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落書き帳記事集「飛び地」の魅力


記事#記事日付
記事タイトル
発言者
[68737]2009年3月2日
「飛び地」の魅力 (1)序論、北山村 hmt
[68760]2009年3月4日
「飛び地」の魅力 (2)西大泉付近・昔の府県境 hmt
[68767]2009年3月5日
「飛び地」の魅力 (3)転用された農地の残影? 大阪国際空港 hmt
[68788]2009年3月8日
「飛び地」の魅力 (4)大阪空港の補足と関西国際空港 hmt
[68789]2009年3月8日
「飛び地」の魅力 (5)隠れた飛び地 hmt
[68879]2009年3月19日
「飛び地」の魅力 (6)小規模飛び地の原因になった出作 hmt
[68989]2009年3月23日
「飛び地」の魅力 (7)大規模飛び地を作る飛び地合併 hmt
[69006]2009年3月24日
「飛び地」の魅力 (8)海続きの飛び地合併(桜島・須賀利・浦崎) hmt
[69019]2009年3月25日
「飛び地」の魅力 (9)まだ沿海飛び地 不思議な海岸もある hmt
[69023]2009年3月26日
「飛び地」の魅力 (10)過去帳入りした沿海飛び地 hmt
[69038]2009年3月28日
「飛び地」の魅力 (11)本体とは何か? 分体の飛び地も考えたい hmt
[69048]2009年3月29日
「飛び地」の魅力 (12)内陸型飛び地・川崎市麻生区岡上 hmt
[69112]2009年4月3日
「飛び地」の魅力 (13)内陸型飛び地合併 現存は昭和生まれ3件、平成生まれ8件 hmt
[69134]2009年4月5日
「飛び地」の魅力 (14)内陸型飛び地合併 既に消滅した事例 hmt
[69147]2009年4月6日
「飛び地」の魅力 (15)都道府県境をまたがる飛び地 hmt
[69177]2009年4月11日
「飛び地」の魅力 (16)島と飛び地 hmt
[69226]2009年4月14日
「飛び地」の魅力 (17)飛び地とは 陸上境界により 本域から隔離された地域 hmt
[69245]2009年4月16日
「飛び地」の魅力 (18)飛び地の社会的な意味 hmt
[69280]2009年4月18日
「飛び地」の魅力 (18.1)クロアチアのドゥブロヴニク飛び地 hmt
[69261]2009年4月17日
「飛び地」の魅力 (19)事実上の飛び地 hmt
[69262]2009年4月17日
「飛び地」の魅力 (20)事実上の地続き、いや青函トンネルでさえ自治体の領域そのもの hmt



[68737] 2009 年 3 月 2 日 (月) 16:29:10 hmt さん
 「飛び地」の魅力 (1)序論、北山村

[68716] オーナー グリグリ さん
練馬区大泉町にある飛び地について、この飛び地の面白さや他の飛び地と比べての特徴などを聞かれています。

「飛び地」の定義も、その魅力も、人によりまちまちなようですが、私が第一に挙げたいのは「もの珍しさ」です。

最初に、第1次兵庫県の県域 をご覧ください。
赤(緑と重なった茶色を含む)の区域が慶応4年(明治元年・1868)5月に兵庫津周辺の幕府領などを管地として設置された最初の兵庫県域です。そして緑の区域は、廃藩置県の少し前、明治4年4月の兵庫県域。
飛び地がいっぱいあります…というより県域そのものが飛び地で構成されていると言ってよいくらいです。

この図を見れば、県や市町村の領域に関する現代の常識は、いわゆる府藩県三治体制の明治初期には通用しなかったことがわかります。
3府72県にまとまった現在に近い領域を持つようになるのは、廃藩置県と第一次府県統合を経た明治4年11月でした。
飛び地が珍しい存在になり、本体と飛び地との関係が生まれたのは、これ以後ということになります。

現代の様子を確認すると、「自治体の飛び地」コレクション に見るように、都道府県境をまたがる飛び地は極めて少数です。
お題として示された 東京都練馬区西大泉町の飛び地 は、この少数例の中に入っているというだけでなく、更に大都市の住宅地、つまりそれを身近な土地であると感じる人々が多い点を併せ持つことに特徴があると思います。

せっかくの機会なので、都道府県境をまたがる飛び地が、どのようなものかを概観します。

北山川の瀞峡。現在は吉野熊野国立公園内の観光地にもなっていますが、右岸の和歌山県東牟婁郡北山村は、「全体が飛び地の村」として現在は他に類がなく、48km2もの面積もその有名度も 飛び地の世界では別格の存在です。
産出する杉の良材を輸送する筏師は新宮の木材業者との関係が深く、江戸時代から紀伊国でした。

明治になって北山川左岸が三重県になった時、右岸は地続きの奈良県に編入されそうになりましたが、住民の願いにより、和歌山県の飛び地として新宮との関係を維持することができました。このことは、[57904] 役チャン さんの役場訪問記にも記されていました。

更に過去ログを遡ると、2003年に行なわれた意向確認調査でも、住民の新宮への志向が明確に現れており[9717]、一旦は 合併協議会 に参加しました。
しかし、2004年7月には合併協議会から離脱し「飛び地の村」を続けることになりました。
人口538人の小さな村が合併しない理由は、合併すると救急車が80分かかるようになるため(役場の患者搬送車なら40分)とか[44075]eiji_t さん。

北山村 特産の柑橘類「じゃばら」には、アレルギー抑制効果のある成分が多く含まれるという学会発表があり、インターネット通販を中心に、花粉症でお悩みの方に人気とか。北山村応援団員募集中。

北山村の下流、和歌山県本体との間にあった玉置口村も同様な飛び地の村でしたが、昭和合併で熊野川町の一部になりました。

瀞八丁でも知られる和歌山県の飛び地2件は、観光地としてだけでなく飛び地としても有名なだけに意外性は不足。
この落書き帳での盛り上がりも、2003年に北山村で行なわれた合併先意向調査が、三重県への越県合併を拒否した時だけでした。
しかしここは「飛び地」の魅力を語るには欠かせない存在であり、第一の事例として取り上げました。

[68760] 2009 年 3 月 4 日 (水) 22:57:18 hmt さん
 「飛び地」の魅力 (2)西大泉付近・昔の府県境
hmt 都道府県境

[68741] Issie さん
「西大泉町」を含めたこのあたり(練馬区西大泉)一帯は1891(明治24)年に 東京府北豊島郡 の 上土支田村 と合併して 同郡大泉村 となるまでは「埼玉県新座郡榑橋(くれはし)村」でした。…つまり…「都道府県をまたぐ飛び地」であったわけではない。

説明していただいたように、現在「練馬区西大泉町」になっている地が、「府県境をまたぐ飛び地」になったのは、町村制施行(明治22年)の2年後のことでした。
白子川右岸の東京府上土支田村と、左岸の埼玉県榑橋村とが、小学校を統合して経費を節約するために合併して 大泉村 [62334] になったことにより、ごく小さな領域が、北に移動した府県境の埼玉県側に取り残されてしまったのでした。

大泉村ができる前、明治22年(1889)当時の府県境を確認しておくと、荒川から白子川を遡り、水源 の「大きな泉」から更に南西・富士見池の西へと進みます。埼玉県側が新座郡保谷村になり青梅街道を越えた先で、千川上水に出ます。ここは神奈川県北多摩郡武蔵野村との3府県境界点(東京府は北豊島郡石神井村)になります。現在の西東京市・武蔵野市・練馬区の境界点。

ここから先は埼玉・神奈川県境になりますが、保谷村と武蔵野村・田無村との境界に沿って少し西に行った後で約10kmも北上します。
つまり、埼玉県新座郡は、東京府北豊島郡(現・練馬区)と神奈川県北多摩郡(田無・久留米・清瀬)との間に半島状に食い込んでおり、話題の主の飛び地は、その「新座半島」の真ん中あたりにあったわけです。

[4111] ken さん
今は亡き保谷市の部分に、埼玉県がぐいっと入り込んでいたら、やはり変ですよね。
[4113] TN さん
私は、以前その地図を見たことがあります。(浦和の公文書館だったか?)
とにかく、その凄さといったら大変なものです。
なにしろ、3本の棒が西側にピョン、ピョン、ピョンとでているのですから。

「新座半島」の概略の姿としては、神奈川県の中に食い込んでいる「町田半島」を想像してください。
「3本の棒」とは、“約10km北上”と記した「半島」西側の線から岬状に突起した埼玉県の領域です。半島の付け根に近い野火止用水沿いの「棒」は現存。保谷村に属した半島先端(千川上水沿い)と、半島の中間(現在のひばりが丘団地)の「棒」は、保谷村の所属がが明治40年(1907)北多摩郡(明治26年から東京府)になったために消滅しました。

TN さん言及の地図と思われる 明治二十二年四月改正「埼玉県菅内全図」[37601] を見ると、野火止用水沿いの「棒」の北の神奈川県内(清瀬村)に、埼玉県の「飛び地」(話題の発端の西大泉より大きい)があります。八王子道(志木街道)沿いの中清戸の集落と思われます。更に中間の「棒」の先端にも2つの「飛び地」。
後者はもちろん、前者も現在は東京都になっており、“そうした複雑な領土を整理する”([68738] 太白 さん)作業も行なわれたことを裏付けています。

[68767] 2009 年 3 月 5 日 (木) 15:46:24 hmt さん
 「飛び地」の魅力 (3)転用された農地の残影? 大阪国際空港

埼玉県の中に取り残された東京都の小さな飛び地・練馬区西大泉町。
[68716] オーナー グリグリ さんの問いかけをきっかけに、「飛び地」の魅力を探っています。

[68737]では、県境を隔てた飛び地 が全国でも10例ほどしかない「もの珍しさ」を第一に挙げて、その代表例・和歌山県東牟婁郡北山村を語りました。自分が所属する和歌山県の市町村と接することなく、他の2県(三重県・奈良県)との境界線を持つ全国唯一の飛び地の村は、木材の搬出先として深いかかわりを持ち続けた新宮との関係から生まれたものでした。

「飛び地」の魅力を語る第3弾は、外見上とりたてて特徴のない都市近郊住宅地の西大泉町、秘境とも言える紀伊山地の北山村とは様変わりして、旅行客が行き交う伊丹の大阪国際空港に行きましょう。

