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[53441] 2006年 8月 17日(木)05:29:41【2】faith さん
北海道庁と北海道地方費
現在の北海道は、戦前(正確には昭和21年まで)地方官庁としては「北海道庁」と呼ばれ、地方自治体としては「北海道地方費」と呼ばれたと言います。

現在の「道道」に対応するものは旧制度下では「北海道地方費道」と呼ばれていたような形跡があります。(誤りでしたらご教示下さい)
衆議院会議録情報 第006回国会 建設委員会 第6号に、
北海道地方費道札幌稚内線は、北海道の中央部より北海道の北に通ずる、すなわち道北に通ずる陸路唯一の交通路でありまして、その利用度は文化の交流発達に従い、逐次高率を示しておりまして、特に終戰後は進駐軍の視察、あるいは連絡上本路線を利用することが非常に多くなつて参りました。
とあります。

一方、よく知られているように、学校を初めとする、現在の「北海道立」の施設は、旧制度下では「北海道庁立」でした。
この使い分けはどうなっているのでしょうか。

また、旧制度下では、「北海道とは単なる島の名前に過ぎなかった」という記述を異なる箇所で何度か目にしたことがあります(出所は同じ可能性もあります)が、
高等学校令(大正7年勅令第389号) では、
第三条 高等学校ヲ設立スルコトヲ得ル公共団体ハ北海道及府県トス
と、「地方費」も「庁」も付かない「北海道」が「府県」と並んで出てきています。
中等学校令(昭和18年勅令第36号)に至っては、
第三条 北海道及府県ハ中学校、高等女学校及実業学校ヲ設置スベシ
2 文部大臣ハ北海道及府県ニ対シ中等学校ノ増設、拡張及整理ニ関シ必要ナル命令ヲ為スコトヲ得
3 前二項ノ中等学校ノ経費ハ北海道地方費又ハ府県ノ負担トス
と、同じ条文の中で、「地方費」が付いた「北海道」と何も付かない「北海道」が混在しています。(中野文庫の誤りかとも思いましたが、文部科学省の「学制百年史」の中等学校令(抄)を見ても同様です。)

これは、「北海道地方費」と「北海道庁」の使い分けが、勅令を起草するような者でも混乱するぐらい微妙なものだったのか、それとも混乱しているようで、実は厳密な使い分けが行われているのか、どちらでしょうか。

「北海道はなぜ「北海」と略さないの?-都道府県に違いはあるのか-」のようなアーカイブや、
都道府県の沿革
事典 昭和戦前期の日本―制度と実態
を当たっても、結局分かりませんでした。
お詳しい方、お教え頂ければ幸いです。

※リンクが正しく張られていないのを修正
※※第2センテンスの先頭の「ところが、」を削除。他の箇所に接続詞を補った。
[53577] 2006年 8月 23日(水)16:54:02hmt さん
日本のフロンティア・北海道 (1)「北海道地方費」
[53441] faith さん
現在の北海道は、戦前(正確には昭和21年まで)地方官庁としては「北海道庁」と呼ばれ、地方自治体としては「北海道地方費」と呼ばれたと言います。

「北海道庁」と呼ばれたことは聞いていましたが、「北海道地方費」という地方自治体があったとは初耳であり、かつ意外でした。
昔は「都道府県市区町村」は「都費府県市区町村」だったの? いや、1943年より前、「都」も「特別区」もなかった戦前だから「費府県市町村」?

でも、やっぱりおかしいな…というのが、率直な気持ちです。そんな動機からの「夏の自由研究」を少し記します。
実は、地方制度や北海道のことに詳しい方からのレスがあることを期待して待っていたのですが…

第1回は、「北海道地方費」という、地方自治体の名としては奇妙な呼び方について。
faith さんも引用している「都道府県の沿革」というpdf文書 の3頁に、「戦前の北海道の性格」として、次の注記がなされています。
北海道は、府県と同じように国の行政区画として北海道庁長官の管轄する区域であると同時に、地方自治団体の性格も有していたが(地方自治団体としての北海道は「北海道地方費」と呼ばれていた。)、その性格は府県とやや異なり、経費支弁団体としての性格が強かった。

