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落書き帳

危険、落ちたら死ぬ!!

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[36094]2004年12月27日
EMM
[46754]2005年11月19日
今川焼
[68513]2009年1月30日
むっくん
[82286]2012年12月3日
MasAka

[36094] 2004年 12月 27日(月)01:02:26【2】EMM さん
酷道険道
[36092] 北の住人さん


いわゆる「酷道」に関するサイトだと、酷道レポートサイト:国道の真髄を知るがおすすめと思います。
崩壊したままほったらかしの人が歩いて通行するのも困難な区間がある国道418号、「危険!落ちたら死ぬ!」という看板が立てられている区間のある国道157号など、強烈な物件が多数出ています。

※157号線は石川県金沢市~岐阜県岐阜市を結ぶ国道で、石川県内は普通の国道なのですが、福井県と岐阜県の県境あたりが強烈なようです。


他には険道(県道のもじり)なんて表現もあります。
やまてつホームページで紹介されている富山県道67号線の3つのトンネルなど、端から見ていると笑うしかありません。
と言うか通りたくない。

※やまてつさんの今のトップページは「↑月 3km」。これまた笑ってしまいます。


我が石川県にも日本最狭(標識が)の戸谷隧道を抱える石川県主要地方道43号というとんでもないシロモノがあったりします。
Yahoo!やGoogleで「酷道」「険道」で検索するといろいろなサイトが検索されますので、ご興味がありましたらご覧になっては如何でしょう。
上に挙げた物以外にも絶筆に尽くしがたい物件が多数出てくることでしょう。




余談…
実は、かつて「階段国道」をもしのぐとんでもない国道が実在しました。
埼玉~山梨を結ぶ国道140号線の雁坂峠付近は雁坂トンネルが開通するまでは峠越えの登山道が国道指定されていましたが、その登山道が途中なんとトイレの建物の中を突っ切っているのです。
その筋では「便所国道」と呼ばれていたとかいないとか…。
(このほか、がけにはしごが建てられていた「はしご国道」部分もあったそうですが、「便所国道」に比べればインパクト弱。)
国道を旅するの中に140号線旧道の踏破レポートが出ていますのでこちらもどうぞ。



※誤字訂正、戸谷隧道のくだりにちょっと書き足し
[36097]まくらーれんさんのご指摘を受け、戸谷隧道のくだりの険道の番号間違いを修正
[46754] 2005年 11月 19日(土)15:50:40今川焼 さん
経県境値と県境印象記
経県境値、おもしろそうなので私も調べてみました。
一応、青函トンネルを除いて鉄道の通過している県境はすべて通っているはずなので、[46678]みかちゅうさんの
越境率~鉄道のない境界
で挙げておられる一覧表でチェックした結果、(海上国道はとりあえず置くとして)

北海道~青森
秋田~宮城
福島~群馬
栃木~埼玉
埼玉~長野
千葉~神奈川
東京~山梨
富山~長野

の8ヶ所が残っていることがわかりました。国鉄の全部と私鉄の大部分の路線に乗ったあとは、クルマで鉄道の通っていない地域を暇をみてはドライブしている成果が出たようですが、やはり東日本にはまだだいぶ残っていました。全部制覇するのは至難でしょうが、青函トンネル、東京湾アクアライン、立山黒部アルペンルートぐらいは行ってみたいものです。

以下に鉄道の通っていない県境の印象記を…

・埼玉~山梨 国道140号(雁坂トンネル)
開通時は大渋滞したとニュースで聞きましたが、私が通った3年前のGWは、通行量は多かったものの渋滞はありませんでした。山梨県から埼玉県へ抜けましたが、北関東各地の観光バスと多くすれ違い、甲府盆地と秩父を繋ぐというよりもっと広域的な流動があるように思いました。山梨側の「道の駅みとみ」から見た甲武信岳が印象的。地図ではもっと山深いところの山というイメージでしたが、意外に近くに見えてビックリ。

・石川~岐阜 白山スーパー林道(三方岩トンネル)
家族旅行で、勝山の福井県立恐竜博物館を見学したあと、白川郷へ抜ける際に通過。林道とは名ばかりの観光道路。途中ふくべの大滝でお決まりの記念撮影。夏でも涼しい。

