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落書き帳記事集支庁を考える


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発言者
[71552]2009年8月9日
支庁を考える (1)千葉県から「支庁」が消えていた hmt
[71553]2009年8月9日
支庁を考える (2)長崎県・沖縄県からも「支庁」が消えた hmt
[71676]2009年8月15日
支庁を考える (3)北海道の支庁再編 14支庁から 9総合振興局 プラス 5振興局へ hmt
[71685]2009年8月16日
支庁を考える (4)北海道の支庁再編 所管区域 と 施行日 hmt
[71695]2009年8月17日
支庁を考える (5)「地名もどき」の広域指標として地図に描かれた 北海道の「支庁」 hmt
[71705]2009年8月18日
支庁を考える (6)北海道当局は、支庁の所管区域に市部を含めている(その1) hmt
[71706]2009年8月18日
支庁を考える (7)北海道当局は、支庁の所管区域に市部を含めている(その2) hmt
[71731]2009年8月20日
支庁を考える (8)北海道の「支庁」−その概略史(戦前編) hmt
[71744]2009年8月21日
支庁を考える (9)北海道の「支庁」−その概略史(戦後編) hmt
[71798]2009年8月27日
支庁を考える (10)日本のスイス?−山国の支庁 hmt
[71887]2009年9月6日
支庁を考える (11)東京都島嶼部の4支庁 南の島がなぜ「東京」なのか hmt
[71888]2009年9月6日
支庁を考える (12)東京都島嶼部の4支庁 3島庁から4支庁へ、そして現在の組織規程 hmt
[71906]2009年9月8日
支庁を考える (13)隠岐・対馬・奄美の支庁 hmt
[71912]2009年9月10日
支庁を考える (14)宮古と八重山、佐渡・五島・壱岐・天草・熊毛、そして淡路にも支庁 hmt



[71552] 2009 年 8 月 9 日 (日) 14:00:19 hmt さん
 支庁を考える (1)千葉県から「支庁」が消えていた
hmt 県の下位区分

[71480] でるでる さん
変遷情報における「支庁」の取り扱いの方向性というか位置づけがまだハッキリとはしていない点もあり、なかなか悩ましいのが正直なところです。

同じ「支庁」という言葉でも、地域・時代によってその意義が異なり、変遷情報での位置づけをどのようにすべきか悩ましいという事情は理解できます。
支庁については既に アーカイブズ もありますが、この機会に私なりに考えてみました。

# シリーズのタイトルを見てニヤリとされたのは、昔の記事をご存知の方。
記事検索によるとタイトル欄に「考える」がある記事は230件。最初は「考えるシリーズ」発明者(152件)の独走状態で、“Re:…を考える”という形の記事がたまに入る程度。
2003年2月に特許切れ状態?になり、筆者の数が急増。私も[32975]で拝借。

それはさておき、最初は「支庁」に関する近年の情報から。
当面は変遷情報とは無縁と思われますが…

地方自治法155条は、都道府県知事が必要な地に条例で設けることができる出先機関の一種が「支庁」であるとしていました。
市町村のように全国画一の制度ではなく、都道府県の実情に応じて設けるべき機関。県内全域に設けるか、一部に設けるか、全く設けないか、設けるのは支庁か地方事務所のいずれか、それを何と呼ぶか(振興局など他の呼び名も多い)は、条例まかせです。

地方公共団体の長がその権限に属する事務を分掌させるため、条例で設ける出先機関という点では政令指定都市の「区」との類似点がありますが、画一的な行政区の制度に比べて、支庁の制度はずっと柔軟であり、多様性に富んでいます。(それだけに、変遷情報では取り扱いにくい。)

このような都道府県出先機関については、落書き帳の初期に Issieさん自身が[344]で紹介されている 県の下位区分 にまとめられています。

これによると、例えば千葉県は(政令指定都市の千葉市を含む)県の全域について、旧郡域に近い所管区域pdf(図があるが重い)を持つ10支庁を設けていました[728]

千葉県の出先機関は2004年に5つの 県民センター に再編されています。千葉県行政組織条例第十五条の三
新たな所管区域には、千葉市と市原市が含まれていません。
このように、都道府県は、その区域の一部又は全部に支庁または地方事務所を設けないこともできます。

[71553] 2009 年 8 月 9 日 (日) 14:17:02【1】 hmt さん
 支庁を考える (2)長崎県・沖縄県からも「支庁」が消えた
hmt 県の下位区分

長崎県には五島支庁・壱岐支庁・対馬支庁がありました。

これは、大正15年(1926)に全国の郡役所・郡長が廃止された際に、県庁所在地との交通が不便な離島や山間僻地に設置された25支庁のうちの3つを引き継ぐものでした。
# Issie さんが [730]で紹介している 内務省告示を見ると、東京府、長崎県、新潟県…という順序です。
国勢調査報告では既に1920年から現在の都道府県配列順が使われていましたが、この告示は、まだ五港の一つを擁する長崎県が三府に次ぐ地位にあという旧配列順[34038]でした。

五島列島については、この告示にあるように「南松浦支庁」という名でしたが、地方自治法に基づく条例に引き継がれた後の1960年の改正で「五島支庁」と改められました。

長崎県支庁設置条例は改正されて、2005年4月1日から五島・壱岐・対馬の3地方局になりました。

現在は本年(2009年)4月1日から施行された「長崎県振興局設置条例」により、それぞれは「○○振興局」という名になっています。
今回は、従来からあった島原振興局・県北振興局のほかに長崎振興局・県央振興局も設けられたので、五島振興局・壱岐振興局・対馬振興局と合せて合計7振興局体制になっています。

沖縄県には、沖縄県支庁設置条例による宮古支庁と八重山支庁とがありました。
この2支庁も、前記1926年の内務省告示に由来するものでしたが、戦後の時期があるので、もちろん現在まで連続した存在ではありません。

八重山事務所 によると、支庁の各課は2009年4月1日の組織再編により本庁直結型の部署に生まれ変わったとのことです。
沖縄県行政機関設置条例にその名が記されていないことから、沖縄県の2つの「支庁」は廃止されたものと思われます。
関連していると思われる記事[66477]

支庁廃止の情報ばかり続きましたが、新設もあります。

山形県は、郡規模で設けられていた地方事務所を2001年に統合し、村山・最上・置賜・庄内という4つの 「総合支庁」 を設置しました。山形県行政組織規則第29条

まだ施行されていませんが、大物が一つ残っています。
もちろん、既に話題になっている北海道の支庁再編問題です。これについては稿を改めます。

[71676] 2009 年 8 月 15 日 (土) 18:21:14 hmt さん
 支庁を考える (3)北海道の支庁再編 14支庁から 9総合振興局 プラス 5振興局へ
hmt 県の下位区分

今回、支庁の存在が話題になったきっかけは、市区町村変遷情報・東京都における新島村の表記に「大島支庁」を冠することの当否を問うもの[71478] むっくん さん でした。

これに応えた[71480] でるでる さんのコメントからもわかるように、支庁のありようは都道府県により異なります。
東京都の島嶼部にある自治体(八丈町、大島町など)は所属する郡が無いという特殊な事情もありますので、その代わり?

