都道府県市区町村
落書き帳

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[51090] 2006年 5月 1日(月)19:04:32【1】hmt さん
都市名を冠した町名
[51058] inakanomozart さん
『静岡県安倍郡静岡○○町○丁目○○番地』
この「安倍郡静岡」と言うのが「従来からの区域」ということになると思われますが、ただ単に、『静岡』というのは、今の感覚からするとちょっと違和感を感じたりします。

なるほど、明治22年の「市制」によって静岡市になった「従来からの区域」安倍郡と有渡郡とにまたがる124町(追手町、鷹匠町一丁目、…、安倍川町、白山町)は、従来から習慣的に「静岡」と呼ばれていた区域というだけでなく、戸籍簿にも「静岡○○町○丁目」というように「静岡」を冠した町名が記されていたのですか。

# “従来から”と言っても、駿河府中からの改称は明治2年のことでした。[12387]
静岡市の建てた由来記によると、賤機山(しずはたやま)の字を学者の向山黄村が「静岡」に変えたとのこと。

それはともかく、改めて 太田孝(編)「幕末以降市町村名変遷系統図総覧」を見た結果、明治22年中に市になったところでは、秋田、山形、米沢、水戸、富山、高岡、福井、甲府、岐阜、津、姫路、松江、岡山、徳島などの諸都市で、それぞれの都市名を冠した町名を確認することができました。
静岡の場合、戸籍簿からすると、正式には「静岡」を冠した町名だったように思われますが、この資料に収録された静岡124町名の頭には「静岡」が付いていませんでした。自明の場合は冠が省略されることが多かったのだろうと思われ、この資料では冠のない他の都市でも、正式には都市名を冠していた可能性があります。

面白いのは神戸市で、神戸海岸通一丁目以下「神戸」を冠する51町、兵庫多聞通一丁目以下「兵庫」を冠する79町、それに八部郡荒田村、菟原郡葺合村となっていました。前身として「神戸」と「兵庫」という2つの市街地が存在したことがはっきりと示されています。もちろん、この場合は「市制」よりも10年前に「神戸区」として一応は統合されていたわけですが。

神戸と兵庫との関係については、ニジェガロージェッツ さんが詳しく紹介されています[18378]
安政5年(1858)の日米修好通商条約で開港を約束した5港のひとつ「兵庫」ですが、警備上の理由から外人居留地のある開港場は少し離れた「神戸」にしたという「兵庫と神戸との関係」は、「神奈川と横浜との関係」[20917]と類似していますが、地理的には神奈川と横浜ほどには隔絶していなかったようです。

福岡市の場合も「福岡」と「博多」を冠した2つの市街地が町名から認められるのかと思ったのですが、前記資料ではほとんどの町名に冠は付いていませんでした。

東京市の町名にも冠によるグループが認められます。例えば東京市牛込区には、市ヶ谷田町一丁目以下「市ヶ谷」を冠する町名が29、牛込細工町以下「牛込」を冠する町名が46ありました。なお、江戸時代には御細工町・御納戸町[43929]、現在は細工町、納戸町[41218]で、「牛込」は区名だけでなく町名の冠称からも消えてしまいました。

タイトルの「都市名を冠した町名」からは外れますが、この資料「幕末以降市町村名称変遷系統図総覧」を見ると、各都市になった江戸時代からの町名の数には大きな相違のあることがわかります。

おそらく現在でも最大と思われる町名の宝庫・京都市は2区で2000町、東京市は15区で1400町、大阪市の4区520町よりも多いのが金沢市531町。御三家の城下町は和歌山400町、名古屋276町、水戸120町。
極端に少ないのが盛岡市で、市制施行前の区域にあった村は、南岩手郡仁王村、志家村と7村の一部という少数でした。
行政区画の名称や数はともかくとして、これも従来から「盛岡」と呼ばれる一つの市街地を形成していた区域なのでしょう。
[53841] 2006年 9月 6日(水)21:49:52【1】hmt さん
「勅令指定都市」から「六大都市」へ、そして「特別市」の指定は実現せずに「政令指定都市」へ
[53814] hmt
「六大都市」という名に法律的根拠があるか否かは知りません。

自分で調べてみました。
「六大都市行政監督ニ関スル法律」(大正11年3月22日法律第1号)によって、市が事務執行にあたって府県知事の許可等を要する場合であっても、六大都市(東京市・京都市・大阪市・横浜市・神戸市・名古屋市)については許可等を要しないことが規定されていました。

