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落書き帳

三県境

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[89263] 2015年 12月 9日(水)22:07:58いろずー さん
オフ会で訪れたところが…(このオフ会にはいろずーはいません)
たった今ヤフー検索してたらこのようなニュースが。
ソースはこちら
埼玉、栃木、群馬の3県が接する“境界点”を確定させるため
県境に接する3市町が年明けにも測量調査に乗り出すそうだ。

うむ、ここで解決してましたっけ?
[89264] 2015年 12月 9日(水)22:14:03山野 さん
境界線確定へ調査開始
栃木、埼玉、群馬の3県境・・・そういえば未確定でしたね此処。
年明け早々測量調査を実施予定。
[89266] 2015年 12月 10日(木)12:34:30オーナー グリグリ
測量調査
[89263] いろずーさん
埼玉、栃木、群馬の3県が接する“境界点”を確定させるため
県境に接する3市町が年明けにも測量調査に乗り出すそうだ。
境界点の位置を正確に確認するために測量調査を行うという情報ですね。

第7回つくばオフ会で三県境ツアーが行われました。私は同行しなかったのですが、後日メンバーから頂いた写真を整理をしたおかげで、すっかり現地訪問した気分になれました(道の駅きたかわべを訪問して三県境を遠望したことはあります)。田んぼの真ん中の草に覆われた用水路が交わる地点に地元の人が建てた手作り看板がありましたが、観光資源として活かそうという構想ですね。歓迎し期待しましょう。

ところで、測量調査を行うとありますが、その根拠資料は法務局や市役所などの公図や測量図を基に行われるんでしょうね。[88935]などで話題にしていた、大阪府河南町、同千早赤阪村、奈良県葛城市、同御所市の隣接関係の確認についても、境界は確定しているけど実際の公図や測量図による確認作業が正確にできていないための混乱であろうと推測します。おそらく、そこには山林地帯の境界に関する地権者間の問題などもあるのではと。地理院地図は自治体に確認して境界線を大まかに地形図にプロットしているのに対し、ゼンリン地図では公図などを実際に確認して境界線をプロットしたのではないかと思います。

[88931] に書いた地理院からの解答の
この度のご指摘の内容につきまして、関係する自治体にお伝えいたしましたところ、「地理院地図に表示される行政界と民間地図に表示される行政界に相違があることは認識している」及び「国土地理院への境界訂正の申請について、検討はしているが結論はまだ出ていない」との返答を頂いております。
この部分にある「結論」が何を意味するのか、地権者間の境界確認が難しいからと考えたくなりますが、ひょっとしたらそんな問題ではなく、公図や測量図が古いことと山深いこともあり正確な測量ができていないだけかもしれません。三県境のような平地で測量が簡単な場所ですらこれまで正確な測量が行われていなかったことを考えると、地理マニアのために隣接関係を明確にするためだけの手間は掛けてられませんと言うことかな。^^;

[89264] 山野さん
境界線確定へ調査開始
栃木、埼玉、群馬の3県境・・・そういえば未確定でしたね此処。
ということで、自治体間の境界線が未確定ということではないでしょう。地理院資料(pdf)でも未確定ではありません。境界線は確定しているが、境界線と境界点の場所を正確に把握するために測量調査を行うということですね。
[89267] 2015年 12月 10日(木)21:08:27【1】hmt さん
久しぶりの渡良瀬川旧河道3県境
筑波山オフ会2010の翌日 17人で訪問し、hmtマガジンも編集した栃木・群馬・埼玉3県境が久しぶりに話題になりました。情報源は読売で、次のように記されています。
“境界点”を確定させるため、県境に接する3市町村が年明けにも測量調査に乗り出す。

さて、“境界点”を測量によって確定させることができるのか? また、その目的は?
私たちは野次馬ですから、落書き帳で議論すること自体が楽しみでした。
しかし、公費による測量事業実施となると、期待される経済効果を含めた、それなりの理由が存在するのでしょう。