首都圏にありながら千葉県に存在した支庁を意識することなく、それが5年前に消失していたことも知らなかった。
このように話題になることの少ない「支庁」という存在。それにスポットライトを当てるシリーズは、現存する支庁に関する最近の動きから始まりました。[71552] [71553]

今回は、地図の上で唯一「日の目」を見ている北海道の 14支庁 が再編される動きに触れます。

北海道庁HPの 支庁制度改革の取組 は、
「北海道総合振興局及び振興局の設置に関する条例」(平成20年北海道条例第78号)は、平成21年10月1日施行予定です
と記し、地方自治法体制の下62年にして初めて行なわれる支庁制度改革の実施が近くなったことを伝えています。過去記事 参照。

昨年6月の道議会で可決成立した上記の条例で、一度は 14支庁を9つの総合振興局に再編し、石狩・日高・檜山・留萌・根室の5支庁を、「支庁出張所である振興局」に格下げすることが決まりました。
ところが、本年4月施行予定だったこの条例は、未施行のまま3月31日再改正されました。[70174] 紅葉橋律乃介 さん

その改正(北海道条例平成21年第52号)内容は、北海道公報号外第14号 に 6項目 記されていました。
(1) 条例題名を「北海道総合振興局及び振興局の設置に関する条例」に変更
(2) 振興局も支庁として位置付け
(3) 前半は総合振興局の名称改正(後半は次回以降の別問題にします)
(4) 広域的事務の所掌
(5) , (6) 省略

改正点のポイントは (2) と (4) であろうと思われます。
つまり、組織簡素化という所期の目的は、広域事務の所掌特例により図ることになり(4)、出張所降格が予定されていた 5つの振興局も、名目上は9つの総合振興局と同格の「支庁」の地位を維持することで決着しました(2)。

[71685] 2009 年 8 月 16 日 (日) 15:02:29 hmt さん
 支庁を考える (4)北海道の支庁再編 所管区域 と 施行日
hmt 県の下位区分

昨年制定された北海道総合振興局に再編する条例は、降格予定地域への配慮から、名目上は5振興局も「支庁」の地位を維持する形に改正されました。新しい別表を含む 改正後の条例pdf

本年3月の改正(H21条例52)に関連して私が注目したのは、北海道公報号外第14号[71676]に記された改正内容 (3) の後半です。そこには、次のように記されていました。
併せて総合振興局及び振興局の所管区域から市を除くこととした(第2条及び別表1関係)。

昨年6月、北海道総合振興局設置条例が北海道議会で可決成立したことを受けた[65633]において、
今回成立した「北海道総合振興局設置条例」の別表第1では、所管区域として市町村名が列挙されており、総合振興局が市を所管していることが明示されました。
と書いたのですが、これが H21改正の結果、元に戻ってしまったのですね。

後で記すつもりですが、昨年制定当時の別表1は、その60年前に「北海道支庁設置条例」を制定した際の「ボタンの掛け違え」を正すものとして評価していたのです。それがキャンセルされてしまったのは残念です。

上記の記事[65633]では 別表第1への言及に留まっていましたが、今回“所管区域から市を除く”ことになってみると、実施に至らなかった条例の元の姿を歴史記録として残す必要を感じ、 H20条例78号成立当初にその全文を掲載した 北海道公報pdf を 参考までに リンクすることにしました。

もっとも、市を含む所管区域表 それ自体は 珍しいものではありません。
前記「支庁制度改革の取組」のページの中から、
新しい支庁の名称、位置、所管区域の一覧は こちら
という部分のリンクを開くと、この記事の最初付近でリンクした条例の別表1と違って、所管区域に市部を含んでいる「新しい支庁の所管区域一覧(pdf)」が表示されます。
この一覧表の下に記された注は、事実上市部を含めて所管する行政組織の実態を示しているように思われます。
(注)「所管区域」に関して、条例及び行政組織規則(案)を併せた内容です(平成21年10月1日時点)。

いずれにせよ、H21改正により、かつて落書き帳で話題になった 北海道の支庁は市を所管しているのか? という疑問は、今後も存続することになりました。

支庁再編条例の施行日について。
広域事務等に関する「基本フレーム」(素案) 北海道H21年6月pdf には、
条例施行日については10月1日とする。
なお、施行日を定める規則については7月に制定し、条例施行に向けて道民への周知及び諸君準備を進める。
とありました。
施行日を定める規則が7月に制定されたかどうかは不明です。従って、10月1日施行もどうなることやら。

但し、以前になされていた指摘の 公職選挙法との絡み[65634] と思われる「北海道議会議員の定数並びに選挙区及び各選挙区において選挙すべき議員の数に関する条例」は、2009/7/3に改正 されています。

この改正は、例えば「網走支庁所管区域」を「オホーツク総合振興局所管区域」に改めたものですが、もともと
都道府県の議会の議員の選挙区は、郡市の区域による。
と定めている公職選挙法第15条第1項からすれば、「石狩市・石狩郡区域」と表示するのが本筋であると思われます。
北海道の当局者は、事実上無視している「郡」を、今更使いたくないのでしょうか。

[71695] 2009 年 8 月 17 日 (月) 14:25:54 hmt さん
 支庁を考える (5)「地名もどき」の広域指標として地図に描かれた 北海道の「支庁」
hmt 県の下位区分

地方自治行政における主役は、基礎的な地方公共団体である市町村と、市町村を包括する広域の地方公共団体である都道府県です。

市町村と都道府県という 2つの主要階層 の間に位置付けられる 「郡」も 「支庁」も、地方行政の主役ではなく、いわば脇役です。
「郡」は主役の座を失った過去のスターですが、現在でも正式の住所表記においては、町村名に冠することになっており、地名としての存在を主張しています。

ところが、「支庁」というのは、郡よりも更に掴みにくい存在です。

名前から判断されるのは、本庁(都道府県庁)に対する支所とか出張所という性格の「役所」です。
だから住所表記にも使われず、正式の「地名」とは言い難い。

ところが、北海道の地図には「支庁の区域」が堂々と示されており、あたかも県に準じる存在のように感じられます。
「支庁の謎」の原点は、「地名もどき」の支庁が記されている「北海道の地図」ではないでしょうか?

