都道府県市区町村
落書き帳

電力周波数の話題

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[28180] 2004年 5月 12日(水)10:06:51YASU さん
両周波数にまたがる市町村
日本の電力は東日本は50Hz、西日本は60Hzと分かれていますが、今度富士市と富士川町の合併が成立すると、日本初の両周波数にまたがる市町村ができるのでは、と思っています。静岡県以外では新潟県(東北電力)も両周波数がありますが、60Hz地域は佐渡市のみでしょうか。
他にも河川が県境となっている長野、山梨県境付近、長野、新潟県境付近、富山、新潟県境付近にもありそうな気がしますが・・。
現在では、ほとんどの電気製品は両周波数共用となってますが、蛍光灯などはどちらか一方の周波数のみであると思います。市町村名で区別がつかないと配送間違い等がでてきそうですね。

[28148] スナフキん さん
海外旅行することって…
大半の方がパスポートを所持して海外渡航経験をお持ちなのでしょうか。
海外へ出かける人って、そのあたりどうやって「思い切る」んでしょうね。
私の場合は、国鉄(20年前・当時)を全線走破したため、次は海外の鉄道に乗ろう、ということになりました。その時、国鉄バス路線にも乗ろう、全国道を走破しよう、全市町村を訪ねよう、全郵便局を訪ねよう、などと考えていたら、海外には行っていなかったと思います。海外旅行に対する怖さより、好奇心がまさったのではと思います。
ちなみに初の海外はシベリア鉄道です。当然ロシア語はしゃべれませんが、列車内は治安の問題もなく、なんとかなりました。かえってアメリカのように、「英語は話せて当然」と考えている国よりは楽でした。
妹さんの海外挙式も「思い切り」のひとつとなるのではないでしょうか。
日本国内の少なくとも3ヶ所で、諸君らの若い目と心で、過去の事実を真摯に受け止めてからでも、海外に出るのは決して遅くはない…
私の高校の先生も、同様のことを話されていました。うち2ヶ所は全線走破の途中に、あとの1ヶ所は海外に出かけた後で訪ねました。
「シベリア」も過去の事実の一つですし、その次に訪ねた東西に分かれていた頃のドイツ(日本もまかり間違えばこうなっていたかも)、韓国、台湾(すべて個人旅行)でも、色々と考えさせられました。

これ以上は本筋とはずれますので・・
[28186] 2004年 5月 12日(水)11:40:16BANDALGOM[月の輪熊] さん
誰かにあげるか、持って帰るか・・・
[28180]YASUさん
静岡県以外では新潟県(東北電力)も両周波数がありますが、60Hz地域は佐渡市のみでしょうか。
東北電力のHPを調べたところ、
50ヘルツ(Hz)と60Hzの地域は静岡県の富士川から新潟県の糸魚川を境にして,東側が50Hzの地域,西側が60Hzの地域になっています。
東北電力管内はほとんどが50Hz地域ですが,新潟県中頸城郡,西頸城郡の一部地域と佐渡全域が60Hz地域となっております。
とありました。
http://www.tohoku-epco.co.jp/denki/03order/konnna/start/index.htm
「西頸城郡」は青海町あたりと考えられますが、「中頸城郡」はどこなのか気になりますね。

両周波数にまたがる市町村ですが、静岡県芝川町がそうなのではないでしょうか。
また、後述の長野県内の混在地域もありますし、その混在地域がある栄村は、現時点では未定ですが、「合併するなら新潟県津南町」という話が出ています。
仮に津南町と合併した場合、現在の栄村も東北電力になるのか、中部電力のまま残るかですが、津南町が両周波数にまたがることになるでしょう。

他にも河川が県境となっている長野、山梨県境付近、長野、新潟県境付近、富山、新潟県境付近にもありそうな気がしますが・・。
東京電力のHPに、東北電力のよりも詳しい略図が出ていましたが、
http://www.tepco.co.jp/life/custom/q_and_a/komatta/hikkoshi-j.html
すべて60ヘルツだと思っていた長野県にも、混在地域が表示されています。
長野県を管轄する中部電力のHPを見てみたところ、50ヘルツの地域が出ていました。
http://www.chuden.co.jp/kozin/sikumi/sikumi4_chuden.html

