都道府県市区町村
落書き帳

落書き帳での「校下」使用事例記事

… スポンサーリンク …



[10926] 2003年 3月 10日(月)21:27:41だんな さん
同窓
[10922]YJ3さん
私も1年生の入学から、2年生の10月まで在籍していたからです。
世の中は本当にせまいものですね。文集の号数からだと私より少し先輩でしょうか。すてきな思い出があってうらやましいです。

三馬「みんま」は「さんま」と言われませんでしたか?
はい、いわれてました。私は三馬小出身ですが家が弥生小の校区(当時は校下と呼んでた)との境目にあったので弥生小の子ともよく遊びました。

オーナーグリグリ先輩とともにオフ会ならぬ同窓会でもしてみたいものですね。
[11007] 2003年 3月 11日(火)22:23:17三丁目[YJ3] さん
Re:同窓
[10926]だんなさん
ネットで北国新聞を読むのもいいのですが、いかんせん、行動範囲が広くはない中学生で、金沢の土地勘がはたらくところと言えば、学校の校下と街の中心部、そして犀川沿いに自転車で行く県民プールといったところです。だから、新聞を読んでもあまりピンと来ないのです。だから、だんなさんが書き込まれる金沢方面からの話題を、楽しみにしています。

ところで、兼六園といえば、私が住んでいた頃に入園が有料化され、残念に思ったものでした。旧四校裏の公園(名前を失念しましたが中央公園?)と並ぶ、金沢市民の庭だったのに。年に何度か無料開放されていると聞きますが、年中無料のときに比べれば、行きにくくなったと思います。しかしながら、日本三名園の中では、最も変化に富んだ、美しい庭園である、と自負?してます。慣れ親しんでたから、余計にそう思うのかもしれません。

ちなみに、29号と文集の号数をかけば、だんなさんならお分かりになるだろうと思ったからでして、ご推察のとおり年次は上になります。だんなさんが、以前、市電廃止がご誕生前と書かれていたので、私の方が上なんだな、と気づきました。(どうもプライベートかつローカルな話ばかりでスイマセン)
[16196] 2003年 5月 31日(土)10:13:16オーナー グリグリ
ふぉろ~ ふぉろ~ VII (石川県・金沢市関連)
さて、久しぶりの個別フォローを。もう2ヶ月以上前の書込みになりますが...(汗
まずは、超ローカルネタですみません。最近、石川ネタ盛況のようですが、以下は2ヶ月以上前の石川ネタです。

[10922] 三丁目さん
ちなみに私は文集いずみの29号を、大事に、記念品のように持っております。
29号っていうと1978年かな。私は19号~21号を持っています。私も大事な記念品です。
懐かしくなったので探そうと思ったのですがすぐには見つかりそうもありません。代わりに、創立三十周年記念の同窓会名簿を見つけてながめてみました。校歌にある2000人は事実で、昭和39年の卒業生は全部で19クラスありますね。しかも、1クラス50名近い。

[10926] だんなさん
私は三馬小出身ですが家が弥生小の校区(当時は校下と呼んでた)との境目にあったので弥生小の子ともよく遊びました。
おや、ひょっとしたら私が最初に住んでいたところに近いかな。有松ですか。それとも泉本町。弥生小に対しては確かに対抗意識がありましたね。ところで、今は校下ではなくて校区と呼ぶのですしょうか。

[10941] しっちいさん
毎日1時間以上かけて、気動車と自転車(金沢駅より高校まで)で通っていました。
そうそう、私の高校でも北は高松、南は辰口から通っている人いましたね。私自身は自転車で10分という近さでしたが、冬の吹雪の日にも自転車通学していました。途中、田んぼ道がどこか分からなくて川に突っ込んだ思い出があります。新雪だと比較的スピードが出せるのですが、交差点など新雪の下が凍っている場合があって、右折する場合にたまにひっくり返っていました。今思うと怖いですね。まぁ自動車もそんなにいないしスピードも出してないから... 学校へ着くとすぐにスチームで凍ったズボンを乾かすのが日課でした。

[11013] だんなさん
そうなんですよ。有料化されてからはいかなくなりましたね。でも桜の季節は無料開放されるので毎年足を運んでます。
兼六園はやはり金沢出身者の憩いの場であり他者に誇れる場所ですよね。私の場合は通学路ではなかったですが、当時YHの活動で社会福祉会館に通っていたので、その行き帰りに兼六園に立ち寄ったものです。もちろん当時は無料です。中村記念館の裏手の階段から女短(現在は県立美術館)の横を抜けて成巽閣側の入口から兼六園へ抜けるルートは、観光客もいないひっそりとした散歩道で好きでした。

そうそう、社会福祉会館だったと思うけれど、当時はハイカラな紅茶専門の喫茶店があって、高校生のくせに生意気に時々通っていました。それが今の紅茶好きにつながっているのでしょう。

[11567] だんなさん
御指名ありがとうございます。たしかに「来金」ではなく「来沢」ですね。もちろん読み方は「らいたく」です。「らいさわ」だと元駐日アメリカ大使みたいですね。どうでしょうか?オーナーグリグリ先輩。
はい「らいたく」です。#先輩は面映い(前にも言ったような気がするけど)

[11666] あっちゃんさん
*今日はアド街ック天国、金沢なので楽しみですね★グリグリさん見てるのなぁ・・・。
見なかったですねぇ。新宿でお仕事中でした。
まぁ、金沢ネタが無い日は無いほどテレビに登場するので、少々食傷気味ですけど。

