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落書き帳

剱岳三角点

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[33816]2004年10月5日
みやこ♂
[34702]2004年11月2日
うらうら
[43689]2005年7月28日
hmt
[44175]2005年8月15日
みやこ♂

[33816] 2004年 10月 5日(火)17:58:59みやこ♂[みやこ] さん
誰が決めたか三題噺
日本三大雪渓剱沢大雪渓」「白馬大雪渓」「針ノ木大雪渓
日本三大峠雁坂峠」「針ノ木峠」「夏沢峠」・・・三番目に「三伏峠」をあげることも多い
北アルプス三大バカ登り合戦尾根」「ブナ立尾根」「笠新道
日本三大急登ブナ立尾根」「黒戸尾根」「西黒尾根
何だか「山のホームページじゃないぞ!」とお叱りを受けそうな勢いになったので,このへんで・・・ただ,それにしても「三大雪渓」は納得できるんですが,その他はいい加減ですねぇ・・・。

そういや,剱沢大雪渓といえば,剱岳の三角点が今年の8月24日に設置されたようですね,当初計画から100年目にしてようやく。3000mあるかどうかが気になります。結果公表は11月ころだそうですが,早く公表されないかな。今からとても楽しみです。
・・・大変失礼しました。
[34702] 2004年 11月 2日(火)00:22:39うらうら さん
剱岳の三角点と標高
初めて書き込みます。皆さんのやりとりを見て、感心することばかり。書き込めるようなことはないのですが、読んでいて楽しいページです。

[34696]みやこさん
国土地理院の記者発表によると、
・三角点の標高は、2,997.1m(GPS測量)
・剱岳の最高地点と三角点の標高差は、1.5m(水準測量)
これら2つの結果から、標高を2,999m(メートル単位で四捨五入)としたようです。
あと90cmあれば・・・ 標高の数字に大きな意味はないかもしれないけど、非常に惜しい!
[43689] 2005年 7月 28日(木)16:15:11hmt さん
剱岳の高さが決まるまでの97年
【おことわり】
内容は、[43643]「剱岳の高さが決まるまでの36年」に、明治以来の経過を追補し、表現を全面的に改めた改訂版です。

「山の高さを知りたい。どっちが高いのか比べてみたい」というのは、昔から人々の思いでした。
しかし、測量技術が発達していなかった頃は、柳田国男「日本の伝説」に紹介されている加賀の白山が富士山と背比べをした話([34785] EMM さん白山のわらじ)のように、正確な比較は不可能でした。

明治になって、三角点網が全国に張り巡らされ、水準測量とあいまって山の高さの正確な値がわかってきました。この過程で、日本の山のほとんどが、陸地測量隊によって登頂されましたが、最後に残された山が 「剱岳」でした。弘法大師が 3000足の草鞋を使っても登れなかったという山です。
民間の初登頂計画に先んじて旗を立てなければ測量隊の恥、というわけで登頂に挑戦した陸地測量手・柴崎芳太郎の苦闘は、新田次郎の「剱岳・点の記」に記されています。明治40年(1907)やっと山頂にたどりついた彼が目にしたものは、古代の修験者が残したと思われる錆付いた鉄剣と銅製の錫杖の頭でした。

結局、この時には、あまりにも険しい場所での大掛かりな作業は困難ということで、四等三角点(地籍測量を目的とする現在のそれとは性格が異なり、三等三角網の一時的な補完点)を設置することはできず、剱岳の標高は、周辺の山からの観測による、三角点よりも精度の低い標高点として 2998mが求められ、5万分の1地形図に記載されました。
剱岳の標高点値 2998mは、昭和5年(1930)に3003mに改定されました。♪アルプス一万尺…には少し足りなかったにしても、一時は「3000m」の大台を確保した剱岳でした。
ところが…

1968年、国土地理院で北アルプスの空中写真(このへんでしょうか?)を図化機を通して覗き込んで仕事をしている若い技師がいました。
この地方に新たに作成する2万5000分の1地形図の原図作成作業です。2枚の写真の立体視(原理的には[43502]たもっちさん と同じ)によって剱岳の山頂の標高を測定した結果は、2997m。
前記のように、当時の5万分の1地形図では3003m。

剱岳が3000m級の山から転落ということになると、世間を騒がすニュースになる。というわけで、慎重に測り直したがやはり2997m。
ところが、新しい2万5000分の1地形図には、2998mと記されて発行されたそうです。上司曰く、標高点の数値に数mの誤差があるのは当然だ。写真法の測定結果からみれば3003mより、昭和5年以前の2998mのほうが正しいようだから戻した。