地方自治法155条を確認してみると、都道府県知事が、その権限に属する事務を分掌させるため、条例で、必要な地に設けることができる出先機関の名として “支庁、支庁出張所及び地方事務所” が挙げられています。
本庁に対する支所的な役所という第一義は、法制度上は正しいわけです。

それでは、地図に示されていた北海道の「支庁の区域」とは何か?
これはその区域に関して「役所である支庁」が所定の事務を取り扱うべき「支庁の所管区域」のことですね。

「府」はもともと役所という意味でした。
明治初期に置かれた「府県」の第一義も行政組織・役所であり、その管轄区域を示す場合には「○○県管地」「○○県管内」という言葉が使われていました[62778]

その「府県」が従来用いられてきた「国」に代る 広域地名 になった決定打は、明治32年の改正府県制に裏づけられた、「府県の性格」の変化であった。このような推測を記したことがあります[62889]
明治4年の第一次統合によって生まれた 3府72県(現在の都府県の直接の先祖)は、約30年を経て20世紀に移り変わる頃は 3府43県 になっており、「国の出先機関」である「行政機構」から脱皮して、直接選挙で選ばれた議員による議会と法人格とを具えた「自治体」の性格を強め、地理的にも「府県の区域」を確保するに至りました。

では、地図にその区域が描かれている 北海道の「支庁」の場合 はどうなのか?
[2330] 紅葉橋律乃介さんによると、新聞表記では 「○○支庁××町(村)」 又は 「○○管内××町(村)」となっているが、住所に「支庁」を使うことは、絶対にない ということですから、「支庁」は府県や郡と同じように「地名化」したわけではないと思われます。

「道民」「県民」や「市民」「町民」、更には「組合員」や「会社員」のような組織への帰属を表わす言葉がありますが、人々にとり「支庁民」の意識を生じさせる存在にもなっていないでしょう。

北海道と市町村との間にある中間階層として、「支庁」の対抗馬?である「郡」の実力を評価してみましょう。

正式の住所表記には北海道でも「郡」が使われるものの([2083]グリグリさん)、「郡」の存在感は全国的に薄くなっており、北海道では特にその傾向が強いようです。上記[2330]には、
北海道民としては、「郡」という認識はありません(市部に住んでいるからかもしれませんが)。
と記されています。

北海道HP内の 道内180市町村 というページを見ても、郡についての記載が全くありません。
「郡」は、北海道行政から無視されているように思われます。

細分化しすぎている北海道の郡は、現在でも 60(支庁の異なるものを重複して数えれば 64)も存在し、35市 130町 15村をくくるべき広域指標として 適切な数 になってません。
[2330]でも「一郡一町村」では郡を使う意味がないとの指摘がありました。

北海道内に同じ名前の郡がいくつもある という問題も抱えています。

道内のおよその所在地を示すのに便利な広域指標として使われる地名もどきの 「14支庁の管轄区域」。
それは住所に使われる正式の地名ではないものの、かつての 「11ヶ国」(千島国を含む)[59112] に代る適当な数の区分です。
北海道で支庁が使われる背景には、「郡は中間階層として役に立たない」実態があるようです。

[71705] 2009 年 8 月 18 日 (火) 15:54:41 hmt さん
 支庁を考える (6)北海道当局は、支庁の所管区域に市部を含めている(その1)
hmt 県の下位区分

支庁につき、前報[71695]では地図や地名という観点から考察しました。
そこでは特に断りませんでしたが、「支庁が意味する地域」は、市町村すべてを含むものでした。

ところが、法令上の「支庁」の根拠である「北海道支庁設置条例」における支庁の所管区域には「郡」だけが記され、「市」は記されていません。
つまり、市は郡に含まれないという常識的な解釈に従うと、「支庁には市が含まれない」ということになります。

「支庁には市が含まれるか否か」という問題を、当事者である北海道当局のHPで確認しておきましょう。

北海道の公式ホームページを見ると、左側に地図つきの「14支庁」があり、これを開いてみます。
14支庁の一覧 は、その冒頭で
※支庁・・・北海道の地域
と説明しています。なるほど、地方自治法155条で認められた“事務分掌”機関というよりも、“地域”と呼んだ方が支庁の実情に合っているのですね。

そして、地域区分を示す地図の下に示された14の支庁。石狩支庁を例として見ると、
札幌市中央区北3条西7丁目 道庁別館 という所在地の記載からは「役所」を意味しているようですが、続いて
札幌市 /江別市 /千歳市 /恵庭市 /北広島市 /石狩市 /当別町 /新篠津村
と6市2町村が列挙されており、石狩支庁の管轄区域、つまりは“地域”が市部に及ぶこと明白です。

どうやら、北海道行政の実務で使われている「地域たる支庁」は、地図や「地名もどき」でも使われている「市部・町村部を包括する地域」であり、地方自治法に基づく条例で管轄区域が“石狩郡”【現在は2町村】と定められている「条例の支庁」とは異なるようです。

役所の中での「地域たる支庁」と「条例の支庁」との使い分けについての明快な説明は未発見ですが、北海道HP内には 支庁とは? というページがあります。

ここでも 所管区域表 に市町村が列挙されています。
そして、支庁制度に関する法令として、地方自治法155条と 北海道支庁設置条例と並んで、北海道行政組織規則の抜粋 が紹介されています。

この北海道行政組織規則の第37条が「市」と「支庁」との関係を解く鍵であると思われるのですが、
次の表の左欄に掲げる市の区域に係る事務であって支庁長において処理することとされているものは、(中略)当該右欄に定める支庁長がつかさどる。
という文言が、どうも論理的には頭に入りにくいのです。
本来的には所管区域が郡部である支庁長なのに、市部の事務を“処理することとされている”とは?