[13352] だんなさん
とくに書くほどではないのですがわれらが母校、金沢市立泉中学校は石川師範学校の跡地にできた学校です。オーナーグリグリ先輩は御存じでしたか?
もちろん知ってますよ。学校が建っている土地にはいろんな噂(怪談)がありましたね。

あと、泉中学で強烈な思い出は、昭和44年の2月だったと思いますが、航空自衛隊のF104Jジェット戦闘機が金沢市内に墜落した事故です。ちょうど土曜日の4時限が終わる頃で、反対側の校舎の屋上に生徒が大勢出てきて騒いでいるので何だと思っていたら、ジェット機が墜落するのを見たという生徒が隣の教室にいて大騒ぎになりました。すぐに、校舎の端の音楽室に行き4Fの窓から現場を見ると、すぐ近くにものすごい炎の柱が吹き上がっていました。これは大事故だと身が震えたものです。とくに、家が墜落現場の近くの生徒はもう顔が真っ青の状態でした。大事故にもかかわらず住民の死者が4名だったのは、たまたま墜落現場の町内会が慰安旅行に出掛けていて、残っていた住民が少なかったためです。NHKがその後テレビカメラを屋上に持ち込んで取材をはじめましたが、その頃はすでに黒煙だけになっていました。あの炎柱の凄まじさは今でも鮮明に目に焼き付いています。パイロットは日本海に機首を向けて脱出したのですが、機体がカーブを描いて市内に墜落したもので、カーブの具合では我が校舎を直撃していた可能性もあり、あらためて恐怖を感じたものでした。墜落原因は落雷です。その日はしばらく学校に待機した後、墜落現場を迂回するように雪の残るぬかるんだ道をいつもより時間を掛けて帰宅しました。
[16247] 2003年 6月 1日(日)10:09:40【1】だんな さん
れーきしのあーゆーみ、いーくーちーとーせー
[16196]オーナーグリグリさん
いつも貴重なページを開放していただきありがとうございます。
今回は超ローカルネタになるので他のみなさんには申し訳ない気もしますが…

私は19号~21号を持っています。
#先輩は面映い(前にも言ったような気がするけど)
先輩どころか大先輩でございましたね。

ひょっとしたら私が最初に住んでいたところに近いかな。有松ですか。それとも泉本町。
実は泉2丁目が実家でございます。しかも同じ町内で2回引っ越しました。小学校に上がる前は弥生校区側に住んでおり、その後三馬校区側に越したかたちになります。といっても用水一本渡っただけなのにね。その用水(泉用水)が旧の金沢市と三馬村との境界になっていたわけでそのまま小学校区の境になっていたんです。
今は校下ではなくて校区と呼ぶのですしょうか。
数年前まで「校下」と言っていたのですが、差別的意味があると問題視され「校区」と改められたようです。でも無意識に校下っていってしまいますね。

泉中学で強烈な思い出は、昭和44年の2月だったと思いますが、航空自衛隊のF104Jジェット戦闘機が金沢市内に墜落した事故です。
私の生家が墜落現場のすぐ近くにあり、それはもう大惨事だったそうです。というのはまだ私がうまれる前で、当時の事は知る由もないのですが、親や近所のひとからいやというほど聞かされたので子供心に恐怖心が残りましたね。また最近までタクシーに乗って「飛行機が落ちたところ」と言えばたいていの運転手さんはわかりました。それにしてもその現場を学校から見えたというのはやっぱり大先輩ですね。職場のかたで何人か同じ体験をしている泉中OBがいらっしゃいますのでもしかしたら同級生のかたがいるかも知れませんね。
[18319] 2003年 7月 14日(月)09:51:08だんな さん
高校のある村in甲信越・東海
落書き帳のありかたについてみなさんいろいろ思っていらっしゃいますが、私もどのへんまでが地理ネタに該当するのか判断するのが難しいです。とりあえず節度ある書き込みをしていきたいと自戒します。

[18043]三丁目さん
だんなさんのカメルーン配色も斬新だし
[18271]オーナーグリグリさん
実はこの配色はだんなさんから加賀百万国に相応しい色をと言うことで私が選定しました。本当はもう少し九谷の緑を強調したかったのですがうまくいってないです。
そ、そうだったんですか。私はてっきり北陸鉄道からとったものかとばかり思っておりました。右上がラインカラーで、左上が廃止された市内電車(青電車)のボディカラーと勝手に解釈しておりました。そうなったら下の色は謎のままなんですけどね(苦)。

閑話休題、高校のある村ですが続いて甲信越・東海編です。北陸4県については拙稿[17966]を参照ください。

長野県白馬高校北安曇郡白馬村
下高井農林下高井郡木島平村
中条高校上水内郡中条村
北部高校上水内郡三水村
上伊那農業上伊那郡南箕輪村
阿智高校下伊那郡阿智村
山梨県なし分校はあり
岐阜県なし
静岡県なし
愛知県海南高校海部郡十四山村
作手高校南設楽郡作手村
三重県昴学園多気郡宮川村

さすがに全国で一番村が多い長野県には6校もあります。面白いところでは三重県の昴学園高校は県立ではめずらしい全寮制の総合制高校で95年に開校した新しい学校です。村をあげてバックアップしているみたいなので村の活性化に欠かせない存在のようです。
[28212] 2004年 5月 13日(木)03:21:16EMM さん
マンモス校は世につれ場所につれ
[28169] ズッキーさん