ヘーェ、小さな飛び地 が、大阪府豊中市・同池田市・兵庫県伊丹市の3市境界付近にたくさんあるのね。
国土地理院の地形図では詳細がわかりませんが、「自治体の飛び地」コレクション に集録された兵庫県伊丹市小阪田のリンクにより、Yahoo!地図 を開きます。

“豊中市>螢池西町3丁目の周辺地図”と表示されていますが、ポインタの位置をよく見れば、モノレール大阪空港駅のある豊中市と、その西及び南にかかる3つ羽根状の池田市飛び地とに挟まれた、250m2ほどの小さな小さな三角は県境で囲まれており、兵庫県(伊丹市)の飛び地であることがわかります。
北ターミナルビルのある伊丹市本体とを隔てる大阪府の距離は、僅かに数mですね。

この「県境を隔てた飛び地」の他にも、豊中市の中の池田市の飛び地が多数あるし、その中の一つには豊中市の二重飛び地があるという具合で、複雑の極致を示す境界関係は驚異でした。実のところ、リンクされた地図を見ながらも、完全に理解できたかどうか自信を持てないくらいです。

大都市の空港という有名地。広い敷地の中に入り乱れる多数の飛び地がある意外性も十分。そして複雑の極致を示す境界関係と、三拍子揃ったこの事例は、飛び地の世界でのスターと思われます。

これだけ複雑な事例を示されると、なぜこんな境界線ができたのだろうかと、当然の疑問がわきます。

これは、空港になる前の農地時代の境界線を引きずっているもので、田畑の地主により、行政区域が分かれる理由 という説明(2002/4/18)がなされていました。
農業政策として、それなりの必要性はあるようにも思えるのですが、自治体の境界変更はそんなに簡単にできるものなのでしょうか?

また、そのような事情で飛び地ができたものとすると、新たな疑問が2つ。【自問に対する自答】
耕作地でなくなった現在も、入り乱れた境界を保持しているのは何故か。【改める実益がない。】
同様の事例が、日本全国に多くあるはず。【個別の当事者が知っていれば十分で、日本全国のデータを集積する必要などない。】

こりゃ、何かの機会に複雑な飛び地が陽の目を見て、スーパーマップル関西道路地図 [19852] に紹介された大阪国際空港は、氷山の一角にすぎないのかもしれませんね。

[68788] 2009 年 3 月 8 日 (日) 22:18:55 hmt さん
 「飛び地」の魅力 (4)大阪空港の補足と関西国際空港

[68767]で大阪国際空港の飛び地を語りました。
お金を拾って交番に届けたら、その場所が「兵庫県警」と「大阪府警」とどちらの管内だったかを問われた[62888] という リトルさん の経験は、まことに貴重なものでしたが、空港に出入りする大多数の人にとっては、この空港がどの府県にあるのかという意識さえもないことでしょう。

伊丹空港と通称しているから兵庫県かもしれないと考える人は、かなり地元に明るい人で、普通には、“国際便の姿はみかけないが、大阪国際空港という名だから大阪府に決まっているんじゃないの”という程度と思われます。

公共施設として空港の機能を利用する一般人は、飛び地の存在を意識する必要はなく、その動機もありません。
スーパーマップル関西道路地図のような、一般人の利用する地図に飛び地がこと細かに掲載されたのは、たまたまその情報を知り得た地図屋さんのこだわりと、サービス精神からでしょう。
インターネットの時代になり、その情報がウェブ地図にまでも反映されたのは、ファンにとっては有り難いことですが、正直言って、知らなくてもよい過剰な情報の洪水を助長しているのかもしれません。

拾得金の処理にしても、県境があるという情報を知った以上は、それを重んじるお役所仕事では、2つの交番が必要になるわけです。
でも行政の効率化を目指すなら、どちらかの県警で処理する協定を結んでおけば一人で済むような気がしますが…

空港ついでに、関西国際空港。
これは、「都道府県境をまたがる」どころか「市町村境をまたがる飛び地」でもないわけですが、泉南市泉州空港南 という土地について。

泉南市の本体からここに行くには、泉佐野市と田尻町とを経由する必要があります。
それが飛び地と認定されていないのは、本体と空港が共に海に面しており、海を渡って行ける「島」であり、他の市町村を通らないと行けない陸続きの「飛び地」と、一線が画されているという建前のためと考えられます。
しかし、国際貨物地区 であるこの地は、たとえ舟をチャーターしても、“海を渡って行ける”場所ではありません。

一般人立入禁止地区である点を考慮外としても、関西国際空港島と空港連絡橋とは一体となって、陸続きの「半島」として最初から設計され、機能しています。
関西国際空港島の泉南市や田尻町部分は、岬の突端の「準飛び地」 と同様の地位を認めてよいのではないかと思われますが、いかがでしょうか。

北九州市小倉南区空港北町も同様。

[68789] 2009 年 3 月 8 日 (日) 22:33:01 hmt さん
 「飛び地」の魅力 (5)隠れた飛び地

[68767]の末尾で、“大阪国際空港は、氷山の一角にすぎないのかもしれない”と書いたら、早速水面下に隠れた飛び地の実例に関するレスがありました。

[68778] EMMさん からは、金沢市の住宅地図地籍版の実例などにより、予想を越えて存在している「隠れ飛び地」の可能性を示していただきました。

[68783] Issie さんからは、習志野市誕生の直前に行なわれた総理府告示の但し書きにより、農地の所有関係から生じた飛び地の実例を示していただきました。
# 実は、“…所有する小作地”が如何なるものなのかを、農地法第2条第2項の定義(「小作地」とは、耕作の事業を行う者が所有権以外の権原に基いてその事業に供している農地をいう)にてらして理解することが、私にはよくできないのですが。

1970年代末までには両市の間で“領地交換”が何度も行われて,

習志野市例規集 行政区域の変更 にある 10件の境界変更告示のうち最初のものは千葉市への長作・天戸の“返還”。これと船橋市との境界に関する2件を除く7件(うち交換3件)が千葉市との間の飛び地処理でしょう。昭和46年が最後となっていますが、これで飛び地が解消したのかな?

水面下の飛び地を示唆する未確認情報が、5年前の落書き帳にもありました。
[23945] みやこ♂ さん
今度合併して佐野市になる葛生町,それの飛び地が「栃木市の向こう」にあるわけですが,これの中に実は栃木市の飛び地があって,さらにその中に一筆,葛生町があったような記憶があります。

出流山満願寺が下都賀郡(現・栃木市)ということで、その参道[39952]1本によって安蘇郡葛生町仙波(現・佐野市)の本体から切り離された飛び地。その中に二重・三重の飛び地があるという情報です。

然るべき役所へ行けば確認することができるでしょうが、このように、普通に流布している地図で公表されていない飛び地が、各地に存在する可能性はたしかにあります。

隠れた飛び地を詮索し始めたら、きりがないのかな?

[68879] 2009 年 3 月 19 日 (木) 16:25:40 hmt さん
 「飛び地」の魅力 (6)小規模飛び地の原因になった出作

ようやく果たした和歌山県上陸が本土でなく飛び地

[68877] 稲生 さんの怪記録を祝して(?)、飛び地スレッド(一部を表示) を再開します。

大阪国際空港ターミナルビル付近は 2県・3市の境界。ここに複雑に入り乱れた、多数の小さな飛び地が存在 [68767]
それは、どうやら転用された農地の残影らしく、同様の隠れ飛び地は他の県にもある(あった)らしいことも知りました。

話題の発端になった練馬区西大泉町の飛び地も、その大きさからいうと野菜畑1枚分くらいです。
練馬大根畑だったのかどうか知りませんが、ここが農地のままなら、周囲が片山村→新座町→新座市と移り変わっても話題の主になることはなかったでしょう。
ところが住宅地開発の波がこの付近にも押し寄せ、登記簿を確認した結果、この畑だけは練馬区であることがわかりました。“1974年発見”とか。

住宅が建ち人が住み始めると、学校やゴミ収集という生活面からも東京都民であるという意識が生じます。
“埼玉県かと思ったら、東京の学校へ通えるんだって。ラッキー!”てな感じだったのでしょうか。
これでは、練馬区が新座市に引き渡したいと考えても、なかなか実現しません。[68738]参照。
飛び地の問題は、単に地図(地籍図)上の問題ではなく、住民の有無を抜きに考えることはできないことを教えています。

農家が、住所と異なる市町村内に耕作地を持つことはよくあることで、出作地とも呼ばれるようです。
台地上の野菜農家も低地になにがしかの水田を持ち、水田地帯の村人も台地上に野菜畑を必要とします。
[44818]で紹介した絵図 飛び地がいっぱいの130年前 には、武蔵野台地の上福岡に点在する低地の村々の出作地が描かれていました。
これらの出作地は、福岡町→上福岡市に統合され、最後に大井町内に残った上福岡市南台飛び地も、ふじみ野市の誕生で消滅しました。[45344] 太白 さん

「出作」という地名もあります。ウオッちずで検索すると12件(うち10件は四国)。発音は「しゅっさく」「でづくり」「でさく」とまちまち。
松戸市役所新松戸支所の所管区域 には、“小金(字金切、出作)”と記され、「出作」という地名が関東にもあることがわかります。
「小金・出作」は約1ヘクタール余の面積で、流山市「木地区・区画整理事業」計画区域の中にあり松戸市の飛び地的な存在である。
松戸市政懇談会報告

上記新松戸支所の所管区域の次を見ると「小金飛地」。これは大字と思われますが、正面から「飛地」を名乗る地名もあるのですね。

そこで、またウオッちずで検索すると「飛地」は170件。但し大部分は「○○市飛地」のような表記であり、地名そのものではないようです。重複を除いても 106市町村。国内には、少なくともこれだけの数の飛び地が存在することを示しています。
唯一の地名らしい表記は「初富飛地」。所在地はまたもや松戸市で、地形図を表示させてみると八柱霊園付近ですが、「初富飛地」という注記を見出すことができません。火葬場付近にある串崎新田(本体は鎌ヶ谷市初富の近く)飛び地のことでしょうか?

