都道府県市区町村
落書き帳

飾磨市の姫路市との合併に関する主な記事集

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[69055] 2009年 3月 30日(月)00:47:25【1】山野[山野] さん
新設か編入か
[69051]グリグリさんへ
1946年(昭和21年)
03.01 兵庫県 新設 姫路市 姫路市, 飾磨市, 飾磨郡 白浜町, 広畑町, 揖保郡 網干町, 大津村, 勝原村,余部村
同一市名で新設合併した市に上記の姫路市の表記が見当たりませんが、こちらは如何なんです?
姫路市HPには
21年 (1946) 飾磨市、白浜町、広畑町、網干町、大津村、勝原村、余部村と合併し、新しい姫路市誕生、
新生姫路市議会議員選挙
…と、ありますが。
[45560] 2005年 10月 10日(月)11:57:50Issie さん
Re:公報と官報
[45541] 紅葉橋律乃介 さん
旧憲法時代には町村の異動は告示がなく、すなわち市への編入も告示事項ではなかった模様。

[27855] は結構前かと思ったら,去年でしたね。
旧憲法体制下でありますが,直接の根拠は法律としての「市制」に求めた方がいいように思います。そして,現行憲法の施行された1947年5月3日からは「地方自治法」。

(前にも書いた覚えがありますが,
「市制」という言葉には,漠然と“「市」という制度”を意味する場合と,狭い意味で1888年に公布,翌年に施行され,1911年に全面改正された“「市制」という名前の法律”を指す場合とがあります[「町村制」も同じ]。
だから厳密には“法律を「施行」する”という意味で「市制施行」と言った場合,施行すべき法律「市制」は60年近くも前に廃止されていますから,おかしな表現ということになります。けれども,実際には“「市」という制度”という意味で自治体自体も含めて広く使用されていますから,それはそれでいいのでしょう。
ただし,1947年5月2日までは「市制施行」とは,単に“「市」になる”という意味だけではなくて,“「市制」という法律がその地域に施行される”という意味であった,ということは留意しておいた方がいいように思います。もっとも,「どう違うの?」と聞かれても,その答えはよくわかりませんが。
一方で,「町制」「村制」「区制」などという法律はありませんから,こちらは単純に“「町」(村・区)という制度”という意味でもっぱら使われるのでしょう。)

話を戻して,
前発言の通り,町村が既存の市に“編入”される場合は内務省の告示事項ではなかったようですが,既存の市が他の市に“編入”される場合には,その「市」を“廃止”することになりますからそれについての告示が内務省から出されています。京都府伏見市がその実例です(以下の日付は施行日ではなく告示公布の日付)。

 ・京都府伏見市 →京都市へ編入:昭和6年内務省告示第56号(1931年3月23日)

「市制」下で消滅した他の3市のうち,

 ・京都府東舞鶴市 →舞鶴市と合体して「舞鶴市」を新設:昭和18年内務省告示第341号(1943年5月19日)
 ・兵庫県飾磨市 →姫路市ほかと合体して「姫路市」を新設:昭和21年内務省告示第21号(1946年2月27日)

この2つは,“合体”により“改めて新設”された「兵庫県尼崎市」(昭和11年内務省告示第117号:1936年3月21日),「大阪府岸和田市」(昭和17年内務省告示第157号:1942年3月20日)と同じ手続きです。
もう1つの「東京府東京市」の場合は,法律である「東京都制」(昭和18年法律第89号:1943年6月1日)によって廃止されていて,これは内務省の告示事項ではありませんでした。

[45537] グリグリ さん
忍市

最近は便利な世の中になって,多くの自治体が「例規集」をネット上で公開していますね。で,そのうちの多くがその冒頭に当該自治体の成り立ちについての根拠法令を収録しています。
ただ,どこにその“ルーツ”を求めるかは必ずしも統一されているわけではなくて,“国レベル”(内務省→総理庁→総理府→自治省→総務省)の告示をそれとしているものもあれば,(都道)府県告示を収録してるところもあります。何も収録せずに,いきなり「市役所の位置を定める条例」を冒頭に置く自治体も少なくないのですが。

行田市の場合は 埼玉県告示 に根拠を求めているようで,

----------------------------------------------------------------------------
○忍町を忍市とする告示
昭和24年3月29日
埼玉県告示第129号
地方自治法第8条の規定により、昭和24年5月3日から、北埼玉郡忍町を忍市とする。