[28170]の記事を書き終えた直後に上記の記事を読んだのですが、眠かったのでレスが1日遅れになってしまいました。

私が中学生だったのは約20年ほど前ですが、中3当時で3学年合計44クラス、全校生徒約1860人(端数を忘れた)で、その当時の県内最大のマンモス校でした。
隣の地区の中学校もほぼ同じぐらいのスケールで、数名~十数名差でトップの座を争っていました。
しかし、卒業後、私の出身校、隣の中学校とも分割されてしまいました。今は新設されたほうの中学校の校下になってしまっています。
私の出身校・新設校ともに私の中学生の頃の半分もいない学校になってしまいました。
[28131]にも増して出身校がどこだか特定しやすい内容だ…)

ちなみに、当時としては全国的に見ても公立中学校では割合と大きい部類だったのではないかとおもいます。
検証したわけではなく、大学の他県出身の友人や先輩後輩の話、中学の修学旅行の時に法隆寺で他の県の中学生が13組・14組の旗を見て驚いていた、と言う目撃談から勝手に思っているだけなのですが。

しかし、同じ中学の卒業生である私の父(戦後まもなく生まれ)によると、父のちょっと下の学年…第1次ベビーブームの年代ではクラス数は私の学年と同じくらいだったけど人数はもっと多かったと言います。
これはどういうことかというと年代によって1クラスの人数の上限が変わっているのです。
父の年代では1クラス最高50人でした。ただし、教室がどうしても足りない場合は50人以上になることもあったようです。
(母…グリグリさん・だんなさん・三丁目さんと同じ中学校の卒業生…が50人以上いたクラスがあった、と言っていました)
私の年代は45人でした。現在は40人になっています。
50人から45人になったのはいつ頃かわかりませんが、45人から40人になったのはたしか昭和61年だったと思います。
だから、例えば同じ1学年12クラスだったとしても、年代によって若干人数が変化してくることになります。
また、1つの学校の人数がどれくらいまでなら適正か、規模が大きくなりすぎたらどうするか、と言うのも年代によって違っているようです。
戦後しばらくは生徒数が増えても学校の新設がされることが少なかく、隣の中学校との通学区域の変更や敷地内での建て増し、分校の設置等で対応していたようです。
また、昭和30年代~50年代にかけては大都市近郊での宅地化の急激な進展や大規模団地の整備等で生徒数が短期間で激増し、新しい学校の建設が間に合わないために既存の中学校にかっつめてしまった、と言うこともありました。
そのためべらぼうな生徒数になってしまった学校があちこちにあったようです。
ネット検索で調べてみた中で一番生徒数が多かったのは名古屋市立城山中学校の昭和36年度で、3学年合計で約4300人だったそうです。

参考:城山中学校ホームページ
    http://www.shiroyama-j.nagoya-c.ed.jp/

これが戦後の公立中学校での日本記録なのかどうかはわかりませんが、トップクラスの記録なのは間違いないと思います。
50人学級だったとすれば1学年平均28~29クラスです。
これとくらべたら、1学年12~14クラスの学校では「まだまだ小さい」と言われてしまいますね。

一方、現在ですが、第2次ベビーブームの年代の前後に大規模校の分割が相次ぎ、その後少子化に転じたため各地で中学校の規模が小さくなってしまい、一学年7~8クラス以上(全校生徒800人以上)の学校がマンモス校と呼ばれているところが多いみたいです。
1学年12クラス(全校生徒1400人前後)あったら超マンモス校ですね。

なんだかまとまらなくなってきましたが、ムリヤリまとめれば「1学年12クラスの中学校と聞いても、年代やすんでいる地域によって、大きな学校だなと思う人もいれば、まだまだ小さいじゃないかと思う人もいる」、と言うことで。

私ですか?
自分の中学生当時を振り返れば1学年12クラスでは「もうちょっこしかな」と言いたいところですが、中学校が分割されたあとの状況からすれば1学年12クラスもあれば「でっかい学校やぞいね」と思いますね。


※内容をまとめるのに思いのほか時間がかかってしまいました。ナンバープレートの話題のレスも書きたかったのですが、寝る時間が無くなってしまうので次回と言うことで。
[39941] 2005年 4月 17日(日)15:41:29EMM さん
♪来々来々猫飯店
またわかる人にしかわからないタイトル…

新聞などでは金沢に来ることを「来沢」と書かれることがあります。
読みは「らいたく」。
でもやっぱり話し言葉としてはほとんど聞くことがありません。
また、金沢から帰ることを表した言葉は見ないような…
「帰沢」では「帰宅」みたいだし。

新潟では何かあっただろうか、と思い新潟日報HPに行ってみたものの、試しに「来潟」「来新」で検索したものの出てこない。
次にYahoo!で検索してみると、新潟に来ることの表現として「来潟」「来新」が使われることが多少はあるようでした。
ただし「来新」は全然関係ない言葉の方が多く引っかかってくるため、新潟に関するものがどれくらいなのかがよく分かりません。
(来新では新見市関係も引っかかっていたような。)
さらについでとして富山、福井で同様の用語が使われているかも調べてみたものの、やはり関係ない言葉(福来たるの「来福」、富来たるの「来富」があまりに多すぎて…)に邪魔されよく分からない。

この「来○」という表現、多用される町って意外と限られるのかもしれません。



#石川でも「全県」という表現はされますが、テレビの天気予報ではそのほかに「県下一円」という表現も良く聞きます。
[39922]紅葉橋瑤知朗さんの疑問に対する皆さんのレスを見ていて、これって「校下」と同じ方言だったりしないよなぁ、とふと考えてしまいました。
ATOKには登録されてたので方言ではない、と思うのですが…
皆さんのところでは「県下」「県下一円」というのは使われてますか?