上記のいきさつは、野々村邦夫さんの「剱岳は何メートルになるのかな?」(2004年)に紹介されています。
この野々村さんこそ、36年前に2997mという、地図上では幻の数字となった測定値を得た技師本人で、長く勤めた国土地理院を院長で退官、現在は日本地図センター理事長です。

上記のコラムは、[43552]でeiji_t さんが紹介してくれたコラム「地図一途」の前身「駅弁地理学」の一つなのですが、
 04.11.04からのバックナンバーも読めます。
と紹介されているように、昨年10月以前のバックナンバーが、ネットでは殆んど読めなくなっている(単行本になっている由[43678])中で、奇跡的にキャッシュとして生き残っている頁です。

そのタイトル「剱岳は何メートルになるのかな?」は、国土地理院が、剱岳に三角点を設置してGPSによって標高を測量するという予定をふまえたものです。

そうです、剱岳の三角点設置とGPS測量(「剱岳測量100周年記念事業」らしい)は、3000mの大台を達成するかどうかで、昨年の秋にこの落書き帳の話題にもなったテーマです。

その中で、[34307]みやこさんが
剱岳は,たしか一番最初は2998mだったと思います(かすかな記憶・・・)。それがいつ頃か3003mとなって,さらに戦後,いつの頃だったか,またどういう理由でか,2998mに舞い戻ったのです。
という疑問を呈しておられますが、それに対する当事者の立場からの回答は、野々村さんのコラム明らかになりましたね。

前記の「駅弁地理学」2004/5/20は、剱岳の山頂に三角点が新設される前でした。
GPS測量によって三角点の標高が2997.1m、最高地点はそれよりも1.5m高く、地形図には2999mと記されることになった後日談については、新しいコラム「地図一途」の最新号(July 21, 2005)に「3000mに届かなかった剱岳」と題して掲載されています。
こちらは、会員登録(無料)をして閲覧することになります。[43552]参照。
[44175] 2005年 8月 15日(月)17:41:26みやこ♂ さん
「三角点の冠字番号」のお話
三角点の存在が,「山の高さの話題」や「山名の決定」に大きな影響を与えてきた,ということはhmt さんの「剱岳譚[43689]」や「白馬譚[43943]」をご覧になっても明らかでしょう。そこで今回は,三角点周辺の話題から。

昨年夏に設置された剱岳の三角点は,「剱岳」という点名の三等三角点で,冠字番号は「景27」といいます。
ここで「点名」は言うまでもなく「三角点の名称」です。三角点は見晴らしのいいところに設置すべきだったので通常山の頂上が多く,しかも三角点名は設置場所の名前で命名する決まりなので,必然的に三角点名には山名が多くなるわけです。
ただあくまでも点名は三角点の名前ですから,それを地名に再映させること(つまり「三角点の名前が“○○山”だから,今“××岳”と呼ばれているこの山は“○○山”が正しい」などのお話)は,とりあえずは本末転倒,ということになります。

「冠字番号」とは,選点作業あるいは設置作業をした担当官の符丁と番号です。
剱岳の「景27」の場合,「景」とは柴崎芳太郎のことを指し,「27」は彼の選んだ番号,になります。今回の三角点設置に際し,わざわざ彼の番号で命名したそうです。
以下「山名(三角点名:等級:冠字番号)」という書式で,他の「景」の字を持つ冠字番号の三角点を列挙すれば,「針ノ木岳(野口:III:景18)」,「五色ヶ原北部(座良:III:景11)(ザラ峠の“座良”ですね)」「剱御前(別山:III:景17)(今で言う“別山”とは別の山ですね)」など。剱岳は「剱岳(剱岳:III:景27)」となりますね。

現在でも「冠字」は生きているそうで,明治以来1000人を超える測量担当官に独自の記号が与えられて来た,そうです。

これらは「漢字一文字だけばかり」かと思いきや,例えばわたくしの地元佐野市の三毳山南峰付近では,「三毳山(犬伏:II:仁京20)」と漢字二文字のようですし,
那須の茶臼岳では,「茶臼岳(那須岳:IV:K同4)」と,二文字であるうえに片方がアルファベットになっています(「点の記閲覧ページ[42818]EMM さん」にて みやこ♂ 調べ)。中には奈良県の釈迦ヶ岳「釈迦ヶ岳(釈迦ケ岳:I:-)」のように冠字番号が出てこないものも。

ちなみにもう一方の話題の主,白馬岳の三角点は「白馬岳(白馬岳:I:館6)」です。「館」は館潔彦の冠字です。極初期の測量官としてちょっと有名な方。いやむしろ「白馬岳の三角点」を選点したことで有名なのかも。
館さんの三角点は,我が栃木県には「三本槍岳(三倉山:I:館14)(今の三倉山はずっと西)」があります。


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