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落書き帳

京都市の地番の設定を巡る考察

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[48946]2006年2月3日
inakanomozart
[48954]2006年2月4日
たもっち
[48969]2006年2月4日
hmt
[49550]2006年2月28日
たもっち

[48946] 2006年 2月 3日(金)17:26:47inakanomozart さん
京都市役所の所在地
[48932] 2006年 2月 3日(金) 00:42:35  たもっちさん
産業観光局観光部観光振興課のページ
Teramachi Oike, Nakagyo-ku, Kyoto 604-8571, JAPAN.
番地も無視です。ある意味、一番わかりやすいのかもしれません。
京都市中心部の住所(所在地)はこの方式で十分なような気がします。
第一、ごまんとある京都市の町名を熟知している人などほとんど存在しないし、実際町名だけ言われても普通の人はさっぱりでしょう。
ついでに、区名も省略しても、場所の特定化と言う意味では困ることはないようにも思えます。(笑)

総務局国際化推進室
488 Uehonnojimae-cho, Teramachi-Oike, Nakagyo-ku,Kyoto City, Japan 604-8571
こちらは町名入りです。が、「うえほんのうじまえちょう」というのが違和感があります。
「カミ」を分かりやすく「ウエ」と表示したというより、京都市の職員でさえ町名をよく分かっていない証拠のように思えるのですが・・・・(優秀な職員ばかりだと言ううわさだからそんなことないのかなぁ)

話はちょっとそれますが、「488番地」と言うと町の大きさに比べ番地が大きすぎると思い、地図サイトであちこち検索してみると、京都の番地は町ごと(いわゆる地番区域)に1番地から付けられているのではないようです。
ということは、例えば南北の通りの北方に基準地があって、そこから1番地、2番地と付けられているのでしょうか?
たもっちさん、気が向いたら教えてください。(たとえ、気が向かなくてもお願いします。)

お願いついでにもうひとつ、京都市役所は建物が御池通りに向いている気がするのですが、もしそうだとしたら「寺町御池」より「御池寺町」の方が正確なような気がするのですがどうでしょうか?
[48954] 2006年 2月 4日(土)02:29:58たもっち さん
RE:京都市役所の所在地
[48946]inakanomozartさん
京都市中心部の住所(所在地)はこの方式で十分なような気がします。
第一、ごまんとある京都市の町名を熟知している人などほとんど存在しないし、実際町名だけ言われても普通の人はさっぱりでしょう。
ついでに、区名も省略しても、場所の特定化と言う意味では困ることはないようにも思えます。(笑)
すべておっしゃるとおりです(笑)。
ただ、「住所」の「表示」の意味ということを考えると、ちょっと違う気がします。
例えば、甲子園球場の「場所を特定」する意味では、「阪神甲子園駅の南」と言うのが万人にとってわかりやすいと思います。「兵庫県西宮市甲子園町1-82」と言われても、それがどこらへんか咄嗟にわかる人は珍しいでしょうが、だからといって、「この表記は使えない」ということにはならないでしょう。
ただ、やっぱり、京都の特殊性なのか、慣れの問題なのかはわかりませんが、通り名で呼ぶほうがはるかにわかりやすいということには、誰しも賛成すると思うのですよね。
「公式的な表記」と「わかりやすい表記」は分けて考えたほうがいいのでしょうかね。

「カミ」を分かりやすく「ウエ」と表示したというより、京都市の職員でさえ町名をよく分かっていない証拠のように思えるのですが・・・・
町名の読み方について、京都市のスタンスは、「一般的な読み方は示せるとしても、地元等で、それと違う読み方をすることを否定はしない」という感じだと思います。「上本能寺前町」についても、実際、「かみ」と読む人と「うえ」と読む人がいるのかも知れませんが、自分とこの所在地の読み方ぐらい内部で統一できないものかと思います。


話はちょっとそれますが、「488番地」と言うと町の大きさに比べ番地が大きすぎると思い、地図サイトであちこち検索してみると、京都の番地は町ごと(いわゆる地番区域)に1番地から付けられているのではないようです。
ということは、例えば南北の通りの北方に基準地があって、そこから1番地、2番地と付けられているのでしょうか?
たもっちさん、気が向いたら教えてください。(たとえ、気が向かなくてもお願いします。)
これを読んだ時、ずばり、「気が向かないなぁ」と思いました(笑)。半分本気で京都市の地名を調査中(?)の88さん([48948])に任せてしまおうかと思ったり。でもそこまでお願いされては応えないわけには行きません。