・福井~岐阜 国道158号(越美トンネル)
暫定無料供用されていた頃に通る。その後平成11年に東海北陸道とつながり有料化されるも道路公団民営化の関係か今年9月に無料開放されました。結局有料道路として運営されたのは6年という短い期間でした。
 もう1ヶ所国道157号の温見峠へ行こうとしたことがあるのですが、美山町(現山県市)側から418号経由で根尾村(現本巣市)の157号へ入ったところ、「温見峠通行止」の看板が。やむなくUターンを余儀なくされました。ずっと後になってあちこちの「酷道サイト」に、温見峠は通行止めの表示にもかかわらず行けば通れると紹介されているのを発見。(「落ちたら死ぬ」という看板があるそうですが)いつか再チャレンジしてみたいものです。

・長野~愛知 国道151号(新野峠)
県境付近は交通量も少なくローカル国道の雰囲気。愛知県側は急カーブで茶臼山の山腹を巻いて行く道ですが、長野県側へは緩やかに木立の間を抜けて新野盆地へ降りていきます。
 国道153号
151号とよく似た番号ですが、こちらはうって変わって格段に交通量は多く車の流れも早い快走国道。長野県側の根羽村も矢作川水系でここは分水嶺と県境は一致していません。

・兵庫~徳島 神戸淡路鳴門自動車道(大鳴門橋)
このなかで複数回(4回)利用したのはここだけ。明石海峡大橋ができてから四国へはこのルートがメインになった感があります。橋の前後に地図ではよくわかりませんが、自分で運転していると高速道路としては異例のクランク状のカーブがあるのがわかります。下部に建設される予定だった四国新幹線の構造物を道路の基礎が避けて造られているのではないかと思っているのですがどうなんでしょうか。

・鳥取~広島 国道183号(鍵掛峠)
一応分水嶺で峠になっていますが、広島県側はスキー場があったりして高原の雰囲気です。緩やかな峠だったのかあんまり記憶に残っていません。

・広島~愛媛 西瀬戸自動車道(多々羅大橋)
しまなみ海道の有名な斜張橋。開通翌年、観光旅行で通過。

・徳島~愛媛 国道319号
このなかで一番強烈な記憶に残っているのがここ。銅山川沿いに縫うようにつけられた道はとんでもない酷道でした。対向車が来ようものならもうたいへん。そんな山奥でも見上げるような高みに人家が建っているのを見てまたびっくり。ハンドルを切りながら思わず一句浮かんでしまいました。
 「新緑の山より高しこいのぼり」(季語が二つあって変ですが(^^;))
ちなみにそんな悪路でも、阿波池田駅~新宮、新宮~川之江駅それぞれの区間に路線バスが各4往復走っています。(接続はどうかわかりませんが)乗車すれば運転手の神業的なハンドルさばきが見られるはずです。
[68513] 2009年 1月 30日(金)22:21:52むっくん さん
越前と美濃の大野郡
[68491]hmtさん
越前国大野郡と美濃国大野郡との境界線も、能郷白山(両白山地の名の由来)に連なる大分水嶺です。
こちらは古代はいさ知らず、少なくとも近世になると直結する交通路が開けていました。現在は国道157号。
越前国大野郡と美濃国大野郡との間で一番古くから開けていた峠道は、現在の国道157号の峠でもある温見峠(地図)を経由するもので、遅くても鎌倉時代には開けていました。鎌倉時代当時、「いざ鎌倉」というときは、越前国の府中があった武生(現:越前市)からはこの温見峠を越えて、鎌倉に馳せ参じたと言われています。(参考:鎌倉街道
また、温見峠は越前国の平泉寺(加賀の一向宗門徒によって1574年に滅亡させられた)から美濃への布教への通路でもあり、多くの僧侶たちがこの峠を越しました。平泉寺の主唱した白山禅定道を登拝する白山講の時には美濃の信徒が大勢この峠を越しました。(参考:温見峠

