都道府県市区町村
落書き帳

富士見 と ふじみ野

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[22008] 2003年 11月 15日(土)19:46:29hmt さん
「都道府県市区町村」の仲間入りを果たせなかった「ふじみ野」
2003/10/26の住民投票で合併による新市名誕生に「ノー」の結論を出された「ふじみ野」ですが、
10th anniversary 東武鉄道東上本線 ふじみ野駅 開業 1993年11月15日
を記念して、地名の誕生を探ってみました。

「ふじみ野」は駅名先行の新地名で、地元に住む私も、駅開設前にこの地名を聞いた覚えはありません。今回私が調べた範囲では、富士見市議会会議録(1986年3月)の中に「…将来的にふじみ野駅が開設され…」とあるのが文献初出です。前年の1985年会議録には「富士見市に三つ目の駅」と駅名が記されておらず、更に前年の1984年には「今後できる桔梗ヶ原ですか、仮称の…」という発言がありました。
この「桔梗ヶ原」は1972/9/21東武鉄道から大井町長宛「桔梗ヶ原駅(仮称)開設について(回答)」に見える駅名ですが、単線時代最後の1951年から1954年にかけて、現在の駅より約400m池袋寄りの大井町苗間(現在リズムタワーのある場所)に存在した「ききょうが原信号場」の名を引き継いだものと思われます。
この地は富士見市としては辺境であり、駅開設に熱心だったのは大井町です。大井町は1952年に駅誘致を開始したようですが、駅位置について二転三転の結果、1982年に富士見市勝瀬の現在地とする東武の意向が示され、反対したが押しきられました。大井町議会史本編の35頁にもわたる駅誘致の記事は、駅は実現したものの町内でなかったという複雑な心境をうかがわせます。

東武が「ふじみ野」という新しい名前を作った理由は不明ですが、[19019] で愛比売命さんが引用されたように“おしゃれな表記”を好んだのかもしれませんね。富士見市にはおしゃれの感覚がなかったので、駅開設の前提として行なわれている土地区画整理事業の組合名に用いられた地名は「勝瀬原」です。大井町は“おしゃれな表記”が好きだったようで、ふじみ野に対抗して苗間の一部を「うれし野」と通称し、1998/11/1から住居表示地名に採用しました。今年になってとうとう「ふじみ野」を乗っ取り、亀久保の一部に住居表示「ふじみ野一町目~四町目」を実施すると発表したので、“揉める大(井)捜査線”TNさん [19024] の話題になりました。この件、予定通り2003/11/22から実施されるので、「都道府県市区町村」レベルからは下になりますが、「ふじみ野」が晴れて?行政地名の仲間入りをします。

と、ここまで書いて郵便番号検索をしてみたら、早くも356-0050大井町ふじみ野が掲載されていました。それだけでなく 259-1211平塚市ふじみ野があることまで発見。

ついでに「ふじみ野」の語源になったと思われる富士見は、1956年昭和大合併による村新設に際して命名されました。町制1964年、市制1972年。由来について、富士見市史は「村内のどこからでもはるか西方に富士山をのぞむことができるところから命名されたものである。」と記しています。珍奇な合成地名よりましだったとあきらめるにしても、富士山が「どこからでも」見える土地柄だけに、周辺の他地名と区別する識別性能が極めて弱い地名であると思います。
また郵便番号検索ですが、「富士見」で検索すると埼玉県は10件+富士見市、東京都9件、神奈川県10件、静岡県12件という調子です。意外だったのは山梨県で僅かに3件。富士が見えるのはあたりまえで地名にはならないというなら、これも見識です。その他北海道から長崎・大分までありますが、もちろん別の富士でしょう。

明治以来の歴史のある長野県や群馬県の富士見村(長野は1955年に町)には、「周辺では見えない富士が、この村では見える」というメッセージが込められているように感じられます。事実該当町村以外は長野2件、群馬1件にすぎず、隣の上福岡市や川越市(2件)を含めて富士見だらけの埼玉県とは大違いです。もっと良い村名はなかったのかな。

その点「ふじみ野」の方が、識別性が少しは向上していることを評価したいと思います。かな+漢字のおかげですか。
[36706] 2005年 1月 12日(水)21:04:53スナフキん さん
新市名はふじみ野市
埼玉新聞webによりますと、上福岡市・大井町合併後の新市名称は、本日の合併協議会において「ふじみ野市」に決定したそうです。折しも、富士見市が「ふじみ野市」はやめてほしいとの要望を出した矢先での決定だけに、この地域での不協和音が生じる心配が出てきました。

