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[53814] 2006年 9月 4日(月)23:51:20【1】hmt さん
政令指定都市・六大都市・七大都市
[53800] 紅葉橋律乃介 さん
[53807] むっくん さん
[53808] 音無鈴鹿 さん
[53809] じゃごたろ さん
いわゆる「政令指定都市」という呼び名に関する議論がなされていますが、“正式の名称”は昭和31年7月31日政令第254号に使われている
地方自治法第二百五十二条の十九第一項の指定都市
なのでしょうね。
でも、はこんな長たらしい名前は普段使いには不便。そこで1956年当時の「六大都市」から特別の存在である東京を除いた5つの市を指定した際に、「政令指定都市」という呼び名が作られたのだと思います。

ところが、この呼び名が40年近く使われた後の1995年に中核市の制度が、更に2000年に特例市の制度が生まれました。中核市も特例市も、それぞれが「○○の指定に関する政令」で指定されるようになったので、[53800]のような解釈の生まれる可能性が出てきたわけです。

大多数の人は、あまり気にせずに、使い慣れた「政令指定都市」と呼び続けているのでしょうが、長~い名前の由来である根拠条文を含む地方自治法第十二章第一節のタイトルは
大都市に関する特例
ですよね。
素直にこれに従えば、
「地方自治法第二百五十二条の十九第一項の指定都市」=「大都市」
と呼べば良いように思われるのですが、そうなると、“東京は「大都市」に非ず”という奇妙な結果になってしまいます。

このあたりが、1995年以降も「政令指定都市」という呼び名を使い続けなければならなかった所以なのでしょう。

「六大都市」という名に法律的根拠があるか否かは知りません。
たびたび引用する帝国書院の復刻版地図帳[25914]の図例(地図の記号)には、戦前(1934)・戦後(1950)共に「六大都市」というのがあります。
ところが、上記1934年版を大部分引き継いでいる 1938年検定の「改訂新選詳圖・帝国之部」(対馬上島・下島が逆転していた地図です[30154])の図例を見ると「七大都市」となっています。「京城」[46253]を含む「七大都市」の時代があったのですね。

# 中核市の件は[53824]に分割しました。
[53841] 2006年 9月 6日(水)21:49:52【1】hmt さん
「勅令指定都市」から「六大都市」へ、そして「特別市」の指定は実現せずに「政令指定都市」へ
[53814] hmt
「六大都市」という名に法律的根拠があるか否かは知りません。

自分で調べてみました。
「六大都市行政監督ニ関スル法律」(大正11年3月22日法律第1号)によって、市が事務執行にあたって府県知事の許可等を要する場合であっても、六大都市(東京市・京都市・大阪市・横浜市・神戸市・名古屋市)については許可等を要しないことが規定されていました。

昭和18年(1943)、「東京都制」の施行に伴なって「五大都市行政監督ニ関スル法律」と名を変えますが、この特例は、昭和31年(1956)に政令指定都市制度が制定されるまで存続していました。

# 「七大都市」[53814]という名が使われた法律は存在しないようですが、「昭和13年文部省検定済・朝鮮総督府検定済」の地図帳に記載されているからには、ある程度は「公式に認知された名」なのであろうと推察します。

この間、昭和22年(1947)、地方自治法の施行に伴ない、その264条を根拠とする特別地方公共団体「特別市」の制度ができました。[369]Issieさん
これは、人口50 万以上の市で法律で指定するものを対象とし、都道府県の区域外として、都道府県と市に属する事務を処理するというものでした。
組織としては、法人格を有しない区を設置し、区長は公選、区に議会は置かないことなどが定められていました。

この特別市制度導入をめぐっては、大都市とそれを含む府県との対立が激しく、結局、「特別市」が指定されることのないまま、「妥協の産物」[370]の政令指定都市にすり替えられて、制度自体が廃止されました。その痕跡は、現在でも地方自治法第三編に「第一章 削除」という形で残っています。
# 制定当時の条文は、第27次地方制度調査会第15回専門小委員会資料3(pdf) のp.10で見ることができます。

この資料のp.1~9には、「大都市制度の沿革」が要領よくまとめられています。
これによると、1888年に制定された「東京市区改正条例」が、1918年に京都、大阪、神戸、名古屋、横浜の5市に準用されたのが、東京以下の「六大都市」という位置付けの実質的さきがけとなっているようです。

大正時代のこの制度から遡ること7年。明治末の1911年に全文改正された「市制」の第6条には“勅令ヲ以テ指定スル市”の特例制度が登場しており、これこそが「政令指定都市」の元祖かもしれません。なお、この時に勅令239号で指定された「勅令指定都市」は、東京市、大阪市、京都市でした。

