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落書き帳

南毛利

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[1617] 2002年 5月 25日(土)09:37:51Issie さん
人名地名
>埼玉県春日部市
>平安時代に新田義貞の家臣であった春日部氏より。

これは,いくら何でも変。
新田義貞は鎌倉末から南北朝最初期の人ですね。
平安時代には新田氏のご先祖はまだ単純に「源」と言っていたはずです。「清和源氏」の嫡流ね。
新田氏を名乗り始めるのは八幡太郎義家の孫の義重(頼朝のお祖父さんの為義と同世代)からで,それは上野国の新田郡に領地があったから。弟の義康は利根川の向うの下野国足利郡を領地にしたので足利氏。

>でも中には地名と由来には、どちらが先で後なのかはっきりしない

中世の武士の名字なら基本的に地名が先。
古代の「~べ」(~部,~壁など)という地名は,たいてい氏姓制度以前の専門集団の名前の方が先。
各地の「かすかべ」地名は,大王(天皇)一族で「かすか」という名前の人に奉仕する集団に関わる地名です。「くさかべ」「は(つ)せべ」「おさかべ」なんかもそう。とすれば,これらは人名由来ということ。なお,漢字ではいろいろな風に表記されます。どうせ当て字なもので。
「春日部」と「粕壁」と両方あるのもそう。近世以降は「粕壁」と書くのが普通だったけど,市になるときにわざわざ古風な「春日部」を選んでのですね。
本来はどっちでもよい。どうせ当て字なんだから。

鎌倉中期から南北朝以降になると武士団の移動が盛んになって新しい領地に名字を持ってくることが多くなります。
下総国相馬郡(千葉県・茨城県)から持ってきた陸奥南部(福島県)の「相馬」。甲斐国最南部(山梨県南部町)から持ってきた陸奥北部(岩手県・青森県)の「南部」なんてのが代表的。
小さなところでは神奈川県の「津久井郡」は中世領主の津久井氏に由来するけれど,津久井氏は三浦半島南部の津久井庄(横須賀市)が本来の領地だった。というわけで,神奈川県立津久井高校(津久井町)と神奈川県立津久井浜高校(横須賀市)は偶然名前が似ているのではなく,どちらも由来が同じなわけ。

もし「毛利」「小早川」「吉川」が自治体名になったら,これも領主が他所から持って来たもの,ということになります。
「毛利」は本来,相模国愛甲郡の地名。厚木市に「南毛利(みなみもり,なんもうり)」という地名があります。「小早川」は同じ相模国足柄下郡,小田原市の早川あたりですね。「吉川」は確か今の静岡県(駿河か遠江)の地名でした。毛利氏が一番わかりやすいけど,鎌倉時代半ばに東国から移住してきたのですね。

人名の地名。昔の「新田(しんでん)」には腐るほどあるんですけどね。明治の大合併の段階では,まだたくさん町村名になっていました。でも昭和の大合併以降も自治体名として生き残ったものは少ないですね。自治体の中の大字にはいっぱい残っていますが。
千葉県では明治の大合併の時にわざわざ昔の有名人の名前をとって「鎌足村」(藤原鎌足)とか「良文村」(平良文)としたところもあったのですが,その後それぞれ木更津市や小見川町に合併されてしまいました。近世以来の旧村名ではない新地名なので“大字”としては残らず,小学校や特定郵便局の名前にしか残っていないようです(農協は合併されちゃったから)。
[44059] 2005年 8月 11日(木)19:17:47hmt さん
南毛利村が消えて50年、「なんもうり」郵便局も「みなみもうり」郵便局になってしまったのか?
[43975] きまぐれ さん
サムカゼヤマ 寒風山 秋田県男鹿市
フタガミ山 両神山 埼玉県秩父市(旧大滝村)
アンバウ峠 安房峠 長野県松本市(旧安曇村)

角川日本地名大辞典では、“寒風山 かんぷうざん、「さむかぜやま」とも読み、妻恋山、羽吹風(はふかぜ)山ともいう(地名辞書など)。…”とあります。帝国書院の地図(昭和13年)ではフリガナなく、索引ではカンプーザン。
どちらが正解ということではないようですが、地名の由来になっていると思われる北東季節風からすると、音読みの「かんぷうざん」の方が実感が出ています。現在は、この音読みが優勢になっているとは思われます。
きまぐれ さんの昭和15年の地図の編集者は、どうも訓読みがお好きなようですが、何という地図ですか?>きまぐれ さん

山麓に石切り場があり、寒風石(男鹿石)の名で知られる石材を産出する由。石材・鉱物関連地名に加えましょう。

秩父の両神山。山頂直下にある、イザナギ・イザナミ両神を祀る両神神奥社に由来。重箱読みの「リョウがみやま」が普通でしょうが、訓読みがお好きな地図ですからね。

信濃と飛騨の境の安房峠。帝国書院の地図では、峠にはフリガナがありませんが、近くに安房(アボー)山と振ってあります。屋久島の安房川は「あんぼう」と読みますね。安房国に由来する千葉県安房郡は、もちろん「あわ」。

