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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[22915]2003年12月20日
夜鳴き寿司屋
[22917]2003年12月20日
実那川蒼
[23003]2003年12月23日
U+3002
[23009]2003年12月23日
Issie

[22915] 2003年 12月 20日(土)14:37:50【1】夜鳴き寿司屋 さん
合体地名名称
[22808] 月の輪熊 さん

また「宇和I.C」も、西予市誕生後に開通すれば、「西予I.C」になるのではないでしょうか。
開通前でも「みなべI.C」と同様、合併に先立って「西予I.C」にするかもしれませんし。

 同じ松山道でも内子町と五十崎町が合併(予定)する前の開通の為「内子五十崎 Ⅰ.C」となっておりますが、新「内子町」が発足してもされる可能性は少ないでしょうね。

 町名は内子にして町役場は五十崎という妥協が出来たので良かったのですが、もし町名で揉めて「内子五十崎町」や「五十崎内子町」にならなくて良かったと思います。また地元の方に聞いた話では新しい町役場を両方の町の境に近いⅠ・Cの隣接地に作る構想もあるようです。

 かつて両方の町の名称をつけた「大湊田名部市」(現・むつ市)がありましたが、今後町名で揉めるからと「セルビア・クロアチア・スロベニア王国」のように3つも4つも合わせた名称の自治体は出現の可能性はないですが、「大田区」(大森区+蒲田区)のような方式も「平成の大合併」においては稀ですが、してほしくはないやり方です。

*「セルビア・モンテンテネグロ・スロベニア王国」を修正
 ここでは地名にしておりますが、本当は民族名が正確です。
[22917] 2003年 12月 20日(土)14:57:02実那川蒼[あんどれ] さん
旧ユーゴスラビア
[22915](夜鳴き寿司屋さん)
「セルビア・モンテンテネグロ・スロベニア王国」
「セルビア・クロアチア・スロベニア王国」だと思います。別の資料では「セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国」と書いてありました。地名の連称ではなくて民族名の連称なのかもしれません。

ちなみに旧ユーゴスラビアのうち、最後まで「ユーゴスラビア連邦共和国」を名乗っていた国は今年から「セルビア・モンテネグロ」と国名が変更されています。
[23003] 2003年 12月 23日(火)18:53:59U+3002 さん
セルビア‐クロアチア‐スロヴェニア王国
[22917] あんどれ さん
「セルビア・クロアチア・スロベニア王国」だと思います。別の資料では「セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国」と書いてありました。

英文ではSerb(o)‐Croato‐Slovene Kingdomになります。
(正式にはSerbo‐だと思いますが、Serb‐とするテキストもあります)
Serbo-Croato-Sloveneは「セルビア‐クロアチア‐スロヴェニアの」とも「セルビア人‐クロアチア人‐スロヴェニア人の」とも訳せますが、French Republicを「フランス人共和国」とは言わないように、これを「セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国」とするのは誤訳だと思います。
ちなみに、私が初めて読んだ資料では「セルボクロアートスロベニア王国」でした。

地名の連称ではなくて民族名の連称なのかもしれません。

ご指摘どおり、地名よりは民族名の意味あいが強いと思います。
むしろ、地名としての「セルビア」などは、これらの名前を冠した国家が成立してから一般化したのではないでしょうか。
[23009] 2003年 12月 23日(火)21:25:18【3】Issie さん
Re:セルビア‐クロアチア‐スロヴェニア王国
[23003] U+3002 さん
French Republicを「フランス人共和国」とは言わないように、これを「セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国」とするのは誤訳だと思います。

これは百パーセント日本語の問題ですね。
French Republic を「フランス人共和国」と“翻訳”しないのは,単に「そのように翻訳しない習慣」なだけであって,そのように翻訳したって一向に構わないのです。

Serbo-Croato-Slovene Kingdom を「セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国」と日本語訳する文献は決して少なくありませんし,直訳すればその通りです。

ちなみに、私が初めて読んだ資料では「セルボクロアートスロベニア王国」でした。

これは,たまたまその文献がそう翻訳していた,それだけのことです。

むしろ、地名としての「セルビア」などは、これらの名前を冠した国家が成立してから一般化したのではないでしょうか。

これは間違い。
スラブ人とは別系統であることに民族としてのアイデンティティを求めているギリシア人を含めて,バルカン半島における「民族」の枠組みは複雑です。
「セルビア人」と呼ばれ,そのように自覚する人々は,この地域の中で東方正教会(セルビア正教)への信仰と,この教会で用いるキリル文字による「セルビア語」などをもって「セルビア人」たるアイデンティティを確認してきました。「方言区分」としてもほとんど同じ言葉を話すクロアチア人とは,彼らが西方のカトリックであり,ラテン文字(ローマ字)でもって自分たちの言葉(=クロアチア語)を表記する,という民族的伝統を持つことで,お互いに「異民族」としての感情を深め合ったのではないかと思います。
「セルビア正教会の信者たるセルビア人」という感情は,オスマン帝国による征服以来,イスラム教徒たるトルコ人および“セルビア人(モスレム人,…という枠組みは,第2次大戦後ののチトー政権下で確立しました。彼は,お互いに全く同じ「セルビア・クロアチア語」を母語とします)”と自己を峻別し,同じ言葉を話していてもカトリックであるクロアチア人と自己を区別することで醸造されたものだと思います。

クロアチアが同じカトリックのハプスブルク帝国=オーストリアに少なからぬ親近感を感じていたのと同様に,同じ東方正教会への信仰という点で,セルビアとロシアとは深く結ばれていました。ある面で,ロシアからの一方的な,という気もしないではありませんが,とにかく,あのチャイコフスキーにセルビア民謡をモチーフに「スラブ行進曲」を書かせたほど,ロシア人(あるいはロシア国家,すなわちロマノフ王朝)はセルビア人に対して特殊な感情を共有していました。これこそ,第1次大戦の伏線になったものにほかなりません。

いずれにせよ,第1次大戦後に人為的に作られた「セルボ・クロアート・スローベン王国」改め「ユーゴスラビア王国」にとって,最大の問題はともに多数派であるセルビア人とクロアチア人の問題であって,それが第2次大戦中にはナチス政権とのかかわりで相当におぞましい場面を作り出しもしました。大戦後,良くも悪くも“国民統合”の要であったチトーが亡くなってたちまちに「連邦」が崩壊し,特にセルビア人とクロアチア人が激しく戦い合ったのは記憶に新しいところです。

ご指摘どおり、地名よりは民族名の意味あいが強いと思います。

「ユーゴスラビア =南スラブ諸民族の」という甚だ人工的な呼称が生み出される前には,このように名乗るしかなかったのです(「インドネシア」なる地域呼称が,20世紀に入るまで少なくとも“地理学者”の世界以外に存在しなかったのと同じように)。


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