都道府県市区町村
落書き帳

新加茂町

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[28051] 2004年 5月 8日(土)10:44:17林檎侍[花笠カセ鳥] さん
戦時中に合併したが戦後分立した自治体
[28038]夜鳴き寿司屋 さん
 また、かつては戦時中に強制合併された市町村の分離も1948年から2年間だけ住民投票で決着できる法律があったそうで、実際に全国で33件が実施され、そのうち28件の分離が住民投票で決定になったようです。(個々のリストも欲しいところですが、どなたかアップして下さい。お願いします)
私が、10年以上前に、図書館で緑色の厚い本(タイトル失念)を見て調べた内容のうち、アーカイブズ未収録のものを書きます。

秋田県大久保町、飯田川町、豊川村が17/4/1合併→25/7/1豊川村分立→25/10/1飯田川町分立
31/9/30昭和町、豊川村合併により昭和町

秋田県和田町→17/4/1豊島村を編入→25/7/1豊島村を分立→30/3/31和田町、豊島村、岩見三内村合併により河辺町

埼玉県皆野町、三沢村、国神村、日野沢村、大田村、金沢村18/9/8合併→21/12/1分割→
皆野町、国神村、日野沢村、金沢村30/3/1合併→三沢村32/3/31編入

埼玉県騎西町、種足村、高柳村、田ヶ谷村、鴻茎村18/4/1合併で騎西町→21/5/1分割→29/10/1高柳村以外再合併→30/3/20高柳村を編入

埼玉県栗橋町、静村、豊田村19/4/1合併→24/10/1分立→32/4/1再合併

岡山県加茂町、東加茂村、西加茂村17/5/27合併→新加茂町26/1/1分立→加茂町、新加茂町、上加茂村29/4/1合併により加茂町

高知県山南村、徳王子村、富家村、香宗村17/4/1合併大忍村→23/4/1分立→現在の香我美町、野市町

高知県宇佐町、新居村17/4/1合併で新宇佐町→新居村と宇佐町に24/4/1分立→高岡町、宇佐町、新居村
33/4/1合併で高岡町→34/1/1土佐市

ただし、これらは官報を調査していませんので、告示日などはわかりませんのでご了承下さい。
また、全都道府県を調査したものではありません。
ですから、他の実例を持っている方、追加をお願いします。
[74025] 2010年 1月 23日(土)19:03:55白桃 さん
ややこしや、津山東町と加茂町
現在の津山市のエリアには面白くて複雑怪奇な「町の存亡」の歴史があります。

その1.二つの津山東町
市町村制度発足時、岡山県にはたった3つしか町がありませんでした。高梁、津山と津山東です。この「津山東町」は文字通り津山城下町の東部にあり、実態は「津山」であったと思われます。1900年に津山町に編入されましたが、自然のなりゆきだったのでしょうね。津山東町を編入した津山町は1929年に津山東町などと合併し、市制施行。このときの「津山東町」は1923年に林田村が町制施行した際に改称したものです。「東津山町」ぐらいにしておけば、ややこしさが薄まったと思うのですが・・・。
ともかく、この2つの「津山東町」は別物なのです。

その2.加茂町と新加茂町
こちらは、もっとややこしい。
1924年苫田郡加茂村が町制施行し、加茂町に。
1942年加茂町、東加茂村、西加茂村が合併。
1951年1月1日加茂町の一部が新加茂町として分立
1954年4月1日加茂町、新加茂町、上加茂村が合併し、加茂町となる
ここで、面白いのは1951年に分立した「新加茂町」とは、もともとの「加茂町」であり、残った「加茂町」というのが、旧の東加茂村と西加茂村なのですよ。
この事は今日初めて知りました。世帯主が家を飛び出して新しい世帯を作った。こんな例って他にあるのかしら?
顛末はこちらをご覧いただければ詳しいのですが、3年あまり新加茂町と加茂町は役場を共用していたというのですから何とも面白いですね。
[80416] 2012年 3月 21日(水)16:11:01【1】hmt さん
戦時合併 と その解体 続編 (3)戦時合併→戦後分離 の事例集
戦時中に合併したものの 戦後に分離した市町村の話題を続けます。[80411]掲載分に加筆した 記事集

