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保土ケ谷

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[70564] 2009年 6月 21日(日)16:17:10【1】hmt さん
保土ケ谷と保土ヶ谷 (1)条例と地形図
[70537] N-H さん  保土ケ谷区役所の表看板

リンクしていただいた“区名表記 大きい“ケ”で統一へ”という タウンニュース記事 によると、庁舎入口の表記変更のキッカケは、昨年秋の「区民のつどい」での質問とか。その席での区の関係者の回答は、
昭和34年に定められた『区の設置条例』に基づき「大きい“ケ”が正式なもの」

現在HPに掲載されている 横浜市条例 では、「保土ケ谷区」となっていることを確認することができます。
しかし、直接の資料がないので断言はできないのですが、条例制定時やそれ以前から存在した区の表記が、「保土ケ谷区」であったのかというと、“違うのでは?”という疑問があります。

条例が制定されたのは 1959年であり、横浜市が最初の政令指定都市になった1956年の少し後です。政令指定都市制度に伴なう改正地方自治法が、条例の根拠となっています。そして、保土ケ谷区そのものは、これよりもずっと前、横浜市が内務大臣指定都市([10997]三鈴さん)になった 1927年 から存在しました。

1912年10月現在の 改正新旧対照市町村一覧 によると、横浜市編入の前に存在したのは橘樹郡保土ヶ谷町でした。陸地測量部の地形図を見ても同様。但し、「ヶ」は極小。
昭和7年の5万分1図では「保土ヶ谷区」になりますが、昭和28年応修図では「保土ガ谷区」(「ガ」も極小)、昭42編修46修正では再び「保土ヶ谷区」。

それでは、横浜市自身が作成した詳しい地形図ではどうなっているかと、昭和39年修正横浜市三千分一地形図西戸部 の左端付近を見ると、相模鉄道を挟んで「保土ヶ谷区」と記されています。よく注意して見ないと見逃しそうな小さな「ヶ」です。

国土地理院の地形図にしても、居住地名については、市町村が作成する地名調書[56419]に拠ることになっています。戦後の一時「保土ガ谷区」の使用例もありましたが、横浜市の表記は、概ね「保土ヶ谷区」であったと見てよいでしょう。

以上、便宜的に小さな「ヶ」で書いてきましたが、原典に記された文字の大きさは同じではありません。
新旧対照市町村一覧の「保土ヶ谷町」では、普通の漢字よりもやや小さめという程度の「ケ」でしたが、地形図に注記された「保土ヶ谷」の「ヶ」は極端に小さく、漢字の間に割り込ませたスタイルです。

地形図における表記を見ると、本来の漢字表記は「保土谷区」であるが、読みを明示極小の記号「ヶ」を添えたように思われます。
このように「が」と読ませる目的の便宜的な性格の記号と考えれば、その表記が一時的に極小の「ヶ」から極小の「ガ」へとブレたことも納得できます。

地方自治法第252条の20に基づく政令指定都市の区の設置条例が制定された1959年以後の横浜市作成の地形図でさえ「保土ヶ谷区」と記されていたことは、もっと後、おそらくは1969年の分割により旭区と共に生まれ変った 新「保土ケ谷区」 になった時から大きい「ケ」に変ったのではないかと推察されます。
[70571] 2009年 6月 22日(月)16:35:37hmt さん
保土ケ谷 と 保土ヶ谷 (2) 3つのタイプがある「○が△」地名
ここで、質問です。
カタカナの「ケ」と同じ形をしているのに、保土ケ谷の場合は、なぜ「が」と発音するのでしょうか?
「保土け谷」と書いても「ほどがや」と読めるのでしょうか?

後者の答が「NO」であることは明白です。保土ケ谷の「ケ」は、仮名文字ではないから、「け」と書き換えることはできなかったのですね。
ルーツをたどれば、仮名文字の「け」は「計」の草体、「ケ」は「介」の終画を省いたものとされます。

一方、「が」と発音する問題の「ケ」は、「个」(か)という漢字の変形に由来するそうです。
この字は物を数えるに用いる語で、「箇」(か)に通じ、竹かんむりの片方だけに省略した形も「ケ」になります。
こちらの系統の発音は、三ケ・五ケなど単独の数では「こ」、三ケ月・五ケ条となると「か」、君ケ代・保土ケ谷のような連体修飾語では「が」と濁ります。

同じ形をした「ケ」ですが、ルーツの異なる2種類があり、それらは発音を考えれば区別することができます。

「○が△」という形の修飾地名は数多く存在するのですが、これを漢字で表記する場合、3つの選択肢があります。

タイプ1は、「が」の部分を書かない漢語風の表記「○△」
 例:尼崎市、熊谷市、越谷市、各務原市、世田谷区  町村にも多数あると思います。

タイプ2は、○と△とが「が」で連結していることを示すため、両者の間に小さな「ヶ」を挿入した「○ヶ△」
 データベース検索によると、4市6町2村。青森県東津軽郡外ヶ浜町、同西津軽郡鰺ヶ沢町、同上北郡六ヶ所村、宮城県刈田郡七ヶ宿町、同宮城郡七ヶ浜町、埼玉県鳩ヶ谷市、同鶴ヶ島市、東京都青ヶ島村、神奈川県茅ヶ崎市、長野県駒ヶ根市、佐賀県神埼郡吉野ヶ里町、宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町

タイプ3の、大きな「ケ」を挿入した「○ケ△」は、意外に少なくて3市2町
 岩手県胆沢郡金ケ崎町、茨城県龍ケ崎市、千葉県鎌ケ谷市、同袖ケ浦市、岐阜県不破郡関ケ原町

[70564]で記したように、保土ケ谷区の場合は、タイプ2からタイプ3へと移行したものと思われますが、この事例を通じて浮かび上がった「ケ」の性格を記してみます。

「ほどがや」の本来の漢字表記は「保土谷」(タイプ1)だったと思います。
しかし、一般に通用するようになった表記は、この地名を「ほどだに」でなく「ほどがや」と正しく読んでもらうための補助手段として、「保土」の後に「が」を送ることを示す記号を付けたタイプ2になりました。

