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落書き帳

水道

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[58728] 2007年 5月 29日(火)23:36:25【1】hmt さん
水道の蛇口の向こう側(1)江戸の水道から近代水道へ
香川用水の第一次取水制限[58648]から始まり、水資源に関係した話題が出ています。
世界的には降水量の多い日本ですが、人口密度も大きく、急流が多いせいで、せっかく降った雨水が陸上に留まってくれる時間が短いという不利もあります。
雨水の無駄な流出を防いで陸水として保留してくれるのは、地表の河川、湖水、雪山、地下の帯水層、それに森林などです。

その中でも、琵琶湖は最も恵まれた天然の貯留施設であると思っていたのですが、
[58725] むっくん さん
近畿の水がめである琵琶湖の水位の低下で琵琶湖のある滋賀県ですら15%の給水制限
と、現実は厳しく、徹底した節水を含む自助努力が必要なことは、お説の通りと思います。

香川県は、降水量が少ないだけでなく、水を蓄える山地の少なさが、特に厳しい状況の背景にあるものと思われます。
香川用水 は、水道用が約半分で、あとは農業用、そして工業用も少々。

以下、首都圏の都市水道、特に江戸・東京の水道事情から、水の安定供給を求めた人々の努力の歴史を概観します。

瀬戸内海沿岸ほどではありませんが、関東地方も、降水量が日本全国平均を下回っています。人口の集中した都市圏に供給する水道施設は、徳川家康の江戸入府(1590)以来、現在まで続く課題です。

溜池や千鳥ヶ渕の利用から始まった江戸の水源は、神田上水までは武蔵野台地の湧き水に頼っていました。
杉並区善福寺の地下水 は、現在でも東京の水道に使われています。但し、供給量は、全体の僅か0.2%です。

大都市江戸が次に求めた水源は、関東山地に源を発する多摩川でした。多摩川は江戸の3~4里ほど南で海に入りますが、多摩川下流から江戸へは流れてくれません。
町人の庄右衛門・清右衛門兄弟の案は、10里以上も上流で取水し、巧みに武蔵野台地の稜線に導き、尾根筋の水路により江戸へ導くものでした。

この計画が幕府に採用され、承応2年(1653)僅か8か月で、羽村取水堰から四谷大木戸までの「玉川上水」が造られ、標高差約90mを平均 0.2% の緩勾配で見事に流れ下りました。翌年には虎ノ門までの地下配水管も完成、江戸城や麹町・京橋などの市中に給水しました。

しかし、川の水をそのまま使い、配水路での汚染も起き易い江戸以来の水道は、明治に入ると管理不良も相俟って水質悪化が目立ちました。明治10年前後には改良設計案も出ましたが実現しないうちに、明治19年(1986)コレラが流行して1万人近い死者を出し、近代水道への脱皮が切実になります。

浄水場で濾過等の処理を行ない、使い勝手が良いだけでなく、配水管路での汚染を防ぐ「常時加圧給水」の施設を備えた近代水道は、明治20年(1887)に神奈川県の手による横浜水道で始まり、1890年水道条例制定に伴い横浜市に移管されました[34770]。横浜水道の目的も、やはり伝染病感染防止でした [43001]

東京でのコレラ流行は、当時神奈川県だった北多摩郡・西多摩郡を、上水汚濁取締強化のために東京府に移管する契機となりました。水道改良工事は、(水源地域でない南多摩を含めた)三多摩が東京府に移管された[33700][54421]明治26年に着工。明治32年(1899)に淀橋浄水場 [36207]を含む改良水道工事が完成しました。東京市が、「自治体」として発足した[33692] 翌年のことです。
[58729] 2007年 5月 29日(火)23:48:58【1】hmt さん
水道の蛇口の向こう側(2)水源林の涵養と貯水施設
20世紀と共近代水道の時代に入った東京市は、1902年から水源林の管理も始めます。尾崎行雄市長の時代に申請した御料林の払い下げも実現し、民有林買収も含めて、現在の水源林面積は、23区面積の35%に相当する21,628haです。
地図(水源林のひろがり) ではまだ「塩山市」と記されていますが、甲州市の柳沢峠(青梅街道、左の赤丸印)から丹波山村を経て東京都奥多摩町の小河内ダムの北方まで、大菩薩峠東斜面の小菅村を含む4市町村に及びます。

