都道府県市区町村
落書き帳

「市」の起源



記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[51028]2006年4月27日
YSK
[51030]2006年4月28日
Issie
[51072]2006年4月30日
hmt
[51084]2006年5月1日
Issie

[51028] 2006年 4月 27日(木)21:50:45YSK さん
[51026]88さん
郡名も、千年の歴史を越えるものも多いですからねえ。
今では市部と郡部(町村)とアプリオリに理解していますが、近代の行政機構としての市町村が出来上がったときに市部を郡部から独立させるというルールはどうして決まったのでしょうか。積極的に明示しないけど市もどこかの郡に所属させるといった発想はでなかったのでしょうかね、ふと疑問に思ってしまいました。
[51030] 2006年 4月 28日(金)00:43:55【1】Issie さん
[51028] YSK さん
近代の行政機構としての市町村が出来上がったときに市部を郡部から独立させるというルールはどうして決まったのでしょうか。

「市」の前身は,1878年の郡区町村編制法における「区」ですが(ご案内の通り,「区」という行政区画単位呼称はこの前にも後にもそれぞれ違った意味で様々に使用されています),この布告で「区」について定めた 第4条 の条文

--------------------------------------------------------------------------
三府五港其他人口輻湊ノ地ハ別ニ一区トナシ其ノ広濶ナル者ハ区分シテ数区トナス
--------------------------------------------------------------------------

の「別ニ一区トナシ」が,「区」を「郡」から独立させることを規定した部分になりますね。
さらに,「郡」について定めた 第3条 と,「区」について定めた 第4条 とが並列に置かれ,それぞれの行政官として「郡長」と「区長」を置くことを並列で定めた 第5条 から,「郡」と「区」が並列の区画であることが導き出せそうです。

これに基づいて実際に「区」が編制されたのは

・3府: 東京(麹町区以下,全15区),京都(上京区・下京区),大阪(東区・西区・南区・北区)
・5港:横浜区,神戸区,長崎区,新潟区,函館区
・その他:堺区,名古屋区,仙台区,金沢区,岡山区,広島区,赤間関区,和歌山区,福岡区,熊本区,札幌区

の各都市(函館と札幌は1879年)で,つまるところ,いずれも当時としては他の都市とは別格の大都市であり,通常の区域とは別に取り立てて治めるべき区域と考えられていたのかもしれませんね。
これらの都市は,いずれも1888年公布の「市制」(明治21年法律第1号)に基づいて 内務省告示 の栄えある“第1号”(明治22年告示第1号;1889年2月2日)で指定された「最初の市」に含まれます。ただし,この告示の筆頭に当然ながら挙げられた 東京市 の発足がこの年の5月1日で,同じ告示で指定されて4月1日に発足した他の30市だけでなく,あとから追加された 佐賀市 にも抜かれて,発足順では32番目であることもご案内でしょう。

「郡」が実質的な行政区画であった古代の律令制の下では,「平安京」は地理的には 山城国 の 愛宕郡 と 葛野郡 の境界上に位置していたけれども,京内は両郡の郡司の管轄ではなく,「京職」の支配下に置かれました。
江戸時代の幕府や藩でも,主要都市と(広義の)農村部とで別系統の支配体制をとることが多かったようです。
明治新政府の発足から廃藩置県直後まで“府・県”と“国・郡”とはお互いに独立した別個の区画であったものが,その後の府県統合が 郡 を単位に進められた結果,府県が膨張して 郡 との包括関係が本来の「郡>県」と逆転してしまうわけですが,その“前廃藩置県期”,政府は当初たくさんあった「府」を 京都・東京・大阪(←この順序に注意!) に限定します。
「府」は特別の存在と考えられたのでしょう(繰り返しますが,この時期,府・県と国・郡は別個の存在です。地理的な包括関係はともかく,行政上の上下関係ないし包含関係はありません)。
で,時を越えて1878年,今や領域内に複数の 郡 を含むまでに成長した 府県 の下位の行政区画として 郡 を位置づける 郡区町村編制法 が定められたとき,3府に限定される前に 府 を称した都市も含めた「枢要な都市」については,通常の 郡>町村 というラインとは別に取り立てて「区」とし,それが「市」に引き継がれた

…なんて,考えてみているのだけど,どうでしょう。

※ところで,私の永らくの疑問なのですが,
なぜ,「市制」で従来の「区」を「市」と呼ぶことにしたのでしょう。
今では韓国・北朝鮮や中国でも都市的行政単位をごく当たり前に「市」と呼んでいますが,このような用法は実は日本の「市制」が最初であるように思います。
台湾では日本の植民地統治下で「市」が編成されましたが,朝鮮では1945年の敗戦まで植民地時代を通じて「市」という呼称は用いられず,朝鮮王朝(大韓帝国)以来の「府」がそのまま(少なくとも公式には)用いられていました。「京城府」が「ソウル市」になったのは戦後のことではないかと思います。
逆に言えば,日本でも1888年の「市制」までは,そのような「市」の用法はなかったわけです。
「江戸市中引き回し」などという表現が時代劇などに登場しますが,もちろん「江戸市」なるものがあったわけではありません。
この「市」の用法,出所はどこなんでしょう。
[51072] 2006年 4月 30日(日)14:15:41【1】hmt さん
「府」と「区」と「市」
[51030] Issie さん
※ところで,私の永らくの疑問なのですが,
なぜ,「市制」で従来の「区」を「市」と呼ぶことにしたのでしょう。
…「京城府」が「ソウル市」になったのは戦後のこと