漢文訓読に使う返り点のような補助記号だから、漢字と同列ではなく、右下に極く小さく添えるのが原則です。[70564]で調べた地形図の注記は、まさにそのような形をしていました。
「○ヶ△」の「ヶ」が小さいのは、独立文字でなく漢字○に添えられた「が」という発音を導くための記号だからです。

但し、そこは融通自在な言葉の世界です。漢字と同列に近い大きさの「ケ」を書いたり、独立文字のように表記する使い方、つまりタイプ3も、昔からありました。
既に、明治12年(1879)の 郡区町村一覧 に記された「保土ヶ谷町」の「ケ」は、サイズこそ漢字よりもやや小さめですが、行の真ん中に堂々と記されています。

タイプ2では漢字の添え物であった記号が、タイプ3では独立文字の地位を主張し始めているようです。
前回[70564]にリンクした改正新旧対照市町村一覧(1912)も、この表記を引き継いでいます。
内務省では、明治時代から漢字に近い大きさの「ケ」を真ん中に使うタイプ3を好む傾向があったようです。
[70582] 2009年 6月 23日(火)22:27:31【1】hmt さん
保土ケ谷 と 保土ヶ谷 (3)「文字を書く」から「文字を打つ」時代になったのが原因か
[70537] N-H さん
それにしても、いままで【保土ケ谷】区役所の玄関の表記が「ヶ」だったとは……

かつては「保土ヶ谷区」が使われており[70564]、その時代からの表記だったのでしょうね。
建物玄関の看板が長い間放置されたのは、条例に記された区名が「保土ケ谷区」になっても、それが「保土ヶ谷区」からの改名であるとは意識しなかったからでしょう。つまり実体は「ヶ」と変らないけれど、それを大きく書くようにしただけ。

鎌ケ谷市の歴史 の一番下に見える「鎌ヶ谷市役所」という看板の写真([187] M.K.さん)を見ても、1971年には小さい「ヶ」を書いていました。
しかし、2006年 Hiro_as_Fillerさんの調査時の回答[48444]では「鎌ケ谷市」と明言し、下記のコメントが付けられていました。これも単なる標記上の問題ととらえており、改名ではなさそうです。
・「鎌ケ谷」、「鎌ヶ谷」を統一することは困難であり、標記の定めがない以上、市役所以外の方々に指導することもできませんが、市役所内においては、「鎌ケ谷」の標記に統一するよう職員に指導しているところです。

岩手県金ケ崎町議会で、昔は小さい「ヶ」だったが、いつから大きくなったのかという質問があり、総務課長によると、1991年からではないかとのことだが、正式記録なしと伝えています。岩手日報 2006/06/14

内務省は、明治時代から所有格記号を大きな「ケ」で記すこと実行していた[70571]としても、地方自治体が「ケ」の大きさを気にして、意識的に大きな「ケ」への統一を進めるようになったのは、保土ケ谷・鎌ケ谷・金ケ崎の事例から推察するに、近年になってからのことと思われます。

サイズの大小など、昔は殆んど気にする必要もなかった「ケ」について、近年になり「正式の書き方」を決めたり、看板まで取り替えるようになってきたのは何故か?

その背景の一つは、バツを付けるために(?)些細な違いを指摘するような漢字教育、正解はどれか一つだけで、他はすべて間違いという多肢選択問題によって、現代人が「おおらかさ」を失ったことにあるのでしょう。

そして、もう一つ見落とすことができないのが、「文字を書く」時代から「文字を打つ」時代へという 文字を取り巻く環境の変化 であると思います。

手書きの時代には、「ケ」の大きさなど、文字通りアナログ感覚で適当に決めていたと思われます。
漢文の訓点の要領で極小の「ヶ」を書く人もいれば、漢字とのバランスを考えて心持ち小さ目の「ヶ」を書く人もいたはずです。

ところが、コンピュータによる情報交換が行なわれる時代になり、日本工業規格でコードを決めることになると、アナログ感覚で様々な大きさで書かれていた「ケ」を、そのまま放置することはできなくなりました。
具体的には、カタカナグループの末尾(区点5-86)に所有格記号用の小さい「ヶ」が作られ、カ行エ段の位置(区点5-17)にある「ケ」と共に、「2種類の文字」にJISの座が与えられました。なお、「ヵ」についても、小さな字が決められました。

手書きの時代、「ヶ」と同様に小さく書くこともあった「ノ」や「ガ」にはJISの座が1種類しか与えられなかったのに比べて優遇?されたのは、特に地名において多く使われり小さな「ヶ」の実績が評価されたためでしょう。

大小2つの「ケ」により、多様な表現を可能になりました。その反面、意識するか否かを問わず、「ケ」か「ヶ」の選択を迫られることになりました。

この「ヶ」について、もし“数詞や名詞に添えて「こ」「か」又は「が」と読む場合の記号には、専らこれを用いる”というような選択指針が設けられていれば、カタカナの「ケ」との使い分けができて混乱を避けられたのかもしれません。

しかし、もともと「工業規格」であるJISとしては、国語問題に係る「出過ぎた指針」を設けることはできなかったと思います。自治省もJISがわざわざ「ヶ」を残したことなどお構いなしに、内務省以来の大きな「ケ」を、告示文の地名に使い続け、地方自治体もこれに習いつつあります。
今となっては、記号は「ヶ」、カナは「ケ」という棲み分けは無理でしょう。むしろ、記号としては「ヶ」・「ケ」共に使われることを皆に知らせておく方が混乱が少ないかもしれません。

国民の多くが「字は打つもの」と実感する時代になりました。
特に、機械検索が著しく普及した時代になってみると、「保土ケ谷」で検索しても「保土ヶ谷」がヒットしない不都合が表面化しました。
タウンニュース記事
インターネット上の大手検索サイトで『保土ケ谷』とキーワードを入力した場合 「もしかして 保土ヶ谷」 と正誤の判断を迷わせるような注釈が表示される

