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伊賀袋

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[11162] 2003年 3月 13日(木)21:26:26KMKZ さん
旧茨城県西葛飾郡の変遷
[11153]Issie さん
権現堂川の南側が(最終的に)「埼玉県」,北側が「茨城県」に所属することとなり,それぞれ「北葛飾郡」「西葛飾郡」を経て,現在の「幸手市」「猿島郡五霞町」に至ります。。
私は、旧下総国葛飾郡の変遷に非常に興味があり、この掲示板に於けるIssie さんの葛飾郡に関する過去の書き込みと、Issie さんのHPの「郡の変遷」、「市町村の変遷」の葛飾郡に関する部分を全て拝見させていただきました。ただ残念なことに「市町村の変遷」は茨城県関連は未公開の為、西葛飾郡の変遷の詳細が判らず、ただ過去の書き込み[1639]から古河市は旧西葛飾郡であると判り、おそらく五霞町も旧西葛飾郡であろうと予想はしておりましたが、今回のIssie さんの書き込みで、私の予想が正しかったことが判り安堵しました。旧茨城県西葛飾郡の領域は現古河市全域+猿島郡五霞町と考えてよろしいのでしょうか?

実は、私なりに旧茨城県西葛飾郡の調査を試みた事があり、その過程で興味深いHPを見出しています。
http://www.city.koga.ibaraki.jp/rekihaku/2001haru/shigo.htm 下総国葛飾郡新郷絵図
この絵図の解説には、
現在の古河市南部に含まれる地域を、一枚の絵図に仕立てたもの。(中略)明治期半ばにおこなわれた河川改修によって川向うとなった伊賀袋村もこの図には含まれている。
とあり、地図を見る限り伊賀袋村とは現在の北埼玉郡北川辺町伊賀袋に該当するのは確実と思われます。すなわち、北川辺町の町域の内、伊賀袋地区だけは旧下総国葛飾郡だったと思われるのですが、Issie さんの「市町村の変遷」の北川辺町に関する記述には、この事実が触れられていないようです。
[11163] 2003年 3月 13日(木)21:38:44Issie さん
Re:旧茨城県西葛飾郡の変遷
[11162] KMKZ さん
ただ残念なことに「市町村の変遷」は茨城県関連は未公開の為、

ぢつわ…
茨城県は現在作成中だったりします。今月中には何とか,と思っているのですが。
その後,栃木県・群馬県と,一応「関東甲信越」はカバーしようという“遠大な構想”はあるのですけどね。いつのことやら。

地図を見る限り伊賀袋村とは現在の北埼玉郡北川辺町伊賀袋に該当するのは確実と思われます。

1932年7月1日に「茨城県猿島郡新郷村の一部を編入」というやつのようですね。
こちらは茨城県側と一緒に埼玉県側にも手を入れる予定です。
[11207] 2003年 3月 14日(金)12:16:16【1】KMKZ さん
かつて茨城県を通っていた東武日光線
1929年に開通した東武日光線は、埼玉県北川辺町伊賀袋地区を通っていますが、この地区は、1932年に茨城県から埼玉県に編入されたらしく、開通当初の3年間は東武日光線は茨城県を通っていたことになります。
この付近は現在でも県境が入り組んでいますが、当時の電車は、栗橋・藤岡間の僅か15キロの区間で、埼玉-茨城-埼玉-群馬-栃木と各県を通過して行ったわけです。

[11162]KMKZ
明治期半ばにおこなわれた河川改修によって川向うとなった伊賀袋村
[11163]Issie さん
1932年7月1日に「茨城県猿島郡新郷村の一部を編入」というやつのようですね。

日光方面に向かう東武日光線の電車が利根川を渡ってすぐ、右手に渡良瀬川が迫って見える頃、小さな川を越す筈ですが、それが、かっての渡良瀬川本流で埼玉・茨城の県境であった旧川(これが川の名称)です。
[76950] 2010年 12月 2日(木)23:27:22【1】hmt さん
Re:第7回落書き帳公式オフ会「3県境近辺の今昔」
[76947] オーナー グリグリ さん
とても見やすい形にまとめていただき、ありがとうございます。