○忍市を行田市とする名称変更を許可した告示
昭和24年3月29日
埼玉県告示第130号
地方自治法第3条により忍市を行田市とする。市の名称変更の条例を許可した。
----------------------------------------------------------------------------

…という告示を前提にした

----------------------------------------------------------------------------
○忍町を忍市とされた場合における新市の名称変更に関する条例
昭和24年3月3日
公布
忍市を行田市に変更する。
附 則
この条例は、忍町を忍市とされた日からこれを施行する。
-----------------------------------------------------------------------------

という忍町の条例で「行田市」が誕生したことを跡付けることができます。

国レベルでの告示は4月23日付の「総理庁告示第28号」ですが,ここでは「忍町」が直接「行田市」になるように記載されています。上の経緯を経た途中経過を省略しているのですね。
「行田市」の場合は 5月3日 の発足に先立って“告示”が行われているのですが,1948年から1951年の間に発足した「市」の多くは発足よりも告示の方が遅い“事後報告”となっています。
占領下,内務省が解体された下でのできごとですが,このあたりの手続きは“独立”後とは違っていたのかもしれませんね。

市の例規集からもう1つ,
ちょうど“旧憲法/市制”体制から“現行憲法/地方自治法”体制への切り替えの隙間にはまって国レベル(内務省)の告示では確認することのできない 鳴南市→鳴門市 の改称(1947年5月15日実施)について,鳴門市が公開している例規集に

----------------------------------------------------------------------
○市名変更条例
昭和二十二年五月十日
条例第三号
鳴南市を鳴門市と変更する。
附 則
本条例は、徳島県知事の許可を得て昭和二十二年五月十五日から施行する。
-----------------------------------------------------------------------

というのがあって,とりあえず「鳴南市条例」に根拠を求めることができそうです。

もう1つ,赤間関市→下関市 というのが確認できていないのですが,下関市の例規集にはその“ルーツ”が収録されていませんでした。
[22758] 2003年 12月 13日(土)12:10:22オーナー グリグリ
全国市町村要覧15年度版(姫路市と飾磨市の合併記述)
先ほど紹介した本と一緒に全国市町村要覧の15年度版を購入しました。例の姫路市と飾磨市の件ですが、
[22039] 自己レス
平成15年版はまだ発行されていないようですが、さてどうなるのかな。
15年版の記述を追加します。

■13年版
 姫路市昭21.3.1編入飾磨市 白浜町 広畑町 網干町 大津村 勝原村 余部村
■14年版
 姫路市昭21.3.1編入飾磨市 白浜町 広畑町 網干町 大津村 勝原村
昭21.5.1合体飾磨市 白浜町 広畑町 網干町 大津村 勝原村
■15年版
 姫路市昭21.3.1編入飾磨市 白浜町 広畑町 網干町 大津村 勝原村

14年版の21.5.1の合体の記述が削除されています。また、21.3.1の余部村は抜けたままです。14年版の合体の記述は本当にいったい何だったんでしょうか。第一法規さんに問い合わせてみますか。
[22039] 2003年 11月 16日(日)18:49:28オーナー グリグリ
姫路市と飾磨市の合併の件
[21970] またーり さん
続・姫路市の合併について
姫路市と飾磨市の件、昭和21年頃のまだ現在の地方自治法のない時代なのではっきりとしていない部分があるようですね。私が根拠とした全国市町村要覧も混乱があるようです。

■13年版
 姫路市昭21.3.1編入飾磨市 白浜町 広畑町 網干町 大津村 勝原村 余部村
■14年版
 姫路市昭21.3.1編入飾磨市 白浜町 広畑町 網干町 大津村 勝原村
昭21.5.1合体飾磨市 白浜町 広畑町 網干町 大津村 勝原村