なるほど、経費支弁団体だから、このような名前なのか。
参考までに、この文書は、第27次地方制度調査会 の第16回専門委員会(2003/2/14)で使われた資料のようです。

この注記にも示されているように、都道府県は、国の政策実行に関わる国の機関としての性格と、地方自治団体としての性格とを併せて有しています。
現行憲法の下の地方自治法では、後者の性格が強調されていますが、明治憲法制度下では、官選知事に代表される国の機関としての性格が現在よりも強く、2つの性格の比重も時代と共に変化してきた歴史を持っています。

北海道について言うと、その上に、日本のフロンティアという特殊性があり、国の占める比重が更に高まります。
地方自治法施行以後の民選知事時代になっても、1950年に北海道開発法に基づいて中央政府に北海道開発庁(現地には北海道開発局)が国の機関として設置されて、国の影響力を確保し、現在は2001年の中央省庁再編により国土交通省に統合されています。

その北海道開発局がまとめた北海道開発の沿革 を見るとわかるように、 開拓使時代(1869~1881)、成果の挙らなかった3県1局時代(1882~1885)を経て、1886年に「北海道庁」が設置され、20世紀になると北海道10年計画(1901~1909)、第1期拓殖計画(1910~1926)、第2期拓殖計画(1927~1946)が実行されます。

20世紀前半に実行された北海道拓殖を資金面で裏付けるものが、1900年に特殊銀行として設立された「北海道拓殖銀行」でした。
# 戦後、普通銀行として営業し、1997年に銀行破綻のさきがけとなった同名の銀行(愛称・たくぎん)は、一応は別の銀行です。

そして、国の機関である「北海道庁」が支払う費用が「北海道拓殖費」。
上記「北海道開発の沿革」の中に、その金額が示されています。

ここまで来れば、「北海道地方費」は、「北海道拓殖費」と対比されるべき言葉であることがわかります。
要するに、2面性を備えた組織「北海道庁」の中で、国の機関としてフロンティア開拓を進めるための費用が「北海道拓殖費」、そして、開拓をした結果として民政の段階に移り、本州以南の府県に準じた地方団体としての統治を行なうための費用が「北海道地方費」です。

この20世紀初頭、本州以南の府県については、1890年に制定された「府県制」が全部改正され(「新府県制」1899年)、府県には法人格が付与され、府県知事の権限規定の整備・強化されるなど「地方自治体」への道を少しずつ歩みつつあったわけですが、北海道には「新府県制」が適用されず、特別の「北海道会法」と「北海道地方費法」とが制定されました(1901年)。
地方制度調査会資料の「都道府県の沿革」には、
北海道が内地と法制を異にしてきたのは、その開発が日尚浅く、内地と同一の自治制を施行するのに適さないとされたことに基づく。
という理由が記されていました。

「北海道地方費」という「地方団体」名が使われていたとしても、それは、まだ「地方自治体」と呼べる存在ではなかったようですね。
[53601] 2006年 8月 24日(木)19:14:25【1】hmt さん
日本のフロンティア・北海道 (2)「北海道庁」・「北海道地方費」・「北海道」の使い分け
[53441] faith さん
現在の「道道」に対応するものは旧制度下では「北海道地方費道」と呼ばれていたような形跡があります。

[53577]に書いたように、2面性を持つ「北海道庁」のうち、本州以南の府県に準じた地方団体としての名前が「北海道地方費」であるならば、「北海道地方費道」という呼び名は順当と思われます。
それにしても、リンクしていただいた第6回国会は1949年ですから、既に明治憲法下の「北海道地方費」自体は消滅して、現在の地方自治体「北海道」になった後の発言ですね。
団体の名称が変わった時期と、それから派生した道路の名称に使われた時期との間には、ずれがあったということでしょうか。

一方、よく知られているように、学校を初めとする、現在の「北海道立」の施設は、旧制度下では「北海道庁立」でした。
この使い分けはどうなっているのでしょうか。

「北海道地方費」によって賄われる学校である以上、「北海道地方費立」と呼んでもよさそうなのですが…
「北海道地方費」よりも前から「北海道庁立○○学校」が存在し、1901年以降も使い続けられたのではないか?
というわけで、最も歴史の古そうな学校の六華同窓会 を調べてみました。