昭和18年(1943)、「東京都制」の施行に伴なって「五大都市行政監督ニ関スル法律」と名を変えますが、この特例は、昭和31年(1956)に政令指定都市制度が制定されるまで存続していました。

# 「七大都市」[53814]という名が使われた法律は存在しないようですが、「昭和13年文部省検定済・朝鮮総督府検定済」の地図帳に記載されているからには、ある程度は「公式に認知された名」なのであろうと推察します。

この間、昭和22年(1947)、地方自治法の施行に伴ない、その264条を根拠とする特別地方公共団体「特別市」の制度ができました。[369]Issieさん
これは、人口50 万以上の市で法律で指定するものを対象とし、都道府県の区域外として、都道府県と市に属する事務を処理するというものでした。
組織としては、法人格を有しない区を設置し、区長は公選、区に議会は置かないことなどが定められていました。

この特別市制度導入をめぐっては、大都市とそれを含む府県との対立が激しく、結局、「特別市」が指定されることのないまま、「妥協の産物」[370]の政令指定都市にすり替えられて、制度自体が廃止されました。その痕跡は、現在でも地方自治法第三編に「第一章 削除」という形で残っています。
# 制定当時の条文は、第27次地方制度調査会第15回専門小委員会資料3(pdf) のp.10で見ることができます。

この資料のp.1~9には、「大都市制度の沿革」が要領よくまとめられています。
これによると、1888年に制定された「東京市区改正条例」が、1918年に京都、大阪、神戸、名古屋、横浜の5市に準用されたのが、東京以下の「六大都市」という位置付けの実質的さきがけとなっているようです。

大正時代のこの制度から遡ること7年。明治末の1911年に全文改正された「市制」の第6条には“勅令ヲ以テ指定スル市”の特例制度が登場しており、これこそが「政令指定都市」の元祖かもしれません。なお、この時に勅令239号で指定された「勅令指定都市」は、東京市、大阪市、京都市でした。

国勢調査で使っている「○大都市」という呼び名(2005年の使用例)は、「六大都市」時代から引き続き使われてきたものでしょうが、○=15から16、そして18へと大増殖してゆくと、確かに[53489]のような違和感を覚えるようになってきます。

「政令市、中核市、特例市…」 については、既にアーカイブスがありますが、せっかくなので、大都市等に関する特例制度の簡単な年表を示しておきます。都道府県制度、市町村制度と対比させてあります。

年号西暦都道府県制度大都市に関する特例制度市町村制度
明治111878郡区町村編制法による区設置[7772][51030]
明治211888東京市区改正条例市制町村制(制定)[51056]
明治221889三市特例制度市制町村制施行 [34434]
明治231890府県制[228]東京都制案
明治311898三市特例制度廃止[33692]
明治321899府県制改正[53577]
明治441911勅令指定都市市制・町村制[51056]
大正71918市区改正条例を五市に準用
大正101921府県制改正市制・町村制改正
大正111922六大都市行政監督特例
昭和81933東京都制案
昭和181943東京都制[228]・五大都市行政監督特例
昭和211946道府県制[53601]東京都制改正市制・町村制改正
昭和221947地方自治法都区制度・特別市地方自治法
昭和311956政令指定都市[14482]
平成71995中核市[53824]
平成101998特別区が基礎的地方公共団体になる
平成122000特例市

# この表に記事番号を書き込むための検索をして、「郡区町村編制法」を「…編成法」と誤記していたことに気が付きました。
[53890] 2006年 9月 10日(日)17:21:16hmt さん
「六大都市制度」の生い立ち(1)六大都市前史
[53841]hmtの追加・補足です。

明治になって生まれた特別の都市群というと、先ず三府(東京、京都、大阪)と五港(横浜、 神戸、長崎、函館、新潟)ですが、この8都市のうち5つは、後の六大都市と重複しています。

「御一新」を果たした明治初期の政府は、中央集権体制を基本とする試行錯誤の中で、一度は江戸時代からの郡や町村を否定し、戸籍編成単位の「大区・小区制」なども採用してみましたが、結局、末端行政単位としては従来の郡や町村を復活・継承することになり、明治11年(1878)に「郡区町村編制法」 が布告されました。

