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落書き帳

西彼杵

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[97534] 2019年 2月 14日(木)17:31:23【2】hmt さん
海と島(33)西彼杵炭田(1)総論と高島/端島炭鉱
約2週間前に白桃さんが出題した DIDなぞなぞ[97508] と かぱぷうさんの解答[97509]
ひょっとして ここ のことですか?

話題の本筋の DID から離れてきますが、この機会に長崎県西彼杵(にしそのぎ)郡の島々にあった炭鉱の記事を書きました。石炭採掘が盛んだった頃には すべて西彼杵郡 でしたが、現在の所属は長崎市と西海市です。

長崎から南に伸びる長崎半島の沖にあった高島/端島などの炭鉱跡は 2005年に長崎市に編入されました。

かつて炭鉱で賑わった崎戸・大島などの町々や、石炭火力発電所に変身していた松島(大瀬戸町)も、同年の平成合併で、すべて西海市になりました。西海橋で知られる針尾瀬戸までの西彼杵半島北部と五島列島の近くの平島に及ぶ島々ですが、炭鉱があった島は本土に近い幾つかに限られています。

炭鉱の系譜で言えば松島や大島の後継である池島。地理的にも松島に近いのですが、池島は 本土側の合併前境界線を角力灘に延長した線の南側になるので、この島は外海町でした。従って平成合併では長崎市に編入されました。

広い範囲に存在する島々なので、1枚にすると端島などが見えにくなります。南北に分けた同縮尺(#12)の地理院地図。
西彼杵の島々(北部)
西彼杵の島々(南部)

さて、かぱぷうさんの解答[97509]にリンクされた地理院地図・中ノ島には、注記「史跡【記号】高島炭鉱跡 中ノ島炭坑跡」が付けられています。
この地図を#17から#16へと1段階縮小したスケールにすると、隣の端島(はしま)【通称・軍艦島】が現れ、こちらには、「史跡・高島炭鉱跡 端島炭抗跡」とあります。

高島炭鉱・中ノ島炭坑・端島炭抗と3種類の表記がありますが、端島炭抗は端島炭坑の誤記と思われます。

それはさておき、「炭鉱」は 山や海底など 採炭区域を示す名称です。
複数の炭鉱を含む 広い石炭埋蔵区域 を示す言葉として、「炭田」という用語もあります。

これに対して 「炭坑」は、炭鉱内に作られた 採炭用の坑道【竪坑、横坑、斜坑など】のことです。
石炭産業が衰退した現在、使われる機会も少なくなったので、用語について 一応の説明をしておきました。

中ノ島から 地図を北にスクロールすると、端島や中ノ島より大きい高島が現れ、その北部にも「史跡・高島炭鉱跡 高島北渓井坑(ほっけいせいこう)跡」があります。

3つの国指定史跡は 長崎市のページ で紹介されているように、幕末の佐賀藩・グラバー商会による外国資本・外国技術導入に始まり、明治・大正・昭和にかけて 近代日本の石炭産業が成立し、発展した跡を知る貴重な文化遺産です。

長崎市のページによると、中ノ島炭坑が稼働したのは 明治16年から明治26年まで(1883-1893)でした。
島嶼部に開発された近代海底炭坑の遺跡が残る島ですが、激しい出水で廃坑になったのは、僅かに10年後でした。

昭和35年国勢調査当時の西彼杵郡高島町の人口が、高島(DID人口15,879人)と端島(同5,059人)だけであり、「DID以外【中ノ島】には誰も住んでいなかった」[97508]状態になっていたのは、なんと 19世紀という昔に、廃坑→無人化されたという歴史があったからでした。

参考までに、この高島町は、DID制定5年前の 1955年に(旧)高島町【高島】と西彼杵郡高浜村大字端島名の区域との合併によって新設された自治体でした。[71965]
推測ですが、「大字端島名の区域」は、有人島の端島の他に 無人島の中ノ島を含んでいたのではないでしょうか。

