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落書き帳記事集ひなたひかげ


記事#記事日付
記事タイトル
発言者
[38301]2005年3月4日
みな陽 Issie
[38328]2005年3月5日
♪1セントも持っていなくても、通りの陽のあたる側を歩いていれば、気分はロックフェラー hmt
[59385]2007年6月23日
戦史に残る旧地名 hmt
[70139]2009年5月15日
「ひなた」は本当に日当たりがよいか。。。 じゃごたろ
[70142]2009年5月15日
相州愛甲郡奥三保日影之村 Issie
[70154]2009年5月16日
大日向村 じゃごたろ
[70163]2009年5月16日
日之影 Issie
[70164]2009年5月16日
月影の 至らぬ里はなけれども ながむる人の 心にぞすむ 今川焼
[70194]2009年5月17日
日向・日影&乾さん・巽さん 伊豆之国
[70201]2009年5月18日
ひなた・ひかげ 右左府
[70277]2009年5月24日
二俣川南岸の「日影」と、神田川(江戸川)北岸の「小日向」 hmt
[70892]2009年7月20日
ひなた・ひかげ地名 (1)陰陽地名の起源は中国 hmt
[70893]2009年7月20日
ひなた・ひかげ地名 (2)日本では「陽 = 南」が常識? hmt



[38301] 2005 年 3 月 4 日 (金) 22:29:01 Issie さん
 みな陽

[38300] hmt さん
極座標的な方位の表し方と言えば、十二支を使ったものがあり、子午線などの言葉にも生きていますね。

ゆるはらすふにや にぬふぁぶし みあてぃ
わん なちぇる うやや わんどぅ みあてぃ

口語の“うちなーぐち”とは若干言い回しの違う“うちなー文語”で歌われた「てぃんさぐぬ花(鳳仙花)」では,北極星が「子(=北)の方星(にぬふぁぶし)」と歌われています。
“本土方言”の“標準語”で用いられる「午前」「正午」「午後」とは,十二支で方位と時刻を表わした名残です。

始皇帝の秦の都は陝西・渭水盆地の「咸陽」ですが,これは「川に対して“陽”=北岸」かつ「山に対して“陽”=南麓」であって,みな(咸)が“陽”である,という意味です。
この意味での「陽」あるいは「陰」を用いた地名の実例は,中国に多く見られるような気がします。
ところが,十二支による方位名を使用した地名は,中国でどれほど存在するのでしょうね。
何か,あまり出遭ったことのないような…。

“本朝”では,「辰巳・巽 =南東」や「乾 =北西」という地名には,よく遭遇します。
金沢の「卯辰山」は,方位関連でしたっけ????
東の「卯」,西の「酉」も,まま出遭うことがありますよね。

けれども,「うしとら =北東」や,「ひつじさる =南西」には,地名では余り出遭った記憶がありません。

この「分布の違い」は,何を反映したものなんでしょう…。

[38328] 2005 年 3 月 5 日 (土) 22:37:14【1】 hmt さん
 ♪1セントも持っていなくても、通りの陽のあたる側を歩いていれば、気分はロックフェラー

[38301]Issie さん
「咸陽」は「川に対して“陽”=北岸」かつ「山に対して“陽”=南麓」であって,みな(咸)が“陽”である,という意味です。
この意味での「陽」あるいは「陰」を用いた地名の実例は,中国に多く見られるような気がします。

最も有名なのは、東周、後漢などたびたび都になった「洛陽」でしょう。武漢三鎮の「漢陽」とか、「股くぐり」で有名な淮陰侯韓信の「淮陰」も河に関係する陰陽の実例ですね。
東西に流れる河では、陽ざしのあたる側(sunny side)である北岸の斜面が「陽」、南岸の斜面が「陰」。
李成桂が「朝鮮国」の都にした「漢陽」も漢江の北岸ですね。現在のソウル。