この北海道行政組織規則第37条は、約5年前に [33354] Issie さん により紹介され、
この規則をもう少しきちんと読むと,何かヒントがあるかもしれませんね。
と書いてくれているのですが、上記のようなわけで、なかなか“きちんと読む”ことができなかったのです。

[71706] 2009 年 8 月 18 日 (火) 16:02:57【1】 hmt さん
 支庁を考える (7)北海道当局は、支庁の所管区域に市部を含めている(その2)
hmt 県の下位区分

「北海道支庁設置条例」で定められた支庁の所管区域には「郡」だけが記され、「市」は記されていません。
ところが、北海道当局は、支庁の所管区域に事実上市部を含める扱いをしています。
この謎を解く鍵らしい存在として北海道行政組織規則第37条がありますが、理解しにくいというのが前報[71705]の要旨でした。
条例の全文を含む資料は、支庁とは? 参照。

今回は「支庁長事務委任規則」の存在に気がつきました。このような別の例規で“支庁長において処理することとされている”事務が存在する。だから、例えば札幌市選挙管理委員会からの道議会議員選挙報告の受理は、北海道知事の委任により石狩支庁長が行なうという所轄関係が生まれるのでしょう。

ここで「所轄」という言葉を使いました。これは北海道行政組織規則第31条にならったものです。この条文もずいぶん解り難いのですが、こちらは、郡部にある出先機関の「所管支庁の長」、市部にある出先機関の「所轄支庁長」という使い分けをしています。
もっとも、前記北海道HPのように、郡部と市部とを区別せずに「所管区域」とするのが普通の使い方のようです。

更に北海道例規集を見てゆくと、北海道税条例には、次のように記されていました。
第2条 
道税の賦課徴収事務に関しては、江別市、千歳市、恵庭市、北広島市及び石狩市にあっては石狩支庁、函館市及び北斗市にあっては渡島支庁、小樽市にあっては後志支庁、旭川市、士別市、名寄市及び富良野市にあっては上川支庁、室蘭市、苫小牧市、登別市及び伊達市にあっては胆振支庁、釧路市にあっては釧路支庁、根室市にあっては根室支庁、帯広市にあっては十勝支庁、北見市、網走市及び紋別市にあっては網走支庁、夕張市、岩見沢市、美唄市、芦別市、赤平市、三笠市、滝川市、砂川市、歌志内市及び深川市にあっては空知支庁、留萌市にあっては留萌支庁、稚内市にあっては宗谷支庁の所管区域に属するものとみなす。

北海道行政組織規則第37条でなく、このような「みなし所管区域」で処理する事務もあるのですね。
34市が列挙されていますが、札幌市だけは含まれていません。

道税事務所の一覧表 を見たら、札幌だけは本庁税務課直属の税務事務所の所管で、それ以外は支庁の所管でした。政令指定都市とは関係なく、道庁地元の大都市だからでしょうね。

このようなわけで、すべての事務に共通というわけではないが、北海道当局は、事実上、支庁の所管区域に市部を含め、道全体に及ぶ地域区分として行政を進めているのが実情です。
しかし、基本となるべき北海道支庁設置条例における支庁の管轄区域が「郡」だけになっており、そのために、北海道行政組織規則第37条や北海道税条例第2条のような例規による辻褄あわせを余儀なくされていました。

この食い違いの原因は、1948年に条例を制定した際にやってしまった「ボタンの掛け違え」と言わざるを得ないでしょう。

支庁設置条例の管轄区域に市部を入れておけば北海道行政組織規則第37条は不必要だし、道税条例第2条も、“道税の賦課徴収事務に関しては、札幌市は石狩支庁の所管区域に属さないものとする”と簡潔に書くことができたのでした。

でも、ボタンの掛け直しができないまま60年を経過し、昨年の条例でようやく実現したと思ったらまたキャンセル[71685]
次回は、支庁の概略史をひもときながら、こんなことになった事情をを考えます。

[71731] 2009 年 8 月 20 日 (木) 12:15:20 hmt さん
 支庁を考える (8)北海道の「支庁」−その概略史(戦前編)
hmt 県の下位区分

北海道では、始めから14支庁だったわけではありません。一応の概略史を記してみます。

明治新政府の支配下になった蝦夷地改め北海道では、幕府直轄の箱館府は開拓使の所管となり、渡島半島にあった松前藩は、館藩>館県を経て弘前県>青森県の所管になりました。そして開拓を待つ残る地域について、明治2年に政府が決めた方針は分領支配でした。
分領支配とは、一部の要地を政府直轄地として確保するにとどめ、残る大部分を諸藩、省、士族、寺院等などに分割して、旧武士団を開拓と北辺防備の任に当たらせるというもので、その一例をリンクしておきます。徳島藩佐賀藩

結局のところ、この分割統治体制は長続きすることなく、明治5年9月に北海道のすべてが 開拓使直轄統治 という形で統一され、開拓使本庁が 東京から札幌に移転開設されました。
「支庁」の初登場はこの時で、函館・根室・宗谷(M6留萌M8廃止)・浦河(M7廃止)・樺太(M8廃止)の5つ。

開拓使廃止後、函館・札幌・根室の三県と農商務省北海道事業管理局との二重構造時代がありましたが、成果の挙らなかった三県一局体制は、明治19年の 内閣布告 で廃止され、“北海道庁を札幌に支庁を函館根室に置く”ことになりました。2代目の支庁です。

現在の支庁の直接の先祖は3代目です。
それは、北海道庁が、明治30年(1897)に数郡程度の単位で設けていた郡長・郡役所に代えて設置した19支庁でした。
函館支庁の管轄区域は函館区、札幌支庁は札幌区と札幌郡など5郡という具合で、郡区町村編制法時代の「区」は、郡と並んで支庁の管轄下にありました。明治30年勅令第395号

この明治30年とは、本州より南の府県では、従来からの行政区画であった「郡」に自治体的な役割も兼ねさせる「郡制」を施行するための準備として、郡の再編が行なわれた時代です。

北海道の支庁は、弱小の郡を統合した産物という点では、府県において再編された郡と共通点を持ちます。
しかし、郡会などにより人民の意思を多少なりとも反映させる自治体を目指した後者とは異なり、直轄植民地的な性格であった北海道の支庁は、あくまでも政府の統治体制下の北海道庁出先機関でした。

参考までに、明治38年の北海道庁官制 を見ると、1部 総務、2部 教育兵事民籍、3部 産業、4部 警察、5部 殖民、6部 土木運輸の6部制をとっており、これにより役所の主な仕事を推測することができます。