それはさておき、3県境を話題にする以上は、ここを地図で再確認しておくことから始めましょう。

2010年当時に比べて最大の違いは地理院地図の登場です。
2万5000図に対応する #14図 を見ると、以前と同じような3県境が描かれています。
ところが、これを拡大して #15図にすると、栃木・群馬県境線の一部が消えてしまい、#16図 #17図 でも同様です。#18図には県境線がありません。

mapionで見ると、栃木市藤岡町下宮の集落付近で 県境線が 道沿いから【描かれていない】水路沿いに移行している箇所がありますが、このあたりの県境が不明確なのかもしれません。
[89266] グリグリ さんは、面積調の境界未定地域に記されていないことから 否定的な見方ですが、地理院地図に境界線が記されていないことは、「未確定」[89264]の可能性があるのかもしれません。

[89266] グリグリ さん
ゼンリン地図では公図などを実際に確認して境界線をプロットしたのではないかと思います。

葛城山の事例のような山間部はともかく、住宅地図については 私もゼンリンの調査を信頼しており、このご意見には、私も同じような感を抱きました。
mapionで 加須市小野袋943 という番地を調べると、3県境に最も近い家が出ます。
3県境探訪ルート写真集 10番で 写真の下に隠れている家です。
この家を含む数軒が群馬県側になっている地理院地図の県境線は、南に寄り過ぎていると思われます。
Google mapでは、この部分の県境線がありません。やはり怪しいと思われているのでしょうか。

3市町村が年明けにも測量調査に乗り出すとのニュース。
群馬県によって建てられた標石の由来なども、自治体が調査に乗り出すことで 解明されるかもしれません。
合流点 の近くにある「基点」標石。これが本当に 「鶴の嘴の先端」 を示すものなのか?
調査の成果に注目したいと思います。
[89269] 2015年 12月 11日(金)00:40:49MasAka さん
三県境の看板のその後
[89266]グリグリさん
田んぼの真ん中の草に覆われた用水路が交わる地点に地元の人が建てた手作り看板がありましたが、観光資源として活かそうという構想ですね。

この三県境を紹介する看板ですが、一昨年(2013年8月)、この地を再訪した時にはすでになくなっていました(正確には立て札の部分だけが残されていて、説明書きがはがされていました)。これと同様に、道の駅きたかわべの展望台にあった案内板もなくなっていたのです。その時、なぜなくなってしまったのか不思議に思っていたのですが、もしかしたらこの境界問題が絡んでいたのかも知れませんね。
[89916] 2016年 1月 31日(日)20:40:06伊豆之国 さん
戦国市盗り合戦・雑感(その2)
「戦国市盗り合戦」の分析記事も出揃ってきているようですが、デスクトップ鉄 さんの記事([89892])で述べられているように、「市盗り合戦」の影響で「分散派」から「集中派」に転進した方が多い、ということですが、私自身の解答選択傾向(正答に限る)を過去3年間(計7回)ついて調べてみると、次のようになりました。

大会名初解答2度目以降
3682
3764
3855
3964
4082
4164
4246

元々は「分散派」を自認して、「できる限り解答市を増やす」戦術を取っていたのが、今回初めて2度目以降が初解答を上回って、「市盗り合戦」の影響は認められますが、それ以前でも2度目以降となる解答市を選んだことは結構あったことは自分でも案外気づかなかったところでした。ただ、複数回答えていた市は、以前は自分自身にゆかりのある市が大半だったのが、「市盗り合戦」が始まってからは、「旅先で訪問したことがある」など、特にゆかりはなかった市も増え、この点では明らかに「市盗り」を意識した「解答市選びの変化」が現れたのかもしれません。今回で5回目となって、お膝元の市に続く回数となった「世界遺産の絢爛豪華装飾神殿がある」市などは、明らかに「領地防衛意識」が働いての答え選びでした。