さてこのように利用されてきた「温見峠」ですが、この峠を通る道の近代化は昭和になるまで待たなければなりませんでした。昭和に入り幾度かの改修はされましたが、峠まで改修されたのは昭和49(1974)年になってからでした。その後昭和52(1977)年の国道昇格により、車で福井県まで抜けることができるような道となりました。
とは言え、温見峠へ行く途中の道は現在でもまだまだ未整備です。沿道には落ちたら死ぬ!!というそのままずばりの標識もあり、過去記事にもあるように、とある筋では酷道として知られているようです。

ところで話は変わりますが、越前国大野郡と美濃国大野郡との往来に際し、最も利用された峠道は常に温見峠(地図)かというとそうではありません。
天保5(1838)年より大垣藩が黒津・這法師峠の新道を建設し、その峠道が完成した天保13(1846)年には、越前国大野郡と美濃国大野郡を結ぶ越前街道の本道の地位を這法師峠(地図)に譲り渡していたりもしています。
この這法師峠は、尊皇攘夷派の水戸浪士・武田耕雲斉らが冬の這法師峠越えをしたことで一瞬だけ歴史の表舞台?に現れます。(参考:蝿帽子峠
国土交通省岐阜国道事務所HPの「温見峠」(現在はリンク切れ)では
4.2 這法師峠と水戸浪士
 這法師峠で、歴史上最も有名なのは、幕末期、尊皇攘夷派の水戸浪士、武田耕雲斉ら約1000人の通過である。開国により国内が混乱が進む中、尊皇攘夷を訴えるこれらの人々は、京都に赴き、一橋慶喜にその志を訴えようと、この峠を通過したのである。元治元(1864)年12月のことである。
 一行は、幕軍が合渡(岐阜市)と呂久(巣南町)の2か所に、彦根・大垣藩が、揖斐川を前に砲列を敷いて、水戸浪士の通過に備えていたため、厳しい冬の這法師峠越えを選んだ。
 根尾村の人にとっては、1000人もの浪士の通過に恐れおののいて、雨戸を閉め、息を潜める家が多くあった。しかし、野営をする浪士に対して、蒔を持ち寄り、心尽くしの炊き出しをしたので、この素朴で親切な根尾人の接待に心から喜んだという。
 4日から雪が降り出し、這法師峠手前の大河原を出る5日には、1mを越えていた。雪は更に降り続き、這法師峠を越える時には、雪は2mは越えていた。この大雪をかき分け、よじ登りながら峠越えをした。積雪は道を埋め、滑りやすく、谷底に転落し、再び立つことができない人もいたという。途中には、大野藩の兵が、大木を倒して道を遮断し、行軍を防ごうとしており、行軍の厳しさは例えようがないものであった。
 ようやく峠を越え、大野郡黒戸村にたどり着いた時には、民家はことごとく大野藩によって焼き払われており、泊まるべき家が一戸もなく、全軍、橋の下などに野営をした。
 すでに、一行は心身とも疲れ果て、加賀藩に降伏し、敦賀市松原で処刑をされた。
と説明されていました。
[82286] 2012年 12月 3日(月)02:13:50MasAka さん
第9回オフ会の感想など
早いものでオフ会からもう10日くらいが過ぎようとしています。記憶が新鮮なうちに書いておかねば……、というわけで。

23日の往路のルートは、オーソドックスに東海道新幹線で。先月は仕事が多忙だったため(オフ会前日も残業)、当日はゆっくり家を出ようと。ただ、交通費は100円でも200円でも安くしたいということで、のぞみではなくひかりで行きました。オフ会MLをチェックしたところ、どうやら今回初参加のまなちゃんさんと同じ列車だったようです(当然、車内ではわかるわけがなく)。名古屋からは在来線に乗り換えて岐阜駅へ。その後、宿のすぐ近くにある8月にできたばかりの長良川うかいミュージアムを見学。16時半を過ぎたあたりでミュージアムを後にし、オフ会の受付を済ませます。

今回の一次会座席配置くじ引きでは、スナフキんさんと、初参加の菊人形さんの間に入ることに。前回同様、小松原ラガーさんが上座の真ん中(偶数なので完全な中央ではないですが)を引き当てたのは強運だと思いました。