30年前、1978年のJIS制定時に小さな「ヶ」を残した配慮が、裏目に出てしまったという思いです。
検索ソフトの改良による対応に期待しましょう。
[70590] 2009年 6月 24日(水)21:16:39【1】hmt さん
保土ケ谷 と 保土ヶ谷 (4)「保土谷」や「程ヶ谷」もある
Googleで「保土ケ谷」を検索すると、「もしかして 保土ヶ谷」と表示されますが、ヒット件数は、「保土ヶ谷」126万件に対して「保土ケ谷」99.6万件とかなり近い数字す。直接には保土ケ谷という文字列がない場合(例:保土ヶ谷高等学校)も、保土ヶ谷区と入力されている住所が、保土ケ谷区への読み替えるによりヒットしていると推測します。

補助記号の「ケ」を省いた「保土谷」という表記も成り立ちます。
Googleで確認してみると、意外にも「保土谷」は132万件と、「保土ヶ谷」を上回っていました。
ここで登場する「保土谷化学工業」は、昭和39年横浜市地形図[70564]の「保土ヶ谷区」という注記の左右に見えます。
1916年創業というから「尾久の原」[65477]に作られた旭電化工業よりも早く、わが国の電解ソーダ工場の草分けです。創業時の名は「程谷曹達工場」で、これも補助記号の表記を省略。

脱線ですが、保土谷化学の名は、子供の頃に母が衣類の収納に使っていた 「ホドヂン」錠 で知りました。「専売特許・虫よけの王」と書いてありました。これが「特許」という言葉と私との最初の接点だったように思います。
パラジクロルベンゼンが、電解法のソーダに伴なって生産される塩素を利用した製品であることを知ったのは、高校の化学。

「ほどがや」を「程谷」と書く例が出てきましたが、江戸時代、東海道神奈川宿と戸塚宿との間にあった宿場は「程ヶ谷宿」でした。もっとも、「保土ヶ谷宿」という表記間も存在したことは、広重の版画 からわかります。程土ヶ谷 もあり?

「程ヶ谷」は、現在では Googleで71800件と、「保土ヶ谷」に比べてマイナーな存在です。
しかし、行き止まりの初代横浜駅[49808] からスイッチバックして国府津へと進んだ東海道本線に設けられた駅名は、「程ヶ谷駅」でした。1887年の開業当時は、現在よりも「程ヶ谷」が使われていたのかもしれません。
保土ヶ谷駅への改称は、横浜駅が3代目の現在地に移ったよりも後の1931年でした。

「保土」と「程」、補助記号の「ヶ」と「ケ」と無表記。これを組み合わせると6種類もになります。
類似する事情にある 龍ケ崎市HP で、「住居表示」という項目を見たら、下記のようなQ&Aが記されていました。
結局のところ、官報に拠り所を求めると、総務省(自治省、遡れば内務省)が明治から使っていた「大きいケ」に合せるという線に落ち着くのでしょうが、ここも統一はごく最近のことでした。

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Q:市の名称の表記は「龍ケ崎市」、「竜ケ崎市」どちらが正しいのでしょうか
A:「りゅうがさき」の名称については、以前まで「龍ケ崎」と「竜ケ崎」の使用がまちまちでしたが、住民票などの市の公文書等については平成8年度より「龍ケ崎」に統一しています。これは昭和29年市制施行の際、官報に登載された書き表し方によるものです。
ただし、「竜ケ崎」を個人及び法人が使用することについては昭和33年の「市町村の名称の字体が、常用漢字でない従来の字体である場合は、常用漢字を用いて書き表しても法令上有効である」との自治省の見解に基づき、使用することは差し支えありません。

Q:龍ケ崎市の「ケ」は大文字の「ケ」、小文字の「ヶ」どちらが正しいのでしょうか
A:龍ケ崎市では、市町村名の「ケ」の表記について、使用がまちまちでしたが、市の公文書等については平成元年度より大文字の「ケ」に統一しています。これは昭和29年の市制施行の際、官報に登載された書き表し方に沿ったものです。
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本題の「ケ」から離れますが、漢字表記の違いと言えば、塩竈市役所内での表記統一は、1941年(市制施行の年)とのこと。従来の表記は、鹽竈・塩竈・鹽釜・塩釜。「塩」については常用漢字が、「竈」については地名の由来である「かまど」の字義に従った字が使われています。市民の過半数は、現在の市名で特に不便を感じない由。塩竈市HP
[70602] 2009年 6月 25日(木)23:17:29hmt さん
保土ケ谷 と 保土ヶ谷 (5)三ヶ日町→三ケ日町→三ヶ日町
最初に、「○が△」を名乗る市区町村を並べた[70571]で、説明不足だった点を補充。
○=漢数字である青森県上北郡六ヶ所村・宮城県刈田郡七ヶ宿町・宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町の3町村の「ヶ」は、「が」でなく「か」と読むのでした。
しかし、宮城県宮城郡七ヶ浜町だけは「が」なのですね。七ヶ宿町と微妙に違う。

漢数字に「ケ」を添えた町で、平成の合併により消滅した地方自治体に静岡県引佐郡三ケ日町がありました。
昭和合併より前に存在した旧三ヶ日町は、小さな「ヶ」のタイプ2で表記されていましたが、合併告示が大きな「ケ」で行なわれたために[63017]、1955年から2005年まで存在した新しい町の名は、タイプ3の 「三ケ日町」 とされてきました。

しかし、[52093] [54984] 稲生 さんの記事にあるように、浜松市編入後に「三ヶ日」に戻すことになり、政令指定都市になる少し前にタイプ2の「三ヶ日町」に戻りました。

浜松市HP
これまで三ケ日町の「ケ」の字は、昭和30年の旧三ヶ日町と東浜名村の合併以後、大文字とされてきましたが、平成19年3月3日から小文字の「ヶ」に変更いたしました。
もちろん、リンク頁から明らかなように、「三ヶ日町」に戻ったのは自治体名ではなく、三ケ日町三ケ日など浜松市の19大字名の一部分になっていた「三ヶ日町」です。

朝日新聞2006/11/30は、“大きなケで告示されたいきさつは、記録がなく不明だが、「合併の議決書を見る限りでは、小さなヶが使われており、告示を打つ人が大きなケにしてしまったのではないか」と推測している。”旨を報じています。
推測になりますが、ここにも内務省から自治省・総務省に好んで使われた「大きなケ」が顔を出しているようです。

昭和の合併告示により「正式には」三ケ日町になっても、地元は「三ヶ日みかん」のブランドを始めとして、「三ヶ日」という地名を使い続けてきたようです。
登録商標 第924665号 「三ヶ日みかん」
権利者の「三ケ日町農業協同組合」が大きな「ケ」になっているのは、登録時の自治体名に合せたものとわかりますが、商標公報 昭45-50907 の出願人欄に記された住所は、「静岡県引佐郡三が日町三が日885」となっています。どこかで誤記があって、「三が日」になってしまったのでしょうか?

