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落書き帳

大字大河原と大字大谷

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[48601] 2006年 1月 22日(日)07:23:44千本桜 さん
大河原町の中心集落名を特定する
[44796]千本桜
中心集落名には取りあえず大字名を当てはめてみる。それでしっくりしないなら行政区名、それでもダメなら旧市町村名、それでもダメなら宿駅などの町場名、それでもだめなら現行市町村名などなど、あの手この手でぶつかるだけ。これが法則。

柴田郡大河原町=中心集落名「大河原」  ウォッちずで見る大河原  Yahoo!地図情報で見る大河原

大河原町の市街地は川幅150mの白石川を挟んで両岸に展開しています。左岸は藩政時代の大河原村で、奥州街道の宿場町を起源とした町並み。右岸は藩政時代の大谷村で、東北本線大河原駅の駅前集落を起源とした町並みです。二つは切離すことのできない一体感をもって結ばれた市街地で、町役場、大河原駅のほか、裁判所、法務局、税務署、県合同庁舎など多数の国県出先機関が立地し、仙南地域の司法行政センターとなっています。また、大規模な土地区画整理で新市街地が出現した国道4号沿道は、ロードサイドショップが群がる商業ゾーンになっています。

さて、この市街地をひとつの集落と見立てた場合、どのような地名で表せば違和感無く通じ合えるかです。
1・この市街地は、大河原宿と呼ばれた宿場町と大河原駅の駅前集落を核として成立っている。
2・明治の大合併で大河原村、大谷村ほか二村が合併。町名を大河原町とし、旧大河原村はその大字として継承された。
3・昭和の大合併で大河原町、金ヶ瀬村が合併。町名を大河原町とし、大字は大字の二文字を省いて新町に引継がれました。ただし、このとき大字大河原だけは大字の実態そのものも廃止され、大字を持たない字○○になりました。しかし、旧住民の意識の中には今もぼんやり大字大河原の残影があると思われます。
以上のことから、大河原町の中心集落名は、藩政期の宿場名、明治以降の大字名および町名に由来して「大河原」。
[36936] 2005年 1月 20日(木)21:01:52千本桜[軒下提灯] さん
渋谷パルコが進出して来て上名生パルコを名乗るとき
[36882]牛山牛太郎さん
旧・上名生村地区の小字地名が隣の旧・船岡村地区の大字地名を名乗っています。これは、旧・丸森線横橋駅が阿武隈急行になって、「東船岡駅」に改称したことが始まりのようです。近くの旧・船岡小学校中名生分校も本校から分離するとき、東船岡小学校としました。やはり、「船岡」と付くのと付かないのでは、いろいろと変わってくるのでしょうか?
上名生より船岡が良い。何だかしらないけど、なんとなく良い。できるなら上名生じゃなくて船岡と呼んでほしい。そのような潜在意識を持っている住民は多いと思います。しかし、今は泥臭いイメージの上名生ですが、赤坂プリンスホテルによく似た上名生プリンスホテルや、六本木ヒルズそっくりな上名生ヒルズが建ち並び、渋谷パルコが進出して来て上名生パルコを名乗ったとき、船岡や槻木の人たちも「おらほも上名生に改称してけろ」と言い出すのです。地名イメージとはそのようなものではないでしょうか。そのような潜在的住民意識に振り回されて大谷全域を消滅させようとする大河原町の二の舞いを踏まないようにしましょう。

私も冷え切るとまでは行きませんが、冷めてきております。なんか、上のほうで勝手にやっている、という感じですよね。もう。
けしかけて済みません(笑)。あと1ヶ月で住民投票です。賛成反対いずれにしても、棄権しないで投票しましょうね。
[35641] 2004年 12月 9日(木)22:51:12千本桜[軒下提灯] さん
町名・字名その5 ~ペストはブダに統合されて消滅するのか~
[35611]YASU さん
盆の月が違う(見付:8月、中泉:7月)
視覚的には一連の市街地である見付中泉が、お盆の時期を違えているというのも凄いですね。実態を知らないのに無責任かもしれませんが、地域というものはその程度の意地?をみせても良いと思います。見付は旧暦で中泉は新暦のお盆ということは、やはり見付の方が町場形成の歴史が古い証なのでしょうね。