最後に一言。
「出作」そのものではないかもしれせんが、農村集落と離れた場所にある使用収益目的の用地として、山林があります。
村の本体と離れた場所にある山林が飛び地になっている著名な事例が、長野県上伊那郡 南箕輪村 です。
地図の中央付近が飛び地の山林。木曽山脈(中央アルプス)の北端付近です。
伊那市の領域を隔てて 天竜川沿い伊那谷に位置する村の本体は、地図の右下に見えます。
飛び地面積20.1km2というから、本体の面積とほぼ同じですね。日本最大の無人飛び地のはずです。

[68989] 2009 年 3 月 23 日 (月) 15:23:49 hmt さん
 「飛び地」の魅力 (7)大規模飛び地を作る飛び地合併
hmt 相模国津久井県、神奈川県津久井郡

小規模飛び地ができた原因の代表として「出作」について記しました[68879]
農地の類例ですが、こちらは面積としては大きな、山林に由来する飛び地(南箕輪村)についても触れました。

実は、簡単な区域図により南箕輪村飛び地を見た時、すぐに頭に浮かんだのは、このような広い飛び地が生まれた原因になったのは、昔の「飛び地合併」ではなかったのか?ということでした。
しかし、調べてみたら、南箕輪村は明治22年の町村制施行時もそれ以後も合併がなく、120年間 純血主義を守る市町村 だったのでした。そもそも山の中の飛び地には、合併の対象になりそうな集落さえも存在しません。

南箕輪村の過去ログを見ると、純血についての記事はなかったものの、2004年に合併話ガあったのですね。
ここの飛び地が、その面積において、本体に匹敵する大きさであることは、[40246] 太白 さん の記事がありました。
面白かったのは、(もちろん本体の側にですが)南箕輪村に「日本の最高学府」が存在すること。[8346] Issie さん

南箕輪村の例(外れでしたが)が示すように、大規模飛び地を語る上で欠かせないのが「飛び地合併」です。

平成の大合併でも、いくつかの飛び地合併が行なわれ、短期間で消滅したものもあれば、現存しているものもあります。平成の合併には、過去にできていた飛び地の解消という作用もありました。
既に落書き帳の話題になったものも多々ありますが、主な飛び地合併を概観してみましょう。

まだ未完成のようですが、K2 飛地合併の一覧 には、この80年間に行なわれた42件の飛び地合併がリストアップされています。昭和戦前2件(現存1件)、昭和合併を中心とする戦後が23件(現存6件)、平成合併が17件(現存13件)でした。

本体と飛び地とが相互に入り組んだ複雑さという点で特筆に値するのは、2005年3月に実施された津軽半島の飛び地合併でした。
その前年の [29356] でるでる さん の発言
青森県の「五所川原市・金木町・市浦村」「中里町・小泊村」も、結構スゴイことになっております。
から、更にもう1件が加わっており、合併後の市町名でいうと、五所川原市 (飛び地になったのは、十三湖に面した市浦村)、外ヶ浜町 (龍飛崎のある三厩村)、中泊町 (日本海の漁村・小泊村)の3組です。M.K.さんの青森県図

次に、スケールの大きさという面から概観します。これも、町村の単位が既に大きくなっている平成の飛び地合併が主力になります。
面積が大きいのはさすがに北海道で、日高町飛び地(内陸の旧・日高町)が 564 km2、次いで 釧路市 (音別町) 401 km2、伊達市 (大滝村) 274 km2 と ベスト3を独占。

本州で現存する飛び地は、桐生市 (新里村・黒保根村) 137 km2 と 大垣市 (上石津町) 123 km2 が大きな所で、前者は本体とほぼ同面積、後者は本体よりも大きな飛び地です。2006年からの1年間だけで消えた 相模原市 (津久井町・相模湖町) 154 km2は更に大きく、これも本体 90 km2よりも大きな飛び地でした。
この津久井・相模湖飛び地は、人口(約39000人)でも最大級の飛び地だったと思います。

平成合併よりも前に存在した大きな飛び地というと、昭和30年に山口県都濃郡南陽町 (→新南陽市)の飛び地になった佐波郡和田村(41.09 km2)です。
戦時合併徳山市 から 分立[25065]した 富田町福川町 とが合併して 昭和28年に生まれていた 南陽町 本体側の面積は 17.44km2(2町面積1935年の合計)でしたが、臨海部の大規模な 工業地帯 造成により拡大しています。それでも飛び地は、新南陽市面積(2002年 64.26km2)の 64%を占めていました。
新南陽市本体と和田飛び地とを隔てていた徳山市とは 2003年に合併し、周南市が成立した結果、飛び地も解消しました。

飛び地と本体との距離も、北海道の日高町と釧路市の場合は、それぞれ 20km を超えています。参考までに、これらの合併よりも前の記事[24206]で、太白さんは、京都府久御山町飛び地を“日本で一番本体から離れた飛地(?)”と呼んでいました。

[69006] 2009 年 3 月 24 日 (火) 17:27:08【1】 hmt さん
 「飛び地」の魅力 (8)海続きの飛び地合併(桜島・須賀利・浦崎)

[68993] オーナー グリグリ さん 落書き帳アーカイブズ障害の原因判明

迅速な対応をしていただき、ありがとうございました。これにて [68989]でリンクした アーカイブズ“純血主義…”も復活。

[68997] Issie さん
南箕輪村の成立は「筑摩県」時代の 1875(明治8)年2月18日。
筑摩県は長野県に分割編入される前に中南信地域で近世以来の町村の整理を行っているのですね。
[69002] むっくん さん
この時期、筑摩県全域で大々的に合併が行われています。その嚆矢となったのは、…安曇村の成立…でした。明治7年9月のことです。

これも筑摩県だった木曽の読書村について、合併した與川・三留野・柿其3村の頭音からの合成であることを書きましたが、過去記事 [28294] を確認したら、明治7年を明治4年と誤記していたことに気が付きました。

主テーマとは関係はありませんが、この機会に訂正します。

飛び地に戻ります。
このシリーズ の冒頭で、私が「飛び地」の魅力として第一に挙げたのは「もの珍しさ」でした。

本来は地続きで一体になっていると思われる区域が離れ離れになっている希少性。
それを地図上で直感的に訴えているものは、その位置関係 トポロジーpdf であり、珍しい飛び地を生じた原因を理解させるものは、その土地の持つ歴史的ないきさつです。

海との位置関係に着目すると、地続きであるが隣接していない2つの陸地は、双方が内陸、内陸と沿海、双方が沿海の3種類に分類できます。
少なくと片方が内陸であれば、飛び地であることについての疑問はないのですが、(双方共に)沿海型の飛び地は、海上交通により直結しているという疑いを抱かれており、準飛び地などという呼び方をされる場合もあります。

確かに、鹿児島市の桜島地区は、フェリーにより本体と直結しているというのが、人文地理的な見方でしょう。
元々、桜島という名のとおり鹿児島湾内の「島」であり、「島」のままだったら飛び地とは別の扱いであり、たとえ鹿児島市と合併しても飛び地になることはなかったのでした。

ところが、大正噴火で流れ出した溶岩によって1914年に対岸の大隅半島、ひいては鹿児島市のある九州本土と、他の市町村を介して地続きになっているので、トポロジー的には飛び地と認定するのが適切ということになってしまいました。

桜島地区に、現実に鹿児島市の領域ができたのは、戦後、1950年に行なわれた鹿児島県東桜島村の 鹿児島市 への編入合併でした。この際の合併呼びかけに対して、鹿児島市から遠い側にある東桜島村(噴火の影響が大きく、財政も苦しい)は合併を歓迎したが、西桜島村(観光客が来る)は合併に反対したと伝えられています。

東桜島村は、鹿児島市から西桜島村(1973年から桜島町)を隔てているから「飛び地」であったようにも見えますが、そうではなく、大正溶岩で地続きの九州本土の一部であるからこそ、「飛び地」なのですね。
だから、平成になって桜島町も 鹿児島市 に編入され、(フェリー経由)鹿児島市内だけを通って本体と東桜島とが結ばれても飛び地解消にはならず、逆に西桜島までが「拡大した飛び地」になったのでした。

昭和大合併の時に、尾鷲市 誕生に参加した三重県北牟婁郡須賀利村。1982年の県道開通までは、尾鷲からの巡航船が唯一の交通手段という陸の孤島でした。海の熊野古道
これも本当の「島」でなく、「陸の孤島」だから「飛び地」なのですね。
この沿海型飛び地の落書き帳への登場は、十番勝負の想定解の一つという形でした。共通項は、“他の自治体により海岸線を分断されている市”で、その一類型としての分離型(すなわち飛び地)9市に含まれていました[61174]

少し遅れて、尾道市 に編入されたのが、広島県沼隈郡浦崎村です。
十番勝負出題よりも前に、過去ログ [7832][19039]がありました。
これは沼隈半島の西に突き出た岬の先端で、一見すると須賀利同じような形の飛び地に見えます。
浦崎は、陸続きの福山市松永にも道が通じているので「陸の孤島」ではありませんが、生活の実体から、「海続き」である尾道への合併を選択したのでしょう。

[69019] 2009 年 3 月 25 日 (水) 21:57:47 hmt さん
 「飛び地」の魅力 (9)まだ沿海飛び地 不思議な海岸もある

飛び地合併の実例として、[68989]では、三つ巴の津軽半島・平成と昭和の大規模飛び地を示しました。
続く[69006]では、飛び地を陸型と沿海型とに分け、沿海型のうち海続きの関係を優先した飛び地合併になった3件を示しました。

面積第2位の釧路市音別や、津軽半島の外ヶ浜町三厩の飛び地(いずれも[68989])も、トポロジー的には鹿児島市桜島・尾鷲市須賀利・尾道市浦崎と同じ沿海型です。

オーナー グリグリさん [67224]
私には、釧路市と、尾鷲市、尾道市、鹿児島市(桜島)などのケースを区別するのが気持ち悪い
という発言は、このことを指していると思われますが、人文地理的には少々情況が異なります。
釧路市飛び地と本体とを結びつけているのは、白糠町を通る陸上交通が主体であり、海続きの隣接関係はありません。
前記海続きのグループ3例に比べて、他の市町村経由の交通に頼るこちらの方が、飛び地度?は高いのかもしれません。

同類に入れてよさそうなのが、奄美市 の笠利飛び地です。
ペーロケ さんが 名瀬市を「日本のパナマ」[24153] として挙げた後 笠利町との飛び地合併があり、龍郷町の領域で分断されている現在の奄美市の姿は、運河地帯の米国租借地により南北に分断されていた 1999年までのパナマ共和国の姿に、ますます似てきました。