しかし、この時に新しい都市制度も芽生えました。郡区町村編制法の第4条には、“三府五港其他人口輻湊ノ地ハ別ニ一区トナシ…”とあり、現在の「市」の前身とも言える「区」ができました。

[7772]Issie さんに示されているように、“其ノ広濶ナル者ハ区分シテ数区トナス”に該当する東京には15区、京都には2区、大阪には4区が設けられましたが、これらの独立した「区」を包括する広域都市団体は設けられていません。
なお、明治時代の京都は、事実上一つの都市だったと思いますが、「上京」「下京」は中世以来の地域区分で,応仁の乱以降,織田・豊臣政権下で都市整備が行われるまでの間は京都は「上京」「下京」の2つの都市に完全に分離していたとのことです[3520]Issie さん。

異なる制度下に置かれていた北海道の函館を除く五港にも、横浜区[10991]、神戸区、長崎区、新潟区が生まれました。
「其他人口輻湊ノ地」は、さすがに城下町(名古屋・金沢・仙台・岡山・広島・福岡・熊本)が目立つものの、堺区(当時は堺県に所在)や赤間関区(山口県)も含まれていました。
後に六大都市の一角を占める名古屋は、この段階では、まだ「其他…」扱いです。

さて、明治21年(1888)になると「市制町村制」がされ、翌年4月1日には大部分の府県で施行されて、横浜市や神戸市が生まれます。一部の県では施行が遅れた[7772]ために、名古屋市の誕生はは10月1日です。

しかし、「市制町村制」施行直前の明治22年3月23日に、いわゆる「三市特例法」(市制中東京市京都市大阪市ニ特例ヲ設クルノ件)が制定されます。これは、三市には市長を置かず、府知事が職務を行ない、事務も府庁の官吏が行なうというもので、事実上三市を骨抜きにするものでした。

このような措置に対しては三市から撤廃運動が起こり、明治24年の第1回帝国議会から毎回のように議員立法の特例廃止法案が提出されましたが、衆議院で可決・貴族院で否決又は審議未了を繰り返し、ようやく明治31年になって成立しました。
東京市・京都市・大阪市は、このような歴史を経て、ようやく事実上の誕生を迎えたわけです。
東京の「都民の日」10月1日は、この自治体としての「東京市」誕生の日に因んでいます。[33692]hmt

この「三市特例法廃止」によって、一応は一般の市と同じレベルの自治を獲得したようですが、この際に「市制」の第2条に「東京市、京都市、大阪市ニ於テハ従来ノ区ヲ存ス」云々という規定が追加され、3市の内部に特例として設けられていた区が存置されました。[10997] 三鈴 さん
郡区町村編制法時代と異なり、「区」を包括する広域都市団体の「市」ができたとは言え、元々独立した行政単位であった「区」と、事実上の市制が施行された「市」との間には、その権限をめぐって微妙な関係があった由です。[7772] Issie さん

「六大都市」への道は、まだ遠いようです。
[53893] 2006年 9月 10日(日)17:44:08【1】hmt さん
「六大都市制度」の生い立ち(2)「勅令指定都市」・「省令指定都市」・「法定六大都市」
郡区町村編制法による区の設置(1878)、市制町村制による横浜・神戸・名古屋3市の誕生(1889)、三市特例法によって骨抜きにされた時代を経て、ようやく自治体として誕生した東京・京都・大阪の3市(1898)。
後者には古い制度の名残の「区」がありますが、前者には「区」が存在せず、金沢・仙台・広島…と続く約40市の中で特に抜き出た存在には至っておりません。

明治21年の「市制町村制」という法律は、明治44年(1911)に全文改正されて、「市制」と「町村制」との別々の法律になりました。([51056]の末尾)
新しい「市制」の第6条では、
勅令ヲ以テ指定スル市ノ区ハ之ヲ法人トス其ノ財産及営造物ニ関スル事務…ヲ処理ス
と定められ、市との関係が問題になっていた([7772] Issieさん)区の権限が限定されました。
こうして、東京・京都・大阪という3つの「勅令指定都市」と、その内部の「区」との関係が確立し、現在の「政令指定都市」制度の起源となりました。[53841] hmt

