。
[80192] 2012年 1月 22日(日)21:51:57hmt さん
播磨国明石
[80187] 白桃 さん
同時昇進については、これより前に谷風&小野川、常陸山&梅ヶ谷(二代目)の事例があるようですが

谷風&小野川はともかく、明治の「梅・常陸」も 同時昇進であったとは知りませんでした。
東西対抗の面もある相撲では、バランス上、両横綱が揃っていた方が好ましいのでしょうか。

明石市は旧国名でいうと播磨なんですが、どうも「摂津」と言う感じが強くて
これに関して、どなたかご意見をいただければ幸いです。

現代を対象にしている 白桃さんとは時代設定が異なるのですが…
私は、[52196] むっくん さんの記事により、ぎりぎり畿内の須磨と、未開の地?と認識されていた畿外の播磨(明石)との位置関係を教えられました。ご参考まで。
[52196] 2006年 7月 16日(日)07:36:14【3】むっくん さん
近畿2府3県!
[52171]Issie さん
近畿2府3県: 大阪府,京都府,滋賀県,奈良県,和歌山県
中国地方6県: 兵庫県,岡山県,広島県,山口県,鳥取県,島根県

ひょっとしたら江戸時代からの感覚のままなのではないでしょうか。
播磨のみならず、摂津にも西国街道が通っていたから、兵庫県が近畿地方でなくて中国地方なのでしょう。それでは同じく摂津のある大阪府は?というと、中心地の大坂にまで東海道がきていたから大阪府は近畿とされたのでしょう。
あれっ東海道は京都までと違うのかと思われる方もおられると思いますが、実質的には東海道は京都までの53次ではありません。元和5年(1619)に東海道は東海道五十三次の大津宿から京都に向かう道と追分で分岐して、伏見、淀、枚方、守口の四宿を経て大坂京橋まで延伸して実質的に東海道57次になりました(形式的には東海道53次のままですが)。

[52186]Issie さん
大阪~神戸間といよりは,神戸~姫路間 の溝なのかも。

神戸~姫路間 の溝といわれて私が思いつくのはせいぜい源氏物語の設定ぐらいですね。

光源氏が流されたのが須磨(摂津の最西端)、明石の君&明石の入道の出身地が須磨の隣町?の明石(播磨)というのは実は絶妙の場面設定です。
さすがに天皇家の血を引く光源氏を未開の地?と認識されていた畿外の播磨(未開の地?で雅なんていうことを解する人が住んでいないと認識されていたがゆえに、明石の君の父の明石の入道が風流を知る人で驚かれることになります)には流せずに、ぎりぎり畿内である摂津最西端の須磨に流したのです。

源氏物語の場面設定の妙は、この第一部・第二部の畿内(摂津国須磨)とぎりぎり畿外(播磨国明石)の対比だけでなく、第三部の宇治十帖の洛内(京)とぎりぎり洛外(宇治)という対比でも見ることが出来ます。
[80194] 2012年 1月 22日(日)23:06:42星野彼方 さん
明石は播磨であって決して摂津ではありませぬ
[80187] 白桃 さん
明石市は旧国名でいうと播磨なんですが、どうも「摂津」と言う感じが強くて、

播磨と摂津の境界は k-ace さんと Issie さんの通りで付け加えることはないのですが、明石市在住のものから一言。

現在でも、明石市と加古川市、高砂市、加古郡2町を合わせた地域で「東播磨」になります。すくなくとも東播磨県民局の管轄はこの3市2町になります。ただ、東播磨や東播(とうばん)といわれるエリアはその時々で三木市や小野市が加わったり、さらに加西市、加東市、西脇市、多可郡が加わったりとまちまちです。また、明石市と神戸市とで「神戸・明石」のくくりになることもありますが、そのときも決して摂津や西摂津、という名称はなりません。

明石が摂津、というのは、浦安が武蔵、というくらい変な感じかなぁ。浦安が房総というのもなんか変な気がするけど。下総だから房総でいいんだろうけど、ん~、房総って私的には安房+上総ってイメージ。
[80196] 2012年 1月 23日(月)00:50:29miki さん
北はりま(脱線)
[80187]白桃さん
播磨の話でもめていますが、JIS第3水準(以下?)の漢字をしこ名に使った例があります。
北(石+番)磨(きたはりま)関ですが、どうして北播磨ではないのでしょうか?
どうも気になります。
 