オーナー グリグリさんは、十番勝負解説[61174] の中で、“奄美市 一体型”と記しています。
旧・名瀬市部分だけでも一体型として該当するのですが、笠利の存在を考慮すれば分離型でもあります。

奄美市笠利は奄美空港の所在地でもあります。笠利と名瀬との間は国道58号で結ばれ、役チャンさんの 訪問記[58906] にあるようにバスが通じています。漁港はあるが、名瀬港との間の定期船はないでしょう。沿海飛び地ですが、龍郷町経由で行き来する飛び地であり、海続きの隣接関係はないと思われます。

「沿海」という言葉に、特別な意味が込められているように思われる飛び地は、広島市安芸区矢野地区です。

広島県安芸郡矢野町が 広島市 に編入されたのは 1975年でした。
坂町の沿革 の“昭和59年1月 海田湾埋立工事完成 <北新地と命名>”という記載を参照すると、1975年(昭和50年)当時は、瀬野川が広島湾に注ぐあたりの海域(海田湾)には、まだ埋立地が出現していなかったと思われます。
編入された矢野町は、呉線矢野駅の北西に数百mの海岸線を持ち、広島市の沿海飛び地になったと推定されます。

現在の地図 に示された境界線は、これまた不思議な形です。
海田湾には安芸郡坂町北新地と広島県安芸区矢野新町、そして一部は安芸郡海田町に属する埋立地ができています。海田大橋取付道路の北に沿って、100×800m程度の大きさの細長い沿岸地が、広島市安芸区矢野新町2丁目として記されています。

[4119] 夜鳴き寿司屋 さん は、この飛び地に注目し、
おそらく以前の公有海域の区割りどうりに町割りを決めた為だとおもいます。
と記していました。なお、当時のYahoo!地図やMapionでは南区月見町になっていたようですが、安芸区矢野新町2丁目の間違い([4121] ゆう さん)だったようで、現在は修正されています。

私が想像するに、1km弱という長さは埋立前に存在した矢野町の海岸とほぼ同じであり、その沿岸権(そんなものがあるかどうか知りませんが)を引継いで、北西の埋立地の海岸に移動したような印象を受けます。

私が矢野地区をここに記したのは、合併当時の海岸を引き継いだ広島市の沿海型飛び地であると見たからなのですが、[4119] にリンクされた海田大橋入口交差点付近のYahoo!地図を見ると、境界線が少し食い違っています。
厳密に言えば、矢野地区の本体は内陸飛び地になっており、別にごく小さな沿海型飛び地があるのかもしれません。

佐世保市 小佐々[67233]も、判定がいささか微妙な沿海飛び地合併です。
佐世保市本体と旧・小佐々町とは、北松浦郡佐々町小浦免で隔てられていると思われます。
しかし、小浦免と小佐々の間は海なんでしょうか?
地図には 佐々浦 と書いてあり、佐々川の延長のような細長い水面にポインタを置いても地名が出ないことは「海」であることを支持しているようです。
境界線が書き入れてある点に注目すれば、普通の海と違う内水面のようでもあり、もしも、南に突き出した佐々町境界線の先で、佐世保市本体と小佐々とが内水面で隣接しているのであれば、飛び地でなくなるかもしれません。

佐々町[69017] の佐世保市への合併が実現すれば、この飛び地は消滅します。

[69023] 2009 年 3 月 26 日 (木) 14:01:25【1】 hmt さん
 「飛び地」の魅力 (10)過去帳入りした沿海飛び地

飛び地合併で生れた沿海型飛び地のうち、現存するものは、海続きの桜島・須賀利・浦崎 [69006]と 前回(音別・三厩・笠利・矢野・小佐々)[69019] の5ヶ所とを合せた8ヶ所です。

一応、グリグリさんの十番勝負解説[61174]で分離型として挙げられた9市を、この8ヶ所と対比しておきます。
釧路市、尾鷲市、広島市、尾道市、佐世保市、鹿児島市は一致。静岡市蒲原は、2008年の由比町編入で飛び地状態解消。

残る2市のうちの土佐市。リアス式海岸の浦ノ内湾(横浪三里)周辺の地域は、大部分が浦ノ内村(現・須崎市)でしたが、東端だけは宇佐村(現・土佐市)で、横浪半島(浦ノ内半島)先端の土佐市宇佐町竜は、町村制施行の1889年から存在した宇佐村の飛び地でした。従って、その後の飛び地合併には該当しませんが、飛び地のタイプとしては、桜島型の海続きでした(現在は架橋済み)。
天草上島の棚底湾対岸にある天草市(旧・倉岳町)の飛び地には、人家はなさそうです。何らかの経済的理由?

逆に沿海型飛び地合併現存組のうち十番勝負の分離型9市に入っていなかったのは、「市」でない三厩と、一体型とされていた奄美市笠利でした。

平成合併では、現存する三厩(外ヶ浜町)、音別(釧路市)、笠利(奄美市)、小佐々(佐世保市)【他に桜島が拡大】だけでなく、更に2件の沿海飛び地合併がありました。
一旦は沿海飛び地が形成されたが、その後の合併で飛び地状態は解消し、過去帳入った2件を列挙。

旧・新潟県西蒲原郡岩室村 2005年3月 新潟市 の沿海飛び地になったが、同年10月 巻町編入で飛び地状態解消
旧・静岡県庵原郡蒲原町 2006年 静岡市 の沿海飛び地になったが、2008年 由比町編入で飛び地状態解消

次に、昭和に生まれた沿海型飛び地が、平成合併で解消した出水市の事例を紹介します。

1954年、鹿児島県出水郡米ノ津町が出水町と合併して 出水市 になりましたが、米ノ津町には高尾野町を隔てた西側に飛び地(荘地区)があったので、この区域に関しては飛び地合併の形になりました。
その5年後、高尾野町 は江内村と合併するのですが、両者はこの出水市荘地区と野田村とによって隔てられており、これも沿海型飛び地合併でした。

2組の飛び地合併の結果、出水市と高尾野町との領域が入り乱れ、平成合併で生じた津軽半島飛び地模様[68989]のミニ版という情況を呈していましたが、2006年3月の合併 で、出水市荘・高尾野町江内という2つの飛び地状態は解消しました。
【追記】
この2件の飛び地については、[40211] 作々 さんの記事がありました。

もっと古い沿海型飛び地もあります。一応列挙しておきます。

旧・三重県三重郡塩浜村 1930年 四日市市 の沿海飛び地になったが、1941年 日永村編入で飛び地状態解消
旧・和歌山県西牟婁郡南富田村 1955年 白浜町 の沿海飛び地になったが、1958年 田辺市の一部(旧西富田村)編入で飛び地状態解消
旧・宮城県牡鹿郡荻浜村 1955年 石巻市 の沿海飛び地になったが、1959年 渡波町編入で飛び地状態解消
旧・山口県熊毛郡阿月村 1956年7月 柳井市 の沿海飛び地になったが、僅か2ヶ月後には 伊保庄村編入で飛び地状態解消

最後の事例に関連して、現在の地図で柳井市の市域を見ると、本体の市街地から室津半島の東側を南に伸びて、更に海を越えた平郡島に至ります。地図だけ見れば、いかにも柳井市域は南へと伸びていった感じです。

しかし、実際の編入経過を見ると、海を隔てた大島郡平郡村が1954年。2年後の半島部も、上記のように先端の阿月村が先で本体に近い伊保庄村が後となっています。
柳井と元々同じ郡であり、柳井港の東に連なる大畠となると更に後で、平成の新設合併により 2005年に柳井市になりました。
桜島が鹿児島市になったのが、遠い側の東が先で、近い西が54年後であった事情と、共通するものを感じます。

[69038] 2009 年 3 月 28 日 (土) 15:34:46【1】 hmt さん
 「飛び地」の魅力 (11)本体とは何か? 分体の飛び地も考えたい

飛び地のことを長々と記しながら、私は飛び地の定義には触れずにきました。
トポロジーでは、2つの領域の相対的な位置関係を対象とするにしても、人文地理的な用語の「飛び地」は「本体」と対比され、主従関係にある使われ方がされています。

では、「本体」とは何か?
過去記事を見ると、市役所・町村役場などのある地域を指すのが主流になっているようですが、 [11959][41297]等で指摘されているように、便宜上から村外に設置されることもある役場[19799]を基準にすることは、適切とは思われません。
「本体」とは、主たる居住地のある地域ぐらいでいかがでしょうか? 簡単に言えば、人口の多い方が本体。

ところが、前回[69023]ちょっとだけ登場した天草市倉岳町(天草上島)の、 棚底湾対岸 に関して、次のようなやりとりがありました。

【以下引用】
[67253] ペーロケ さん
【香川県と高知県と淡路島とからなる白桃国で南あわじ市が首都だとしても、香川地域も高知地域も】
飛び地にしていいと思います。現に[60435]般若堂そんぴんさんご指摘のここ、誰がどう見たって飛び地ですね。

[67256] N-H さん
いや、グリグリさんの定義からすると、これは飛び地ではないということになりますね(役所のある本体とは陸続きでないから)。
【引用者注: グリグリさんの定義[67237]は、“陸続きでない場合は海または内水面(湖沼)を通ってもよいが、それでも他の自治体を通らないと到達できないもの”となっており、市役所のある天草下島からならば、海を通って到達できる。】

[67257] ペーロケ さん
グリグリさん理論では
あくまでも位相幾何学的に連続するかどうかだと思います。
が重要ということなので、陸続きの領域がある場合は、海を飛び越えるのではなく、陸続きで移動する方が優先され、その際に別の自治体を通らないといけない、という意図だろうと思います。それを、役所が別の島(すなわち、本体じゃない)の領域にも拡大解釈したわけですが、グリグリさんは本体が云々ということはおっしゃっていませんよね?
そもそも、本体っていう概念もあまりシックリ来ません。(以下略)
【引用終】

この議論、直感的には飛び地肯定説に傾くのですが、天草市の本体は(市役所基準でも人口基準でも)天草下島ですから、こちらからの視点ならば、否定説に軍配が上がります。
つまり、問題の地域は、倉岳町など天草上島内の地域から見れば飛び地ですが、天草市の本体である天草下島内の地域からは飛び地でないということなのですね。

“(天草市の)本体に対する飛び地”という筋を通せば後者になるが、地理的に近接した前者を無視した考えには納得せず。
つまり、“倉岳町など天草上島内の地域に対する飛び地”という概念を取り入れる必要があると思います。