以上、速報まで。
[36793] 2005年 1月 16日(日)01:41:56スナフキん さん
私はふじみ野市民になるのだろうか…
やっと落ち着いて書き込みできる時間が作れました。来週にもまた、バタバタと告示ラッシュがくるようですね。私の生まれ故郷も晴れて告示による決定がなされそうです。ところで、お相手の若美町には名誉町民として中日ドラゴンズの落合博満監督がいらっしゃいます。今回の合併によって同郷の人となるのですが、ではこの「名誉町民」はどうなってしまうのでしょうね。よく、合併協議項目では「慣行の取扱い」として新市に引き継ぐとか、新市において決定するとかありますけど、このことに関してはかなり微妙だと思います。やめてしまうとなれば、何だか名誉をはく奪されたみたいで嫌ですし、逆に新たに名誉市民になったとしても、本人にしてみれば隣の自治体から名誉号を送られても…という気分になりそうですし。出身地など、合併に時間軸が絡んでくる話題は、取扱いが面倒ですね。


さて、我が居住地の合併話も今週は大きな進展がありました。ご承知のように協議会で新市名が「ふじみ野市」と決定されています。しかし一方で、2市2町の時は枠組みに加わっていた隣の富士見市長はこの決定に不快感をあらわにしています、これも以前速報に書いた通りです。

1市1町の枠組みにおいて、事務所位置は上福岡市の、自治体名は町名に「ふじみ野」をすでに有していた大井町の顔を立てた恰好になりました。市の名前は応募の多かったものから選んだ民意とも言えますが、どちらにしても事前の富士見市長による要望は、完全に無視された形での決定となりました。その意味においては富士見市長の対応も、全く理解できないわけではありません。

しかし、市民であるhmtさんには耳の痛い話になりますが、どうも富士見市長の一連の対応は大人気なく思えます。ふじみ野を市名に採用しないよう要望した理由をいろいろ挙げていますが、「ふじみ野市は2市2町における市の名称であるから」などは苦しい言い訳にしか聞こえず、結局はネームバリューを持っていかれたくないだけのような気がしてなりません。[36714]で白桃さんが書かれていることも、正論だと私は思います。

それ以前に私にとっては、そもそも「ふじみ野」という地名自体に、あからさまに地名争奪戦を繰り広げるほどの価値があるのだろうかという疑念が沸きます。ふじみ野という駅ができ、地名が事実上日の目を見るようになって10年ちょっと。確かに不動産物件名や駅名による地名の浸透は、歴史の浅い地名にしては早かったとは思います。新興住宅地としてのイメージもほぼ定着したように感じられます。しかし、周囲の「勝瀬」「苗間」といった地名に比べれば使われだしてからの年数はまだわずか。それをやれこっちのものだとか、その地名はこっちによこせだとか…。そういうことをするほど成熟した地名には私には思えないのです。だから周りにこのことを説明するのも、ちょっと恥ずかしいです。私が仕事柄、毎日各地の地名に接しているからこういう考えになるのかもしれないですが、何と言うのでしょう、次元が低いというか、地名文化の低さを露呈しているというか…。

ですから、1市1町の枠組み側の肩をもつ気にもならないのです。協議会の会長である上福岡市長も、住民投票の実施を尋ねられて「合併の是非を問うのに住民投票はそぐわない、私がやらないと言っているのだからやらない」など、到底理解しがたい答弁をしたりもしています。住民投票がそぐわないのなら、何故2市2町の時には実施したんでしょうか、全然答えになっていません。私がやらない~のクダリは、市民は黙っていろ、事情をすべて飲み込んでいるでもないのに議論をかき回すな、に聞こえます。自治体という大きな組織の合併という話に、小市民の意見を反映させるのはやはり難しいんでしょうか。
[36903] 2005年 1月 19日(水)20:42:22hmt さん
「大福岡市」ではなくて…
埼玉県大井町と上福岡市との合併による新市の名称。
外野席から ひそかに期待していたのは、合成地名の「大福岡市」でしたが、さすがにそこまでは…というわけで

[36793]スナフキん さん
私はふじみ野市民になるのだろうか…

「ふじみ野市」が、こんな形で復活してくるとは、予想外でした。
以下、“「ふじみ野」の住人です”と名乗ってこの落書き帳にデビューした[19388] 富士見市民の感想。

駅名由来の 歴史が浅い地名[22008]ですが、新自治体が、「ふじみ野市」を名乗りたいのなら、それも結構。
“紛らわしい”というが、静岡県では「富士宮市」と「富士市」が隣接しています。「富士見市」と「ふじみ野市」は、一方がひらがなを使っていることも手伝って、混乱なく識別されると思います。
2市2町合併案から使い回しの市名。これを“横取りされた”と感じるか、“リサイクル”と感じるか。
「ふじみ野駅」はふじみ野市内にない。これも、新座市所在の「志木駅」のようによくあること。

「ふじみ野」は、10年余の歴史しかないものの、それなりに定着している地名です。
富士見市に従属するものでも、もちろん新しく合併する市の専有物でもないと考えています。
「地名」と「自治体名」とは、関連はあるが、別のものです。