#ちなみに韓国は60ヘルツですが、手持ちの髭剃りは60ヘルツ専用となっており、これは今月末の帰国にあたって、誰かにあげるか、日本の60ヘルツ地域に住むことになった場合に備えて持ってかえるか、悩ましいところです。
(電圧、プラグの形も違いますが、これは変圧コードがついていて、日本でも使えます。)
[28192] 2004年 5月 12日(水)12:48:22U-4 さん
RE:両周波数にまたがる市町村
レスできるネタがありましたので、また投稿します。
[28180]YASU さん
日本の電力は東日本は50、西日本は60Hzと分かれていますが、今度富士市と富士川町の合併が成立すると、日本初の両周波数にまたがる市町村ができるのでは、と思っています。静岡県以外では新潟県(東北電力)も両周波数がありますが、60Hz地域は佐渡市のみでしょうか。
[28186] 月の輪熊 さん
両周波数にまたがる市町村ですが、静岡県芝川町がそうなのではないでしょうか。
また、後述の長野県内の混在地域もありますし、その混在地域がある栄村は、現時点では未定ですが、「合併するなら新潟県津南町」という話が出ています。
静岡県芝川町は大半が東京電力のエリアですが、富士川の右岸側の内房(うつぶさ)地区については中部電力(60Hz)のエリアです。
この内房地区は元々庵原郡内房町で昭和31年に富士郡富原村と合併をして富士郡となり、翌32年に富士郡芝川町に編入されたものです。(地名好きさんのHPを参考にしました)郡を越えた合併により同一町内で周波数が分かれた例と思われます。
中部電力のエリアである長野県は、50Hzの供給区域が散在しています。特に下水内郡栄村は村内の大部分が50Hz。この他に、野沢温泉村、飯山市などの一部に50Hz区域があります。この地域は中部電力の系統からの供給ではなく、近傍にある東京電力中津川第一発電所や東北電力宮野原発電所(50Hz地区向けの発電所)から直接供給されているということが理由のようです。
長野県内にあるために、中部電力が東京電力などから融通を受け、それを一般需要家に供給しているという形式を取っているようですが、越県合併した場合の扱いは興味がありますね。
[28193] 2004年 5月 12日(水)13:01:56YASU さん
飛び地は気づきませんでした。
[28186] 月の輪熊 さん
[28192] U-4 さん
早速のレス、ありがとうございました。県境付近のみ考えていたのですが、南安曇郡や大町市など思いもよらぬ所が50Hzなのには驚きました。なぜそうなったのかは、戦前の電灯会社の電力供給状況まで遡らないとわからないですね。
書物の名前は失念しましたが、10電力会社に統合される前、大きな工場の自家発電設備から電力供給を受けていた地域では、周辺と異なる周波数の場合がある、との記載を見た記憶があります。その地図では、大牟田、荒尾あたりの一部が50Hzだったような・・。
「西頸城郡」は青海町あたりと考えられますが、「中頸城郡」はどこなのか気になりますね。
確かに気になります。妙高高原町あたりでしょうか?
仮に津南町と合併した場合、現在の栄村も東北電力になるのか、中部電力のまま残るかですが、津南町が両周波数にまたがることになるでしょう。
そのままの場合、NTT西エリアの熱海市におけるNTT東の泉地区のような状態になりますね。
富士川の右岸側の内房(うつぶさ)地区については中部電力(60Hz)のエリアです。
同じ県内に住みながら、全く知りませんでした。
[28200] 2004年 5月 12日(水)18:58:05miki さん
新潟の60Hz地域・決着編
[28186]月の輪熊さん
新潟の60Hz地域ですが、今詳しい資料を私に送ってきましたので説明します。
佐渡市、青海町(上路、市振玉ノ木、橋立清水倉)、妙高村斑尾八坊主
[28234] 2004年 5月 13日(木)19:44:48hmt さん
「新潟の60Hz地域・決着編」から生まれた謎
[28200] miki さん
佐渡市、青海町(上路、市振玉ノ木、橋立清水倉)、妙高村斑尾八坊主

佐渡は島内完結型の電力供給体制。青海町市振玉ノ木は富山県境ですから北陸電力からの越境型として理解できます。[28192]U-4さんが紹介された長野県の例と類似しています。

さて、残る3ヶ所の60Hz地域の存在が謎です。

共通点は他の集落から隔絶された山の中、川の上流。
隠されたもう一つのヒントは、この川を下って行くと大きな化学工場のあることです。

これに基づく私の推測は次の通りです。
電気化学工業と日本曹達はそれぞれ青海川水系、関川水系とに自家用の60Hz水力発電所を持っており、下流の青海工場、二本木工場(中頸城郡中郷村)に送電していると思われます。
これらの系統は広い意味では「新潟県内の60Hz地域」ではありますが、公共インフラとしての電力事業ではないので、普通の意味での「新潟の60Hz地域」には数えられておりません。
ところが、この系統の電力のごく一部が東北電力に融通されて、山の中の集落に配電されているのでしょう。東北電力からの供給ということになれば、立派な「60Hz地域」ということになります。

[28193]YASUさん
大きな工場の自家発電設備から電力供給を受けていた地域
は、現在でも存在するのですね。

第二次大戦前はたくさんの電力会社があり、ドイツ流の50Hzとアメリカ流の60Hzとが入り乱れていました。
戦時電力体制(日本発送電+地域別配電会社)を経て戦後の電力再編成を迎えても入り乱れた周波数地図は続いていました。