山麓斜面はその逆で、南が「陽」、北が「陰」になりますが、その実例となると、日本の「山陽」「山陰」ぐらいしか思い浮びません。

これも川ですが、日本の実例。
この落書き帳では、実力以上にしばしば登場する神奈川県津久井郡。ここも東西に相模川が流れています。
戦国時代、小田原北条氏の「役帳」に記されている「津久井衆」の所領役高において、村々は相模川より北の「日向之村」と、相模川より南の「日陰之村」とに分類されています。

現在の実例。青梅のすぐ上流、多摩川を挟んで南の「日影和田」と北の「日向和田」(ひなたわだ)。

戦前の話。満洲開拓が日本の国策になっていた時代、分村して満洲への移民を送り出した村があります。長野県南佐久郡大日向村(現・佐久町)。和田傳の小説には、「大日向とは名ばかりで、半日しか日のあたらぬ山の中」というような記述があったように思います。

[59385] 2007 年 6 月 23 日 (土) 23:55:08【1】 hmt さん
 戦史に残る旧地名

[59352] にまん さん
「いおうじま」が「いおうとう」になったという話は既出ですが、その余波というようなニュースを見つけました。アメリカで不満が出ているそうです。

例えば Press-Telegram には、"the Battle of Iwo Jima" に従軍した老兵の発言が紹介されています。

しかし、日本が地名の読み方を変えても、アメリカで使われる「戦史の中の呼称」に直接影響するわけではありません。
老兵のご懸念は無用のことと思います。

第二次大戦の「スターリングラード攻防戦」など、戦史に残る地名と現在の地名表記が異なる例は珍しくないことでしょう。
帝政時代のツァリーツィンからスターリングラードへ、そして1961年からヴォルゴグラードへと改名。「廃墟からの復興」と題して広島と対比しつつ語った[4656] ニジェガロージェッツ さんの記事があります。

日本では「独ソ戦」と呼んでいたこの戦争自体の名前も、ソ連では「大祖国戦争」。
硫黄島攻防戦(日本の戦史ではずっと「いおうとう」だったと思います)があった戦争も、日本では「大東亜戦争」でした。

1905年に「奉天会戦」のあった地名は、現在では「瀋陽」ですが、清国・中華民国・満州国の時代には奉天でした。
市内を流れる瀋水(現在の瀋河)の北岸=「陽」[38301][38328]を意味する「瀋陽」は、後金の太祖ヌルハチが都とした地です。
その9年後の1634年に、太宗ホンタイジが「隆盛」を意味する満州語ムクデンと改名しました。漢語表記は「盛京」。

清国になって北京遷都後の1657年に奉天府が置かれています。
日露戦争後に権益を得た日本の南満州鉄道が奉天近くの柳条湖で爆破される事件があったのは1931年。日本では「満州事変」と呼んでいますが、英語では「Mukden Incident」です。

約300年間使われた「奉天」の地名は、大戦後の1945年に瀋陽に戻りました。(戦前の張学良時代にも一時的に瀋陽)

[70139] 2009 年 5 月 15 日 (金) 20:58:21 じゃごたろ さん
 「ひなた」は本当に日当たりがよいか。。。

こんばんば、じゃごたろです。

かねてより気になっていた「ひなた」「ひかげ」という地名ですが、ざっと地図をみると「ひなた」は尾根の南側・川の北側が多く、「ひかげ」は尾根の北側・川の南側が多いような印象があります。長野県内だけでも調べようと思った時もありますが、地名コレクションの一つとして、全国的な調査はいかがでしょうか?

