都道府県市区町村
落書き帳

久栄村

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[98922]2020年1月6日
グリグリ
[98932]2020年1月6日
[98938]2020年1月6日
グリグリ
[98957]2020年1月7日
グリグリ
[99093]2020年1月19日
MI
[99097]2020年1月20日
グリグリ
[102282]2021年8月27日
サヌカイト
[102301]2021年8月30日
グリグリ

[98922] 2020年 1月 6日(月)19:23:57【1】オーナー グリグリ
久栄村
ご存知の方がいらっしゃいましたらご教示ください。

香川県の変遷情報として、1951(S26).4.1の久万玉村の新設合併があります。この件についてWikiには「綾歌郡栗熊村・富熊村が合併し、久栄村が発足。同日、久万玉村に改称。」という記事があります。当サイトの変遷情報にも落書き帳過去記事にも久栄村の情報は見当たりません。Wikiの情報は正しいのでしょうか。

#本件、十番勝負とは関連はありません。

【追記】角川地名大辞典に同様の記述がありました。
[98932] 2020年 1月 6日(月)21:39:48N さん
久栄村
[98922]グリグリさん
昭和26年の香川県報が見られれば何かわかるかもしれません。
香川県立図書館のページ
4・1 綾歌郡栗熊村と富熊村を合併して久栄村を置く(同日,久万玉村と改称)(香川県報)
とあります。

他の資料としては香川県町村会の市町村の変遷(PDF)にも載っていますね。
[98938] 2020年 1月 6日(月)22:12:03【1】オーナー グリグリ
Re:久栄村
[98932] Nさん
香川県立図書館のページに
4・1 綾歌郡栗熊村と富熊村を合併して久栄村を置く(同日,久万玉村と改称)(香川県報)
とあります。
他の資料としては香川県町村会の市町村の変遷(PDF)にも載っていますね。
早速の情報をありがとうございます。角川地名大辞典の説明とともに情報が確実であると考え、次の変遷情報を更新しました。

香川県 綾歌郡 栗熊村、富熊村を廃し、久栄村を設置、即日、久万玉村に改称

市制施行の際に同名回避などの理由で即日改称する例は雑学に掲載していますが、町村合併の際に即日改称した例も変遷情報の「改称」を検索するとかなりの事例が出てきます(改称を含む変遷情報一覧)。パターンを整理してみたいですが、上記の久万玉村と同様の例として次の2件がありました。

茨城県 稲敷郡 安中村、木原村を廃し舟島村の一部と合わせ、霞村を設置、即日、美浦村に改称
三重県 多気郡 三和町、斎明村を廃し、神郷町を設置、即日、明和町に改称

この2例は久栄村の久万玉村への改称と同様に、改称前と改称後の名称に連続性というか必然性がありません。どういう理由でこのような段取りとなったのか興味深いです。この他にも興味深い事例がありますので一度整理してみたいと思います。

【追記】
MIさんに[95663]で、市制・町制・新設合併等と同時改称の事例をリストアップしていただきましたが、霞村や神郷町のケースは含まれていますが、久栄村のケースはやはり入っていませんね。ところでこの件で、[95649]の課題が放置されていることに気づいてしまいました。なんとかしないといけないですね。変遷情報関連は手付かずがたくさんあるので。
[98957] 2020年 1月 7日(火)10:05:55オーナー グリグリ
Re:香川県の市町村変遷
[98952] Nさん
[98932]でリンクしたPDF資料と変遷情報のページ(とWiki)を見比べていて気付いた点が二点ありました。
・1890.6.13の安原下村→安原村の改称が、資料では町村制施行当日(1890.2.15)から既に安原村です。
Wikiも資料と同様です。
本件については、[64782]のむっくんさんの記事をご覧ください。
・1898.2.11の百相村→仏生山町の町制(改称)が、資料では1898.2.15です。
Wikiはどちらとも少し違います。※出作村の一部との合併日付が1890.2.15。町制が1898.2.11。
[81100]88さん、[95577]むっくんさんなどの記事をご覧ください
PDF資料の1898.2.15が誤植じゃないでしょうか。