50年前に学んだ教科書(大山松次郎著「電気工学通論」)には、全国の周波数地図が掲載されていました。周辺と異なる周波数の「飛地」が極めて多数存在していたと記憶します。
[28193]の三池はその一例ですが、関東では日立周辺が60Hz地域でした。上の話題に出た新潟県の関川水系地域も60Hz水力発電所から供給されていました。
「飛地」というには大きすぎる例ですが、九州の東半分が50Hzであったように記憶します。

[28186]月の輪熊さん がリンクされた東京電力HPのすっきりした周波数地図になるまでには、電力各社の多大な努力があったものと推察されます。
それでも日本全国の周波数統一は実現せずに終ってしまいましたが。
[28238] 2004年 5月 13日(木)23:02:29じゃごたろ さん
長野県内における違和感
こんばんは、じゃごたろです。

電力供給の周波数に関する書き込みと、天竜川水系になぞらえた松本ナンバーに関する書き込みで、思い浮かんだことを一つ。

国道19号を松本を過ぎて、長野市方向に向かうと、延々と犀川沿いを走ることになります。その犀川には何ヶ所かダムがあるのですが、そこで目に付くのが、「東京電力」の発電所。日本海に注ぐ長野県の川にさえも、電力の大消費地・関東へ電力を供給すべく、その施設があるのかと、そこを通るたびに違和感を感じます。原発も関東の外にありますしね。
[28245] 2004年 5月 14日(金)02:15:15EMM さん
水力発電所モザイク
[28238] じゃごたろさん

北陸電力の本社は富山県にあるのですが、富山県内には実は関西電力の水力発電所がたくさんあります。
有名な黒部ダムも関西電力のものです。
かと思うと、中部電力管内の岐阜県に北陸電力の水力発電所があったりします。
なんでも、水系単位で電力会社が決まっているそうです。
ただし、1つの水系に2社の発電所がある場合もあるのでちょっとややこしいのですが。
信濃川水系はおおむね東京電力のようです。犀川だけでなく、梓川にも東電の発電所がありますし、新潟県内にもあります。

参考:東京電力HP内の水力発電所の一覧
http://www.tepco.co.jp/corp-com/elect-dict/file/su_001-j.html

富山県の主な河川では、黒部川と庄川が関西電力、成願寺川が北陸電力です。
神通川はおおむね北陸電力ですが(だから岐阜県に北陸電力の水力発電所がある)、一部支流は関西電力となっています。

2つの電力会社の発電所がある水系としては他に阿賀野川が挙げられます。
(九頭竜川もそうらしいが確認し切れませんでした)

このように管轄区域と発電所の所在が入り乱れているのは、色々事情があると思います。
戦中・戦後の電力会社再編成時の事情、各電力会社の資本力の差、国の電力政策の絡み等々あるのでしょう。
[28250] 2004年 5月 14日(金)10:08:04YASU さん
積年の疑問が解決しました。
[28234] hmt さん
50年前に学んだ教科書(大山松次郎著「電気工学通論」)には、全国の周波数地図が掲載されていました。周辺と異なる周波数の「飛地」が極めて多数存在していたと記憶します。
[28239] Issie さん
春先に帝国書院が復刻した中学校(中等学校)地図帳シリーズのうちの“1950年版”には,国内の地方図ごとに,発電所と送電線網を記載した「電力分布」という地図が地方図本体とは独立して掲載されています。
ありがとうございました。小学生の頃、自宅倉庫にあった(親の時代の)本又は百科事典の地図で見た記憶ですので、これら書物の地図が転載されていたのでしょう。びっくり度!が高かったので、**年たった今でも覚えています。
国鉄高千穂線(現、高千穂鉄道)に乗車した際、五ヶ瀬川に旭化成の水力発電所が数箇所ありました。電気は電力会社から購入するものという認識が当時はあったため、ダムまで造ってすごい会社だなあ、と思っていました。九州東半分の50Hz地域とは、このあたり(流域)だったのでしょうか?

[28241] 稲生 さん
大井川の左岸が駿河国志太郡、右岸が遠江国榛原郡であった大井川両岸の地域のうち、川根町以北では、すべて榛原郡になっています。
遠江の榛原郡になっても、駿河である静岡県中部地方(ナンバーも「静岡」)に区分されているので、遠江側から見ると「庇を貸して、母屋を取られる」状態です。ただ、相良町、中川根町に在住の知人は、明らかに静岡志向です。三重、和歌山県境の熊野川、広島、山口県境の小瀬川のように、大井川に県境が現在まで存在しつづけていれば、今ごろ越県合併で大騒ぎでしょう。
[28251] 2004年 5月 14日(金)11:53:26かすみ さん
複雑な水力発電所
[28245]EMMさん

北陸電力の本社は富山県にあるのですが、富山県内には実は関西電力の水力発電所がたくさんあります。
有名な黒部ダムも関西電力のものです。

関西電力では黒部川、庄川、神通川、九頭竜川の4水系に36ヶ所ある水力発電所を
北陸支社で管理しています。
発電された電気は主として関西方面へ送電されますが、一部は北陸電力、中部電力にも
送電されています。

