過去の一連の私の投稿
「明治初期 地方自治制度の変遷について」を受けた、取りまとめ版です。
年月日 | 制度 | 府県 | 郡 | 区(*1) | 区(*2) | 市 | 町村 |
| (江戸期) | - | 行政区画 | - | - | - | 自治体 |
M元.閏4.21 | 府藩県三治の制 | - | ↓ | - | - | - | ↓ |
M2.1.21他 | 版籍奉還 | - | ↓ | - | - | - | ↓ |
M4.7.14 | 廃藩置県 | 行政区画 | ↓ | - | - | - | ↓ |
M5.2.1 | 府藩県一般戸籍ノ法 | ↓ | 地理的名称 | 行政区画 | - | - | ↓ |
M11(1878).12.16 | 郡区町村編制法 | ↓ | 行政区画 | - | 自治体 | - | ↓ |
M17(1884).12.25 | 戸長役場拡大 | ↓ | ↓ | - | ↓ | - | ↓ |
M22(1889).4.1他 | 市制・町村制 | ↓ | ↓ | - | - | 自治体 | ↓ |
M24(1891).4.1他 | 府県制・郡制 | 自治体 | 自治体 | - | - | ↓ | ↓ |
T12(1923).4.1 | 郡制廃止 | ↓ | 行政区画 | - | - | ↓ | ↓ |
T15(1926).7.1 | 郡役所廃止 | ↓ | 地理的名称 | - | - | ↓ | ↓ |
S22(1947).5.3 | 地方自治法 | ↓ | ↓ | - | - | ↓ | ↓ |
(*1)「府藩県一般戸籍ノ法」によるもの。区だけではなく、大区・小区を含む。
(*2)「郡区町村編制法」によるもの。「三府五港其人民輻湊ノ地」。なお、「区」の中に「町」「村」を含んでいた。
定義は、次のように考えています。
(A) | 自治体 | 首長・議会が存在し、域内のことを自治的に決定する制度がある |
(B) | 行政区画 | 国の出先機関としての組織(現在では財務局や地方整備局を統合したものに相当) |
| | (沖縄総合事務局のようなもの?) |
(C) | 地理的名称 | (A)(B)に該当せず、ただ名称として呼称する |
もちろん、いくつかの権能を兼ねていることも多いのですが、より権能の強い方で表記しました。(C)より(B)、(B)より(A)の方をもちろん優先しました。
なお、北海道・沖縄、島嶼、東京都制、三大都市等はここでは省略させていただきました。
上記の取りまとめは、私も少し自信がないところもあります。さらなるご教授をいただければ幸いです。そもそも、単純化は困難なのかもしれませんが。
さて、
市区町村変遷情報で、どう取扱うか、です。
特に注目したいのは、「府藩県一般戸籍ノ法」(いわゆる「戸籍法」)の「区」(後に「大区」「小区」を含む。上記(*1))です。この「区」は自治体ではなく、あくまで「行政区画」です。この状態はM5年からM11年の短期間であり、また、江戸期以前からの長年に渡り使用されてきた「郡」は、この6年間ほどの間も現実には併用されていたようです(注)。また、
[58214]拙稿 の年表中の(8)~(18)のように短期間に何度も区画・名称変更をしているようで、あまりにも複雑です。このため、
市区町村変遷情報では、この「区」(大区、小区とも)は割愛させていただこうかと考えています。
現在の政令市の区は行政区画であり、郡は地理的名称なのですが、現在はこれらは位置づけも明確になされていますので(地方自治法なり条例なりで)、既に対象にしている、ということにしたいと考えています。
府県の変遷については、範囲が市町村と重なることもあり、取扱うとしても別メニューが適切だと考えます(やはり何らかの対応はしたいですが)。
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(注)
「香川県史 第十一巻 資料編 近代・現代資料I」(昭和61年2月28日発行、編集・発行:香川県、四国新聞社)にある、「大区編成並びに区長任命の達」(明治7年2月13日名東県権令から各区戸長あて)によると、
今般讃岐国各郡並小豆嶋ヲ大区ト相定別紙ノ通区長申付候
(中略)
第十三大区大内郡区長並学区取締兼務
(後略)
[58214]拙稿の(13)と同日付け文書で、既に「区」が存在していましたが、新たに「大区」「小区」を定めたときのものです。
また、明治9年7月の「讃岐国公立小学校一覧」(前掲書)でも、
名称 | 学科 | 位置 | 設立 |
東園 | 小学 | 讃岐国大内郡東山村 | 明治7年 |
等と、やはり郡を使用しています。