いずれも過去記事を検索していただけるとこれまでの議論の経緯が子細に分かります。

変遷情報については、未処置の修正追加対応に加えて、改称などの変更種別の再検討など変遷情報の仕様に関わる課題が山積していますが、これまでの情報蓄積の経緯を考えると、安易に手を加えることも慎重にならざるをえません。課題については備忘録に整理していますが、手を付けるには覚悟が必要で、ついつい後回しにしています。久栄村の件も、過去記事に一度も現れていないことから、これまで見逃されていた事案と判断し修正に踏み切りました(ちょっとした覚悟と決断が必要でした(^^;)。
[99093] 2020年 1月 19日(日)21:22:23MI さん
Re:久栄村
[98932] N さん
[98938] オーナー グリグリ さん

 この話題に気づかずにおりまして、遅くなりましたが、
久栄村のケースはやはり入っていませんね。
ということもありコメント致しますが、久栄村の存在は全く存じませんでした。
 ただ、昭和26年5月21日の総理府告示165号では
地方自治法第七條第一項の規定により、昭和二十六年四月一日から、香川県綾歌郡栗熊村及び富熊村を廃し、その区域をもつて久万玉村を置く旨、香川県知事から届出があつた。
 昭和二十六年五月二十一日
    内閣総理大臣 吉田  茂
となっているだけなのです。
 久栄村に気づいていれば、以前香川県立図書館で県報を閲覧した際に確認していたのですがねえ。
[99097] 2020年 1月 20日(月)19:27:49オーナー グリグリ
「動物名の入った市区町村」リニューアル
市区町村雑学の動物名の入った市区町村を大幅にリニューアルしました。これまでは現存する市区町村と平成の大合併で消滅した市町村までを対象としていましたが、明治の市町村制以降のすべての市区町村を対象にしました。その結果、掲載市区町村数が大幅に増えたため、哺乳類、鳥類、その他の動物の3つのページに分けることにしました。

動物名の入った市区町村(哺乳類)
動物名の入った市区町村(鳥類)
動物名の入った市区町村(その他の動物)

哺乳類にはこれまで対象としていなかった「人」を追加しました。最も数が多いのが「鹿」で85件。次いで「馬」が83件となっています。鳥類では、「鳥」が50件、「鶴」が47件と多くなっています。その他の動物では、「亀」が36件、架空の動物の「竜/龍」が42件、十二支の「子」が85件です。ありそうでなかったのが、猫、羊、狸、鮒、鰻、雉、蛍などです。羊以外は、明治の町村制以前の町村名ではありましたが、羊は全く見当たりませんでした。変わったところとして「百足」は町村制以降はありませんが、それ以前では京都市に百足屋町(2ヶ所)がありました。

駒(若い元気な馬・二歳の子馬)、獅子(ライオン)、駿(足の速い優れた馬の意)、鵡(オウム科の鳥)など、多少微妙なものもあります。足、羽など体や器官を表す文字は対象としていません。

データのまとめ方については、その名称の誕生から消滅までの継続性に注目してまとめました。そのため、改称を伴わない市制/町制への移行や、合併でも同名町村が継承される場合は同一データとしてまとめてあります。例えば、鹿屋村→鹿屋町→鹿屋市は、鹿屋村の1889(M22).4.1村制を誕生日とする1データです。特殊な例として、鹿島町・鹿島村→鹿島市も一つのデータとしています。[99080]の鷹栖村については、鷹栖村が東鷹栖村に改称し同日鷹栖村を分立したことから、名称は継承されているとして一つのデータにまとめました。目黒村→目黒町→目黒区も1データとしています。[99093]の富熊村と栗熊村については、久栄村(同日久万玉村に改称)を消滅後の村としています。

鳩ヶ谷市(町)や逗子市(町)のように一度消滅した後復活したケースについても一つのデータとして扱いました。具体的には次の12例がありました(空白期間の短い順に並べてあります)。横浜市鶴見区と練馬区は町が市に編入されてから区が設置されるまでに空白期間があった特殊な例です。