さて、「しろうまだけ」か「ハクバサン」かの問題[26306] [43943]でも実感しましたが、どれか一つが正解で、他はすべて間違いというのは、多肢選択問題に慣れてしまった現代人が陥りやすい落し穴ではないでしょうか。
たぶん、「しろうま」でも「ハクバ」でも、どちらでも良いのです。「ハクバだけ」と湯桶読みになるのは美的でないとは感じますが、これを間違いときめつけるのはどうかと思います。

訓読み・音読みの対立ではないのですが、「東京」も、かつては「トウケイ」と漢音で読まれていました。
“因テ自今江戸ヲ称シテ東京トセン”という詔書を素直に読めば、漢音の「トウケイ」でしょう。
これが、書き言葉として定着して行くうちに、読み方がいつしか呉音読みの「トウキョウ」になってしまった。たぶん、京都の読みに影響されたのでしょう。
現在は圧倒的に「トウキョウ」ですが、「トウキョウ」が正しくて「トウケイ」は誤りとなった時点を特定できるかというと、そんなことができる筈がありません。

「ニッポン」と「ニホン」はどちらも正しい。ということでしょう。
だから日本(ニッポン)銀行があったり日本(ニホン)大学があったり。アーカイブズもありますね。

さて、私が学んだ「併設中学校」のあった神奈川県愛甲郡南毛利村[22152]という「人名由来の地名」[1617]の読み方です。

当時の記憶では、学校の所在地は「なんもうりむら」だったのですが、最近の「市町村名変遷辞典」では、「みなみもり」となっています。
調べてみると、「幕末以降市町村名変遷系統図総覧」や「角川日本地名大辞典」も同様。
そこで、南毛利村が存在していた頃の「市町村大字読方名彙」(小川琢治編1923)[35703] まで遡ってみましたが、これも「みなみもり」。

平凡社の「日本歴史地名大系」14巻519頁だけに「なんもうり」のふりがながありました。しかし、これも518頁の南毛利中学校遺跡には「みなみもうり」のふりがな。
もちろん厚木市HPも見ましたが、読み方はわからず。「厚木の地名」(厚木市教育委員会1996)にも、読み方が出ていませんでした。

そして、厚木市立南毛利小学校の校歌譜面を見たら、「なんもーり われらのいのち…」とありました。地元の作家・和田傳さんの作詞ですから間違える筈はありません。
「南毛利」という地名が使われている施設を調べてみたところ、郵便局HPの南毛利郵便局には「なんもうり」のふりがながありました。

以上のデータを添えて、昨年12月に厚木市HPから連絡して、「なんもうり」村だったことについての行政当局のお墨付きを貰おうとしたのですが、梨のツブテ。

ところで、この記事を書くにあたり、郵便局HPの同じアドレスにアクセスして見ると、なんと「みなみもうり」に変っているではありませんか!!

南毛利の読み方は、半世紀の間に「なんもうり」から「みなみもうり」に変ってしまったのか?
[44061] 2005年 8月 11日(木)21:21:23Issie さん
ほっきつ村
[44059] hmt さん
南毛利

実は厚木市南毛利地区は,うちの職場の「集客エリア」に入っていて何かとお付き合いのある地域です。
私たちは「南毛利中学校」を通常「なんもりちゅう」と呼んでいます。行政地名に即して言えば「なんもうり中学校」でしょうか。

群馬県の「北橘村」について,行政上“公式”には「きたたちばな村」という呼称であっても,「ほっきつ村」という呼称が普通に行われていますね。
「南毛利村」もこれと似たようなケースかとも思われます。

まあ,ある意味“通称”に過ぎませんから,「正式名称」は別にあるのかもしれませんが。

蛇足ながら,
相模原市立の「大野南中学校」は,通常「なんちゅう」と呼ばれます。
ところが「大野北中学校」は,「(大野)きたちゅう」と呼ばれます。
対照的な校名であっても,通称も対照的とは限らないのですね。
[44065] 2005年 8月 11日(木)23:37:23hmt さん
「正式の読み方」など 存在しなかったのかもしれない
[44061] Issie さん
私たちは「南毛利中学校」を通常「なんもりちゅう」と呼んでいます。

学校当局も「Nanmouri Junior High School」と書いていますね。
南毛利小学校も「なんもうりしょうがっこう」

群馬県の「北橘村」について,行政上“公式”には「きたたちばな村」という呼称であっても,「ほっきつ村」という呼称が普通に行われていますね。
「南毛利村」もこれと似たようなケースかとも思われます。