たぶん、スナフキん さんのお住まいのある霞ヶ丘からも富士山がよく見えると思います。(高層建築物に邪魔されなければの話ですが。)「丘」というよりも「野」がふさわしい台地上に広がる街です。このような風景の中で、大部分の方は時間がたてば「ふじみ野市民」であることに違和感がなくなってくることと思います。
そうなると、「ふじみ野」という地名には、現在のふじみ野駅周辺だけでなく、広域化した使われ方が加わるでしょう。

本来は「地名」とは別の「自治体名」ですが、新しい市の名前に採用されることで、「地名」の使われ方を このように変えてゆきます。
[36959] 2005年 1月 21日(金)10:05:13スナフキん さん
ふじみ野市、さらに混沌…
[36903]hmtさん
書き込みを見させていただいて、なるほどなあと思いました。ただ残念ながらスナフキんには学と知識とが十分に備わっておらず、それらを培うだけの人生経験もまだ浅いがために、
「地名」と「自治体名」とは、関連はあるが、別のものです。
「ふじみ野」という地名には、現在のふじみ野駅周辺だけでなく、広域化した使われ方が加わるでしょう。
というように達観できないでいます。恐らく「ふじみ野市」がこのままゴーサインとなったとしても、私自身がそれを受け入れ、慣れるまでには相当の時間を要するかと思います。今、上福岡市福岡にある市役所がふじみ野市役所になるというのが、どうも違和感ありありでして…。若さ故の未熟さ(苦笑)でしょうか。

などと勝手に私は「ふじみ野市」を一人歩きさせていますが、昨日も合併協議会側が富士見市長の要望を事実上突っぱねたこと、市長は要望を出し続けることなどが報道されていたようです。さすがに、この地域で作る広域事務のあり方を見直すまでごねるような大人げない事態にはならないと思いますが、仮に「ふじみ野市」が成立したとしても、協定項目には広域事務の取扱について、新市は合併施行日において事務組合に加盟するとあります。組合の事業執行に支障が生じることはなくとも、ことをこじらせてしっくりこない関係が生じるのは、市民として何とはなしに不安を感じたりもする次第です。同時に、合併って、元あった地域間の共存関係をここまでギクシャクさせてまでやるものなのかどうなのか、疑問も感じてしまいます。自治体という大きな組織を統合するということが、いかに大変なのかを痛感しますね。
[46112] 2005年 10月 24日(月)17:48:59林檎侍[花笠カセ鳥] さん
富士見?ふじみ野?
先ほど、5時15分からのラジオ番組「うわさの調査隊」で、「埼玉県に富士見市とふじみ野市があって紛らわしい」と言う内容の放送をしておりました。
番組内での大井町民へのインタビューでは、「合併して市になることは喜ばしいが…」で、富士見市民へのインタビューでは、「紛らわしい」でした。
アナウンサーの結びは、
「全国の皆さん!埼玉県には「富士見市」の隣に「ふじみ野市」があるので十分ご注意ください」でした。

このラジオを聴いて、初めて富士見市にふじみ野小があることを知りました。
[46198] 2005年 10月 26日(水)18:29:54hmt さん
不動産屋さんが付けた地名(1)アイムふじみ野
[46112] 花笠カセ鳥 さん
アナウンサーの結びは、
「全国の皆さん!埼玉県には「富士見市」の隣に「ふじみ野市」があるので十分ご注意ください」でした。

まぎらわしい自治体名は、その他にも多数ありますね。

それはさておき、「ふじみ野」の由来。過去ログなどをまとめてみると次の通りですが、どうも少し言い足りないところがあるので、補足しておきます。

1.「ふじみ野」は、1993年11月に東武鉄道東上線の新駅が開業[22008] した後で、駅周辺の通称となる。
2.10年後の2003年11月に、正式の行政地名として初登場する。旧・大井町の住居表示[18983]
3. 入間東部地区2市2町合併計画に際しては、一旦はその新市名として採用されたが[18915]、2003年10月の住民投票で合併自体が破綻した[21515]
4.上福岡市と大井町との合併にあたっては、その新市名候補として「ふじみ野」が復活し、富士見市長からの異論を無視して決定された。

実は、この“幻のふじみ野市復活”決定[36706]の少し後に、ふじみ野駅から降り立った正面に次のような看板が建てられました。
ここは富士見市です
この駅「ふじみ野」の名前は、富士見市の街づくりで生れました。
これからもこの街を大切に育てていきます。
  富士見市

いかにも自分が生んだ子の名前を、隣の市に奪われてしまったという富士見市長の悔しさが読み取れるのですが、そのあたりの事情を考えてみました。

私の知る限りでは、富士見市の都市計画には、「ふじみ野」という名前は使われていなかったと思います。“富士見市の街づくり”の基本は、「富士見市勝瀬原特定土地区画整理組合」によって行なわれています。この組合が設立された1986年当時は、まだ「ふじみ野」という地名がなかったので、当然とも言えます。
「ふじみ野」という通称が普及してきた1990年代中頃に、富士見市内の町名(大字勝瀬)、又は区画整理の組合名(勝瀬原)を「ふじみ野」に変更しておけば、今回のようなトラブルは防げたかもしれませんが、富士見市としては、このへんの既得権?確保策を講じていなかったわけです。