丹波山村HP によると、村の面積の70% 近くが東京都の水源林とのことで、道志村の36%を占めるという横浜市水源林(2873 ha)[34770]を大幅に上回っています。山村にもかかわらず下水道普及率100%([3710] TN さん)は、水源地ならではの施策でしょう。

[23596] 稲生 さん
同じ山梨県の丹波山村・小菅村も東京都奥多摩町への合併を少なからず希望しております。

道志村と横浜市のような飛び地合併でもなく、ごく当然の願いのように思われるのですが、丹波山村の提案は奥多摩町に拒否され、甲州市と合併の方向に動いているようですね 合併情報 。やはり都県境の壁は厚い。
それにしても、なぜ甲武国境が富士川水系と多摩川水系の分水界でなく、現在の県境の位置になったのでしょうか?

安定供給のためには、水源林涵養と共に、貯水施設の整備も欠かすことができません。
戦前には、多摩川が削り残した狭山丘陵の谷間を利用して土手(アースダム)を築き、村山貯水池(上池1923、下池1926)と山口貯水池(1933)が造られました。
羽村から貯水池への導水路は、現在は横田基地の地下を横断(幻の滑走路[22492])していますが、当初は 昔の絵葉書 のような開渠だったのでしょう。

この頃から、都会のサラリーマン階級がレジャーを楽しむようになり、貯水池付近は格好の行楽地になりました。現在は西武鉄道に統合されていますが、3社が競い合って支線を造り、人々を呼び寄せた様子が、[20513] Issie さんの記事にあります。

村山・山口よりも更に大容量の貯水池たるべく1936年に建設が開始された「小河内」(オゴウチ)ダムは、戦争による中断期間を経て戦後の1957年(昭和32年)に完成して、その効果が大いに期待されたのですが、水源が相変わらず多摩川に頼っていた時代には、水の絶対量の不足は解消されず、「ショーガナイ」ダムなどと揶揄されたこともあります。

参考までに、小河内ダムによる「奥多摩湖」の有効貯水容量は、185(百万m3)で早明浦ダムの64%に相当し、水道専用のダムとしては最大級の存在です。
# 国土交通省ダム諸量データベース[58699]に出ていませんね。利水目的のダムで、治水に無関係なためか?

[58709] hiroroじゃけぇ さん
四国にとっては、(早明浦ダム有効貯水容量の)0.9%が大切なわけですが
ということですが、東京の場合は、貯水容量の増加だけでは、水不足の解決にならなかったのです。
[58751] 2007年 5月 30日(水)23:31:25hmt さん
水道の蛇口の向こう側(3)利根川・荒川水系
武蔵野の湧き水を水源とした神田上水、11里上流の羽村から水を引いた玉川上水を淵源とする東京の水道は、20世紀にはポンプで加圧された配水管で給水されるようになり[58728]、山梨県にまたがる多摩川水源林に守られた貴重な水をいくつかの貯水池を使いながら運用してきました[58729]

さて、[58729]で昭和30年代のことを“多摩川だけに頼っていた時代”と書きましたが、「だけ」は不適切だったので削除します。
大正15年(1926)から金町浄水場から江戸川の水が東京の東側の区域に供給されていました。現在の能力は全体の2割余です。
江戸川沿岸の都市化につれて、金町浄水場で取水する原水の水質は悪化しました。かつては金町系統の水は品質の悪いことで定評がありました。
しかし、1992年に開始したオゾンと生物活性炭による高度浄水処理によって金町の水は品質が向上しました(現在約分の1)。高度処理水はペットボトルに詰められ、「東京水」 というブランドで宣伝・販売されています。なお、朝霞浄水場など別の採水地の東京水もあります。

それはさておき、
昭和30年代に多摩川に巨大貯水池を完成させた頃には、既に次なる水源を求める努力が始められていました。それは北関東の深い山を流域に持つ利根川と、その手前にある荒川です。

