都道府県市区町村
落書き帳

石島・井島

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[14725] 2003年 5月 5日(月)20:59:18般若堂そんぴん さん
県を跨いでいる島
[14724]なもさん,本州,四国,九州を別格として
岡山県玉野市,香川県香川郡直島町:井島
広島県大竹市,山口県玖珂郡由宇町:甲島
でしょうか.
[15404] 2003年 5月 18日(日)00:06:01【3】KMKZ さん
2県にまたがる島の数は7
[14724] なも さん
県を跨いでいる島の名前が知りたいのです。
[14725] 般若堂そんぴん さん
岡山県玉野市,香川県香川郡直島町:井島
広島県大竹市,山口県玖珂郡由宇町:甲島
[14727] 夜鳴き寿司屋 さん
広島県生口島と愛媛県大三島の間にある海峡に瓢箪島

2県にまたがる島(以下、県境島とします)が3島、明らかになっていましたが、[15395]で紹介した海上保安庁のページに、
一覧表中の( )は2県にまたがる島の数を示しており、日本沿岸の島の数の合計はこれらの重複数 7 を差し引いて計上
との記述があり、県境島の数が7であることがわかります。

改めて探してみたところ、4番目の県境島として岡山県と香川県に跨る大槌島を発見と思ったら、大槌島は飛び地論争時に[12053][12056]で太白さんが言及されていました。

海上保安庁のページ内の一覧表から県境島の数を抜き出し、現在、明らかになっている4島を記入すると以下の表となります。

[県境島一覧]
県境島名
--------------------
岡山県2井島、大槌島
広島県3甲島、瓢箪島
山口県1甲島
徳島県2
香川県2井島、大槌島
愛媛県2瓢箪島
高知県2

この表が正しいのならば、未発見の県境島が徳島と高知の間に2島、広島と愛媛の間に1島あるようですが、かなり小さい島なのか、それとも県境が意外な所を通っているのか、yahoo!の地図では発見できませんでした。

現在、判明している4県境島の地図へのリンクを張っておきます。

井島(石島) 岡山県玉野市、香川県香川郡直島町
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=34.29.23.184&el=134.1.06.537&fi=1
※岡山側は「石島」と書くが、読みは「いしま」

甲島 広島県大竹市、山口県玖珂郡由宇町
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=34.7.11.455&el=132.19.39.672&fi=1

瓢箪島 広島県豊田郡瀬戸田町、愛媛県越智郡上浦町
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=34.17.19.674&el=133.3.16.612&fi=1

大槌島 岡山県玉野市、香川県高松市
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=34.25.13.609&el=133.55.21.617&fi=1
※高松市内に県境!
[15406] 2003年 5月 18日(日)00:17:31【2】でるでる さん
2県にまたがる7島です
[15404]KMKZ さん
県境島の数が7であることがわかります
早速『日本の島ガイド~シマダス』(財)日本離島センター刊、で調べてみました。

島名読み方所在地所在地
取揚島とりあげじま兵庫県赤穂市岡山県日生町
大槌島おおづちしま岡山県玉野市香川県高松市
石島・井島いしま岡山県玉野市香川県直島町
鳶小島とびこじま広島県因島市愛媛県岩城村
瓢箪島ひょうたんじま広島県瀬戸田町愛媛県上浦町
甲島かぶとじま広島県大竹市山口県由宇町
二子島ふたごじま徳島県宍喰町高知県東洋町

ということで、KMKZ さんのご指摘通り、県境の通る島は7つあるようですね。
・・・って思ったら、[15404]の「県境島の一覧」の表にある組み合わせとは、一致していませんねぇ。まだ他にもあるのかな。

取揚島の地図です。
http://map.yahoo.co.jp/pl?la=1&sc=5&nl=34.44.24.622&el=134.21.28.578&CE.x=347&CE.y=362
日生町ホームページ(取揚島の位置)
http://www.town.hinase.okayama.jp/guide/guide_top.html
日生町ホームページ(取揚島の写真)
http://www.town.hinase.okayama.jp/guide/mujin/guide_mujin.html
[30617] 2004年 7月 16日(金)19:40:49hmt さん
地図に載っている島群、載っていない島群
作々さんは島群コレクションの地図リンクで既に実感されたことと思いますが、地図に載っていない島群がたくさんあります。