14年版で余部村が抜けているのは何らかのミスでしょうか(編集者が私と同じ勘違いをして削除してしまった?)。また、14年版の合体の表記には、合体であるならば姫路市自体も表記すべきです。編入と合体と続けているのは議会や住民の意識に何らかの問題があり、編入と片付けられなかったような経緯を感じてしまいます。それにしても、5月1日に何があったんでしょうね。平成15年版はまだ発行されていないようですが、さてどうなるのかな。
[21970] 2003年 11月 14日(金)02:32:01【1】またーり さん
続・姫路市の合併について
[21916]オーナー グリグリ さん
[21918]まがみ さん
[21921]両毛人 さん
[21926]紅葉橋瑤知朗 さん
[21938][21963]Issie さん
[21948]稲生 さん
(その他抜けている人がいたらすいません)
自分が1946年3月1日のいわゆる『ラモート合併』を公式には『編入』と書いたのは、
「この手の情報は都道府県側が持っているはず」という事で兵庫県(またかよ!)の
市町要覧を見たところ、次のように書かれていたからです。
【市町要覧(2003年版)】
http://web.pref.hyogo.jp/sichou/youran/index.htm
姫路市の沿革(PDFファイルより)
 M22.4.1 市制施行
M45.4.1編入国衛村(筆者注:正しくは国衙村)及び市殿村の一部
(筆者注:この2村の残りは合併して城南村となりました)
T14.4.1城北村
S8.4.1水上村 砥堀村
S10.10.1城南村 高岡村
S11.4.1安室村 荒川村 手柄村
S21.3.1飾磨市 白浜町 広畑町 網干町 大津村 勝原村 
余部村(筆者注:旧揖保郡。後に飾磨郡余部村を編入しているので区別)
(以下略)
また他に全国市長会のHP( http://www.mayors.or.jp)の市制施行日による都市一覧の
飾磨市(昭和15年2月11日市制施行)の注記に「昭和21年3月1日姫路市に編入(飾磨)」と
書いてあります。
ただ、自分は子供の頃から「勝原の姫路との合併は『対等』」と聞かされてきました。
そこで、もう一度図書館に行って色々な資料を調べてみたところ…『新設』と『編入』、
それぞれの記述がありました。以下、『ラモート合併』がどのように書かれているか
紹介します。
【姫路百年】姫路市(1989)
「姫路市、飾磨市、飾磨郡白浜町、同広畑町、揖保郡網干町、同大津村、同勝原村、
同余部村が解消合併し、新生姫路市誕生(市長臨時代行者・原惣兵衛)」→『新設』
※但し、市長の歴数は1889年の市制施行時から通算。
【目で見る姫路市の100年】郷土出版社(1994)
「姫路市・飾磨市・飾磨郡白浜町・広畑町・揖保郡網干町・大津村・勝原村・余部村が
解体合併し、新しい姫路市誕生。」→『新設』
【ふるさとの軌跡─網干の歴史と文化財─】
姫路市立網干小学校120周年記念事業実行委員会(1993)
「網干町を廃し姫路市に編入のため兵庫県姫路市網干国民学校となる。」→『編入』
【姫路市立大津小学校百周年記念誌 おおつの海】
姫路市立大津小学校百周年記念誌編集委員会(1991)
「姫路市に合併し、姫路市大津区となる(三月一日)大津村役場は大津支所となる」→『不明』
(筆者注:大津支所は1962年廃止、広畑支所に統合)
【すぐりべの里 姫路市立勝原小学校創立百周年記念誌】
姫路市立勝原小学校創立100周年記念事業実行委員会(1992)
「勝原村姫路市に編入せられ解村、支所を置く。初代支所長は前村長立川捨蔵」→『編入』
(筆者注:勝原支所は1959年8月廃止、網干支所に統合。また、立川氏は『立川文庫』の
創始者立川熊次郎の弟です。姓は本当は『たつかわ』と読みます)
【広畑小学校百年史】広小百年を祝う会(1972)
「市町村合併により広畑町は姫路市に編入される」→『編入』
【姫路市立八幡小学校創立100周年記念誌 やわた】
姫路市立八幡小学校創立100周年記念事業委員会(1994)
「市町村合併により姫路市立八幡国民学校となる。」→『不明』
(筆者注:その前の広村と八幡村の合併で広畑町が発足した時の記述と全く同じ)
【網干町史】川嶋右次/共編(1951)
議 第三四號
時勢ノ進運ニ伴ヒ、播州中原ニ近代的一大文化都市ヲ建設スル為、姫路市、飾磨市、
飾磨郡白濱町、廣畑町、揖保郡網干町、大津村、勝原村及余部村ノ併合ヲ斷行シテ、
強固ナル地方自治團体ヲ建設シ、民主々義ニ依ル地方行政ヲ執行シ、以テ自治ノ新興発展
住民ノ福利増進ヲ期セムトス。
(1946年1月16日可決)
議 第三六號 姫路市制施行ニ關スル内務大臣諮問答申ノ件
兵庫縣姫路市 飾磨市 飾磨郡白濱町 廣畑町 揖保郡網干町 大津村 勝原村及余部村ヲ廢シ
其ノ區域を以テ姫路市ヲ置カルゝノ件ニ關シ別紙ノ通リ内務大臣ヨリ諮問アリタルヲ以テ
左(筆者注:原文は縦書きなので『下』と読み替ればOK)ノ通リ答申スルモノトス
答申書
昭和二十一年二月十三日内務省兵地第二號ヲ以テ御諮問相成候 兵庫縣姫路市 飾磨市
飾磨郡白濱町 廣畑町 揖保郡網干町 大津村 勝原村及余部村ヲ廢シ其ノ區域を以テ
姫路市ヲ置カルゝノ件本會ニ於テハ異議無之。
(1946年2月17日議決)
→『新設』
…一体どうなっているんでしょう?Issieさんが[21963]で書いているように地方自治法の
制定前の話ですから、舞鶴市のようにとことん『新設』をアピールしているならともかく
そうでない場合は曖昧になっているんでしょうか?
まぁ姫路市の場合、合併方式はどっちだろうが「『ラモート合併』は『対等』の精神で
合併した」事に変わりはありませんが。
[21963] 2003年 11月 13日(木)20:49:36Issie さん
生まれ変わりの市
先日,姫路市と飾磨市の件が話題になっていたので,
内務省(→総理庁→総理府→自治省→総務省)告示で,従来の市が他の市町村とともに「廃止」されて,その区域を以って「新しい市」が従来の市と「同じ名前」で設置された,つまり「合体市制」で一度リセットされた市を挙げてみました。

