都道府県市区町村
落書き帳

飛び地の魅力

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[68737] 2009年 3月 2日(月)16:29:10hmt さん
「飛び地」の魅力 (1)序論、北山村
[68716] オーナー グリグリ さん
練馬区大泉町にある飛び地について、この飛び地の面白さや他の飛び地と比べての特徴などを聞かれています。

「飛び地」の定義も、その魅力も、人によりまちまちなようですが、私が第一に挙げたいのは「もの珍しさ」です。

最初に、第1次兵庫県の県域 をご覧ください。
赤(緑と重なった茶色を含む)の区域が慶応4年(明治元年・1868)5月に兵庫津周辺の幕府領などを管地として設置された最初の兵庫県域です。そして緑の区域は、廃藩置県の少し前、明治4年4月の兵庫県域。
飛び地がいっぱいあります…というより県域そのものが飛び地で構成されていると言ってよいくらいです。

この図を見れば、県や市町村の領域に関する現代の常識は、いわゆる府藩県三治体制の明治初期には通用しなかったことがわかります。
3府72県にまとまった現在に近い領域を持つようになるのは、廃藩置県と第一次府県統合を経た明治4年11月でした。
飛び地が珍しい存在になり、本体と飛び地との関係が生まれたのは、これ以後ということになります。

現代の様子を確認すると、「自治体の飛び地」コレクション に見るように、都道府県境をまたがる飛び地は極めて少数です。
お題として示された 東京都練馬区西大泉町の飛び地 は、この少数例の中に入っているというだけでなく、更に大都市の住宅地、つまりそれを身近な土地であると感じる人々が多い点を併せ持つことに特徴があると思います。

せっかくの機会なので、都道府県境をまたがる飛び地が、どのようなものかを概観します。

北山川の瀞峡。現在は吉野熊野国立公園内の観光地にもなっていますが、右岸の和歌山県東牟婁郡北山村は、「全体が飛び地の村」として現在は他に類がなく、48km2もの面積もその有名度も 飛び地の世界では別格の存在です。
産出する杉の良材を輸送する筏師は新宮の木材業者との関係が深く、江戸時代から紀伊国でした。

明治になって北山川左岸が三重県になった時、右岸は地続きの奈良県に編入されそうになりましたが、住民の願いにより、和歌山県の飛び地として新宮との関係を維持することができました。このことは、[57904] 役チャン さんの役場訪問記にも記されていました。

更に過去ログを遡ると、2003年に行なわれた意向確認調査でも、住民の新宮への志向が明確に現れており[9717]、一旦は 合併協議会 に参加しました。
しかし、2004年7月には合併協議会から離脱し「飛び地の村」を続けることになりました。
人口538人の小さな村が合併しない理由は、合併すると救急車が80分かかるようになるため(役場の患者搬送車なら40分)とか[44075]eiji_t さん。

北山村 特産の柑橘類「じゃばら」には、アレルギー抑制効果のある成分が多く含まれるという学会発表があり、インターネット通販を中心に、花粉症でお悩みの方に人気とか。北山村応援団員募集中。

北山村の下流、和歌山県本体との間にあった玉置口村も同様な飛び地の村でしたが、昭和合併で熊野川町の一部になりました。

瀞八丁でも知られる和歌山県の飛び地2件は、観光地としてだけでなく飛び地としても有名なだけに意外性は不足。
この落書き帳での盛り上がりも、2003年に北山村で行なわれた合併先意向調査が、三重県への越県合併を拒否した時だけでした。
しかしここは「飛び地」の魅力を語るには欠かせない存在であり、第一の事例として取り上げました。
[68760] 2009年 3月 4日(水)22:57:18hmt さん
「飛び地」の魅力 (2)西大泉付近・昔の府県境
[68741] Issie さん
「西大泉町」を含めたこのあたり(練馬区西大泉)一帯は1891(明治24)年に 東京府北豊島郡 の 上土支田村 と合併して 同郡大泉村 となるまでは「埼玉県新座郡榑橋(くれはし)村」でした。…つまり…「都道府県をまたぐ飛び地」であったわけではない。

説明していただいたように、現在「練馬区西大泉町」になっている地が、「府県境をまたぐ飛び地」になったのは、町村制施行(明治22年)の2年後のことでした。
白子川右岸の東京府上土支田村と、左岸の埼玉県榑橋村とが、小学校を統合して経費を節約するために合併して 大泉村 [62334] になったことにより、ごく小さな領域が、北に移動した府県境の埼玉県側に取り残されてしまったのでした。