[35607]軒下提灯の続き
思うに、市街地が一体化したからといって、一方の大字がもう一方の大字に吸収合併されるような印象をもって消滅に追い込まれるケースって、そうそうあるものではないでしょう。もし、市街地の一体化が大字統合に繋がるなら、まっ先に仙台市泉区大字市名坂は大字七北田に統合されて消滅し、印西市大字大森は大字木下に統合されて消滅していなければなりません。さらにお遊びでバカバカしい飛躍的発展解釈をするなら、ブダペストのペストはブダに統合されて消滅しなければなりません。でも、それをしないのは何故だったのか。それに比して、大字大谷を消滅させて大字大河原にしようとする発想はどうも承服しかねる訳です。

誤解を生むといけませんので書きますが、ここでいう大字は江戸期からの村を念頭に置いています。明治の大合併や昭和の大合併で新たに発生した町村名は含みません。それらの町村名の中には、学校、郵便局、農協などに名を残しながら大字名に採用されることなく消えていったものが沢山ありますね。宮城県南部では角田市、岩沼市などの大字構成がその例です。

江戸期は高倉村→明治大合併後は西根村大字高倉→昭和大合併後は角田市大字高倉
江戸期は早股村→明治大合併後は玉浦村大字早股→昭和大合併後は岩沼市大字早股

角田市も岩沼市も、明治の町村制施行で発生した村名(西根や玉浦)を消滅させましたが、江戸期の村名(高倉や早股)は大字として今日に引き継がせました。もし、二者選択を迫られたなら、明治・昭和の大合併で発生した村名を捨てて江戸期の村名を採択するのは、後に続く小字を考慮すれば自然な流れかと思います。行政業務のことは分かりませんが、地域考察の観点からすれば江戸期の村は消して欲しくありません。消されると地域の過去を溯るのが困難になります。
[35607] 2004年 12月 7日(火)23:54:01千本桜[軒下提灯] さん
町名・字名その4 ~集落の一体化~
[35526]軒下提灯の続き

江戸期に成立した柴田郡南部29村が現在の柴田・村田・大河原3町域を構成しています。29村は3町の大字として引き継がれましたが、昭和31年に大字大河原が廃止され、そのエリアは大字なしの小字となりました。そして今度は大字大谷を廃止し、そのエリアを旧大字大河原地区と併せて大字大河原と呼ぶことにするのだそうです。大字大谷を大字大河原に変更する必要は無いと私は思うのですが、大谷と言う地区が他の大字に比べて、輪郭のぼんやりした中心が定まらない地区として捉えられていることも確かです。町内最大のエリアなのに存在感が薄いのはなぜでしょうか。

先日もある町民との会話の中でこんなことがありました。
地名傷を負った男:大河原駅前って住所は大谷ですよ。
訳知り女:それはそうだけど、大谷ってもっとあっちの方でしょう。
地名傷を負った男:あっちって、どっち。
訳知り女:はっきりしないけど田舎の方よ。駅前って大谷と言う感じがしないわ。
地名傷を負った男:(独り言)彼女はきっと、この辺りを最も大谷らしい大谷と感じているに違いない。

大河原町で最も地価の高額な駅前地区を包含し、町の中心機能の一翼を担う地区でありながら存在感を発揮できない地名になったのは、集落の発展過程と町が定めた行政区の名称によるところが大きいと私は感じています。

大谷村は明治22年に大河原村,小山田村,福田村と合併して大河原町の大字となりました。それ以前の明治20年に、宮城県で最初の駅の一つとなる大河原駅が大谷村地内に開設しています。大谷にありながら大河原駅を名乗るのは、当時の村の力関係によるものでしょうね。そのころ私はまだ生まれていませんでしたから推測で書きます。当時の大谷村の中心部はたぶんこの辺りで、家屋が点在する農村だったと思います。一方、大河原村の中心部はこの辺りで、宿場起源の町場を形成していました。大河原駅前の住所は大谷字町向です。字「町向」の「町」とは大河原の町場を指すものと考えます。つまり、駅前市街地は最初から大河原指向で形成され、大谷は意識の外にあったと考えられます。