国勢調査で使っている「○大都市」という呼び名(2005年の使用例)は、「六大都市」時代から引き続き使われてきたものでしょうが、○=15から16、そして18へと大増殖してゆくと、確かに[53489]のような違和感を覚えるようになってきます。

「政令市、中核市、特例市…」 については、既にアーカイブスがありますが、せっかくなので、大都市等に関する特例制度の簡単な年表を示しておきます。都道府県制度、市町村制度と対比させてあります。

年号西暦都道府県制度大都市に関する特例制度市町村制度
明治111878郡区町村編制法による区設置[7772][51030]
明治211888東京市区改正条例市制町村制(制定)[51056]
明治221889三市特例制度市制町村制施行 [34434]
明治231890府県制[228]東京都制案
明治311898三市特例制度廃止[33692]
明治321899府県制改正[53577]
明治441911勅令指定都市市制・町村制[51056]
大正71918市区改正条例を五市に準用
大正101921府県制改正市制・町村制改正
大正111922六大都市行政監督特例
昭和81933東京都制案
昭和181943東京都制[228]・五大都市行政監督特例
昭和211946道府県制[53601]東京都制改正市制・町村制改正
昭和221947地方自治法都区制度・特別市地方自治法
昭和311956政令指定都市[14482]
平成71995中核市[53824]
平成101998特別区が基礎的地方公共団体になる
平成122000特例市

# この表に記事番号を書き込むための検索をして、「郡区町村編制法」を「…編成法」と誤記していたことに気が付きました。
[53890] 2006年 9月 10日(日)17:21:16hmt さん
「六大都市制度」の生い立ち(1)六大都市前史
[53841]hmtの追加・補足です。

明治になって生まれた特別の都市群というと、先ず三府(東京、京都、大阪)と五港(横浜、 神戸、長崎、函館、新潟)ですが、この8都市のうち5つは、後の六大都市と重複しています。

「御一新」を果たした明治初期の政府は、中央集権体制を基本とする試行錯誤の中で、一度は江戸時代からの郡や町村を否定し、戸籍編成単位の「大区・小区制」なども採用してみましたが、結局、末端行政単位としては従来の郡や町村を復活・継承することになり、明治11年(1878)に「郡区町村編制法」 が布告されました。

しかし、この時に新しい都市制度も芽生えました。郡区町村編制法の第4条には、“三府五港其他人口輻湊ノ地ハ別ニ一区トナシ…”とあり、現在の「市」の前身とも言える「区」ができました。

[7772]Issie さんに示されているように、“其ノ広濶ナル者ハ区分シテ数区トナス”に該当する東京には15区、京都には2区、大阪には4区が設けられましたが、これらの独立した「区」を包括する広域都市団体は設けられていません。
なお、明治時代の京都は、事実上一つの都市だったと思いますが、「上京」「下京」は中世以来の地域区分で,応仁の乱以降,織田・豊臣政権下で都市整備が行われるまでの間は京都は「上京」「下京」の2つの都市に完全に分離していたとのことです[3520]Issie さん。

異なる制度下に置かれていた北海道の函館を除く五港にも、横浜区[10991]、神戸区、長崎区、新潟区が生まれました。
「其他人口輻湊ノ地」は、さすがに城下町(名古屋・金沢・仙台・岡山・広島・福岡・熊本)が目立つものの、堺区(当時は堺県に所在)や赤間関区(山口県)も含まれていました。
後に六大都市の一角を占める名古屋は、この段階では、まだ「其他…」扱いです。

さて、明治21年(1888)になると「市制町村制」がされ、翌年4月1日には大部分の府県で施行されて、横浜市や神戸市が生まれます。一部の県では施行が遅れた[7772]ために、名古屋市の誕生はは10月1日です。

しかし、「市制町村制」施行直前の明治22年3月23日に、いわゆる「三市特例法」(市制中東京市京都市大阪市ニ特例ヲ設クルノ件)が制定されます。これは、三市には市長を置かず、府知事が職務を行ない、事務も府庁の官吏が行なうというもので、事実上三市を骨抜きにするものでした。

このような措置に対しては三市から撤廃運動が起こり、明治24年の第1回帝国議会から毎回のように議員立法の特例廃止法案が提出されましたが、衆議院で可決・貴族院で否決又は審議未了を繰り返し、ようやく明治31年になって成立しました。
東京市・京都市・大阪市は、このような歴史を経て、ようやく事実上の誕生を迎えたわけです。
東京の「都民の日」10月1日は、この自治体としての「東京市」誕生の日に因んでいます。[33692]hmt