では、さようなら。

[70142] 2009 年 5 月 15 日 (金) 21:58:45 Issie さん
 相州愛甲郡奥三保日影之村
hmt 相模川水系

[70139] じゃごたろ さん
「ひなた」「ひかげ」という地名

少し時代がさかのぼりますが,中世の相模国愛甲郡の最奥部,「奥三保」と呼ばれた地域では,西から東に流れる相模川を境に北側の村々が「日向之村」,南側の村々が「日影之村」と呼ばれていました。
「愛甲郡」とは言っても,“奥三保”と呼ばれたこの地域は,江戸時代には「津久井県」と呼ばれるようになりました。明治以降の「津久井郡」,つまり現在の相模原市緑区(予定)の西半部です。

現存する地名では,旧藤野町の 名倉 に「日向」という字があります。東へ流れる秋山川の北岸。川を挟んだ 牧野(まぎの) には「日影原」という字が。こちらは川の南岸。藤野町牧野 は面積の大きな大字で,地区の中心の大久和(やまなみ温泉)から旧相模湖町の 寸沢嵐(すわらし) へのびる県道沿いに「日向」という字があります。こちらは大きな沢からは離れていて,大きな目で見ると道志川の谷との分水嶺から北の相模川の谷に落ちる南斜面の中にあるのですが,局地的に小高い丘の南側。集落の南を小さな沢が西に流れて,川上川→秋山川を経て相模川に合流します。
青梅線に駅のある「日向和田」も,西から東へ流れる多摩川の谷の北岸ですね。
日向薬師で地元では有名な伊勢原市の「日向」は,大きな目で見れば“丹沢の南斜面”ということになりましょうか。

という例に見られるように,とりあえず関東山地のあたりまでは少なくとも分布している地名ではあるようです。多くの場合,東西方向にのびる谷と関連のある地名,ということになるかしら。
後は,どの範囲まで分布している地名であるか,興味のあるところです。

「ひなた」に関してはもう1つ。
信州では「日方」という表記がよく見られますよね。苗字にもなっていて,「大日方」さんは信州ではポピュラーだけど他の地域ではマイナーで,「おびなた」と読むことがなかなか難しい。
「日向」「日方」,さらに「日当」という表記もあるようですが,それらがどのように分布しているかという点も面白いかもしれません。

[70154] 2009 年 5 月 16 日 (土) 07:50:56 じゃごたろ さん
 大日向村

おはようございます、じゃごたろです。

[70148] hmt さん
「ひなた」=「陽」、「ひかげ」=「陰」のつく地名については、次の過去記事がありますので、こちらもご参照ください。

確か、「山陰」「山陽」に関する過去ログがあった記憶はありました。今回は特定の地名が「ひなた」「ひかげ」の意味を含むといういうものから、さらに「ひなた」「ひかげ」という地名を持つ地域はすべてそれにあてはまるのだろうか、という疑問を調べようと思ったことからです。で、結局なかなか自分では調べようとはしなかったので、地名コレクションの候補として全国的に調べてみたらもっとはっきりするのかな、と他力本願のネタふりをした次第です。

長野県の旧「大日向村」についても、少し言及してあります。
この「大日向村」、道路元標の調査で一度訪れたことがありますが、この「ひなた」地名にピンときたのが実はこの場所です。道路元標の設置されている旧大日向村役場であったと思われる多目的センターは、やはり抜井川の北岸に位置します。で地図を見ておわかりかもしれませんが、南側の尾根から抜井川へと流れ込む霧久保沢があり、この付近の尾根がやや低くなっている場所でもあります。それが「大日向」と呼ばれるようになった理由ではないかとその時に感じたのでした。

ところで「霧久保沢」ですが、やはり「霧が発生しやすい、またはたまりやすい窪地」って意味なんでしょうね。

[70163] 2009 年 5 月 16 日 (土) 18:16:05【1】 Issie さん
 日之影

[70157] k-ace さん
日向国であった宮崎県に日之影町がありますね(偶然?)。

「国」という区画が“廃止”されたわけではないので今でも「日向国」ではあるのですが,「日之影町」の町名の由来について,漫画家の 赤星たみこ さんが御自身の ブログ で「『日之影』とは『日陰』という意味ではなく『日の光』という意味」だという趣旨のことを書いています。神武天皇がらみの神話に由来するとか…。「何でこの人が?」と思ったのですが,日之影町の出身なのだそうですね。