参考:関西電力北陸支社HP「北陸支社の概要」
http://www.kepco.co.jp/info/hokuriku/contents/top_gaiyou.htm

九頭竜川、庄川水系には電源開発(J-POWER)の設備も多数有ります。

なんでも、水系単位で電力会社が決まっているそうです。

関電の北陸支社HPには、
電力会社の再編成(1951年5月)において「1水系の水力発電開発は、
1社に任せて総合的な開発を期待する」との考え方にたち、発電・送電設備が
主たる消費地に直結するものは、その主たる消費地の会社が受け持つことに
なりましたとの説明があります。
しかしそれ以前にこの一帯から関西方面へ電力供給されるようになった
いきさつについては触れられていません。

ちなみに木曽水系については東海支社が管理しています。
参考:関西電力東海支社HP「東海支社の概要」
http://www.kepco.co.jp/tokai/jigyou/toukaij.htm
[28255] 2004年 5月 14日(金)15:49:53hmt さん
東西日本の間にある周波数の壁
[28235]なおさん
周波数が違うということは電線が別々になって合流はしないようになっているのでしょうか?

もちろんです。電圧の違う電線をつなぐことができないのと同様に、周波数の違う電線をつなぐことはできません。
周波数不統一は 安定供給に欠かせない東西日本の間の電力融通の障壁になっています。
原発運転停止が相次いだ昨年、夏場に50Hz地域にある東京電力の能力不足が特に問題になったことは、記憶に新しいところです。しかし、周波数の壁のために、60Hz地域に発電余力があっても、これを十分に活かすことができなかったのです。

パワーエレクトロニックス技術の進歩により周波数変換設備 http://www.tepco.co.jp/corp-com/elect-dict/file/zz_a08-j.html も実用化されており、昨年の電力危機時期には大活躍しました。しかし、本質的に「普段は遊ばせている」装置であるにもかかわらず、30万キロワット設備で建設費が185億円もかかるという代物です。最初に電圧の例を挙げましたが、周波数の壁を乗り越えることは、交流電圧とは質的に異なる格段の困難があります。

http://www.niigata-nippo.co.jp/rensai/n10/n10h5k7m1.html は、次のように伝えています。
国内にある変換施設は現在、新信濃変電所と静岡県佐久間町の電源開発佐久間周波数変換所の2カ所しかなく、最大変換電力は計90万キロワット。これは全国の最大電力の0.5%でしかない。壁に開いたパイプがか細い実情は否めない。

付け加えると、新信濃変電所は東京電力の施設で、長野県朝日村にあります。
また、電源開発佐久間発電所、新豊根水力発電所(いずれも天竜川水系)のように、両周波数兼用の発電機もあるので、これも東西間の調整能力に寄与しています。

[28180]YASUさんから「両周波数にまたがる市町村」という形で提示されたテーマですが、同じ国内で商用電力周波数が統一されていない国は、世界的にも珍しいようです。自慢できる話ではありませんが。

[28234]で触れたように、昔は なおさんの地元 九州の中に限っても周波数が不統一でした。九州電力と需要家の努力の結果、現在は60Hzに統一されています。
http://www.kyuden.co.jp/company/kigyo/editorial/image/mokujian.pdf 『九州地方電気事業史』目次案によると、
1945-1951年の目次中に「周波数統一への着手」、1951-1959年の目次中に「周波数統一問題の解決」とありますから、東西問題を含めた九州の統一は1950年代には達成できたようです。
また、「九州周波数統一史」(昭36 九州周波数統一協議会)という本もあるようです。

周波数の異なる地域への引越しでもしない限り、日常生活ではあまり気にしていない周波数ですが、国家経済の視点からは、鉄道ゲージ不統一以上の問題かもしれません。

鉄道と言えば、東海道新幹線は全線60Hzでしたね。したがって、新幹線の富士川橋梁―東京間は50Hz地域に入りこんだ60Hz地域というわけです。開業当時、この区間沿線の国鉄変電所では東京電力から受電した50Hzを電動発電機で60Hzに変換していたのではないかと思います。現在は電子的な周波数変換設備に更新されているものと推測します。
[28256] 2004年 5月 14日(金)17:38:14U-4 さん
Re.複雑な水力発電所
[28251] かすみ さん
 関電の北陸支社HPには、
電力会社の再編成(1951年5月)において「1水系の水力発電開発は、
1社に任せて総合的な開発を期待する」との考え方にたち、発電・送電設備が
主たる消費地に直結するものは、その主たる消費地の会社が受け持つことに
なりましたとの説明があります。
しかしそれ以前にこの一帯から関西方面へ電力供給されるようになった
いきさつについては触れられていません。