富士見市の公的機関で「ふじみ野」を名乗った最初のものは、おそらく1999年開校の「ふじみ野小学校」[46112]で、東武鉄道による「ふじみ野駅」開業よりも5年以上後のことです。
更に遅れて、2002年には「ふじみ野交流センター」やその中に同居する「富士見市立図書館ふじみ野分館」ができましたが、市役所の出張所は現在も設けられておらず、鶴瀬駅を中心とする富士見市の中では、この地区は未だに辺境扱いという感じがします。

看板に書いてあった“この駅「ふじみ野」の名前は、富士見市の街づくりで生れました。”は、実は行政主導の都市計画の中ではなく、民間のマンション事業の中で生れたのです。

民間マンションの代表的なものが、東武鉄道の「アイムふじみ野」です。リンクしたページの「コンセプト」をクリックすると、全体のイメージ図が出てきます。
ふじみ野駅開設はこのマンション事業と事実上一体のものであり、駅の開業時期も、このマンションの第1期に合わせたものでした。

アイムふじみ野の所在地は確かに富士見市ですから、駅前看板にあった“富士見市の街づくり”には相違ないのですが、民間不動産業者の販売政策は、行政の枠を超えて「ふじみ野」の名を拡散させてゆきます。
[46223] 2005年 10月 27日(木)16:01:24【1】hmt さん
不動産屋さんが付けた地名(2)マンション業者が拡散させた「ふじみ野」
[46198]で、「ふじみ野」の由来について、実は東武鉄道が開発したマンション群「アイムふじみ野」の名として誕生したものであり、この地名を世間に広めた「ふじみ野駅」の名も、マンション事業と一体のものとして名付けられたことを記しました。

結果的には「ふじみ野」の名を横取りしてしまった旧・大井町ですが、当初は大井町領域内の地名としては、富士見市を連想させる「ふじみ野」を避けて、別の名を使いたかったのではないかと思われます。

旧・大井町が1952年から30年間にわたって新駅の誘致を行なった「ききょうが原信号場」[22008]跡地の西側には、この地で最初のツインタワー・マンションと、それに隣接する商業施設(アウトレット・モール)が作られることになりましたが、最初は敷地の形から「ビッグT」と仮称しました。
その名は、建設中に「リズム」RISMと改められ、大井町当局は、その付近(大井苗間第一土地区画整理事業地域)に「うれし野」という名を付けました。駅やリズムができた1993年当時は、明らかに「ふじみ野」に対抗する名を付けていたわけです(住居表示実施は1998)。

ところが、民間マンションは、駅から少し遠くても「○○ふじみ野」と駅名を付けて販売します。例えば、うれし野より更に南、駅から1km以上も離れた上位段丘の縁に作られたマンション群も「コスモふじみ野」(1995)でした。
このようにして、旧・大井町の領域にも、単発を含めて「○○ふじみ野」という名のマンションが数知れず出現するようになりました。

このような状況をふまえて、大井町当局も遂に方針を変え、「ふじみ野」を乗っ取ることにしたようです。
すなわち、1998-99年に「サティ大井店」や「パークサイドコートふじみ野」が作られた東久保土地区画整理事業地域の住居表示として「ふじみ野」を使用しました [18983]
地図の中央の大きな建物がサティ大井店で、青い枠の右側、南武蔵野(富士見市勝瀬の字)と書いてあるところが、アイムふじみ野[46198]です。(現在は北側の空白地も完成しています。)
2市2町合併計画が進められていた2003年のことで、この落書き帳でも話題になりました[19024]

そして、今回の上福岡市との合併では、とうとう「ふじみ野」を新市の名前にしてしまい、富士見市長だけだなく、スナフキん さんを始めとする上福岡の人の反発を呼んでいます。

前記「サティ大井店」のように、川越街道の大井宿に近い商業・サービス業施設は、まだ「大井店」を名乗るところが多かったのですが、「ふじみ野市」になったこれからは、「ふじみ野店」を名乗るところが多くなり、「ふじみ野」という地名はますます拡散してゆくことでしょう。

“マンション業者が拡散させた「ふじみ野」”という副題を付けましたが、実は更に駅から離れているのに「ふじみ野」を名乗る施設があります。
その一例が、文京学院大学ふじみ野キャンパスです。駅から2km以上はあるでしょうが、所在地が既にふじみ野市になっているので、これからは天下公認になりました。
もっと遠い所では「ふじみ野霊園」もあります。関越高速道路を越えた先で、所在地は三芳町。駅から4~5kmも離れた所。
[52876] 2006年 8月 1日(火)09:24:39スナフキん さん
新しい市町村の名前、もっと「いいこと」で有名になってほしい…
周知の通り、私の住む市で、何とも痛ましい事件が起こってしまいました。市が運営・管理する施設で、原因はともかく幼い子供がなくなったのは事実です。プール排水溝絡みの事故、なかなか根絶できませんね、どうしてなんでしょう。