天草市のように、陸続きでない複数の地域からなる領域を、仮に「本体」と「分体」という言葉で区別すれば、問題の地域は、“分体の飛び地”ということになります。問題の地域も小さいながら分体ですから、正確に言えば、“(天草市の)主たる分体(であるところの天草上島地域)の飛び地”ということになるでしょう。

陸続きでない複数の地域が一つの領域を構成するのは、極めてありふれたことです。
日本そのもが島国だから、当然これに該当します。本州が本体であり、北海道・九州・四国などの主要な分体があります。分体のうち、小さなものは離島と呼ばれています。

[11853] 太白 さんが例示したデンマークは、コペンハーゲンがあるシェラン島が本体ですが、本体よりも面積が大きい分体であるユトランド半島は、大陸の一部です。両者の間にはフュン島(古都オーデンセ所在地)があり、これも主要な分体です。もちろん面積最大の分体はグリーンランドです。

大陸にある島国の分体として赤道ギニアも例示されていますが、歴史上の顕著な事例として、イギリスがありました。
1066年、イングランドを征服して王朝を開いたのはノルマンディー公。英語読みの名はウィリアム1世。
イギリスの本体はグレートブリテン島ですが、1180年の図(百年戦争 背景) を見ると、イギリス王家は、ノルマンディー地方だけでなく、フランスの大半に及ぶ巨大な分体を領有していたことがわかります。

急にスケールが小さくなりますが、長崎県平戸市も、本体が島にあり、分体の田平町が九州本土にあります。

上記やりとりの中で、[67257] ペーロケ さん (以下略)と書いた部分
仮に平戸市が波佐見町を編入した場合は、波佐見町域が飛び地になるんでしょうが、佐々町だったら飛び地じゃなくなるのも変ですね。

この場合、佐々町は、九州本土の分体に対しては飛び地になりますが、平戸市本体の飛び地ではありません。
内陸の波佐見町は、平戸市本体に対しても飛び地になります。

【追記】「棚底」という地名について
本文で“棚底湾対岸”と書きましたが、リンクしたMapionも、ウオッちずも“柵底湾”と記載しています。
しかし、25000分の1地形図の図名は「棚底」(たなそこ)であり、棚底開拓地、棚底川などの表記もあるので、棚底湾が正しいものと推測しました。

[69048] 2009 年 3 月 29 日 (日) 12:52:18【1】 hmt さん
 「飛び地」の魅力 (12)内陸型飛び地・川崎市麻生区岡上

[69040] Issie さん
ノルマン朝は当然にイングランドの王家ではありましたが,大陸,つまりフランスではあくまでも「フランス王」であるカペー朝の歴代王の“家臣”でありました。

琉球王国を征服した島津家が、日本では徳川家に臣従していたようなもの? 
あちらさんは本拠地をイギリスに移したのに、こちらではあくまでも薩摩が本体という点は大きな違いですが。

ジョン・バ・イッシー

飛び地の話題からウィリアム征服王、ジョン失地王を経て Issie さんと「ご同名」の王様の話になるとは、意外な展開。
雑談の醍醐味ですね。

本筋の飛び地。
「飛び地」には、本体に対する飛び地だけでなく、天草上島の例で見たような「分体の飛び地」もあることがわかりました[69038]
これまで、飛び地に対する「親」の地域を本体と呼んできましたが、自治体の中で人口最大の地域でない分体についても、飛び地の存在を認めることにしたいので、飛び地域に対する本地域という意味で、「本域」と改めます。

「親」の地域である本域との関係に注目すると、飛び地は、以下の3分類に改めた方が適切と思われます。

内陸型 = 飛び地が内陸であるもの。本域は内陸・沿海の区別不問。
市浦(しうら)型 = 飛び地は沿海で、本域は内陸のもの。
沿海型 = 飛び地と本域の双方が沿海であるもの。

2番目の命名は異質ですが、五所川原市 市浦にちなんだものです。さしあたり思いつく類例としては、隣接した 中泊町 小泊がある程度です。共に2005年津軽半島で誕生。

内陸型飛び地に入ります。
そのトップスターとして挙げたいのは、川崎市麻生区の 岡上 です。過去記事
これは、昭和14年に行なわれた横浜市第6次(17町村編入)・川崎市第6次(2村編入)の市域拡張の際に行なわれた、都筑郡岡上村の 川崎市 への飛び地合併で生まれたものでした。

【追記】
むじながいり さん の パラパラ地図神奈川県 をリンクしました。
第6次市域拡張のあった1939/04/01と、その直前(1938/10/01)とを対比してください。

改正新旧対照市町村一覧(1913) で岡上村を見ると、役場は 柿生 と記されています。
現在は「おかがみ」と呼んでいるようですが、「ヲカノボリ」というフリガナが付いていました。

岡上村が 柿生村とのペア を組んだことは、既に [817]Issieさん によって紹介されています。
明治22年の町村制で組合役場を作った鶴川(鶴見川)流域の都筑郡柿生・岡上の2村ですが、間にある南多摩郡鶴川村(能ヶ谷、三輪)の領域により隔てられた「飛び地組合」でした。
現在の飛び地の淵源は、都筑郡の間に南多摩郡が入り込んでいた行政区画にありました。

もっと遡れば、江戸時代初期には多摩郡だったらしい岡上村が、都筑郡に移ったのが遠因だそうで[68630]

南多摩郡鶴川村の前身である小野路村や野津田村のことは、[33902]で書いたことがあります。
鶴川村になって4年後の明治26年には 東京府に移管され[33700]、岡上村から 役場のある柿生村に行くには 東京府経由ということになってしまいました。
# 東京府になって2年後の1895年、鶴川村の小島鹿之助(近藤勇の後援者で義兄弟)に孫娘が生まれました。私の母です。大昔のことを書いているようでも、私にとっては、ある程度は身近に感じることのできる時代と地域なのでした。

この地域は、かつて「禅寺丸」という小さな甘柿の産地でした。柿生という村名は、これに由来。現在は小田急の駅名。
子供の頃はよく食べたものですが、もっと見栄えの良い大きな柿が市場に出回っている現在、禅寺丸を口にする機会はなくなりました。

飛び地の岡上村に話を戻すと、1939年の横浜・川崎の市域拡張の際に、低い分水嶺を介して背中合わせ(こちらは鶴見川支流の恩田川流域)の田奈村[34657]と共に横浜市に合併すれば飛び地が解消したのでしょうが、組合役場時代の飛び地状態を維持したまま、川崎市への合併という結果になったのですね。

本域の川崎市は、もちろん沿海ですが、岡上飛び地の淵源は柿生組合村の飛び地であり、本域側が 1939年に大きな川崎市の一部となって海に面したことが、岡上飛び地に影響を及ぼすこともありません。
今回改めた分類で、「内陸型」の本域につき それが内陸であるか沿海であるかの区別を不問 にしたのは、このような理由によるものです。

[69112] 2009 年 4 月 3 日 (金) 17:01:15 hmt さん
 「飛び地」の魅力 (13)内陸型飛び地合併 現存は昭和生まれ3件、平成生まれ8件

飛び地合併 から、なかなか卒業できないでいます。

内陸型飛び地の一つの代表例である和歌山県東牟婁郡北山村は、このシリーズの最初[68737]に登場させました。
明治4年以来の和歌山県飛び地にあった5村が、明治22年の町村制施行の際に合併して北山村になったものです。
これは「飛び地内での合併」ですが、普通の意味の「飛び地合併」 = 飛び地状態を形成する合併 ではありません。

戦前の 川崎市岡上に続き、戦後の合併から 内陸型飛び地合併の事例を拾います。最初は現存のもの。

岡上の記事[69048] に、むじながいり さん の パラパラ地図のリンクを追記してみたところ、廃置分合のあった日付とその直前とを比較することで、飛び地が誕生・消滅する状況の理解に役立つ有用さが実感できました。以下の記事でも、この手法を踏襲することにし、都道府県名をクリックするとパラパラ地図が出るようにしました。

和歌山県 1956/09/30 東牟婁郡玉置口村が合併で熊野川町の飛び地になる
この地は、1889年町村制施行の際から存在した和歌山県飛び地でしたが、明治合併はなく、飛び地合併に該当するのは、上記の昭和合併でした。平成合併(2005/10/01)では 新宮市の飛び地になり、本体は内陸から沿海自治体になりました。

新潟県 1956/09/30(パラパラ地図未集録) 刈羽郡中通村の一部(油田と黒川)が刈羽村に編入
油田 (あぶらでん)とは珍しい地名ですが、18世紀に石油の採掘が行なわれたとか。この地が所属していた中通村は、1956年に 概ね北部が刈羽村、中部が柏崎市、南部が北条村と3分割編入されたのですが、小黒須が柏崎市に入ったので、刈羽村に飛び地ができてしまったのでした。
「刈羽村飛び地」と書きましたが、実は刈羽村の本域(本体)こそが 周囲をすべて 柏崎市に取り囲まれ、「飛び地」のような姿を地図上で見せています。

平成の内陸型飛び地合併で現存するものは次の8ヶ所です。
北海道 は2件
2006/03/01 有珠郡大滝村を伊達市 に編入 [68989] で既出 面積は飛び地の方が大きい
2006/03/01 沙流郡日高町が門別町と合併 [68989] で既出 新町名は「日高町」だが、人口が圧倒的に多く町役場もある旧・門別町が「本域」 面積は飛び地の方が少し大きい

群馬県 も2件
2005/06/13 勢多郡新里村・黒保根村を桐生市に編入 大きな飛び地 [68989] で既出
2006/01/23 多野郡新町が高崎市に編入され飛び地となる。

岐阜県 は3件
2005/05/01 可児郡兼山町(小さいので地図では k と表示されている)を可児市に編入[40166]
2006/03/27 養老郡上石津町を大垣市に編入 旧・大垣市の西側にできた本域より大きい飛び地 [68989]で既出
岐阜県 2006/03/27 安八郡墨俣町 上記と同時の大垣市編入 東側の飛び地 パラパラ地図では小さすぎて無印
なお、上記大垣市関連の合併は、法定協議会設置から合併調印までが、記録的短期間とのこと[38633]