##「校下」は「通学区域」のことを指す石川・富山の方言。
ただし、地元ではこれが方言だと言うことをしらない人の方がおおい。
落書き帳を記事検索してみると、通学区域としての「校下」というのを使用しているのは私、グリグリさん、だんなさん、ありがたきさん、三丁目さんと見事に金沢関係者ばっかり。
[40038] 2005年 4月 19日(火)00:47:58オーナー グリグリ
校下(漢字変換できなかった)
[39941] 2005 年 4 月 17 日 (日) 15:41:29 EMM さん
##「校下」は「通学区域」のことを指す石川・富山の方言。
ただし、地元ではこれが方言だと言うことをしらない人の方がおおい。
落書き帳を記事検索してみると、通学区域としての「校下」というのを使用しているのは私、グリグリさん、だんなさん、ありがたきさん、三丁目さんと見事に金沢関係者ばっかり。
あぁ、そうですね、この話題がありましたね。私もてっきり標準語だと思っていました。しかし、記事検索結果は見事ですね。当たり前と言えば当たり前なんですが。
[43190] 2005年 7月 22日(金)00:38:34EMM さん
資料探しと整理の仕方に対する考え方次第なのですが、
[43173] 般若堂そんぴんさん

とりあえず、般若堂そんぴんさんの引用された私の文中では「住所として現在でも残っている町名」と言うつもりで書いてます。
笠津前浜さんがコレクション対象として想定されたのも多分同様であろう、と思います。

そして「通り」の名称とか通称とかなどでは使われているはどう判断するかですが…
地名コレクションでは必ず項せなならん、というのは決めていないのでありまして、編集担当者の線引き次第でどこまでがコレクションに記載する対象となるかが変動してくるのです。

編集長としての立場からですと、最終的には担当者の判断、採用になる場合もあり得るし、ボツになる場合もあり得る…と言うご返事になってしまいます。

また、もし私が編集担当となったらどう考えるかですが(あくまで仮定の話です。実際に編集をされる方の編集方針を規定してしまうものではありません)、例えば「鉄砲町」コレとか「紙屋町」コレとかみたいな感じで特定の地名毎にまとめるんであれば住所として残っているもの以外のところまで集める、「職業由来町名」みたいな感じで広ーい範囲をまとめるんであればさしあたり現在住所として残っているものだけひたすら集め、だいたい網羅したらそれ以外をどうするか悩む……と言うことにするでしょう。
ただ、繰り返しますがあくまで「私が編集するんだったら」という話です。担当される方によってどうするかは異なってくるでしょう。
逆に、そんぴんさんだったらどうしますか?と言うこともお伺いしたいところです。
あんまり答えになってませんか………

#どこまで調べるか、はどんな資料を用いるか、でも規定されてしまいます。
「住居表示のモデル都市」として旧来からの町名が住所から大量に消されてしまった我が金沢市を例にとると、旧町名は(職業由来に限らず、全般的に)通りの名称、交差点名、バス停名、小中学校名、自治会名・町内会名…などの形で「生き残って」おります。
その中で、多くの皆さんが地名コレクションの資料として使っているウオッちずでは小中学校名、マピオン/Yahoo!地図ではそれにプラスしてバス停名・交差点名は比較的多く検索で出てきますね。
でも網羅されているかというとそうではない。
そして通りの名称、と言うことで言うとこれらの地図サイトは×です。でもまだ探しようがあるかもしれません。
しかし、自治会名・町内会名となると………調べられる資料ってあるんだろうか??
金沢市成立時の市域で考えると、住所としては消滅してしまった旧町名のおそらく8割くらいは町内会名として残っているのでは?と推定しています。
でも、市内全域、ましてや全国にあまたある町内会名を具体的に調べられる資料があるのかどうかが分からない…
市内に限定すれば市役所ならば持っていそうなのですが…
(自分の住んでいる校下以外は、正直なところどんな町内会があるのか分かりません)
[44503] 2005年 8月 26日(金)01:21:25【2】EMM さん
「寺町」&「職業由来地名」ほか
[44463] 笠津前浜さん
どうぞどうぞ、喜んでお譲りしますよ(^-^)/
すいません、わがまま言って…
実は「とある点」に物凄く心引かれたのです。
その「とある点」は実際の「寺町」コレクション作成の際に反映予定。
ご期待下さい。

…と、その前にこのままではリリースがいつになるか分からなくなってしまうので、先に「鳥越」コレクションに手を付けることにしました。
「岬めぐり」がちょうど地方の切れ目、と言うこともありましたので。
「鳥越」→「寺町」の予告編→(「谷内」?)→「岬めぐり」「希少地名」「寺町」の同時進行、と言う順番で行く予定です。
(「谷内」はまとめ方を思案中)