[28051] 花笠カセ鳥 さんの記事にあるように、事例を紹介した本が存在するようですが、不明のまま。
88 さん のおかげで、この時代の履歴情報[55225]は 既に 2006年時点で整備済であったのですが、最近になってグリグリさんが提供してくれた 検索機能は、このテーマの事例を 網羅的に集めるにも役立ちそうです。そこで、私が試行した結果の報告です。

変遷情報データベースの中で「分立・分割」を検索する期間は、1945年~1951年と設定しました。
1945年には まだ該当例はないものと予想されますが、念の為 終戦の年から始め、昭和23年の法改正で設けられた特別措置2年間を考慮して、昭和26年までを対象としました。

検索結果 89件中には、もちろん戦時合併と無関係のノイズも多数含まれます。例えば戦時合併がなかった沖縄県。
そこで、分立・分割 89件中の「変更対象自治体名」が、[80411]で検索した戦時合併 383件(新設199 + 編入 184)に該当するものを拾い出し、次の結果を得ました。

No.県名戦時合併分離再置町村名復縁現在記事
1秋田昭和町1942分立1950飯田川町,豊川村1956潟上市[28051]
2和田町1942分立1950豊島村1955秋田市[28051]
3茨城瑞穂村1942分立1949源清田村1955河内町
4埼玉川口市1940分立1950鳩ヶ谷町2011川口市[55654]
5騎西町1943分割1946【注1】騎西町他4村1954加須市[56459]
6美野町1943分割1946【注2】皆野町他4村1955皆野町[56459]
7分割1946大田村秩父市
8志紀町1944分割1948/4志木町,宗岡村1955志木市[55654]
9分割1948/4内間木村朝霞市
10分割1948/4水谷村富士見市[55363]
11栗橋町1944分立19490静村,豊田村1957久喜市
12神奈川相模原町1941分立1948/9座間町座間市[180][64153]
13横須賀市1943分立1950逗子町逗子市[37958]
14富山高岡市1942分立1951新湊町射水市[74310]
14.1分立1951牧野村1951高岡市[15592]
15三重名張町1942分立1949箕曲村1954名張市
16滋賀水口町1942分立1948/10柏木村1955甲賀市
17木之本町1942分立1948/5伊香具村1954長浜市
18岡山加茂町1942分立1951新加茂町1954津山市[74025]
19広島西条町1939分立1950寺西村1959東広島市
20山口山口市1944分立1947阿知須町2005山口市[25065]
21分立1949小郡町2005山口市[6729]
22徳山市1944分立1949富田町,福川町2003周南市[5162]
23愛媛肱川村1943分立1951河辺村2005大洲市
24三島町1944分立1950松柏村1954四国中央市
25高知新宇佐町1942分立1949新居村1958土佐市[28051]
26大忍村1942分割1948/4【注3】山南村他3村1955香南市[28051]
27熊本三和町1944分立1949池上村1953熊本市
28分割1950城山村,高橋村1953熊本市[53580]
29八代市1943分立1950郡築村1954八代市[74310]
30大分竹田町1942分立1950豊岡村1954竹田市

【注1】騎西町,種足村,高柳村(復縁1955),田ヶ谷村,鴻茎村
【注2】皆野町,三沢村(復縁1957),国神村,日野沢村,金沢村
【注3】山南村,徳王子村,富家村,香宗村 復縁は1955年(香我美町,野市町)と2006年の2段階

【追記と訂正】
[80417] k-ace さん ご指摘のように、新湊町と牧野村とは、分立後の変遷で 異なる道を歩みました。
牧野地区については、[15592] TN さん の記事があり、更に、市から分立した後の町村の変遷経緯については、グリグリさんによる詳しいコメント[74310]がありました。(いずれも、冒頭の記事集に追加)
上記の表で1行に同居していた No.14は、分割して2行に改めました。
[80421] 2012年 3月 22日(木)15:22:30hmt さん
戦時合併 と その解体 続編 (4)戦後分離特別措置
[80419] 88 さん
早速、官報により総理府告示を調査していただき、ありがとうございます。
No.5,6,7が空欄なのは、官報情報検索サービスの対象期間(1947/5/3以降)よりも前[56459]だからですね。
No.20 阿知須町分立は、地方自治法になってからの 1947/11/23実施ですが、告示は半年以上前だったのでしょうか。