都道府県市名旧市発足合体新設合体市町村
兵庫県尼崎市1916. 4. 11936. 4. 1尼崎市;川辺郡小田村
大阪府岸和田市1922.11. 11942. 4. 1岸和田市;泉南郡春木町,山直町,南掃守村
京都府舞鶴市1938. 8. 11943. 5.27舞鶴市,東舞鶴市
兵庫県姫路市1889. 4. 11946. 3. 1姫路市,飾磨市;飾磨郡白浜町,広畑町;揖保郡網干町,大津村,
勝原村,余部村
兵庫県三木市1954. 6. 11954. 7. 1三木市;美嚢郡志染村
栃木県鹿沼市1948.10.101954.10. 1鹿沼市;上都賀郡東大芦村,菊沢村,板荷村,北押原村,西大芦村,北犬飼村
岩手県一関市1948. 4. 11955. 1. 1一関市,西磐井郡弥栄村,萩荘村,厳美村;東磐井郡舞川村
福島県若松市1899. 4. 11955. 1. 1若松市;北会津郡湊村,一箕村,高野村,神指村,門田村,大戸村,東山村
(即日改称 →会津若松市)
静岡県吉原市1948. 4. 11955. 2.11吉原市;富士郡元吉原町,須津村,吉永村,原田村
大分県日田市1940.12.111955. 3.31日田市;日田郡東有田村,小野村,大鶴村,五和村
岩手県釜石市1937. 5. 51955. 4. 1釜石市,上閉伊郡甲子村,鵜住居村;気仙郡唐丹村
岡山県児島市1948. 4. 11956. 4. 1児島市;児島郡琴浦町
長野県飯田市1937. 4. 11956. 9.30飯田市;下伊那郡座光寺村,松尾村,竜丘村,三穂村,伊賀良村,
山本村,下久堅村
大分県大分市1911. 4. 11963. 3.10大分市;鶴崎市;大分郡大南町,大分町;北海部郡大在村,坂ノ市町
福島県郡山市1924. 9. 11965. 5. 1郡山市;安積郡安積町,三穂田村,逢瀬村,片平村,喜久田村,
日和田村,富久山村,湖南村,熱海町;田村郡田村町
長野県長野市1897. 4. 11966.10.16長野市;篠ノ井市;埴科郡松代町;更級郡川中島町,更北村,信更村;
上高井郡若穂町;上水内郡七二会村
静岡県富士市1954. 3.311966.11. 1富士市,吉原市;富士郡鷹岡町
岡山県倉敷市1928. 4. 11967. 2. 1倉敷市,児島市,玉島市
鹿児島県鹿児島市1889. 4. 11967. 4.29鹿児島市;谷山市
岩手県北上市1954. 4. 11991. 4. 1北上市,和賀郡和賀町,江釣子村
静岡県静岡市1889. 4. 12003. 4. 1静岡市,清水市
--------------------
広島県三次市1954. 3.312004. 4. 1三次市;甲奴郡甲奴町;双三郡君田村,布野村,作木村,吉舎町,
三良坂町,三和町

