秋葉原
[34126]EMM さん
鎮火神社自体が明治2年にできた比較的新しい神社なのだそうです。
なるほど。明治2年の大火を機に、江戸時代から神田川北岸にあった空地の他に 新たな火除地を設け、翌年 ここに秋葉大権現を勧請したというわけですか。切絵図になかったわけです。
神社→秋葉原駅の住所は第五大区→神田区→千代田区ですが、「台東区秋葉原」という町名があります。
[34129]の分類では、(2)ですか。
[34120]を書いた後で「あきばっぱら」という呼び方があったことを思い出したのですが、これも
秋葉原の歴史にありました。
学生時代、当時総武線の終点だった御茶ノ水駅で、千葉県から来る「担ぎ屋」によく出会ったものですが、あのオバサンたちは正統的な「あきば」という呼び方をしていました。
小手指ヶ原
埼玉県入間地方で最も有名な「原」は、「小手指ヶ原」でしょうか。1333年に新田義貞の鎌倉めにおける幕府軍との合戦場として歴史に残っています。西武の駅名は「小手指」で、駅前の所沢市小手指町など、地名としては「原」が付いていないようです。もちろん古戦場付近も原野のままである筈はなく、畑になっていましたが、始発電車が多い通勤好適地なので、宅地開発が進んでいることでしょう。
勝瀬原
知名度からいうとゼロに近い存在ですが、実はhmtの地元では、「富士見市勝瀬原特定土地区画整理組合」が、1986年から事業を進めています。東武東上線の「ふじみ野駅」が1993年に開業したのもその一環です。
たしかに区画整理事業開始前は、原野に近い状態でした。これが本来の「勝瀬原」か? いやいや、これは自然の「原」ではなく、将来の開発を当て込んだ土地投機により、耕作放棄状態になっていた土地と思われます。
「勝瀬原」という名前自体、区画整理事業開始前には聞いたことがありませんでした。どうやら都市化を前提とした事業のために新たに作られた「原」地名のようです。
安達ヶ原
コレクションに入れないような「原」ばかりでは申し訳ないので。
「原コレクション」に安達ヶ原(福島県本宮町)がありますが、鬼婆伝説で知られる「安達ヶ原」は、二本松市にあります。
本宮町にも同じような伝承があるのかな?
その他「相模原市・相模原台地」からの連想で「伊勢原市」とか、「中津原台地」とかも浮びましたが、接尾語の付かない単独の「原」地名としては、もう一つですね。
まあ、「相模原」も 「相模原町」発足の時から普及した地名で、それ以前は、むしろ「相模野」だったような気がするのですが。