[80197] 2012年 1月 23日(月)12:31:21N-H さん
房総
[80194]星野彼方 さん
房総って私的には安房+上総ってイメージ

それはおそらく「房総半島」から来るのでしょうね。
ちゃきちゃき房総っ子の私も、どうも「千葉からあっちは房総じゃない」的な感覚を持ってました。
[80198] 2012年 1月 23日(月)13:42:28hmt さん
北はり磨
[80196] miki さん
どうして北播磨ではないのでしょうか?

「手偏」の付く「播」という字は、土俵に手をつくのを連想させて「げんが悪い」などと言った人がいるのでしょう。
でも、「手偏」の付く字を使った「把瑠都」が幕内優勝をしていますからね。

参考までに、新十両の「北はり磨」は、3勝7敗の後5連勝して勝ち越しできたとか。
[石番]という字は、太公望呂尚が釣をしていた谷川の名【[石番]渓】だそうです。
[80199] 2012年 1月 23日(月)15:48:19今川焼 さん
北はり磨は西播磨出身
[80196] miki さん
[80198] hmt さん

この北はり磨関、私は昨日大相撲中継の取り組み表で見て初めて知り、「おぉ、北播磨出身の力士がいたのか、これはわかりやすい」と思ってしまったのですが、調べてみるとなんと、たつの市の出身だとか。「たつの市なら西はり磨だろう!」とツッコミを入れたくなります。北の湖部屋所属の播磨出身力士だから「北」はり磨なんでしょうか。
落書き帳に表示できない漢字といい、何かとひっかかる四股名です。

~播磨の分け方~
兵庫県の播磨地方は、高砂市-加古川市-加西市-多可郡以東を東播磨、姫路市-神崎郡以西が西播磨に分けられます。さらに東播磨は、南北に北播磨と東播磨に分けられます。分け方は[80194] 星野彼方さん の言われるように一様ではありません。
西播磨も県民局では中播磨と西播磨に分かれますが、こちらは他ではあまり聞かないような気がします。
兵庫県県民局情報
[80201] 2012年 1月 23日(月)18:25:30【1】k-ace さん
播磨の分け方
[80194]星野彼方さん
[80199]今川焼さん
たつの市
そういえば、[72115]リトルさんの記事の最後にそれ関連(たつの市に本社があるランドセルの「セイバン」)が。

播磨の分け方
拙稿[79654]
東播・西播・北播・中播
と概略は書いていたのですが、実際の部活等の大会の東播大会の範囲は[80194]星野彼方さんの通り複雑怪奇なんですよね。
丁度微妙なラインなんですよね。三木市、小野市、加西市、加東市付近は。
まぁ播磨の下位区分は範囲を特定するよりは、おおよそこの辺で把握したほうが無難でしょう。

[80193]煮豆さん
大津市の新市長ですが、女性市長だけでなく、40歳以下の市長も該当します>グリグリさん
[80202] 2012年 1月 23日(月)20:47:12Issie さん
勝安房守義邦 改メ 勝安芳 海舟ト号ス
[80194] 星野彼方 さん
下総だから房総でいいんだろうけど、ん~、房総って私的には安房+上総ってイメージ。

[80197] N-H さん
それはおそらく「房総半島」から来るのでしょうね。
ちゃきちゃき房総っ子の私も、どうも「千葉からあっちは房総じゃない」的な感覚を持ってました。

この感覚は私も同じ。
九十九里の少なくとも北半分や成田空港の辺りは「房総」かなあ…。
結局は“くびれ”よりも南が「房総」というのが,しっくり来るような気がします。だから,まあ,上総+安房。それで,下総は「北総」。
もっとも,「房総」という言葉は旧国郡よりも現在の県域を前提とした呼称なのかもしれませんが。
いずれにせよ,“茨城県領下総”の利根川以北の区域が「房総」であるはずがなく,こちらは 常陸 と合わせた「常総」。まして,“武蔵国”の北葛飾郡に吸収されてしまった埼玉県の旧中葛飾郡域(江戸川以西の下総)は問題外。
ともかく,“くびれ”より北の下総国,旧千葉郡の習志野辺りだと「房総」という自覚はなかったなあ。

[80191] 伊豆之国 さん
習志野 千葉県船橋市■ 新京成電鉄 津田沼 ぎりぎりで市内だか、栄えているのは船橋市側。京成津田沼のほうが適切?

