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落書き帳

大河原町の大字が変わる!?

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[34622]2004年10月30日
千本桜
[35400]2004年11月29日
千本桜
[35477]2004年12月2日
千本桜
[35517]2004年12月3日
千本桜
[35526]2004年12月4日
千本桜
[35607]2004年12月7日
千本桜
[41096]2005年5月12日
千本桜

[34622] 2004年 10月 30日(土)23:33:41千本桜[軒下提灯] さん
Re:再度、情報提供求ム
[34549]中島悟 さん
大字全域が吸収されるというのは聞いたこともないし、必然性も感じられません。

でしょう!。悟るさん、私が言いたいのは、そのことなんです。藩政当時の村が明治の大合併で市町村の大字になり、地域のククリおよび地名として今日まで受け継がれている。これが一般的ですよね。藩政時代に村として成立し、市制町村制以降は大字となって継承されてきた地名とククリが、大正・昭和・平成になって消えてしまった例を私は知らないのです。だから驚いているのです。勿論、全域が住居表示による新町名に移行したために消えた大字は話が異なります。私が知る限りで宮城県を例にとれば、遠田郡三高野村が沼部村(現在の田尻町役場所在集落)に吸収されて消滅したのが最後かと思います。これとて、明治19年のことで市制町村制以前のできごとです。

問題は必然性があったのか?ということですが、無かったと私は思います。大河原と大谷は川幅150メートルの白石川で明確に隔てられている訳ですから、大河原と大谷に区分されていても混乱は起きません。では、なぜ大谷を大河原に統合したのか?。合併協議会から届いた答えは、「住民の要望があったため」でした。いい加減にせい!と言いたいですね。そのような要望をした人も確かにいたでしょう。しかし、大谷地区に住む私の知人は誰一人そのような要望があったことを知りません。

地名、特に大字名の変更に際しては、住民の要望があったためと言うだけでは根拠に足りません。どことなく大河原は先進的で大谷は古臭い。だから大谷を廃して大河原に入れてくれと言う住民感情は理解できますが、それを呑んだらだめじゃない!。地域イメージなんて地名の責任じゃないですね。施策の責任の方が遥かに大きい。昭和40年頃からでしょうか。大谷、金ヶ瀬地区の新規宅地造成地には、大谷、金ヶ瀬の地名を冠しない方針で進んできました。したがって、大谷、金ヶ瀬を冠する地区には開発の遅れた後進的イメージがまとわりつきます。もし、これを理由に地名が変更されたなら歯止めが利かなくなりますね。私、地名変更よりもっと危険だと思うのは地域ククリの変更なんです。大谷が小谷になろうが大山になろうが、地域ククリに変更がなければ後世への地域伝承は可能でしょう。しかし、大字大谷が大字大河原に吸収されて大谷のククリが消滅すれば、後世の人たちが地域検証するときに困ると思うのです。誤解されると困りますので書き加えますが、圃場整備や宅地造成によって生じる局所的字界変更はこの限りではありません。

皆様の地域で、昭和30年代半ばから今日までの間に消滅した大字はございませんか?。ただし、全域が住居表示区域となって消滅した大字を除きます。それから、明治の大合併や昭和の大合併によって出現しては消えていった村名も除きます。あくまでも藩政時代に村として成立していたことが条件です。
[35400] 2004年 11月 29日(月)06:43:43千本桜[軒下提灯] さん
町丁名
[35369]両毛人 さん
なんと大字葛生は3分割され、それぞれ「長坂町」、「嘉多山町」、「あくと町」になるそうです。
大字葛生の場合はこれで良いと思います。ところで、合併による町丁名変更の原案って、誰がどのような思いで作るのでしょうね。合併協議会の委員は、誰かに提示された案を審議するのであって、案は町役場職員が作るのでしょうか?。その辺の所を知りたいです。言いたくないけど、0町の場合は、審議会はあったのだろうけど、審議された形跡が見られません。誰かが作ったであろう原案を垂れ流しただけのようです。協議会議事録を読んで感じました。問題は、誰がどのような思いで原案を作るのかです。
[35477] 2004年 12月 2日(木)00:29:20千本桜[軒下提灯] さん
町名・字名その1
[35400]軒下提灯の続き
この落書帳は前置無しに地理の話題に入れるので気持が非常に楽です。でも世間一般では落書帳の常識が常識として通らないことも多くて気が重くなります。今日もある町会議員に合併協議会の町名・字名変更決議は疑問点が多い旨を話し掛けました。私が話し掛けた町会議員はこれで3人目です。でも、疑問点の何が疑問なのかを理解してもらうのが非常に苦しい。なぜなら町会議員と言えども、郷土の市町村合併史のフローチャートを頭の中に描けていない人が多すぎるからです。このことはO町議員のみならず、全国各地の市町村議員に共通しているのではないでしょうか?。だからO町の議員だけを責めるつもりはありません。ただ、新市町名については全国公募のお祭り騒ぎをやりながら、町名・字名の決定には百分の一の関心も払わない平成の大合併を悲しく思うだけです。