公的な機関や組織のページでは確認できなかったのですが,お隣の「高千穂」と同様の日向神話に関連するもののような気がします。「ひむか(日向)」という国名自体が神話に由来するのかどうか私は知らないのですが,古代国家が形成されていく過程で日向神話も形作られて,それと関連して“太陽”を意識した地名も多く成立したのだろうと思います。
というわけで「偶然」ではないと思いますが,地形に由来する「ひなた/ひかげ」地名とは別のものだろうと思います。

ところで,「高千穂」といえば「天孫降臨」の舞台であり,西臼杵郡の高千穂町周辺とともに霧島火山の「高千穂峰」もアマテラス(天照大神)の孫のニニギ(アメニギシクニニギシアマツヒコヒコホノニニギノミコト)が天下りましました場所に比定されて,それぞれに神話関連の「旧跡」があるわけですが,そもそも「史実」ではあり得ない“言い伝え”によるもの。「神国日本」を標榜した昔はともかく,今の時代にどちらが「正統」か詮索するのはナンセンスというものでしょう。

別件。
[70160] 北神 さん
サークルK・サンクスにも別れています。

この場合は「分かれて」と書かなければなりません。
漢字の書き分けは難しいですね。

もう1つ追加。

Issie さんの言われる、
 神奈川県の平塚で創業した布団屋さんから成長したものです。
という、サンクスがやや富山県では優勢です。

布団屋さんを起源とするのは 長崎屋 であって,サンクス 自体ではありません。ただ,サンクス を“育てた”のが 長崎屋 であったので,そのことと サンクス が関東地方で「優勢」であることとはとても深い関連性がうかがえそうですね(…と,今の段階では言っておくにとどめましょう)。

[70164] 2009 年 5 月 16 日 (土) 18:22:24【1】 今川焼 さん
 月影の 至らぬ里はなけれども ながむる人の 心にぞすむ

表題は、法然上人の有名な和歌で、浄土宗の教えのイロハのイみたいなものなのでご存じの方もあると思います。この場合、月影とは月の陰(月の光の当たらない場所)ではなく、月の光そのもののことですね。つまり、月の光はあまねく地上を照らしていますよ、ということ。(後段の解釈は参考などをご覧下さい。)それで、
[70157]k-aceさん
日向国であった宮崎県に日之影町がありますね(偶然?)。
影と陰ってよく混用されていますね。違いはこちらの図がわかりやすいです。また、辞書にも「影」は「物が光をさえぎった時、光源と反対の側にできる、その物の黒い形。」というようなことが書いてありますが、転じて光そのものを指す場合もあるでしょう。前出の月影や星影なんかもそうですね。
日之影の影というのは、おそらく山の陰で日の当たらない場所ではなく、日がしっかりと降り注ぐ場所という意味でしょう。日之影町のサイトの町の概要に、町章の説明として
(蔭ではなく影、つまり影は光によってうつる形のこと)いわゆるさんぜんと輝く日の光を表わし
とありました。
もっとも、他の地方には“日向集落”の向かい側の北向き斜面の“日陰集落”に影の字が使用されている例もあるようです。そのあたりは融通無碍というか、同じ「かげ」なのだし「陰」より「影」の方がイメージが良かろうという判断があるのかもしれません。

また、日之影町の隣の高千穂町は、天孫降臨や天の岩戸伝説の地でもあり“日”に縁の深い土地柄です。日之影と日向、この両地名のルーツは案外同じところにあるのかもしれません。

以上、それなりの文献を調べればわかることだとは思いますが、面倒なので想像半分で書いています。勘違い等あればご指摘下さい。
また、もしk-aceさんが日向国と同義語という意味で日之影町を紹介されたのなら大変失礼しました。