徳島県 2006/03/01 三好郡三野町が合併による三好市:の飛地となる

[69134] 2009 年 4 月 5 日 (日) 13:08:24 hmt さん
 「飛び地」の魅力 (14)内陸型飛び地合併 既に消滅した事例

平成に行なわれた内陸型飛び地合併は 10件ありました。
このうち、8ヶ所は存続中[69112]ですが、2ヶ所は既に消滅しました。
2006〜2007年にかけては、昭和合併で生まれた弘前市の東目屋を含めて3件の飛び地状態が解消しています[49975]

群馬県 2006/01/23 群馬郡倉渕村は多野郡新町と共に高崎市に編入され、別の飛び地になったが、同年10月 榛名町編入で、こちらの飛び地状態は解消。

# 飛び地とは無関係ですが、“倉淵村”から俗字の“倉渕村”への 改称 は10年前の 1996年。

神奈川県 2006/03/20 津久井郡津久井町・相模湖町が相模原市に編入され、大きな飛び地になったが、2007/03/11城山町編入で飛び地状態解消。 [68989] で既出

年代が逆になりましたが、昭和に形成され、既に消滅している内陸型飛び地も列挙します。

最初は、これまでに出てきたストレートな飛び地合併とは少し違う経過で、飛び地が形成された事例です。
埼玉県
1940/04/01 北足立郡新郷村は、鳩ヶ谷町等と共に戦時合併で川口市に編入されました。ところが、1950年11月に 鳩ヶ谷町の分立 [55648] があり、旧新郷村の地域は、飛び地として川口市に残されました。
1956/04/01の安行村編入により解消するまで、飛び地状態が続きました。

青森県
1955年には、内陸型飛び地ができたり消えたりする6件の廃置分合があり、平成になってからも2005年に(沿海ですが)津軽半島で3件の飛び地合併があるなど、パラパラ地図の上で、最も飛び地の出入りがにぎやかな県です。

1955/01/01 東津軽郡東岳村を青森市に飛び地編入 2週間後(1955/01/15)の浜館村編入で消滅

本筋から少し外れますが、浜館村と同時に青森市に編入された 荒川村 にも飛び地がありました。
…というか、1955/01/01には、荒川村は その本域が周囲を青森市に完全に囲まれた 飛び地状態であり、その南の八甲田山西側に荒川村の飛び地があったのです。
口で説明するよりも、リンクしてあるパラパラ地図青森県を1954/12/15から1955/01/15へと2段階で動かしてみれば、青森市が 一旦は荒川村本域を取り囲んだ後で すべてを統合し、青森市東岳と荒川村八甲田山の飛び地が消滅していった姿が一目瞭然です。

荒川村の八甲田山飛び地は 町村制施行の1889年から存在しており、飛び地合併によるものではありません。
混浴のヒバ千人風呂 で知られる酸ヶ湯温泉がある国有林です。
長野県上伊那郡南箕輪村[68989] のような無人ではありませんが、その性格は、おそらく南箕輪村と同様の山林飛び地でしょう。

青森県のパラパラ地図を更に進めます。
1955/03/01 中津軽郡東目屋村を弘前市に編入(平成の 2006/02/27 まで飛び地状態)
1955/07/01 三戸郡浅田村が五戸町と飛び地合併
1955/07/29 この飛地に更に野沢村の一部を編入
1955/10/19 豊崎村の一部を編入して五戸町の飛び地解消

おまけ:平成の津軽半島飛び地合併3件 いずれも現存、[68989]で既出
2005/3/28 五所川原市が北津軽郡市浦村と合併(市浦型)、北津軽郡中里町と小泊村とが合併して中泊町(市浦型)、東津軽郡三厩村と蟹田町平舘村との合併(沿海型)
2006/02/27 中津軽郡岩木町・相馬村を含む合併で弘前市の東目屋飛び地解消

福島県 は2件
1955/03/31 信夫郡荒井村・土湯村を福島市に編入 1956/09/30 佐倉村編入で飛び地解消
1955/07/20 南会津郡明和村が只見村と合併 1959/08/01 朝日村編入で飛び地解消、同日只見町

茨城県 
1954/03/14 結城郡山川村を結城町に編入 翌日の市制に際して上山川村を編入したので、飛び地状態は1日だけで解消

長野県 1956/09/30 下伊那郡座光寺村が飯田市と合併 1993/07/01 上郷町編入で飛び地解消

三重県 は2件
1955/03/15 一志郡宇気郷村の一部を松阪市に編入 半月後(1955/04/01) 飯南郡4村編入で飛び地解消
1955/03/21 一志郡米ノ庄村が天白村・鵲村・小野江村と合併して誕生した三雲村 松ヶ崎村が合併から脱落(松阪市へ合併先変更)したため、南側の米ノ庄は北側の3村と分断 2005/01/01 松阪市との合併で飛び地状態は解消

奈良県 1956/09/30 磯城郡上之郷村年を桜井市に編入 1959/02/23 初瀬町編入で飛び地解消

山口県 
1955/11/01 佐波郡和田村を南陽町に編入 2003/04/21 周南市への合併で飛び地解消 大きな飛び地 [68989] で既出

徳島県 1955/01/01 名西郡入田村の一部を徳島市に編入 翌月(1955/2/11)上八万村編入で飛び地解消

沖縄県 1954/09/01 首里市を那覇市に編入 1957/12/7 真和志市編入により飛び地状態解消

[69147] 2009 年 4 月 6 日 (月) 17:05:21 hmt さん
 「飛び地」の魅力 (15)都道府県境をまたがる飛び地

飛び地合併は、面積の大きな飛び地が生まれる原因になるということもあり、避けることのできない話題でした。しかし、一度ここに足を踏み込んだら材料が多すぎて、沿海型・内陸型にそれぞれ3回も費やしてしまいました。

ここらで、シリーズの最初に持ち出した、都道府県境をまたがる飛び地に戻りましょう。
「自治体の飛び地」コレクション の冒頭には、7都県12ヶ所が示されています。

北山村については[68737]で言及しましたが、旧・玉置口村については、“同様な飛び地の村”と記述しただけでした。
現在は新宮市熊野川町になっているこの和歌山県飛び地、正確に言えば玉置口と嶋津との2地域とからなり、しかも両者を結ぶ道路はありません。つまり、新宮市熊野川町嶋津は、三重県と奈良県の間にある和歌山県旧・玉置口村飛び地の中で、交通上は「事実上の飛び地」になっています。
そして、この旧・玉置口村飛び地が存在するために、新宮市熊野川町の本体とを隔てる奈良県吉野郡十津川村大字竹筒は、これまた奈良県の道路と結ばれていない事実上の飛び地です。

大阪国際空港のような小規模の飛び地は、また異なる性格の飛び地であり、出作などと呼ばれる住所と異なる村に存在した農地の残影と考えられます。関係記事

話題の発端となった練馬区西大泉町だけでなく、たまたま県境越えのために珍品的存在になってしまった下記の飛び地も同類と言えるでしょう。

埼玉県深谷市横瀬。
本来ならどうということもない農村です。さまざまに流れを変えてきた利根川は、過去のある時期にこの地域の南側を流れ、そこが武蔵国と上野国の境界として固定され、埼玉・群馬県境に引継ぎされたのでしょう。
かくして、現在は利根川堤防の南側ではあるが 群馬県(境町→伊勢崎市)の中にある 約2haの埼玉県飛び地が誕生しました。
航空写真で見ると、北西部には人家がありますが、横瀬地区の本体とも近いので、行政上はここが深谷市の飛び地に属していても不自由を感じることは全くないと思われます。
むしろ、飛び地の周囲・伊勢崎市境島村地区[64362]の方が(上武大橋はあるものの)利根川によって本体と隔てられた事実上の飛び地状態です。

栃木県足利市飛地2ヶ所。
現在は区画整理された群馬県邑楽町の耕地の一部。面積も合計0.3ha程度の微小。もちろん無人。土地台帳上は確かに存在するのでしょうが、このような飛び地を論じても、あまり実益がないように思われます。

茨城県結城市大字結城12389番地
結城ガーデンという料亭です。コレクション未集録。本体との距離は50mほど。5桁の番地 の仲間入り。

東京都稲城市飛び地
かつては、威光寺(神奈川県南多摩郡稲城村)の山林の一部が、尾根の東側の橘樹郡稲田村菅に張り出していたのでしょう。三多摩移管の折には、尾根道から東が神奈川県に残ったので、山林の先端部だけが所有者である威光寺の所属する東京府稲城村の飛び地になりました。…と、こんなシナリオを想像することができます。
1962年に売却され、よみうりランドがオープンしたのが 1964年。現在飛び地にある東京読売巨人軍屋内野球練習場ができたのは 1984年と、[40191] ちゃっきー さんが伝えています。僅かに道1本の幅だけを隔てた飛び地です。航空写真

相模原市宮下本町1丁目47番および48番の飛地 [40118] N-H さん
地図中で2箇所の飛地があるのがわかります。
と記されているのですが、現状の地図 では、それらしき姿を確認することができません。
境川沿いの町田市と相模原市の間では、境界変更[65716][68691]が少しずつ進行しているようなので、4年の間にこの都県境飛び地は消滅したのでしょうか?