[89886] ぺとぺと さん
問六、解答市の選択に悩んだ唯一の問題でした。伊東市を巡るデッドヒート
貴重なタネ銭を今後も「ハトヤの増築」に投資し続けざるを得ない状況に陥りかねません
ハトヤ城の明け渡しは甘受し、以前から目星をつけていた藤枝市を手中に収めた
実はその時点でぺとぺと さんが藤枝市を答えていて、伊東市を答える可能性がなくなっていたことはすぐには気づかず、答えた後で「これで伊東氏の館に生還できる」とわかった次第で…。

小田原城への奇襲[89853] も想定し、より守りを重視した戦略
蒲鉾と提灯(と外郎と梅干でも)で名高いこの町の「白鳥」、ではなくて「城盗り」? …これは前回の「寅午」(トラウマ)もあるし、ここに「石垣山」を築いてもまた「ハトヤ」がお留守になりそうで、箱根山の背後からも、「田子小松城」([66751])から「水軍」を駆って海上から攻め込むのもちょっと難しい賀茂…。
それよりも、西から強力新人が現れてきて、「野望」達成のためには「越すに越されぬ大井川」の向こうに残る未解答4市を果たしていつ答えられるのか、厳しい戦いが待ち受けてきそうです。こちらが4市を1回ずつ答える代わりに、掛川城を明け渡す、安倍川か、あるいは富士川を境にして、「紳士協定」を結んで共存を図ることも頭に入れなければ、ということもありそうです…。境川と足柄山の間も、こちらが未解答市を答え切ったところで矛を収める、ということになるか…。

[89897] 白桃 さん
[89908] k_ito さん
(愛知県)N市
縁もゆかりもなさそう
この「N市」のうちの一つ、つい数年前この市と合併した「愛知県を代表する作家の故郷の町」がある市は、実は私の出身地とは「年末年始の定番時代劇では悪役扱いされているが、この市(の旧町)では郷土の英雄として尊敬されている人物とは苗字もルーツも同じ一族が、戦国時代に城主だった」ということで、深いつながりがあるのです…。

その「定番時代劇」の発端となった、愛知県N市旧K町の「郷土の英雄」が殿中で斬りつけられた殺人未遂事件。その事件の緊急報告で江戸から国元・兵庫県A市に早籠で向かった2人の藩士のうちの1人が、今落書き帳をにぎわせている大阪府箕面市([89899] hmt さん 他)にゆかりの人物でした。その人が、萱野三平。「討ち入り」に加わることを目指していたものの、仕官を勧めた父と「忠孝の板ばさみ」に陥り、討ち入りの日を迎える11ヶ月前に自殺に追い込まれた悲劇の人でした。こうした経緯からか、江戸高輪の藩主の菩提寺でも、国元の神社でも、「義士」に準じた扱いを受けているようです。

大阪というと、今日「大阪国際女子マラソン」が行われましたが、以前にも話題になっていた阪堺電車の住吉~住吉公園間([85164],[85165] hmt さん,[88724] 山野 さん)が、昨日午前8時32分(!)の終電(実際には混雑で少し遅れたようですが)をもって運行廃止になりました(HP)。

これも以前からにぎわっていた話題で、以前にオフ会の帰途で実地踏査も行っていた「平地の3県境」ですが、
[89263] いろずー さん
[89264] 山野 さん
[89266] オーナー グリグリ さん
[89267],[89272] hmt さん
埼玉、栃木、群馬の3県が接する“境界点”を確定させるため
県境に接する3市町が年明けにも測量調査に乗り出す
その県境を確定するための測量が、当該3市町の合同で、来月にも地権者も立ち会って測量を開始する、というニュースが、新聞記事にも相次いで載っていました(日経:1月28日夕刊、毎日:29日夕刊)。
[89928] 2016年 2月 3日(水)13:52:47【1】オーナー グリグリ
平地の3県境 名所に
2月1日東京新聞夕刊第6面の記事タイトルです。