地図の元締めの国土地理院が作成した地形図・地勢図には、当然のことながら自然地名としての島群が注記されています。民間の日本地図帳もネット地図も国土地理院の地図を利用していますから、ほとんどがこの自然地名主義を踏襲しています。
地図の世界で国土地理院の影響がいかに大きいものか。どんな地図でもよいから、「芸予諸島」という注記のある場所を確認してみてください。下蒲刈島・上蒲刈島の南あたりではありませんか? http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=34.11.06.612&el=132.43.18.955&la=1&fi=1&pref=%b9%ad%c5%e7&skey=%be%e5%b3%f7%b4%a2%c5%e7&sc=6
広島県東端の走島からだと70km、島の密集する弓削島・因島以西でも50km以上に及ぶ芸予諸島を示す注記としては西端に偏りすぎていると思いませんか? 実は20万分一地勢図の注記がこの位置になっており、すべての地図がこれに「右に習え」をした結果です。

これと全く別の世界。離島振興法等にもとづく行政を実施する当局(旧自治省、建設省、地方自治体)は、新たに行政地区名としての島群名を作ってきました。その中で最新参と思われるものが西彼諸島[30575]ですが、1953年開始以来半世紀を経た離島振興事業が生み出した島群名はたくさんあります。

一例を挙げると上記の下蒲刈島・上蒲刈島で、「蒲刈群島」という地域名で離島に指定されていました。2000年に女猫の瀬戸に安芸灘大橋が完成して離島でなくなりましたが、蒲刈群島の名だけは残って島群コレクションに収録されています。この種の島群名には芸予諸島のような 2県にまたがる名はなく、広島県の生口島は芸備群島、愛媛県の大三島は越智諸島です。では両県にまたがる瓢箪島は? 事実上無視されていますが、おそらく両方にまたがっているのでしょう。
2県にまたがる島 http://uub.jp/arc/arc362.html の中で無視できない存在として岡山県の石島(いしま)がありますが、島の南部(香川県側の名は井島)が属する直島諸島には含まれず、単独の離島指定地域になっています。
脱線気味ですが、江戸時代に岡山藩領の胸上村と天領の直島とが領有権・漁業権を争い、元禄15年に幕府による国境裁定で分割が確定したという由緒正しい「県境の島」です。

本題に戻って、
「蒲刈群島」など離島関係の行政地区名は、自治体名とは異なり、地図に記載されずにきました。離島振興法がもともと“時限立法”であるため、そのための指定地域名など「地名」として採用するに値しないという考えかもしれません。
たしかに、本土と陸続きになり、下蒲刈島は呉市に編入されている現在から見ると、その名を使う必要が消えた蒲刈群島の場合は地図に記録される必要がない一時的な存在だったのかもしれません。

しかし、この“時限立法”は改正を重ねて2013年まで延長されており(なんと制定から60年後まで有効)、現に指定地域名として使われている島群も多く、島群コレクションの中では多数派を占めています。

このような事情で、地図に載っている島群と、地図に載っていない島群の 2種類ができることになりました。

地図に載っている自然地名と同名の島群名が、離島振興実施指定地域名に使われている場合もあります。しかし、同名であっても両者の範囲は同一とは限りません。この点、注意を要します。
例えば五島列島[26554]
角川の日本地名大辞典は、中通島から福江島までの五大島を中心に、北方に小値賀島・宇久島、東方に平島・江ノ島、そして南西に男女群島を配しているという自然地理的な広い範囲を示し、行政的には五大島と付属島を五島支庁が管轄するとしています。ところが、離島振興実施指定地域名としての五島列島は、五島支庁管内に限られ、北松浦郡の小値賀島・宇久島は平戸諸島へ、西彼杵郡の平島・江ノ島は蠣ノ浦大島グループへと、地理的に隣接していても郡が違う島は含まれていません。
島群コレクションで「主な島々」として示されている範囲は、後者すなわち行政的な観点を重視した範囲になっています。

作々さんが[30582]で触れている平戸諸島は、海域的には伊万里湾、五島列島北側、九十九島と分散していますが、北松浦郡所属という共通項、いわば陸の視点でくくられた範囲の島群になっています。北松浦郡は平戸諸島、西彼杵郡は西彼諸島というのが本土にある当局の分け方で、海からの視点ではないようです。
[41633] 2005年 5月 26日(木)18:03:08【1】hmt さん
「だんご3兄弟」島・取揚島・「いしま」・海のピラミッド・牛の住む甲島
[41610] でるでる さん
実は、この二子島(2島)の更に北側にある島(島名?)にも県境らしきものが見えまして・・・(汗)
この島も含めると「2県にまたがる島」は9つということに?ムムム・・・

なるほど! 県境が3島を串刺しにしているとすれば、「ふたご」ではなく、「だんご3兄弟」島とでも命名しましょうか。

取揚島に県境が設定された理由はそういうことだったのですね!