同じ明治44年の「市制」では、
内務大臣ハ(中略)区長ヲ有給吏員ト為スヘキ市ヲ指定スル
ことも定められました。
この規定に基づいて同年の内務省令第14号の指定を受けた名古屋市には新たに行政区が設けられ、昭和2年(1927)指定の横浜市、昭和6年(1931)指定の神戸市と続き、「区」が設置されました。[10997] 三鈴 さん

このようにして、「区」を持つ六大都市が出揃ったわけですが、東京・京都・大阪は「勅令指定都市」、名古屋・横浜・神戸は「省令指定都市」という制度上の相違があったのですね。

根拠法令は異なっていても、六大都市の「区」は、ほぼ同じように機能していたように思われます。
それというのも、1931年に「区」が出揃う前から、これら6市は「大都市」の扱いを受けていたからです。

「区」の有無や「六大都市」という呼び名はともかくとして、これらの6市を「大都市」として扱った最初の事例は、大正7年(1918)であると思われます。

この年に、都市計画法の前身とも言える「東京市区改正条例」(それ自体は市制町村制と同じ明治21年に制定)が、京都・大阪・神戸・名古屋・横浜に準用されました。
翌大正8年(1919)に制定された「都市計画法」も、これら6市のみに適用されました。
同年制定の「道路法」でも、六大市の市長は府県知事に代り市内の国道の管理者になっています。

そして大正11年(1922)、「六大都市行政監督ニ関スル法律」[53841] hmtが制定されます。
市ノ公共事務及法律ノ定ムル所ニ依リ市又ハ市長ニ属スル国ノ事務ニ関シ府県知事ノ許可又ハ認可ヲ要スル事件ニ付テハ東京市、京都市、大阪市、横浜市、神戸市及名古屋市ニ限リ勅令ノ定ムル所ニ依リ其ノ許可又ハ認可ヲ受ケシメザルコトヲ得

この法律によって、「法定六大都市」が誕生して、昭和18年(1943)の「東京都制」まで続くことになります。

「東京都制」によって、法律の名は「五大都市行政監督ニ関スル法律」に変わりましたが、この頃に国民学校に通っていたhmtは、ずっと「六大都市」で学習していたような気がします。
昭和13年検定の中学校地図帳に使われていた「七大都市」[53814] という名も聞いた記憶はないし…
昭和25年文部省検定済「中学校社会科地図帳」[25914] も「六大都市」。

戦後の日本国憲法の下、1947(昭和22)年の地方自治法で、都道府県から独立した存在となる「特別市」([369] Issieさん)の制度ができました。
しかし、「特別市を指定する法律」制定のために、日本国憲法で保証された住民投票の範囲をめぐって5大市と府県とは対立し、結局は特別市の指定は困難な状況となった中、1956(昭和31)年に、妥協の産物([370] Issieさん)である「政令指定都市」制度に取って代わられることになりました。

制度が「政令指定都市」になっても、東京を含めた数が6のうちは、「六大都市」と呼んでいたと思いますが、1963年以降だんだん数が増えてくると、「○大都市」という呼び名([53489]hiroroじゃけぇ さん)は、次第にすたれてきたようです。
[55567] 2006年 12月 17日(日)11:15:42hmt さん
合併情報履歴(1)「区域」の変化と「主体」「名称」の変化
でるでる さん、88 さん 「市町村合併情報」の収録、ご苦労様です。

[53262]でるでるさん
「市町村合併情報」のコーナーは、合併情報や市制施行などの自治体変更についての情報をまとめることによって、この「落書き帳」での議論のネタや参考にしていただいたり、市区町村プロフィール、雑学、アーカイブズ、地名コレクション、十番勝負など「都道府県市区町村」HP内の他のコンテンツ作成・編集の際の一助として、少しでもお役に立てることが出来れば、まさにそれこそが最大の意義であると個人的に考えております。

このコンセプトをふまえ、特に「履歴」についての記事 を参照しながら私見を述べ、ご参考に供します。

先ず、変更情報をまとめる対象として使っている「自治体」という言葉について。
ご承知のように、1947年(日本国憲法第8章で地方自治を規定)から時代を遡ると、地方行政組織には、 自治体 としての性格だけでなく「お上」である 国家行政組織の末端機構 という性格が濃い場合がありました。
その程度には、時代的だけでなく、地域的な差異もあります。

例えば、東京市、京都市、大阪市は、1889年の市制施行時に、「三市特例法」[53890]によって骨抜きにされた形で発足させられ、「自治体」になったのは明治31年(1898年)10月1日でした[33692]