前記の新聞報道によると、浜松市三ケ日総合事務所の看板でさえも「三ヶ日」となっていた由。国道の標識も27:3で「三ヶ日」優勢。

要するに正式には「三ケ日町」と言っても、それは行政文書の上だけの話だったようです。
地元の実情に合わせて「三ヶ日町」に変更したいが、自治体だった頃には、県を通して国に届ける町名変更の手続きが必要。
それが平成合併で浜松市の大字になった後は、県への届け出だけで済むことになり、変更への動きが一気に進んだとのことです。思いがけない合併のメリットでした。
[70605] 2009年 6月 26日(金)21:35:35hmt さん
保土ケ谷 と 保土ヶ谷 (6)槍ヶ岳
[70592] futsunoおじ さん
山名の「槍ヶ岳」は、ウオッちずの記載は小さい「ヶ」です。手持ちの5万図(昭和51年発行)でも山名の記載・図幅のタイトル共に同様でしたので、国土地理院の表記はこの間は変わっていないものと考えます。

5万の図歴 により大正2年発行以来「槍ヶ岳」であることを確認。但し、戦前の地形図は、旧字体の「槍ヶ嶽」だったと思います。1930年陸地測量部の「五万分一槍ヶ嶽及乗鞍嶽近傍図(五色刷)」表紙(ICICニュース39号pdf 所載)参照。芥川龍之介に「槍ヶ嶽紀行」という作品があります。

「山の便利帳」の中では2001年以前は「槍ガ岳」(大きい「ガ」)、2006年以降は「槍ヶ岳」(小さい「ヶ」)が使われています。

異なる表記をGoogleを調べると、なんと「槍が岳」334000件で「槍ヶ岳」203000件よりも多いのでした。少数派の「槍ガ岳」86200件、「槍ケ岳」29100件については、「もしかして槍ヶ岳」となっていました。旧字体の「槍ヶ嶽」も108000件と、意外に多数。

「言葉に関する問答集3」(文化庁,1977)55頁、新聞で用いられる「個所」のような用字法についての解説の中に、次の記載がありました。少し長くなりますが引用します。

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また、固有名詞の場合にも「駒ヶ岳」「槍ヶ岳」「青ヶ島」のように書かれる。これらは、一般には、片仮名の「ケ」を書いて、「カ」または「ガ」と読むのだと意識されているが、本来はそうではない。この「ケ」は片仮名ではなく、漢字の「个」(箇と同字)または「箇」のタケカンムリの一つを採ったものが符号的に用いられてきたものである。したがって、戦後の公用文や教科書などでは「ケ」を使わず、「か」を大きく書くことで統一されてきている。新聞では、社によって方針がまちまちで、平仮名の「か」を大きく書くもの、片仮名の「カ」を大きく書くもの、また「ヵ」を小さく書くもの等に分かれている。片仮名を使ったり、あるいは小さい活字を使ったりするのは、旧表記で「ケ」を小さく書いていたことの影響が残っているのだろう。
ところで、結論としては、漢字を使う場合は「箇」【つまり個所でなく箇所】、仮名書きにする場合は、公用文や教科書のように平仮名の「か」を書くのが、現在のところ最も穏当な書き方と思われる。なお、「槍ヶ岳」「青ヶ島」のような固有名詞の場合は、その固有の書き方に従っていいわけである。ただし、「霞が関」「自由が丘」のように、住居表示の実施によって、表記の改められた例もある。
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結局のところ、文化庁の見解は、当用漢字(当時)の音訓にないということで、新聞用語の「個所」には不賛成。
一般的には平仮名の「か」が無難。固有名詞は「槍ヶ岳」でいいとしています。

所有格を表わす現代語は「○の」になっており、「君ヶ代」のような古典は別として、「○が」が使われる場は、各地の人々により受け継がれてきた地名に限ると言ってよいほどです。
珍しく、現代の商品に使われている例が、 「白松がモナカ」。“平仮名の「か」が最も穏当”という文化庁の路線に沿う命名?

地名は、国語にかなり影響を与えていると思いますが、文化庁に代表される国語当局は、固有名詞については積極的な発言を避けているようです。
“固有の書き方”として重視されるのは慣習です。槍ヶ岳の場合は、登山者が利用する地形図の影響もあり、新字体・小さい「ヶ」の「槍ヶ岳」は広く受け入れられていると思われます。

横浜市では、条例によって、いつの間にか大きい「ケ」を使った「保土ケ谷区」という行政区域ができました[70564]
これが行政目的以外にも影響を及ぼし、「保土ケ谷」という地名表記が使われるようになる可能性があります。
しかし、N-H さん[70604]によると、地元でも「保土ケ谷」は定着しておらず、慣習としての“固有の書き方”は、現在でも「保土ヶ谷」のようです。

地元の知らないうちに告示文によって生まれたらしい「三ケ日町」は、50年たっても慣習による地名を変えるには至らず、結局は「三ヶ日町」に戻りました。[70602]

やはり、地名を決めるのは行政ではなく、人々なのだと思います。
[70617] 2009年 6月 27日(土)17:05:14【2】hmt さん
保土ケ谷 と 保土ヶ谷 (7)市区町村名における格助詞表記の事例集(が、か)
最初にGoogle検索結果を誤解していたので、釈明しておきます。