柴田町・村田町・大河原町合併協議会の会議録をひも解きながら、町名・字名決議を振り返ってみましょう。「第18回協議会会議録 町名・字名の取扱いについて」 出席委員は3町の議員・学識経験者など27名。

会長挨拶の後、事務局から概ね次ぎのような説明がありました。
1・柴田町及び村田町については「大字」の字句を削除し、その他は現行のとおりとする。
2・大河原町については「大河原町字◯◯」の名称は字の前に「大河原」を付し、「大谷字◯◯」の名称は「大河原字◯◯」に変更する。ただし、「大谷字下川原」及び「大谷字中川原」は「大河原大谷字下川原」及び「大河原大谷字中川原」に変更する。よろしくご審議のほどをお願い申し上げます。

「軒下提灯の独り言」
「大河原町字◯◯」の名称は字の前に一律「大河原」を付すって変じゃないですか。大字を持たない字◯◯は、旧大字大河原地区の他に金ヶ瀬地区、大谷地区にも跨がって存在しています。例えば、「大河原町金ヶ瀬字南平」が土地区画整地で市街化されたことにより、大字金ヶ瀬から除外されて「大河原町字南平」になったのは僅か10年前のことでしょう。アソコは金ヶ瀬なんです。それなのに大字大河原にするなんて略奪ですよ。大字を持たない地区のうち、旧大字大河原に属していた地区だけが字の前に「大河原」を付せば良いのです。大字金ヶ瀬及び大字大谷から分離した地区は字の前に「金ヶ瀬」「大谷」を付すのが筋道でしょう。しかも、「大谷字◯◯」の名称は「大河原字◯◯」に変更するってなぜなんだ!。元来の大谷地区は大河原町最大の面積と人口(約1万人)を抱える地区である。江戸時代に成立した村であり、明治・大正・昭和を大河原町の大字として生きてきた大谷を何故消滅させるのか?。さあ~~~~、委員の皆さん。突っ込んでください!。27名の議員さん&学識経験者さん。お願いします。突っ込め!突っ込め!審議せよ!。歴史的事実を守るため、地域のアイデンティティーを守るため、町村合併史をストレートに後世に伝えるため!。

事務局からの説明が終わり、議長が質議を促します。それに応えて、ある議員が次のように発言します。(分かりやすくするために原文を多少書き換えます)
「金ヶ瀬字丑越と金ヶ瀬字富田の周辺部が全部大河原になっています。これを大河原字丑越というようにできないものかどうか。」

「軒下提灯の独り言」
あれ~~!。金ヶ瀬字丑越の周辺部が全部大河原になっているから、ここも大河原字丑越にできないかって、そりゃ~~~あんまりですわ。大字なし地区をすべて大河原字◯◯にすると事務局が提案したから周辺部が全部大河原になったのであって、10年、20年まえまでは周辺部全部が金ヶ瀬だったでしょう。委員さんの目には事務局の提案が動かし難い既成事実と映ったのでしょうか?。案そのものを審議することなく、案にそぐわない地区の洗い出しにかかったのです。

さらに、別の委員が追いうちをかけます。(分かりやすくするために原文を多少書き換えます)
「周りがすべて大河原字緑町とか字東新町とかになってまして、昔からの飛地で金ヶ瀬が入っていたものですから、あそこの住民の方々からは、なぜここだけが金ヶ瀬の地名がはいるんだというふうなことで再三言われてますので、できれば金ヶ瀬を外していただき「大河原字丑越」に変更していただきたいと私からも要望したいと思います。」