これだけでは何なので、ちょっと情報提供。
実は金沢市の旧町名がずらっと並んでいるサイトを発見しました。
それはここ
小学校の校下割りの表のため、現在の町名との対比ができないのがちょっち残念なのですが。
それに、ほとんどが町名としては消滅してしまっているのでそのままコレクションに反映できる訳ではないですが、今後のヒントになりそうな旧町名をピックアップしてみます。

・台所町
台所があった…のではなく、たしか金沢城の台所方が住んでいた町、だったはずです。
横手市台所町、和歌山市三木町台所町あたりも関係ありそうかも。

・百姓町
前田利家が金沢城に居城を写した際、城下町を周囲の農村部まで拡大したのですが、その際に元々住んでいた農民がそのまま同じ地に住み続けていたことから付けられた町名だそうです。
松江市中原町百姓町も何となくそんな感じ。

・小将町
…は現存していますしすでに反映もして頂いてますが、一般的に使われる漢字「小姓」も町名に残ってます。
山形市小姓町、姫路市小姓町、四万十市中村小姓町、四万十市中村上小姓町。

・母衣町
母衣衆とは背中に母衣を付けて戦場を駆けめぐる主君直属の使い番。
織田信長は馬廻衆や小姓などの中から勇猛なものを選んで黒母衣衆・赤母衣衆を組織しており、前田利家は赤母衣衆の筆頭でした。
そして前田利家も信長に習い家臣団の中に黒母衣衆・赤母衣衆を組織しており、その住まいのあったのが母衣町です。
松江市母衣町も同様の由来ではないかと考えます。

・御歩町
「おかちまち」。「御徒町」と書く方が多かっただろうと思います。
徒衆・徒組=歩兵部隊のことで、徒組・徒衆の住んだところが「徒町」「御徒町」「御歩町」と名付けられています。
弘前市大字徒町、和歌山市徒町、宇和島市御徒町。
東京都下の「御徒町」と言えば第1回公式オフ会開催地でありますが、駅名に名を残すも町名としては残っていない。残念。

その他にも職業由来の町名は散見されますが、板前町、象眼町、大衆免(だいじゅめ)あたりは他の地方でも残っていないような地名だけにちょっともったいない。
特に「象眼町」なんてのはいかにも金沢らしい町名なんだろうけどなぁ。

#大衆免は近隣にあった寺の僧衆=大衆(だいじゅ)の御料地で、税金が免除されていたことから大衆免という地名になったところです。現在の森山1丁目
この森山1丁目、ごく小さい町ですがこの中に旧町由来の町内会が十数もひしめいているという…。


それと、職業由来町名とはちょっと離れますが、
[44484] U-4さん
中川区供米田(くまいでん) 熱田神宮への供物用の米の生産地
金沢市内に御供田町(ごくでんまち)というところがありますが、これも供物用の米の生産地であったことに由来する地名です。
供米田は名古屋市内にしか残っていないようですが、御供田は京都市・大東市など全国に何か所か残っているようです。
[54653] 2006年 10月 29日(日)07:09:12EMM さん
今回もいきなりブレイク
ああ、そろそろ校下の防災訓練に出かける準備をせねば…
とりあえず問六が答えてあるので少しは安心であろう、と思っておこう。
他の問も出かけてる間に解が無くなりませんように。
[55116] 2006年 11月 12日(日)19:10:39【1】EMM さん
「全国の市十番勝負(第十三回)」感想文
すでに[54855]で軽く触れてますが、今回は初日に2度の短時間の外出の予定が入っており、さらにうっかり寝てしまったり家の手伝いが出てきたりしたために朝の出題から夜寝るまでに計4回戦線離脱する羽目になりました。
でもそのおかげで元来が尻馬型の人間としては適度な後追い状態となり、かえって良いペースで考えていくことができました。
さらに早々に「問題番号にからんだ出題」という傾向に気付いたこと(疑惑を確信にまで持って行けたのは人生の先達たる白桃御大のおかげ)、全ての問が過去に類問・同問があったものばかりだったこともプラスに働き、結果第六回以来2回目の完答一抜け、第八回以来3回目のノーヒント完答、そして十番勝負初参加以来9回連続完答と相成りました。
正直なところ、月曜の朝までは「なんだか上手く行きすぎだ。あと2問はすんなりいかないんだろうなぁ」って思ってたんですが、あんなにすんなり解けるとわ(^^;;;
(前回・前々回と完答はできたものの順位的には沈没状態でしたので…)

---------------------------------------------

では、各問についてのあれやこれやは、例によって正答順に。

問四:鳩ヶ谷市(銀)
都道府県市区町村トップページのGoogle検索でお題を検索してみたら市町村雑学新井市ってどう読むの?がトップでかかってきました。
確認すると、県内4市の所にお題が全部ある上、泉佐野市がダブっているので[54638]JOUTOUさんのコメントにもある通り想定解数にぴったり合うので間違いないと確信。
「日の目を見ない市」から鳩ヶ谷市を解答。

(合わせて問六を解答後、校下の防災訓練のため一時外出)

問九:射水市(銅)
帰宅後、ウイキペディアで問九のお題や既解答の市の情報を見ていたら、人口9万人台の市がゴロゴロしている。
唯一おかしかったのが江南市でしたが、データが2000年国勢調査のものだったので、2005年国勢調査の速報値で確認したところ9万人台になっとる柳井ですか。
数少ない北陸の解、射水市を解答。
私にとっては貴重な解…
は北陸狙いとしては貴重な解、と言うつもりだったのですが、結果として今回ただ1つの貴重な「銅メダル」と言うことにもなりました…