常日頃思うのですが、合併して新しくなった自治体の名前、もうちょっといいニュースで全国に知ってほしいものだと思うのは、多分合併した自治体に住まう私だけではないでしょう。合併直後に市民病院で不祥事が発覚した「射水市」、殺人事件で全国ニュースでも連呼され続けた「洋野町」、5億円強奪の犯人逮捕でこれまた連呼された「下野市」、そして今回の「ふじみ野市」…。その意味では旧「二ツ井町」を含む新「能代市」もこの中に入ってしまうかもしれません。「洋野町」は直前にロシアからの一時帰国ニュースで大きく名を売っていたのでまだ「まし」ですが…。

しかも、市内最大のイベントで最も周辺からの集客があるとされる「上福岡七夕まつり」を週末に控えた、その週初日の事故でタイミングも悪すぎます。それとこれとは関係ない、と言ってしまえばそれまでですが、お祭り気分に水を差す事故だったのは間違いなく、私自身もテンションが物凄く下がりました。

嫌なニュースがことさら目立つ昨今の社会情勢と、合併が繰り返された地方自治体を巡る情勢とをごっちゃにするのはおかしいかもしれませんけど…もうちょっと、いい世の中になってほしいものです。

最後に苦言。最近、「ガイドライン」をきちっと把握していないと思われる書き込みが少し目に付きますね。オーナー自身がおっしゃっているように、ここは自由広場ではありません。自分ただ一人の独りよがりで、文章を書き連ねる場ではないはず。私にはそれら書き込み、個々人の思い込みによるところを強く感じます。プレビューで読み返す習慣をつけたほうがよろしいかと。
[52907] 2006年 8月 1日(火)23:39:13スナフキん さん
合併も遠い一要因なのか…
[52893]k-aceさん
フォローありがとうございます。件の記事、私も指摘以前に目を通しました。私が書き込んだ後に調査の結果分かった事実のようです。

私があえて「原因はともかく」とグレーな表現を使ったのは、合併が遠い原因であって欲しくないと思う反面、実際には遠い原因として指摘されるのかもしれないなという懸念も持っていたからでした。その懸念が当たってしまったようです。

ただ、記事中には住民として疑問を感じる部分もあります。生命に関わる「点検」という重要な業務の頻度を半減させたのは言語道断ですが、その理由として挙げている「合併で管理施設が倍増し職員の手が回らなくなった」という点です。実は、合併後の「ふじみ野市」は、旧上福岡市が管理していた市営プールも保有しています。今回事故の起きた旧大井町管理のものと合わせれば倍増したことになるのですが、この旧上福岡市管理のプール、シーズンが始まる直前になって「低湿地で、しかも廃棄物の直上に建設したために、ひび割れ部分から有害物質がプール水に混入する恐れがある」というとんでもない事実が急浮上し、この夏の営業を取り止めたというすったもんだがあったばかり。よって、単純に考えれば営業を取り止めた側の職員を回せば従来通りの点検体制はとれていたはずで、「職員の手が回らなくなった」というのはどうもその場しのぎの言い逃れに聞こえます。第一、手が回らなくなったからと言って、手を抜けば重大な事故を引き起こしかねないことが容易に想像できる点検業務頻度を半分にしていい、はずないですよね。市民の、いやここは市の境界線に近いですから、近隣住民の生命を軽んじていると責められても仕方のない対応です。ここに住まう一市民として、情けないとしか言いようがありません。

もっとも苦痛なのは、「あぁ、死亡事故を起こしたプールのある、あの市ね」と他の人から自分の住所について言われ、思われること。自分には何の非もないのに、周りからこんなレッテルを貼られるのは、辛いです。汚名を返上する、何か明るいニュースが、ふじみ野市に欲しいです…。
[55364] 2006年 11月 26日(日)22:15:20hmt さん
富士見村誕生から50年
もちろん現役の富士見村のことではありません。
群馬県勢多郡富士見村は、明治22年の町村制施行時から117年の歴史があります。
更に古く、筑摩県時代の明治7年に誕生した富士見村(現・長野県諏訪郡富士見町)もありました。

富士見市の難波田城資料館 に足を向けたら、このような展示を開催していたので、タイトルを借用しました。

気がついてみれば、昭和の大合併を実現させた3年間の時限立法「町村合併促進法」が満期になった1956年(昭和31年)9月30日から50年が経過していたのですね。辛くも、この最終日に合併を実現させた村の一つに「埼玉県入間郡富士見村」がありました。

市町村合併情報日付順一覧 によると、この最終日の合併件数は全国で335件を記録。もっとも、昭和合併3年間のちょうど半ば、1955年4月1日は369件でしたから上には上があります。参考までに、平成合併の記録件数は、2005年10月1日の50件。

50年前に富士見村が誕生した時代には、私は会社に入ったばかりで初めての関西暮らし。というわけで、この合併とは全くの別世界にいましたが、現在の居住地という縁で、昭和合併のプロセスの一例を記してみます。

