武蔵野の湧き水を水源とした神田上水、11里上流の羽村から水を引いた玉川上水を淵源とする東京の水道は、20世紀にはポンプで加圧された配水管で給水されるようになり
[58728]、山梨県にまたがる多摩川水源林に守られた貴重な水をいくつかの貯水池を使いながら運用してきました
[58729]。
さて、
[58729]で昭和30年代のことを“多摩川だけに頼っていた時代”と書きましたが、「だけ」は不適切だったので削除します。
大正15年(1926)から金町浄水場から江戸川の水が東京の東側の区域に供給されていました。現在の能力は全体の2割余です。
江戸川沿岸の都市化につれて、金町浄水場で取水する原水の水質は悪化しました。かつては金町系統の水は品質の悪いことで定評がありました。
しかし、1992年に開始したオゾンと生物活性炭による高度浄水処理によって金町の水は品質が向上しました(現在約分の1)。高度処理水はペットボトルに詰められ、
「東京水」 というブランドで宣伝・販売されています。なお、朝霞浄水場など別の採水地の東京水もあります。
それはさておき、
昭和30年代に多摩川に巨大貯水池を完成させた頃には、既に次なる水源を求める努力が始められていました。それは北関東の深い山を流域に持つ利根川と、その手前にある荒川です。
もちろん、これらの川は別の県にあり、東京都独力で遂行できる事業ではありません。
根幹は昭和36年(1961)に制定された「水資源開発促進法」により、国が策定した「利根川水系及び荒川水系における水資源開発基本計画」に基づいて建設省→国土交通省や水資源開発公団→独立行政法人水資源機構によって開発が進められる事業として行なわれます。
この水系開発の概要は
現況図に示されていますが、東京の水源の中心になるものは、利根川上流に造られた「矢木沢ダム」と、利根川から荒川を経由して東京に原水を導く水路です。
矢木沢ダム(群馬県みなかみ町)→利根川→
利根大堰→武蔵水路→荒川→秋ヶ瀬取水堰(志木市)→朝霞水路→朝霞浄水場→東村山浄水場
ルート後半部の荒川から取水する系統は1965年、荒川に利根川の水を導く利根大堰・武蔵水路は1968年に完成しました。
矢木沢ダム計画は、古くは「東京市上水道計画」でも構想され、また奥利根電源開発計画では、尾瀬原ダムとの間の揚水発電案もありました。
治水の面では、戦後のカスリーン台風(1947)による被害をふまえた洪水対策としてクローズアップされました。
そして建設省によるダム計画が進行中に、前記のように法制度が整備され、水資源開発公団がこの多目的ダム(洪水調節・灌漑・水道・発電)建設の主体になり、1967年に完成しました。最初の計画では総貯水容量1億トン規模でしたが、事業拡大で倍増しています。
このようにして、利根川上流部からの水がもたらされた結果、現在東京都が保有する水源量は日量623万m3となっています。
その内訳は78%が利根川・荒川水系、19%が多摩川水系です。
東京の水道水源と浄水場別給水区域図 をリンクします。
通常は、利根川・荒川水系を主体に需要をまかなって、多摩川水系の小河内貯水池などは備蓄に努め、イザという時に備える運用を取っているようです。このような両水系の
原水相互融通 は、利根川・荒川水系の朝霞浄水場と、多摩川水系の東村山浄水場とを結ぶ延長17kmの「原水連絡管」によって可能になります。
通常の夏場になると、利根川水系でメインの矢木沢ダムの貯水状況が報道されていますが、小河内貯水池の貯水減少が報道されるようになったらピンチということなのでしょう。