冒頭に記したように、ここで 高島とその2属島を含む高島/端島炭鉱から 視点を広げて、「西彼杵郡に広がる炭鉱の島々」を対象にします。

Wikipediaを見ると、「西彼杵炭田」という言葉がありました。
初耳でしたが、「長崎県西部、西彼杵半島西部及に点在した海陸、島嶼の炭鉱群の通称である。代表的な炭鉱として高島炭鉱、池島炭鉱、端島炭鉱、崎戸炭鉱、松島炭鉱などがあった。」と説明されています。

前記史跡関係の資料においては「高島炭鉱」の一部とされていた端島が、独立の「端島炭鉱」とされており、少し相違します。以下、早期に廃坑になった中ノ島は省いて、「高島/端島炭鉱」という総称を使います。

「西彼杵炭田」は 学術文献にも使われている用語のようで、長崎県の炭鉱のうち 北松炭田は別として、蛎浦島や大島より南の島々にあった炭鉱を指すようです。2枚に分けた地理院地図を冒頭に示しました。

広島大学HPの炭田には 鉱山探訪2011/5【リンク切れ】から引用した長崎県の鉱山分布の地図がありました。同じ地図(Google画像検索結果)で、石炭鉱山の印である■を拾うと 西彼杵半島以南には 前記5炭鉱を含む8炭鉱が存在していました。崎戸[75121] 大島 松島 池島 伊王島 香焼 高島 端島です。

なお、島群コレクションには西彼諸島があり、8島の名が記されています。
この名については、2004年に[30575]を書いて疑問を提示してありましたが、それは 15年も前のことでした。
その際に、かつて炭鉱で栄えた高島や端島(軍艦島)が選ばれていないことを記しましたが、今回 長崎のしま紹介【西彼】を再確認したところ、平島 江島 松島 池島 伊王島/沖之島 高島 が地図で示され、端島についての言及もあり、だいぶ改良されていました。

余談:半島南端の樺島や橘湾の牧島も対象外となっており、コレクション記載の島名修正が必要であると思います。
私の考えでは 松島の北に位置する大島と蛎浦島(かきのうらじま)も、「西彼諸島」に加えておきたいと思います。
九州本土との間が架橋で結ばれ、現在の行政では離島扱いされていない「架橋島」ですが、本来的には「島の炭鉱」であることを強調したいのです。
[97535] 2019年 2月 14日(木)17:41:15【1】hmt さん
海と島(34)西彼杵炭田(2)崎戸 松島 大島 池島
高島/端島炭鉱に続いて、同じ三菱の崎戸炭鉱に移ります。

蛎浦島(かきのうらしま)は昔は沿岸捕鯨、その後は崎戸炭鉱で栄えた島です。
[75121]には書いてありませんでしたが、「崎戸島」は炭鉱のある島の西隣にある別の島です。
廃墟検索地図崎戸炭鉱をスクロールすると、県道の終点が崎戸島。

廃墟賛歌から要約。
崎戸炭鉱は 1907年から九州炭鉱汽船により採掘が本格化。1940年三菱鉱業崎戸鉱業所。戦時中の1943年には100万トン以上を産出。従業員7500人の日本有数の炭鉱となった。しかしその裏には強制連行による中国人・朝鮮人を含む労働者に対する過酷な処遇。
「一に高島、二に端島、三に崎戸の鬼ヶ島」と恐れられた時期もあったとか。

落書き帳では 15年近く前の記事ですが、1960年代の崎戸炭鉱での貴重な居住体験が残されています。
[34246] 2004/10/16 地球人さん
私は40年ほど前、まだ、炭鉱が盛んだったころの崎戸町に住んでいたことがあります。長屋暮らしで、上水道がなかったのか、水瓶がありました。公衆浴場は炭鉱が設置し、無料だったこと。映画館があったことなどを思い出します。以前、猫使いさんにも書き込みましたが[32514]、当時のアパート群が廃墟となってしまっていて、郷愁を誘われます。