やはり「昭和の大合併」期に集中しているのがわかりますが,もう一時期,1960年代半ばというのがあります。
この時期には,ほかに5市合体で「北九州市」が,やや時期が下がるけれども1971年に2市合体による「上越市」の発足なども含まれます。1962年の「市の合併の特例に関する法律」(昭和37年法律第118号)と1965年の「市町村の合併の特例に関する法律」(昭和40年法律第6号)によるものでしょうね。
「平成の大合併」が,その新たな波となるのでしょう。

なお,上記の中で最初の 尼崎市・岸和田市・舞鶴市・姫路市 については,現行憲法・地方自治法ではなく,旧憲法・市制(という名前の“法律”)によるものですから厳密には違う扱いをするべきなのかもしれません。
[21948] 2003年 11月 11日(火)23:46:24稲生 さん
伊豆市の名付け親です。
私がオーナーグリグリさんにメールで問い合わせした飾磨市など1市3町3村合併の件に対して、皆様貴重なご意見ありがとうございます。
[21918]まがみ さん と [21921]両毛人 さん と [21922]またーり さんは編入
[21938]Issie さんは合体新設
のようですね。

実はこちらの市区町村雑学の消滅した市とほとんど同じものを拙HPに掲載してあったものですから、中味をチェックしてみたところ、この飾磨市の合併形態が私のと違っていたものですから、問い合わせしたものです。
該当ページ  http://www3.tokai.or.jp/inou2002/siseisikoubi/sisei-6.htm

私がメールを送信したの11/10の20:30頃ですが、その24時間後にはこんなにたくさん回答を得られるなんて、とってもビックリしています。グリグリさんはじめ皆様の反応の速さに。

さて、タイトルのとおり私は来年4月1日に発足する伊豆市の名付け親です。大賞の5万円宿泊券ではなく名付け親賞の2万円宿泊券をゲットしまして、今月中旬、妻二人でと修善寺に出かけることにしております。
参考ページ  http://www3.tokai.or.jp/inou2002/meisyoubosyuu/meisyou-2.htm#sono8

私としてはいろいろ公募に応募した中では一番の賞品なのですが、落書き帳常連さんの方々はいかがですか?まあ、賞品は二の次でしょうけどね。
[21938] 2003年 11月 11日(火)18:42:39【1】Issie さん
大姫路市
[21916] グリグリ さん
飾磨市は姫路市に編入された後、あらためて合体したのか?

国レベルの手続きで「飾磨市消滅」の根拠となるのは,「昭和21年内務省告示第21号」(昭和21(1946)年2月27日付け)です。

この告示の内容は,
・姫路市,飾磨市,飾磨郡白浜町および広畑町,揖保郡網干町および大津村,勝原村,余部村を廃止
・以上の区域をもって「姫路市」を設置
・昭和21(1946)年3月1日より効力を発する
というものです。

だから,この告示によれば全体をリセットした上での「合体新設」と考えるべきでしょう。

この時の「合併」以外は,これ以前,市制施行以来の「オリジナル姫路市」でも,これ以降の「大姫路市」でも,市域拡張はいずれも「編入」という形態をとっていて,つまり従来の「姫路市」がそのまま存続しています。

ま,あまり細かいことにこだわらずとも,普通の人には「合体(合併)」でも「編入」でも,どちらでも気にするほどの問題ではないのではないのでしょう。
「姫路市のプライド」なんてものが絡んでくれば「政治的な配慮」なんてものも入り込んでくるかもしれないけれど,一般人にとっては「編入」も「合体」も同じことです。