と、一生懸命書いたところで[70163]Issie さんの的確なお答えが…。まぁせっかく書いたのでこちらもご笑覧下さい。

[70194] 2009 年 5 月 17 日 (日) 20:12:14【2】 伊豆之国 さん
 日向・日影&乾さん・巽さん

「鉄分」のほうはひとまず置くとして、このところ繁盛している「ひなた・ひかげ」と「八卦地名」についていくつかレスを‥。

まず、「ひなた・ひかげ」から。
[70139]じゃごたろさん 他
「ひかげ」でふと思い出したのが、秋田県大館市にある「日景温泉」(地図)。青森県境近くに位置する秘湯の一軒宿として知られているようです。周囲の地形を見ると、谷の北側に位置するので、宮崎・高千穂近くの「日之影」と同じく「日の当たる場所」の意味かと思ったら、Wikipediaによると、どうやら創業者「日景さん」の苗字によるものだそうです。ちなみにこの「日景」という苗字は秋田県、中でも大館市特有の苗字で、市内に200件以上密集し、全国の「日景」さんの約半分が集まっています。「かげ」という字の付く苗字は、他にもいろいろありますが、例えば「かげやま」さんには「影山」「景山」「蔭山」「陰山」があり、それぞれ元は同じものだったのでしょうが、文字によっていろいろニュアンスは違ってきているのでしょう。「景」という字を「かげ」と読むのは、「長尾景虎」などのように姓名の「名」のほうにもよく見られる用字で、[70164]今川焼さんが引用している「日之影」の説明にあるような
影は光によってうつる形のこと)いわゆるさんぜんと輝く日の光を表わし
という意味の上から、「景」の字を当てたのでしょう。「かげ」の付く地名では、「影取」(横浜市戸塚区)、「女影」(埼玉県日高市)などは、由来が気になるところです。神戸市東灘区の「御影」も、地形からして「日の当たる場所」の意味なのでしょうか‥。
温泉といえば、「ひなた」の温泉もあります。鹿児島県霧島市の「日当山温泉」。「西郷どん」ゆかりの名湯として知られています。また、群馬県四万温泉には、「日向見(ひなたみ)」と呼ばれている地区があります。
[70142]Issieさん
「大日方」さんは信州ではポピュラーだけど他の地域ではマイナーで,「おびなた」と読むことがなかなか難しい。
これで思い出したのが、東京都文京区の「小日向(こひなた)」。神田川(江戸川)北側の高台で、日当たりの良い場所という意味から来ているのでしょう。
「日向」という苗字は、「ひなた」「ひゅうが」などいろいろ読まれますが、山梨県に最も多いようです。「甲斐」さんが宮崎県に多いのとは正反対になっているのが面白いところです。
「ひなた・ひかげ」地名については、本間信治氏著「地名紀行」(平成4年・新人物往来社刊)に詳しく述べられています。
終わりに、蛇足。我が地元・東京都町田市には、「ひなた村」という青少年野外活動施設があります。

次に、[70166]Issieさん
“乾” さん
[70177]hmtさん
「辰巳・巽 =南東」や「乾 =北西」という地名には,よく遭遇するが,「うしとら =北東」や「ひつじさる =南西」のつく地名には,余り出遭った記憶がない
苗字についても全く同様なことが言えます。「たつみ」と読む苗字は「巽」「辰巳」「辰己」などいろいろありますが、「巽」さんと「辰巳」さんが共に全国に約1万1千人、「辰己」さんが約7千人。関西、特に奈良県と大阪府に多く見られます。「乾」さんは、全国に約2万7千人。やはり関西に多い苗字です。これに対し、「艮(うしとら)」という苗字は全国にわずかに200人ぐらい(「苗字の百貨店」より)。「ひつじさる」と読む苗字はどうやら存在しないようです。やはり「うしとら」「ひつじさる」は確かに呼びづらいのと、それぞれ「鬼門」「裏鬼門」の方角に当たるので地名と同様に嫌われたのでしょう。