中央政府が特に支配力の維持を図った「三市」とは逆の立場ですが、郡部一般に比べて経済力の劣る離島は、「町村制を施行せざる島嶼」として1889年の町村制から外されました。このことは、北海道・沖縄についても同様でした。
1908年の勅令「沖縄県及島嶼町村制」(1920年「島嶼町村制」、1940年廃止)、1897年の勅令「北海道一級町村制」と「北海道二級町村制」(1927年全改、1943年廃止)による町村は、「本土」で施行された法律による町村に比べて、自治が制限された存在でした。

地方自治法施行後は原則として「自治体」で問題ないでしょうが、発足当時の小笠原村[53248]や大潟村[53892]のような特殊な事例もあります。
要するに、合併等の情報を記録している対象は、「自治体」というより「市区町村」ですね。

「市」は1889年、現在に連なる「区」は1878年までしか遡りませんが、「町村」となると江戸時代に遡ります。
88 さんは「藩政村」をも視野に入れているようですが、「関村」[52707]や「上福岡村」[39241]のような非公式くさい用例の「村」も存在します。数が極めて多いこと、資料が不備であることと共に、古い時代のデータ集めは容易なことではないでしょう。

それよりも、対象を「市区町村」に限らず、「都道府県」も加えたらいかがでしょうか。
と言っても、江戸時代の「津久井県」[41805]や廃藩置県後の僅かな期間しか存在しなかった「302県」は除外し、3府72県以後に限定。

「自治体」とは言い難い国の機関として発足した「北海道庁」も収録対象にしたいが、「北海道地方費」 は対象外でしょう。


「市町村合併情報」への収録対象は、これら「都道府県市区町村」(「地方行政組織」と言い換えてもよいかな?)の3要素、すなわち「区域」、「主体」、「名称」の変化に関するものを原則としたらいかがかと考えます。

3要素のうち、「地理的な立場から」第一に注目されるべきものは、「区域の変化」だと思います。
ところが、「区域の変化」をもたらすものは、「主体の変化」である法人格の異動を伴なう「廃置分合」の他に、主体はそのまま存続する「境界変更」があります。

「合併特例法」 では、「市町村合併」という言葉を “市町村の数の減少を伴うもの” に限定して定義しておりますが、このHPの「市町村合併情報」では、合併特例法の定義にとらわれず、新設、編入に加えて分割・分立を含めた 「廃置分合」 が すべて「合併情報」のリストに掲載されております[53999]
そして、主体の状態が変化を示す 市制・町制・村制、政令指定都市等への移行、 それに名称変更などが一括して「合併以外の自治体変更情報」として記録されています。

私見では、リストを2つに分けるとしたら、3要素のうち 「区域の変化」に関するもの を「市町村合併等」としてまとめ、廃置分合だけでなく、 新たな村の領域の設定 (例:明治末に藤田組の干拓[37037]により造成された藤田村)、 区の再編 (例:千代田区)に加えて、 「実質的に合併に関与する境界変更」 も含めたらよいように思います。

“合併以外”の方は、3要素のうち 「主体の変化」と「名称の変化」とに関するものということになります。

最後に、
「合併以外の自治体変更情報」を見ていたら、「市区町村」だけでなく、「郡」に関する変化(例:鳳珠郡)も、既に収録対象になっていることに気がつきました。これも「区域の変化」でしょう。
それにしても、郡役所のあった時代はともかく、現在の「郡」は単に区域を表わす「地理的名称」にすぎませんね。もちろん「自治体」ではないし、「地方行政組織」とも言い難いかな。

最後の方で触れた「実質的に合併に関与する境界変更」の説明と実例は、長くなるので稿を改めます。
[56824] 2007年 2月 12日(月)23:56:05hmt さん
指定都市
[56757] 桜トンネル さん 政令指定都市関係の話をひとつ
「中学生で、政令指定都市の意味をを言える人はどのくらいいるか?」

私が 併設中学校 で学んだ時代は、まだ「政令指定都市」はありませんでした。当時は、地方自治法264条(条文はpdf文書の10頁)に存在した「特別市」の制度によって、横浜市が神奈川県から独立することの可否について議論があったようですが、あまり覚えていません。