集計表により、特別措置が適用されたのは、No.25 高知県高岡郡新居村(S24. 4. 1施行)を第1号として、No.18 岡山県苫田郡新加茂町(S26. 1. 1施行)までの合計 20町村の分立であったことがわかりました。
# 施行日を使ったのは、何故か告示日の方が遅いものが多いからです。

同じ徳山市から同時期に分立したのに、No.22 福川町が ○で 富田町が × という違いがあったのは 意外でした。
分立にあたっては、個々事情の相違がある。当然のことを改めて認識させられたデータでした。

No.14.1 富山県射水郡牧野村の挙動なども、いかにも事情ありげです。
[15592] TN さん により紹介されていますが、1940年に先ず隣接する新湊町に編入。次いで、1942年に高岡市に編入と2段階の戦時合併。
戦後の特別措置で分立することになるのですが、今度は1942年の新湊町ではなく、1940年の新湊町と牧野村まで戻ります。
これが、1951年の正月元日でした。
そして正月に分立した2町村のうち、新湊町が3月に新湊市になったのはよいとして、4月には牧野村が高岡市に出戻り。
地図 を見ると、庄川の東側に張り出した高岡市牧野地区は、“第1次戦時合併当時(1940~1942)に戻りたくない”ことを語りかけているように見えます。

熊本県飽託郡三和町からの No.27 池上村「分立」 が特別措置で実現して 「三和」の一角が崩れました。
こうなれば、残る2地域No.28 も 戦前の自治体に戻ることになり、翌年「分割」。これは よく理解できます。
しかし、明治22年の町村制施行時からの「高橋町」に戻ることはできず、城山村と共に生れたのは「高橋村」でした。[53580] むじながいり さん

なかなか理解できなかったのが、No.18 岡山県苫田郡新加茂町の分立です。
[74025] 白桃 さん
1924年 苫田郡加茂村が町制施行し、加茂町(1)に。
1942年 加茂町(1)、東加茂村、西加茂村が合併。【新設合併で加茂町(2)となる】
1951年1月1日 加茂町(2)の一部【旧加茂町(1)の地域】が新加茂町として分立【旧東加茂村、旧西加茂村の地域は、加茂町(3)として残る】
1954年4月1日 加茂町(3)、新加茂町、上加茂村が合併し、加茂町(4)となる【新設合併】

理解しやすいように、4つの加茂町に番号を付けました。加茂町(2)と加茂町(3)の範囲は違いますが、法人格は継続。

加茂中心部の地図 を見ると、南流する加茂川に西から倉見川がY字型に合流。戦時合併した3自治体は、 Y字の川を境界に隣接していました。現在でも津山市役所支所のある北側が行政中心地の加茂町(1)、街道が通り因美線美作加茂駅のある東側は交通の拠点となっている東加茂村。西側の西加茂村には病院マークが見え、生活の拠点のようです。

相互に補完する機能を持つ3自治体の合併に無理な点はなかったのに、なぜ戦後になって特別措置による新加茂町分立という事態になったのか? これが謎でした。

[74025]にリンクされた 加茂分町の歴史 により、その原因が戦後の学制改革であったことを知りました。
3町村にあった小学校の1つを廃校にして中学校にする。犠牲になった旧加茂町(1)の地域からの分離運動は、住民投票で多数を得たものの、県議会でも もめた。その結果が、前記のように 20町村分立の どんじりになった理由でしょう。

このような行きがかりで、分立ということになってしまいました。
しかし、幸いにして 深刻な争いに発展せずに、2町が融和提携する道を歩んだようです。
役場も共用して経費を節約し、発端になった学校問題も2町の学校組合立3小学校へと方針転換。

1954年の昭和大合併では、上加茂村を加えた3町村の合併による加茂町(4)で、復縁を果しましたとさ。
めでたし めでたし。
[80434] 2012年 3月 26日(月)13:12:35【2】hmt さん
戦時合併 と その解体 続編 (6)座間町分立に影響した法改正 住民投票で分離した28町村
[80429][80430] Issieさん
あえて“特別措置”は行使しないことを表明しながら,むしろそれを条件に町に承認を迫った,とも言えそうですね。