[70150]ペーロケさん
一方の長野銀行。実は長野市には別のもっと大きい銀行、八十二銀行があります。本店が松本にありながら、ライバルである「長野」を名乗るのは、前身の「長野県商工信用組合」を踏襲したものでしょうか?長野県に属するので当然っちゃ当然なんでしょうが、長野市に対するきな臭い話を知っているだけに、何故か不思議な感情を感じてしまいます
長野県の銀行の話といえば、私はまだ少年だった頃、確か日経新聞に、次のような記事があったのを覚えています。
「八十二銀行の改称問題が暗礁に乗り上げている。『長野銀行』では県内の南北対立を助長させる恐れがあり、かといって『信州銀行』『信濃銀行』では以前に同名の銀行が破綻したことがあるため、これらの名称は使いにくい‥」
県名&県庁所在地名と同名の銀行で、本店が県庁所在地以外にあるのは、他に山口銀行(下関市)・富山銀行(高岡市)といったところでしょうか。富山銀行の本店は赤煉瓦造りの堂々たる建物で、私が十数年前に高岡の「御車山祭」を見物に訪れた際、一帯の蔵造りの町並みの中に異彩を放ちながらもすっかり溶け込んだ姿が印象的だったのを今も覚えています。
銀行の話で、ついでに、
[70149]小松原ラガーさん
「国宝のお城がある」ということで、犬山市です
この4市(姫路・松本・彦根・犬山)全てで、自行のATM(無人出張所も可)からお金を出し入れできる都市銀行が一つだけあります。それはどの銀行でしょう?

♯四万温泉「日向見」を書き落としていたので追加・訂正。

[70201] 2009 年 5 月 18 日 (月) 00:05:16 右左府 さん
 ひなた・ひかげ

一連の「ひなた・ひかげ」地名考察の書き込みを読んでいて思い出したんですが、能代市にも小字名に「ひかげ」があるんです。

能代市朴瀬字日影(Yahoo!地図ウォッちず

ここには 日影小学校 という小さな小学校もありました。ウォッちずの方には学校の地図記号が載っていますが、1年前に向能代小学校に統合され今は廃校となっています。
この「ひかげ」はどういった由来なんでしょうね。

(ついでに調べてみたら、能代市には他にも 久喜沢字日影沢 という地名がありました。細かい場所は不明ですが……。)


それと、[70142]Issieさんが触れられてる青梅市の 日向和田、ここは町村制施行以前は 日向和田村 だったようですが、多摩川を挟んだ対岸には 日影和田村 もあったようです。ここ地図を見ると「ひなた・ひかげ」の地形的特徴の対比がよくわかりますね。

なお、日向和田村が現在も 青梅市日向和田 となっているのに対し、日影和田村は 青梅市和田町 となっており、せっかく(?)の「日向・日影」ペアも現在は住所表示上消滅しています。

[70277] 2009 年 5 月 24 日 (日) 14:52:26 hmt さん
 二俣川南岸の「日影」と、神田川(江戸川)北岸の「小日向」

[70275] Issie さん
ひかげ地名:アパート・サンシャドー

集合住宅名は、結構昔の風景を反映していて面白いですね。うちの近くの「チェスナットガーデン」も、栗林でした。

昔の地図を見ると実際に「ひかげ」という地名が記載されていたそうな(←肝心の場面,眼鏡をはずして音だけ聴いていたので,どのような漢字表記なのかは不明。

横浜市立さちが丘小学校の先輩・今尾恵介さん が使った 昭和36年修正測図「横浜市三千分一地形図」 希望ヶ丘 の北東隅付近には、「日影」という地名が記されています。(1回のクリックでは小サイズ。更にクリックすると拡大図の読み込みは かなり重いので注意。)

生徒たちは、「ひなた」を探して南にある丘の上の 万騎が原ふじみ商店街 に行きましたが、日影和田・日向和田の先例[38328]を知っている私は、二俣川の北側を探りました。でも、「日影」に対応する「ひなた」地名は発見できず。

きっと由来は“あの「ユリシーズ」”でしょうね。だとすると,いっぱい“おまけの話”ができちゃいます

「ユリシーズ」と聞いての私の反応は、(1)オデュッセウスの英語名 と(2)ジェイムズ・ジョイスの小説 ぐらいなんですが、残念ながらホメロスもジョイスもまともに読んだことがなく、“おまけの話”がどんな具合に発展するのか、想像がつきません。