大泉村ができる前、明治22年(1889)当時の府県境を確認しておくと、荒川から白子川を遡り、水源 の「大きな泉」から更に南西・富士見池の西へと進みます。埼玉県側が新座郡保谷村になり青梅街道を越えた先で、千川上水に出ます。ここは神奈川県北多摩郡武蔵野村との3府県境界点(東京府は北豊島郡石神井村)になります。現在の西東京市・武蔵野市・練馬区の境界点。

ここから先は埼玉・神奈川県境になりますが、保谷村と武蔵野村・田無村との境界に沿って少し西に行った後で約10kmも北上します。
つまり、埼玉県新座郡は、東京府北豊島郡(現・練馬区)と神奈川県北多摩郡(田無・久留米・清瀬)との間に半島状に食い込んでおり、話題の主の飛び地は、その「新座半島」の真ん中あたりにあったわけです。

[4111] ken さん
今は亡き保谷市の部分に、埼玉県がぐいっと入り込んでいたら、やはり変ですよね。
[4113] TN さん
私は、以前その地図を見たことがあります。(浦和の公文書館だったか?)
とにかく、その凄さといったら大変なものです。
なにしろ、3本の棒が西側にピョン、ピョン、ピョンとでているのですから。

「新座半島」の概略の姿としては、神奈川県の中に食い込んでいる「町田半島」を想像してください。
「3本の棒」とは、“約10km北上”と記した「半島」西側の線から岬状に突起した埼玉県の領域です。半島の付け根に近い野火止用水沿いの「棒」は現存。保谷村に属した半島先端(千川上水沿い)と、半島の中間(現在のひばりが丘団地)の「棒」は、保谷村の所属がが明治40年(1907)北多摩郡(明治26年から東京府)になったために消滅しました。

TN さん言及の地図と思われる 明治二十二年四月改正「埼玉県菅内全図」[37601] を見ると、野火止用水沿いの「棒」の北の神奈川県内(清瀬村)に、埼玉県の「飛び地」(話題の発端の西大泉より大きい)があります。八王子道(志木街道)沿いの中清戸の集落と思われます。更に中間の「棒」の先端にも2つの「飛び地」。
後者はもちろん、前者も現在は東京都になっており、“そうした複雑な領土を整理する”([68738] 太白 さん)作業も行なわれたことを裏付けています。
[68767] 2009年 3月 5日(木)15:46:24hmt さん
「飛び地」の魅力 (3)転用された農地の残影? 大阪国際空港
埼玉県の中に取り残された東京都の小さな飛び地・練馬区西大泉町。
[68716] オーナー グリグリ さんの問いかけをきっかけに、「飛び地」の魅力を探っています。

[68737]では、県境を隔てた飛び地 が全国でも10例ほどしかない「もの珍しさ」を第一に挙げて、その代表例・和歌山県東牟婁郡北山村を語りました。自分が所属する和歌山県の市町村と接することなく、他の2県(三重県・奈良県)との境界線を持つ全国唯一の飛び地の村は、木材の搬出先として深いかかわりを持ち続けた新宮との関係から生まれたものでした。

「飛び地」の魅力を語る第3弾は、外見上とりたてて特徴のない都市近郊住宅地の西大泉町、秘境とも言える紀伊山地の北山村とは様変わりして、旅行客が行き交う伊丹の大阪国際空港に行きましょう。

ヘーェ、小さな飛び地 が、大阪府豊中市・同池田市・兵庫県伊丹市の3市境界付近にたくさんあるのね。
国土地理院の地形図では詳細がわかりませんが、「自治体の飛び地」コレクション に集録された兵庫県伊丹市小阪田のリンクにより、Yahoo!地図 を開きます。

“豊中市>螢池西町3丁目の周辺地図”と表示されていますが、ポインタの位置をよく見れば、モノレール大阪空港駅のある豊中市と、その西及び南にかかる3つ羽根状の池田市飛び地とに挟まれた、250m2ほどの小さな小さな三角は県境で囲まれており、兵庫県(伊丹市)の飛び地であることがわかります。
北ターミナルビルのある伊丹市本体とを隔てる大阪府の距離は、僅かに数mですね。

この「県境を隔てた飛び地」の他にも、豊中市の中の池田市の飛び地が多数あるし、その中の一つには豊中市の二重飛び地があるという具合で、複雑の極致を示す境界関係は驚異でした。実のところ、リンクされた地図を見ながらも、完全に理解できたかどうか自信を持てないくらいです。

大都市の空港という有名地。広い敷地の中に入り乱れる多数の飛び地がある意外性も十分。そして複雑の極致を示す境界関係と、三拍子揃ったこの事例は、飛び地の世界でのスターと思われます。

これだけ複雑な事例を示されると、なぜこんな境界線ができたのだろうかと、当然の疑問がわきます。

これは、空港になる前の農地時代の境界線を引きずっているもので、田畑の地主により、行政区域が分かれる理由 という説明(2002/4/18)がなされていました。
農業政策として、それなりの必要性はあるようにも思えるのですが、自治体の境界変更はそんなに簡単にできるものなのでしょうか?