京成津田沼は市役所が近いと言っても,せっかく30年前に作った再開発ビルに入っていたホテルにも出て行かれて地元商店街も寂れる一方ですからねえ。それこそ,近隣の津田沼地区の住民の一部の外に,たぶんわざわざ京成津田沼周辺に買い物に行く人はいないでしょう。
賑やかな総武線津田沼駅北口側のうち,新京成の新津田沼駅側の半分は一応習志野市だし,南口側で長らく農地が広がっていた“習志野市領”の区画の開発も始まったようなので,やっぱり津田沼駅の方が適切であろうかと思います。
[80204] 2012年 1月 23日(月)21:08:02紅葉橋律乃介 さん
もしも師匠が西ノ海だったら
[80196]mikiさん
[80198]hmtさん
[80199]今川焼さん

 あまり「北はり磨」とは書きたくないんですが、今回だけ。
 シコ名の由来は雑誌「相撲」によれば、「師匠の現役名(北の湖)と出身地を含んだ旧国名「播磨」から、字画を考えて「石番」とした。」ということです。
 たまたま地域の呼称と一致したための“混乱”ですが、シコ名の付け方としては「師匠のシコ名の一部+出身地の地名」というごく一般的なものです。

 最近は地名以外のシコ名が多くなって面白くもありませんが、外国籍の力士は今場所優勝した「把瑠都」(エストニア)や「琴欧洲」(ブルガリア)のほか、「黒海」(グルジア)・「阿夢露」(あむうる、ロシア)、関取以外では「風斧山」(かざふざん、カザフスタン)・「舛東欧」(ハンガリー)といった分かりやすい名前もあります。


 そうは言っても、青森出身の「武州山」(旧武蔵川部屋所属)のように紛らわしい名前もありまして…。
[80207] 2012年 1月 24日(火)10:11:52miki さん
またしても脱線(妙義龍)
播磨といえば妙義龍関も忘れてはいけませんね。
しこ名が群馬県っぽいんですけど...何かこれにもエピソードとかありそうですね。
[80213] 2012年 1月 27日(金)02:32:33実那川蒼 さん
今年初の書き込みになります。

[80204](紅葉橋律乃介さん)
シコ名の由来は雑誌「相撲」によれば、「師匠の現役名(北の湖)と出身地を含んだ旧国名「播磨」から、字画を考えて「石番」とした。」ということです。
たまたまNHKの大相撲中継で、北はり磨関の新十両昇進のインタビューがあったのを見ていたのですが、「石偏に番」の漢字を使ったのは、日本神話の力の神であるタヂカラオノミコトに由来するそうです。北はり磨関の化粧まわしには、岩を持ち上げるタヂカラオノミコトの絵が描かれています。だから石偏なんだとか。

ところで、
[80201](k-aceさん)
そういえば、[72115]リトルさんの記事の最後にそれ関連(たつの市に本社があるランドセルの「セイバン」)が。
のように播州は「ばんしゅう」、西播は「せいばん」と読むのが一般的ですが、実はこれはつくりの「番」に引きずられた誤読が定着してしまったものです。「播」の本来の音読みは「ハ」です。種をまくことを表す「播種」は「ばんしゅ」ではなく「はしゅ」と読みますし、伝わって広がることを表す「伝播」も「でんばん」や「でんぱん」ではなく「でんぱ」です(「ン」の次に来るため半濁音化しています)。面白いことに、「伝播」という言葉が最もよく使われるのが電波関係です。なぜ播磨国に関する単語だけ誤読が定着してしまったのかは謎です。
[80214] 2012年 1月 27日(金)10:24:24N-H さん
電波伝播
[80213]実那川蒼 さん
「伝播」という言葉が最もよく使われるのが電波関係です。なぜ播磨国に関する単語だけ誤読が定着してしまったのかは謎です。