手元に、資料が少ないのでわかる範囲で。
ひょっとしたら違っているところがあるかもしれません。

川は公共財産ですから、勝手に利用はできません。河川法に基づいた「水利権」を取得しないと、発電も農地への取水もできません。そこで、明治・大正の産業振興時期に多くの会社が事業化を目的として多くの河川に発電を目的とした水利権を取得していたようです。
木曽川支流の飛騨川は京阪神での電気供給事業を進めていた「宇治川電力」が権利をもっていました。黒部川や神通川は越中電力という会社が持っていましたが、のち日本電力という会社を通じて宇治川電力の傘下に入ります。
木曽川本流の権利は大同電力という会社が取得していて、この会社も京阪神への供給を事業の主力としており、そのための送電線も持っていました。

戦時中、国家管理の名のもとにこれらの電力会社はいったん統合され、戦後の電力再編成にあたって全国9地区(沖縄は除く)の配電地域にわけ、発電送電配電一体の会社に整理されました(現在の電力会社)。再編にあたって「需給バランスが崩れることをさけること」「発電から配電まで一貫経営とすること」が原則として示されたため、統合前の需要地と供給地の関係を原則として維持するために従前の体制に戻った、というのが実態だと思います。
但し、現在飛騨川筋は中部電力が中心ですが、宇治川電力や大同電力が名古屋地区への進出を目論んでいたようなので、エリア調整がおこなわれたのかもしれません。
[28283] 2004年 5月 15日(土)10:56:26夜鳴き寿司屋 さん
東西周波数地域
[28255] hmt さん

鉄道と言えば、東海道新幹線は全線60Hzでしたね。したがって、新幹線の富士川橋梁―東京間は50Hz地域に入りこんだ60Hz地域というわけです。開業当時、この区間沿線の国鉄変電所では東京電力から受電した50Hzを電動発電機で60Hzに変換していたのではないかと思います。現在は電子的な周波数変換設備に更新されているものと推測します。

 現在でもJR東海の施設で小田原電力所に周波数変換所があるそうです。東海道新幹線建設当時は60Hz地域の路線が長いのが想定されたので、全体のなかでもわずかとはいえ周波数変換が必要が生じたのですが、そのため事業体が異なる事やダイヤ作成が困難という事もありますが、東海道新幹線と東北新幹線はそのまま直通運転が不可能になっています。

 同じように、長野新幹線も周波数が異なる地域を走行しますが、そのため軽井沢駅~佐久平駅間で50Hzと60Hzの切り替え(この区間ではモーターを使用せずに惰性で通過し、その間に回路の切り替えを行って通過後に再始動させる車上切り替え方式)を行うデッドセクション(電流が流れない)が設けられているそうです。日本ではデッドセクションが設けられているのは電圧が異なる場合や直流電流か交流電流と電化方式が異なる場合ですが、周波数が異なるためにデッドセクションが設置されたのは長野新幹線のみだそうです。

 普通、周波数が異なる事で影響が出るいえば引越しで電化製品のタイマーが狂う事だと思います。扇風機などには60Hzと50Hzと異なるタイマー目盛があるものがありますが、その表示がなく目覚まし時計(コンセントがついてるもの)を異なる周波数地帯で使用したために会社に遅刻したなんて話をきいたことがあります。
[28293] 2004年 5月 15日(土)16:49:38【1】実那川蒼[あんどれ] さん
デッドセクション
いろいろ思うところがあって1週間ほど書き込みを自粛していたのですが、本日をもって復帰いたします。また、ある方から電子メールをいただきました。本記事をもってお礼の言葉に代えさせていただきたいと思います。

[28283](夜鳴き寿司屋さん)
 同じように、長野新幹線も周波数が異なる地域を走行しますが、そのため軽井沢駅~佐久平駅間で50Hzと60Hzの切り替え(この区間ではモーターを使用せずに惰性で通過し、その間に回路の切り替えを行って通過後に再始動させる車上切り替え方式)を行うデッドセクション(電流が流れない)が設けられているそうです。日本ではデッドセクションが設けられているのは電圧が異なる場合や直流電流か交流電流と電化方式が異なる場合ですが、周波数が異なるためにデッドセクションが設置されたのは長野新幹線のみだそうです。
交流電化区間においては、異電圧のデッドセクションは福島駅構内と盛岡駅構内のみ、異周波数のデッドセクションは軽井沢駅構内のみにありますが、交流独特の特徴として饋電(きでん)区間(電力を供給している区間)ごとに位相の違いがあるため、それを区分するための異相区分用セクションというものがあります。これらを総称して「交交セクション」と呼ばれることもあります。

異相区分用セクションにおいても、在来線ではほかのデッドセクション同様に惰行(だこう=モーターに流す電流を切る)で通過するのですが、新幹線では地上側の設備を工夫して、力行(りきこう=惰行の逆で、モーターに電流を流す)のまま異相区分用セクションを通過できるようになっています。したがって、新幹線においては異相区分用セクションはデッド(電流が流れない)セクションではありません。軽井沢駅の異周波数セクションはこれとは異なり、本当のデッドセクションで、列車も惰行で通過しますが、軽井沢駅付近は線路の構造上、力行しながら通過する必要がないので特に問題は生じていないようです。