[70605]で、“旧字体の「槍ヶ嶽」も108000件と、意外に多数”と記しましたが、これは北アルプスの高山や大正時代の力士だけでなく、「賤ヶ嶽の七本槍」のように別の言葉に分離しているものも含んでいました。
改めて“槍ヶ嶽”を検索すると1020件で、“槍ヶ岳”の202000件と大差がありました。

同様に、“「保土谷」は132万件と、「保土ヶ谷」を上回っていました”との記載[70590]も、「保土」と「谷」に分割され、「保土ヶ谷」を含んだ結果でした。
“保土谷”で調べれば76400件で、“保土ヶ谷”の1220000件よりずっと少ないのでした。“保土ケ谷”は975000件。

ここから、市区町村名における格助詞の表記についての事例集。

[70574] むっくん さん
「尼ヶ崎」と「尼崎」の間で揺らぎを見せています。
大正5年4月1日より兵庫県川辺郡尼ヶ崎町を廃し其の区域と同郡立花村の内(中略)の区域とを以て尼崎市を置く

1916年の尼ヶ崎町→尼崎市 に際して、所有格を示す記号(格助詞の変形)が省略されたのですね。
そういえば、市になる前ですが、昭和合併の時に 越ヶ谷町→越谷町 という変更もありました。

そこまでは遡りませんが、概ね昭和合併時代以後に存在した市区町村名における格助詞の表記事例を集めてみました。
月瀬村→月ヶ瀬村 という、逆方向の事例もあります。

最初は、[70571]で記した「○が△」の改訂版。コード順。現存しない市町村は消滅年(西暦下2桁)を付記。

タイプ1 = 「が」を書かない
熊谷市、越谷市、世田谷区、各務原市、尼崎市。
“町村にも多数あると思います”と記していましたが、調べてみたら、平成合併で消滅した2町だけでした。
鳥取県八頭郡用瀬町04、大分県日田郡天瀬町05.

タイプ2 = 小さい「ヶ」
青森県東津軽郡外ヶ浜町、同西津軽郡鰺ヶ沢町、宮城県宮城郡七ヶ浜町、茨城県新治郡霞ヶ浦町05、埼玉県鳩ヶ谷市、同鶴ヶ島市、東京都青ヶ島村、神奈川県茅ヶ崎市、新潟県北蒲原郡京ヶ瀬村04、長野県駒ヶ根市、静岡県安倍郡梅ヶ島村69、三重県阿山郡島ヶ原村04、大阪府泉北郡泉ヶ丘町59、奈良県添上郡月ヶ瀬村05、佐賀県神埼郡吉野ヶ里町、熊本県天草郡龍ヶ岳町04

# 昭和合併時代より前には、埼玉県南埼玉郡越ヶ谷町54や岐阜県羽島郡竹ヶ鼻町54など多数の事例がありますが、これらは除いてあります。

タイプ3 = 大きな「ケ」
青森県南津軽郡碇ケ関村06、岩手県胆沢郡金ケ崎町、茨城県龍ケ崎市、千葉県鎌ケ谷市、同袖ケ浦市、神奈川県横浜市保土ケ谷区、静岡県田方郡天城湯ケ島町04、同引佐郡三ケ日町05、岐阜県不破郡関ケ原町

そして、漢字から離れると、タイプ4 = 平仮名の「が」も誕生しています
茨城県かすみがうら市

「○か△」は、タイプ2 = 小さい「ヶ」だけ[70602]
青森県上北郡六ヶ所村、宮城県刈田郡七ヶ宿町、宮崎県西臼杵郡 五ヶ瀬町 (その前身に 三ヶ所村56)

「ガ」又は「カ」と表記する市町村は不存在と思われます。
データベース検索 で、最も古い2003/9/1を用いても、「ガ」「カ」の部分一致はヒットせず。
[70625] 2009年 6月 28日(日)15:48:18hmt さん
保土ケ谷 と 保土ヶ谷 (8)市区町村名における格助詞表記の事例集(の)
所有格を表わすのに「が」を使うのは、かなり古い言い方で、最も普通に用いられるのは「の」です。
発音に「の」が入る市町村名は、極めて多数ありますが、大部分は「野」などの漢字に対応しています。
例えばスキー場があるのはマキノ町牧野。えびの高原も、一面の“えびね色”になるススキの野から付けられたものと言われています。参考

「天王寺」は、「天」と「王寺」の間に挿入される「の」がありますが、これは格助詞ではなく、「…n」と「o…」との連声により「no」の音ができたものと考えます。

「内海」は、「うち-の-(う)み」という構造で、格助詞を表記しない形と理解しました。
「米水津」も、「よ(ね)-の-うず」ではないかと思うのですが、「水津」が「うず」と読めるのかどうか、良くわかりません。

タイプ1=「の」を書かない「○△」
有名な「一戸」~「九戸」のシリーズ、全国にある「一宮」など、事例は極めて多数。

北海道紋別郡滝上町、青森県八戸市、南津軽郡尾上町06、上北郡七戸町、六戸町、三戸郡三戸町、五戸町、岩手県一関市、二戸市、九戸郡九戸村、二戸郡一戸町、宮城県石巻市、桃生郡桃生町05、秋田県北秋田郡鷹巣町05、由利郡金浦町05、仙北郡角館町05、山形県上山市、東村山郡山辺町、栃木県宇都宮市、河内郡上三川町、芳賀郡二宮町09、埼玉県鴻巣市、千葉県香取郡東庄町、長生郡一宮町、東京都西多摩郡檜原村、神奈川県中郡二宮町、新潟県東蒲原郡鹿瀬町05、富山県東砺波郡井口村04、石川県能美郡辰口町05、山梨県東八代郡一宮町04、長野県上伊那郡箕輪町、南箕輪村、岐阜県安八郡墨俣町06、静岡県富士宮市、愛知県一宮市、宝飯郡一宮町06、大阪市此花区、箕面市、兵庫県西宮市、宍粟郡一宮町05、城崎郡城崎町05、養父郡関宮町04、津名郡一宮町05、島根県八束郡美保関町05、邇摩郡温泉津町05、鹿足郡柿木村05、広島県尾道市、因島市06、豊田郡木江町03、山口県下関市、熊毛郡上関町、香川県小豆郡内海町06、土庄町、香川郡塩江町05、長崎県東彼杵郡東彼杵町、新魚目町04、熊本県葦北郡田浦町05、球磨郡湯前町、大分県北海部郡佐賀関町05、南海部郡米水津村05、宮崎県都城市、鹿児島県鹿屋市、川辺郡坊津町05

