[78776] 88 さん
埼玉県側への境界変更があったとしか考えられないのですが、具体的情報に不足していますので、情報がありましたら、ご教示いただければ幸いです。
およその時期が 1930年代初頭とわかっているので、浦和の埼玉県文書館で 埼玉県報を閲覧するのが 最も確実なのですが、近くの図書館で済まそうと、『新編埼玉県史』を調べました。
しかし、昭和初期の県境変更に関する記載を見出すことはできませんでした。
図書館で地名事典を調べると、平凡社も角川(下記に引用)も昭和5年となっており、1932年は誤記だったようです。
昭和5年7月に現在の渡良瀬川が茨城・埼玉の県境となり,右岸の伊賀袋の大部分と立崎の一部が埼玉県北埼玉郡川辺村へ合併され,大字伊賀袋となる。
年代が確定したので、「渡良瀬川 昭和5年 伊賀袋」でウェブを検索すると、
加須市、騎西町、北川辺町及び大利根町の合併の歴史(PDF:111KB) がヒットし、1市3町の廃置分合経緯図2コマに、「S5.7.1」という日付も 明記されていました。
冒頭の説明文には、渡良瀬川河川改修にともない、茨城県猿島郡新郷村大字伊賀袋・立崎【の一部】から編入されたものであることも記されています。
ここから先は、オーナー グリグリさん宛です。
上記1市3町の廃置分合経緯図は、「明治22年以降の市町村合併の経緯を分りやすく表現した図」
[75486]に該当すると思われるのですが、一つ気になるのが、
[76001]に示された収集基準の (5) です。
(5) 自治体の公式HPに情報掲載ページへのリンクを掲載したページがあること
・公式HP内検索で引っ張り出せる孤立したページは対象外
加須市HP を見ても、既に合併協議会へのリンクはなく、サイトマップの中にもありません。
合併そのものは、既に過去の歴史になっており、合併協議会のページは記録として保存されているが、現在の公式HP内でのメンテナンスはなされていないものと理解できます。
一方、
[76013]において、グリグリさんは、次のように説明されています。
収集基準の(5)の意図は、「自治体の公式HPからのリンクであることを重視」というよりも「最新情報として更新管理されている保証がない」というのが真意です。公式HPからのリンクがある=更新管理対象である、という判断です。
過去に存在した市町村に関する情報が、2010年に新設合併で誕生したした自治体「加須市」のHP内で「最新情報として更新管理」されていないことは事実です。
しかし、「明治22年以降の市町村合併の経緯を分りやすく表現した図」を集める という
[75486]の趣旨からすれば、2010年に役目を終えた 「歴史的存在」である合併協議会のページに、収集基準の (5) までを求める必要があるのでしょうか?