おっと、そういえば「伝播」という用語を仕事でもちょくちょく使いますけれど、確かに「でんぱ」と読むことを知っていても、ふつう我々業界人の間でも「でんぱん」と発音しているように思います。
電波と伝播がどちらも「でんぱ」になっちゃって紛らわしいからかもしれません。
ちょっと自分の仕事のメールのログを(出したメール来たメール含めて)「伝播」で検索してみましたが、あきらかに「でんぱん」と心の中で読みながら使ってるようです。
具体的にログから用法を拾い出してみましたが、「伝播試験」、「電波伝播特性」、「HFが伝播してしまうため」、「伝播状態の確認」、「伝播環境」、という具合で、多くの場合は「でんぱ」と発音すると「電波」と意味を混同しそうな場面ですねえ。
たとえば、こういう専門家の集まりがあるのですが、やはり「でんぱん」と呼んでるような気がします。
なお、ほぼ似たような意味であきらかに「でんぱん」としか読みようのない「伝搬」も使いますが、ログの数では「伝播」のほうが多かったです。
いまはちょっとこの業界から少し遠いところに常駐してるので、機会があったら業界人に確かめてみようかな。
というわけで、誤読は無線業界にもあるようです。
ただし、こういうのは誤読と言うものとはまた違って、業界用語として特殊な読み方が半ば認知されているといっていいのかもしれません。
たとえば、「架」と一文字書いてなんと読むか?
[80216] 2012年 1月 28日(土)00:10:45【2】Issie さん
せこう
[80214] N-H さん
たとえば、「架」と一文字書いてなんと読むか?

これへの解答ではないけれど,昨日の「ブラタモリ」(←もう,おとついになっちゃいました)。
鉄道総研の専門家の前でタモリは「架線」を何て読んでいたかなぁ。

ただし、こういうのは誤読と言うものとはまた違って、業界用語として特殊な読み方が半ば認知されているといっていいのかもしれません。

ずいぶん前に話題になった「首長」を「くびちょう」と読むのもこの例ですね。今日(これも昨日)の国会でも連発されたようです。彼らは「法律を施行する」の「施行」も「せこう」と読みますね。「施工」でもあるまいに。こういったお役所用語も,いわゆる業界用語。

[80213] 実那川蒼 さん
実はこれはつくりの「番」に引きずられた誤読が定着してしまったものです。

地理ネタから離れるけれど,「消耗」を「しょうもう」と読むのも有名な“誤読”ですね。
「耗」の正しい音は「コウ」。この字は本来「耕」と「毛」の組み合わせによる会意文字だそうで,「毛」の方が意味を表し,「耕」の「井」を省略した「耒」の部分が音符なので「コウ」と読むのだとか。ややこしいことに,音符となった「耕」は「耒」と「井」の会意文字なのだけど,こちらでは「井」の方が「ケイ」と読んでその延長で「コウ」という音を表しているそうで,意味を表す「耒」の部分自体の音は「ライ」で「すき(犂)」という意味。
それはともかく,だから「消耗」は“正しく”は「しょうこう」と読まなければならない。実際に,「心神耗弱」は「しんしん“コウ”じゃく」と読みます。
ところが,「毛」の方が音を表し「モウ」と読むと誤解されて「しょうもう」となったのですね。「消耗」を「しょうこう」と読む人は普通いません。でも,そのような“誤読”が定着したのがそう古い話ではなさそうなのは,「耗弱」という読みを見ればわかりそう。
高校の政治経済の教科書に「固定資産減耗」という用語が出てきます。GNP(国民総生産)からこれ(減価償却とも)を引いたものがNNP(国民純生産)。さらに間接税を引いて補助金を加えたものがNI(国民所得)…。この「減耗」に教科書では「げんもう」という振り仮名が振ってあるのですが,これも本来の読み方は「げんこう」。漢字辞典などには両方の読み方が書いてあります。今まさに,「げんこう→げんもう」という“誤読の定着”が進行中なのでしょう。