まず、住宅地図で少し地番を拾ってみたところ、確かに、隣接する町の間で地番が連続していると思われるところがたくさん見つかりました。もう少し詳しく見ているうちに、何となく察しがついてきました。どうやら、「元学区」が地番区域になっているようです。そこで、市役所周辺の、「柳池」「銅駝」の2つの元学区について、各町の地番を調べてみました。なお、地番は地図サイトの住所検索から拾ったもので、枝番が無視されているなど、必ずしも正確ではないと思われますが、およその目安として見ていただければと思います。

柳池
町名主な地番その他
等持寺町1~36
虎石町38~5790,240
柳八幡町65~80
油屋町83~100
福長町102~12324
松下町125~140
守山町156~177
俵屋町181~199
尾張町202~238273
上白山町239~265231
中白山町268~28951,555
下白山町290~312
丸屋町314~338
大文字町340~356
亀屋町370~406
山本町408~443
妙満寺前町444~469494
上本能寺前町470~491
下本能寺前町492~522
天性寺前町522~541
姉大東町542~560
菊屋町561~574
東八幡町585
御池大東町593~596
橘町604~649663
晴明町650~682606
丁子屋町683~700

柳池学区はおよそ、北は二条、南は三条、西は柳馬場、東は河原町の各通りに囲まれ、市役所北側の榎木町を除く、右上が欠けた長方形の範囲です。ただし、京都の町割の特徴として、町同士が通りで分けられるのではなく、背割りになっているので、学区界も通りではありません。
(学区の区割りについては、こちらもご参考に。)
学区の範囲が確認できたら、地図と上の表を見比べてみてください。
1番地は柳馬場通二条下るの等持寺町にあります。以下、柳馬場沿いに三条手前の油屋町まで南下します。次は、東隣の富小路通りに移り、福長町から北上し、二条手前の俵屋町まで行きます。以下同様に、東隣の麩屋町を南下、その東隣の御幸町通りを北上、その東隣の寺町通りを南下して、天性寺前町まで、ジグザグに縫うように続きます。この後は、姉小路通りに沿って東から西へ、御池通りを西から東へ、押小路通りを東から西へ(ここは町が橘町のひとつだけですが)、二条通りを西から東へとジグザグに進み、丁子屋町で最後です。
これだけの範囲が、地番設定上はひとつの区域とみなされているということになりそうです。

銅駝
町名主な地番その他
行願寺門前町2~17
藤木町18~44
常盤木町45~66
榎木町67~102450
東椹木町104~128
梅之木町130~147
橘柳町148~169
西革堂町170~206
角倉町207~228
大文字町227~244
末丸町246~284541
鉾田町285~310542,543
指物町311~339
清水町340~364
一之船入町366~384535,538
下丸屋町390~426
恵比須町424~44830,534,540,584
樋之口町451~477
西生洲町478
東生洲町481~49038,533
上樵木町490~503
上大阪町515~532
銅駝学区は、中京区の北東隅にあり、およそ、寺町、二条、河原町、三条の各通りをつないだ線が学区界になります。
こちらも、学区北西端の行願寺門前町からスタートです。寺町通りに沿って南下して榎木町まで行った後は、隣の新烏丸通りに移るのですが、こちらはジグザグではなくて、また北端の東椹木町から南下します。その次も新椹木町通りを南下。その次はまた少しイレギュラーで、北東隅あたりの大文字町、末丸町、鉾田町、指物町をぐるりと回ります。その後は、河原町通り沿いに三条あたりの恵比寿町まで南下。それから、木屋町通りに沿って、二条の樋之口町から三条の上大阪町まで南下して終了。なお、末丸町、鉾田町の500番台の地番は土手町通り沿いに固まっているようで、ここらへんも何かルールがありそうな気もします。

番号の付け方については、細かい点では相違もありますが、基本的には、通りに沿って順番に付けているという点は共通していることが推測されます。つまり、inakanomozartさんの予想は、かなりいい線を行ってるんじゃないかと思います。
と、極めてテキトーな調査ですが、こんなもんでいかがでしょうか(笑)。