[89916] 伊豆之国さん
その県境を確定するための測量が、当該3市町の合同で、来月にも地権者も立ち会って測量を開始する、というニュースが、新聞記事にも相次いで載っていました(日経:1月28日夕刊、毎日:29日夕刊)。
日経と毎日の記事は確認できていないのですが、東京新聞の記事には写真と地図付きでかなり詳しく紹介されていました。それによると、三県境が陸地にできた経緯(渡良瀬川の改修工事による流路の変化)、栃木市が測量を提案し三市町で調査費約130万円を分担して2月に地権者も立ち会って測量すること、板倉町が珍スポット紹介の観光ビラを作成したこと、などが記事になっていました。

[89269] MasAkaさん
この三県境を紹介する看板ですが、一昨年(2013年8月)、この地を再訪した時にはすでになくなっていました(正確には立て札の部分だけが残されていて、説明書きがはがされていました)。
この看板を立てた栃木県側の地権者ご本人が看板とともに写真で紹介されています。立て札は以前のものと同じもののようですが、看板部分が手書きの説明書きになっています。三県境の境界線と自治体名を書いた簡単な地図に加え、「日本には40ヶ所以上の3県境がありますが、平地にあるここ大変貴重な存在であると言われています。」「近隣案内/渡良瀬遊水地徒歩3分/最寄駅 東武日光線柳生駅徒歩7分」「道の駅きたかわべ徒歩4分/手打そば、新鮮野菜が人気です。」という説明書きが読み取れました。ちなみに、3県境で画像検索すると、山のように新しい看板の写真が出てきます。地権者の方が何回か手直しされているようで、ご本人が写っている新聞記事の写真が新しい説明書きのようです。

それと、三県境と思われる水路には、以前はなかった土管のようなものが建てられています。道の駅きたかわべにあった看板がどうなっているかも含めて、測量が行われる前に写真撮影に行こうかな。

【追伸】東京新聞の記事ページがありました。
[89961] 2016年 2月 10日(水)09:19:24オーナー グリグリ
<3県境>群馬、栃木、埼玉…境界線確認、新観光スポットに
タイトルは、2月10日毎日新聞電子版の記事タイトルです。

[89928]で書いた例の三県境の確認作業が行われ、
この日の作業では、用水路の接点で、積み重なった泥を取り除いて目印の標柱をあらわにし、3県の接点と確認した。この標柱は、1980年に群馬県が終えた区画整理事業に際し、県境の確認用に据えた。その後、泥に埋まっていたという。新たな標柱に交換し、確認しやすくする。
1980年に設置した標柱を掘り出したそうで、元々のY字用水路の接点がやはりそのまま三県境と確認されたようです。つくばオフ会の3県境探訪ルートでメンバーが訪問した際に確認したY字用水路です。
一方で戸惑う地権者もいる。(中略)「にぎやかにならない方がいいのだが……。もの好きがいるもんだな」と苦笑いしていた。
はい、もの好きの集団がここにいます。^^;

[89928]
それと、三県境と思われる水路には、以前はなかった土管のようなものが建てられています。道の駅きたかわべにあった看板がどうなっているかも含めて、測量が行われる前に写真撮影に行こうかな。
この前の日曜日に訪問してきました。[89928]で引用した新聞記事にある写真そのままでしたが、Y字用水路の周囲に、測量の目印なのかどうかわかりませんでしたが、ピンクのリボンが付いた小さな白木の杭(といっても高々3cm角で地上部が10cm程度のもの)が何本かさしてありました。のちほど撮影してきた写真を参照できるようにします。また、道の駅きたかわべには、以前あったような説明表示はなくなっていました。

ところで、三県境を訪問する直前には、ダイヤモンド筑波山を撮影するべくこちらを訪れたのですが、残念ながら厚い雲がかかり、ダイヤモンド筑波も朝焼けもダメでした。でも、なかなか良い撮影スポットで、筑波山ベストビューコンテストで一位となった場所のようです。三県境訪問後、渡良瀬遊水地でしばらく撮影していたのですが、ここは本当に空が広くてのどかでのんびりできますね。またこの日は、筑波山、那須連山、日光連山、赤城山、榛名山、妙義山、富士山など、関東平野周辺の山々が一望できました。


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