もちろん、これらの川は別の県にあり、東京都独力で遂行できる事業ではありません。
根幹は昭和36年(1961)に制定された「水資源開発促進法」により、国が策定した「利根川水系及び荒川水系における水資源開発基本計画」に基づいて建設省→国土交通省や水資源開発公団→独立行政法人水資源機構によって開発が進められる事業として行なわれます。

この水系開発の概要は現況図に示されていますが、東京の水源の中心になるものは、利根川上流に造られた「矢木沢ダム」と、利根川から荒川を経由して東京に原水を導く水路です。
矢木沢ダム(群馬県みなかみ町)→利根川→利根大堰→武蔵水路→荒川→秋ヶ瀬取水堰(志木市)→朝霞水路→朝霞浄水場→東村山浄水場
ルート後半部の荒川から取水する系統は1965年、荒川に利根川の水を導く利根大堰・武蔵水路は1968年に完成しました。

矢木沢ダム計画は、古くは「東京市上水道計画」でも構想され、また奥利根電源開発計画では、尾瀬原ダムとの間の揚水発電案もありました。
治水の面では、戦後のカスリーン台風(1947)による被害をふまえた洪水対策としてクローズアップされました。
そして建設省によるダム計画が進行中に、前記のように法制度が整備され、水資源開発公団がこの多目的ダム(洪水調節・灌漑・水道・発電)建設の主体になり、1967年に完成しました。最初の計画では総貯水容量1億トン規模でしたが、事業拡大で倍増しています。

このようにして、利根川上流部からの水がもたらされた結果、現在東京都が保有する水源量は日量623万m3となっています。
その内訳は78%が利根川・荒川水系、19%が多摩川水系です。
東京の水道水源と浄水場別給水区域図 をリンクします。

通常は、利根川・荒川水系を主体に需要をまかなって、多摩川水系の小河内貯水池などは備蓄に努め、イザという時に備える運用を取っているようです。このような両水系の 原水相互融通 は、利根川・荒川水系の朝霞浄水場と、多摩川水系の東村山浄水場とを結ぶ延長17kmの「原水連絡管」によって可能になります。
通常の夏場になると、利根川水系でメインの矢木沢ダムの貯水状況が報道されていますが、小河内貯水池の貯水減少が報道されるようになったらピンチということなのでしょう。
[58758] 2007年 5月 31日(木)17:50:45hmt さん
水道の蛇口の向こう側(4 )相模川水系
[58751]で 東京の水は“78%が利根川・荒川水系、19%が多摩川水系”と紹介しました。100%には、あと少し必要です。
ごく僅か(0.02%)の地下水[58728]と共に、東京水道の約3% を担っているの相模川水系です。

[58674] Issie さん
私の右手数十メートルの地下を川崎市の水道が通っています。相模川の相模湖(相模ダム)と津久井湖(城山ダム)の水を水源としているものです。川崎市水道全体では,横浜市と同様,宮ヶ瀬湖や丹沢湖の水も水源としています。
で,確か,この水の一部は東京都にも“お裾分け”していたはずです。

相模湖の水は沼本ダムで、津久井湖の水は城山ダムで取水され、共に津久井分水地に送られて、ここで水道用と発電用などに分けられます。水道用原水は、下九沢分水池(相模原市)で既に言及した横浜用[34770][58684] と川崎・東京用とに分けられ、後者のトンネル水路は、川崎市の多摩丘陵にある 長沢浄水場 に向かいます。

ここには、川崎市の浄水場(24万m3/日)と東京都の浄水場(20万m3/日)とが隣接しています。
東京都水道局の長沢浄水場は、その 建築 が有名なようですね。仮面ライダーの「城南大学」とか。

というわけで、相模川水系の水は、東京の水源の一部にもなっているのでした。東京都水道局の浄水施設の紹介 の末尾には、一覧表がありました。相模川水系から“お裾分け”された20万m3/日は、確かに、東京の総処理能力686万m3の約3%を占めていました。