ちなみに、「元学区」という言葉は京都以外の方は聞いたことがないかもしれません。僕も詳しいことはよく知らない(汗)のですが、語源的には、読んで字のごとく「かつての小学校区」を指すもののようです。今では、統廃合等によって、現実の通学区とは一致していないようですが、依然、自治連合会等の単位として大きな意味合いを持っているそうです。


お願いついでにもうひとつ、京都市役所は建物が御池通りに向いている気がするのですが、もしそうだとしたら「寺町御池」より「御池寺町」の方が正確なような気がするのですがどうでしょうか?
実は、あの建物は西側の寺町通り向きが正面なんですよ。

すいません、ウソです(笑)。

実感としていちばんしっくり来るのは、「御池通河原町西入る」ですよね。何で「寺町通御池上る」なんでしょうか。何か歴史的な経緯がありそうな気がしますね。それこそ、市役所の建物が建つ以前に遡るような。いや、知らんけど(笑)。
[48969] 2006年 2月 4日(土)14:46:08hmt さん
京都の「番組」・「学区」
[48946] inakanomozart さん
京都の番地は町ごと(いわゆる地番区域)に1番地から付けられているのではないようです。

昨夜、今尾恵介さんの「住所と地名の大研究」[26845]85~90頁を参照して原稿を書いたのですが、一晩寝かせている間に、たもっちさんから、現地の住宅地図調査に基づく力作[48954]がアップされました。
# 性急に横レスを入れずに、御指名のあった たもっちさん からのレスを待っていてよかった。

今尾さんの手法も同様のもので、まず住宅地図から番号を追跡し、いくつかの町をまとめた一辺(正確には切手のようにジグザグ)300~500mぐらいの長方形のブロック毎に地番が付けられていることを発見しています。
同書86~87頁には、下京区の結果が図示されています。これによると、ブロックの北西隅の1番から蛇行しているようにも思われるのですが、順番から外れているものも多く、番号も飛んでいて一筋縄ではゆきません。

今尾さんの次の段階の発見も、たもっちさん[48954]
もう少し詳しく見ているうちに、何となく察しがついてきました。どうやら、「元学区」が地番区域になっているようです。
と同じです。

京都市の町組改正と小学校 によると、16世紀の京都に形成された町組(ちょうぐみ)が、明治元年・明治2年の改正により、三条通を境に北側が上京33番組(884町)、南側が32番組(821町)に再編成され、平均26~27町の各番組には学校が1つずつ作られたとあります。
一般に「番組小学校」と呼ばれるこの町組会所兼小学校は、教育(筆道,算術,読書)だけでなく、京都府の出先機関としての戸籍事務から警察・消防まで各種の仕事を行なう近代京都の「自治センター」だったのだそうです。
有済小学校に残る太鼓望楼 は、番組小学校が火の見を含めた「総合庁舎」の役割を果たしていた事実を伝えています。

現・京都市役所付近で、たもっちさんが調査された区域の富小路通御池角に明治2年5月21日に作られた上京第二十七番組小学校は、番組小学校の第1号であり、その年のうちに全64校が出揃い、明治5年の全国的な学制発布に先立つ、日本最初の学校群が発足しました。

学校の名称には明治25年「学区」に再編成された際に、中国の古典(論語など)や地域の歴史に由来する漢字名が付けられ、例えば柳池(りゅうち)小学校となり、その区域は「柳池学区」と呼ばれるようになりました。

この「学区」は、単なる通学区域ではなく、独自の財源を持ち,教育経費を負担する自治団体として、昭和16年に国民学校令により廃止されるまで存続していたというから驚きます。
明治6年から御池通柳馬場東入北側にあった柳池小学校は、戦後の新制中学に転用されるなどして、通学区と従来の「学区」とは一致しなくなり、「元学区」[48954]と呼ばれるようになったようですが、素晴らしきわがまち の執筆者を見るとわかるように、現在でも自治組織として活動している様子をうかがうことができます。

地番が付けられたのは地租改正事業の際でしょうが、当時、このように機能していた「番組」という区域が地番区域として用いられたのは“自然ななりゆき”であったというのが、今尾さんの結論です。