(考えているうちに眠たくなってきたので13時頃まで寝てしまう)

問二:金沢市(7位)
お題や既解答の市を見ると比較的面積の大きそうなところが並んでいる。
でももう一つ気になったのが、
[54654] 白桃さん
今回ひょっとして…
[54661] 白桃さん
やっぱし・・・
の2つのコメント。
まだ問六が明後日の方向を向いていたものの、問四・問九の共通点の件もあり「もしかして面積2位とか?まさかねぇ?」と思って確認したら、大ビンゴ。
喜び勇んで金沢市を解答。
この時点ではまだ出題傾向については疑問の域を出ておらず、「第六回の時みたいに一部分だけでないか?」と思ってました。

問八:常総市(4位)
これまたウイキペディアでお題・既解答の市の情報を見ていたら、全部の市に「八」の付く市町村が接しているのに気付いてしまいました。
「日の目を見ない市」から常総市を解答。
この時点で疑問は確信に近づいてきましたが、まだ問六が???状態。

問三:南砺市(銀)
Yahoo!地図を見ていたら、神埼市と加賀市に接している隣県の市がそれぞれ3市なのがふと気になりました。
(ウイキペディアの神埼市のところが間違っているのもこの時点で確認)
で、他の市も確認したらやっぱり3市で、町田が4市。
とりあえず北陸で該当するところを探し、南砺市を解答。

(問三を解答したところで用事がありしばらく外出。その間に[54701]白桃さんの投稿があり、問六×の可能性に気付かされる)

問六:東松山市×→つくばみらい市(13位)
見事にしてやられました。
出題直後の解答ラッシュを見て「訓読みで東西南北の入った市か?」と思い数えてみたらどうもそれっぽい、と言うことで自信満々で東松山市を解答した、のですが…
[54701]白桃さんの投稿を見て、問六の結果次第でその後の考え方の方向が決まる、と思って待ちかまえていたら案の定の大五等列島!
17時45分頃帰宅したら再答ラッシュになっていたもののまだ解に余裕があったので、目に付いたところからつくばみらい市を解答。
なお、この時に別解も落ち着いて数え直しているのですが、[54714]でも触れている通り数え方によっては別解の想定解数は31では無い(と言うか極めて微妙な差違の別解ができあがる)のです。
そこら辺は別稿で。

問五:那覇市(8位)
お題・正答のうち鳴門市以外は市制施行日が5月。
一瞬悩みましたが、鳴門市の市名変更日を調べたらやっぱり5月で「市名の決まった日が5月中」と言うことだろうと確信。
北陸にも「日の目を見ない市」にも解がなかったので、目に付いた那覇市を解答。

(このあと晩飯喰って、家の手伝いして、風呂入って…で23時頃まで手をつけられず)

問十:福井市(銅)
「十、十…な~んかあるやろか?」と思いつつ、またまたウイキペディアを見ていたら、金沢市のところに書かれた「四十万駅」がふと目に止まりました。
そう言えばお題に十日町市(十日町駅)も有るがいや、と言うことで他の市も調べてみたら大ビンゴ。
あわててYahoo!地図で検索し、北陸から福井市を解答。
…と言うことで、本問に関してはなると金時さんの直後に解答しているのは全くの偶然です。
ただ、あとから地図で確認したら、福井市の該当する駅「三十八社駅」ってこんな所にあるんです。
地図によってはホームが半分くらい鯖江にまたがっているように書いてあったりもしますし、そもそも駅の敷地分だけ福井市が鯖江市に食い込んでいるような形になっているため縮尺次第では全域鯖江にあるように見えたりもする。
調べてみると戸籍上も福井市になっているようなので良かったのですが、解答時に地図まで確認していたら別の市で答えてた加茂。

(さらに問七を解答後、就寝。)

問七:南砺市×→三鷹市(銀)
夜のうちに答えた南砺市は、[55101]88さんが書かれているのと同じ「7市町村に接している」と言うところでヤマを張ったもの。
でも正直なところ、これだと朝霞が変。
朝霞は市区町村だと7つになるのですが、そうすると今度は山形が変。
まぁ違うだろうと思っていたら案の定×(^^;;;
で、仕事時間中ほっぽらかして置いたら、就業時間間際になると金時さんの「大阪狭山市」という解答が。
地図でも見たら何か分かるやろか、と思ってまず大阪狭山から見始めたところ、視界の隅に「第七小」という文字が…。
まさか、と思って検索で確認するとお題中4市に「第七小学校」がある…ものの数が少なく、しかも調布市には無い。
じゃあ何か代わりのものが?と思って調布市を調べたら「第七中学校」がある…と言うことでこちらも検索で調べると、それぞれの合計が想定解数とぴったり来る。
しかも高崎について調べたら「榛名町立第七小学校が市町村合併に際して地名を関した校名に変わった」事も判明。
多分これだ…と言うことで最初は中学校のある市から選ぼうとしたものの、若干不安になったために「第七小も第七中もあり、なおかつ八代市などのように校名に余計なものがくっついていない」ところで答えておけば無難だろう、と言うことで三鷹市を解答。
何はともあれ、こちらに関してはなると金時さんのおかげで正答にたどり着けました。

