[113339]グリグリさん
ちょうど徳島県の情報探していて四国年鑑を見てたので、探したらありました。
新土 光夫 1928(S3).?.?
生年月日は1928(S3).3.5です。
四国年鑑(昭和54年版)
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四国を一通り見てから…と思いましたが、徳島県が一段落したのでついでに情報提供しておきます。
(閉じる)追加情報・誤植
久米郡久米村
黒田 義夫
任期が1947.4-になっていますが、
[107100]むっくんさんの提供元記事では
任期は1947(S22).12.-1953(S28).10
とあります。
自治年鑑でも1947.4は別の方が村長なので、同記事内の
就任時の1947(S22).4
は誤植でしょう。
久米郡垪和村
草地 保
自治年鑑だと1947.4の村長は「杉山 正夫」氏になっており
[107100]むっくんさんの記事と矛盾。就任年が1947年は正しいとしても、上記の黒田氏のように5月以降の当選の可能性もありそうです。
阿哲郡新見町
太毛 貞治
自治年鑑や
HMVの記載から、「太池」が正と思われます。
明治42年(1909年)生まれで39歳(※)で当選とのこと。
※計算上、数え年と思われるので誕生月の推定は不可だが、1977.8で67歳と合わせると、1909.8-1909.12生まれで37歳3-7か月までは絞れそうです。
また、名前の読みは「
おおいけ さだはる」の模様。
英田郡東粟倉村
春名 明
1937(S12).1.15生まれ。
勝田郡勝央町
竹久 皎
勝央町長の就任日は、
任期満了日から判断して1970.4.18と思われます。
玖珂郡新庄村
沖 正歌
[105248]むっくんさんでは「沖 正歌」とされていますが、
自治年鑑では「沖廣 正歌」となっています。
大島郡平郡村
松田 勲
[105248]むっくんさんでは「松田 勲」とされていますが、
自治年鑑では「杉田 勲」となっています。
※自治年鑑で自治体名が平野村になっているが、平郡村の誤りと思われる。自治体名同様、松⇔杉で似ているので、自治年鑑側の誤記の可能性も大。
名東郡北井上村
山野 常雄
四国年鑑(昭和28年版)で、1951~1952年時点の村長が別人ですので、期数はおそらく1947.4-1951以前の1期です。
板野郡藍住町
徳元 四郎
藍住町の資料に、就任年月日が1955(S30).5.20とあります。
美馬郡貞光町
武市 恭信
1956.9.30に新設された、
新・貞光町長の選挙(1956.10.11)でも39歳で当選。
※選挙日は徳島年鑑は10.11だが、
徳島県統計書_昭和31年(1956)は10.10でブレあり。
(単に投票10.10、開票10.11の可能性ありそうですが、隣の半田町は統計書10.25、年鑑10.21になっていてどちらが信頼に足るか不明)
1960年は別の方が当選しているので、
貞光町(旧):1947.4-1956.9の3期
貞光町(新):1956.10-1960.10の1期
の通算4期になると思います。
新設合併に伴う選挙なので、新・貞光町長の就任日は選挙日と同日で良いと判断。
※貞光町(旧)について、
徳島県統計書_昭和28年(1953)で、1953.5.9に退職に伴う選挙で前職で当選しています。
選挙戦になっていない(無投票)ので、何があったかよく分かりませんが、もしかしたら旧町の任期は連続していない可能性もあるかもしれません。
四国年鑑(昭和28年版)は1951~1952の情報を元に作成されていると思いますが、この時点では町長として記載があります。
海部郡日和佐町
町 弥一
そもそも、インターネット上で確認できる限り、町氏が新・日和佐町長であった根拠をみつけられませんでした。
赤河内村と旧・日和佐町合併後の最初の
徳島年鑑(昭和33年版)で新・日和佐町長ではありません。(赤河内村長の鈴木氏が町長)
合併直前の
1956.5.10に赤河内村の選挙は実施されていますが(鈴木氏が当選)、1956年と1957年に日和佐町長選挙は実施されていません。(徳島県統計書_昭和31年(1956)および徳島県統計書_昭和32年(1957)に記載なし)
1958.4.27に町長辞職に伴う日和佐町長選挙が実施されていますが(
徳島県統計書_昭和33年(1958))、鈴木氏が無投票当選しています。
日和佐町・赤河内村は、1956年に赤河内村に日和佐町を編入→同日赤河内村を日和佐町に改称と特殊なことやっているので、赤河内村長の鈴木氏が村長から町長に継続(かつ合併時に選挙なし)の流れが理屈としては自然です。
ただ、一方で1958年の選挙が誰の辞職に伴う選挙かわからず、もしかしたらこれが町氏の可能性はあります。鈴木氏が辞職してそのまま無投票で再選、というのも不自然と言えば不自然なので。
昭和33年版の年鑑は基本的に1957年度の情報が記載されているはずですが、1958.4の選挙結果の反映がギリギリ発行に間に合って、新たな町長が記載されている可能性も否定できず。
もし仮に赤河内村・日和佐町合併後、編入された側の日和佐町長(町氏)が継続して、1958.4までに町氏が辞職→1958.4に鈴木氏が当選だとするならば、新・日和佐町長は1956.10-1958.3?の1期です。
那賀郡富岡町
澤田 紋
富岡町(旧)の期数が1になっていますが、1947年~1954年まで連続して旧町の町長職にあったようですので、期数は2になると思います。
那賀郡木沢村
東山 正胤
1922(T11).3.12生まれで、就任時年齢は37歳1か月。
また、
1983年の統一地方選挙で後氏が当選するまで村長でしたので、期数は6期でよいかなと思います。
1987年の統一地方選挙で再選した可能性も否定できませんが、
Wikiの記述を見る限りその可能性も低いかなと。
板野郡藍園村
久次米 健太郎、徳元 四郎
久次米氏の期数が2?になっていますが、徳元氏が1951.4より藍園村長ですので、1でよいと思います。
徳元氏の期数も1?ですが、藍園村の合併(藍住町の成立)が1955.4.29ですので、こちらも1でしょう。
香川郡雌雄島村
藤本 直照
[95533]むっくんさんでは「藤本 直照」とされていますが、
自治年鑑では「藤本 眞照」に見えます。(香川年鑑の方を確認できていないので、自治年鑑の誤植の可能性もあり)
【追記】
四国年鑑(昭和28年版)でも「藤本真照」となっていることを確認できます。
四国年鑑(昭和29年版)でも村長であることから、退任日は1952年以降で、期数は2の可能性が高そうです。