川崎市の水道が出てきたので。
[58667] hiroroじゃけぇ さん
神奈川県の東部は多摩川に依存しているとばかり思っていました。

たしかに川崎市の水道に関しては、多摩川表流水を水源としてスタートしました(1921)。
川崎市の水道は、その後相模川水系を中心に拡大し、現在は神奈川県内広域水道企業団を通じて、丹沢湖など酒匂川水系から配分される水量が半分ぐらいになっています。
一方、多摩川については、2003年から伏流水取水が廃止されています。
[58781] 2007年 6月 1日(金)18:46:46hmt さん
水道の蛇口の向こう側(5)国の政策
水は生活の基礎です。前回までの4報 は、東京の水道事情を題材として、安定供給を求めた人々の努力の跡を振り返りました。

水の惑星・地球ですが、私たちが生活に使える「陸水」の資源は限られています。
「お天気次第」に左右されがちな降水を、人々の使う需要に応じて程よいペースで流す。
東京の水源となった多摩川に場合も、森林の涵養と貯水池の造成とが水道原水確保の第一段階でした。

そして、絶対量の確保のためには、多摩川水系の枠を出て、広域にわたる融通が必要になり、上越国境の深い山林地帯に源を発する「坂東太郎」こと利根川と、秩父山地の水を集める荒川の水が導入されました。
この段階になると、第一段階で主役となった自治体の政策とか、技術の進歩だけでは解決がつかず、国としての政策が必要になります。

そんな様子を私が書いているうちに、落書き帳の中では「水利権」が話題になり、水道の話題の発端となった「香川用水」の水源である「吉野川」の水利権に触れた四国新聞の記事が、[58744] 88さんによってリンクされました。

この記事を読んでみると、「水利権」のあり方について、確かに考えさせられるものがあるようです。
誤解に基づく意見であればお詫びしなければなりませんが、以下、私見を記してみます。

四国新聞 2005/7/3の記事 によれば、夏季【原文:今の時期(6月1日から9月10日)】の吉野川に関する徳島県の「不特定用水」(既得権)は、農業 28t (毎秒、以下同じ)、工業・水道 2t 、河川維持 13t で合計 43t です。
河川維持に必要な 13t は別として、 30t が1975年の早明浦ダム建設以前から徳島県内で取水利用されてきた実績値で、水利権として認定されることにより、徳島県の「財産」になっているわけなのでしょう。

平年にはこの取水実績があったとしても、昔もあった渇水の年には、とてもこれだけの取水はできなかったはずです。それでも、一旦水利権として認められてしまえば、渇水の年にも徳島県で 30t 取水できるというのは不思議に思われます。
(香川用水への供給量は、もともとずっと少ない 8.45t 四国新聞 2005/06/30で、これが渇水で削減される。)

記事には、
この時期の池田ダム地点の不特定用水や新規用水の流量とともに、「早明浦ダムがない場合の自然流況」を明記したのがそれ。数字は毎秒一三・五トン
とも記されています。これが渇水期の数字かどうかわからず、池田ダム地点よりも下流でこれに流入する「徳島県で降った水」もあるわけですが、 43t との間にはずいぶん開きがあり、渇水期 30t 取水はとても不可能だったと思われます。

吉野川水系水利用連絡協議会会長でもある四国地方整備局長も、徳島県知事との会談で“ダム建設以前にも渇水はあり、その際は必ずしも四十三トンは確保できていない。”ことを指摘し、徳島県の「不特定用水」の削減を求めたが、知事は受けませんでした。

現行の制度からすると、徳島県の既得権を守る姿勢は正当であり、極論すれば
吉野川の水を、徳島県が利用するのはもともと「慣行水利権」として当然の権利であり、使わずに海へそのまま棄てることもまた当然の権利です。[58744]
ということなのかもしれません。

しかし、なんと言っても事は
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。(日本国憲法第25条1項)
ための基礎である生活水の確保です。
せっかくできている早明浦ダムと香川用水が、県境の壁に阻まれて生かしきれないという姿には疑問を感じます。

民法総則(口語体になったのですね)の冒頭にも、
第一条 私権は、公共の福祉に適合しなければならない。
という基本原則が示されています。
憲法や民法の精神からすれば、必要ならば立法措置も含めて、水利権に関する利害調整を行なうのが、政治の役割でしょう。