1956年に生まれた政令指定都市は、それが「妥協の産物」[370]であるにしても、大都市における効率的な行政を意図したものですから、行政権限の拡大が最大のポイントになります。
でも、[56758] みかちゅう さん の発言
政令都市になることで得られる権限などの細かい内容は知っている必要はないので
の通りであり、必要に応じて、法令や[11805] seahawk さんの表を参照すればよいでしょう。

総務省のサイト中には 中核市 があり、その中には特例市に関するページや政令指定都市との比較のページもあるのですが、“政令指定都市そのもの”に関してまとめたページは見当たりませんでした。
行政権限の拡大を裏付ける財政上の特例については pdf文書があります。

政令指定都市になったことにより、市民が利益を実感できるような行政的成果を挙げるのには時間がかかるでしょうが、行政区の設置により住所が「○○市△△区」と表示されることは、すぐに実感される変化です。

大都市のシンボルとも言える「区」は、明治11年(1878)の「郡区町村編制法」によって、“三府五港其他人口輻湊ノ地ハ別ニ一区トナシ…”として設けられましたが、この時の「区」は現在の「市」(および東京の特別区)の前身と考えた方がよさそうです。
明治22年(1889)施行の「市制」によって、大部分の「区」は「市」になって消滅し、残ったのは東京の15区、京都の2区、大阪の4区だけ。

東京、京都、大阪の3市は、いわゆる「三市特例法」によって市長を置かずに府知事がその職務を行ない、事務も府庁の吏員によるという、事実上の骨抜き状態であり、従来の「区」が三府の下に存続を続けたわけです。

明治31年(1898)になって、ようやく三市特例法が撤廃され、3市は「自治体」として発足しましたが、この時に「市制」の第2条に「東京市、京都市、大阪市ニ於テハ従来ノ区ヲ存ス」云々という規定が追加され、3市の内部に特例として設けられていた区が存置されました。
新たな広域自治体の「市」と、郡区町村編制法時代から独立した行政単位であった「区」との間には、その権限をめぐって微妙な関係があった由です。

ここらの関係を明確にしたのが、明治44年(1911)に全文改正された「市制」第6条
勅令ヲ以テ指定スル市ノ区ハ之ヲ法人トス其ノ財産及営造物ニ関スル事務…ヲ処理ス
であり、同年の勅令により東京市・京都市・大阪市が指定されて1911/10/1から施行されました。

「勅令指定都市」と題する最近の Issie さんの記事[56763]にもあるように、同じ日付で施行されたのが名古屋市の中に新設された「区」ですが、こちらは準拠法令が異なり、内務省令で指定されました。
横浜市(1927年)と神戸市(1931年)が「省令指定都市」の仲間入りをして「区」が設置されたのは、明治末の名古屋市からずっと遅れた昭和になってからでした。

このように、「区」の有無や法人格の有無という相違はありましたが、大正時代には、勅令指定の3市を含めた「六大都市」という認識が生まれてきました。
その最初と思われる事例は、「東京市区改正条例」が、大正7年(1918)に京都・大阪・神戸・名古屋・横浜に準用されたことです。翌1919年には六大市のみに適用される「都市計画法」になりました。同じ1919年制定の「道路法」でも、六大市の市長は府県知事に代り市内の国道の管理者になっています。

そして1922年には「六大都市行政監督ニ関スル法律」(大正11年3月22日法律第1号)[53841]が制定されています。
この時点では、横浜市と神戸市にはまだ「区」が設置されていません。
横浜市と神戸市は、住所が「○○市△△区」と表示される前から、「法定六大都市」の仲間入りをしていました。

その後、1943年の「東京都制」により六大都市は五大都市になり、1947年の地方自治法では最初にあげた「特別市」の制度ができましたが、府県側の反対により指定されることなく、1956年に特別市制度自体が廃止されて「政令指定都市」にすり替えられたわけです。

1956年に旧五大都市からスタートした政令指定都市は、1963年以降増殖して3倍の15になり、近々17になります。
「政令で指定」された都市にはいわゆる政令市の他に中核市や特例市もあり、時代を遡ると「勅令指定」の3都市、「省令指定」の3都市、「法定」された六大都市もありました。
そもそも「市制」を施行する都市も「内務省告示で指定」されたものでした。

大都市制度の歴史については、以前にも記したことがありますが、必ずしも年代を追ったものでなかったので、今回は年代順になるように配慮して再構成してみました。
過去記事 参照。


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