「軒下提灯の独り言」
あれ~~!。Sちゃん、それは違うずら(なぜか今夜は静岡弁でイキタイ)!。周りがすべて大河原になっているのは事務局案ずら。現実には大字大河原でも大字金ヶ瀬でもない大字なし地区ですよ。そして基をただせば大字金ヶ瀬です。昔からの飛地で金ヶ瀬が入っていたんじゃなくて、市街化するたびに金ヶ瀬の3文字が外されて浮島のように残っただけです。まあ、金ヶ瀬は嫌だ、大河原が良いと言う住民感情は分からないでもありません。しかしです。それに迎合してはいけないものを地名は抱えていると思うのですよ。

まだ書込み途中なのですが疲れました。この文章、中途半端で終わると誤解を招きそうな部分もあるので、後日また書き続けます。おやすみなさい。
[35517] 2004年 12月 3日(金)23:51:48千本桜[軒下提灯] さん
町名・字名その2~山口百恵の嘆き~
[35477]軒下提灯の続き

柴田・村田・大河原町合併協議会会議録を繙きながら、町名・字名の取扱審議を振り返ってみましょう。会長挨拶の後、3町の議員・学識経験者から成る出席委員27名に対し、事務局から次のような説明がありました。

1・柴田町及び村田町については「大字」の字句を削除し、その他は現行のとおりとする。
2・大河原町については「大河原町字◯◯」の名称は字の前に「大河原」を付し、「大谷字◯◯」の名称は「大河原字◯◯」に変更する。ただし、「大谷字下川原」及び「大谷字中川原」は「大河原大谷字下川原」及び「大河原大谷字中川原」に変更する。

さあ、委員の皆さんはこれをどのように審議するのでしょうか。大河原・大谷・金ヶ瀬に跨がる「大字なし地区」をすべて「大河原」とすることの理不尽さを突いてくれるだろうか。大谷を大河原に変更する必要性があるのかと食らい付いてくれるだろうか。しかし、残念ながら誰ひとりそれに触れてはくれませんでした。はっきり言いましょう。みんな地名に関心が無かったのです。地名と領域の変更に関して無頓着なのです。そう思うしかございません。

27名の委員さんは考え無しに事務局案を受入れてしまったようです。そして、大字なし地区が大河原になれば、その領域内に飛地として金ヶ瀬字丑越が取り残されるので、そこも大河原字丑越にして欲しいと2人の議員さんが発言しました。大河原町内ではイメージとして金ヶ瀬地区より大河原地区の方が好まれているようですから、この発言に丑越住民は喜ぶでしょう。議員さんは住民の喜ぶことを発言したまでです。浅く考えれば、立派なことをしたのでしょう。でも、地名と領域ってそれだけでは済まない部分を抱えていますよね。その済まない部分を住民に納得させ、地域の歴史を後世に引き継ぐことも行政や議員の役目だと私は思います。いずれにしても、会議で審議されたのはたったこれだけです。発言者は27人中2人だけ。こんな運びで大河原から金ヶ瀬が地名侵食され地域横奪されるのは嫌だなぁ~。大字大谷(明治22年までは大谷村)が消されて行くのは疑問だなぁ~。そもそも、江戸期に成立していた村名が明治22年の町村制以降に消されてしまった話なんて宮城県では聞いたことがない。変だと思わないのかな、委員さんたちは。審議がたったこれだけなんて。

!オッ。その時です。地理好き女の山口百恵さんが立ち上がりました。なに!、たったこれだけだと!。これっきりなのか!。二度と持つまいと誓ったマイクを再び握りしめ唄い出します。
歌唱:山口百恵 ♪「横須賀ストーリー」
♪ これっきり これっきり もうこれっきりですか ここはどこすか~

