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落書き帳

長〜い州名

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[20549]2003年10月2日
琉球の風
[20561]2003年10月2日
桃象
[20563]2003年10月2日
Issie

[20549] 2003年 10月 2日(木)15:33:12【1】琉球の風 さん
長~い州名
[20525]中島悟さん
ドイツのあの長ったらしい州名(バーデン、シュレスヴィヒ等)は現地の人は不便に感じないのでしょうか。
誰かこっち方面に詳しい人がおられましたら教えて下さい。
バーデン・ビュルテンベルク州とシュレスヴィヒ・ホルシュタイン州のことですね。なぜ長いのか、歴史的な経緯を答えられるわけではありませんが、ドイツの州名は、日本の都道府県名などと比べて、各々の土地の様子をそのまま表している例が多いようです。例えば....
「バーデン・ビュルテンベルク」はバーデン(温泉地)とビュルテンベルク(草の茂った山)の合成語で、日本語に無理やり直訳すると「草山温泉州(?)」ですね。長野に「野沢温泉村」がありますが(直接比較するのも変ですが)、現地の人が感じる「不便」は、日本人が「野沢温泉村」と発音する時の「不便」とそう変わらないのかも知れません。こっちに住む者にとっては外国語なので長いと感じるだけなのでしょう(多分)。ちなみに....
「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン」→シュレスヴィヒ(泥だらけの水域)・ホルシュタイン(森に住む人)だそうです。次に、「メルヘンブルク・フォアポルメン州」はそのままメルヘンブルクとフォアポルメンの二つの地域名をくっつけただけだそうで、千葉の「大網白里町」などにパターンが似ていますね。また、「ノルトライン・ウェストファーレン州」は「(北ライン地方)・(西の平原)」の意、ドイツ内でも短めの「ブレーメン州」は、ケルト語で「岸辺」の意味だそうです。
[20561] 2003年 10月 2日(木)22:44:38桃象 さん
Re: 長い州名
[20549] 琉球の風さん

この掲示板の常連さんたちにとってはごく基本的な常識かと思われますが,「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン」という地名を実際に発音するときは2音節×2になります。ですからドイツ人が「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン」と発音するときの語感というか,発音する語句の長さに対する感じは,私達日本人が「土浦(つちうら:4音節)」と発音するときのそれと大差はないのであろうとも思います。

ただ,異なる2つの地名がつなげられた州名は日常会話の中では,最初の地名のみが用いられることも多いと聞いたことがあります。同様な例は英国でもいくつかあります。

==
[20563] 2003年 10月 2日(木)22:46:53【2】Issie さん
ドイツの州
[20549] 琉球の風 さん

ドイツは代表的な「連邦国家」ですが,現在の行政区分と州(ラント)の名前が成立したのはそれほど古いものではなく,第2次大戦後,米・英・仏・ソ4ヵ国の占領下に置かれることになった1945~46年のことです。
それまでの行政区画が全国的に再編され,この区分を基に4ヵ国による占領区域の分割が行われました。その後,西側:米英仏3国の占領区域から発足した「ドイツ連邦共和国(西ドイツ)」はこの州の区分を引き継ぎましたが,ソ連占領区域から発足した「ドイツ民主共和国(東ドイツ)」はこの区画を廃止して,より細分化された県に再編されました。
ベルリンの壁崩壊後,東ドイツが西ドイツに事実上吸収合併されたときに,もとの州が復活して現在の区画になっています。

この間,1952年に南西部の3州(バーデン,ビュルテンベルク・ホーエンツォレルン,ビュルテンベルク)が合併して「バーデン・ビュルテンベルク」という州が発足しています。
それぞれの地名の語源をさかのぼることは可能ですが,州の名前そのものは合併以前の州名を単純に並べただけですね。かつての「太陽神戸三井銀行」みたいなものです。