今尾さんの本の存在ついては、既に[48957] YSKさんも言及しておられますが、たもっちさんが、独自の調査によって、短期間でこれと同様の結果を導かれたことは、敬服に値します。
リンクされた頁も、とても役に立ちました。
“どうにもカッコが悪いので消しちゃったほうがいい”[48959] などと言わないでください。
[49550] 2006年 2月 28日(火)23:21:47たもっち さん
寺町御池リターンズ
少し古い話題になりますが、京都市役所の所在地表示に関する疑問についての話です。
軽くおさらいしておきますと、一般に「河原町御池」にあるとされている京都市役所の所在地表示は、正式には「京都市中京区寺町通御池上る上本能寺前町488番地」となっているのですが、「なぜ『河原町』ではなくて『寺町』なのか」、また、「建物は南側が正面、つまり、御池通りに面しているのに、なぜ『御池通寺町東入る』ではなくて、『寺町通御池上る』なのか」、という議論が[48946][49276]あたりで繰り広げられました。落書き帳アーカイブ「京都の街と道のつながり ~京都市街地の特色ある住所表記~」にもその一部が収録されています。この稿では、このうち後者の疑問についての新たな仮説を提案したいと思います。

先日、職場からある研修に参加したのですが、その時の案内文の次のような表記が目に止まりました。
会場:
京都府立総合社会福祉会館(ハートピア京都)
(中京区竹屋町通烏丸東入る清水町375)
皆さん既に御承知の通り、町名がわからなくても、通り名から大体の位置は把握できるので、「ああ、あの辺か」と思いながら、念の為、地図で確認することにしました。すると、こんなところであることがわかりましたが、そこで、軽い違和感を感じました。ご覧のとおり、この建物は烏丸竹屋町の角にあります。となると、接する通りの大きさを考えると、正面は烏丸通りに面して設けるのが普通でしょう。研修当日に確認しましたが、実際そうでした。竹屋町通り側は駐車場の入り口ぐらいはありましたが、とても正面という雰囲気ではありません。[15956]でまがみさんが書かれているように、通り名は建物の正面が接している通りを先に書くのが通例ですから、この場合「烏丸通り竹屋町上る」とするのが実感にも合うのですが、実際には上述のように表示されているわけです。つまり、タテとヨコの立場は逆ですが、京都市役所と似たような状況だなぁ、と思ったわけです。
そこで、地図をもう少し詳しく見てみると、ハートピア京都の建物は、表示されている清水町のほかに、西側の烏丸通りに沿った部分は大倉町にもまたがっています。そして、清水町というのは竹屋町通りに面した町です。ということは、この建物の所在地を表す通り名が「烏丸通竹屋町上る」ではなく、「竹屋町通烏丸東入る」となっているのは、所在町名として「清水町」を名乗っているせいではないか、と考えました。
なお、この建物が清水町を名乗ることになった理由はわかりません。住宅地図で確認してみると、清水町の部分は南側の一部のみで8~9割がたは大倉町にかかっているように見えます。それに、上述の通り、正面玄関があるのも大倉町と思われます。しかし、複数の町にかかる建物がどの町を選択するかということは、これもまた奥が深そうなテーマではありますが、今回の話とはまた別の話になると思いますので、ここではこれ以上追究しません。ここで言いたいのは、「(理由はわからないが)清水町を名乗ることになったために、それに連動して、竹屋町を先に表示することになったのではないか」と言うことです。逆に、大倉町を名乗っていたならば、「烏丸通竹屋町上る大倉町」となっていたのかも知れません。

以上のような考えから、通り名の表示においては、既知の「建物が面する通りを先に表示」することのほか、以下のような原則があるのではないかと推測しました。
・建物が属する町が面している通りを先に表示する。
・角地などで建物が複数の町にまたがっている場合は、所在として表示する町名によって、前項の原則を適用する。