現行大河原町の中心市街地は、宿場起源の大河原と駅前集落の大谷を核として発展してきました。二つは切り離せない一体性をもっているのも事実です。話は前後しますが、「なぜ大谷を大河原に変更するのか」という私の問いに、審議委員は誰も答えてはくれませんでした。でも、合併協議会事務局から私信が届いております。本当は私信ではなく公開で答えて欲しかったのですが無理は言いますまい。それによると、変更理由の一つに「町づくりの一体性」を挙げておられます。一見、ごもっともな感じがしますが、やはり疑問です。大河原と大谷は川幅150メートルの白石川で隔てられています。大谷を大河原に変更しても、この明確な自然境界を消すことはできません。変更は意味の無いものと私の目には映るのです。

これを書いていて気が重くなっていることも事実です。一つには、落書き帳を長文で使用してしまうことの申し訳なさ。もう一つは、協議会で結審したものは覆らないだろうという諦めに似た無力感の押寄せです。でも、途中で止めると真意が伝わらなくなりそうで怖いから、ついつい書き続けてしまいます。

宿場町の大河原と駅前集落の大谷が一体となった町づくりって、あそこと似てませんか?。例としてふさわしいかどうか疑問もありますが、あそこって静岡県磐田市ですよ。宿場の見付と駅前集落の中泉が合体した磐田。一体性のある町づくりのために大谷を大河原に変更し合体させなければならないなら、中泉も見付に変更して合体させなければなりません。磐田市でそのような動きがありますか?。だぶん、無いでしょうね。
[35526] 2004年 12月 4日(土)12:51:23千本桜[軒下提灯] さん
町名・字名その3 ~ヘソ探し~
[35517]軒下提灯の続き

柴田町・村田町・大河原町合併協議会会議録によると、「大谷字◯◯」の名称は「大河原字◯◯」に変更されるのだそうです。どなたが提案したのか存じませんが、いずれにしても大谷はダメあるいはイヤだから大河原に変更したいのでしょう。何故にこのような立場に大谷が立たされたのかを探ってみましょう。

大河原町は藩政時代の7村から構成されています。それらの村は現行大河原町の大字となって今日に引き継がれています。金ヶ瀬、堤、新寺、小山田、福田、大河原、大谷の7大字です。大字の字句は冠しませんが大字であることに変わりません。なお、大字大河原は昭和31年に消滅し、地区内の小字は大字を持たない字◯◯になりました。大字の縛りから解放されたと言っても良いでしょう。大字大河原地区だけをまるで天領のように特別扱いしたわけです。嫌ですね、同じ町域なのに特別扱いするのは。このことが今回の大谷消滅に繋がっていると感じます。でも、ここでは都合により大河原という大字が継続存続しているものとして扱います。

では、マピオンで各大字の「へそ」となる場所へ飛んでみましょう。
金ヶ瀬・・・昭和31年までは金ヶ瀬村大字平。昭和31年以後、大河原町金ヶ瀬。
・・・・・昭和31年までは金ヶ瀬村大字堤。昭和31年以後、大河原町堤。
新寺・・・・昭和31年までは金ヶ瀬村大字新寺。昭和31年以後、大河原町新寺。
小山田・・・昭和31年までは大河原町大字小山田。昭和31年以後、大河原町小山田。
福田・・・・昭和31年までは大河原町大字福田。昭和31年以後、大河原町福田。
大河原・・・昭和31年までは大河原町大字大河原。昭和31年以後、大字消滅。
大谷・・・・昭和31年までは大河原町大字大谷。昭和31年以後、大河原町大谷。

あれ?、どうしてでしょう。大谷へ飛べません。大谷の「へそ」がどこなのか、ぼんやりしていて見えません。たぶん、町民の誰もが大谷を「ぼんやりした地域」として捉えているはずです。なぜだろう?。なぜだと思いますか?。済みませんね。こんな片田舎のちっちゃな話を書き綴って。でも、これに似た話は全国各地に散らばっているのじゃございませんか?。類例がございましたなら教えて下さい。
[35517] 2004年 12月 3日(金)23:51:48千本桜[軒下提灯] さん
町名・字名その2~山口百恵の嘆き~
[35477]軒下提灯の続き

柴田・村田・大河原町合併協議会会議録を繙きながら、町名・字名の取扱審議を振り返ってみましょう。会長挨拶の後、3町の議員・学識経験者から成る出席委員27名に対し、事務局から次のような説明がありました。