Occupied Japan時代1949年に「シャウプ勧告」がありました。正式名は「国及び地方の税制に関する報告書」で、その基本理念は、国と地方公共団体の間の事務の再配分を実現した上で、地方公共団体の財政を強化することにありました。
市町村が学校、警察その他の活動を独立して維持することが困難な場合は、比較的隣接した地域と合併することを奨励すべきである。同様に…市町村または府県の合併が行政の能率を増すために望ましい時にもまたこれを奨励すべきである。

1951年頃からは現実に地方財政の赤字化が顕在しており、全国町村会から、合併に伴なう財政上の優遇措置を法律で定める要望が強く出されました。議員立法による「町村合併促進法」が制定されたのは、独立の翌年1953年のことです。
小規模行政による地方財政の不利益を克服し、合理的な運営を可能にする適正な規模は、人口8000人程度とされ、これを3年間で実現しようというわけです。

以下、主として展示資料によります。
埼玉県が最初に示した試案によると、鶴瀬ブロックは5村合併でしたが、実質的な合併協議は、福岡村(試案では川越ブロック)を加えた6村で行なわれました。うち柳瀬村は当初から所沢との合併を希望してすぐに離脱。
人口が他村の倍近くあり、農業主体の他の村と住民構成が異なる福岡村は、合併の条件として新庁舎の村内設置を強く主張し、他の村から反発を受けました。

大井村は福岡村と鶴瀬村とにそれぞれ近い両派が内部対立。
三芳村は隣接する鶴瀬・大井との合併を希望するも、上富地区は所沢編入を希望し、これも内部対立。
水害常襲地帯で鉄道かも遠い南畑村は将来に危機感を持ち、鶴瀬との合併を希望。

鶴瀬村議会の申し合わせ(1954/12/28)を見ると、昭和30年(1955)3月1日を目標に、南畑・三芳・水谷・大井との5村合併とあります。これによると、福岡村との合併は既にあきらめ、当時北足立郡だった水谷村が視野に入ってきています。
水谷村はもともと入間郡でしたが、戦時中の強制合併[37842]から戦後の分離独立という経歴で別の郡になっており[41711]、志木(足立町)との合併を望む住民と鶴瀬との合併を望む住民とが1956年の住民投票による決着まで対立していました。

1955/3/24鶴瀬村長からの協力願いでは、“現在の情勢は、三芳鶴瀬及南畑の合併が強く打ち出され”とあり、その翌月4/15になると、まだ可能性が残されていた大井村を含む4ヶ村合併が遂に不調に終わったことが報告されています。

三芳村との合併は、町村合併促進法失効期限のギリギリまで持ち越されたようです。1956年9月20日付の三芳・鶴瀬両村長の名による「誓約書」(の案?)なるのものが展示されていましたが、その翌日になると次のように断念が表明されています。
昨日の誓約書について本日午前中回答あるものと待っておりましたが、三芳村に於ても難航の様子のため未だ回答がありませんので、本村としては委員会の協議の結果、この誓約書の件は打ち切ることに決定したしました。 昭和31年9月21日 鶴瀬村町村合併協議会

#「誓約書破棄」の事情が書いてないだろうかと「三芳町史」を確認してみたら、“9月24日に関係各村と取り交わしたが、その2日後に破棄するに至った”とありました。日付が違い、事情の記載なし。

三芳村との最終交渉と同じ頃に並行して鶴瀬村との合併交渉が進められていたた水谷村については、9月19日の住民投票(投票率97.14% !!)によって、鶴瀬村・南畑村との合併に賛成849票、足立町との合併に賛成533票で方向が決まりました。
こうして、9月22日に鶴瀬・南畑・水谷3村の「富士見村」への合併同意が成立。翌23日に各村議会は合併を決議しました。

昭和31年9月24日、埼玉県知事あての「富士見村設置申請書」。これは活版印刷物です。これまでに紹介した展示資料は、ほとんど全部が謄写版印刷でした。
“…を廃し、その区域をもって富士見村を設置することとしたので” というおなじみのスタイルの文言が初めて顔を出します。
“土質豊じょうにして農業を主体とする産業…土地改良事業…多角的農業経営” などの文言からもわかるように、当時は農村の富士見村でした。

おまけ
合併した頃の鶴瀬駅時刻表。基本ダイヤは1時間に3往復で、毎時00分に池袋を出る寄居行準急は志木まで通過で24分発、池袋20分40分発の川越市行準急は成増から止まるため、鶴瀬発46分、06分。朝7時台の上りは準急4本、普通2本。
[18915] 2003年 8月 8日(金)17:49:41【2】TN さん
ふじみ野市
先程合併協議会から帰ってきました。
本日開催されました第18回富士見市・上福岡市・大井町・三芳町合併協議会におきまして、以下確認されましたのでお知らせ致します。