ニジェガロージェッツ さんの記事[41400]を、少し誤解されているのではないかと思われるので、横から口を挟ませていただきます。
この島はもともと岡山県に属していたのもので(中略)、後の1963年に兵庫県赤穂市に編入された際に、その編入区域からは除外されています。
の最初の部分を正確に書けば、“この島 の一部 は もともと岡山県に属していたのもので…”となります。

明治の町村制施行時に寒河(そうご)村と合併して福河村(合成村名)になった岡山県福浦村。
地図で今昔にも、“兵庫県内に備前福河を名乗る駅があるとは”という記事があり、福浦峠の東側(旧・福浦村の地域)が、昭和合併の機運に乗じて、兵庫県赤穂市に「越県合併」したことが紹介されています。
取揚島については、特に“取り上げ”られてはいないのですが、昭和23年(1948)の地勢図が示されており、昭和の合併前から県境が通っていたことが明らかです。

要するに、[41400]で紹介された、
岡山県が、漁業権に絡む“領海”を守り抜き、赤穂市への編入から取揚島を除外させた
という趣旨の記事は、既に県境の島であった取揚島の「岡山県部分」に関することです。
この数10mサイズの取揚島は、おそらく播磨・備前時代から両国の(海上)権益がぶつかる所で、国境となっており、それが飾磨県→兵庫県と岡山県との県境に引き継がれました。昭和の時代になり、“陸の論理”では「越県合併」が実現しても、“海の論理”は 兵庫県への移管を認めず、その結果、「2県にまたがる島」が、現在まで存続している。そういうことなのですね。

角川:日本地名大辞典の岡山県を見ると、取揚島の項目には、
日生町と兵庫県赤穂市との境界をなす。周囲0.3km、面積0.01km2の無人島。
島の西方で、日生町の漁業者によってノリの養殖が行なわれている。
とありました。ノリの養殖が、赤穂発電所の温排水を拒否した理由だったのですね。

同じ辞典の地誌編には、行政区域としての岡山県日生町福浦が、“兵庫県赤穂市の南方海上にある取揚島の一部に残り、県境をなす。”と記されていますが、この辞典の兵庫県(地名編、地誌編)には、取揚島に関する記事は見当たりません。赤穂の防波堤から300mほどのこの島を、播州赤穂側でどのように利用している(又は 利用していた)のかは、気になるところです。

ひなせ観光ガイドを見ると、「日生町本土」と「鹿久居島」「頭島」等の日生諸島が記されたマップの右端に、とても小さな取揚島が“飛び地”状態でポツンと存在し、マップを見る人に「取揚島の謎」を訴えています。
#日生諸島の主島は、面積は小さいけれども頭島です。

ここに県境があるとなると、第四管区海上保安本部の一覧表で、2県にまたがる島に数えられなかったことが謎として残ります。
上記のように日本地名大辞典では、周囲が0.3km。地形図で見るとそれよりやや小さい感じだが、それでも、「海域にある自然陸地(周囲≧0.1km)」には該当しそうなのですが…
やはり、数え落しかな?

[41368] 牛山牛太郎 さん の「大野島」となると、「海域」でないから、海上保安庁が対象外としたのは納得できます。

瀬戸内海を西に進んで、岡山県と香川県との県境がある「いしま」。
[30617]hmt
岡山藩領の胸上村と天領の直島とが領有権・漁業権を争い、元禄15年に幕府による国境裁定で分割が確定したという由緒正しい「県境の島」です。
読みが同じ「いしま」で、漢字表記が岡山県玉野市石島・香川県香川郡直島町井島と異なるのは珍しいことです。幕府の評定所において、双方の主張で用いられた文字がそのまま残ったと言われています。1702年の幕府評定所の裁定は、石島山頂を通る境界線を定め、面積は直島側と胸上側とが七分三分に分けられました。直島側は現在までずっと無人島のままですが、備前胸上村は、この裁定を受けて早速植民を開始し、半農半漁の集落ができて300年間の歳月を重ねています。