1・柴田町及び村田町については「大字」の字句を削除し、その他は現行のとおりとする。
2・大河原町については「大河原町字◯◯」の名称は字の前に「大河原」を付し、「大谷字◯◯」の名称は「大河原字◯◯」に変更する。ただし、「大谷字下川原」及び「大谷字中川原」は「大河原大谷字下川原」及び「大河原大谷字中川原」に変更する。

さあ、委員の皆さんはこれをどのように審議するのでしょうか。大河原・大谷・金ヶ瀬に跨がる「大字なし地区」をすべて「大河原」とすることの理不尽さを突いてくれるだろうか。大谷を大河原に変更する必要性があるのかと食らい付いてくれるだろうか。しかし、残念ながら誰ひとりそれに触れてはくれませんでした。はっきり言いましょう。みんな地名に関心が無かったのです。地名と領域の変更に関して無頓着なのです。そう思うしかございません。

27名の委員さんは考え無しに事務局案を受入れてしまったようです。そして、大字なし地区が大河原になれば、その領域内に飛地として金ヶ瀬字丑越が取り残されるので、そこも大河原字丑越にして欲しいと2人の議員さんが発言しました。大河原町内ではイメージとして金ヶ瀬地区より大河原地区の方が好まれているようですから、この発言に丑越住民は喜ぶでしょう。議員さんは住民の喜ぶことを発言したまでです。浅く考えれば、立派なことをしたのでしょう。でも、地名と領域ってそれだけでは済まない部分を抱えていますよね。その済まない部分を住民に納得させ、地域の歴史を後世に引き継ぐことも行政や議員の役目だと私は思います。いずれにしても、会議で審議されたのはたったこれだけです。発言者は27人中2人だけ。こんな運びで大河原から金ヶ瀬が地名侵食され地域横奪されるのは嫌だなぁ~。大字大谷(明治22年までは大谷村)が消されて行くのは疑問だなぁ~。そもそも、江戸期に成立していた村名が明治22年の町村制以降に消されてしまった話なんて宮城県では聞いたことがない。変だと思わないのかな、委員さんたちは。審議がたったこれだけなんて。

!オッ。その時です。地理好き女の山口百恵さんが立ち上がりました。なに!、たったこれだけだと!。これっきりなのか!。二度と持つまいと誓ったマイクを再び握りしめ唄い出します。
歌唱:山口百恵 ♪「横須賀ストーリー」
♪ これっきり これっきり もうこれっきりですか ここはどこすか~

「軒下提灯の独り言」
大字なしの地区を大河原とすることの妥当性を審議しなければならないのに、大河原になるのが当然のように思い込んだ上で、そうなると金ヶ瀬字丑越が大河原に囲まれて飛地になるから大河原字丑越にしてくれと言う。それなら、新たに出現する大河原大谷字下川原ってなんなの。誰もそれに言及しないのも変だな。大谷を廃して大河原にすると、大谷字下川原は大河原字下川原になります。これでは既存の大河原字下川原とだぶってしまいます。同名回避のために「大河原大谷」なる新たな大字が設定されたのですが、その(大字)大河原大谷って(大字)大河原の中にポッンと浮かんだ飛地ですよね。金ヶ瀬字丑越が飛地になるので変更してくれと言いながら、新たな飛地が生まれることの不条理に気付かないのは名瀬!。那覇、那覇ハ、那覇ハァ~。住居表示による町名変更ならまだしも、こんな豆粒みたいに小さな大字が平成時代になって新設されたなんて宮城県内では聞いたことがない。よろしければ[34426]を再読していただけませんか。
[35477] 2004年 12月 2日(木)00:29:20千本桜[軒下提灯] さん
町名・字名その1
[35400]軒下提灯の続き
この落書帳は前置無しに地理の話題に入れるので気持が非常に楽です。でも世間一般では落書帳の常識が常識として通らないことも多くて気が重くなります。今日もある町会議員に合併協議会の町名・字名変更決議は疑問点が多い旨を話し掛けました。私が話し掛けた町会議員はこれで3人目です。でも、疑問点の何が疑問なのかを理解してもらうのが非常に苦しい。なぜなら町会議員と言えども、郷土の市町村合併史のフローチャートを頭の中に描けていない人が多すぎるからです。このことはO町議員のみならず、全国各地の市町村議員に共通しているのではないでしょうか?。だからO町の議員だけを責めるつもりはありません。ただ、新市町名については全国公募のお祭り騒ぎをやりながら、町名・字名の決定には百分の一の関心も払わない平成の大合併を悲しく思うだけです。