それによると、北海道庁告示で1895年に設置された時の校名は「札幌尋常中学校」。
その後1899年に「札幌中学」と改称。ここまでは設立主体の名が入っていません。
そして、1901年6月15日に北海道庁告示で「北海道庁立札幌中学校」と改称。

意外にも、「北海道庁立○○学校」の誕生は、「北海道地方費法」制定(1901年3月28日)直後のことでした。
この事実から、この時点では、地方団体の名称として「北海道地方費」を使うという習慣はまだ行なわれておらず、役所本来の名称である「北海道庁」が使われたものと思われます。
そして、後年、地方団体名「北海道地方費」が使われるようになっても、すべて「北海道庁立○○学校」のフォーマットを踏襲。

道路の方は、何時からかはわからないが、「北海道庁道」から「北海道地方費道」に変わり、1949年にもまだ使われていた。
こんな解釈でいかがでしょうか?

それにしても、「文部省立」という言い方はないのに、「北海道庁立」があったのですね。
戦前の「官立」学校は、戦後に「国立(こくりつ)」学校へと変わりましたが、この言葉が特定の学校名の中に現れたのは、1949年の横浜国立大学でしょうか。
# 「国立(くにたち)音楽学校」の校名は1947年。小学校などの「国立」は1951年の国立町発足よりも後でしょう。

1886年に生まれた「帝国大学」という名には、「立」の字を使っていません。
「立」の字を使わないと言えば、[22003]で書いた“東京市立愛日尋常小学校”。
これも「立」の字のない「東京市愛日尋常小学校」が正式だったようです。古い記事ですが訂正。

それはさておき、
「北海道庁」は、1886年(明治19年)に「北海道庁官制」という勅令で定められ、その後何回かの改正を経て1947年に地方自治法施行令で廃止されるまで続きました。

設置された当初はフロンティアゆえの特殊性が多かったとしても、時代と共に「北海道庁」も「府県」に近い存在になってゆき、その結果、「庁府県」という併称も生まれます。
実例:昭和17年8月21日閣議決定
朝鮮総督府,台湾総督府,関東局,樺太庁,南洋庁,枢密院,会計検査院,行政裁判所,貴族院事務局,衆議院事務局 及 庁府県関係 行政簡素化案大綱

# 上記タイトルに現れているように、朝鮮総督府,台湾総督府には「府」という語尾が、樺太庁,南洋庁には「庁」という語尾が付いていますが、内務省管轄の「庁府県」とは別の存在です。これら「外地」の行政機関は拓務省が監督していました。
関東局という名も出ていますが、これは遼東半島の先端部・関東州の行政庁で、[35703][38110]で書いたように、かつては関東庁など別の名前でした。

戦後の1946年9月の法改正で「府県制」は「道府県制」となり、ようやく北海道にも本州以南と同じ制度が適用されるようになりました。
「北海道地方費法」はこの時に廃止され、地方団体の名前も、晴れて「北海道」になりました。
# 自治体を「道」と呼ぶことにした改正は、上記改正法の附則に規定されているようですが、確認はしていません。
# ついでに、この時の改正(「東京都制」の改正を含む)によって、全国の知事が公選になりました。

「北海道庁立」の学校も、この時に「北海道立」になったのでしょう。

この明治憲法時代最後の改正で、地方公共団体の名が「北海道庁」でも「北海道地方費」でもない「北海道」になっていたので、翌年施行の地方自治法第3条により“従来の名称”を引き継いだ名が「北海道」として現在に至っているわけです。

このようにして地方公共団体「北海道」の名が決まった頃の用例として、昭和22年1月8日閣議決定 を示しておきます。
“公共団体たる北海道”、“北海道庁の機構を利用”、“北海道地方費の負担増加”というように、3つの言葉が登場し、それぞれの使い分けが良く理解できます。
# 勅令「北海道庁官制」自体は、この時点ではまだ生きています。