また、そのような事情で飛び地ができたものとすると、新たな疑問が2つ。【自問に対する自答】
耕作地でなくなった現在も、入り乱れた境界を保持しているのは何故か。【改める実益がない。】
同様の事例が、日本全国に多くあるはず。【個別の当事者が知っていれば十分で、日本全国のデータを集積する必要などない。】

こりゃ、何かの機会に複雑な飛び地が陽の目を見て、スーパーマップル関西道路地図 [19852] に紹介された大阪国際空港は、氷山の一角にすぎないのかもしれませんね。
[68788] 2009年 3月 8日(日)22:18:55hmt さん
「飛び地」の魅力 (4)大阪空港の補足と関西国際空港
[68767]で大阪国際空港の飛び地を語りました。
お金を拾って交番に届けたら、その場所が「兵庫県警」と「大阪府警」とどちらの管内だったかを問われた[62888] という リトルさん の経験は、まことに貴重なものでしたが、空港に出入りする大多数の人にとっては、この空港がどの府県にあるのかという意識さえもないことでしょう。

伊丹空港と通称しているから兵庫県かもしれないと考える人は、かなり地元に明るい人で、普通には、“国際便の姿はみかけないが、大阪国際空港という名だから大阪府に決まっているんじゃないの”という程度と思われます。

公共施設として空港の機能を利用する一般人は、飛び地の存在を意識する必要はなく、その動機もありません。
スーパーマップル関西道路地図のような、一般人の利用する地図に飛び地がこと細かに掲載されたのは、たまたまその情報を知り得た地図屋さんのこだわりと、サービス精神からでしょう。
インターネットの時代になり、その情報がウェブ地図にまでも反映されたのは、ファンにとっては有り難いことですが、正直言って、知らなくてもよい過剰な情報の洪水を助長しているのかもしれません。

拾得金の処理にしても、県境があるという情報を知った以上は、それを重んじるお役所仕事では、2つの交番が必要になるわけです。
でも行政の効率化を目指すなら、どちらかの県警で処理する協定を結んでおけば一人で済むような気がしますが…

空港ついでに、関西国際空港。
これは、「都道府県境をまたがる」どころか「市町村境をまたがる飛び地」でもないわけですが、泉南市泉州空港南 という土地について。

泉南市の本体からここに行くには、泉佐野市と田尻町とを経由する必要があります。
それが飛び地と認定されていないのは、本体と空港が共に海に面しており、海を渡って行ける「島」であり、他の市町村を通らないと行けない陸続きの「飛び地」と、一線が画されているという建前のためと考えられます。
しかし、国際貨物地区 であるこの地は、たとえ舟をチャーターしても、“海を渡って行ける”場所ではありません。

一般人立入禁止地区である点を考慮外としても、関西国際空港島と空港連絡橋とは一体となって、陸続きの「半島」として最初から設計され、機能しています。
関西国際空港島の泉南市や田尻町部分は、岬の突端の「準飛び地」 と同様の地位を認めてよいのではないかと思われますが、いかがでしょうか。

北九州市小倉南区空港北町も同様。
[68789] 2009年 3月 8日(日)22:33:01hmt さん
「飛び地」の魅力 (5)隠れた飛び地
[68767]の末尾で、“大阪国際空港は、氷山の一角にすぎないのかもしれない”と書いたら、早速水面下に隠れた飛び地の実例に関するレスがありました。

[68778] EMMさん からは、金沢市の住宅地図地籍版の実例などにより、予想を越えて存在している「隠れ飛び地」の可能性を示していただきました。

[68783] Issie さんからは、習志野市誕生の直前に行なわれた総理府告示の但し書きにより、農地の所有関係から生じた飛び地の実例を示していただきました。
# 実は、“…所有する小作地”が如何なるものなのかを、農地法第2条第2項の定義(「小作地」とは、耕作の事業を行う者が所有権以外の権原に基いてその事業に供している農地をいう)にてらして理解することが、私にはよくできないのですが。

1970年代末までには両市の間で“領地交換”が何度も行われて,

習志野市例規集 行政区域の変更 にある 10件の境界変更告示のうち最初のものは千葉市への長作・天戸の“返還”。これと船橋市との境界に関する2件を除く7件(うち交換3件)が千葉市との間の飛び地処理でしょう。昭和46年が最後となっていますが、これで飛び地が解消したのかな?