「軒下提灯の独り言」
大字なしの地区を大河原とすることの妥当性を審議しなければならないのに、大河原になるのが当然のように思い込んだ上で、そうなると金ヶ瀬字丑越が大河原に囲まれて飛地になるから大河原字丑越にしてくれと言う。それなら、新たに出現する大河原大谷字下川原ってなんなの。誰もそれに言及しないのも変だな。大谷を廃して大河原にすると、大谷字下川原は大河原字下川原になります。これでは既存の大河原字下川原とだぶってしまいます。同名回避のために「大河原大谷」なる新たな大字が設定されたのですが、その(大字)大河原大谷って(大字)大河原の中にポッンと浮かんだ飛地ですよね。金ヶ瀬字丑越が飛地になるので変更してくれと言いながら、新たな飛地が生まれることの不条理に気付かないのは名瀬!。那覇、那覇ハ、那覇ハァ~。住居表示による町名変更ならまだしも、こんな豆粒みたいに小さな大字が平成時代になって新設されたなんて宮城県内では聞いたことがない。よろしければ[34426]を再読していただけませんか。
[35526] 2004年 12月 4日(土)12:51:23千本桜[軒下提灯] さん
町名・字名その3 ~ヘソ探し~
[35517]軒下提灯の続き

柴田町・村田町・大河原町合併協議会会議録によると、「大谷字◯◯」の名称は「大河原字◯◯」に変更されるのだそうです。どなたが提案したのか存じませんが、いずれにしても大谷はダメあるいはイヤだから大河原に変更したいのでしょう。何故にこのような立場に大谷が立たされたのかを探ってみましょう。

大河原町は藩政時代の7村から構成されています。それらの村は現行大河原町の大字となって今日に引き継がれています。金ヶ瀬、堤、新寺、小山田、福田、大河原、大谷の7大字です。大字の字句は冠しませんが大字であることに変わりません。なお、大字大河原は昭和31年に消滅し、地区内の小字は大字を持たない字◯◯になりました。大字の縛りから解放されたと言っても良いでしょう。大字大河原地区だけをまるで天領のように特別扱いしたわけです。嫌ですね、同じ町域なのに特別扱いするのは。このことが今回の大谷消滅に繋がっていると感じます。でも、ここでは都合により大河原という大字が継続存続しているものとして扱います。

では、マピオンで各大字の「へそ」となる場所へ飛んでみましょう。
金ヶ瀬・・・昭和31年までは金ヶ瀬村大字平。昭和31年以後、大河原町金ヶ瀬。
・・・・・昭和31年までは金ヶ瀬村大字堤。昭和31年以後、大河原町堤。
新寺・・・・昭和31年までは金ヶ瀬村大字新寺。昭和31年以後、大河原町新寺。
小山田・・・昭和31年までは大河原町大字小山田。昭和31年以後、大河原町小山田。
福田・・・・昭和31年までは大河原町大字福田。昭和31年以後、大河原町福田。
大河原・・・昭和31年までは大河原町大字大河原。昭和31年以後、大字消滅。
大谷・・・・昭和31年までは大河原町大字大谷。昭和31年以後、大河原町大谷。

あれ?、どうしてでしょう。大谷へ飛べません。大谷の「へそ」がどこなのか、ぼんやりしていて見えません。たぶん、町民の誰もが大谷を「ぼんやりした地域」として捉えているはずです。なぜだろう?。なぜだと思いますか?。済みませんね。こんな片田舎のちっちゃな話を書き綴って。でも、これに似た話は全国各地に散らばっているのじゃございませんか?。類例がございましたなら教えて下さい。
[35607] 2004年 12月 7日(火)23:54:01千本桜[軒下提灯] さん
町名・字名その4 ~集落の一体化~
[35526]軒下提灯の続き

江戸期に成立した柴田郡南部29村が現在の柴田・村田・大河原3町域を構成しています。29村は3町の大字として引き継がれましたが、昭和31年に大字大河原が廃止され、そのエリアは大字なしの小字となりました。そして今度は大字大谷を廃止し、そのエリアを旧大字大河原地区と併せて大字大河原と呼ぶことにするのだそうです。大字大谷を大字大河原に変更する必要は無いと私は思うのですが、大谷と言う地区が他の大字に比べて、輪郭のぼんやりした中心が定まらない地区として捉えられていることも確かです。町内最大のエリアなのに存在感が薄いのはなぜでしょうか。

先日もある町民との会話の中でこんなことがありました。
地名傷を負った男:大河原駅前って住所は大谷ですよ。
訳知り女:それはそうだけど、大谷ってもっとあっちの方でしょう。
地名傷を負った男:あっちって、どっち。
訳知り女:はっきりしないけど田舎の方よ。駅前って大谷と言う感じがしないわ。
地名傷を負った男:(独り言)彼女はきっと、この辺りを最も大谷らしい大谷と感じているに違いない。