熊本県荒尾市原万田と元井手
西大泉町以外の小規模飛び地で、普通の住宅がありそうなのは、熊本県と埼玉県のケースでした。
特に荒尾市原万田は、航空写真で見る限り西大泉町とよく似た環境のようです。
リンクされた「荒尾市の飛地について」 によると、飛び地は分水の代償として得た土地とか。
以前に [31672]水利権がらみの境界 という記事を書いたことがありましたが、ここにもその実例がありました。

[69177] 2009 年 4 月 11 日 (土) 21:40:40 hmt さん
 「飛び地」の魅力 (16)島と飛び地

飛び地を語る上で、「島」すなわち水面で隔てられた地域をどのように取り扱うかは、議論のあるところでしょう。

大阪市の「本体」は 市役所のある「中之島」であり、川を隔てた地域はすべて飛び地。
これは極端な話としても、モントリオールのような大きな川中島になると、そのような解釈もあり…という気がしてきます。

水面にも河川・湖沼・海の区別があり、河川は陸続きと見ることにしても、海の島はどうか。
「自治体の飛び地」コレクション には、佐世保市宇久町が集録されています。佐世保市の本体との間には平戸市が存在し、宇久町を佐世保市の飛び地としたい気持ちは、ビジュアル的には理解できないこともありません。

でも、佐世保市宇久町は、桜島や須賀利のような「本体と地続き」の沿海型飛び地 [69006] ではなく、普通に取り扱われているように、離島という解釈でよいのではないでしょうか。

太白さん が2007年9月当時に記されていたコレクション対象の飛び地は次の通りでした。
(1)他の自治体に完全に囲まれているもの、または、
(2)他の自治体と水域に囲まれており、本体と結んだ直線上に他の自治体が挟まっているもの

これを引用した [61174] オーナー グリグリ さんからの疑問に対する太白さん の回答 [67200] によると、上記の(2)は、意外にも「島」を意識したものではなく、釧路市音別のような沿海型飛び地を対象とした基準であるとのこと。

どうも「水域のみ」に囲まれた佐世保市宇久町を飛び地に入れたのは単純エラーだったような気もするし、その後で直線要件も放棄されている [67241] ので、宇久島問題を追求するのは適切でなかったようです。

しかし、東京都本体との間に神奈川県が介在する伊豆大島(ビジュアル的には宇久島と類似する位置関係)については、私も前から気になっていました。

少し違う見方ですが、既に [30599] N-H さんは、水面をはさんだ横須賀市と富津市との隣接、ひいては東京湾アクアラインによる川崎市と木更津市との隣接可能性から、
伊豆諸島は東京都から見て飛び地になるのか?
という問題提起をしています。

放棄された直線見通し要件を持ち出すと、観音崎と富津岬の間をすり抜ける直線は、東京都の本体と三宅島とを結ぶ?
ちょっと無理かもしれませんが、仮にこれが成立したら、他の伊豆諸島は全部飛び地なのに、三宅島だけは東京都本体からの見通しがきくので飛び地でないなんて議論になるかもしれません。…妄想ですが。


普通の意味の飛び地とはちょっと違いますが、私が「飛び地の島」という言葉から連想するのはチャンネル諸島です。
呼び名のとおりイギリス海峡の島々で、ごく近接したフランスでは、アングロ・ノルマンディー諸島と呼ぶそうです。
1204年にジョン失地王[69040]がノルマンディーの領地を失った後も、ここはイングランド王の領地として残り、現在に至るも連合王国に属しない英国女王の私有地になっています。
フランスが 何度も奪おうとしては失敗。ナポレオンにも 不可能 だったこの地の占領を実現させたのはナチスドイツ。

…というわけで、イギリスに本体があるわけではなく、境界線に基づく飛び地の因子もないのですが、地図上はフランス本土の湾内に「飛び込んだ」イギリスの島に見えるのでした。

代表的な島はジャージー島。メリヤス編みの衣類をジャージーと呼ぶのは、島の漁師(ノルマン系フランス人)の作業服から。
脂肪分の多いミルクを出す乳牛ジャージー種の原産地。アメリカのニュージャージーは、英国総督の出身地だったから。

[69226] 2009 年 4 月 14 日 (火) 13:06:55【1】 hmt さん
 「飛び地」の魅力 (17)飛び地とは 陸上境界により 本域から隔離された地域

落書き帳における活発な議論の記録、飛び地の定義 です。
2005年までの記事の多くはアーカイブズに集録されていますが、少し補足し、2007年以降にまた盛り上がった分を付け加えました。

ビジュアル的には、平戸市によって佐世保市の本体から隔てられているように見える宇久島。
しかし、佐世保と宇久島をトポロジー的に隔てるものは、平戸市との境界線ではなく 海 です。
海 により隔てられた宇久島は、「飛び地」とは別の 離島 として扱えばよいのではという趣旨の発言をしました [69177]

飛地定義論から 海 を排除することについては、[12090] ken さん の発言があります。
飛び地論は、陸上だけで完結させたいもんですが、どうなんですかね。(中略)
海を挟んで、飛び地と言われると、どうも、対象が多すぎて、飛び地の珍しさ、地図上の不思議さ、が感じられず、何より、「飛び地の魅力」という視点から見ると、海を絡めると、私には飛び地の魅力半減、です。

「飛び地」の魅力 シリーズの冒頭で、“第一に挙げたいのは「もの珍しさ」です” [68737] と宣言した hmt としては、この主張に同調したいところなのですが、その後の議論を見ると、そうともいえないようです。

仮定の話ですが、平戸市が波佐見町を編入した場合 [67257] や、北海道と奈良県が同じ自治体だった場合 [67233] のように、一方が完全に内陸の場合には、別の島にある飛び地が成立することを認めたいと思います。
棚底湾対岸にある“天草市分体(天草上島)の飛び地”[69038] のような実例もあり、自治体の飛び地に関する議論は、本体と地続きの地域だけで完結させるわけにはゆかないと思います。


これまでの議論から、飛び地と本域とを隔てる要素として本質的なのは、陸上境界と思われます。
ここで自分なりの飛び地の定義を書いてみると------------
飛び地とは、陸上境界により(他の自治体などを挟んで) 本域から隔離された地域である。

補足説明
本域とは、飛び地の対義語 であることを意識して 本体を拡張した概念 です。天草市の例で説明すると、天草下島の大部分を占める本体以外にも、別の陸地(天草上島)に主要な居住地域(分体)が存在します。このような地域も、それに対する「飛び地」を持つ場合があり、自治体本体(人口最大 又は 役所所在の地域)と区別できるように「本域」と呼ぶことにしましたが、多くの場合は 本域 = 本体 です。

飛び地ができるためには、本域又は飛び地が他の自治体などと陸上で接している境界の存在が不可欠です。
青森県北津軽郡中泊町の本域(旧中里町)は内陸にあり、陸上境界で囲まれています。小泊地域は、別の陸上境界と海とで囲まれた飛び地です。
小泊海岸の岩礁 は、中泊町の本体から見れば “五所川原市市浦地区との陸上境界と海とにより隔離された別の飛び地である” と言えないこともないようです。(中泊町の本体を奈良県に、岩礁を北海道に置き換えてみてください。)
しかし、常識的な判断に従えば、小泊地域を本域とする離島(島というには小さすぎますが)と考え、飛び地でないとするのが妥当でしょう。

尾道市浦崎は、尾道市の本域から海を隔てていますが、海だけでなく、陸上境界により福山市松永地域を挟んで隔てられている飛び地です。
尾道市には、向島・因島・生口島などの架橋島があります。西瀬戸自動車道の橋があっても「海で隔離された島」と解釈すれば、これら地域は本体と別の分体ですが、陸上境界による隔離地域(飛び地)ではありません。
瀬戸内しまなみ海道によって事実上の地続きになったと解釈すれば、これらの地域は尾道市本体の一部であり、いずれにせよ飛び地ではありません。
桜島は、陸上境界により、大隅半島垂水市など複数の自治体を挟んで 鹿児島市本域から隔てられた飛び地です。

葛籠尾(つづらお)半島 背骨の西浅井町との境界などにより、陸上では本域から隔離されている 滋賀県伊香郡高月町片山と 東浅井郡湖北町今西の場合。
2007年までは、本域との間の琵琶湖水面が町の領域に組み込まれていなかったので、桜島型沿海飛び地に限りなく近い存在でした。
琵琶湖水面が分割された現在は、町の領域内の湖面で結ばれているので、河川の両岸に近い立場になったともいえます。
現在は「準」飛び地扱いになっていますが、2010年1月1日の長浜市への編入で飛び地リストから完全に消えます。

[69245] 2009 年 4 月 16 日 (木) 18:17:02【1】 hmt さん
 「飛び地」の魅力 (18)飛び地の社会的な意味

[69189] オーナー グリグリさん
そもそも飛び地をどう捉えるかですね。社会学的には幾何学的な「普通の意味の飛び地」よりも、社会的(生活的)あるいは政治的な意味での飛び地の方が意味があるのかもしれません。

ともすれば、地図の上で 住民不在の幾何学的な議論 になりがちな飛び地論ですが、住民の社会生活上の意味を問う視点を忘れてはならないと思います。

[69038]において、
トポロジーでは、2つの領域の相対的な位置関係を対象とするにしても、人文地理的な用語の「飛び地」は「本体」と対比され、主従関係にある使われ方がされています。
と発言したのも、幾何学的だけでなく社会的な意味を問題にして、「飛び地」を本体(拡張して本域[69226])や隣接地域との対比においてとらえたいという気持ちがあったからだと思います。

政治的立場や周囲との社会的な違いに関し、イスラム世界モロッコの中のスペイン領の事例についての発言がありました。
--------------引用始--------------
[11857] N-H さん
国単位の場合、「植民地」や「海外県」と飛び地との差異は何かという政治的な問題がありますね。セウタとメリリャ…は植民地であって、…飛び地ではないような気がします。
[11909] 太白 さん
私の定義で申し上げれば、セウタやメリリャは飛び地になります。直感的に申し上げれば、周りがモロッコ領なのに、そこにあるスペイン領が着目されている(=何らかの「違和感」がある)以上、やはり飛び地なのではないでしょうか。
[12058] KMKZ さん
心理学的距離で領域の分布を考えればセウタとメリリャが準飛び地になります。
例 異文化の領域に囲まれた領域の場合、心理学的係数=1000
--------------引用終--------------

地理的にはフランスのコタンタン半島(ノルマンディー半島)とブルターニュ半島との間のサンマロ湾にあるチャンネル諸島[69177]は、まさにイギリス(連合王国)の法律が適用されない政治的な飛び地[69189]です。
なんでも島外の収益には税金がかからないということで、金融関連等のペーパーカンパニーが籍を置いているとか。
中世フランス・ノルマンディー公領の一部が現代に生き残っている世界。
空間的な飛び地というよりも、「時間的な飛び地」という性格があるのかもしれません。

[69189] オーナー グリグリさん
英領チャネル諸島はジャージー島とガーンジー島の二つの保護国
ナポレオン3世の第2帝政に反対したヴィクトル・ユゴーが、「レ・ミゼラブル」を完成させたのが、亡命先のガーンジー島でした。
この作品の反響を問う往復書簡は、世界一短い手紙として知られています。
ユゴー 「?」
出版社 「!」

“政治的な意味での飛び地”で最も切実な存在は、日米安全保障条約に基づく在日米軍基地でしょうか。沖縄の米軍基地
米軍基地に比べたら面積はずっと小さいが、在外公館についての記事もありました。[12062]