第1次大戦後の「ワイマール共和国」もまた連邦国家の形態をとっていて,行政区分は基本的にその前の「ドイツ帝国」の区画を引き継いだものでした。
つまり,ドイツ帝国を構成していた「領邦」の区分を引き継いでいたので,(現在のポーランド西部やロシア・カリーニングラード地方を含む)当時のドイツ領土北部の大半を「プロイセン」が占め,南東部を「バイエルン」が占める(この2地方だけで領土の7~8割を占める)一方で,これらに比較すればずっと規模の小さい地方として以下のものがありました。
 北部:オルデンブルク,メクレンブルク,メクレンブルク・シュトレリツ
 中部:チューリンゲン,アンハルト,ブラウンシュバイク
 南西部:プファルツ,ヘッセン,バーデン,ビュルテンベルク,ホーエンツォレルン
さらにリューベック,ハンブルク,ブレーメンの各都市が独自の地方政府を構成していました。

ブラウンシュバイク と アンハルト は プロイセン の中に島のように位置し,しかもその「島」はいくつも飛び地に分かれていました。ほかの地方も同様に大小の飛び地を持っていて,たいへんに複雑なものでした。
戦後に全面的な行政区分の再編が行われたのは十分に蓋然性のあることですね。
(もしかしたら,ナチス政権の下で“より効率的”な行政区分に再編されているのかもしれませんが,私は情報を持ち合わせていません。)

19世紀後半,ドイツ帝国の行政区分はもちろん,本来的には中世以来の神聖ローマ帝国の封建領主たちの世襲領に由来するものです。
神聖ローマ帝国の下での世襲領,というのは大雑把に言ってしまえば,徳川時代の幕藩体制と同じような状態と理解できようかと思います。大名の領地が全国のあちらこちらに散在していたのと同様,ドイツの封建領主たちの領地もあちらこちらに散在していたのです。
19世紀初頭に神聖ローマ帝国が解体されてから1871年にドイツ帝国が成立するまで,紆余曲折を経る中で規模の小さい領邦は次々と統合され,ドイツ帝国の成立時点には以下の各領邦による「連邦国家」となりました。
 【王国】 プロイセン,ザクセン,バイエルン,ビュルテンベルク
 【大公国】 バーデン,ヘッセン,メクレンブルク・シュベーリン,メクレンブルク・シュトレリツ,オレデンブルク,ザクセン・ワイマール
 【公国】 アンハルト など5つ
 【侯国】 リッペ など7つ
 【自由都市】 リューベック,ハンブルク,ブレーメン

「王国」から「侯国」まで,領主たちの“ランク”が下がるにつれて,領邦の規模は小さくなっていきます。
その中で圧倒的に大きいのが「プロイセン」で,ホーエンツォレルン家本来の世襲領であるブランデンブルク(ベルリン地方)や「国王」を称する根拠となっている(本来の)プロイセン(現在のロシア・カリーニングラード地方周辺)だけでなく,ライン川中流域(ウェストファーレン,ラインラントなど)やシュレスビヒ・ホルシュタインなども含む北ドイツのほとんどの地域を既に占拠しています。
で,つまりは第1次大戦後に極小領邦の統合が行われたけれど,基本的にはこの区画がそのままワイマール共和国に引き継がれているわけです。
(ホーエンツォレルン家は,その名前からすると元々は南西部の「ホーエンツォレルン」の領主だったんでしょうね。いつの頃か北東部の「ブランデンブルク」を世襲領として獲得し,17世紀には「プロイセン」まで獲得して,ロシアの隣のこの領地を世襲したおかげで「プロイセン国王」を名のることができたのでした。一方で,何かの事情で「名字の地」たるホーエンツォレルンは手放して他家のものになってしまったのでしょうね。仙台藩の伊達家にとっての奥州伊達郡や,三春藩主の秋田家にとっての出羽秋田郡のように。)

日本では明治4(1871)年の廃藩置県とその後の府県再編を通じて封建時代の複雑な地域区分を完全に払拭し,規模も組織もほぼ画一的な府県を通じて中央集権体制を確立するわけだけれども,ドイツはその前の状態で止まったまま20世紀前半のワイマール共和国まで来てしまった,と言えそうですね。
だから,現在の各州の名前のパーツそれぞれの由来は確かに中世までさかのぼることができるだろうけれど,現在の州の領域と名前自体はそれほど歴史のあるものではないのです。


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