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落書き帳

石見銀山

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[18685]2003年7月29日
般若堂そんぴん
[18688]2003年7月29日
ken
[24258]2004年1月29日
ken
[27463]2004年4月18日
BANDALGOM
[29009]2004年6月6日
BANDALGOM
[33002]2004年9月17日
笠津前浜
[33005]2004年9月17日
かすみ
[34569]2004年10月28日
出石隠
[59483]2007年6月28日
スナフキん
[61083]2007年9月7日
Issie

[18685] 2003年 7月 29日(火)00:13:04般若堂そんぴん さん
新市名候補雑感(Re:雲南市or南雲市)
[18679]小太郎さん
「雲南」「南雲(なぐも)」
「雲南」といえばまず中国の雲南省を思い浮かべますね.「南雲」といえば米沢出身の「あの」南雲中将が連想されます.ミッドウェイの敗戦などに対する批判もありますが,何となく親しみがあります.語感も柔らかくて好ましく思います.
島根県大田市・温泉津町・仁摩町合併協議会は「石見銀山」「大田」「銀山」「大津摩」「三瓶」の公募上位五点と「温(あたか)」「大邇(おおに)」「佐比売(さひめ)」「さひめ」「天領」の五点
「悪戯っ子はおらんかな,石見銀山ネズミ取り」(だったかな?)という殺鼠剤売りの陰気な売り声が連想されました.「石見銀山ネズミ取り」または単に「石見銀山」ともよばれた殺鼠剤,東海道四谷怪談で使用されたのがこれでしたので,ちょっと物騒な感じです……といっても,若い世代から見れば気にならないほど昔のことなのでしょうね.鉱山としての歴史に光が当てられ,明るいイメージがあるのかも知れませんね.
[18688] 2003年 7月 29日(火)01:06:03ken さん
ダレス
[18685] 般若堂そんぴん さん
[18679]小太郎さん
「雲南」「南雲(なぐも)」
「越南」「雲南」と思わせぶりな、名前が続きましたね。

南雲中将というと、私は、トラ・トラ・トラの水戸黄門=東野英二郎の威厳ある南雲中将がどうしても思い起こされます。

[18685] 般若堂そんぴん さん
石見銀山
ホトケを調べた、腕利きの御用聞きが、同心に、
「旦那・・・、こいつぁ、石見銀山・・・」
「うむ、まちげェねェな・・・」
時代劇では定番のやり取りですね。

[18681] オーナー グリグリ さん
どこからでも掛かってきなさい!
旭で始めると新展開が・・・というのは、今日仕事しながら、考えてはいたのですが、246は恐れ入りました。
特に「ぶ」秩父ー豊後高田は、思い付かなかったなあ。
普段馴染みのない、牛深、とか、可児とかが、妙にいとおしく思えて仕方がない「市りとり」です。

ところで、雑魚さんはどこまで行ったやら・・・

今日の上野駅開業120年のEF55は撮りましたか? 雑魚さん?
http://www.asahi.com/national/update/0728/011.html
今朝、常磐線乱れてたからなあ。。。
[24258] 2004年 1月 29日(木)19:38:50【1】ken さん
re:石見銀山
[24247]かすみさん
石見銀山市。個人的にはとんでもない名前だと思ってるんですが。
[24257] みかちゅうさん
このような観光地の宣伝のような地名は好きになれませんね。

はじめまして、kenと申します。
かすみさんが、「とんでもない」おっしゃっているのは、

[18685] 般若堂そんぴん さん
[18688] 拙稿
で触れましたように、時代劇などで、「石見銀山」が毒薬の代名詞として登場する、殺鼠剤としてのイメージのことをおっしゃっているのではないでしょうか。

「石見銀山ねずみ捕り」は、砒素毒のようですが、砒素は銀鉱脈や金鉱脈の近くから産出することが多いそうで。
[18685] で般若堂そんぴん さん が書かれている通り、「いたずらする子はおらんかな、いわみぎんざん、ねずみとり」の触れ売りで、売り歩かれていた殺鼠剤で。

最近の時代劇では、差別的表現の徹底的排除とともに、使われなくなってるでしょうから、昔の「銭形平次」とかですかね。
もう、「石見銀山」といえば「毒薬」、というイメージが払拭されているなら、気にすることもないのでしょうが。
少なくと私の世代は、禍禍しいイメージのつきまとう名前ですね。

【1】誤字訂正
[27463] 2004年 4月 18日(日)02:43:41BANDALGOM[月の輪熊] さん
世界遺産候補
[27458][27462]special-weekさん
[27459]みかちゅうさん
[27460]地名好きさん