都道府県郡/政令市市区町村名最初の消滅日復活日空白期間
大分県下毛郡耶馬溪町 (村)1953(S28).4.11953(S28).9.10年5ヶ月
神奈川県横浜市 (橘樹郡)鶴見区 (町)1927(S2).4.11927(S2).10.10年6ヶ月
鹿児島県姶良郡隼人町1954(S29).4.11957(S32).4.13年0ヶ月
埼玉県北埼玉郡鴻茎村1943(S18).4.11946(S21).5.13年1ヶ月
石川県鹿島郡田鶴浜町 (村)1934(S9).6.11939(S14).7.205年1ヶ月
高知県香美郡徳王子村1942(S17).4.11948(S23).4.16年0ヶ月
神奈川県(三浦郡)逗子市 (町)1943(S18).4.11950(S25).7.17年3ヶ月
埼玉県(北足立郡)鳩ヶ谷市 (町)1940(S15).4.11950(S25).11.110年7ヶ月
東京都(北豊島郡)練馬区 (町)1932(S7).10.11947(S22).8.114年10ヶ月
岐阜県郡上郡白鳥町 (村)1897(M30).4.11928(S3).11.1031年7ヶ月

郡上郡の白鳥町は31年7ヶ月を経ての復活です。動物名以外ですぐに思い浮かぶのは宮田村(町)ですが、このような空白期間のある市区町村名はかなりの数がありそうです。
[102282] 2021年 8月 27日(金)17:57:28【1】サヌカイト さん
茶番第17回 自由研究 ー久栄村ー
[102224]Nさん
斜張橋コレへの情報提供への対応ありがとうございました。またも調べの甘さがでてしまいすみません…。


 今回はわりと真面目な内容です。

久栄村。昭和26年4月1日、栗熊村・富熊村の合併により新設。即日改称で久万玉村となり消滅。

 僕は小3で香川県の廃止市町村の自由研究(パラパラ地図を写しただけですが…)をするにあたって、初期のころwikiを参考に枝図を書こうとしていたので、その存在を知りました。当時は即日改称がなんたるかも分からず、「久栄が不評で1日で変わったのかな」と思っていました。落書き帳では僕の意味不明な初投稿の1月ほど前に話題となり(「久栄村」の記事検索結果)、このように変遷情報を書き換えることで一応の終息を見ました。しかし、どうして即日改称なのか。や、久栄は何なのか。は分からずじまいだったので、ひとっ走り丸亀中央図書館まで自転車をこいで、綾歌町史を借りてきました。

綾歌町史 第6章第1節 久万玉村の誕生 から一部を略して引用します。

第一節 久万玉村の誕生
 戦後の復興の中にあって、社会生活に即応した行政機構の適正規模を求めて、全国的に町村合併が推進された。栗熊村と富熊村は、地勢、産業、風俗、人情などにおいて、古くから相通ずる点が多いし、中学校の関係もあって(サヌカイト注:昭和23年4月1日、栗熊中学校と富熊中学校が統合し、両村組合立「久栄」中学校が誕生していた)、議会や交渉委員会で研究協議を重ね、両村の合併を実現するよう努力を積み重ねた。
 <略:交渉委員>
 合併については、意見の調整や種々の困難な事情もあったが、委員の努力により昭和二十六年三月九日の交渉委員会で合併にふみきった。その時の合併条件は次の通りである。
 一、栗熊・富熊両村を廃し、新に設置せる村を久栄村(暫定)と称す。
 <略:選挙や所有について>
 七、役場の位置は、栗熊村大字栗熊東四二一番地とする。
 八、役場事務は、新庁舎の落成を見る迄久栄中学校を借受け之に充当する。
 九、栗熊・富熊両村は昭和二十六年三月三十一日を以て廃止し久栄村(暫定)は昭和二十六年四月一日発足する。
 十、旧富熊村大原部落が他日分離を主張する場合は、久栄村はその自由を拘束しない。
    昭和二十六年三月九日            栗熊村長 阿部久米次
                          富熊村長 真鍋 栄一
新村名選定の事由 新村名は交渉委員会に於て協議したが決定を見るに到らず、他日村民より募集するか、或は他の適当な方法で決定することとし、両村組合立中学校名の「久栄」を暫定的に使用することとした。
 その後、新村名を募集したところ多数応募があり、三月二十五日交渉委員会で審査し、次の通り決定した。
新村名 久万玉村(この地域を昔、隈玉郷と呼んでいたことにより、これを現代語の久万玉としたものである)
 <略:当選者>