柴田町・村田町・大河原町合併協議会の会議録をひも解きながら、町名・字名決議を振り返ってみましょう。「第18回協議会会議録 町名・字名の取扱いについて」 出席委員は3町の議員・学識経験者など27名。

会長挨拶の後、事務局から概ね次ぎのような説明がありました。
1・柴田町及び村田町については「大字」の字句を削除し、その他は現行のとおりとする。
2・大河原町については「大河原町字◯◯」の名称は字の前に「大河原」を付し、「大谷字◯◯」の名称は「大河原字◯◯」に変更する。ただし、「大谷字下川原」及び「大谷字中川原」は「大河原大谷字下川原」及び「大河原大谷字中川原」に変更する。よろしくご審議のほどをお願い申し上げます。

「軒下提灯の独り言」
「大河原町字◯◯」の名称は字の前に一律「大河原」を付すって変じゃないですか。大字を持たない字◯◯は、旧大字大河原地区の他に金ヶ瀬地区、大谷地区にも跨がって存在しています。例えば、「大河原町金ヶ瀬字南平」が土地区画整地で市街化されたことにより、大字金ヶ瀬から除外されて「大河原町字南平」になったのは僅か10年前のことでしょう。アソコは金ヶ瀬なんです。それなのに大字大河原にするなんて略奪ですよ。大字を持たない地区のうち、旧大字大河原に属していた地区だけが字の前に「大河原」を付せば良いのです。大字金ヶ瀬及び大字大谷から分離した地区は字の前に「金ヶ瀬」「大谷」を付すのが筋道でしょう。しかも、「大谷字◯◯」の名称は「大河原字◯◯」に変更するってなぜなんだ!。元来の大谷地区は大河原町最大の面積と人口(約1万人)を抱える地区である。江戸時代に成立した村であり、明治・大正・昭和を大河原町の大字として生きてきた大谷を何故消滅させるのか?。さあ~~~~、委員の皆さん。突っ込んでください!。27名の議員さん&学識経験者さん。お願いします。突っ込め!突っ込め!審議せよ!。歴史的事実を守るため、地域のアイデンティティーを守るため、町村合併史をストレートに後世に伝えるため!。

事務局からの説明が終わり、議長が質議を促します。それに応えて、ある議員が次のように発言します。(分かりやすくするために原文を多少書き換えます)
「金ヶ瀬字丑越と金ヶ瀬字富田の周辺部が全部大河原になっています。これを大河原字丑越というようにできないものかどうか。」

「軒下提灯の独り言」
あれ~~!。金ヶ瀬字丑越の周辺部が全部大河原になっているから、ここも大河原字丑越にできないかって、そりゃ~~~あんまりですわ。大字なし地区をすべて大河原字◯◯にすると事務局が提案したから周辺部が全部大河原になったのであって、10年、20年まえまでは周辺部全部が金ヶ瀬だったでしょう。委員さんの目には事務局の提案が動かし難い既成事実と映ったのでしょうか?。案そのものを審議することなく、案にそぐわない地区の洗い出しにかかったのです。

さらに、別の委員が追いうちをかけます。(分かりやすくするために原文を多少書き換えます)
「周りがすべて大河原字緑町とか字東新町とかになってまして、昔からの飛地で金ヶ瀬が入っていたものですから、あそこの住民の方々からは、なぜここだけが金ヶ瀬の地名がはいるんだというふうなことで再三言われてますので、できれば金ヶ瀬を外していただき「大河原字丑越」に変更していただきたいと私からも要望したいと思います。」

「軒下提灯の独り言」
あれ~~!。Sちゃん、それは違うずら(なぜか今夜は静岡弁でイキタイ)!。周りがすべて大河原になっているのは事務局案ずら。現実には大字大河原でも大字金ヶ瀬でもない大字なし地区ですよ。そして基をただせば大字金ヶ瀬です。昔からの飛地で金ヶ瀬が入っていたんじゃなくて、市街化するたびに金ヶ瀬の3文字が外されて浮島のように残っただけです。まあ、金ヶ瀬は嫌だ、大河原が良いと言う住民感情は分からないでもありません。しかしです。それに迎合してはいけないものを地名は抱えていると思うのですよ。