高島/端島炭鉱や崎戸炭鉱は三菱の経営でしたが、西彼杵炭田には三井系列の炭鉱もありました。

三井系列と言っても、九州本土に 田川炭鉱や三池炭鉱という大炭鉱を持っていた三井鉱山(株)ではなく、中小炭鉱出自の三井松島グループです。

三井が地場資本の松島炭鉱に経営参加したものの、1917年の坑内火災、1929年の海底陥没、1934年の坑内出水と事故に見舞われ、松島鉱山は閉山しました。
そのような経営難の中で大島坑【大島は崎戸炭鉱のある蛎浦島の本土側の島】を開き、その利益で戦後開発したのが池島坑でした。
このように、松島>大島>池島と場所を変えなが 2001年まで採炭事業を続けたこの会社が、九州での石炭採掘事業の最終ランナーになりました。

松島炭鉱沿革
松島炭鉱(株)大島鉱業所沿革
松島炭鉱(株)池島炭鉱沿革

このグループの創業の地・松島の炭鉱跡には 1977年に電源開発(Jパワー)が進出して火力発電所を建設し、1981年には出力100万KW(50万2基)が運転を始めました。
三井松島産業は 輸入炭供給を通じて、現在も石炭の仕事を続けています。

また、日本で培われた炭鉱技術を海外に広めるため、1997年に設立された三井松島リソーシスは、2002年度からは国の「炭鉱技術移転五カ年計画」を受け、アジア諸国研修生に技術を教える研修施設に特化し、技術移転を推進しています。

石炭や三井系資本とは無関係ですが、大島には造船所ができており、1974年操業開始。

最後に DIDに戻り、[96482] 白桃さん が締めくくり。 
あとは落ち目の三度笠。中でも、高島、大島、崎戸の石炭で潤ったところの凋落ぶりは目もあてられない・・・
[97542] 2019年 2月 22日(金)15:42:35hmt さん
大角力・小角力
[97534] hmt
池島は 本土側の合併前境界線を角力灘に延長した線の南側になるので…

角力灘(すもうなだ)という地名が珍しかったので 地図を拡大したら、池島の南東に大角力、母子島(はこしま)、小角力という小島がありました。

調べると 角力灘に浮かぶ兄弟島の物語 というページに、大角力の写真と共に、旧・長崎県西彼杵郡外海(そとめ)町史に掲載されていた原文が紹介されていました。

兄弟げんかをする子どもたちへの教訓として創作されたとしても、荒々しい ドメスティック・バイオレンス。
現代には通用しない話ですが、美しい風景と共に、池島炭鉱坑道見学ページへのリンクもあり、紹介しておきます。
[97543] 2019年 2月 22日(金)19:04:50hmt さん
長崎2題
1 さるく
[97534]から続いた長崎県の島の話題に関する調査の中で、偶然「さるく」というページを知りました。

「さるく」とは、まちをぶらぶら歩くという意味の長崎弁だそうです。

ブラタモリの長崎版が放送されると「さるくタモリ」になる?…と思ったら、2015年度からのブラタモリ全国版のトップで放送されていたのですね。NHK
しかも、#2は池島炭鉱も訪れている。全く記憶なし。見落としたのか?

それはさておき、「おすすめさるく」「通さるく」「学さるく」出典 の他に、無料アプリの 長崎さるくナビ があるようです。

2 本石灰町(もとしっくいまち)
[28741] hmt
【元素由来地名で】試みに「石灰」を調べてみたら長崎市本石灰町、北海道石灰川、愛媛県石灰山
[93579] 駿河の民さん
本石灰は地名コレクション【職業由来地名】にありませんでした. 

同じ意味の「漆喰」から 「石灰」を「しっくい」と読むのですね。
くんち塾フォーラムには、唐人ことばが訛った「唐音」と説明しています。
長崎では天川シックイという。天川はアマカワ、マカオのことである。


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