[51742] 打吹 さん
そういえば東京から乗り換え無しで行けない都道府県庁所在地ってどのぐらいあるんですかね(寝台列車可)?
[51743] EMM さん
##東京駅発着オンリー、とするとさらに札幌・青森・富山・金沢が×になりますね…と思ったら水戸と前橋も仲間入りするのでは?
[51752] BEAN さん
大昔なら、東京駅発に限定しても本州のほとんどの県都には行けたようです。
[51772] suikotei さん
かつては東京駅にも東北線・上越線・信越線・常磐線の列車が発着していました。
手許にある1972年3月の時刻表(復刻版)によりますと、…(中略)…少なくとも、青森・盛岡・仙台・秋田・山形・福島・水戸・宇都宮・前橋・新潟・長野には乗り換えなしで行けたことになります。
青函トンネルが1988年に開業し、上野駅や大阪駅からの寝台列車が運転されている現在でも、東京駅からとなると、直通の汽車で札幌駅に至ることは不可能です。
ところが、1948年から1954年までの間、東京駅から札幌駅まで直通した1等寝台車があったのです。
津軽海峡はどうしたのかって? 寝台車ごと、青函連絡船に積み込んで航送したのですね。
日本鉄道時代から計画された津軽海峡の鉄道連絡船は、国有化後の1908年から運行を開始し、1925年からは貨車の航送が行なわれていました。鉄道車両の航送は、それよりも前1911年から関門航路でも行なわれていましたが、日本では貨車だけで、客車の航送はありませんでした。
# ヨーロッパでは、伝統的にフェリーによる客車の航送が盛んなようで、比較的近年の1994年にも、タリン(エストニア)からストックホルムに向かうエストニア号が高波に襲われてバルト海に沈没し、852人が死亡した事故がありました(生存者137人)。船首ドア・ロックの欠陥のため、車両デッキに海水が流入したことが原因とされています。
それはさておき
日本最初の客車航送により札幌直通を実現させたのは、「進駐軍」の命令でした。
# 第2次大戦後に日本を占領した米軍を主とする「連合国軍Allied Powers」の呼び名です。講和条約発効後は、日米安全保障条約に基づく「駐留軍」になりましたが、講和前の時代は実質的には「占領軍」でした。
須田寛さん(JR東海初代社長)の
講演pdf では、米軍第8軍司令部のあった横浜から、北海道における進駐軍の要地・千歳を経て札幌までの列車を出せという命令により、画期的な横浜始発、客車航送、千歳線経由の運行を無理やりやらされたが、けがの功名で、勾配のない千歳線経由が北海道のメインルートになったことが語られています。
この講演にはありませんが、「Yankee Limited」という列車名が付いていたと思います。
手元の「時刻表昭和27年12月号」を見ると、東京発19:00(常磐線経由)10:20青森着、青森発11:15(連絡船)15:45函館着、函館発16:20(室蘭本線・千歳線経由)22:58札幌着という1.2.3等特殊列車1201列車(上りは1202列車)が載っており、1等寝台車の記号に東京-札幌間の注記があります。
この「特殊列車」とは、1952年(昭和27年)4月に、連合国軍用の専用列車が一部ながら日本人に開放されて誕生した1、2等主体の急行列車で、上記の札幌行の他に佐世保行、呉線経由佐世保行もありました。
この時刻表では既に「特殊列車」(東京-札幌間)ですが、その少し前の「Yankee Limited」(横浜-札幌間)時代には、日本人のために上野発急行「みちのく」の1等寝台車も航送がありました(1950)。
いずれにせよ、東京-札幌間を直行する1等寝台車の運行は独立後の1954年まで続けられましたが、この年の9月26日に「洞爺丸事故」が起こり、札幌行の寝台車航送は廃止されました。10月には、占領下の遺物の「特殊列車」制度も廃止され、1201、1202列車は急行「十和田」に生まれ変わりました。
おまけ:時刻表のこと
上記の「(日本国有鉄道監修)時刻表 昭和27年12月号」も
[51779] スナフキん さんの1972年11月号と同様に実物です。当時は現在の半分のB6判で、表紙の絵は、デッキ付きの電気機関車でした。昭和27年というと、半流線形車体になったEF58改良型が出始めた年ですが、まだ表紙に間に合っていません。「国鉄監修・交通公社の時刻表」は、創刊500号の1967年10月号から大型(B5判)になりました。表紙は寝台電車「月光」です。これも実物あり。
JTB時刻表の前身は1925年鉄道省編纂の 「汽車時間表」(復刻版あり)です。
残念ながら、「三本松の時刻表」
[23129]は持っていません。