問一:加賀市(4位)
[54729]白桃さんのコメントから数えるのは難しくないのだろうと思いながら色々調べても共通点らしきものが思いつかない。
なので投げ出して寝ようとしたのですが、ふと「パッと見ィ共通点らしいもんが無いっちゅうと、例えば前回の問十なんかほうだったいな。一に関係しとるはずやし、例えば過去の問一のお題とかで、ダブりとか無くなった市を省くと56になる、とかあったりして?」と思い確認してみると………これがまさに大ビンゴ。
(とは言っても最初は岡山のダブりを見落として投げかけたのですが…)
北陸から加賀市を解答しつつも、「ホンマかいな?」と言う思いもちょっと残ったので
♪もし~やぁも~しやぁのぉ?
えーホントに~???
とか書いた訳ですが、無事○で完答一抜けとなりました。あー良かった。

---------------------------------------------

以上、全体的な流れを振り返ってみると、「ウイキペディアが結構役に立った」「いわゆる企業秘密法は出番がなかった」というのが今回の特徴でしょうか。
あと、金も遠いけど負けないぐらい銅メダルも遠い(^^;;;;
でも出題傾向の件がなければ問一、問七、問十はかなり遠回りしたでしょう。
いろんな意味で「ツボにはまった」回だった、と言えますね。
次回はこう上手くは行かないだろうとは思いますが、まずは完答目指して頑張ります。
[57079] 2007年 2月 28日(水)00:47:55【2】EMM さん
半鐘…と言うか火の見櫓の話
[57033] faithさん
[57047] 油天神山さん
[57065] hmtさん
[57075] faithさん
[57076] YSKさん

金沢市では消防団の分団の車庫の近くに火の見櫓が建っていて、上に半鐘がぶら下がっています。
自分の校下にある火の見櫓(小学校のすぐ近くにあった)以外は、あんまり意識して見ていないので「多分ほかの分団のところにもあったはず」程度の記憶しかなかったりしますが…
ただ、ジャンとなる機会はほとんど(全く?)無いみたいですね。うちの校下の火の見櫓は、分団の人たちが消火に出動したあとのホースの干し場になってます(^^;

さて、半鐘の歴史はhmtさんが詳しく書かれていらっしゃいますが、こと明治以降においては半鐘は消防、特に自治消防組織(集落や地区ごとの消防団)の整備と切っても切れない関係にあるようです。
ウィキペディアの火の見櫓によりますと、昭和初期には全国に火の見櫓が整備されており、自治消防組織の体制が現在でも引き継がれているところでは現在でも火の見櫓が比較的残っているようですが、自治消防組織が自治体の消防本部や消防署に集約されてしまったところでは撤去されてしまったところが多い…と言うことが書かれており、これからすると現存する火の見櫓が多いか少ないかに地域的な差があっても不思議でない、と言えるようです。
faithさんのお住まいの地域は自治消防組織が集約されてしまったところなのかな…と想像していますが、「回りが立て込んできて実用的でなくなり、代替の設備も整備されたので撤去した」地域もあるとのことなのでそっちなのかもしれません。

あと、ところによっては火の見櫓が「集落のランドマーク」となっているところがあるようです。
例えば、以前茨城県に出張に行く際にいばらき路線バス案内所と言うサイトで行き先のバス路線を調べたことがあるのですが、その時にポツポツと「○○火の見下」というバス停が見受けられたんですね。
あと、実際に茨城に行った時に交差点名でも同様のものがあった記憶があります。
石川ではあまりそう言う事例を見かけないので記憶に残っていたのですが、これからすると茨城県では火の見櫓が身近な存在である地区が多い、と言うことになるのではないでしょうか。
そう言えば、盗難被害が多発したのも茨城県でしたっけ…


