[59236] オーナー グリグリ様
金沢のレンコンというと八田みみずの八田辺りが産地だと思っていたのですが、調べてみると、旧小坂村が産地だったんですね。それとも小坂村周辺として八田も産地に含まれているのでしょうか。
加賀れんこんの概要については金沢市農産物ブランド協会と言う団体が作っている
いいね金沢 加賀野菜と言うHP中の
れんこんの説明ページが分かりやすいです。
栽培が始められた江戸時代は大樋町付近での栽培だったので「大樋れんこん」、明治に入り小坂村内で広く栽培されるようになり「小坂れんこん」、後に県外出荷される分は「加賀れんこん」とも呼ばれるようになっています。
小坂村内でも元々は小坂・三池・神宮寺・大衆免(現・元町付近)・浅野と言ったあたりが主な栽培地だったのですが、金沢の市街地が拡大するにつれて浅野川に近い方はレンコン田が無くなっていき、その代わりに小坂村でも北の方…現在の千坂小学校校下の方に広がっていったようです。
それでも長らく小坂町・三池町が栽培の中心だったのですが、小坂町はここ20年ほど、三池町にしてもここ10年ほどの間にレンコン田が激減してしまい(かろうじて0ではない)、旧小坂村域での現在の栽培の中心は横枕町・金市町・千木町付近…
丁度金沢東インターの周辺…となっています。
現在は旧小坂村以外の地域…薬師谷とか、才田とか、津幡町とか…にも広まっていますし、小坂地区の農家が
河北潟に出耕作もしていたりもするので、「小坂れんこん」という名称はあまり使われなくなり、出荷箱は全て「加賀れんこん」となっています。
八田町は…産地としては挙げられてませんね。でもレンコン田が1~2枚ぐらい有るのは見た記憶があります。多分作られ始めてからそんなに経ってないんじゃないかと。
私の子供時代には金沢近郊で蓮根栽培が盛んだったことから、煮〆(煮しめ)として普通に蓮根が食卓に上りました。シャリっとした歯応えと糸を引く様が面白く大好きな食材の一つでした。故郷を離れてからはなかなか美味しいレンコンに出逢えていません。
現在こちらで作られている品種は‘支那白花’と言う品種で、歯ごたえよく、デンプン質が多くて粘りが強く、味は天下一品…と言われています。
(他の品種と食べ比べたことがないのでどの程度なのか分かりませんが)
この品種は昭和40年代に‘支那蓮種’と言う品種から選抜育成されたと言うことで、グリグリさんの子供時代だとギリギリ品種の切り替わりの境目頃かもしれません。
そう言えば手持ちの資料に千葉県でもこの品種でレンコンを作って居るところがあるようなことを書いてあったのですが、原稿がちょっと前のものなので今でも作っているかどうかは分かりません。
その後、結婚したあとのおせち料理に「酢ばす」が出てきてハス(蓮)を食品名に使う例を知りましたが、これ以外には思い当たりません。「ハスの天ぷら」ではなく「レンコンの天ぷら」がフィットしますね、私は。
石川だと酢れんこんですね。
他の料理でも「れんこんのみそ汁」とか「蓮根羹」とかとにかく「れんこん」なのですが、唯一「はす」が使われる料理がありました。
それは「
はす蒸し。
なぜこれだけが「はす」なのかは謎。他から入ってきた料理法なのかも???
#余談ですが、グリグリさんの文中にチラッと出てくる「八田みみず」。
何者かをご存じの方はほとんどいらっしゃらないと思いますが、このハッタミミズというのは体長60cm~1mも有る長~いミミズで、日本では金沢市八田町付近の水田にしか生息していません。
同種のミミズはフィリピンやインドネシアなど東南アジアに生息しているそうで、江戸時代の加賀の豪商・銭屋五兵衛が東南アジアと密貿易を行う中で持ち込んでこの地に定着したのでは?と言う説もありますが、具体的なところは不明です。(
参考ページ)
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[59238] オーナー グリグリ様
とくに石川県の場合、地元の会話においても加賀、能登は頻繁に使われます。出身地や居住地などを特定する場合に、石川県よりも加賀や能登の方が頻度高く使われる、もしくは意識して使うような気がします。
加賀と能登を比較した場合も、加賀よりも能登の方がこの傾向が強いでしょう。加賀は加賀市を特定する場合にはまず使いません。加賀市を特定する場合は加賀市ですが、日常的にはあまり使わないと思います(大聖寺、動橋など主要地域名を使う)。能登は半島名からの特定のように思われるかもしれませんが、地元の感覚では旧国名ですね。
今でもそんな感じです。特に能登の人、中でも奥能登方面の人と接していると感じますね。
加賀方面は「加賀と金沢で更に分けられる場合がある」「加賀市という名称もある程度定着してきてして、加賀…で加賀市を指すような会話も時になされる(とは言ってもやはり大聖寺、山代、山中、橋立、塩屋、…と言った旧町村名を使う方が多いような。動橋は使われる頻度が低くなってるかも…)
そりゃ性格的には「石川県の下位区分の地域割り」的な使われ方になってますし、その境目は旧国境と違ってかほく市と羽咋郡の間になっちゃってますし、どうにかすると衆議院選挙の選挙区の関係で河北郡・かほく市が「中間地域」的な扱われ方することもありますが、それでもなお石川県における「加賀」「能登」は旧国を引きずったものである、と捉えて良いと思います。
この場合の「能登」が「能登国」か「能登半島」か、と言うのも問われるだろうと思いますが、地形的に能登半島に入る氷見市はあくまで「越中」で、「能登」ではない…と言うのが石川の人間の感覚ですので、やはり「能登」は「能登国」由来の地域区分なんですね。
でもこれ以上のことは…上手く言葉で説明できないんですが、とにかく石川県における「加賀」「能登」という地域区分は「県>旧国」でもあり「県<旧国」でもあるとしか言いようが無いです。
この辺の感覚は、何というか、石川の人間、特に能登の人と直に接してもらって感じてもらうしかない…と言ったところでしょうか。
#でも旧国が隣県と跨る形にならなかったからこそ今でも旧国を引きずっている、と言うことなんでしょうね、多分。
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おまけ。
[59252] ぺとぺとさん
この重複、EMMさんに[59207]でやんわりと指摘されるまで全く気付いていませんでした。せっかく、関連記事をまとめていただいたのに恐縮至極です。。。
白状しますと、
[59161]は中身を見落としてました。
[59205]を見ていろいろと調べているうちに、「そう言えば軽井沢だかどっかあっちの方の物件の投稿記事を見て回りを見渡していたら何か見つけたのを書いてなかったぞ」というのを思い出して
[59207]の後半を書き足したのでありました(汗)。