直島の西、同じく岡山県と香川県との県境がある大槌島。
[28633] 今川焼 さんが、樽流しのエピソードと共に1732年の境界論争を紹介されている島ですが、その姿から、ケンペルが「江戸参府紀行」に「海のピラミッド」と記しています。

取揚島・「いしま」・大槌島の3ケースに共通することは、「2県にまたがる島」は、漁業権の主張から派生した産物ということです。
“海の論理”からすれば、「海域こそが主体」であり、大槌島のピークを境界とすることは、「平地を主体」とする陸の人々が山のピークを境界としていることと、何ら変らない。「2県にまたがる島」を珍重したりする行為は、「2県にまたがる峰」を珍しがるようなものだと思っているのかもしれません。

そして3つの事例共に、備前側の人たちが積極的な姿勢を示していることが注目されます。「樽流し」のように、思惑が外れることもあるようですが。

農地のない離島の産業的価値としては、漁業以外にも、採草や採石があります。
これらの権益をめぐる紛争が明治政府に持ち込まれ、内務省の裁定で「2県にまたがる島」が確定したとされるのが、現在は広島県大竹市と山口県由宇町の境界になっている「甲島」です。もっとも「芸藩通誌」にも「安芸周防の界とし、各其半を領す」とあるように、江戸時代からの国境ですが、紛争が完全には解決していなかったのでしょう。
住民?は、放牧されている黒毛和牛([40018]がんす横丁まま さん)で、県境を気にせずに草を食べているようです。
もちろん、漁場としての価値もあり、周辺海域はイワシ底引き網や一本釣りの好漁場とか。
周防側が、岩国でなく由宇である([24084]参照)理由は、距離ではなく、江戸時代からここを利用していた人たちの本拠だからでしょう。

領土紛争は、とかく感情論になりやすい面もありますが、やはり重視されるべきは、産業経済活動における活用の実績と展望。

”鳶ノ子島(とびのこじま)”の表記も追加しておきます。
“鳶ノ小島とも。”となっておりますが…
[46828] 2005年 11月 23日(水)00:41:50【1】オーナー グリグリ
瓢箪島ツァー企画(!)
[46783] 2005 年 11 月 20 日 (日) 15:54:07【3】 いっちゃん さん
私も92が一番良いと思います。
私も92が一番自然かと思います。ところで、[46752] mikiさんのリストは出入りの向きも考慮されていますね。これも面白いのではないでしょうか。ただし県境で行ったり来たりして稼ぐのはNG。

架橋や海底トンネルの隣接を除いた純粋な陸上部だけの隣接にすると88ヶ所になりますが(縁起のよい数字になりますね)、経県境の対象をこの88ヶ所に絞ると、広島県~愛媛県が超難関になりますね。無人島の瓢箪島の県境を越えなければいけないので。岡山県~香川県も難関ですが、こちらは有人島(石島)なのでまだ多少は実行性があるかな。ただし有人なのは岡山県側だけですが。瓢箪島へのチャーター便を調達して「広島県と愛媛県の県境を徒歩で歩く旅」なんて落書き帳ツァー企画はいかがでしょうか。
[45664] 2005年 10月 15日(土)13:57:20【1】EMM さん
いきなりブレイク
昼飯を食べながらテレビで「TVチャンピオン」を見てました。
(石川では土曜の昼にやっている)
見たのは半分くらいなのですが、お題が「芸能人日本なんでも地理王」で見入ってしまいました。
(本放送は9/22。こっちは3週間ばかり遅れてますか)
「岡山県と香川県の県境にたどり着け!」とか、ほかにもなんだか「都道府県市区町村」中に話題の出ていたような問題が多数(笑)
[46893] 2005年 11月 26日(土)00:28:10【1】EMM さん
瀬戸内海上の県境がらみの話
[46874]88さんの例示した拙稿[45664]中の企画とはTVチャンピオン中の企画「県境をまたげ!対決」。
実は途中から見始めたため前半の展開が分からなかったのですが、HPで確認すると「東京から出発して6時間以内に岡山-香川県境をまたぐ」と言うものでした。
企画のポイントは石島(井島)に県境があり、しかも有人島で船で渡れることをいかに早く見つけるか、と言うことなのですが、番組的には当然すんなりと進ませる訳が無く、途中に関所(クイズポイント…当然正解しないとくぐれない)が何か所か設定してありました。
私が見た場面では玉野から石島に向かう水上タクシーの乗り場の入り口に関所がもうけてあり、誰だったかは途中で追い越されてました。
水上タクシー、と言うことは石島まで渡るのは難しい事ではないのでは、と思います。
ネット検索したら石島観光協会と言うところがあるようです。(参考サイト)そこに問い合わせれば水上タクシーのことも分かるんじゃないでしょうか。