一次会でのクイズ企画は3×3の市名完全クロスワード(改め市名マトリックス)。左上の1文字が出された後にようやくわかりました。Hiro_as_Fillerさんが驚きの速さで正答していた記憶があります。すでにグリグリさん提供の豪華賞品は売り切れだったため、EMMさん提供の国道(酷道)157号名物看板「危険、落ちたら死ぬ!!」のミニチュアをいただきました。

二次会のメイン企画は仲間はずれ当てクイズ。なかなか閃かず、1問か2問くらいしか答えられなかった記憶が……。二次会ではおつまみの差し入れとして、新潟土産の「ばかうけ新潟限定タレカツ味」と、北海道土産の「いも子とこぶ太郎」を持って行きました(自分で消化しきれず余った分だけなので、全員には行き渡らず)。また、クイズの賞品用としては、某研究所の関係者からもらったジオ鉄MAPを提供。ジオ鉄というのは
鉄道を利用し、誰もが気軽に楽しみながら自然や地球環境のことを学ぶことができる活動
深田研Webサイトより引用。……あ、上で研究所名を伏せた意味がない(笑))のことで、鉄道沿線の地質・地形的な見所を紹介したガイドマップみたいなものです。確か、小松原ラガーさんがお持ち帰りいただいたと記憶しています。ちなみに、入れ物にしたオレンジ色の袋は、3年前の岡山オフ会でかぱぷうさん提供の賞品(ニモカ自由帳)が入っていた文具屋の袋の再利用だったりします。研究所の人からもらってそのままの、研究所の名前が入った茶封筒では味気ないと思ったもので……。

翌朝は、JOUTOUさんの車でJR岐阜駅まで送ってもらい、そこから単独行動に。高山本線で高山を目指します。予定より1時間以上も早い時間に岐阜駅に着いてしまいましたが、ちょうど1本前の列車に乗れることがわかったので、その場で乗車変更して特急ひだに乗り込みました。

高山に来た目的は、第一に神奈川ローカルな某テレビ番組のMCの実家である「豆天狗」にて高山ラーメンを食すこと。11時半頃に店に着いたら20人近く行列が出来ていましたが、客の回転は良くて、20分も待たずに店に入れました。昼食の後はレンタカーを借りて、NEXCO中日本管内最長の道路トンネルである飛騨トンネル(10.7km)を通ります。飛騨清見側の坑口にある飛騨河合PAで休憩しましたが、確か気温は3℃とか4℃くらいしかなく、駐車場の脇には除雪された雪が残ってました。

ついでなので白川郷の合掌造り集落も見て行こうと思いましたが、連休だけあって国道156号は大渋滞。高山から白川郷ICまで休憩含めて50分で行けましたが、そこから同じ村内にある駐車場に車を停めるまでが50分かかるという状態。歩くのと全く変わらない速度でした。白川郷では1時間ばかり散歩し、今度は国道156号を南下して御母衣ダム湖の脇を通りながら荘川に向かいます。日は完全に沈み、ダム湖の景色はよくわかりませんでした。荘川の道の駅に併設されている温泉(桜香の湯)に入り、そこで夕食を食べた後は、再び高速道路に乗って、日本の高速道路最高地点(松ノ木峠付近、標高1085m)を通過。この日は高山で1泊しました。

その翌日(25日)は、高山本線を富山に抜け、そこから北陸周りで横浜に帰ってきました。こうするほうが交通費が安上がりなので。富山から越後湯沢までのはくたかの指定席が取れなかったため、自由席に座れずずっと立ちっぱなしかと思いましたが、幸い魚津駅で何人か降りる客がいたので、そこで座ることが出来ました。それにしても、高山を朝9時半に出て自宅に着いたのが夕方6時頃ですから、8時間半くらいかかったわけですね。高山~富山が普通列車の乗り継ぎだったのと、越後湯沢~大宮の新幹線が、1本遅いのしか取れなかったというのもありますが、最終日は移動だけで1日を費やしてしまいました。

というわけで、今回も充実した時間を過ごせたと思います。皆様どうもありがとうございました。


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