※…というわけで,うちのページ,先に「市一覧」の全面改訂(内務省以降の告示類を根拠とする)をしたにもかかわらず,「飾磨市」の項の改訂をし忘れていたことが判明しました。
[21922] 2003年 11月 11日(火)02:18:00またーり さん
姫路市の合併について
[21921]両毛人 さん
おっしゃる通りで、一応1946年3月1日の合併は「飾磨市など1市3町3村の
姫路市への『編入』」というのが公式です。
ただこの合併(画策・推進した進駐軍軍政官の名を取って俗に『ラモート合併』と
呼ばれています)、実は姫路市自身は『新市誕生』と位置付けていて、対等同然の
扱いをしているんですよ。
姫路市のHPの年表などでも他の合併とは明らかに違う記述をしていますし、
他の合併→○○町(村)を合併
ラモート合併→飾磨市、白浜町、広畑町、網干町、大津村、勝原村、余部村と合併し、
新しい姫路市誕生(後略)
各年度の統計要覧では市長・助役・収入役や市議会正副議長をの第○代というのを
『新市誕生』で一度リセットしているぐらいです(まぁ市長の場合は対外的には
1889年の市制施行からの数字を使うとは思うんですが、そういう場合でもむしろ
『新市誕生』以降から数えた数字と一致する『公選○人目』という表現を使う事が
多いようです)。
そして、現物を見た事がないので何とも言えませんが、ラモート合併当時の資料の中に
「姫路市・飾磨市(中略)を廃し、新たに姫路市を置く」という完全に『新設合併』を
謳ったものが存在したという話を聞いた事があります。もしかすると、当初は本当に
『新設合併』にする予定だったのが、手続きの関係(『新設』の方が繁雑になるのは
最近の合併でも分かる通りです)でより簡単に合併できる『編入』に変更した上で
『市としての見解』は『新市誕生』のまま…という事にしたのかも知れません。
改めて思えば姫路市に『区』が存在するのも、この地域の住民が姫路市街へ行く事を
「『姫路』へ行く」と言うのもこういう経緯が関係しているのでしょうね。
もちろん自分(勝原区出身・在住)も「『姫路』へ行く」は日常的に使います。
[21921] 2003年 11月 11日(火)01:17:43YSK[両毛人] さん
平成6年度版 全国市町村要覧
[21916]グリグリ さん
ところが、全国市町村要覧は何か混乱があるような記述になっています。(以下略)

ちょっと古くて恐縮なのですが、手許にある、平成6年度版の『全国市町村要覧』では、飾磨市は1946.3.1に、白浜町ほか5町村とともに「編入」されたと書いてあるだけですよ。1946.5.1に姫路市に編入あるいは姫路市と合体した自治体の記述は1つもありません。

飾磨市を含め、姫路市と合併した自治体はすべて「姫路市への編入」の形をとった記述になっています。

参考に、飾磨市以降の分を抜粋しますと、

1946.3.1 編入 飾磨市、白浜町、広畑町、網干町、大津村、勝原村、余部村(揖保郡;両毛人追記)
1954.7.1 編入 八木村、糸引村、曽左村、余部村(飾磨郡、両毛人追記)、太市村
1957.10.1 編入 別所村、四郷村、御国野村、花田村
1958.1.1 編入 飾東村、神南町、的形村
1959.5.1 編入 大塩町
1967.3.5 編入 林田町

となっています。なお、記述には境界変更や、飾東村と神南町のできた日付もありますが、それらは省いています。
[21918] 2003年 11月 11日(火)00:53:47【1】まがみ さん
Re: 飾磨市は姫路市に編入された後、あらためて合体したのか?
[21916]グリグリ さん
ところが、全国市町村要覧は何か混乱があるような記述になっています。(以下略)
手元に『全国市町村要覧』がないので、そこにどんな記述があったのか覚えていないのですが、少なくとも全国市長会のHPでは、飾磨市は1946.3.1に編入消滅となっています。
全国市長会  http://www.mayors.or.jp/

つまり公式HPでは、余部村は二度合併したことになっています。明らかに何か混乱があったようです。
いえ、これは公式HPの表記が正当です。ただ、適切とはいえないかも知れません。というのは、1946.3.1に編入された「余部村」とは、旧揖保郡余部村(現在の姫路市余部区にあたる地域)のことを指し、1954.7.1に編入された「余部村」とは、旧飾磨郡余部村のことを指しているからです。(関連[8513]
[21916] 2003年 11月 11日(火)00:36:15オーナー グリグリ
飾磨市は姫路市に編入された後、あらためて合体したのか?
雑学ページ「消滅した市」
http://uub.jp/zat/missing.html
には、編入により消滅した市の一つとして「飾磨市」を挙げています。
稲生さんからのメールで飾磨市は合体により消滅した市とすべきではないかと指摘されました。