# 今回も、昭和合併時代より前の三重県南牟婁郡木本町54などは、除いてあります。以下同様。

タイプ2=「之」を書く「○之△」
福島県双葉郡久之浜町66、群馬県吾妻郡中之条町、利根郡糸之瀬村58、新潟県西蒲原郡中之口村05、中之島町05、北魚沼郡堀之内町04、湯之谷村04、東頸城郡松之山町05、岐阜県安八郡輪之内町、武儀郡上之保村05、静岡県牧之原市、滋賀県伊香郡木之本町、大阪市住之江区、愛媛県川之江市04、長崎県南高来郡口之津町06、南松浦郡玉之浦町04、宮崎県北諸県郡山之口町06、西臼杵郡日之影町、鹿児島県西之表市、薩摩郡宮之城町05、肝属郡内之浦町05、大島郡徳之島町

昭和の大合併を実現させた3年間の時限立法「町村合併促進法」が満期になった1956年(昭和31年)9月30日[55364]の駆け込み合併に際しては、日の影町→日之影町 という改称もありました。

タイプ3=「ノ」を書く「○ノ△」
北海道檜山郡上ノ国町、石川県河北郡宇ノ気町04、長野県篠ノ井市66、下高井郡山ノ内町、鳥取県岩美郡津ノ井村63、島根県隠岐郡西ノ島町、徳島県那賀郡羽ノ浦町06、高知県高岡郡上ノ加江町57、福岡県三井郡宮ノ陣村58、長崎県壱岐郡郷ノ浦町04、大分県北海部郡坂ノ市町63、

昭和合併前なので省いてありますが、上中下トリオの「○ノ村」 もありました。これも1956/9/30の駆け込み合併。

タイプ4=「の」を書く「○の△」
極めて少なかったのですが、平成の合併により3件も出現していることが注目されます。
東京都西多摩郡日の出町、静岡県伊豆の国市、和歌山県紀の川市、島根県隠岐郡隠岐の島町、熊本県阿蘇郡一の宮町05

相撲の四股名には「若乃花」のような格助詞「乃」を見かけますが、市町村名には使用例がないようです。
[70649] 2009年 6月 29日(月)23:24:22hmt さん
保土ケ谷 と 保土ヶ谷 (9)数詞特有の読み方をする市区町村名
[70643] あきすて さん
嵐電の帷子ノ辻駅のある「太秦帷子ケ辻町」は、”うずまさかたびらのつじちょう”。
「ケ」を「の」と読んでいます。

京都市右京区 には、「太秦○ケ△町」という町が13もありますが、その中でも唯一「の」と読むということは、地名の宝庫の京都でさえも、珍しい読み方なのですね。

例外の「太秦帷子ケ辻町」はさておき、○ = 普通名詞の場合、「○ケ△」は一般的には「○が△」と読みます。
しかし、◎ = 数詞の「◎ケ△」になると、六ヶ所村・七ヶ宿町・五ヶ瀬町のように「◎か△」と読みます[70602]

このように、数詞特有の読み方をする市区町村名を集めてみました。
現存しない市区町村名は、末尾に消滅年(西暦下2桁)を付記してあります。[70617][70625]も同じ。

最初は、数詞の中でも独特な数え方の表現が定着している「日数」の地名です。
このグループの中で、三ケ日町05については、「ケ」の大小に関連して[70602]で言及しました。
よく考えてみると、「三ヶ日」とは不思議な呼び名ですね。普通ならば、「みっか」で「3日」の意味になるので、最後の「ひ」は余分。「さんがにち」と読むと、別の意味になってしまうし…

太陰暦三日の細い月相を「三日月」と呼び、兵庫県佐用郡三日月町05と佐賀県小城郡三日月町05とがありました。前者は「三日月の影」に祈った山中鹿介幸盛(尼子十勇士)に因む地名でしょう。

三重県四日市市・新潟県十日町市・広島県廿日市市は現存です。新潟県南魚沼郡六日町04、島根県鹿足郡六日市町05、滋賀県八日市市05、千葉県八日市場市06がありましたが、平成合併で名が変りました。
「よっか」は「四ツ日」かもしれませんが、「むいか」「ようか」「とおか」「はつか」は熟字訓で、助詞の「ケ」と同列に論じることはできないようです。

「ヶ」を「か」と読む五ヶ瀬町・六ヶ所村・七ヶ宿町、「が」と読む七ヶ浜町については既出[70602]
島根県隠岐郡五箇村04と滋賀県神崎郡五個荘町05とは、格助詞「か」を、それぞれ「箇」「個」という漢字で表記しています。

助詞の「の」は、数詞にも使いますが、普通名詞と共に[70625]で既出。
「一宮町」の多くが過去帳入りしたのに対して、「一戸」~「九戸」シリーズが健在なのが目立ちます。
大分県玖珠郡九重町は、「ここのつ」の語幹で、助詞の「の」とは無関係。

数詞と言えば、“ひとつ、ふたつ、みつ、よつ、いつつ、むつ、ななつ、やつ、ここのつ”ですが、語尾の「つ」は個数を示すもので、漢数字だけで「つ」を含む数として読むことができます。
従って、千葉県四街道市、熊本県八代市のように、「つ」を補って読むが表記しないのが主流です。
平成合併で自治体名からは消えましたが、北海道三石郡三石町06、福岡県山門郡三橋町05、佐賀県神埼郡三瀬村05、富山県婦負郡八尾町05、山梨県東八代郡八代町04を挙げることができます。

熊本県球磨郡五木村[68558]、同天草郡五和町06の「いつ」は、三石・三橋・三瀬の「みつ」とは違い、「いつつ」から語尾の「つ」を除いた語幹部です。三鷹・三島・三木・三原などの「み」に相当するので、上記の助詞的な「つ」のリストから除外してあります。