なお、軽井沢駅は長野県(60Hz)にありますが、長野新幹線では両周波数対応の電車でなくても軽井沢駅まで行けるように、デッドセクションは軽井沢駅の西側にあり、軽井沢駅ホームの周波数は50Hzになっています。

デッドセクションについての詳しい説明は以下のページをお読みください。
http://member.nifty.ne.jp/oyamarts/dead_sec/dead_sec.htm

P.S.
「都道府県市区町村落書き帳」なのに鉄道の話になって申し訳ありません。鉄道系でもっとも大きい掲示板は「2ちゃんねる」の鉄道総合板と鉄道路線・車両板ですが、「2ちゃんねるで話します」ともいえないのでここに書かせていただきました。

【訂正履歴】
一部表記を修正。
[28294] 2004年 5月 15日(土)17:14:16【1】hmt さん
よみかき・そろばん
[28245]EMMさん
なんでも、水系単位で電力会社が決まっているそうです。
[28251]かすみさん
電力会社の再編成(1951年5月)において「1水系の水力発電開発は、1社に任せて総合的な開発を期待する」
発電・送電設備が主たる消費地に直結するものは、その主たる消費地の会社が受け持つ
木曽水系については(関西電力)東海支社が管理

電力会社ごとに 水系単位で開発する という方式は、ずっと昔から実行されてきたようです。
松村博「日本百名橋」36 電力王の夢を架けた桃介橋(鹿島出版会,1998)には、次のように書かれています。
読書発電所は福沢諭吉の女婿で、電力王といわれた福沢桃介が設立した大同電力㈱によって建設された。福沢桃介は一河川一会社主義を主張し、大正7年には木曾川の電源開発に着手し、(中略)各発電所を建設、読書発電所はその総決算ともいえるものであった。

「大同電力」は木曽川水系の水力を開発して関西への送電線も持つ電力会社でした。発電所は長野県、岐阜県に所在しても、消費地の関西地方に直結する電力だから、戦後の再編成で関西電力(東海支社)になったわけです。
戦前に「日本電力」が開発した富山県の黒部川水系が関西電力(北陸支社)になり、戦後 関西電力の手で「クロヨン」が完成したのも、ほぼ同じ事情です。「日本電力」は、黒部峡谷の“日電歩道”に名を残しています。
この2社は卸売り主体でしたが、関西地方における需要家を握っていたのは現在の関西電力の前身の中核「宇治川電気」です。その卸売りが小売に手を広げて大混乱…という話は地理から脱線しすぎるのでよします。

宇治川電気の名は、鉄道ファンの方はご承知かもしれません。現山陽電鉄の前身を兼営していました。
電力と電鉄の兼営は戦前は多数あり、すべて戦時体制で分離されました。現在では関西電力大町トンネルの無軌条電車が唯一の兼営事例でしょう。

戦前には、「東京電灯」と上記の関西3社、それに名古屋で勢力のあった「東邦電力」[19892]を五大電力と呼んでいましたが、その他 各地に多数の電力会社が存在し、[28234]で紹介した入り乱れた周波数地図となる原因になっていました。
戦争の時代になると統制が強まり、1942年には国策会社日本発送電と 9配電会社による電力国家管理となりました。
戦後の 1951年に「電力の鬼」松永安左ヱ門[19892]が、反対論を押し切って電力再編成( 9社による分割民営化)を強行し、現在 (沖縄電力を加えて 10社) の体制になりました。

閑話休題 (それはさておき)
読書発電所という名前には、ちょっと関心をそそられます。

筑摩県筑摩郡読書村 (よみかきむら) は、明治4年の合併の際に江戸時代からの與川 (よがわ)・三留野 (みどの)・柿其 (かきぞれ) 3村の頭文字を取って合成した村名でした。「豊科」[908]と同様の命名法ですね。
現在は長野県(1876年)木曽郡(1878年西筑摩郡から1968年木曽郡に名称変更)南木曽町(なぎそまち)読書(1961年合併)。中央本線の駅名も1968年に三留野から南木曽に変りました。三留野は中山道の宿場町で、次の妻籠宿も南木曽町です。

1923年運用開始の読書発電所は、1994年12月、近代化遺産として国の重要文化財に指定されています。現在稼働中の発電設備が重要文化財に指定されたのは、日本最初のことでした。指定の対象は、発電所本館、水槽、水圧鉄管、柿其水路橋と南木曽町所有の桃介橋です。

その桃介橋に自分の名を残した福沢桃介は福沢諭吉の養子で女婿ですが、教育者の養父に反発して、「そろばん」の方の道に進みました。株相場で儲けた資金を使って電力事業等の実業界で活躍したのです。松永安左ヱ門とはよきライバル関係だったと言えるでしょう。
関西電力HPの経歴 http://www.kepco.co.jp/tokai/kisogawa/momosuke/momosuke.htm からは省かれていますが、川上貞奴とのロマンスは有名でした。
せっかく地名の話題に戻したのに、最後にまた脱線。