ひとつ目の項目で「町が面している通り」という書き方をしましたが、これを理解していただくには、京都の町割の特徴を知っておいていただく必要があります。既に御存知のかたも多いと思いますが、少し横道に入って、軽くおさらいしておきます。
極端な例として、札幌市の例と比較してみます。札幌の中心部は、京都のように碁盤の目のようにブロック分けされていますが、町割のしかたは全く違います。札幌は道路で囲まれたブロックをひとつの単位として、「○条○丁目」(一般例としては「○町○丁目」等)という名前をつけます。一方、京都では、ブロックを囲む4本の道路のどこに面しているかによって、属する町が違います。逆に、ブロックが違っていても、道路を面して向かい合った同士でひとつの町を形成します(参考ページ)。つまり、それぞれの町はブロックによって規定されるのではなく、それが面している通りによって規定されていると言えます。また、基本的に、ひとつの町が面している通りはひとつだけである、ということも言えると思います。もう少し細かく規定するには、例えば、「『清水町』とは、竹屋町通りの烏丸と東洞院の間の部分に面するところを指す名前である」というような具合になるでしょうか。「町が面している通り」と書いたのはそれを裏から見たものだというようなイメージで捉えてくださればよいかと思います。
横道のついでに。京都に限らず、旧城下町のような古い町並みでは同じような町割が見られることがありますが、住居表示法による住居表示を実施した地域では、札幌のようにブロック単位での町割になっているところがほとんどだと思います。ごく珍しい例外が大阪の中心部に見られます。

さて、話を元に戻します。
京都市役所の所在地表示がどのようにして決められたかを推測するわけですが、市役所の本庁舎が「上本能寺前町」に属していることは既知として、これを上記ひとつ目の仮原則に当てはめようとすると、上本能寺前町が面しているのはどの通りであるかを知る必要があります。そこで、地図を見てみると、寺町通りと御池通りに接していることがわかります。しかし、[48963]むっくんさんに御教示いただいた通り、かつては、御池通りはここが東端であり、寺町通り以東までは通っていませんでした。ということは、本来、「上本能寺前町」とは、「寺町通りの押小路と御池の間の部分に面するところを指す名前である」ということが推測されます。つまり、
・京都市役所が御池通りを向いているにもかかわらず、所在地表示が「御池通寺町東入る」ではなくて「寺町通御池上る」とされている理由は、「市役所建物が属しているところの『上本能寺前町』が寺町通りに面している町だから」である。
これが本稿での結論ですが、いかがでしょうか。
もちろん、僕の勝手な推論に基づくものであり、真実かどうかはわかりません。いろいろ反論があるかもしれませんし、前回のように、「そんなの誰々の何々という本に既に書いてあるよ」ということがあるかもしれません。
それから、あくまで「『本来は』こうだったのではないか」ということを考えているのであって、それ以外の表示をすることが間違いだとか言おうとしているわけでもありません。現実にはいろんな表示がされていますが、それらが間違いだということは全くありませんし、旧来的な表示が利便性を優先した表示に取って代わられることも「あり」だと思います。

ちなみに、市役所の所在地表示のもうひとつの疑問、「なぜ『河原町』ではなくて『寺町』なのか」についても、上記の推論が生かせるかもしれません。つまり、「上本能寺前町」は本来「寺町通り」に面したところを指す町名であるために、「河原町通り御池上る上本能寺前町」という表示はあり得なかったのだとも考えられますが、いかがでしょうか。


少し力みすぎて長くなってしまいました。与太話に最後までお付き合いいただいた方、ありがとうございました。


ここからはオマケです。
河原町御池交差点の角にあるほかの施設はどんな表示をしているのかを調べてみました。
【北西】
京都市役所
京都市中京区寺町通御池上る上本能寺前町488番地
さんざん既出の通りです。

【南西】
あおぞら銀行京都支店他
京都市中京区河原町通御池下る下丸屋町394
極めて普通の感覚だと思います。

【北東】
京都ホテルオークラ
京都市中京区河原町二条南入一之船入537-4
御池上るではなくて、二条から下りてくるというのは、やはり御池通りがなかったころの名残でしょうか。しかし、「南入」という表現が珍しいです。ちなみに、同じビル内のテナントは「京都府京都市中京区河原町通御池上る一之船入町537-4」という表示をしているものもあります。(参考

【南東】
京都信用金庫河原町支店他
京都市中京区河原町通二条下ル二丁目下丸屋町390番地の2
これも御池通りがなかったころの名残でしょうか。それにしても、ここまで「二条下ル」というのは、今の普通の感覚ではちょっと驚くと思います。


市役所も、東側一部がかかっている「一之船入町」で表示することにしていたとしたら、「河原町通御池上る(or河原町通二条下る)一之船入町○○番地」だったのでしょうか。


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