秋田県山本郡二ツ井町06は「ツ」を送る唯一の市町村でしたが、過去帳に入りました。
もっとも、自治体でなければ、東京都千代田区一ツ橋のように「ツ」を送る地名はあります。ここを発祥の地とする「一橋大学」[3273]には、「ツ」がありません。

現在の新宿区四谷にも、かつての東京市四谷区にも「ツ」はありませんが、鉄道は「四ツ谷駅」です。
(営団→)東京メトロも(国鉄→)JRに合せていますが、丸ノ内線の次の駅は「四谷三丁目駅」と、こちらは町名に合せています。
[70659] 2009年 6月 30日(火)16:03:44hmt さん
保土ケ谷 と 保土ヶ谷 (10)鉄道では「ケ」の大小を問わない 市町村名も同じことではないか
[70604] N-H さん
私の定期券にもあいかわらず保土ヶ谷と書かれているし(これは駅名だから仕方ないが)。
[70610] KK さん
JR東日本の公式サイトでは、「保土ケ谷駅」となっており、大きな「ケ」が使われています。
[70632] 伊豆之国 さん
車内に掲げられている路線図でも、「市ケ谷」「茅ケ崎」のように全て「ケ」になっていました。
[70652] N-H さん
保土ヶ谷駅にて駅名表記をつぶさに見てきました。 結果、見事な混在ぶりであきれるくらい。
「ケ」:駅舎入口の駅名表記、ホームにある駅名標
「ヶ」:自動券売機で発売している切符の駅名、ホームに掲示の路線図、その他諸々

“鉄道では、「ケ」の大小を区別しない”ということだと思います。
つまり、どちらも正しい。

N-Hさんも 伊豆之国さんも ご存知の「時刻表名探偵」(1979)240頁には次のように記されています。
国鉄の駅の名前も、開業した時出す「鉄道公報」が決め手になる。

「鉄道公報」の現物は見ていないのですが、日本国有鉄道が開業100周年を記念して刊行した「停車場一覧(昭和47年10月14日現在)」によると、(全体として片仮名活字自体が漢字より心持ち小さめではあるが、)特に小さい「ヶ」は使っていません。

公示された駅名は、「ケ」を使い、「保土谷」や「保土が谷」ではないことを明らかにしています。

しかし、その文字を、漢字とのバランス上少し小さく書くのは書き手の裁量です。
乗車券は印刷ですが、これも漢字とのバランスで、ポイント数を下げた活字を使ったのでしょう。
それが尾を引いて、電子化された券売機の文字にも小さな「ヶ」が生き続けているが、これは文字のバランスを図るという美的感覚の問題であって、公示された「ケ」と別の文字を使う意図ではないはずです。

もちろん、駒ケ岳 のように、大きな「ケ」で駅名を印刷した切符も多いと思います。
参考までに、当用漢字字体表の告示(昭和24年)により、当用漢字にある字は自動的に新字体に読み替えられ、函館本線の駅名も「駒ケ嶽」から「駒ケ岳」に変ったはずですが、リンク頁にあるように、昭和41年の切符が、まだ旧字体で印刷されています。

実は、「ケ」の大小を問わないこと、当用漢字字体表による新字体への移行は、行政地名についても同様であったと思われます。

明治初期 「武蔵国橘樹郡保土ケ谷町」だった時代(郡区町村一覧)から、保土ケ谷区(横浜市条例)に至るまでの行政地名「保土ケ谷」についても、公示された文書における活字の見かけの大きさから、「大きいケが正しい」などを論じるのは、正しい態度ではないのでしょう。
昔は、地形図の注記に見られた極端に小さい「ヶ」までも許容してきました[70564]

「ケ」の大小で問われるのは、どちらが正しいのかではなく、当事者がどちらを好むかということでしょう。
鳩ヶ谷市・茅ヶ崎市は小さい「ヶ」を好み、龍ケ崎市・鎌ケ谷市は大きい「ケ」を好む。それだけ。
[70691] 2009年 7月 2日(木)17:54:07hmt さん
保土ケ谷 と 保土ヶ谷 (11)横浜 と 横濱
横浜の 開港記念日 は、旧暦(安政6年)の日付に由来する「6月2日」とされていますが、西洋流の暦では1859年7月1日であり、昨日が本当の開港150周年だったのですね。

ついでに言っておくと、「横浜開港150周年」と呼んでいますが、「日本國亞米利加合衆國修好通商条約」 の第三条に明記されているように、開港を約束した地名は「神奈川」です。神奈川と横浜との関係については、過去記事 参照。

その横浜、東海道では神奈川の次の宿場である保土ケ谷から始まった「ケ」の大小の議論は、駅名にも及びました。

そこで、鉄道では「ケ」の大小を区別しないようなので「保土ケ谷」と「保土ヶ谷」のどちらも正しいという趣旨の発言[70659]をしたところ、[70671] MasAka さんから、次のご意見をいただきました。
公式書類上の正式名称は必ず存在していますから「どちらも正しい」というわけではなく、単に表記の統一が徹底されていないだけ

公式書類上の表記は「正しい」でしょう。だからといって、それ以外の表記が「正しくない」とは言えません。
「ケ」の大小ではないのですが、ここで「横浜」という表記について検討してみます。

明治22年内務省告示第1号 で,最初に「市制」が施行される36市が指定されました。[34434]Issieさん
これには、“神奈川縣管下 横濱”と記されています。つまり、「公式書類」に使われた表記は「横濱」でした。

戦後の昭和21年(1946)11月16日、内閣告示第32号で当用漢字表1850字が制定されました。
その中には「浜」を含む131字の簡易字体があり、“簡易字体については、現在慣用されているものの中から採用し、これを本体として…”との「まえがき」がありました。

同じ「まえがき」に、“固有名詞については(中略)別に考えることとした”とあり、「横浜」の法令上の表記を明らかにするためには、この点がどうなっているのかを解明する必要があると思われますが、新聞などでは上記告示の直後から「横浜」が使われるようになり、横浜市の公式表記も、遅くない時期に「横浜」へと移行していったものと思われます。
現在の横浜市例規集の中で確認できるところでは、昭和25年の「横浜市公告式条例」があります。
(ウェブ頁の作成は2001年で、原書類の表記が「横浜市」であったか否かについては疑いの余地あり)