大河原町で最も地価の高額な駅前地区を包含し、町の中心機能の一翼を担う地区でありながら存在感を発揮できない地名になったのは、集落の発展過程と町が定めた行政区の名称によるところが大きいと私は感じています。

大谷村は明治22年に大河原村,小山田村,福田村と合併して大河原町の大字となりました。それ以前の明治20年に、宮城県で最初の駅の一つとなる大河原駅が大谷村地内に開設しています。大谷にありながら大河原駅を名乗るのは、当時の村の力関係によるものでしょうね。そのころ私はまだ生まれていませんでしたから推測で書きます。当時の大谷村の中心部はたぶんこの辺りで、家屋が点在する農村だったと思います。一方、大河原村の中心部はこの辺りで、宿場起源の町場を形成していました。大河原駅前の住所は大谷字町向です。字「町向」の「町」とは大河原の町場を指すものと考えます。つまり、駅前市街地は最初から大河原指向で形成され、大谷は意識の外にあったと考えられます。

現行大河原町の中心市街地は、宿場起源の大河原と駅前集落の大谷を核として発展してきました。二つは切り離せない一体性をもっているのも事実です。話は前後しますが、「なぜ大谷を大河原に変更するのか」という私の問いに、審議委員は誰も答えてはくれませんでした。でも、合併協議会事務局から私信が届いております。本当は私信ではなく公開で答えて欲しかったのですが無理は言いますまい。それによると、変更理由の一つに「町づくりの一体性」を挙げておられます。一見、ごもっともな感じがしますが、やはり疑問です。大河原と大谷は川幅150メートルの白石川で隔てられています。大谷を大河原に変更しても、この明確な自然境界を消すことはできません。変更は意味の無いものと私の目には映るのです。

これを書いていて気が重くなっていることも事実です。一つには、落書き帳を長文で使用してしまうことの申し訳なさ。もう一つは、協議会で結審したものは覆らないだろうという諦めに似た無力感の押寄せです。でも、途中で止めると真意が伝わらなくなりそうで怖いから、ついつい書き続けてしまいます。

宿場町の大河原と駅前集落の大谷が一体となった町づくりって、あそこと似てませんか?。例としてふさわしいかどうか疑問もありますが、あそこって静岡県磐田市ですよ。宿場の見付と駅前集落の中泉が合体した磐田。一体性のある町づくりのために大谷を大河原に変更し合体させなければならないなら、中泉も見付に変更して合体させなければなりません。磐田市でそのような動きがありますか?。だぶん、無いでしょうね。
[41096] 2005年 5月 12日(木)22:58:46千本桜 さん
消えた大字
[41079]地名好き さん
暇をみつけてさがしてみます。お時間をいただきたいと思います。
お手間とらせて申し訳ございませんね。急ぎませんので、地名好きさんのサイトで大字・町名の変遷が整った時に見せて戴いても構いません。

[40551]地名好き さん
「自治体」の「町」なのか「自治体内」の「町」なのか
全国どこにでもある話ですが、市町村と市町村内の大字が同名の場合がありますね。角田市大字角田字◯◯、村田町大字村田字◯◯のようにです。しかし、大河原町は昭和の大合併時に、町名と同名となる大字大河原に限っては大字地名を冠する必要無しとし、町名の後に小字を直結させました。大河原町字◯◯のようにです。他の地区には大字地名を被せたままです。「大河原町大河原字◯◯」などと同じ地名を連続表記するのは無駄と考えたからでしょうか?。理由は定かではありませんが、大字地名を冠する地区と冠しない地区に域内差別が生まれそうで嫌でした。
それはともかく、大河原町から大字大河原が消えたのは昭和31年のことです。それを遥か昔ととるか、ついこの前ととるかは個人差のあるところですが、もうボロボロに風化しかかっているのが実情です。しかし、大字大河原が存在した事実と大字大河原の及ぶ地域範囲を忘れてはならない立場の人たちがいます。地名変更に直接携わる人たちです。決定権限を持つ人たちです。もし、この人たちが大字大河原が存在した事実とその地域範囲に無頓着であったなら・・・(涙)
だから私は地名好きさんの
私のサイトの目的の一つに、大字・町名の変遷を扱うこともあります。
に、陰ながら期待しているのです。


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