水面下の飛び地を示唆する未確認情報が、5年前の落書き帳にもありました。
[23945] みやこ♂ さん
今度合併して佐野市になる葛生町,それの飛び地が「栃木市の向こう」にあるわけですが,これの中に実は栃木市の飛び地があって,さらにその中に一筆,葛生町があったような記憶があります。

出流山満願寺が下都賀郡(現・栃木市)ということで、その参道[39952]1本によって安蘇郡葛生町仙波(現・佐野市)の本体から切り離された飛び地。その中に二重・三重の飛び地があるという情報です。

然るべき役所へ行けば確認することができるでしょうが、このように、普通に流布している地図で公表されていない飛び地が、各地に存在する可能性はたしかにあります。

隠れた飛び地を詮索し始めたら、きりがないのかな?
[68879] 2009年 3月 19日(木)16:25:40hmt さん
「飛び地」の魅力 (6)小規模飛び地の原因になった出作
ようやく果たした和歌山県上陸が本土でなく飛び地

[68877] 稲生 さんの怪記録を祝して(?)、飛び地スレッド(一部を表示) を再開します。

大阪国際空港ターミナルビル付近は 2県・3市の境界。ここに複雑に入り乱れた、多数の小さな飛び地が存在 [68767]
それは、どうやら転用された農地の残影らしく、同様の隠れ飛び地は他の県にもある(あった)らしいことも知りました。

話題の発端になった練馬区西大泉町の飛び地も、その大きさからいうと野菜畑1枚分くらいです。
練馬大根畑だったのかどうか知りませんが、ここが農地のままなら、周囲が片山村→新座町→新座市と移り変わっても話題の主になることはなかったでしょう。
ところが住宅地開発の波がこの付近にも押し寄せ、登記簿を確認した結果、この畑だけは練馬区であることがわかりました。“1974年発見”とか。

住宅が建ち人が住み始めると、学校やゴミ収集という生活面からも東京都民であるという意識が生じます。
“埼玉県かと思ったら、東京の学校へ通えるんだって。ラッキー!”てな感じだったのでしょうか。
これでは、練馬区が新座市に引き渡したいと考えても、なかなか実現しません。[68738]参照。
飛び地の問題は、単に地図(地籍図)上の問題ではなく、住民の有無を抜きに考えることはできないことを教えています。

農家が、住所と異なる市町村内に耕作地を持つことはよくあることで、出作地とも呼ばれるようです。
台地上の野菜農家も低地になにがしかの水田を持ち、水田地帯の村人も台地上に野菜畑を必要とします。
[44818]で紹介した絵図 飛び地がいっぱいの130年前 には、武蔵野台地の上福岡に点在する低地の村々の出作地が描かれていました。
これらの出作地は、福岡町→上福岡市に統合され、最後に大井町内に残った上福岡市南台飛び地も、ふじみ野市の誕生で消滅しました。[45344] 太白 さん

「出作」という地名もあります。ウオッちずで検索すると12件(うち10件は四国)。発音は「しゅっさく」「でづくり」「でさく」とまちまち。
松戸市役所新松戸支所の所管区域 には、“小金(字金切、出作)”と記され、「出作」という地名が関東にもあることがわかります。
「小金・出作」は約1ヘクタール余の面積で、流山市「木地区・区画整理事業」計画区域の中にあり松戸市の飛び地的な存在である。
松戸市政懇談会報告

上記新松戸支所の所管区域の次を見ると「小金飛地」。これは大字と思われますが、正面から「飛地」を名乗る地名もあるのですね。

そこで、またウオッちずで検索すると「飛地」は170件。但し大部分は「○○市飛地」のような表記であり、地名そのものではないようです。重複を除いても 106市町村。国内には、少なくともこれだけの数の飛び地が存在することを示しています。
唯一の地名らしい表記は「初富飛地」。所在地はまたもや松戸市で、地形図を表示させてみると八柱霊園付近ですが、「初富飛地」という注記を見出すことができません。火葬場付近にある串崎新田(本体は鎌ヶ谷市初富の近く)飛び地のことでしょうか?

