小規模飛び地ができた原因の代表として「出作」について記しました
[68879]。
農地の類例ですが、こちらは面積としては大きな、山林に由来する飛び地(南箕輪村)についても触れました。
実は、簡単な区域図により南箕輪村飛び地を見た時、すぐに頭に浮かんだのは、このような広い飛び地が生まれた原因になったのは、昔の「飛び地合併」ではなかったのか?ということでした。
しかし、調べてみたら、南箕輪村は明治22年の町村制施行時もそれ以後も合併がなく、120年間
純血主義を守る市町村 だったのでした。そもそも山の中の飛び地には、合併の対象になりそうな集落さえも存在しません。
南箕輪村の過去ログを見ると、純血についての記事はなかったものの、2004年に合併話ガあったのですね。
ここの飛び地が、その面積において、本体に匹敵する大きさであることは、
[40246] 太白 さん の記事がありました。
面白かったのは、(もちろん本体の側にですが)南箕輪村に「日本の最高学府」が存在すること。
[8346] Issie さん
南箕輪村の例(外れでしたが)が示すように、大規模飛び地を語る上で欠かせないのが「飛び地合併」です。
平成の大合併でも、いくつかの飛び地合併が行なわれ、短期間で消滅したものもあれば、現存しているものもあります。平成の合併には、過去にできていた飛び地の解消という作用もありました。
既に落書き帳の話題になったものも多々ありますが、主な飛び地合併を概観してみましょう。
まだ未完成のようですが、
K2 飛地合併の一覧 には、この80年間に行なわれた42件の飛び地合併がリストアップされています。昭和戦前2件(現存1件)、昭和合併を中心とする戦後が23件(現存6件)、平成合併が17件(現存13件)でした。
本体と飛び地とが相互に入り組んだ複雑さという点で特筆に値するのは、2005年3月に実施された津軽半島の飛び地合併でした。
その前年の
[29356] でるでる さん の発言
青森県の「五所川原市・金木町・市浦村」「中里町・小泊村」も、結構スゴイことになっております。
から、更にもう1件が加わっており、合併後の市町名でいうと、
五所川原市 (飛び地になったのは、十三湖に面した市浦村)、
外ヶ浜町 (龍飛崎のある三厩村)、
中泊町 (日本海の漁村・小泊村)の3組です。
M.K.さんの青森県図
次に、スケールの大きさという面から概観します。これも、町村の単位が既に大きくなっている平成の飛び地合併が主力になります。
面積が大きいのはさすがに北海道で、
日高町飛び地(内陸の旧・日高町)が 564 km2、次いで
釧路市 (音別町) 401 km2、
伊達市 (大滝村) 274 km2 と ベスト3を独占。
本州で現存する飛び地は、
桐生市 (新里村・黒保根村) 137 km2 と
大垣市 (上石津町) 123 km2 が大きな所で、前者は本体とほぼ同面積、後者は本体よりも大きな飛び地です。2006年からの1年間だけで消えた
相模原市 (津久井町・相模湖町) 154 km2は更に大きく、これも本体 90 km2よりも大きな飛び地でした。
この津久井・相模湖飛び地は、人口(約39000人)でも最大級の飛び地だったと思います。
平成合併よりも前に存在した大きな飛び地というと、昭和30年に山口県都濃郡
南陽町 (→新南陽市)の飛び地になった佐波郡和田村(41.09 km2)です。
戦時合併 の
徳山市 から 分立
[25065]した
富田町 と
福川町 とが合併して 昭和28年に生まれていた
南陽町 本体側の面積は 17.44km2(2町面積1935年の合計)でしたが、臨海部の大規模な
工業地帯 造成により拡大しています。それでも飛び地は、新南陽市面積(2002年 64.26km2)の 64%を占めていました。
新南陽市本体と和田飛び地とを隔てていた徳山市とは 2003年に合併し、周南市が成立した結果、飛び地も解消しました。
飛び地と本体との距離も、北海道の日高町と釧路市の場合は、それぞれ 20km を超えています。参考までに、これらの合併よりも前の記事
[24206]で、太白さんは、京都府久御山町飛び地を“日本で一番本体から離れた飛地(?)”と呼んでいました。