「四国三郎」は、兄貴の坂東太郎に比べれば、もともと懐が小さいというハンデがありますが、それでも精一杯の力を発揮できるような仕組みを整えてゆく必要があると感じた次第です。
[58819] 2007年 6月 3日(日)18:51:20【1】hmt さん
水道の蛇口の向こう側(6) 河川以外の水源
[9323] ペーロケ[utt] さん
ハウステンボスでは、海水を淡水化して利用しているみたいです。
[58725] むっくん さん
水不足に対する最終的な切り札は海水の淡水化施設を作ることでしょうね。沖縄県や福岡市のように。
[58726] スナフキん さん
「余計なことに金を使うくらいなら、海水淡水化プラントをもっと作ったらえぇ」の言葉がすべてを物語っています。

特殊なケースについて海水淡水化が実用化されていることは確かですが、海水を水道の水源とすることは、エネルギー的には非常に大きな負荷になることを、最初に認識しておく必要があります。

新潟大学化学工学資料の中の 海水淡水化 を見ると、
海水の浸透圧 π は約25気圧(25×105Pa)である。
と書いてあります。
わかりやすく言えば、海水を淡水化するということは、高さ 250mの滝を逆流させるだけのエネルギーが理論的に必要だということです。単位を換算すると 1m3あたり 0.69 kwhです。

実現できる技術としては、この理論値よりもはるかに大きなエネルギーが使われます。
同じページによると、単蒸留の蒸発潜熱は、浸透圧からの理論値の1000倍近い 626 kwh(1m3あたり、以下同じ)であり、海水淡水化技術の主役である多段フラッシュ蒸留でも 42 kwh。更に、真空・冷凍-蒸気圧縮プロセスの全エネルギー消費は 10.6 kWhとあります。

適当な半透膜を開発すれば、海水側に圧力をかけることにより、浸透圧に逆らって真水を押し出すことができるのですが、実際には 60気圧程度の圧力をかけ、膜モジュール内を流れる抵抗もあるので、前記 0.69 kwhの理論値ではゆかず、逆浸透法 のエネルギー消費は 8 kwh程度だそうです。

沖縄県企業局 によると、1997年に北谷町に完成させた逆浸透法による 4万m3/日の海水淡水化施設は、総事業費 347億円の 85%を国庫補助により、 1m3あたり約 170円の造水コストになるものと試算されています。

この4万m3/日という数字は、[58781]の吉野川水利権の時に用いられていた単位に換算すると、0.46 t/秒に過ぎませんから、海水淡水化は、いかに莫大な設備費がかかるものかがわかります。
沖縄の場合は、大きな河川を生み出す森林(面積と共に雲を生み出す高さが必要)に欠けるという特殊事情から、85%の国庫補助によってでも、海水淡水化を実現させる必要があったものと理解されます。

「雲を生み出す高さ」と言えば、洋上アルプスの屋久島は、小さな島なのに水があふれています。
余剰水を沖縄に輸出できないものか?

塩分濃度の大きい海水を淡水化するのは、このように大変なことですが、少し塩気があって飲用に適さない地下水など、もっと塩分の少ない水源があれば、逆浸透法は、もっと効率よく利用できるでしょう。水道水中に塩分が多い米国の西海岸などでは、家庭用の逆浸透装置もあると聞いています。

河川以外に求めるべき水源は、海水だけではありません。
下水処理水のリサイクルも考えなければいけないのですが、まず着目すべきものは、都会に降って無駄に流れ去る雨水でしょう。
東京ドームの屋根から集めた雨水は、雑排水を浄化処理した水と混合されて、中水としてリサイクルされています。一応、上水とは区別していますが、水道の水質基準を満たしているようですから、イザとなれば飲めるでしょう。

雨水は、降り始めの1.5mm程度は二酸化炭素や大気中の汚染物質を多く含んでいますが、最初の2mm程度を捨てれば、あとは天然の浄化システムにを通った水です。

本格的な雨水貯留施設では雨量計と連動した弁を使うと思いますが、家庭用ならば、雨樋の先に設けた太目のバイプによって屋根上2mmに相当する初期雨水を溜めるという簡便な排除装置により、これから溢流する雨水を自家用の中水として別に蓄えることもできると思います。

そういえば、昔は広く利用されていた「天水桶」という言葉も、死語になっているようです。


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