 なんで即日改称が起こったのかよくわかる気がします(笑)。まだ村名も決まっていない状態で、3週間後に合併すると宣言するなんて無茶でしょう。しかも、村名が決まったのはなんと合併まで1週間となった日。そこから両村で議決を得て、県に承認もらって、住民に告知して…。無理ですね。そこまで4月1日にこだわる必要があったのか…。僕は昭和の大合併はもちろん、平成の大合併も市町村に目覚めたころには既に終わっていたので、合併の決定からどのくらいの期間を置くものなのか詳しくは知りませんが、それにしても短すぎる気がします。昭和のころは当たり前だったのでしょうか?当たり前じゃないから他に例が少ないのだと思いますが…。どなたか教えていただけるとありがたいです。

 久栄村に関しては、学校由来村名のようです。でも、久栄はいったいどこから出てきたのか。久万玉中学校(久万玉村の発足に伴い改称)のページを見ても載っていません。ただの瑞祥学校名か…と思ったその時、あることを思い立ち調べてみるとやはり合ってました。

上から一部抜粋
栗熊村長 阿部久米次
富熊村長 真鍋 栄一

あっ。村長の名前の最初の1文字の組み合わせだ(笑)。息子や娘じゃないんだから…。なお、このお二方は久栄中学校設立時も村長です(ただし町史には一切書かれていなかったので、ただの偶然である可能性もあります)。学校名を間に挟んでいるとはいえ、間接的には「合併市町村の長の名前を合成」した地名だったのです。これは他に例があるんでしょうか?人名由来市町村名はアーカイブをはじめとした過去記事やwikiなどで多数触れられていますが、存命の方の名を用いたり(朝霞や京極)、二人を合成したり(黒磯(←諸説あり)や今金)したものはあっても、長の名前の合成は聞いたことがないように思います。

 と、大きく書いてみましたが、結局のところは学校由来村名。それも即日改称。「暫定」を強調していましたし、はなから使うつもりではなかったが、時間が足らなかったということでしょう。
 なお、その後の経過として、1か月ほど安部氏が久万玉村長を務めたのち、真鍋氏が村長となり、昭和34年4月1日に岡田村と合併。綾歌町が新設され、再び真鍋氏が町長を務めたようです。

 まとめ 久万玉村の新設時に久栄村の即日改称という形をとったのは、無理に4月1日に合併しようとしたため。

 参考文献 綾歌町史 昭和51年発行

追記:グリグリさん 腰をお大事に。
[102301] 2021年 8月 30日(月)11:55:16オーナー グリグリ
Re:茶番第17回 自由研究 ー久栄村ー
[102282] サヌカイトさん
あっ。村長の名前の最初の1文字の組み合わせだ(笑)。息子や娘じゃないんだから…。なお、このお二方は久栄中学校設立時も村長です(ただし町史には一切書かれていなかったので、ただの偶然である可能性もあります)。学校名を間に挟んでいるとはいえ、間接的には「合併市町村の長の名前を合成」した地名だったのです。
素晴らしい研究調査です。久栄村の件、私もすっかり忘れていたのですが、過去記事を読み返して記憶が蘇りました。それにしても、両校長の名前(苗字ではなく)の組み合わせで中学校名を決めていたとは。校長の権限が絶大だった時代ならではの産物でしょうか。まぁそれでも、合併後の村名にそのまま使うのは流石に憚れたのか、改称を前提にしての村名だったのですね。今だから面白いと言えますが、大らかというか雑というか、すごい時代だったのですね。貴重な研究結果の記事を詳細情報から参照できるようにしました。


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