この「三市特例法廃止」によって、一応は一般の市と同じレベルの自治を獲得したようですが、この際に「市制」の第2条に「東京市、京都市、大阪市ニ於テハ従来ノ区ヲ存ス」云々という規定が追加され、3市の内部に特例として設けられていた区が存置されました。[10997] 三鈴 さん
郡区町村編制法時代と異なり、「区」を包括する広域都市団体の「市」ができたとは言え、元々独立した行政単位であった「区」と、事実上の市制が施行された「市」との間には、その権限をめぐって微妙な関係があった由です。[7772] Issie さん

「六大都市」への道は、まだ遠いようです。
[53893] 2006年 9月 10日(日)17:44:08【1】hmt さん
「六大都市制度」の生い立ち(2)「勅令指定都市」・「省令指定都市」・「法定六大都市」
郡区町村編制法による区の設置(1878)、市制町村制による横浜・神戸・名古屋3市の誕生(1889)、三市特例法によって骨抜きにされた時代を経て、ようやく自治体として誕生した東京・京都・大阪の3市(1898)。
後者には古い制度の名残の「区」がありますが、前者には「区」が存在せず、金沢・仙台・広島…と続く約40市の中で特に抜き出た存在には至っておりません。

明治21年の「市制町村制」という法律は、明治44年(1911)に全文改正されて、「市制」と「町村制」との別々の法律になりました。([51056]の末尾)
新しい「市制」の第6条では、
勅令ヲ以テ指定スル市ノ区ハ之ヲ法人トス其ノ財産及営造物ニ関スル事務…ヲ処理ス
と定められ、市との関係が問題になっていた([7772] Issieさん)区の権限が限定されました。
こうして、東京・京都・大阪という3つの「勅令指定都市」と、その内部の「区」との関係が確立し、現在の「政令指定都市」制度の起源となりました。[53841] hmt

同じ明治44年の「市制」では、
内務大臣ハ(中略)区長ヲ有給吏員ト為スヘキ市ヲ指定スル
ことも定められました。
この規定に基づいて同年の内務省令第14号の指定を受けた名古屋市には新たに行政区が設けられ、昭和2年(1927)指定の横浜市、昭和6年(1931)指定の神戸市と続き、「区」が設置されました。[10997] 三鈴 さん

このようにして、「区」を持つ六大都市が出揃ったわけですが、東京・京都・大阪は「勅令指定都市」、名古屋・横浜・神戸は「省令指定都市」という制度上の相違があったのですね。

根拠法令は異なっていても、六大都市の「区」は、ほぼ同じように機能していたように思われます。
それというのも、1931年に「区」が出揃う前から、これら6市は「大都市」の扱いを受けていたからです。

「区」の有無や「六大都市」という呼び名はともかくとして、これらの6市を「大都市」として扱った最初の事例は、大正7年(1918)であると思われます。

この年に、都市計画法の前身とも言える「東京市区改正条例」(それ自体は市制町村制と同じ明治21年に制定)が、京都・大阪・神戸・名古屋・横浜に準用されました。
翌大正8年(1919)に制定された「都市計画法」も、これら6市のみに適用されました。
同年制定の「道路法」でも、六大市の市長は府県知事に代り市内の国道の管理者になっています。

そして大正11年(1922)、「六大都市行政監督ニ関スル法律」[53841] hmtが制定されます。
市ノ公共事務及法律ノ定ムル所ニ依リ市又ハ市長ニ属スル国ノ事務ニ関シ府県知事ノ許可又ハ認可ヲ要スル事件ニ付テハ東京市、京都市、大阪市、横浜市、神戸市及名古屋市ニ限リ勅令ノ定ムル所ニ依リ其ノ許可又ハ認可ヲ受ケシメザルコトヲ得

この法律によって、「法定六大都市」が誕生して、昭和18年(1943)の「東京都制」まで続くことになります。

「東京都制」によって、法律の名は「五大都市行政監督ニ関スル法律」に変わりましたが、この頃に国民学校に通っていたhmtは、ずっと「六大都市」で学習していたような気がします。
昭和13年検定の中学校地図帳に使われていた「七大都市」[53814] という名も聞いた記憶はないし…
昭和25年文部省検定済「中学校社会科地図帳」[25914] も「六大都市」。

戦後の日本国憲法の下、1947(昭和22)年の地方自治法で、都道府県から独立した存在となる「特別市」([369] Issieさん)の制度ができました。
しかし、「特別市を指定する法律」制定のために、日本国憲法で保証された住民投票の範囲をめぐって5大市と府県とは対立し、結局は特別市の指定は困難な状況となった中、1956(昭和31)年に、妥協の産物([370] Issieさん)である「政令指定都市」制度に取って代わられることになりました。

制度が「政令指定都市」になっても、東京を含めた数が6のうちは、「六大都市」と呼んでいたと思いますが、1963年以降だんだん数が増えてくると、「○大都市」という呼び名([53489]hiroroじゃけぇ さん)は、次第にすたれてきたようです。


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