文化遺産の暫定リストには、「彦根城」「古都鎌倉の寺院・神社ほか」「平泉の文化遺産」「紀伊山地の霊場と参詣道(=熊野古道)」「(”あの”)石見銀山遺跡」の5件が入っています。
http://www.unesco.or.jp/contents/isan/saishin.html

また、自然遺産の最終的な国内推薦候補に「知床」「小笠原諸島」「トカラ列島以南の琉球諸島」の3か所が選定され、このうち知床が一足先に推薦されているようです。
http://www.ogpress.com/2p/topix/A-10sizenisan.html
http://www.eic.or.jp/news/?act=view&serial=6230
[29009] 2004年 6月 6日(日)09:58:47BANDALGOM[月の輪熊] さん
由布市、石見銀山
[28960]sutekinaおじさん
「日光市」は合併に乗り気でなかったようですが周りから、せがまれて合併に加わったという感じですから、似ている部分もありますね。
私も同じことを考えました。
観光業界の反発が強い点では、日光とよく似ています。
しかし日光市が合併協議会に加わったのは、住民投票の結果「今市市・足尾町・藤原町・栗山村との合併」が圧倒的な支持を集めたからであり、「由布市」でも果たして一般住民はどう考えているのかが気になります。


[28962]なおさん
大分県を代表する山の一つ・・由布岳・・の存在がありますので
一概に由布=由布院ブランドとは行かないですが・・・
私も「由布岳市」で応募しましたが、地図を見たところでは由布岳の山系が庄内町、挾間町にかけて連なっていますし、3町のHPを参考にして、「由布岳」が湯布院町のみならず3町のシンボルであると考えて応募したものです。
確かに、「由布」と聞くと由布院を連想する人が多いかもしれませんが、由布=由布院ブランドにはならないと思います。


[28944]作々さん
他2町にとっては由布院ブランドはさぞ大きいのでしょうね。地元が推さなくて、他2町が推すというのはなかなか面白い構図です。
かの「石見銀山市」との共通点も感じますね。
石見銀山の世界遺産登録には大田市も熱心に取り組んでいますし、農協の名称にもなるなど、ブランドとして認識されているように思いますが、その大田市で「石見銀山市」への反発が根強く、一方で仁摩・温泉津両町が推しているのですから。

ところで、大田市の石見銀山関連HPを見ていたのですが、その中でかの「石見銀山ネズミ取り」について次のような記述がありました。
「石見銀山ネズミ取り」の原料は亜ヒ酸ですが、石見銀山には、これの取れる鉱床はありませんでした。
石見銀山御料(天領)の飛び地、島根県津和野町の笹ケ谷銅山から産出されたものを石見銀山の代官所を通じて販売したため、この名前が付いたのではないかと言われています。
「笹ケ谷」といえば宮崎県の「土呂久」とともに、鉱毒事件のあったところとして小学校の社会科資料集にも載っているところですが、これが史実とすると、後世のドラマによって石見銀山の良くないイメージが流布してしまった訳で、地元としては迷惑な話でしょうね。
[33002] 2004年 9月 17日(金)22:30:09笠津前浜 さん
地名:肉と宍
希少地名(一般)の大田市の間歩、懐かしいです。竜源寺間歩は状態が良く、坑口から短い区間は歩いて入れましたが、今はどうでしょうか。説明文の?は外しても良さそうです。

続けて、備後の府中市にある「肉原」という地名に引っかかりました。「宍」のつく地名は思いつきますが、「肉」のつく地名はそれほどなさそうですね。
[33005] 2004年 9月 17日(金)23:22:57かすみ さん
乗換駅、間歩
[32989]なかなかさん
個人的に見当つけて、阪急・近鉄・京阪が錯綜している京都を見たところ
伏見桃山(京阪)-桃山御陵前(近鉄)というのがありました。
地元ではないので解りませんが、両駅の距離は100m前後なので、乗り換えに使えそうですね。
以前、伏見は庭(?)だったのでコメントをば。(笑)
ご指摘のとおり両駅はすぐそばです。でも実際そういう使われ方はしていません。
なぜなら一つ京都寄りの丹波橋駅(すべての電車が停車)で乗り換えは事足りるからです。


違う駅名の乗換駅の話ですが、JRの大阪天満宮と大阪市営地下鉄の南森町は出てきてました?
かぶってたらすみません。
それと京阪は淀屋橋と北浜なんて一区間と言うよりすぐ隣ですよね。
地下で繋がっているし・・・。(笑)