[70194] 伊豆之国 さん
東京都文京区の「小日向(こひなた)」。神田川(江戸川)北側の高台で、日当たりの良い場所という意味から来ているのでしょう。

鶴高日向の領地→古日向ヶ跡→小日向という、人名由来説 が伝えられています。
旧町名の中でも「茗荷谷町」は地下鉄の駅名として知られていますが、「第六天町」などは地図から消えてしまったのでしょうか。最後の将軍・徳川慶喜[43497]が、最後に居を構えていた地です。
こんなことを書いたのは、テレビで小学生が探検した横浜の坂の上にも「第六天社」があったからです。
魔王なんでしょうが、あちこちで祀られているのは、理由があるんでしょうね。

夏目漱石の「坊つちゃん」より
(六)喧嘩はしても山嵐の方が遥かに趣がある。おやじの葬式の時に小日向の養源寺の座敷にかかってた懸物はこの顔によく似ている。坊主に聞いてみたら韋駄天と云う怪物だそうだ。
(十一)死ぬ前日おれを呼んで坊つちゃん後生だから清【きよ】が死んだら、坊つちゃんのお寺へ埋めてください。(中略)
だから清の墓は小日向の養源寺にある。

養源寺の「きよの墓」
その墓のある養源寺は、夏目家の菩提寺(本法寺)があった小日向ではなく、約2km北東の駒込千駄木5丁目にありました。
それは、夏目漱石の親友である天然居士・米山保三郎[62621]の祖母の墓だそうです。

[70892] 2009 年 7 月 20 日 (月) 13:02:43 hmt さん
 ひなた・ひかげ地名 (1)陰陽地名の起源は中国

[70871] チャッピー さん
中国ではこれ【陰陽】を河川名や山名の後ろにつけてあらわすそうです。

「陰陽」が「ひかげ・ひなた」という意味であることはご承知のことと思います。
漢字文化圏の「北半球」(暗黙の前提)においては、「ひなた = 陽」は川の北斜面であり、山の場合には、それが南斜面と逆転する理由もわかりますね。
オーストラリアや南アフリカでは、「ひなた = sunny side」と南北との関係は、北半球の逆になります。

例:洛河っていう川の北を洛陽、南を洛陰

歴史的には「洛水」という名で知られた川ですが、現代中国では「洛河」と呼ぶのですね。
現代中国といえば、「陽」は簡字体では「こざとへん」に「日」。「陰」は「こざとへん」に「月」。

後漢の都・洛陽は、その後の魏や晋の都にも引き継がれました。晋の時代、左思の「三都賦」は、「洛陽の紙価を高める」 ベストセラーになりました。
隋の煬帝は従来の洛陽城の西に新都を建設し、大運河などの全国交通網も、この新しい洛陽を中心に計画されました。
唐の時代になると、政治的首都は長安になりましたが、この時代にも、洛陽は陪都として繁栄した文化の中心地でした。
則天武后の時代には、お気に入りの洛陽が首都の観を呈した時もあったようです。

洛陰という地名は聞いたことなし。調べてみたら、韓国 大邱 に洛陰精舍・洛陰公という記載がありました。

[70880]
陽陰地名に興味がある方はぜひ一緒に調べませんか。

既に[70887] Issie さん が触れているように、過去に話題になっています。
過去記事筆者の一人からのサービスとして、ひなた・ひかげ地名 を紹介しておきます。

本当は、記事検索によって7万件の過去記事の中から拾い出す力を養ってほしいのですが、「瀋陽」の記事は筆者だから記事の存在を覚えていたわけで、「陰陽」「ひなた」など普通に思いつくキーワードでは拾えませんね。

[70893] 2009 年 7 月 20 日 (月) 13:28:47【1】 hmt さん
 ひなた・ひかげ地名 (2)日本では「陽 = 南」が常識?