タイミング良く、昨年『相模原市史 現代通史編』が発行されていたのですね。
詳細なご紹介により、当時の実情の一端を知ることができました。

引用箇所が戻りますが、
このように,なかなか上手く進まない座間の分離問題。その風向きを変えたのが「昭和23年法律第179号附則第二條」という地方自治法改正

この改正法附則第二条は、88さんが [55654]で第5項まで、更に[80419]で第9項までを紹介されているのですが、住民による請求期間を2年間に限定した第10項が なぜか脱落していたので追加します。

昭和23年法律第179号附則第二条第10項
第二項の請求は、この法律施行の日から二年以内に限り、これを行うことができる。

【追記】
ここで、このような過去の法律を落書き帳記事にリンクする際に利用できるソースについて、一言紹介します。
2年前の記事[75018]で 「地方自治法の昭和27年改正」 をリンクした時は、国立公文書館の 原本画像 を利用しました。
ところが、最近では もっと使い勝手のよい テキストソースに 簡単にアクセスできることを知りました。
すなわち、衆議院HPに第1回国会以来の制定法律本文があり、日本法令索引からリンクされているのです。

手順を簡単に説明します。
日本法令索引 の現行法令から「地方自治法」を検索。その「法令沿革」で 昭和23年7月20日法律第179号〔第四次改正〕 の「被改正法令」をクリックすると、国立公文書館_デジタルアーカイブ【御署名原本画像】と衆議院_制定法律【テキスト】との両方へのリンクがあります。
衆議院_制定法律 を閲覧すると、原本由来ですが 項番号がありません。最後のあたりに記された附則の 行頭位置は乱れており、少し読みにくい。
しかし、テキストですから、上記のように必要部分をコピペするにも便利です。

なお、衆議院のテキストが使えるのは“第1回国会以来の制定法律”に限られ、それ以前、例えば 帝国議会による「制定当時の地方自治法」[75012] を見るのには使えません。
【追記終】

なお、“2年間だけ住民投票で決着できる”という事実だけは、ずっと前の[28038]で紹介済みでした。

[80431] Issieさん
片瀬町が藤沢か鎌倉との合併(中略)問題を決定するために町民による町民投票を行って方向を決めたのである。

1948年の法改正とは無関係ですが、1948年よりも前に住民投票が行なわれた事例があったのですね。

座間町は、事実上 1948年の法改正を見据えたものではあったが、分立手続き自体は法改正によるものでなく、住民投票も行なわれませんでした。従って、“分離が住民投票で決定”された28件[28038]の中に含まれていないのは当然です。

では、[80419]88さんの表で「○」が付けられた20町村と、上記“28件の分離”との相違とは?

特別措置による分立が行なわれた結果、「分立元」が戦時合併前の単独町村に戻ったケースが該当するでしょう。
秋田県南秋田郡昭和町【合併前は大久保町】、秋田県河辺郡和田町、茨城県稲敷郡瑞穂村【分立3ヶ月後に合併前の長竿村に改称】、埼玉県北葛飾郡栗橋町、高知県高岡郡新宇佐町【分立と同日に合併前の宇佐町に改称】で5件。

熊本県飽託郡三和町から池上村が分立した翌年の分割により 合併前の自治体に戻った城山村・高橋村。
この分割手続き自体は 特別措置によるものでなかったのですが、戦前の形に戻すという住民の意向は、前年の住民投票で示されていた可能性があります。
そして、岡山県苫田郡加茂町(2)から新加茂町分立後に残った加茂町(3) [80421]
これは戦時合併前の東西2村ですが、これも同類と数えれば 20+5+2+1=28件。

むりやり数合わせを強行したきらいもありますが、一応説明がつきました。

[28038] 夜鳴き寿司屋 さん
実際に全国で33件が実施され、そのうち28件の分離が住民投票で決定になったようです。
ということは、住民投票で分離せずの結果を出したり、県議会で分離案否決[80415]されたりの不成功 5例ということか。


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