当用漢字の影響によって、かつての「横濱」は、事実上「横浜」という表記に変ったと思われます。
新旧表記のいずれかがが「正しく」、他は「正しくない」と言えるでしょうか?
法令上の根拠は十分に解明されてないものの、横浜市当局や、一般の人々の多くに支持されて、現在では専ら通用している「横浜」という表記は 、もちろん正しいでしょう。

一方、横浜市電の切符 を見ると、昭和26年になってもまだ「横濱市交通局」となっていますから、横浜市当局(の一部?)でさえも、「当用漢字字体表」に拠っていなかったことがわかります。

「開国博Y+150」[70310] で久しぶりに目にすることが多くなったレトロ調の「横濱開港150周年」という言葉。これも また正しいのだと思います。
150年前の開港は、冒頭で記したように、「対外的公式文書では」神奈川でしたが、実質的には「横濱」でした。

1889年に発足した時は「横濱市」。1927年に5区ができた時は「保土ヶ谷区?」。
1946年11月に当用漢字制定。1956年に政令指定都市になった後、1959年に区設置条例。1969年に保土ケ谷区と旭区に分割。
このような経過の中を経て、現在は「横浜市」「保土ケ谷区」が使われているが、正確な移行時期は不明。

…というよりも、「ある日付を境にして改名した」のではなく、「両方とも正しい」状態で共存したまま、次第に移行したのでしょう。
「浜」と「濱」、「ケ」と「ヶ」とを別の文字として認識している 石頭コンピューター からすれば、正しいのはどちらだ?と言いたいのでしょうが…
[70692] 2009年 7月 2日(木)18:25:01hmt さん
保土ケ谷 と 保土ヶ谷 (12)むすび
[567] miki さん
バイクのナンバープレートで「伊豫市」という表記がしてありました。疑問に思って市役所に連絡したところ...。
歴史的文化なども大切にしたいという思いでこのような表記にしていましたが、1992年から「伊予市」に統一したそうです。

[577] Issie さん
なるほどね。だから1990年の「国政調査報告」までは「伊豫市」と書いてあったのが,95年から「伊予市」となってたのか。
こりゃ「官報」には載りませんな。
だって「豫」と「予」は“同じ漢字”だから。“改称”にはなりませんからね。
(中略)
こんなことがあるとすると,「ケ」の大小にこだわるなんて,およそ意味のないことだなぁ…。
注:「予」も昭和21年当用漢字制定以来の「簡易字体」。昭和30年発足の 伊予市 は、新字体で告示されていると思います。

「ケ」の大小も、新旧字体も好みの問題。「どちらも正しい」。
伊予市役所が、歴史的文化重視の立場から旧字体を使うのも、それを改めて事務処理優先の新字体表記に統一するのもは許される。
保土ケ谷駅が、自分のこだわりで小さな字体の「保土ヶ谷」と書かれた切符を発行するのも許される。
唯一の「正しい表記」だと断定したり、他人に強制したりするのは問題でしょうが。

[70691]で、横浜の「浜」が含まれていた1946年当用漢字簡易字体131字の中には、「沢」と「台」もありました。
従って、金沢や仙台についても横浜と同様にあったと思われます。

1946年の当用漢字表では康煕字典体であった「廣」ついて、「広」という新字体が制定されたのは、一足遅れた昭和24年(1949)4月28日内閣告示第1号による「当用漢字字体表」でした。
従って、「広島」という表記が公式になったのは、これ以後と思われます。

ここで、また鉄道の駅名に戻り、関東鉄道竜ヶ崎線の竜ヶ崎駅。
僅か4.5kmの短い路線ながら、明治33年(1900)開業という古い歴史を持つ龍崎鉄道[61304]
昔の定期券 を見ると、駅名には、会社名にない「ケ」が付いていました。

鹿島参宮鉄道時代の昭和30年(1955)の切符に「竜ケ崎」と新字体が登場。
「竜」は、昭和29年(1954)3月15日の当用漢字補正資料で(非公式に)加えられた28字の一つです。
なお、「個」(こ)に「か」という読みを加える案も、この補正資料に入っています。
「竜」は、昭和56年の常用漢字で正式採用になりましたが、「個」の読み「か」は今でも日陰の身。

それはさておき、国鉄は1954年の当用漢字補正資料を受けて、戦前に開業した天龍川、中部天龍、本龍野など11駅を「竜」に読み替えたそうです(時刻表名探偵)。私鉄の「龍ケ崎」も右にならえで「竜ケ崎」になったのでしょう。

実は、このように「竜」という字が半ば公認された日付は、龍ケ崎市誕生 の5日前でした。5日では、とても準備が間に合わないわけですが、仮にもっと時間的な余裕があった場合、「竜ケ崎市」になっていたかどうか?

保土ケ谷から出発して助詞的な「が」の表記、特にその大小を論じてきた このシリーズ
長くなりましたが、このあたりで幕を引きます。

もともと、「が」という発音を導くための記号と、片仮名というルーツを異にする2種類の「ケ」ですが、発音で区別できるので、字体の大きさなど気にせず、同一視しておけばこんな問題はなかった筈です。

国語当局は、片仮名でない記号につき、従来は小さい「ヶ」を書く習慣を認識しながらも、現代かなづかいの立場からは「か」(連濁すれば「が」)と書くことを穏当と考えていました。[70605]
しかし、地名の場合はその固有の書き方を尊重するという立場から、積極的に口を出すのは遠慮していたようです。

その間に、自治行政当局は、内務省以来の書き方である大きい「ケ」を使った告示を出し続け、工業標準担当の組織は、片仮名と記号の使い分け基準も示さないまま、大小2種類のJIS文字を作ってしまいました。
コンピュータのデジタル文字文化は、人々の意識を変化させ、今日の混乱状態に至りました。

私の一連の記事も、正直なところ、重箱の隅をつついているような発言です。
本心では、地名という文化遺産に、もっとおおらかな態度で接したいと思っているのですが…


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