稲生さんが根拠とするのは、日本加除出版の「新版:全国市町村名変遷総覧」(1987.9.26発行)だそうですが、私が編入によるとした根拠はよく覚えていません。同じ日本加除出版の「旧市町村名便覧 -明治22年から現在まで-」(1999年4月)だったかもしれません。

ところが、全国市町村要覧は何か混乱があるような記述になっています。すなわち、1946.3.1に編入、1946.5.1に合体と、飾磨市、白浜町、広畑町、網干町、大津村、勝原村が同じ年に姫路市に編入した後再度あらためて姫路市と合体したような記述です。

姫路市の公式HPにある姫路市の歴史のページでは、「1946年に飾磨市、白浜町、広畑町、網干町、大津村、勝原村、余部村と合併し、新しい姫路市誕生、新生姫路市議会議員選挙」となっています。一方、要覧では余部村は1954.7.1に八木村、糸引村、曽左村、太市村とともに編入されたことになっています。公式HPの方でも、1954年に「八木・糸引・曽左・余部・太市村を合併」となっています。つまり公式HPでは、余部村は二度合併したことになっています。明らかに何か混乱があったようです。

小学館の日本地名地図館の「姫路市」「飾磨」の項目ではいずれも飾磨市は姫路市に編入となっています。

どなたか真相をご存知の方、ご教授ください。
[21827] 2003年 11月 7日(金)01:48:03【2】またーり さん
メンバー紹介の事について
自分のメンバー紹介の出身地・居住地のところから「『兵庫県』を外して欲しい」と
書き込んだ事に対し、皆さんから色々とレスetc.を頂きありがとうございました。
そこから派生したものも含めてレスします。
[21761]太白 さん
[21804]オーナーグリグリ さん
自分のような新参者(7月デビューですが書込件数を考えるとまだまだ新参者です)の
我儘を聞いて頂きありがとうございました…と言ってもグリグリさんが既に[14388]
既にOKを出していたからのようですね。
今考えると「よくあんな事が書けたな…」と恥ずかしくなってしまいます。
[21764]なお さん
そうなんです。
自分が『兵庫県』を嫌っているのは、『飾磨県』が吸収されてしまった事自体よりも
むしろ「その後現在に至るまでその影響が尾を引いている」からなんです。
県庁所在地の地位を失ったが故に、更に失ってしまったものは数知れません…。
これについては(主なものだけですが)また後で書きます。
[21774]愛比売命 さん
岩国もそうですよね。自分はある「恥ずかしい」目的で(実は自分の『自分色』にも
それが絡んでいたりします)青春18きっぷで光市まで行った事があるんですが、
広島~岩国間は本当に近かった印象があります。むしろ福山~広島間がやたら遠く
感じましたね(距離を考えると当然ですが)。
ちなみに自分が住んでいるところは『灘のけんか祭り』程の知名度はありませんが
祭りマニア(?)にはある程度有名な通称『網干提灯祭り』の氏子だったりします。
[21789]瀬戸家さゞなみ さん
いやいや、大半の姫路市民は瀬戸家さゞなみさんと同じで『兵庫県民』としての
アイデンティティも同時に持っていると思いますよ。
[21801]今川焼 さん
飾磨県消滅と再置運動については自分が書かなきゃいけない立場だったんですが、
先に書かれてしまいましたね…。
もちろん自分が『兵庫県』を大嫌いな理由の『出発点』はそこです。ただ、上でも
少し触れているように問題なのは「それが未だに尾を引いている」という点です。
飾磨県が消滅しても、もしそれに見合った還元がなされていれば自分も『兵庫県』を
「播磨が支えてきた県である」とむしろ誇りに思っていたはずです。