先に触れたように、時代が変われば言葉の使い方も変わるだけでなく、法令改正と現実に使われる言葉の変化も、その時期が一致しません。
地方公共団体「北海道」の名が正式に決まったのは上記のように1946年9月かもしれませんが、現実にはもっと早い時期から(庁も地方費も付かない)「北海道」が使われています。

例えば、昭和9年の勅令22号では「北海道地方費、府県、市町村等ノ吏員、委員及役員ノ懲戒免除ニ関スル件」という使い方だったものが、昭和13年の勅令79号では「北海道、府県、市町村等ノ吏員、委員及役員ノ懲戒免除ニ関スル件」になり、「北海道地方費」→「北海道」の変化を先取りしています。
faithさん提示の「高等学校令」は、更に古い大正7年に(「庁府県」でなく)“北海道及府県”と使っていました。

「北海道地方費」と「北海道庁」の使い分けが、勅令を起草するような者でも混乱するぐらい微妙なものだったのか、それとも混乱しているようで、実は厳密な使い分けが行われているのか

たとえ法令を起草する人が混乱しても、内閣法制局のチェックを入れて、最終的には統一性は取っている筈だと思うのですが、まちまちなように見えるのは何故でしょうね。
[53907] 2006年 9月 11日(月)02:15:33【5】faith さん
「北海道地方費」について
[53601][53577]hmtさん
「北海道庁」と呼ばれたことは聞いていましたが、「北海道地方費」という地方自治体があったとは初耳であり、かつ意外でした。
でも、やっぱりおかしいな…というのが、率直な気持ちです。
詳細なご解説をありがとうございました。
実は私も、「北海道地方費」が今の「北海道」と同じように使われていたとは思っていません。(もしそんな使われ方をしていたら、「北海道地方費」という用語自体、「東京府」と同じように今でももっと知られていて良いはずです。)
どちらかというと「意外でしょ?」という驚きを皆様と共有したかったというところもあります。

その性格は府県とやや異なり、経費支弁団体としての性格が強かった。
そのくだりは私も読んでいましたが、実はこの文章の意味が良く分からなかったのです。
職員などの実体を持たない、予算上の区分ということなのか?それとも経費支弁「団体」なのだから、やはり「団体」、すなわち、職員を持つような「組織」なのか?

要するに、2面性を備えた組織「北海道庁」の中で、国の機関としてフロンティア開拓を進めるための費用が「北海道拓殖費」、そして、開拓をした結果として民政の段階に移り、本州以南の府県に準じた地方団体としての統治を行なうための費用が「北海道地方費」です。
なるほど、そういう観点で
ご紹介頂いた
北海道拓殖費に関する昭和二十二年度予算編成上の措置
を読むと、「北海道地方費」は、予算上の区分のようにも、読めますね。

府県は明治の初期から存在するものであって、(hmtさんもご指摘の通り)地方三新法の制定後は、府県は中央政府に属する地方官庁でありながら、地方自治団体でもあるという二面性を次第に帯びるようになりました。このことには概念的困難はありません。一方、「三県を廃止して北海道庁を置く」という1886年(明治19年)1月26日の布告まで存在しなかった、地方官庁「北海道庁」はそのまま1946年まで存続し、一方地方自治団体(経費支弁団体)としては(「北海道地方費法」以降)「北海道地方費」と呼ばれたという構造が、hmtさんのご解説で少し背景はクリアにはなりつつも、どうもfaith にはつかめていないところがあります。

「立」の字を使わないと言えば
そういえば、公立学校の校名に「○○立」と付けるのはいつごろから広まったのでしょうか。
例えば明治初期に石川県が設立した高等教育機関は「石川県専門学校」「石川県医学校」と呼ばれていましたし、他の府県でも中学校や師範学校の校名には「立」が入らないなど、校名に「立」が入らない公立学校は中等教育あるいはそれ以降ではむしろ普通でした。設置が府県に義務づけられていたことが関係あるのでしょうか。
今でも宮城県立の高等学校の校名には「立」は入っていませんね。
簡単な観察では「市」が設立したものには、「立」が入っていたことが比較的多いように思われます。