[45664]は十番勝負中の書き込みだったのですが、その後問二の今治市が「瓢箪島」だけで該当しない市になっていると思いこんだため、ヒントになりはしないかと思って内心焦っていたのは秘密です(爆)。なお、番組中では丘の途中の農道だか山道だかみたいなところ(車では行けません)に県境の位置を示したシートが置いてありました。

#もう一つの岡山-香川県境・大槌島は釣りのポイントのようでして、渡し船があるみたいです。要予約らしいですが。


また、広島-愛媛間はしまなみ海道の多々羅大橋が徒歩でも渡れるそうですが([46846]でみかちゅうさんが「歩行者も橋を通じて渡れる」とされているのは多々羅大橋ですよね?)、地名コレクション関係で広島県の地図を見ていたらここにもう1ヶ所橋があるのが目に付きました。
ここも歩いて渡れ…ますよね?まぁ、ここにたどり着くまでのことを考えれば多々羅大橋に行くほうが楽でしょうけれども。
[46899] 2005年 11月 26日(土)06:00:21たもっち さん
県境
県境の話、盛り上がってますね。僕も、いろいろと考えていたところ、拙稿[46768]で歩いて越えた県境をあげた時に、ひとつ漏れていたことに気が付きました。

滋賀~三重 このへん
ただし、ここも、ここまでは車で登ってきてから、県境付近をうろちょろしただけです。県境の看板の写真を撮ってありますが、その当時は、それぞれ「三重県大安町」と「滋賀県永源寺町」でした。いつの間にか両方とも市になってしまいました。とても市同士が接するところとは思えないところですが(笑)。
ちなみに、ここは酷道マニアには有名な石榑峠(いしぐれとうげ)です。ここから三重県側の数kmにわたっては幅員が狭いので、大型車が入れないようにするために幅2m余りのコンクリゲートが置かれています。どんなものか興味が湧いた方は、「石榑峠」で検索すれば、「その筋」のサイトがわんさかとヒットするので、ご覧ください。
もひとつちなみに、僕がここに行った時は、自宅を夜中前に出発し、ちょうど日付が変わる頃に峠に到着しました。そして、そこで車内でひと寝入りしながら夜明けを待ち、朝もやに包まれながら、コンクリゲートを通り抜けて三重県側に下りて行ったのでした。えぇ、自覚してますとも、たもっちも普通の人ではないことぐらい(笑)。

ところで、[46768]の中で、こちらも酷道として有名な暗峠(くらがりとうげ)をあげていますが、こちらはちゃんと徒歩で山越えしました。東大阪市の地下鉄新石切駅から生駒市の近鉄南生駒駅まで歩いたのですが、噂に違わぬ急坂の連続で、日頃運動不足の身には非常にこたえました。しかもよりによって、真夏に歩いたもので、汗だくになりました。峠のお茶屋さんで頂いたお抹茶がとても美味しかったのですが、普通のお冷もとても美味しく何杯もおかわりしてしまいました。あんまりおかわりを頼むので、おばちゃんが、ペットボトルごと持ってきてくれました(笑)。自然の湧き水をくんで冷やしてあるのだと言っておられました。

急坂と言えば、[46824]で行ってみようかなと書いていた、向日市の30%の急坂にチャレンジしてきました。いちばん急なところは短い区間でしたが、ローギアの状態でも、エンジンブレーキに逆らってどんどん加速していく恐ろしい坂でした。子どもたちと、「ぅひゃぁぁ~っ!!(笑)」と叫びながら下っていきました。