なぜ播磨国に関する単語だけ誤読が定着してしまったのかは謎です。

まずは最初に播磨国を中国風に呼んだ「播州」が現れて,そこから「東播」以下の呼称が派生したのだろうと思うのですが,「播州」を“正しく”「はしゅう」と読むのでは,何か座りが悪いと感じられたのでしょうかねえ。
日本語一般のクセとしては「房州」や「信州」のように“2音+州”というのが座りがいいのですが,「武州」「紀州」「土州」のように“1音+州”だって例外とは言えないくらい普通にあります。そうすると「播」という字,あるいは「播磨」という読みにわざわざ「ばん」と読ませる秘密があるのかもしれません。

古い時代の中国語,あるいは漢字の音を“復元”(もちろん推定ですが)したことで知られる藤堂明保博士が編纂に携わった学研の漢字辞典によると,「播」という字の上古(秦・漢代)音は puar ,それが隋・唐代の中古音では pua となり,これが音韻体系の極めて貧弱な日本語に入って「ハ」(←実際の発音は“唇をかまないファ”)と読むようになりました。
ちょうどその時代である奈良時代,従来は「針間」などと表記してきた ハリマ という地名を“おめでたい漢字2文字”で表記するに当たって,「ハ」という音の「播」という漢字に“聞こえないはず”の r の音を無理やり聞いて「ハリ」と読み,「磨」と合わせて「播磨」という表記が律令国家の公式表記とされました。「播磨」のどこが“おめでたい”のか,全然わかりませんが。
“聞こえない音を無理やり聞く”というのはこの時に多用された手法で,たとえば「相摸」(2文字目は本来“手へん”)を「さがみ」と読むのも,「相」sang(サウ)の語尾に無理やり a という母音を聞いて「サガ」と読んだからです。山城国(京都府)の「相楽郡」は,さらに「楽」lak(ラク)の語尾にも a を聞いて,だから「さがらか郡」(現代の読みは「そうらく郡」)。

奈良時代,ハリマに漢字を当てる際に「播:ハ」という字に無理やり r を,ついでに i という母音まで聞いて「ハリ」としたことが後の世に「ばん」と読ませることにつながったと結論づける根拠は何もないので,そのような主張をするつもりもないのですが,やっぱり「はしゅう」では何となく物足りなくて,それで“つくり”の「番」に引きずられて「ばんしゅう」となったのかも。
で,こちらは「播州赤穂」のように,少なくとも「消耗:しょうもう」よりはずっと前から行われていたのでしょうね。

※【お詫び】
上の文章の中で「会意文字」とあるのは,いずれも「形声文字」の間違いです。
久しぶりに使って間違えてしまいました。お恥ずかしい限り。
以上,謹んで訂正させていただきます。
[80218] 2012年 1月 28日(土)14:08:44白桃 さん
あかしやはりま
播磨の地域区分や明石のことについて、ご説明・ご意見をいただいた方々に御礼申し上げます。
[80194]星野彼方 さん
明石が摂津、というのは、浦安が武蔵、というくらい変な感じかなぁ。
仰っていることはごもっともで、まったく反論する気持ちはありませんが、「浦安が下総である」こと以上に「明石が播磨である」ことに違和感を覚える白桃でございます。

♪夕陽に清く輝きて 播磨の灘(うみ)にただよえる・・・
これは、出身高校の校歌二番の歌い出しになるのですが、私が抱いている「播磨」のイメージの大元はここから来ているのかもしれません。
三本松から播磨灘越しに対岸を見ると(実際はほとんど見ることができない)、姫路、相生、赤穂こそが播磨であり、その東の境は、せいぜい加古川&高砂である、というのが正直なところです。須磨・明石といわれるように、明石は摂津と言わないまでも、阪神なんですね。
また、明石市の人口推移を見ていると、うまくは説明できないのですが、神戸、大阪に連動し、寝屋川、岸和田、伊丹市等によく似た動きを感じます。


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