協定項目3 新市の名称
新市の名称は、「ふじみ野市(ふじみのし)」とする。

協議会委員全員の多数決結果は以下です。
ふじみ野市  23票
西さいたま市 13票
[18946] 2003年 8月 10日(日)01:34:03スナフキん さん
新「ふじみ野」市民から…
[18915]TNさん
協議会の傍聴をされたのですね、ご苦労さまでした。そして情報ありがとうございました。恥ずかしながら、そろそろホンチャンだなと思ってはいたのですが、まさか8日がその日だったとは…すっかり忘れていました(汗)。

何はともあれ、「西さいたま」などというトンチンカンな名称にならず、ホッとはしています。けど、あまり気乗りのする名称でないのは以前にも書き込みした通りです。すでに書き込み訂正されていますが、会の内容については「やっぱりな」という思いです。一応市民から公募をしたという理由付けはしておいて、結局は何だか市民を置いてけぼりにして協議会がグイグイ事を進めようとしていることの現れですね。正直、傍聴なんかしようと今まで思わなくて正解だったのかもしれません。また、[18932]でも指摘されているように、「ふじみ野」の名称からは最も縁の遠い三芳町の動向が今後の着眼点となりそうですね。「ふじみ野」以外なら、大井町が住民投票否決の可能性が最大かと思っていたのですが、こういう状況が実際に動き出した今、住民投票実施で一番危険(?)そうなのは上福岡市よりも三芳町に思えます。

[18932]TNさん
ところで、応募の件ですが、昨日配布された資料には上位30点までしか掲載されておりませんでした。HPの更新時に発表されるでしょうか。
[18930]kenさん
ところで、(関係者対象とはいえ)公募結果の全候補と投票数、どこかに開示されてませんでしょうか?
個人的に「入東(にっとう)市」がどれぐらいあったのか気になります。
この件ですが私は懐疑的で、すべてを公表はしないと踏んでます。当初新聞報道にもあったように、西さいたまを上回るハチャメチャな応募もあったらしく、全部を公表する意味合いはかなり薄く、また公表したとしても周囲から呆れられるのが関の山だと考えられるからです。「テリヤキチキン」や「ベッカム」が出てきてしまった背景に、例えば上福岡などでは生徒への宿題と称して応募はがきを小学校生徒全員にばら撒いたという実態があるようです。そもそも、2市2町の総人口に対し、今回の応募総数は私の想像をはるかに下回るもので、新市の名称でさえあまり関心を示さない層がかなりの数に上っていることを如実に示しています。いかに「東京のベットタウン」を顕著に表しているか、なのですが、せめて自分の居住地域の名称くらいは本気で考える人が多くないと、新市の将来がちょっと心配になります。たぶん今以上にもっと地域意識が減退するんではなかろうかと…あ~あ(タメイキ)。

[18924]special-weekさん
駅名から市名ができてしまったようで悲しいです。
そうは言っても、我が「上福岡」がもともと、「駅名起源説」がきわめて有力視されていますからねぇ(当落書き帳においても…)。

市名となれば今後「ふじみ野市立○○」という小中学校、公共施設が乱立するわけですよね。
すでに「ふじみ野小学校」があります。ムチャクチャくどいですね、でももういいです(サジナゲ)。

[18930]kenさん
結構、西さいたま市にも票が入っていることに驚きます。
確かに結果をまず見てそう思いました、私も。でも冷静になって考えれば上記の通り、三芳町の「ふじみ野」に対する反発と捉えれば、このくらいの数にはなるのかなぁと。逆にこれだけ入ったとすれば、住民投票の結果予想も今から「青信号」とは言えなく思います。

[18932]TNさん
ご紹介のサイト内の掲示板では、「入間」も好感されてないようで。私は好きなのですけど、人それぞれですね。
応募を前に、地域意識を問うたサンプル調査の結果みたいなモノが公表されていたのですが、そこでも入間、すなわち郡を一つのくくりとして地域意識を持っている住民はごくわずかしかいなかったという実態があったようです。今回の合併劇以前に、入間郡からは多数の自治体が市制施行を果たしていて、事実上エリアぶつ切りの状態に陥っていたことからこれはやむなしでしょうね、これも以前に書き込んだ通りです。東入間や入東は、落ちるべくして落とされたとも言えますかねぇ…。こうなってくると、今の警察署の名前が「?」な事になってしまいます。これは西入間もしかり、なのですが。

思いつくまま、レスばかりを連ねてみました。
[18983] 2003年 8月 11日(月)15:59:01TN さん
Re:新「ふじみ野」市民から… 
グリグリさん、お帰りなさい。

[18946]スナフキんさん
たぶん今以上にもっと地域意識が減退するんではなかろうかと…

問題点は、住民の多くがこの合併話をきっかけに地域のことを考えるようにならなかった事かもしれませんね。
(敢えてさらっと)

ところで、大井町亀久保の一部(字東久保)が11月22日から住居表示実施で「ふじみ野1~4丁目」に変更されるそうです。
http://www.town.oi.saitama.jp/new/chomei/index.html
この境界線、なんとかならんかったのか、という入り組みようです。