また、県境の話に戻りますが、
[46893] EMMさん
[46874]88さんの例示した拙稿[45664]中の企画とはTVチャンピオン中の企画「県境をまたげ!対決」。
僕もそれ見てました。EMMさんもおっしゃるように、島へ渡るのはさほど難しくないと思いますが、県境を探すのに苦労しそうな気がします。TVでゴール地点としていたのは、山をのぼってちょっとした頂になっているようなところでしたが、県境とわかるようなものがあったかどうかわかりません。地図を見ると(ウオッちず)、集落はおろか道もないような尾根沿いに県境が横たわっているので、「ここが県境だ」というような標識類が皆無かもしれません。あってもとても小さいか。地図を見ながら歩いていって峠に差し掛かった時に、そこが県境だと判断するぐらいしかないかも。GPSでもあればいいのでしょうが。
[46905] 2005年 11月 26日(土)11:31:2588 さん
石島・井島
岡山県玉野市・香川県直島町の県境の石島(井島)ですが、実は県境は未確定です。

幼少の頃(!)から、なんとなくそういう記憶があったので確認すると、このとおり境界未定(国土地理院HP)です。
Mapionを見ても、ウォッちずを見ても、石島(井島)の北西部分は、県境が海岸に接していない(陸上部の途中で切れている)ので、この付近が怪しいのかもしれません。

ただし、私の幼少の頃からの記憶では、以前(約35年前)は境界確定済みでしたが、途中(約25~30年前)から、境界未定に変更になったような気が・・・。香川県の面積が全国で46位だったのが、大阪府に抜かれて47位になったのですが、その理由が、この井島(石島)の境界が関係しているとか、関西国際空港の埋め立てで抜かれたとか、という話題を学校(私が中学校の頃くらい?)にた記憶もあるんですが。

つまりは、何が言いたいかと言うと、
(1)[46893] EMM さん や[46899] たもっち さん がご覧になった、TVチャンピオンの「30時間耐久!芸能人日本なんでも地理王選手権」は、この境界未定を意識していたのだろうか、
(2)こういう話を聞いたら、「是非、岡山-香川の県境をまたいでみたい」という魔力に弱い落書き帳メンバーは多いだろう、

ということです。

私は香川県民でありながら、まだ未経県境です。
[46956] 2005年 11月 28日(月)00:23:10ニジェガロージェッツ さん
レスをいくつか
ロシアでは12月1日にペルミ州コミ=ペルミャク自治管区が合併して「ペルミ地方」が創設されるようです。これに関連して拙ホームページでもいくつかのページや地図を再編集しなければならず、頭が痛いところです。
合併でのページの変更作業を常々こなされているグリグリさん、でるでるさんをはじめ編集者の皆様の日々の御苦労に敬意を表します。

さて、レスをいくつか。

[46905] 88 さん
こういう話を聞いたら、「是非、岡山-香川の県境をまたいでみたい」という魔力に弱い落書き帳メンバーは多いだろう
是非、落書き帳でメンバーを募ってオフ会アウトドア企画「いしま県境探訪」として訪れてみたいところですね。(笑)

兵庫県域の「備前福河」と「美作石井」について
[46914] hmt さん
[46937] 今川焼 さん
古い拙稿へのリンク恐縮です。それにしても今川焼さんの仰る「美作石井駅」という名称の可能性は面白いところです。そして、リンクを張って下さった兵庫県域の変遷図はわかり易くて勉強になりました。
特に、第一次兵庫県の県域にて、稲田騒動により淡路島が兵庫県に編入されたことが図示されていますが、全島編入ではなかったのは初めて知りました。

[46953] YSK さん
交換可能?な住所
市と区の違いはありますが、神戸からは
「兵庫区高松町」と「高松市兵庫町」があります。
#参考記事[44216]88さん、拙稿[43143]など。
[66993] 2008年 10月 12日(日)12:52:25hmt さん
国土面積統計の変遷(1) 内務省地理局の時代には伊能忠敬の測量結果に依存
[66937] オーナー グリグリさん
都道府県市区町村の面積データを更新いたしました。

この機会に、国土面積統計の変遷を探ってみました。
最初の手がかりは、国土地理院プレスリリース です。
国土面積の公表は、明治15年(1882)に内閣統計局によって初めて実施され、人口統計と並ぶ古い歴史を持っています。昭和35年(1960)からは国土地理院が、『全国都道府県市区町村別面積調』として毎年公表しています。


「有史以前」の人口統計 において、明治23年(市制・町村制が実施された翌年)10月に、39市・15859町村 の前年末現住人口データが、内務省告示34号 で発表されたことを記しました。
手始めに 2匹目の泥鰌狙いで法令全書を調査しましたが、成果なし。そもそもイロハ順索引に「面積」がない!
日本法令索引とその明治前期編で「面積」や「統計」を検索した結果も、めぼしい成果なし。