市街地を「市」と呼ぶことは、交易・商業の場を表わす言葉として、ごく自然な用法と思われます。
一方、中国文化圏で用いられた「府」は、「役所」の意味を持つ言葉で、都市を為政者の立場からとらえた言葉として、これもそれなりに納得することができます。

慶応4年閏4月から5月にかけて京都府・大阪府・江戸府が設けられ、同年7月の“…自今江戸ヲ称シテ東京トセン”という 詔書 の翌月、
慶応四年戊辰秋八月十七日幸橋御門内元柳沢邸ヲ以テ東京府トス
とあります[49243]。これらの「府」は、まさに「役所」そのものです。

ところで、この「東京府」が、お隣の国の「京城府」と同じように、“東京の市街地”を意味する用語として使われた時代はあるのでしょうか?

明治初期の地図のタイトルを見ると、「東京大絵図」(江戸から改名直後の明治4年)、「東京区分絵図」(大区小区時代の明治8年)、「実測東京全図」(15区6郡になった明治11年)という具合で、都市の名前としては「東京」だけで、接尾語は用いられていないようです。

日本では、役所の名前だった「東京府」の「地名」への転化は、“東京の市街地”の意味ではなく、“東京府管下一円”を意味するようになったようです。
市街地が大陸式の城壁で囲まれた「都府」でなかったせいかもしれません。
“東京府管下一円”を意味するようになると、伊豆諸島・小笠原までを管轄する「東京府」は、「甲府」・「防府」・「太宰府」などとは異なる性格の言葉になりました。

「市(いち)」の立つ市街地を「市(し)」と呼ぶことは自然なことですが、明治11年の郡区町村編制法で、“人口輻湊”の市街地が「区」と名付けられたのは少し不思議です。
東京十五区や京都、大阪のような大きな市街地を区分する「区」が先行した結果、区分の必要がなかった(当時の)中都市も「区」にしたのではないでしょうか。あるいは、“別ニ一区トナシ”という表現のように、「経済特区」の意味合いがあったのかもしれません。

このように、「市」は文字通り“市街地”を意味する接尾語として生まれ、はじめのうちは“市域一円”の地名としても違和感なく使われていましたが、市域拡大の結果、「市(いち)」の立つ商業地と無縁の地域にまで拡大しました。

YSKさんの問題提起[51028]は、現在では市部と郡部を分けることに違和感があった結果と思います。
まことにもっともですが、明治21年から1世紀以上の時を経て、経済活動が様変わりした結果なのでしょうね。

住宅地が都心から離れ、「市」という名の由来になった商業活動も、広い駐車場を備えた郊外型ショッピングセンターへと移行している現在は、都市というものの輪郭がすっかりぼやけてきているように思われます。
[51084] 2006年 5月 1日(月)00:14:20【1】Issie さん
civitas
[51072] hmt さん
市街地を「市」と呼ぶことは、交易・商業の場を表わす言葉として、ごく自然な用法と思われます。

そうですね。
19世紀半ばから後半にかけて,日本や中国(清)が欧米列強と結んだ(結ばされた)条約に「開港・開市」という表現が出てきます。
この場合の「市」とは,漢字の意味の通り market という意味であり,それを含む市街地としての意味であろうと思います。
でも,それは現在の私たちが普通に「市」の英訳語と理解している city ,そしてその語源となったラテン語の civitas (キウィタス:“都市民としての性格・資格”とか“都市民共同体”ほどの意味)とは違うように思います。

西ヨーロッパとは全く違う文明・文化の上に発展してきた(少なくとも“欧米標準”の近代社会システムを受け入れるまでは)東アジアで city に完全に対応するものを見つけること自体が無理なのですが,「都市の行政機構」という意味で考えれば

中国文化圏で用いられた「府」は、「役所」の意味を持つ言葉で、都市を為政者の立場からとらえた言葉

の方が「行政機構」を指すものとしては,むしろ city に近いようにも思えます(ただし,ここには「都市民の自治」という city の最も重要な要素が抜け落ちています)。

京都・東京・大阪だけでなく,「詔書」で「県」に改称された神奈川その他も含めて,明治最初期に設置された「府」の直接の前身は,ほとんどが幕府の「奉行所」であり,つまりは“その都市の行政機構”であって,“市街地”を指すものではありません。それはたぶん,「京城府」…ではなく「漢城府」や清の「(盛京)奉天府」なども同じではないかと思います。
植民地時代の「京城府」は,すでに“内地”で「市制」が施行・定着した状況を踏まえた上で「市」に相当するものとして設置されたものですから,内地の「市」と同様に “自治体”ないしは“行政機構” という意味と “その行政の及ぶ区域” の2面性をもって理解されたものと思います。

つまり,私が不思議に思っているのは,「市」が market ではなく city とどのように結びついたか,というところにあるのです。
結果から言えば,1947年の「地方自治法」施行まで,あくまで“国の出先機関”を第一義とした「府県」よりも,1888年の「市制」から“市民の自治体”として設定された「市」の方が city に近いのはもちろんなのですが,
それは city の訳語が「市」である必然的条件ではないように思います。ほかの語,たとえば「区」でもよかった。
同じ漢字文化圏に属していたベトナムでは現在でも pho (フォー:府)が city にあたるようです。


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