[70887] Issie さん  陽原
もしかしたら「陽」に「みなみ(南)」という意味があるからかもしれません。この場合は「山の南」。

相模川左岸段丘「陽原面」[22588]の存在は知っていましたが、これを「みなばら」と読ませるのは、かなり強引だと感じていました。

中国では、「陽のつく地名」は、川の北岸に使われる場合が多く、山の南麓に使われるのは稀。韓国も同様?
ところが、洛陽を真似して「洛」を名乗ってみた京都でさえも東西に流れる大河の北岸ではなく、地形が山勝ちである日本では、「山陽・山陰」の影響によって、「陽 = 南」という常識?が生まれた可能性があります。
徳島県海部郡海陽町 はその例で、前身の海南町から「同じ意味の漢字?」に変えただけかもしれません。

[70881]チャッピー さんが その 徳島県海陽町 を拾い出したデータベース検索。
「過去のデータベース」を選択すると、最近の合併で消滅した「陰陽市町村」を探すことができます。
遡れるのは 2003/09/01 までなので、2003/4/21に周南市になった山口県新南陽市(1970年、その前は都濃郡南陽町1953)は出ませんが、これにより、現存の5市町に加えて過去帳入りした「陽」7町村がわかります。
「陰」町村は岐阜県の明治30年合併([70814] 88 さん)で消えた陰地村以来出現していないとのこと。[70882] k-ace さん

岡山県赤磐郡山陽町→2005年赤磐市
岡山県上房郡賀陽町→2004年加茂郡吉備中央町
山口県厚狭郡山陽町→2005年山陽小野田市
福岡県八女郡上陽町→2006年八女市
熊本県阿蘇郡蘇陽町→2005年 上益城郡山都町
熊本県阿蘇郡長陽村→2005年南阿蘇村
熊本県八代郡東陽村→2005年八代市

これらの町村の中で、明らかに「ひなた」地名と認められるのは、阿蘇山外輪山の南麓に位置する「蘇陽町」です。正真正銘「蘇陽」の本来の意味である「阿蘇山の ひなた 側の斜面」に該当。
しかし、阿蘇郡所属の時代には、その南端でもあり、「陽 = 南」説もOK。

現存組に移り、熊本県菊池郡菊陽町。町勢要覧2008(48頁)の記載。
町名:菊池郡の南方に位置し、陽光「サン」と輝き(中略)から選定されました。
無理して「陽光」にこじつけているが、これも「ひなた」よりも「陽 = 南」による命名と思われます。

ところ変って山形県南陽市という名前。南陽市HP の記載。
当時の県知事、故安孫子藤吉氏は、「南陽」は古来中国で用いられた地名で、「北に丘陵、南に沃野(以下略)
この由来は、[2644] 黒髪 さんが紹介していましたが、まさに [70879] Issie さんによる
「岐山」にちなんで名づけたと言われる「岐阜」のように,昔の“酔狂な”支配者が命名した歴史的地名
の現代版でした。

「ひなた・ひかげ」ではありませんが、中国古典を下敷きにした命名法[70879]類似の方角地名が、熊本県 天草郡苓北町
苓北という名前は天草全土が「苓州」と呼ばれていたことでつけられました。「苓」は「あまくさ(甘草)」を意味し、苓州の北部に位置する町ということで「苓北」と名付けられました。

中国から渡来した薬草「苓」の和名が「かんぞう(甘草)」であることから、「あまくさ」の語呂合わせであることは、[66821]で記しました。

【追記】南陽
中国由来の「南陽」ということでは、1953年に山口県都濃郡富田町を前身として発足した南陽町が、1967年の山形県南陽市よりも先輩。しかも、富田川の別名が菊川で、“南陽県の菊水、下流を汲んで齢を延ぶ”(太平記)の故事とも合います。
由来的にはこっちが古いののに([2648] たけもと さん)、市の名前では山形県に先を越され、“古い新南陽”([13673] ゆう さん)にされていました。
なお、1906年の愛知県海東郡(1913海部郡)南陽村(現・名古屋市港区)[51607]は更に先輩。由来は知りません。



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