[567] miki さん
バイクのナンバープレートで「伊豫市」という表記がしてありました。疑問に思って市役所に連絡したところ...。
歴史的文化なども大切にしたいという思いでこのような表記にしていましたが、1992年から「伊予市」に統一したそうです。
[577] Issie さん
なるほどね。だから1990年の「国政調査報告」までは「伊豫市」と書いてあったのが,95年から「伊予市」となってたのか。
こりゃ「官報」には載りませんな。
だって「豫」と「予」は“同じ漢字”だから。“改称”にはなりませんからね。
(中略)
こんなことがあるとすると,「ケ」の大小にこだわるなんて,およそ意味のないことだなぁ…。
注:「予」も昭和21年当用漢字制定以来の「簡易字体」。昭和30年発足の
伊予市 は、新字体で告示されていると思います。
「ケ」の大小も、新旧字体も好みの問題。「どちらも正しい」。
伊予市役所が、歴史的文化重視の立場から旧字体を使うのも、それを改めて事務処理優先の新字体表記に統一するのもは許される。
保土ケ谷駅が、自分のこだわりで小さな字体の「保土ヶ谷」と書かれた切符を発行するのも許される。
唯一の「正しい表記」だと断定したり、他人に強制したりするのは問題でしょうが。
[70691]で、横浜の「浜」が含まれていた1946年当用漢字簡易字体131字の中には、「沢」と「台」もありました。
従って、金沢や仙台についても横浜と同様にあったと思われます。
1946年の当用漢字表では康煕字典体であった「廣」ついて、「広」という新字体が制定されたのは、一足遅れた昭和24年(1949)4月28日内閣告示第1号による「当用漢字字体表」でした。
従って、「広島」という表記が公式になったのは、これ以後と思われます。
ここで、また鉄道の駅名に戻り、関東鉄道竜ヶ崎線の竜ヶ崎駅。
僅か4.5kmの短い路線ながら、明治33年(1900)開業という古い歴史を持つ龍崎鉄道
[61304]。
昔の定期券 を見ると、駅名には、会社名にない「ケ」が付いていました。
鹿島参宮鉄道時代の昭和30年(1955)の切符に「竜ケ崎」と新字体が登場。
「竜」は、昭和29年(1954)3月15日の当用漢字補正資料で(非公式に)加えられた28字の一つです。
なお、「個」(こ)に「か」という読みを加える案も、この補正資料に入っています。
「竜」は、昭和56年の常用漢字で正式採用になりましたが、「個」の読み「か」は今でも日陰の身。
それはさておき、国鉄は1954年の当用漢字補正資料を受けて、戦前に開業した天龍川、中部天龍、本龍野など11駅を「竜」に読み替えたそうです(時刻表名探偵)。私鉄の「龍ケ崎」も右にならえで「竜ケ崎」になったのでしょう。
実は、このように「竜」という字が半ば公認された日付は、
龍ケ崎市誕生 の5日前でした。5日では、とても準備が間に合わないわけですが、仮にもっと時間的な余裕があった場合、「竜ケ崎市」になっていたかどうか?
保土ケ谷から出発して助詞的な「が」の表記、特にその大小を論じてきた
このシリーズ。
長くなりましたが、このあたりで幕を引きます。
もともと、「が」という発音を導くための記号と、片仮名というルーツを異にする2種類の「ケ」ですが、発音で区別できるので、字体の大きさなど気にせず、同一視しておけばこんな問題はなかった筈です。
国語当局は、片仮名でない記号につき、従来は小さい「ヶ」を書く習慣を認識しながらも、現代かなづかいの立場からは「か」(連濁すれば「が」)と書くことを穏当と考えていました。
[70605]
しかし、地名の場合はその固有の書き方を尊重するという立場から、積極的に口を出すのは遠慮していたようです。
その間に、自治行政当局は、内務省以来の書き方である大きい「ケ」を使った告示を出し続け、工業標準担当の組織は、片仮名と記号の使い分け基準も示さないまま、大小2種類のJIS文字を作ってしまいました。
コンピュータのデジタル文字文化は、人々の意識を変化させ、今日の混乱状態に至りました。
私の一連の記事も、正直なところ、重箱の隅をつついているような発言です。
本心では、地名という文化遺産に、もっとおおらかな態度で接したいと思っているのですが…