[102224]Nさん
斜張橋コレへの情報提供への対応ありがとうございました。またも調べの甘さがでてしまいすみません…。
今回はわりと真面目な内容です。
久栄村。昭和26年4月1日、栗熊村・富熊村の合併により新設。即日改称で久万玉村となり消滅。
僕は小3で香川県の廃止市町村の自由研究(パラパラ地図を写しただけですが…)をするにあたって、初期のころwikiを参考に枝図を書こうとしていたので、その存在を知りました。当時は即日改称がなんたるかも分からず、「久栄が不評で1日で変わったのかな」と思っていました。落書き帳では僕の意味不明な初投稿の1月ほど前に話題となり(
「久栄村」の記事検索結果)、
このように変遷情報を書き換えることで一応の終息を見ました。しかし、どうして即日改称なのか。や、久栄は何なのか。は分からずじまいだったので、ひとっ走り丸亀中央図書館まで自転車をこいで、綾歌町史を借りてきました。
綾歌町史 第6章第1節 久万玉村の誕生 から一部を略して引用します。
第一節 久万玉村の誕生
戦後の復興の中にあって、社会生活に即応した行政機構の適正規模を求めて、全国的に町村合併が推進された。栗熊村と富熊村は、地勢、産業、風俗、人情などにおいて、古くから相通ずる点が多いし、中学校の関係もあって(サヌカイト注:昭和23年4月1日、栗熊中学校と富熊中学校が統合し、両村組合立「久栄」中学校が誕生していた)、議会や交渉委員会で研究協議を重ね、両村の合併を実現するよう努力を積み重ねた。
<略:交渉委員>
合併については、意見の調整や種々の困難な事情もあったが、委員の努力により昭和二十六年三月九日の交渉委員会で合併にふみきった。その時の合併条件は次の通りである。
一、栗熊・富熊両村を廃し、新に設置せる村を久栄村(暫定)と称す。
<略:選挙や所有について>
七、役場の位置は、栗熊村大字栗熊東四二一番地とする。
八、役場事務は、新庁舎の落成を見る迄久栄中学校を借受け之に充当する。
九、栗熊・富熊両村は昭和二十六年三月三十一日を以て廃止し久栄村(暫定)は昭和二十六年四月一日発足する。
十、旧富熊村大原部落が他日分離を主張する場合は、久栄村はその自由を拘束しない。
昭和二十六年三月九日 栗熊村長 阿部久米次
富熊村長 真鍋 栄一
新村名選定の事由 新村名は交渉委員会に於て協議したが決定を見るに到らず、他日村民より募集するか、或は他の適当な方法で決定することとし、両村組合立中学校名の「久栄」を暫定的に使用することとした。
その後、新村名を募集したところ多数応募があり、三月二十五日交渉委員会で審査し、次の通り決定した。
新村名 久万玉村(この地域を昔、隈玉郷と呼んでいたことにより、これを現代語の久万玉としたものである)
<略:当選者>
なんで即日改称が起こったのかよくわかる気がします(笑)。まだ村名も決まっていない状態で、3週間後に合併すると宣言するなんて無茶でしょう。しかも、村名が決まったのはなんと合併まで1週間となった日。そこから両村で議決を得て、県に承認もらって、住民に告知して…。無理ですね。そこまで4月1日にこだわる必要があったのか…。僕は昭和の大合併はもちろん、平成の大合併も市町村に目覚めたころには既に終わっていたので、合併の決定からどのくらいの期間を置くものなのか詳しくは知りませんが、それにしても短すぎる気がします。昭和のころは当たり前だったのでしょうか?当たり前じゃないから他に例が少ないのだと思いますが…。どなたか教えていただけるとありがたいです。
久栄村に関しては、学校由来村名のようです。でも、久栄はいったいどこから出てきたのか。久万玉中学校(久万玉村の発足に伴い改称)のページを見ても載っていません。ただの瑞祥学校名か…と思ったその時、あることを思い立ち調べてみるとやはり合ってました。
上から一部抜粋
栗熊村長 阿部久米次
富熊村長 真鍋 栄一
あっ。村長の名前の最初の1文字の組み合わせだ(笑)。息子や娘じゃないんだから…。なお、このお二方は久栄中学校設立時も村長です(ただし町史には一切書かれていなかったので、ただの偶然である可能性もあります)。学校名を間に挟んでいるとはいえ、間接的には「合併市町村の長の名前を合成」した地名だったのです。これは他に例があるんでしょうか?人名由来市町村名は
アーカイブをはじめとした過去記事や
wikiなどで多数触れられていますが、存命の方の名を用いたり(朝霞や京極)、二人を合成したり(黒磯(←諸説あり)や今金)したものはあっても、長の名前の合成は聞いたことがないように思います。
と、大きく書いてみましたが、結局のところは学校由来村名。それも即日改称。「暫定」を強調していましたし、はなから使うつもりではなかったが、時間が足らなかったということでしょう。
なお、その後の経過として、1か月ほど安部氏が久万玉村長を務めたのち、真鍋氏が村長となり、昭和34年4月1日に岡田村と合併。綾歌町が新設され、再び真鍋氏が町長を務めたようです。
まとめ 久万玉村の新設時に久栄村の即日改称という形をとったのは、無理に4月1日に合併しようとしたため。
参考文献 綾歌町史 昭和51年発行
追記:グリグリさん 腰をお大事に。