今度は、統計局HPを見ます。トップ>日本統計年鑑>第1章 国土・気象>解説 に進むと
面積
国土交通省国土地理院が昭和30年以来毎年10月1日現在で取りまとめている「全国都道府県市区町村別面積調」による。
との記載。これは“昭和35年以来”の誤記でしょうが、それ以前のことはわかりません。

そこで 「明治 面積」で統計局HP内検索をかけると、前記のページと同じ表題だが内容は別のページ がヒットし、その中に資料解説がありました。
「日本帝国統計年鑑」
この年鑑は,明治15年(1882)に第1回「統計年鑑」として刊行され,59回まで継続したが,戦争のため一時中断しその後,昭和24年(1949)から「日本統計年鑑」として毎年刊行されており,今日に至っている。【引用者注:平成20年第57回】

この“明治15年”第1回「統計年鑑」が、国土面積を公表した最初の資料と思われます。
そこで近代デジタルライブラリーを探すと、明治時代のものはないが、大正元年~15年の15冊が収録されていました。

この大正時代の資料と統計局HPの記載をベースに、国土面積統計の変遷史を組み立ててみました。

最初は、内務省地理局による国土面積統計

明治15年の統計年鑑に掲載された最初の国土面積を直接確認することはまだできていませんが、30年後の 日本帝国第三十一統計年鑑(大正元年) に掲載された「周囲及面積」のうち、内地の部分 38万2415km2 とほぼ同じであろうと推測します。
【法定停電のため近代デジタルライブラリーは13日18時まで使えません】

土地属島数本地面積+属島面積=合計(方里)(km2)
本州165.514492.21+78.91=14571.12224737.258.77
四国74.51151.24+29.43=1180.6718210.04.76
九州1502311.86+305.68=2617.5440371.610.56
北海道本地135056.78+27.09=5083.8778410.920.50
千島31島1011.49=1011.4915600.74.08
佐渡56.33=56.33868.80.23
隠岐121.88+0.01=21.89337.60.09
淡路136.55+0.14=36.69565.90.15
壱岐18.55+0.08=8.63133.10.03
対馬543.95+0.77=44.72689.70.18
琉球55島156.91=156.912420.10.63
小笠原20島4.5=4.569.40.02
合計41224352.25+442.11=24794.36382415.1100.00
説明
表中載する所の数は…文政年間伊能忠敬著す所の実測録及大図(3万6千分1)を本とし算出し、未測のものは他の諸図に拠り其大概を補ふ。但し伊豆相模武蔵安房上総の五箇国は内務省元地理局の実測に拠り…

官制が慌しく変動した明治初期から地理司や測量司はありましたが、明治7年(1874)に 内務省地理寮 が発足(1877地理局)。
この役所で全国大三角測量が開始されましたが、成果が利用できたのは南関東のみ。ほぼ全国をカバーする測量結果は、伊能忠敬の実測録頼りの状態であったことが、上記の説明文からわかります。

余談ですが、上記の面積表において、本州と四国の属島数に端数があったことにお気づきでしょうか?
説明文より
属島の数に端数あるは一島にして両地に属するものあるに由る 即ち本州と四国の間にある石島是なり
2県にまたがる島 の中で唯一の有人島・石島 でした。
[68680] 2009年 2月 23日(月)21:49:44【2】hmt さん
「面積調」から探る市区町村の変容 (1)諫早湾干拓・埋立・竹島の地形図改測による国土面積変更
[68527] k-ace さん
国土地理院によると、2008年10月1日現在の国土の面積が、埋立などにより1年間で13.58平方km増加し、377943.57平方kmとなりました。増加分の6割以上が長崎県諫早市の諫早湾干拓事業によるものとのこと(8.75平方km)。

2002年~2006年には、国土面積増加ランキングの上位を、常滑市など 海上空港(中部国際空港、北九州空港、神戸空港、関空2期)造成用埋立地のある市町村が占めていました。[57480]参照。
2008年(2007年は1 km2以上の埋立なし)の首位は、少し様相が変って干拓地が新たに入った諫早市でした。
児島湾や八郎潟の干拓 とは時代が変り、海の環境保全の視点から大きな批判を浴びる結果になった諫早の干拓事業ですが、これにより到達した2桁(km2)の国土面積増加は、2003年以来5年ぶりのことでした。