変遷情報 には 1897年のこの3代目支庁設置以降の情報が既に入力されています。

1899年の変遷情報として記録されている、北海道区制による3区(札幌・函館・小樽)と、亀田支庁→函館支庁とを説明します。
この北海道区制は、19支庁を設けた前記勅令よりも前に、明治30年勅令第158号 として公布されていましたが、施行は2年後になったものです。議会を備えた自治制度への第一歩ということで準備期間が必要だったのでしょう。

そして、北海道区制により新設された3区(札幌・函館・小樽)は、「札幌区」・「函館区」という名前は郡区町村編制法時代と同じであっても、北海道庁専制の郡部とは一線を画す存在として、支庁の管轄を外れることになりました。
かくして 1899年に従来の函館支庁は自然消滅し、郡部を所管する亀田支庁が函館支庁に改称しました。

支庁の数が14になったのは、3支庁統合による 後志支庁誕生 の1910年でした。
それ以後は、支庁の数には変りがありませんが、大正11年(1922)になってようやく北海道にも施行された「市制」による「市」も、当然のことながら支庁の管轄外になるので、北海道庁専制支配下の支庁の管轄する地域は、少しずつ減少したことになります。

1922年の4支庁改称(変遷情報の「支庁設置」は誤記?)は、このような市部と郡部との違いを、名称の上からも明確にするという趣旨からのものでしょうか。

[71744] 2009 年 8 月 21 日 (金) 19:44:58 hmt さん
 支庁を考える (9)北海道の「支庁」−その概略史(戦後編)
hmt 県の下位区分

北海道庁官制の戦前体制は、前報[71731]のような経過による50年を経て、1947年に施行された日本国憲法・地方自治法の戦後体制に移行します。
ここで国の地方官庁である「北海道庁」から、地方自治体の「北海道」への大転換がありました。

支庁の性格も、本庁の出先機関であるという点では従来通りながら、地方官庁から自治体の機関へと大きく変りました。

新しい法令体系の下、従来北海道の支庁の存在根拠になっていた「北海道庁支庁ノ名称位置及管轄区域ニ関スル件」という明治30年勅令第395号[71731]は消滅しました。
代って、戦後の支庁の存在根拠になったのは、地方自治法155条第1項でした。
普通地方公共団体の長は、その権限に属する事務を分掌させるため、条例で、必要な地に、都道府県にあつては支庁(中略)及び地方事務所、(中略)を設けることができる。

つまり、戦前のような北海道特有の制度ではなく、東京都の島嶼部や島根県の隠岐に設ける支庁と、いわば「同じ制度の下の支庁」になりました。
“同じ”と言っても、それは地方自治法レベルで“同じ”というだけで、条例レベルでは「都道府県ごとに別の制度」という方が実態には合っているでしょう。

ともかく、この新しい支庁制度は、1947年5月3日から1年以上を経た1948年10月20日から、「北海道支庁設置条例」(昭和23年条例第44号)という形で施行されました。
支庁とは? に全文が掲載されています。
変遷情報 のこの日付には、3町村の支庁変更情報だけが示されていますが、すべての支庁がこの日を境に新制度に移行したことになります。

ここだけ時代が先行しますが、これ以後、現在まで支庁変更の事例はなく、実施が近いとされている支庁再編に伴なう2件[65633] が61年ぶりの事例になります。
天塩郡幌延町  留萌支庁から宗谷(総合振興局)管内へ
雨竜郡幌加内町 空知支庁から上川(総合振興局)管内へ

1948年に戻ります。
日本国憲法第92条や地方自治法第1条で述べられている「地方自治の本旨」からすれば、条例で設置される新しい支庁の所管区域は、市部・郡部を区別する必要などなくなったはずでした。
市部に対してはある程度の自治を認めながらも、こと郡部に対しては、北海道庁が専制支配することができた戦前体制の道具であった従来の支庁とは違うものなので、これは当然のことです。

ところが、民主主義的な考え方は、そう一朝一夕に身につくものではないのですね。
現実に制定された北海道支庁設置条例の別表に記された所管区域は、従来と同じく「郡部だけ」でした。

この時の「ボタンの掛け違え」が、その後60年以上にわたり、北海道当局には「地域たる支庁」と「条例の支庁」の使い分けを余儀なくさせる結果となり、落書き帳では 北海道の支庁は市を所管しているのか? という話題を生んだのだと思います。

昨年、条例改正の機会に、支庁である総合振興局の管轄区域に市を加えて、この掛け違えを正そうという試みがなされました。
しかし、残念ながらこの改正は実現しませんでした[71685]。その理由は、公職選挙法にあったようです。

衆議院(小選挙区選出)議員の選挙区を定めた公職選挙法第13条には、“別表第一に掲げる行政区画その他の区域”とあります。その区域とは、府県に関しては原則として市・郡であり、必要に応じて町村などの下位区分が記されています。
「支庁管内」という区域が記されているのは、北海道と東京都だけです。
東京都は島嶼部での郡の代わり?[71480]であり、北海道は「役に立たない郡」[71695]を無視した結果と思われます。

ともかく、北海道支庁設置条例を、「北海道総合振興局設置条例」の別表第1(北海道公報掲載[71685])のように改めると、公職選挙法に影響を与えてしまうということになります。
公職選挙法別表第一を、他の府県並みに市・郡単位の記載に改めれば解決する問題でしょうが、法律改正が間に合わず、今回のボタン掛け直しは実現しませんでした。

明治30年(1897)に生まれ、110年以上も使われてきた北海道の「支庁」。
親方である本庁の変身に伴ない、支庁の性格も変化しましが、現在も「行政機構」のままである点は変りません。
「中間階層として役に立たない郡」に代って広域指標には使われるものの、「府県」のような実体を備えた存在に進化しようもない「支庁」は、「地名もどき」の存在に留まっています。

総合振興局や振興局になった後、この「地名もどき」の使われ方はどのようになるのか?
「支庁」という言葉が表舞台から消えて、従来からも使われてきた「○○管内」に統一されるのでしょうね。

明治時代の用例、堺県管内[17181]、埼玉縣菅内[37601]、宮城県管内[42730]、滋賀県管内[64158]、岡山県管内[65091]などには、「県」という1字が入っていましたが、地名もどきとしては長すぎる「○○総合振興局管内」という使い方になることは、まずないでしょう。