戦後、普通銀行として営業し、1997年に銀行破綻のさきがけとなった同名の銀行(愛称・たくぎん)は、一応は別の銀行です。
言われていることを誤解しているかも知れませんが、「北海道拓殖銀行」という特殊銀行が戦後普通銀行に転換した、という意味で「同じ銀行」と言えるのではないかと思います。(日本勧業銀行や横浜正金銀行(東京銀行)のように)

※より文意が明確になるように「戦後まで」を「1946年まで」と訂正
※※公立学校の校名についての記述の表現を修正
※※※その他表現を修正
※※※※公立学校の校名についての記述の表現をより簡潔にした
※※※※※公立学校の校名についての記述にさらに手を入れた
[53912] 2006年 9月 11日(月)13:47:08【1】じゃごたろ さん
地方費道
こんにちはじゃごたろです。
ちょっとだけレス。


[53907] faith さん
[53601] hmt さん
[53577] hmt さん
[53441] faith さん

faith さん
現在の「道道」に対応するものは旧制度下では「北海道地方費道」と呼ばれていたような形跡があります。

たまたま見ていたら「地方費道」との記述のある法律がありました。昭和二十七年公布の『道路法施行法』の第二条です。以下引用。

第二條 道路法(昭和二十七年法律第百八十号。以下「新法」という。)施行の際、現に存する旧法の規定による国道で、新法施行の日までに新法第五條から第八條までの規定により一級国道、二級国道、都道府県道又は市町村道のいずれかの路線の指定又は認定されないものは、新法施行の日に道路の供用の廃止があつたものとみなし、新法第九十二條から第九十五條までの規定を適用する。但し、当該国道の路線が旧法の規定による府県道(北海道にあつては、地方費道又は準地方費道。以下同じ。)、市道又は町村道の路線と重複している場合で、当該府県道、市道又は町村道の路線について次條の規定の適用がある場合においては、この限りでない。

ここで後段に「北海道にあつては、地方費道又は準地方費道」という文言があります。これが新法下では『都道府県道』という表記があるため「道道」ということになります。現在の『道路法施行法』には、一級国道、二級国道が廃止されて、一般国道となった際に第五条のは大きく改訂されていますから、「地方費道」を確認することはできません。

hmt さん
道路の方は、何時からかはわからないが、「北海道庁道」から「北海道地方費道」に変わり、1949年にもまだ使われていた。

ということで、法律上は昭和二十七年(1952年)までは「地方費道」という言葉は生きていたことになりますね。

ただ、これのもととなるであろう『北海道地方費法』は、それに先だつこと六年の昭和二十一年に『府県制の一部を改正する法律』で廃止されています。この時に『府県制』は『道府県制』に改正させているので、それにあわせて「地方費道」も「道道」となってもよさそうなのですが、『道路法』の中では「地方費道」がそのまま生きていたのですね。

ただやはりいつから「地方費道」が使われていたかはよくわかりませんでした。


※ ところで、記事検索がやたらと遅くなった気がするのですが、サーバーを変更した影響???
[53939] 2006年 9月 12日(火)22:14:36hmt さん
「北海道地方費-道」ではなくて「北海道-地方費道」か?
[53601] hmt
道路の方は、何時からかはわからないが、「北海道庁道」から「北海道地方費道」に変わり、1949年にもまだ使われていた。
[53912] じゃごたろ さん
たまたま見ていたら「地方費道」との記述のある法律がありました。昭和二十七年公布の『道路法施行法』の第二条です。

大正8年(1919)というと「北海道地方費法」制定から18年も後のことですが、この年に制定された(旧)道路法(大正8年法律第58号)は、第60条により
本法中、府県、府県知事、府県庁又は府県道に関する規定は、北海道に付ては道、道庁長官、道庁又は地方費道に関し(中略)之を適用する。
とされいました。
ご指摘の通り、昭和27年12月5日施行の(現行)道路法では、第7条で「都道府県道」が規定され、旧法律は廃止されました。