それから、間歩(まぶ)って地形名としてはうーん・・・。
坑道のことですからね。
江戸末期には300近くあったと言われています。
現在公開されているのは最大級の龍源寺間歩のみです。
[34569] 2004年 10月 28日(木)22:27:03出石隠 さん
きっと大田市
地元で毎日ニュースに接していると、この合併の行く先がなんとなく見えてきます。
ちなみに1市2町の人口は、( http://www.pref.shimane.jp/section/chihou/d-book/
 大田市 仁摩町 温泉津町 合計の順で
 平成 2年 36,922 5,506 4,863 47,291
 平成 7年 35,333 5,174 4,446 44,953
 平成12年 33,609 4,911 4,053 42,573
 平成15年 33,066 4,879 3,853 41,798
10年で約1割、人口が減少しています。平成以降、島根県内で人口が増加しているのは松江、出雲およびその周辺のいくつかの町村に限られており、石見と呼ばれる西部地域市町村の大半が10年間で5%以上の人口減少を記録しています。大田地域も例外ではありません。今後も、多少鈍化するようですが、減少傾向は変わらないようです。打開策や振興策とかが既に効かない状況です。この状況で活きていかねばなりません。

合併に伴う新市名は、温泉津町、仁摩町が折れて、大田市となることでしょう。(自分勝手な予測です。)
できることなら、大田市長はじめ執行部が、議会および市民に対して、納得のいく説明をして、石見銀山市を採用するように持っていって欲しかったです。市長が協議会に対して、大田市を要望したことから、温泉津町、仁摩町は嘆息しながらも受け入れることになると思います。
私が石見銀山にこだわる理由のひとつに、「石見銀山から産出された銀が世界へ流通し、加工され、今でもあちこちで使われているのでは?」という思いがあります。石見銀山は初め山口の大内氏が支配し、その後、尼子氏、毛利氏との三つ巴の争奪戦を経て、近世には天領として、徳川家のものになります。近世も初期以降は、産出量が随分と減少したようです。大内氏は室町幕府と明との正式な貿易とは別に、私的に明との貿易を行っていました。また、近世の銀山最盛期は鎖国に入るまでであり、ここから産出された銀の多くは海外へと輸出された可能性が高いと思われます。世界遺産登録に向けて、今後研究が進められていく分野だと思います。

市名が大田になっても何の違和感もないです。中心市街地、3市町で人口、面積とも最大、韓国大田市との友好関係などなど、新市名に大田がふさわしい十分な理由があります。ただ、やっぱり自分は石見銀山市がいいなあ・・・しつこい!
[59483] 2007年 6月 28日(木)14:24:45スナフキん さん
石見銀山、世界遺産へ
すでに各種ネットニュースでも流れているので引用は避けますが、石見銀山が世界遺産へ登録されることに決定した模様です。

当初「延期」されていたはずなんですが…どうしてここへきて急展開したのかの具体的理由説明がなく、釈然としないものがありますね。いや、私自身は世界遺産への登録に反対って訳ではないんですけど、一度決まった事項を覆した理由が何かを知りたい衝動には駆られます。

以上、速報まで。
[61083] 2007年 9月 7日(金)22:02:25Issie さん
世界遺産
[61081] 揖斐の山 さん
個人的に余り知名度の無い銀山が登録されて不思議に思っている位なんですけど

日本人の,「日本史」などという名前の“蛸壺的”な科目で歴史を学ぶことで形づくられるドメスティックな歴史感覚からすれば,これがごく普通の感覚だと思います。
けれども,[60769] でも 鎌倉 の悪口を言ったとおり,「世界史」的な視点から見れば,鎌倉なんぞよりも石見銀山の方が与えた影響は大きなものがあると,私は捉えています。

マルコ・ポーロが「金の国」として伝えた「ジパング」が日本である,と通常は理解されているのですが,16世紀後半(戦国末期)の日本は「金の国」ならぬ「銀の国」,世界的な産銀国でした。
16世紀の東アジア交易圏で日本銀が果たした役割は絶大なものがあり,それはバスコ・ダ・ガマやマゼランを経てこの交易圏に参入したスペイン・ポルトガルを介して全世界(全地球)的な交易に結びつきました。
同じ頃,「新大陸」から大量に供給されるようになった銀とともに,日本の銀は銀を媒介とする世界交易,つまり世界経済に極めて大きな影響を与えたのです。
その日本銀の産地の代表が石見銀山でした。

だから,私は「中世の都市」でも何でもない鎌倉の世界遺産登録運動には終始冷淡な態度で,鼻で笑っちゃったりしているのですが(もっとも,今の私のお仕事は鎌倉の世界遺産登録をバックアップすることであったりもするのですが),そんなものより,石見銀山の世界遺産登録こそ,その世界史上の役割からして「むべなるかな」と喜んでいます。


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