政治的な意味がからむ飛び地。内陸国が沿海地域を確保した珍しい飛び地の事例を紹介しておきます。

アドリア海の奥・クロアチアの リエカ は、第1次大戦前には、ブダペストから派遣された総督に直接統治されたハンガリー唯一の国際港(ハンガリーの呼び名はフィウメ)だったそうです。
当時のクロアチアは、オーストリア・ハンガリー「二重帝国」内で、ハンガリーから自治権を認められていた「三重目の国」でした。従って、陸上境界によりクロアチアを隔てていることに着目すれば、内陸国ハンガリーが沿海部に持つ飛び地というわけです。
[69048]の分類では市浦型に相当しますが、完全な独立国の間ならばあり得ない飛び地です。

第1次大戦の敗戦により帝国は崩壊。今度はイタリアとセルブ・クロアート・スロヴェーン王国[3250]とが領有を争い、結局は1924年にイタリアが併合しました。
ナポレオンに征服される前はヴェネチア領。イタリア的要素の多い町で、フィウメという名もイタリア語由来なのでしょう。
1921年に当時は「自由都市」でしたが、イタリアの地図 では、既に自国領に編入しています。

第2次大戦末期にチトー(クロアチア出身)が指揮するパルチザンがファシスト政権崩壊後のドイツ軍から奪回して、やっとクロアチア語のリエカに戻り、ユーゴスラヴィアを経てクロアチア共和国。
川崎市の姉妹都市 第1号(1977年)。

[69280] 2009 年 4 月 18 日 (土) 16:54:33【1】 hmt さん
 「飛び地」の魅力 (18.1)クロアチアのドゥブロヴニク飛び地

独立した記事にするほどの内容ではないのですが…
[69245]で言及したリエカから、クロアチア共和国ダルマティア地方アドリア海の海岸を更に南に行き、ネウム付近にあるボスニア・ヘルツェゴビナの僅かな海岸線の先は、クロアチアの「飛び地」ですね。
飛び地シリーズで、しかもアドリア海まで来ているのに、ここを書き落としては申し訳ないので、補足しておきます。

中心都市は、アドリア海の真珠と呼ばれる美しい町並みのドゥブロヴニク。イタリア名ラグーサ。1979年に世界遺産登録された後、1991年クロアチア独立後の内戦で破壊を受けましたが、復興し、危機遺産リストからも外されました。

ところで、ネウム付近のボスニア・ヘルツェゴビナ領。昔のダンツィヒ回廊のような意味で、内陸国が海岸線を確保しているのでしょうが、それにしては、ネウムの港は小さそうです。

【追記】
…と書いてから調べてみたら、ネウムは貿易拠点でなかったからこそボスニア領になったのだということがわかりました。
半島や島に遮られてアドリア海に出るのも不便、ボスニア内陸部にも山越えの小さな道しか通じていない「事実上の飛び地」。

ここは、1718年にダルマチアを確保したヴェネチアと、ヴェネチアの貿易ライバルであるラグーザとの間の紛争を防ぐための「緩衝地帯」として設けられたオスマントルコ領だったのでした。詳細は 世界飛び地領土研究会 をご覧ください。

なお、ドゥブロヴニク飛び地については、北西に突き出したペルジェサク半島とクロアチア本土とを長い橋で結び、2009年夏開通という情報もあるのですが、計画が進んでいるのかどうかわかりません。参考

[69261] 2009 年 4 月 17 日 (金) 18:42:39【1】 hmt さん
 「飛び地」の魅力 (19)事実上の飛び地

社会的・生活的な意味での飛び地というと、幾何学的図形としては地続きではあるが、そこは道路のない山岳地帯になっている 事実上の飛び地 も問題になります。

事実上の飛び地など、遠くにある山岳地帯の話かと思っていたら、自然の作った障壁のない地域でも、市町村境界と鉄道という人為的な壁によって、事実上の飛び地はできていたのでした。
身近なところで、富士見市勝瀬の東上線西側地区を紹介しておきます。

ふじみ野駅構内や歩行者用地下道を通って東上線東側に出れば、富士見市内だけを通行して市役所や鶴瀬地区に行くことが可能です。
自動車の場合、県道の陸橋はふじみ野市になるので北側のアンダークロス経由になりますが、道路の左側を通ると、交差点で右折する付近で僅かながら ふじみ野市域を踏んでしまうことに気が付きました。
ひとくちに事実上の飛び地と言っても、社会生活上全く意に介する必要のないケースもあるという実例でした。

大きな河川が陸上交通の障害になり、川向こうが事実上の飛び地になる場合もあります。
落書き帳でも何度も取り上げられていますが、その一例[65700]
[3795] 利根川改修に伴なって生じた河川飛び地 五霞町、北川辺町、取手市小掘(おおほり)、野田市木野崎

[19823] 同じく利根川で、伊勢崎市境島村の対岸飛び地
この対岸飛び地内の東端近くにある深谷市横瀬地区の飛び地に関する記事[69147]では、“上武大橋はあるものの事実上の飛び地状態”と書きましたが、渡し舟もありました[66785]。島村めぐみ保育園は、本館と別館が別の県[64362]

群馬県太田市南前小屋地区のように、対岸飛び地解消の動きもあります[54252]
白子川 [6320] や境川 [65716] のようなもっと小さな川でも、川向こうの領土があれば、小さな事実上の飛び地ができる可能性があります。

飛び地の話題からは外れますが、河川は交通の障害になるだけでなく、内陸国が海に出る交通路の確保という大きな社会的意味も担っています。
沿岸国が条約を結んで船舶の自由航行ができるドナウ川がその代表ですね。

# 1965年の映画サウンド・オブ・ミュージックを見て、トラップ男爵がオーストリア海軍士官と知った時に、オーストリアの海軍ってドナウ川?と思ったものした。よく調べたら、男爵が潜水艦隊司令官として活躍したのは、アドリア海に支配が及んでいた帝国時代のことで、マリアが家庭教師に来た頃には既に退役軍人だったようでした。

【追記】
アドリア海ついでに:
[69280] クロアチアのドゥブロヴニク飛び地 を追加しました。
ラグーザ(ドゥブロヴニク)は、政治的にはハンガリーやトルコの勢力下にあったようですね。
フィウメ(リエカ)はハンガリー[69245]
そしてトラップ男爵のオーストリア海軍が根拠地としたのは トリエステでした。もちろん、オーストリアの貿易港としても重要でした。
# オーギュスト・ピカールのバチスカーフがトリエステ号という名だったのは、ここが母港だったのかな。
いずれもイタリア人の作った貿易港で、共通のライバルはヴェネチア。

[69262] 2009 年 4 月 17 日 (金) 18:50:07【2】 hmt さん
 「飛び地」の魅力 (20)事実上の地続き、いや青函トンネルでさえ自治体の領域そのもの

「事実上の飛び地」があるように、飛び地を考える上で無視できないのが「事実上の地続き」の存在です。

フジテレビのある港区台場地区は港区の飛び地でしょうか?
言葉の混乱を防ぐために一応説明しておくと、本来の「お台場」は江戸湾の品川地先 [42889] に築かれた砲台用の人工島でした。現在は第六台場だけがその状態を保っています。

フジテレビがあるのは 13号埋立地の一部で、隅田川河口の延長である海を隔てた港区本体の一部(芝浦ふ頭)との間にはレインボーブリッジが架けられ、第三台場史跡公園も地続きになっています。13号埋立地内の隣接区域には船の科学館がある品川区東八潮があり、東京港トンネルにより対岸の品川区八潮(大井ふ頭埋立地の北端)と結ばれています。13号埋立地の大部分は東京テレポート・テレコムセンター・外貿定期船ふ頭のある江東区青海地区で、国際展示場のある江東区有明地区(9号埋立地)とは、埋立地間の水路(運河)により隔てられていますが、もちろん橋で連絡しています。

港区台場地区は江東区・中央区との陸上境界によって港区本体(本域)から隔離されている飛び地という解釈もできるのですが、「地続き」の解釈次第では、全く逆の方向ですが、飛び地は否定されます。

その1 は、埋立地間の運河を隔てているのに、地続きとしたこと。「河川」を管理する東京都(建設局)の見方によれば、13号埋立地等を本域から隔てる運河は陸上の河川ではありません [66488]。地続きでなければ、台場地区に飛び地の資格はありません。

その2 は、レインボーブリッジにより「事実上の地続き」だから飛び地はおかしいということ。橋が架けられている場所が、陸上河川であろうが、埋立地間の運河であろうが、海であろうが、陸上交通の障害がなくなっていることに変りありません。

飛び地の社会的・生活的な意味からすると、第2の観点を支持したいと思います。
この観点からすれば、関西空港島も「事実上の地続き」です。
関西国際空港島と空港連絡橋とは一体となって、陸続きの「半島」として最初から設計され、機能しています[68788]
関西国際空港島の泉南市や田尻町部分は、桜島型の臨海飛び地 [69006] と同様であると思われます。

ところで、[12030] KMKZ さんは、[港区とお台場] について 次のように発言しています。
橋を領域に含めなければ、飛び地。含めれば飛び地に非ずです。
(これは判定条件ではなく、領域の定義の曖昧さの問題です)

これは、橋や海底トンネルが自治体等の「領域」に含まれるならば、「事実上の地続き」を持ち出す必要さえないということです。

さて、[66057] 88 さんによって紹介された昭和63年自治省告示23号
青函ずい道のうち…以北の部分を北海道松前郡福島町に、以南の部分を青森県東津軽郡三厩村にそれぞれ編入する
【1】JIS字体の三厩村に修正
これを見ると、海上が公海になっている津軽海峡でさえ、トンネルの中は自治体の領域であることが宣言されているようです。

自然の力や埋立により陸と繋がった島 [57361] だけでなく、橋の上やトンネルの中も自治体の領域ということになると、千葉県と神奈川県とは隣接している。
しかし、東京湾の水面にはもちろん陸上境界がないので、伊豆大島が東京都の飛び地になるわけではない。
こんな考えでよいのでしょうか?


オーナー グリグリさんの呼びかけ[68716] に応じて、軽い気持ちで始めたこのシリーズですが、思いがけず回を重ねたのは、私自身が 「飛び地」の魅力 のとりこになった何よりの証拠なのでしょう。

最後に、発端となった西大泉町の飛び地の“他の飛び地と比べての特徴”について。
隣接する県にちょっとだけ入り込んだ東京都の小規模飛び地ということで、成因も稲城市のよみうりランド飛び地 [69147] と似ているのですが、最大の特徴は、住宅地になったことに伴なう利害関係が生まれたことでしょう。[68879]参照。



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