従って、この規定が法律制定当初からのものだとすれば、1919~1952年に「地方費道」という言葉が使われたものと考えられます。
それよりも前に「北海道庁道」と呼ばれたのか否かは不明です。

# 上記の法律は、「府県」に対応する「道」に適用するとあります。やはり、大正時代から「北海道庁」でも「北海道地方費」でもない「北海道」という団体名が使われていたように思われます。
[53950] 2006年 9月 13日(水)19:04:03hmt さん
まだ北海道地方費
[53907] faith さん 「北海道地方費」について
職員などの実体を持たない、予算上の区分ということなのか?それとも経費支弁「団体」なのだから、やはり「団体」、すなわち、職員を持つような「組織」なのか?

先ず、「北海道地方費法」(明治34年法律第3号)を見ると、
第1条 北海道地方費は、北海道地方税その他地方費に属する収入を以ってこれを支弁す。
とあります。
この条文からは、「組織」というよりも「予算上の区分」のように思われます。

また、「北海道地方費令」(勅令第18号)では、次のように記されています。
第1条 北海道地方費に関する行政は、北海道庁長官これを担任す。
第2条 北海道庁長官は、北海道地方費の行政に関し、その職権に属する事務の一部を部下の官吏または区町村吏員に委任し、または区町村吏員をして補助執行せしむることを得。

第2条からは「北海道地方費」という「組織」があるようにも取れますが、事務を行なうのは「北海道庁」の官吏ですから、やはり「団体」とは言い難いように思われます。

第41回地方分権改革推進会議小委員会 における久保審議官の発言
北海道は府県ではなかったんですね、戦前は。(中略)国がかなり直轄している意識が相当あって、府県制ではなくて、北海道会法と北海道地方費法と、二つの法律の下での極めて不完全自治体。
のような有様でしたから、先に引用された「都道府県の沿革」というpdf文書 の3頁に記されていた
(地方自治団体としての北海道は「北海道地方費」と呼ばれていた。)
の部分には、いささか疑問を感じます。

[53577] hmt
ここまで来れば、「北海道地方費」は、「北海道拓殖費」と対比されるべき言葉であることがわかります。

ご指摘を受ける前に弁明しておくと、「地方費」と対比される言葉は、もちろん正確には「国費」です。
国費の中には、他の府県と同様な国の行政費も含まれますが、北海道に関しては、支出される国費の大きな割合が拓殖費であるために、「北海道地方費」と「北海道拓殖費」との対比ということで、あのように記しました。
参考までに、これらの用語の使用例 を示しておきます。
…(北海道農事試験場の)本・支場は何れも国費(拓殖費)が支弁されていました。一方,地方費支弁の農事試作場(後の分場)は…

ついでに、北海道拓殖銀行の件。

言われていることを誤解しているかも知れませんが

はい、誤解です(笑)。
“同名の銀行(愛称・たくぎん)は、一応は別の銀行です。”の「一応は」の部分にご注目ください。

「北海道拓殖銀行法」によって明治33年(1900)に設立された「北海道拓殖銀行」は、資本金300万円のうち100万円が政府出資で、債券発行の特権を与えられた反面、政府の監督を受ける特殊銀行で、その存立期間は50箇年とすると定められたいました。
たまたま戦後の体制変換期となった50年後の昭和25年に、日本勧業銀行などと共に準拠法が廃止され、「銀行法」による普通銀行に転換しました。
# 昔は、「拓銀」でなく「北拓」という略称が使われていたようです。
[53953] 2006年 9月 13日(水)22:25:06北の住人 さん
地方自治法以前の北海道
難しい話なので、近寄らない様にしていましたが、こんな感じではないでしょうか。
中央の官庁である「北海道庁」(地方自治団体ではなく、長は知事より権限の強い長官)が北海道の事務を行い、地方自治の仕組みとして「北海道会」という議会(府県会より権限が弱い)があった。また、「北海道地方費」は「府県費」と同じ性格である歳出入(地方税等地方の収入で賄う)を指しており、「北海道会」の議決事項であった。例えば、道路や高校を作る場合、「北海道会」の議決により決定し、「北海道庁」が「北海道地方費」から支出する、といった仕組みになっていたのではないかと考えられます。(hmtさんが詳しく書かれていますが、私はあまり調べていませんです。)