現存する北橘村は、公式ページで「きたたちばな村」であると「意思表示」していますが、50年前に消滅した南毛利村の場合には、読み方についての公式文書が残っているでしょうか。

そもそも、50年前に「行政上“公式”の読み方」なるものは、存在したのでしょうか?
「東京」や「日本」の公式の読み方が(たぶん)定められてないのと同様に、そもそも「南毛利村」に、「行政上“公式”の読み方」を求めることが間違っているような気がしてきました。

正式に定められていたのは「書き言葉」の「南毛利村」だけであり、大部分の人々は「なんもうり」と読んでいたが、「みなみもり」と読んでいた人もいる。多数、少数で決まる問題ではないから、どちらかが間違っているとは言えない。読み方なんてものは「慣習」であり、通じさえすれば、どっちでもよい。

小学校や中学校は、多数派の呼び方に従って、現在も「なんもうり」になっている。
学校名の読み方としては、日本大学(にほんだいがく)のように、これが「正式」なのでしょうね。

しかし、旧自治体の読み方が、学校の読み方と一致している必然性はない。
大正時代に京都大学の小川研究室から読み方の問い合わせが来た時に、対応した役場の職員は、「みなみもり」と答えた。
間違いではないかもしれないが、少数派の読み方が「市町村大字読方名彙」[35703]に収録されてしまい、後々の文献に引き継がれた。

こんなところが真相ではないかと想像しますが、いかがでしょうか。

いや、正式の読み方は存在したのだよ という材料をご存知ならば、是非ご教示願います。
[44066] 2005年 8月 12日(金)01:17:00【2】Issie さん
もり/もうり
[44065] hmt さん
Nanmouri Junior High School

一般的に行われる英語(風)表記では日本語の母音の長短の区別には全く無関心ですから,これでは「なんもり」か「なんもうり」かわからないですねぇ。

…と思ったら -mou- と表記してあって,「もうり」と読んで欲しいという意思表示をしていますねぇ。逆に言えば,「一般的な」ヘボン式ローマ字表記(昭和29年内閣告示の第2表の参考にされた)には則っていないわけだ。


そもそも、50年前に「行政上“公式”の読み方」なるものは、存在したのでしょうか?
「東京」や「日本」の公式の読み方が(たぶん)定められてないのと同様に、そもそも「南毛利村」に、「行政上“公式”の読み方」を求めることが間違っているような気がしてきました。

正式に定められていたのは「書き言葉」の「南毛利村」だけであり、大部分の人々は「なんもうり」と読んでいたが、「みなみもり」と読んでいた人もいる。多数、少数で決まる問題ではないから、どちらかが間違っているとは言えない。読み方なんてものは「慣習」であり、通じさえすれば、どっちでもよい。

私,基本的に長い引用は意識して避けているのですが,
この部分に関して,私は全く同じ感覚でいるということを表明したく,
長い引用を行いました。
基本的にこのような考え方に立つ旨,これまで何度もこちらで表明しているところです。
[48812] 2006年 1月 28日(土)23:40:00hmt さん
音読み・訓読み
[48802]りゅう さん   ほっきつ?きたたちばな?
[48803] miki さん   「きたたちばな」→「ほっきつ」

日本武尊伝説の橘山([34294] 烏川碧碧さん)由来の群馬県勢多郡「南橘村」は昭和大合併の時代に前橋市に編入され、「北橘村」も近々消滅するのですね。

その北橘村の読み方については、2002年に話題になり[5176] [5178] [5181]、渋川市との合併で「ほっきつまち」と読むようになることも[37082] Hiro(&TOKO) さんの記事にあります。

このような音読み・訓読みの問題、過去にも秋芳洞[43914] [44105]、白馬岳[43943]などで話題になりました。村名としては、南毛利村[44059]の例があります。

既に論じられているように、現在の 北橘村公式ページの 村の紹介→村の概要を見ると、「きたたちばなむら」を正式名称としているものの、中学校名にも使われている「ほっきつ」に、かなりの愛着を示していることが読み取れます。
合併を機に、「ほっきつまち」と読むことになるのも、このような背景があるのでしょう。

もっとも、1889年にできた北橘村に「正式の読み方」などあったのかどうかは疑問があります。
[44065]で南毛利村について書いたことなのですが、正式に定められていたのは「書き言葉」であり、読み方なんてものは「慣習」であり、通じさえすれば、どっちでもよかったのではないかと思われます。
「正式の読み方」にこだわるようになったのは、近年のことなのでしょうね。

[5178] YSK さんによると、前橋市内にある「南橘」という地名も、現在は「なんきつ」だそうですが、昔は「みなみたちばなむら」と読んでいたのかもしれません。

人名の音読み・訓読みについても、記事を書いたことがあります[43834]
徳川慶喜の実名(正式の名前)は訓読みでも、現実には「けいき」さんと呼ばれ、本人もそれを好んでいたとのことです。


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