まだ書込み途中なのですが疲れました。この文章、中途半端で終わると誤解を招きそうな部分もあるので、後日また書き続けます。おやすみなさい。
[34622] 2004年 10月 30日(土)23:33:41千本桜[軒下提灯] さん
Re:再度、情報提供求ム
[34549]中島悟 さん
大字全域が吸収されるというのは聞いたこともないし、必然性も感じられません。

でしょう!。悟るさん、私が言いたいのは、そのことなんです。藩政当時の村が明治の大合併で市町村の大字になり、地域のククリおよび地名として今日まで受け継がれている。これが一般的ですよね。藩政時代に村として成立し、市制町村制以降は大字となって継承されてきた地名とククリが、大正・昭和・平成になって消えてしまった例を私は知らないのです。だから驚いているのです。勿論、全域が住居表示による新町名に移行したために消えた大字は話が異なります。私が知る限りで宮城県を例にとれば、遠田郡三高野村が沼部村(現在の田尻町役場所在集落)に吸収されて消滅したのが最後かと思います。これとて、明治19年のことで市制町村制以前のできごとです。

問題は必然性があったのか?ということですが、無かったと私は思います。大河原と大谷は川幅150メートルの白石川で明確に隔てられている訳ですから、大河原と大谷に区分されていても混乱は起きません。では、なぜ大谷を大河原に統合したのか?。合併協議会から届いた答えは、「住民の要望があったため」でした。いい加減にせい!と言いたいですね。そのような要望をした人も確かにいたでしょう。しかし、大谷地区に住む私の知人は誰一人そのような要望があったことを知りません。

地名、特に大字名の変更に際しては、住民の要望があったためと言うだけでは根拠に足りません。どことなく大河原は先進的で大谷は古臭い。だから大谷を廃して大河原に入れてくれと言う住民感情は理解できますが、それを呑んだらだめじゃない!。地域イメージなんて地名の責任じゃないですね。施策の責任の方が遥かに大きい。昭和40年頃からでしょうか。大谷、金ヶ瀬地区の新規宅地造成地には、大谷、金ヶ瀬の地名を冠しない方針で進んできました。したがって、大谷、金ヶ瀬を冠する地区には開発の遅れた後進的イメージがまとわりつきます。もし、これを理由に地名が変更されたなら歯止めが利かなくなりますね。私、地名変更よりもっと危険だと思うのは地域ククリの変更なんです。大谷が小谷になろうが大山になろうが、地域ククリに変更がなければ後世への地域伝承は可能でしょう。しかし、大字大谷が大字大河原に吸収されて大谷のククリが消滅すれば、後世の人たちが地域検証するときに困ると思うのです。誤解されると困りますので書き加えますが、圃場整備や宅地造成によって生じる局所的字界変更はこの限りではありません。

皆様の地域で、昭和30年代半ばから今日までの間に消滅した大字はございませんか?。ただし、全域が住居表示区域となって消滅した大字を除きます。それから、明治の大合併や昭和の大合併によって出現しては消えていった村名も除きます。あくまでも藩政時代に村として成立していたことが条件です。
[28104] 2004年 5月 10日(月)09:27:16千本桜[軒下提灯] さん
河川横奪を河川争奪に訂正します
[27630]軒下提灯
自然地理の世界に「河川横奪」という現象と用語があります。
地理用語では河川横奪じゃなくて河川争奪でしたね。訂正します。

「河川横奪」に似て、大河原が大谷および金ヶ瀬に対して「地名侵食」および「地域横奪」を仕掛けることであります。
こちらの「地域横奪」は私の勝手な造語ですから、このまま通します。
[27630] 2004年 4月 23日(金)11:21:06千本桜[軒下提灯] さん
地名侵食と地域横奪
[27590]牛山牛太郎さん
柴田町・村田町・大河原町合併協議会は、合併後の新しい住居表示を公表いたしました。それによりますと(中略)明治に合併した「大谷村」地域と、昭和に合併した「金ヶ瀬村」地域がかなり「大河原」に侵食されています。