最後に一言。
「出作」そのものではないかもしれせんが、農村集落と離れた場所にある使用収益目的の用地として、山林があります。
村の本体と離れた場所にある山林が飛び地になっている著名な事例が、長野県上伊那郡 南箕輪村 です。
地図の中央付近が飛び地の山林。木曽山脈(中央アルプス)の北端付近です。
伊那市の領域を隔てて 天竜川沿い伊那谷に位置する村の本体は、地図の右下に見えます。
飛び地面積20.1km2というから、本体の面積とほぼ同じですね。日本最大の無人飛び地のはずです。
[68989] 2009年 3月 23日(月)15:23:49hmt さん
「飛び地」の魅力 (7)大規模飛び地を作る飛び地合併
小規模飛び地ができた原因の代表として「出作」について記しました[68879]
農地の類例ですが、こちらは面積としては大きな、山林に由来する飛び地(南箕輪村)についても触れました。

実は、簡単な区域図により南箕輪村飛び地を見た時、すぐに頭に浮かんだのは、このような広い飛び地が生まれた原因になったのは、昔の「飛び地合併」ではなかったのか?ということでした。
しかし、調べてみたら、南箕輪村は明治22年の町村制施行時もそれ以後も合併がなく、120年間 純血主義を守る市町村 だったのでした。そもそも山の中の飛び地には、合併の対象になりそうな集落さえも存在しません。

南箕輪村の過去ログを見ると、純血についての記事はなかったものの、2004年に合併話ガあったのですね。
ここの飛び地が、その面積において、本体に匹敵する大きさであることは、[40246] 太白 さん の記事がありました。
面白かったのは、(もちろん本体の側にですが)南箕輪村に「日本の最高学府」が存在すること。[8346] Issie さん

南箕輪村の例(外れでしたが)が示すように、大規模飛び地を語る上で欠かせないのが「飛び地合併」です。

平成の大合併でも、いくつかの飛び地合併が行なわれ、短期間で消滅したものもあれば、現存しているものもあります。平成の合併には、過去にできていた飛び地の解消という作用もありました。
既に落書き帳の話題になったものも多々ありますが、主な飛び地合併を概観してみましょう。

まだ未完成のようですが、K2 飛地合併の一覧 には、この80年間に行なわれた42件の飛び地合併がリストアップされています。昭和戦前2件(現存1件)、昭和合併を中心とする戦後が23件(現存6件)、平成合併が17件(現存13件)でした。

本体と飛び地とが相互に入り組んだ複雑さという点で特筆に値するのは、2005年3月に実施された津軽半島の飛び地合併でした。
その前年の [29356] でるでる さん の発言
青森県の「五所川原市・金木町・市浦村」「中里町・小泊村」も、結構スゴイことになっております。
から、更にもう1件が加わっており、合併後の市町名でいうと、五所川原市 (飛び地になったのは、十三湖に面した市浦村)、外ヶ浜町 (龍飛崎のある三厩村)、中泊町 (日本海の漁村・小泊村)の3組です。M.K.さんの青森県図

次に、スケールの大きさという面から概観します。これも、町村の単位が既に大きくなっている平成の飛び地合併が主力になります。
面積が大きいのはさすがに北海道で、日高町飛び地(内陸の旧・日高町)が 564 km2、次いで 釧路市 (音別町) 401 km2、伊達市 (大滝村) 274 km2 と ベスト3を独占。

本州で現存する飛び地は、桐生市 (新里村・黒保根村) 137 km2 と 大垣市 (上石津町) 123 km2 が大きな所で、前者は本体とほぼ同面積、後者は本体よりも大きな飛び地です。2006年からの1年間だけで消えた 相模原市 (津久井町・相模湖町) 154 km2は更に大きく、これも本体 90 km2よりも大きな飛び地でした。
この津久井・相模湖飛び地は、人口(約39000人)でも最大級の飛び地だったと思います。

平成合併よりも前に存在した大きな飛び地というと、昭和30年に山口県都濃郡南陽町 (→新南陽市)の飛び地になった佐波郡和田村(41.09 km2)です。
戦時合併徳山市 から 分立[25065]した 富田町福川町 とが合併して 昭和28年に生まれていた 南陽町 本体側の面積は 17.44km2(2町面積1935年の合計)でしたが、臨海部の大規模な 工業地帯 造成により拡大しています。それでも飛び地は、新南陽市面積(2002年 64.26km2)の 64%を占めていました。
新南陽市本体と和田飛び地とを隔てていた徳山市とは 2003年に合併し、周南市が成立した結果、飛び地も解消しました。

飛び地と本体との距離も、北海道の日高町と釧路市の場合は、それぞれ 20km を超えています。参考までに、これらの合併よりも前の記事[24206]で、太白さんは、京都府久御山町飛び地を“日本で一番本体から離れた飛地(?)”と呼んでいました。


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