[71798] 2009 年 8 月 27 日 (木) 14:14:31【1】 hmt さん
 支庁を考える (10)日本のスイス?−山国の支庁
hmt 県の下位区分

支庁の中で 北海道はやはり「大物」。これに特化した話題を長く続けましたが、少し休んだ後で、このシリーズ の方向を変えます。

[71676]で “話題になることの少ない「支庁」という存在” と書きましたが、検索してみると、最初の 1000件の中に 31件もあり、この落書き帳では 最初から かなりメジャーな話題でした。
アーカイブズの原型と思われる構想のテーマ候補にもなっていました。[819] オーナー グリグリさん参照

支庁をその所管区域から見ると、都道府県の全域を区分する支庁と、一部の地域に設けられた支庁とがあります。
北海道の場合は、実質的には北海道全域を区分しながら[71705]、条例の上では、郡部だけに設けられたものでした。

気象予報区区分[36482] futsunoおじさんの発言
新潟県の正式(?)地方名称としては「上越」「中越」「下越」「佐渡」になります。
に見られる有名な地方区分。
これは 新潟県内を支庁に分けていた時代 の遺物ではないかと考えて、調べてみました。痕跡は残るものの詳細は不明。

新潟県HPを見ると、例えば 教育庁 の中には上越・中越・下越の3教育事務所がありますが、現在の大部分の組織は、県の全域を3〜4区分しているようには見えません。

県の全域を区分する支庁。その確実な実例としては、2004年まで存在した千葉県の10支庁[71552]、2001年に設けられた山形県の4総合支庁[71553]があります。
しかし、全県域を区分する支庁は、少数派のようです。

歴史的に見ると、多くのケースでは、県内の僻地における行政を目的として、支庁を設けているようです。

私が子供の頃に愛用していた 帝国書院の 昭和13年文部省検定済・朝鮮総督府検定済 「改訂新選詳圖・帝国之部」[30154]
この地図帳には、北海道の14支庁、長崎県離島部の3支庁(南松浦・壱岐・対馬)、更には 樺太や南洋群島の支庁([35703]の48と53) だけでなく、本州の陸地にも、いくつかの支庁が記されていました。
#  [25914]で紹介されている復刻版(1934年版)と概ね同じです。

岩手県下閉伊支庁・福島県南会津支庁・岐阜県飛騨支庁・三重県南牟婁支庁・和歌山県東牟婁支庁。
府県名よりも小さな赤い文字の支庁名と、県境より少し細い境界線が描かれている府県のミニ版。
さすがに首都?(宮古、若松、高山、木本、新宮)が赤くは塗られていませんでしたが、世界地図で見る スイス・アンドラ・バストランド(現・レソト)[70231]・チベットなどの山国と同様に、子供心をかきたてる 不思議な存在でした。

[730] によると、1926年設定の 25支庁のうち、山間地域にあるのは 12支庁。うち4つは 1932年に消滅しているので、残るは8つのはず。地図帳では四国・九州の3支庁が見つからず、上記5支庁を確認。

地図帳では見ることができないものの、宮崎県西臼杵支庁 は、かつて存在した山間地域 12支庁のうち、唯一現存する支庁と思われます。
但し、1926年からの生き残りではなく、1947年の西臼杵地方事務所を経て、地方自治法体制になってからの宮崎県条例で、改めて設置されたものでした(1950年4月再発足)。

# hmt の記事数が ちょうど 1000に達しました。
明日からは落書き帳に参入して 7年目になります。

[71887] 2009 年 9 月 6 日 (日) 16:05:37 hmt さん
 支庁を考える (11)東京都島嶼部の4支庁 南の島がなぜ「東京」なのか
hmt 東京都に属する 南の島々 hmt 県の下位区分

「支庁」の中で最も有名な存在は北海道の支庁。現在の4代目支庁(根拠は1948年北海道条例)の前身の3代目支庁(根拠は1897年勅令)[71731] から数えれば、112年の歴史があります。

現在では殆んど忘れられた存在が 山間地域の12支庁[71798]
1926年に 郡役所廃止を受けて 内務省告示で設けられた 25支庁[730] の半数を占めていましたが、その殆んどは 戦時中の1942年に全国に設けられた地方事務所という名の中に埋没しました。

そして、北海道ほど有名ではないが、地理に関心をもつ人ならば気になる存在が、東京都大島支庁[71478][71480]
今回は、北海道・山間地域と並ぶ第3の支庁設置区域である「島」の中でも、最も知られた存在の伊豆諸島・小笠原諸島の支庁を、その前身である「島庁」と共に探ります。

公職選挙法 第十三条  (小選挙区選出)議員の選挙区は、別表第一で定め、(後略)
別表第一 (第十三条関係)
東京都第三区 品川区 大田区(中略) 大島支庁管内 三宅支庁管内 八丈支庁管内 小笠原支庁管内
国会議員選挙の区割りに登場する「支庁」は、北海道[71744]以外では、この4支庁だけです。

伊豆大島は、本土から25kmほどですが、それでも熱海沖の初島のように、小舟で渡れる本土付属島とは異なる外洋の島です。ましてや、三宅島や八丈島は黒潮の只中の更に南の島。
伊豆七島 という呼び名が示すように、律令時代から「伊豆国」に属すとされていましたが、本土側の「国地」とは異なる世界の「島地」を構成していました。
# 現在は「伊豆諸島」と呼んでいますが、歴史的な呼び名の「伊豆七島」を使います。

明治9年(1876)に足柄県[24127]が解体されると、伊豆国は静岡県管内に統合され、伊豆七島もこれに従って一旦は静岡県管内になりました。

同じ年、小笠原諸島の日本帰属が国際的に認められました[26683]。政府は、とりあえず小笠原を内務省の直轄にし、更に府県に引き取らせて「本国化」することを考えました。
しかし、「伊豆国」ではないし八丈島の数倍も遠い小笠原を、静岡県に押し付けるわけにはゆかない。
そこで白羽の矢が立ったのが東京府でした。政府の影響力が強かった東京府は、離島の管轄を嫌がった静岡県に代って、伊豆七島(1878)と小笠原(1880)とを引き受けるハメになりました。[339] Issie さん

管内に離島を持つことは、自治体にとっては経済的な負担になります。
地方税収入などほんの僅かなのに、交通・教育・福祉…などの整備義務を負うことになります。
無人島でも、沖ノ鳥島の海岸管理のように莫大な費用が必要な例があります[26266]