牛山さん、書込みありがとうございました。このことについては、私も大変関心があります。でも、良いことなのか悪いことなのか結論が出せません。自然地理の世界に「河川横奪」という現象と用語があります。今回の住居表示案は正に「河川横奪」に似て、大河原が大谷および金ヶ瀬に対して「地名侵食」および「地域横奪」を仕掛けることであります。そしてこのように、力のある集落が力のない集落を自分の色に染めながら横奪していく現象は、大河原町に限らず全国各地で起こりうることなのです。落書き帳の皆様にも関心を持って戴きたい事柄です。

金ヶ瀬が大河原に横奪されて行く過程を簡単に書きます。金ヶ瀬村は昭和31年に大河原町に吸収合併され、金ヶ瀬村を形成していた3つの大字は、大河原町大字金ヶ瀬、大河原町大字堤、大河原町大字新寺として引き継がれました。(大河原町では大字の2文字を冠称しない習わしですが、分かりやすいように大字を付してみました)。この時点では、大河原の町並みと金ヶ瀬の町並みは水田・畑で分断され、双方は別々の市街地を形成していました。

やがて人口増加による宅地開発が進み、大字大河原と大字金ヶ瀬の間に広がる畑は土地区画整理されて新市街地に変化して行きます。すると、どうでしょう!。土地区画整理された地区の住所は大河原町大字金ヶ瀬字◯◯から金ヶ瀬を削除して、大河原町字◯◯になって行くのです。簡略化なのでしょうが、穿った見方をすれば、田舎臭い金ヶ瀬という地名を嫌って抹消したとも受け取れます。このようにして、新しく市街化された地区は金ヶ瀬と言う地名とともに金ヶ瀬と言う地域色も失って行きます。でも、旧来からの金ヶ瀬住民はそこを金ヶ瀬だと思っています。なのに、新住民はそこを金ヶ瀬だとは思っていませんし、思いたくないのかもしれません。

3町合併による新市の住居表示は、柴田市金ヶ瀬字◯◯のように市名の後に旧来の大字がきます。ならば、土地区画整理によって金ヶ瀬の地名を冠称しなくなった地区も元に戻して柴田市金ヶ瀬字◯◯とすべきでしょうが、それがなんと、柴田市大河原字◯◯にするというのです。これでは当該の字◯◯地域が、昔から大字大河原の一部であったような歴史的誤認を生みかねません。でも、当該の字◯◯地域の新住民の中には、その場所を金ヶ瀬じゃなくて大河原と呼んで欲しがる人も多いのです。地域のククリや地名って誰のためにあるのでしょう。私には分からなくなりました。

金ヶ瀬地区より、もっと可哀相なのは大字大谷です。本来なら柴田市大谷字◯◯となるべき所なのに、字中川原と字下川原を除いては柴田市大河原字◯◯になるのだそうです。字中川原と字下川原だけを柴田市大河原字中川原・下川原としないのは、同名の小字名が既に大字大河原地区にもあるからです。柴田市大河原字中川原・下川原としたのでは同名地名がダブってしまいますから、仕方なく柴田市大谷字中川原・下川原とするのでしょう。大谷の地名を用いるのは「仕方なく」とみました。嫌味ったらしいですね。合併協議会の本音は藩政時代から脈々と続いた旧大谷村(現大字大谷)を消滅させたいのです。

でも大河原と大谷の間には、そのようにせざるを得ない相互関係もありますね。藩政時代は大谷村だったのだから大河原駅前を大谷と呼べと言われても、今では大河原駅前が大河原そのものであって、大谷という意識は薄れています。こうなると、大谷と言う地名を押し付けるのも良いことなのかどうか・・・、難しい問題ですね。もう、私には時の流れに身を任せるしかありません。あぁ・・・時の流れに身をまかせ。

金ヶ瀬住民が唄うテレサテンの♪「時の流れに身をまかせ」
♪ 時の流れに 身をまかせ 大河原の色に 染められ 歴史ある地名それさえ 捨てることもかまわない~♪

こんなことで良いのでしょうか?。皆様どのように思われますか?。地名って誰のもの?。
大河原から地名侵食、地域横奪されつつある金ヶ瀬の地図です
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=38.2.26.528&el=140.43.16.518&la=1&sc=4&CE.x=252&CE.y=252


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