※てにおはの訂正など
[59254] 2007年 6月 19日(火)01:37:31EMM さん
地元ネタ2題
[59236] オーナー グリグリ様
金沢のレンコンというと八田みみずの八田辺りが産地だと思っていたのですが、調べてみると、旧小坂村が産地だったんですね。それとも小坂村周辺として八田も産地に含まれているのでしょうか。
加賀れんこんの概要については金沢市農産物ブランド協会と言う団体が作っているいいね金沢 加賀野菜と言うHP中のれんこんの説明ページが分かりやすいです。
栽培が始められた江戸時代は大樋町付近での栽培だったので「大樋れんこん」、明治に入り小坂村内で広く栽培されるようになり「小坂れんこん」、後に県外出荷される分は「加賀れんこん」とも呼ばれるようになっています。
小坂村内でも元々は小坂・三池・神宮寺・大衆免(現・元町付近)・浅野と言ったあたりが主な栽培地だったのですが、金沢の市街地が拡大するにつれて浅野川に近い方はレンコン田が無くなっていき、その代わりに小坂村でも北の方…現在の千坂小学校校下の方に広がっていったようです。
それでも長らく小坂町・三池町が栽培の中心だったのですが、小坂町はここ20年ほど、三池町にしてもここ10年ほどの間にレンコン田が激減してしまい(かろうじて0ではない)、旧小坂村域での現在の栽培の中心は横枕町・金市町・千木町付近…丁度金沢東インターの周辺…となっています。
現在は旧小坂村以外の地域…薬師谷とか、才田とか、津幡町とか…にも広まっていますし、小坂地区の農家が河北潟に出耕作もしていたりもするので、「小坂れんこん」という名称はあまり使われなくなり、出荷箱は全て「加賀れんこん」となっています。
八田町は…産地としては挙げられてませんね。でもレンコン田が1~2枚ぐらい有るのは見た記憶があります。多分作られ始めてからそんなに経ってないんじゃないかと。
私の子供時代には金沢近郊で蓮根栽培が盛んだったことから、煮〆(煮しめ)として普通に蓮根が食卓に上りました。シャリっとした歯応えと糸を引く様が面白く大好きな食材の一つでした。故郷を離れてからはなかなか美味しいレンコンに出逢えていません。
現在こちらで作られている品種は‘支那白花’と言う品種で、歯ごたえよく、デンプン質が多くて粘りが強く、味は天下一品…と言われています。
(他の品種と食べ比べたことがないのでどの程度なのか分かりませんが)
この品種は昭和40年代に‘支那蓮種’と言う品種から選抜育成されたと言うことで、グリグリさんの子供時代だとギリギリ品種の切り替わりの境目頃かもしれません。
そう言えば手持ちの資料に千葉県でもこの品種でレンコンを作って居るところがあるようなことを書いてあったのですが、原稿がちょっと前のものなので今でも作っているかどうかは分かりません。
その後、結婚したあとのおせち料理に「酢ばす」が出てきてハス(蓮)を食品名に使う例を知りましたが、これ以外には思い当たりません。「ハスの天ぷら」ではなく「レンコンの天ぷら」がフィットしますね、私は。
石川だと酢れんこんですね。
他の料理でも「れんこんのみそ汁」とか「蓮根羹」とかとにかく「れんこん」なのですが、唯一「はす」が使われる料理がありました。
それは「はす蒸し
なぜこれだけが「はす」なのかは謎。他から入ってきた料理法なのかも???

#余談ですが、グリグリさんの文中にチラッと出てくる「八田みみず」。
何者かをご存じの方はほとんどいらっしゃらないと思いますが、このハッタミミズというのは体長60cm~1mも有る長~いミミズで、日本では金沢市八田町付近の水田にしか生息していません。
同種のミミズはフィリピンやインドネシアなど東南アジアに生息しているそうで、江戸時代の加賀の豪商・銭屋五兵衛が東南アジアと密貿易を行う中で持ち込んでこの地に定着したのでは?と言う説もありますが、具体的なところは不明です。(参考ページ

---------------------------------------------

[59238] オーナー グリグリ様
とくに石川県の場合、地元の会話においても加賀、能登は頻繁に使われます。出身地や居住地などを特定する場合に、石川県よりも加賀や能登の方が頻度高く使われる、もしくは意識して使うような気がします。
加賀と能登を比較した場合も、加賀よりも能登の方がこの傾向が強いでしょう。加賀は加賀市を特定する場合にはまず使いません。加賀市を特定する場合は加賀市ですが、日常的にはあまり使わないと思います(大聖寺、動橋など主要地域名を使う)。能登は半島名からの特定のように思われるかもしれませんが、地元の感覚では旧国名ですね。
今でもそんな感じです。特に能登の人、中でも奥能登方面の人と接していると感じますね。
加賀方面は「加賀と金沢で更に分けられる場合がある」「加賀市という名称もある程度定着してきてして、加賀…で加賀市を指すような会話も時になされる(とは言ってもやはり大聖寺、山代、山中、橋立、塩屋、…と言った旧町村名を使う方が多いような。動橋は使われる頻度が低くなってるかも…)
そりゃ性格的には「石川県の下位区分の地域割り」的な使われ方になってますし、その境目は旧国境と違ってかほく市と羽咋郡の間になっちゃってますし、どうにかすると衆議院選挙の選挙区の関係で河北郡・かほく市が「中間地域」的な扱われ方することもありますが、それでもなお石川県における「加賀」「能登」は旧国を引きずったものである、と捉えて良いと思います。
この場合の「能登」が「能登国」か「能登半島」か、と言うのも問われるだろうと思いますが、地形的に能登半島に入る氷見市はあくまで「越中」で、「能登」ではない…と言うのが石川の人間の感覚ですので、やはり「能登」は「能登国」由来の地域区分なんですね。
でもこれ以上のことは…上手く言葉で説明できないんですが、とにかく石川県における「加賀」「能登」という地域区分は「県>旧国」でもあり「県<旧国」でもあるとしか言いようが無いです。
この辺の感覚は、何というか、石川の人間、特に能登の人と直に接してもらって感じてもらうしかない…と言ったところでしょうか。

#でも旧国が隣県と跨る形にならなかったからこそ今でも旧国を引きずっている、と言うことなんでしょうね、多分。

---------------------------------------------

おまけ。
[59252] ぺとぺとさん
この重複、EMMさんに[59207]でやんわりと指摘されるまで全く気付いていませんでした。せっかく、関連記事をまとめていただいたのに恐縮至極です。。。
白状しますと、[59161]は中身を見落としてました。
[59205]を見ていろいろと調べているうちに、「そう言えば軽井沢だかどっかあっちの方の物件の投稿記事を見て回りを見渡していたら何か見つけたのを書いてなかったぞ」というのを思い出して[59207]の後半を書き足したのでありました(汗)。


… スポンサーリンク …


都道府県市区町村
落書き帳

パソコン表示スマホ表示