振り返れば、大規模な臨海地帯の造成が行なわれた時代があり、1966-1980年の15年間には、年平均39km2もの埋立がありました。

“最小面積の都道府県は大阪府”というかつての「常識」が、いつの間にか覆されていた原因は、埋立による面積増加でしたが、長期統計都道府県別面積xls は、大阪府と香川県との面積逆転が 昭和から平成に移り変わる頃のことだと教えています。

大阪湾の埋立 が多いのは事実ですが、1985年から1990年にかけての僅か5年間で、関西国際空港の3倍にもなる 16km2も大阪府面積が増加しているのは驚き。
これに対して、同じ5年間に香川県の面積は 7km2も減少。

ここで、この5年間は面積統計にとり、特別な時期であったことに気がつきました。
[67248] hmt
昭和63年(1988)からは、面積データも2万5千分1地形図ベースに改められました。
ベースとなる地形図が変り、陸海の境界が満潮界に改められたことは、面積の測定値を根本から変えるものであり、面積データは 1988年にリセットされたものと理解されます。

単純に比較してはいけなかったのですね。

香川県の面積減少には、岡山県との境界未定地のある井島(石島)の面積が関係しているという説があります。
東書KIDS の香川県を見ると、1988年の見直し作業で境界未定地が判明し、香川郡直島町の面積14.2km2を削除したことが記されています。

でも、長期統計の数値には、“一部境界未定のため,総務省統計局において推定した。”という注釈が入っており、直島町の面積を推定値で入れてあるはずです。減少した7km2の原因は別にあるはずです。
陸海の境界が満潮界に改められた
ということなので、入浜式塩田(の跡地)などが「海」になり、面積から除外されたことが考えられます。

2008年の埋立等(干拓を含む)に戻ると、全国の件数は 合計 130件もありました。
面積は合計で 13.60km2ですから、諫早湾干拓を除いた埋立1件あたりの面積は 0.04 km2と小規模なものです。

ところで、最初に出た “13.58平方km” は、上記の埋立等面積の合計 13.60km2より 0.02 km2少なくなっています。
その原因になっているのが、次の記述です。

島根県隠岐の島町の地形図改測による0.02平方km減少もありました。

隠岐の島町と聞いてピーンと来るのは竹島。
2007年までは、国有財産台帳上の 0.23km2を使っていました。[67240]参照。
地形図改測の結果、竹島の面積は 0.21km2になったのですね。

2万5千分1地形図「西村」の 図歴 を見ると、“更新 H19/12/01”と記されています。
竹島を 空中写真によって修正測量することで 国土管理の実績を作り、わが国の領土という 国際的アピールを図ったものでしょうか?
[70899] 2009年 7月 20日(月)21:35:05星野彼方 さん
石島への行きかたと市川市のおわび
ち、千葉商大付関係の皆様、市川市の皆様ごめんなさい。Issie さん、運び屋A さんありがとうございました。あかんなぁ。甘地駅が市川町にあるんで、市川市って、思ったのですが、確認が足りませんでした。あと、昨夜は激しい雷雨で、ちょっと怖くてパソコンをつけることが出来ませんでした。

ここから本題、[70518] で予告した通り、18切符で玉野市まで行ってきました。そして宇野駅にある観光案内所で石島への行き方をきいてきました。まず、石島へは宇野港からではなく胸上(むねあげ・Mapionシンプル地図)というところから水上タクシーで行くしかないようです。水上タクシーは10人乗りで、往復¥14,000―、特に予約は必要ではないが、しておいた方がよい、とのことでした。

次は胸上への行き方ですが、これは玉野市のコミュニティバス、シーバス 利用になります。東ルートの左回り利用になります。しかし、このシーバス、一日四本はいいとして、午前の便、宇野駅発ではなく、福祉センター発って、どういうこと?ちなみに福祉センターはここ。備前田井駅から歩くのがよさそうです。

島のこともききましたが、島には県境を跨げるような所はないそうです。行ける範囲はすべて岡山県で、香川県側に通じる道はない。大部分が県境未定で、地図で見てある程度予想できていましたが、県境を跨げないとなると魅力大幅減ですよね。どうしよう。それなりに人数が集まれば、かな。

あと、大槌島ですが、これこそ、漁船をチャーターするしかないということでした。


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