【1】長野県西筑摩郡読書村は南木曽町に合併する直前の村名だったので、明治4年の筑摩県に遡って修正しました。
それにしても県名、郡名が変っているものですね。「曽」の字体変更まで加えればもっとあるわけで…。
[28405] 2004年 5月 18日(火)23:29:57TGRS さん
九州の50サイクル地区
[28255]hmtさんにご紹介いただいた、
また、「九州周波数統一史」(昭36 九州周波数統一協議会)という本もあるようです。
この本、読んできました。また都立中央図書館です。

《さっそく余談》都立中央図書館、今年の4月から平日の開館時間が21時までになりまして、非常に便利になりました。でも5月20日~6月3日は特別整理休館日ですので、お気をつけください。(昨日行っておいてよかった~)

さていよいよ「九州のうち50サイクルだったのはどこ?」について。
発電を始めた頃は、それこそいろいろなサイクルの電気があったそうです。それが、明治から大正にかけての群小電力会社の整理統合により、50サイクルと60サイクルの2種に統一されました。
 50サイクル : 九州水力電気、九州電気軌道、日本水電の供給区域に属する北九州・筑豊地区を含む東部及び南部
 60サイクル : 九州電燈鉄道、熊本電気、鹿児島電気の供給区域に属する西部
と書かれてありました。でもこれだとそれぞれの会社の供給区域がわからないとはっきりしませんよね。本文や付図によると、50サイクル地域は、大まかに以下の範囲です。(地名は本文に書かれているとおりに転記します)
 ・北九州 ・筑豊炭田 ・糟屋炭田 ・福岡市東部 ・大分県 ・宮崎県東海岸沿い ・鹿屋地区(大隅半島) ・水俣市周辺
福岡市-北九州-宮崎県までは連続していますが、鹿屋地区と水俣市周辺は、飛び地です。ちなみに電力会社の整理統合時、大分県と延岡地区のほとんどは60サイクル→50サイクルに変更しています。

さて、九州が60サイクルに統一されるまでの経緯をちょっとだけ。

九州で50サイクルと60サイクルとが混在していることの何が問題だったかというと、
 (1) 50サイクルの地域は炭鉱が多いので昼間に、60サイクルの地域は化学工業及び伝統が多いので初夜に電力消費のピークがあり、それぞれが融通し合えないこと。
 (2) 60サイクルは中国地方からの電力融通が受けられるが、50サイクルは受けられないこと。
 (3) 60サイクル地域が中国地方からの電力融通を受けるために北九州にも60サイクルの電線があったが、そのため50サイクル・60サイクルどちらの電線も“細い線”になり不安定であったこと。
なのだそうです。特に戦後すぐは電力が不足していたので、電力融通については大いに困っていたようです。特に北九州は工業地帯ですし。

また、福岡市東部では、かつて東邦電力と九州水力電気との競争地域で、50サイクルと60サイクルが錯雑しており、『九州周波数統一史』の「総論_1.はしがき」には、こんな泣けてくる文章がありました。
九州の電力系統も、日本の電力系統の縮図でもあるかのように東半の50サイクルと西半の60サイクルが殆んど伯仲していた。その中でも福岡県は又九州の縮図で東半は50サイクル、西半は60サイクルであり、福岡市は又その縮図で、東半が50サイクル西半は60サイクルであった。家庭用の電気時計や扇風機でさえ隣の町内へ引越す時には頭をひねったものである。

そこで、北九州地区周波数統一協議会が昭和24年7月に結成され、9月に関係官庁に陳情した結果、「九州に於ける電力の周波数は将来60サイクルに統一するものとする」と閣議決定(昭和24年12月13日)され、

第1期 (昭和26年度まで)
 福岡市の一部、北九州の一部(大分方面への海岸沿い)、大分、宮崎
第2期 (昭和35年6月まで)
 福岡糟屋炭田、筑豊炭田、北九州の大需要家(八幡製鉄、三菱化成等)、水俣地区

という順で60サイクルに統一されたのでした。(鹿屋地区は先行して昭和24年1月に60サイクル化)

なお、この時点でも旭化成延岡工場、新日本窒素肥料水俣工場の自家用送電系統設備は50サイクルで、これらは熊本宮崎の県境(高千穂の奥付近)で繋がっていました。

…というのが、九州が60サイクルに統一されるまでの経緯でした。

なお、九州以外にもサイクルの飛び地は存在していたようで、
 中部電力管内の長野地区 50→60(昭和36年3月までに変更)
 東北電力管内の常磐地区 60→50(昭和36年2月までに変更)
 東京電力管内の常磐地区 60→50(昭和36年5月現在準備中)
などのサイクル変更があったとのことです。

この本を読んで、日本に於ける周波数についての政府の考え方がいろいろ揺れていたという興味深いことも分かったのですが、落書き帳の本旨から外れるのもこの辺が限度だと思いますので、このへんで。(結局、60サイクルへの統一の経緯のほうが長くなってしまった…)