[18963]
富士見高校の裏手に広がる水田地帯

花火、素直に羨ましいです。(そんな巨大だったとは)
この辺りは、突如住所が変更になったところですね。圃場整備が進んで田圃の1区画が広大になった区域と一致すると思われますが、「みどり野東」「みどり野西」「みどり野南」「みどり野北」と、なぜこのような事になってしまったのでしょう。
http://www.mapion.co.jp/c/f?el=139/34/00.390&scl=20000&pnf=1&uc=1&grp=all&nl=35/51/50.028&size=500,500
[19024] 2003年 8月 14日(木)18:01:16TN さん
揉める大(井)捜査線
[18994]スナフキんさん
「大井町ふじみ野○丁目」の実施の背景に、何かあるのではないかと勘ぐりたくなってしまうスナフキんでした。
[19012]kenさん
新市名「ふじみ野市」決定直後(翌日?)の突然の大井町の東久保「ふじみ野」への住居票変更の発表は、スナフキんさんご指摘のように、きな臭いものを感じますね。

お詫びしたい事があります。

これなのですが、かかるタイミングで私が「いつ」を省いてスナフキんさんにお伝えしたことによる誤解ですので、ちょっと説明させて下さい。

1.広報おおい2002.7.1号 住民対象の住居表示実施説明会のお知らせ

2.広報おおい2002.7.15号 実施区域を四つのブロックに分け、「それぞれに」町名を募集(住居表示審議会の資料用)

3.大井町住居表示審議会の答申を受け、12月定例議会で決定

4.広報おおい2003.1.1号 新しい町名が「ふじみ野」にとのお知らせ

というプロセスでした。新市名が決定する1年以上前からの実施計画ですので、「行政側の恣意的な行動」と一概に切って捨てることは出来ないように思います。
それぞれに町名を募集しておきながら、最終的に「ふじみ野1~4丁目」に決定したことから、すべての町(ブロック)で「ふじみ野」が最多か上位得票だったと推測されます。

ですが、「東久保一丁目」が存在することから、当該区域は「東久保2~5丁目」とする予定だったはずであり、なぜ町名案を公募することになったのか不思議ですね。

いずれにしましても、誤解を生じさせてしまい、すみませんでした。


[18991]地理好きのケンさん
富士見市勝瀬の一部(ふじみ野駅周辺の区画整理地区)が「ふじみ野東」「ふじみ野西」に

まるで東上線の駅名のようですが「かつせ台」なども出て来そうな予感がします。
[21515] 2003年 10月 27日(月)09:42:55スナフキん さん
2市2町合併破綻に思う…
すでに以下メディアでも報じられている通り、富士見市・上福岡市・大井町・三芳町の合併話は、立ち消えとなることがほぼ確実となりました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031027-00000014-kyodo-pol

皆さまからねぎらいの言葉を頂戴し、ありがとうございました。実は、住所を同じくする資料室長とこの結果に関しては、半ばこうなるだろうと予想していました。反対するとすれば、2町だろうと…。

[21511]白桃さん
合併してもしなくても別段変わりない、と考える住民が多いのですかね。話は短絡過ぎるかもしれませんが、地方では合併が非常に切実な問題となっいるのに対して、大都市周辺部ではそうでもなく合併の動き自体も少ないというのは、住んでいる土地への帰属意識が薄い(良いとか悪いとかではなく)からでしょうか?
確かにそれはあるでしょうね。私なりにこの結果を端的に分析するならば、2町住民にとってこの合併話が、実態は人口の多い地域に飲み込まれる、という悪い印象を拭い切れなかったためではないでしょうか。たとえ協定項目でいくら「新設合併」をうたって口約束をしたとしても、です。殊に、土地への課税がより厳しくなる農家にしてみれば、いっそう新市への恨めしさがあっただろうことは容易に想像がつきます。結果論になりますが、大井町の「非合併なら単独市制」発言、合併話がありながらも住居表示「ふじみ野」を設定、新市名称決定時における三芳町の「総造反」現象などの合併を巡るすったもんだも、ひょっとすると反対になる公算が大きいことを両町は予期し、もっと言うなら住民と協議会とのあらゆる面における距離の差が、この2町には分かっていたからかもしれません。

まあ、この合併に関して、相当の税金が垂れ流されてしまったことが事実として残ることになりました。各地への視察や協議会各委員会開催費用、協議会だよりの発行費用などその額は各自治体が持ち寄りだったとしても決して小さな額ではありません。単に隣接する自治体をよく知り合ういいきっかけになった、というだけではあまりにも高過ぎる代償です。この合併論議を通じて、今後各自治体がどうしたら単独で健全な財政を保つことができるのか、一定の方向性を見いだせなければこの合併論議、ただの税金無駄遣いで終わってしまいます。我が自治体にはもちろん、他の合併話を抱える諸自治体にも他山の石として欲しいですね。


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