【余談】
ところで少し話が逸れますが、実はこの「○○が支えてきた△△である」というのは
現在自分が『姫路市』に抱いている思いと同じなんです。
自分が住んでいる『勝原』というところ(網干警察署管内なので周辺をまとめて
『網干界隈』と言った方が適切かも知れません)は、戦後間もない1946年3月1日に
飾磨市や日本製鐵(現・新日本製鐵)の工場を抱える飾磨郡広畑町などとともに
姫路市と合併しました(この合併は画策した進駐軍軍政官・ラモート中佐の名前を取って
俗に『ラモート合併』と呼ばれています)。実はその時の経緯を書いても一つの物語に
なるんですが、それについては今回は割愛します。
さて合併して以降の話ですが、その後もこれらの地域(以下『ラモート地域』)は
「姫路市の一員としての意識を持つ一方で、地区同士がスクラムを組んで姫路市中心部に
対抗して行く」というユニークな関係を保ちます(現在でも『ラモート地域』の住民は
姫路市街へ行く事を「『姫路』へ行く」と言います…もちろん自分もそう言います)。
そして高度経済成長期を迎え、『ラモート地域』の住民には「我々の地域の工場が
姫路の発展を支えているのだ」という誇りが芽生えて行きました。
そして現在でも『ラモート地域』は姫路市を支える必要不可欠な存在となっています。
なお『ラモート地域』と『姫路市』の関係が『姫路市』と『兵庫県』のそれと違うのは、
『ラモート地域』は『単独自治体としての地位』など『姫路市との合併で失った分』を
『姫路市と合併し、現在に至るまで発展してきた事によって得たもの』で取り戻せている
という点にあります。だからこそ自分は『ラモート地域』に生まれ育った一方で、
生まれる前からその『ラモート地域』が発展を支えてきた『姫路市』への誇りも同時に
持っているのです。
それに比べて『兵庫県』からは『失った分』を取り戻すどころか127年経った今年、
そして来年も…。

【書込訂正】
余談の最後の部分を「127年経った今でも…」→「127年経った今年も…」→
「127年経った今年、そして来年も…」と2度変更。
後日予定している投稿への伏線である事を明確に表すためです。
[6926] 2002年 12月 24日(火)18:54:01らるふ さん
飾磨市
アーカイブズが見事に編集されましたね。ご担当いただいた方々、お疲れ様です。
そこで、姫路市との合併で消滅した市「飾磨市」について少々。
姫路と飾磨の市街地をつなぐ山陽電鉄沿線は国鉄飾磨港線の廃線跡、卸売市場、旧街道と狭い道路に旧家が並び、山陽電鉄の古びた駅に狭い駅前などもあいまって「昔からつながっていた」と感じさせられるものです。
その少し東には、姫路駅の南口から飾磨を結ぶ駅南大通がとおり、姫路バイパスと交差し、周辺は道路も整備され、市役所もここ(ちょうど姫路・飾磨の旧市街の中間)に移転しました。このあたりは、農地だったのを市街化したところで、建物も多いのですが、開発の余地もあると言った感じです。
まあ、そう言った新旧のつながり具合で、まだまだ発展の余地があるところが姫路市の強みかも知れません。10年ほど前、関西では和歌山市と姫路市がほぼ同じ人口規模でライバル的な感じもありましたが、今では10万人近く姫路市の方が多くなりました。
1946年、姫路市に飾磨市・広畑町などの7市町を吸収する大型合併だったようで、当時合併した旧町村名を行政区でもないのに姫路市○○区という名前で残すような特別な扱い(?)でした。

城下町「姫路」としては港町「飾磨」と合併することはかなり重要だったことでしょう。
[1346] 2002年 5月 1日(水)20:22:04Issie さん
姫路市の区
長野県の生坂村に「区」という行政単位があります。
長野県では集落ごとの住民自治単位を「区」と呼んでいる自治体が多いようです。
姫路市は政令指定都市ではありませんから,神戸市などの「区」のような地方自治法第252条の20(区の設置)に基づくものではありません。
けれども,市町村内をどのように区画し,どのような呼称で呼ぶかを決める権限は当該市町村にありますから,姫路市の場合も“市独自の区画”として「区」と呼ぶ区画を設置しているのだろうと思います。
20万分の1の地勢図に掲載されているのは「飾磨区」「広畑区」「大津区」「網干区」「勝原区」「余部区」というのですね。これらはいずれも1946年に合併した飾磨市・広畑町・網干町・大津村・勝原村・余部村の範囲に相当します。
このときの合併は(旧)姫路市自体も含めた対等合併でした。(旧)姫路市以外の各市町村の区域を「区」としてまとめたのは,このことと関係があるのかもしれません(なぜか,同時に合併した(旧)白浜町の区域には「区」の記載がありません。「白浜区」というのがないのか,地図の方が拾わなかったのか…)。
これより後に編入した(北部・山沿いの)町村の区域には「区」という区画を設置していません。このあたりも,前の対等合併との事情の違いがうかがえそうです。


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