ちょっと落書き帳っぽいことを言いますと、この本が出版された昭和36年5月現在、北九州市は発足前なのですが、すでにこのあたりのことを「北九州」と呼んでいるんですね。
[28450] 2004年 5月 20日(木)13:46:18hmt さん
水を積み上げるのがダム
[28405]TGRSさん
「九州周波数統一史」を調べていただき有難うございます。
私が[28234]において「九州の東半分が50Hz」と単純化して書いた1950年代は、既にある程度の統合がなされた後で、その前は更に複雑だったことがわかります。
九州の東西不統一は日本の縮図のようであり、電力融通の困難をもたらしていたことはある程度承知していました。しかし「福岡県が九州の縮図、福岡市は又その縮図で東半が50サイクル西半は60サイクル」というのには、改めて驚きました。
ついでに言うと、「サイクル」という呼び方に一昔前の話であることを実感します。

この時点でも旭化成延岡工場、新日本窒素肥料水俣工場の自家用送電系統設備は50サイクルで、これらは熊本宮崎の県境(高千穂の奥付近)で繋がっていました。
当時の「新日本窒素肥料」は戦後に財閥解体から再出発した会社で、1965年に現在の「チッソ」に社名変更しています。逆に戦前に遡ると、水俣も延岡も 電気技術者・野口遵(のぐちしたがう)が創始した「日本窒素肥料」の工場でした。以下、日本窒素と省略します。
余談ですが、野口遵は宮城県の三居沢(現・仙台市青葉区、東北電力の発電所あり)で、水力発電所の余剰電気利用を図った大学同窓の藤山常一と共に、1902年に電気炉を用いるカーバイド工場を作りました。
三居沢は日本の電気化学工業発祥の地というわけです。
野口遵と藤山常一は後に喧嘩別れしますが、二人の創業した工場は、現在も産業界の一翼を担っています。
藤山常一が三井の資金を得て作った青海の電気化学工業[28234]が新潟県の60Hz、熊本県のチッソと宮崎県の旭化成が九州の50Hzというのも奇妙な逆転です。

宮城県で水力発電の産業への利用に着手した野口遵は、次にこれを鹿児島県大口の金鉱山にも応用して成功(曾木電気)。更に熊本県の水俣からの誘致を受けて 1908年に水力と石灰石の資源を生かしたカーバイド、そしてこれから作られる窒素肥料(石灰窒素や硫安)の工場を作りました。これが日本窒素です。1932年からはカーバイドからのアセチレンを原料とするアセトアルデヒドを生産。このプロセスの触媒として使用した水銀が水俣病を引き起こす原因になりましたが、それは後の話。

野口遵が水俣の次にやった仕事は、宮崎県五ヶ瀬川の電源開発([28250]YASUさん) で、そこで得られる電気の用途は、水を電気分解して得られる水素を用いたアンモニア、合成硫安肥料でした。
現在は逆に水素から電気を作る燃料電池の時代に入ろうとしています。これは脱線。

日本窒素延岡工場は1923年操業開始。高圧化学反応の技術をはじめて実用化したカザレー式アンモニア製造装置は、現在は近代化遺産に指定されており、工場内のカザレー記念広場に展示されているそうです。
延岡では、アンモニアの利用から化学繊維事業もスタートし、日本窒素の子会社「旭ベンベルグ絹絲」を経て「旭化成」になりました。
水力発電の惠みを生かした延岡工場は硫安、苛性ソーダ、火薬、化学繊維等の総合的な化学工場として発展しました。

野口遵の事業意欲は“内地”にとどまらず、1927年には朝鮮に進出、鴨緑江で巨大な発電所を建設(水豊ダムなど)、興南を中心とした電気・化学コンビナートを建設しました。
朝鮮窒素の設備は「あの国」の貴重な財産になっている筈です。

ダムと言えば、この言葉が意外な会社名に使われています。
戦後海外から引揚げてきた日本窒素系会社の若手社員たちが、生きて行くために同系会社製品の販売会社を作りました。その名が積水産業。この会社が日本最初のプラスチック射出成形事業を始め、積水化学工業になりました。
「セキスイ」は、グループの創業者・野口遵が、各地で水を積み上げ続けたダムに由来していたのでした。

東京電力管内の常磐地区 60→50(昭和36年5月現在準備中)
これが[28234]の日立周辺ですね。大口では全国で最後に残った地域でしょうか.

この本が出版された昭和36年5月現在、北九州市は発足前なのですが、すでにこのあたりのことを「北九州」と呼んでいるんですね。
私も「北九州工業地帯」「西鉄北九州線」のように、九州北部全域ではなく「北九州五市」限定の使い方に馴染んでいたように感じています。したがって、「北九州市」が発足した時も違和感はありませんでした。
これに対して布施・枚岡などに代り新たに登場した「東大阪市」の名称には大いに違和感は感じたものです。


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