蛇足ですが、この機会に [76912]に基づく説明文に書いてなかった県境の変化を、補足コメントしておきます。

探訪した 3県境 の少し下流(南東)、向古河の先で 渡良瀬川の流路は直線化され、埼玉・茨城県境も変っていることがわかります。
すなわち、明治20年輯製図で 東岸の茨城県西葛飾郡伊賀袋村であった地は、現代の地勢図では 西岸の埼玉県北埼玉郡北川辺町【2010年加須市】伊賀袋になっています。

1932年7月1日に、県に関わる境界変更があり、当時の 茨城県猿島郡新郷村伊賀袋と立崎の一部が、埼玉県北埼玉郡川辺村に編入されました。
伊賀袋付近で 渡良瀬川の流路改修工事が行なわれた 年代は知りませんが、[76929]の追記で言及した この越県編入が、河川工事によって 西岸に飛び地状態になってしまった地域の所属を 修正したものであることは明らかです。

市区町村変遷情報では、境界変更についていろいろ苦悩しておられますが[63569]、今回の分も未収録です。
大字単位・実質的な分割・県境関与などの事情から、収録対象として検討に値すると思われます。>88さん

茨城埼玉県境は変っても、下総武蔵国境は不変ですから、地勢図で「県界変更史跡」めぐり[46981]の対象になるはずですが、地勢図の国境は新県境に移ってしまっています。下野上野国境の事例 [17073] と同様のミスでしょう。

埼玉・茨城県境を更に約 10km下った権現堂川[65910]
[76912]では、“青く着色すべきでしたが、塗り忘れ”と書きましたが、記録ページの掲載 は 後で送り直した画像で 修正済みです。
[78789] 2011年 7月 18日(月)13:15:00hmt さん
渡良瀬川改修に伴う茨城県・埼玉県の境界変更
[78776] 88 さん
埼玉県側への境界変更があったとしか考えられないのですが、具体的情報に不足していますので、情報がありましたら、ご教示いただければ幸いです。

およその時期が 1930年代初頭とわかっているので、浦和の埼玉県文書館で 埼玉県報を閲覧するのが 最も確実なのですが、近くの図書館で済まそうと、『新編埼玉県史』を調べました。
しかし、昭和初期の県境変更に関する記載を見出すことはできませんでした。

図書館で地名事典を調べると、平凡社も角川(下記に引用)も昭和5年となっており、1932年は誤記だったようです。
昭和5年7月に現在の渡良瀬川が茨城・埼玉の県境となり,右岸の伊賀袋の大部分と立崎の一部が埼玉県北埼玉郡川辺村へ合併され,大字伊賀袋となる。

年代が確定したので、「渡良瀬川 昭和5年 伊賀袋」でウェブを検索すると、加須市、騎西町、北川辺町及び大利根町の合併の歴史(PDF:111KB) がヒットし、1市3町の廃置分合経緯図2コマに、「S5.7.1」という日付も 明記されていました。
冒頭の説明文には、渡良瀬川河川改修にともない、茨城県猿島郡新郷村大字伊賀袋・立崎【の一部】から編入されたものであることも記されています。

ここから先は、オーナー グリグリさん宛です。

上記1市3町の廃置分合経緯図は、「明治22年以降の市町村合併の経緯を分りやすく表現した図」[75486]に該当すると思われるのですが、一つ気になるのが、[76001]に示された収集基準の (5) です。
(5) 自治体の公式HPに情報掲載ページへのリンクを掲載したページがあること
・公式HP内検索で引っ張り出せる孤立したページは対象外

加須市HP を見ても、既に合併協議会へのリンクはなく、サイトマップの中にもありません。
合併そのものは、既に過去の歴史になっており、合併協議会のページは記録として保存されているが、現在の公式HP内でのメンテナンスはなされていないものと理解できます。

一方、[76013]において、グリグリさんは、次のように説明されています。
収集基準の(5)の意図は、「自治体の公式HPからのリンクであることを重視」というよりも「最新情報として更新管理されている保証がない」というのが真意です。公式HPからのリンクがある=更新管理対象である、という判断です。

過去に存在した市町村に関する情報が、2010年に新設合併で誕生したした自治体「加須市」のHP内で「最新情報として更新管理」されていないことは事実です。
しかし、「明治22年以降の市町村合併の経緯を分りやすく表現した図」を集める という[75486]の趣旨からすれば、2010年に役目を終えた 「歴史的存在」である合併協議会のページに、収集基準の (5) までを求める必要があるのでしょうか?


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