ともかくも、伊豆七島と小笠原は明治11〜13年に東京府の直轄行政区域になりました。
この年代は、北海道や離島を含む全国に郡区町村編制法が施行された時期ですが、ここだけは「郡」が編制されない特異な地域でした。郡区町村一覧 には、“七島 伊豆国”として、東京府直轄の 24村を記載。小笠原島は、まだ登場していません。

市区町村変遷履歴情報 を眺めると、伊豆諸島における近代的町村の記録は、日露戦争後の明治41年(1908)に始まり、島によって段階的に村落自治体制の近代化が行なわれたことを読み取ることができます。
島嶼町村制が施行されたのは、大島・八丈島が 1908年、そして三宅島など5島が 1923年でした。
青ヶ島と小笠原諸島に近代の村が設置されたのは、普通町村制の段階になった1940年。
そして八丈小島は、地方自治法になってからでした。

このような段階的移行状況を 全国的に2つの表にまとめた資料が、[65198]88 さんにあります。
後の表では、東京府伊豆大島・八丈島の島嶼町村制→町村制への移行が、正しい日付の S15(1940).4.1に記されていますが、最初の表では 伊豆(*3) (*4) の列が「町村」になる日付が T9.4.1 になっています。単純誤記でしょうが、例外的に認められる「資料価値の高い記事の訂正」[69571]に該当するように思われます。オーナー グリグリさんへの申請をご検討ください。

[71888] 2009 年 9 月 6 日 (日) 16:16:37 hmt さん
 支庁を考える (12)東京都島嶼部の4支庁 3島庁から4支庁へ、そして現在の組織規程
hmt 東京都に属する 南の島々 hmt 県の下位区分

前報[71887]では、郡区町村編制法時代の明治11年に 東京府管下になりながら 郡が編制されなかった 伊豆諸島にも、20世紀になると島嶼町村制が段階的に施行され(大島・八丈の2島は1908年、三宅など5島は1923年)、村落自治体制近代化への動きが始まったことを記しました。

日本統治の日が浅い小笠原は、東京府小笠原出張所による直轄統治体制でしたが、明治19年(1886)にこれが小笠原島庁と改称され、島司が置かれました。こちらは日露戦争後の島嶼町村制からも取り残され、町村制が施行されるのは大東亜戦争直前の 1940年になります。

伊豆諸島では、明治14年(1881)に東京府が各島に島役所を設置し、地役人・名主制を復活しました。しかし、この島役所体制は 本地で郡制が整備されてきた明治33年(1900)になるとを廃止されて、大島島庁と八丈島島庁とが設置されました。島地指定に関する勅令
大島・八丈島以外の三宅島など5島は旧体制のまま?

日露戦争後の時代になると、沖縄県及島嶼町村制の制定を受けた 島庁ヲ置ク島地指定ノ件(明治42年勅令第54号、M42/4/1施行) 中野文庫 により、改めて全国8地域が指定されました。

下記東京府以外で指定された島地は、長崎県対馬島・島根県隠岐島・鹿児島県大島郡・沖縄県宮古郡・沖縄県八重山郡です。
東京府【島庁名 管轄区域】
小笠原島庁 小笠原島、南鳥島、中ノ鳥島
八丈島庁 八丈島、小島、青ヶ島、鳥島
大島島庁 大島

今度は「八丈島庁」と1900年よりも1文字だけ短い名になっているのはともかく、疑問点があります。
中ノ鳥島という怪しい存在[65212]までも記されているのに、三宅島など伊豆諸島中の5島は、相変わらず大島支庁の管轄区域に含まれていません。5島が東京府大島島庁の管下になったのは1920年で、1923年には島嶼町村制施行地にもなりました。

全国13地域の島に支庁ができた1926年に、東京府の3島庁は、大島支庁・八丈支庁・小笠原支庁と改称。
戦時中の昭和18年(1943)4月に三宅支庁分立で4支庁となる。その年の7月に東京都制施行。

戦後、小笠原は米軍統治に置かれた後、1968年に返還[53248]
伊豆諸島[24269]も短期間ながら特定外周領域[56190]になりました。

日本国憲法・地方自治法に基づく戦後の体制では、もちろん北海道を含む各地と共通の地方自治法155条第1項に根拠を置く制度[71744]に移行しました。

東京都組織規程第34条による、東京都の「支庁」に関する規定。
地方行政機関の名称、所在地及び所掌事務は別表四のとおりとする。

北海道HP には、支庁が地域名であることを思わせる記載がありましたが、東京都4支庁についてはこのような記載はなく、都庁の純然たる出先機関であると思われます。
リンクした別表四も、いかにも役所(出先機関)のリストというスタイルです。

東京都島嶼部に設けられた4支庁。そこには、歴史的に「郡」がないという特殊な事情があります。
しかし、もちろん「支庁」は「郡」と同じものではなく、「住所表記上の上位階層」にはなりません。
また、北海道の支庁のような道公認の「地域」[71705] でもありません。

だから「東京都新島村が大島支庁に属している」という関係はないのでしょう。
地方自治法上で「市町村を包括する」広域の地方公共団体は、もちろん都道府県であり、支庁ではありません。

[71906] 2009 年 9 月 8 日 (火) 23:38:48 hmt さん
 支庁を考える (13)隠岐・対馬・奄美の支庁
hmt 県の下位区分

小笠原回収[26683]に端を発する太平洋上の島々の本土化プロセスの流れで誕生した東京都の4支庁[71887][71888]
次は、日本列島の中における町村制との関係という観点で、隠岐・対馬・奄美3地域の島庁・支庁を追ってみます。

もちろん島庁・支庁は府県の組織であり、町村制そのものと 一応は別の体系 に属するものです。
しかし、明治22年勅令第1号「町村制を施行せさる島嶼指定」は、「島の支庁」を考える上で欠かすことができない環境を作り出しています。

「島嶼指定」と、その段階的緩和については、法令引用を含む制度の変遷が むっくん さん により紹介され、それを受けて 88 さん が2つの表の形で整理されています。関係3記事