なお、例の素敵な道路のサイトによると、「地方費道」以前は「假定縣道」「縣道二假定ス」という表現が使われていたようです。
[53956] 2006年 9月 14日(木)00:18:48【5】faith さん
まだまだ北海道地方費(&たくぎん)
[53950] hmt さん
また、「北海道地方費令」(勅令第18号)では、次のように記されています。
第1条 北海道地方費に関する行政は、北海道庁長官これを担任す。
第2条 北海道庁長官は、北海道地方費の行政に関し、その職権に属する事務の一部を部下の官吏または区町村吏員に委任し、または区町村吏員をして補助執行せしむることを得。
これこそ私が求めていた説明ですね。ありがとうございます。

(地方自治団体としての北海道は「北海道地方費」と呼ばれていた。)
の部分には、いささか疑問を感じます。
というか、ここまでくると、これが「諸悪の根源」という感じさえします(笑)。
「北海道地方費」は、本来の意味は予算上の名目であるが、法令の条文では、「府県」のような「地方公共団体」としても解釈できるような文脈で使われることがあった用語、とぐらいに思っておいた方が良いような気さえします。
(地方自治団体としての北海道は「北海道地方費」と呼ばれていた。)
はむしろ、当時の法令の条文を今見ると、このようにも解釈しうる、ということであって、当時の人々の実感からはおそらくかけ離れているのではないかと想像します。

“同名の銀行(愛称・たくぎん)は、一応は別の銀行です。”の「一応は」の部分にご注目ください。
こんなことを書くと負け惜しみみたいですが(笑)、hmtさんはご存知で書いておられるのだとは思っていました。
ただ、[53577]のように書かれると、「1997年に破綻した北海道拓殖銀行は、戦前に存在した北海道拓殖銀行とは同名であるが無関係なのだな」と誤解する人もいるのでは?と思いました。
(ちょうど、北海道拓殖銀行に吸収された戦前の北海道銀行と、1951年に設立された北海道銀行のように)

たまたま戦後の体制変換期となった50年後の昭和25年に、日本勧業銀行などと共に準拠法が廃止され、「銀行法」による普通銀行に転換しました。
補足しますと、日本興業銀行のように、普通銀行ではない、債券発行銀行となる道もありましたが、すでに債券発行を中止しており、資金の大半を預金に仰いでいた拓銀は普通銀行に転換することを選択したとのことです。(参考文献 「日本地方金融史」日本経済新聞社)

[53953] 北の住人 さん
「地方費道」以前は「假定縣道」「縣道二假定ス」
これも不思議ですね。こういう表現しか取れない理由があったのでしょうか。当時の北海道を「縣」と表現するのは、政府にとっては、(府県なみの)自治権の要求を促進しかねない、避けたいことのように思えるのですが。

※北海道地方費について加筆
※※「假定縣道」などへの言及を追加
※※※参照発言番号が間違っていたので修正
※※※※拓銀関連の言及の真意について表現修正
※※※※※「北海道地方費」という用語についての解釈の表現を修正
[53968] 2006年 9月 14日(木)22:40:00北の住人 さん
北海道地方費
手元の本を読んで見たところ、北海道地方費の設定は、明治31年から39年まで北海道長官だった園田安賢が、明治34年の北海道10年計画の中で発案したようです。
開拓使以来国費のみで進めていた北海道開発を、国費と地方費に区分し、また、国費を行政費と拓殖費に分け、地方費については北海道会を設けて自治権を認めようという案です。それまでは全て国庫に入っていた税収の一部を、府県の地方費に相当するものとして分離させたわけです。
一見、自治を望む道民の期待にこたえたような感じですが、実は人口増に伴って増大していく地方費相当分を別に設ける事で、将来の国費の負担を浮かし、その分を拓殖費に充てようとする思惑もあったようです。道会の設立で自治を得た形になりましたが、議決事項は地方費の収支に関してのみで財産処分は行えず、実際の執行は北海道庁(国)が行っていたわけです。


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