その表を簡略化したようなものですが、島嶼指定からその解除に至る過程を 施行年順 に記すと次の通りです。

島嶼指定(1889):小笠原・伊豆七島・隠岐・対馬・奄美(注1)(注2)・沖縄(注3)
町村の制度に関する法令の規定を適用:隠岐(1904)
島嶼町村制(1908):対馬・奄美・伊豆大島(注2)・八丈島
町村の制度に関する法令の規定を適用: 対馬(1919)・奄美(1920)・沖縄(1920)
島嶼指定解除(1921):隠岐・対馬・奄美・沖縄
島嶼指定解除(1940):小笠原・伊豆七島【八丈小島・鳥島などに島嶼指定が残る】

(注1)奄美と別にトカラも島嶼指定。1896年大島郡編入。この表では 便宜上 トカラを奄美に含めて扱います。
(注2)「大島支庁」では区別がつかないので、この表では便宜上奄美や伊豆という地名を使用。
(注3)便宜上 沖縄も加えてあります。

この表で歯切れが悪いのが、「町村の制度に関する法令の規定を適用」という項目と、「島嶼指定解除」との使い分けです。

M37勅令63第一条 島根県管下隠岐国の町村に町村制其の他町村の制度に関する法令の規定を適用す
という条文の趣旨は「島嶼指定の解除」であると思われるのに、[64955] むっくん さんのコメント
島根県管下隠岐国の町村は内地と同じ町村制が施行されはしたのですが、明治22年勅令第1号の『町村制ヲ施行セサル島嶼指定ノ件』の指定からは外れません。
にあるように、島嶼指定は解除されていないのです。

上記条文と島嶼指定とを両立させているものは何か?
私は、引用が省略されている第一条の但し書きに存在する「郡参事会」という言葉に注目しました。
つまり、この段階の隠岐国では郡制に基づいて設置される郡参事会が存在しなかったのではないか?
従って、「町村の制度に関する法令の規定」は適用されるが、郡参事会の意見を反映させる自治体制を取るとことはできない島嶼指定にある隠岐国では、“内地と同じ町村制の施行”状態に、完全にはなっていなかったと思われます。

1889年の島嶼指定により適用がお預けになっていた町村会などを要素とする近代的町村自治制度。
1904年になって、ようやく「町村制」などの“同じ法令が適用される”ことになりましたが、郡参事会によるチェック機構が働かない島司専制の部分もある、いわば「町村制もどき」の体制でした。これが1904年から1921年までの島根県隠岐島庁時代の姿であったと推測します。

長崎県対馬国と鹿児島県大島郡(奄美)。
この地域は隠岐よりも遅れて、1908年までの島司専制時代の後に「島嶼町村制」の時代がありました。
更に対馬は1919年・奄美は1920年から短期間の「町村制もどき」体制を経て、1921年にようやく島嶼指定が解除されて“内地と同じ町村制が施行”されることになりました。
これが上記の簡略化されたリストから理解することができる島庁時代の変遷です。

島庁から支庁に変った1926年には、町村制に関しては既に正規の状態になっていますから、専ら県の側の体制整備と見てよいでしょう。
隠岐支庁、対馬支庁はずっと存続し、戦後の地方自治法体制でも県条例で支庁が設置されました。
対馬支庁が2005年に対馬地方局、本年4月から対馬振興局と名を変えたことは[71553]で記しました。

これに対して、奄美には、敗戦の結果 日本政府の統治の及ばなくなった時代がありました。
1946/10/3臨時北部南西諸島政庁>1950/8/4奄美群島政府>1951/4/1琉球臨時中央政府>1952/2/10トカラ復帰>1952/4/1琉球政府>1953/12/25奄美返還
奄美返還後は、改めて地方自治法に基づく鹿児島県の大島支庁を設定。

[71912] 2009 年 9 月 10 日 (木) 16:04:16 hmt さん
 支庁を考える (14)宮古と八重山、佐渡・五島・壱岐・天草・熊毛、そして淡路にも支庁
hmt 県の下位区分

1926年、郡制時代の名残として全国の府県にあった郡役所が廃止されることになりました。
しかし、山間や離島には、まだまだ十分な自治能力を備えていない町村も多く、これらの町村に対する県の強力な指導体制を継続するためには、郡役所に代る機関が必要である。当時の内務省は、このように考えたようです。

郡役所に代る機関というと、府県において旧郡制が整えられつつあった約30年前の 1897年に北海道で郡役所に代って設けられた「支庁」[71731]がありました。
北海道での実績をふまえて、山間と島嶼に限って設けることになった郡役所代行機関の名も、「支庁」にしたのでしょう。

こうして 1926年の内務省告示で設けられた 25支庁[730]
島嶼部の13支庁のうち、既に記した東京府3支庁[71887][71888]と、隠岐・対馬・奄美[71906]、それに沖縄県の宮古支庁・八重山支庁の合計8支庁は「島庁」からの改名組です。

沖縄県公文書館 に、八重山島庁から八重山支庁に移り変わる頃の出勤簿が展示されていました。
宮古・八重山の島庁に触れるのは最初ですが、明治29年沖縄県に5郡が編制された際の設置です。

支庁の話題からは外れますが、ここで登場した沖縄県について、町村制の施行時期を調べておきます。

よく知られているように、明治21年法律第1号「町村制」第132条では“此法律は北海道、沖縄県其他勅令を以て指定する島嶼に之を施行せず…”となっており、「沖縄県及島嶼町村制」制定(明治40年)後の改正「町村制」(明治44年法律第69号)にも、受け継がれていました。 第157条

沖縄県に町村制を施行するためには、この条文
本法は北海道沖縄県其の他勅令を以て指定する島嶼に之を施行せず
を改めることが必要です。

日本法令索引によると、明治44年「町村制」の最初の改正は大正10年(1921/4/11)となっており、沖縄県への町村制適用の根拠は、この改正【文書未確認】のはずです。
その一方、1920/6/25勅令改正で「沖縄県及島嶼町村制」の対象から沖縄県が削られており、[65198] 88 さん の表でも町村制への移行は大正9年【日付?】となっています。

この食い違いは、[71906]で記した隠岐(1904-1921)、対馬(1919-1921)、奄美(1920-1921)の島嶼指定解除遅れ問題と同根かもしれません。
つまり、1920年の勅令の改正により、沖縄県の町村に適用される法令は、事実上島嶼町村制から町村制に移行したが、正式の町村制適用対象になるには、1921年の法律改正を待つ必要があった。そんなことを想像します。

支庁の話題に戻ります。
島嶼部13支庁から島庁改名組8支庁を除いた5地域が、実質的に1926年に支庁の仲間入りをした離島です。
このグループの離島は 隠岐・対馬・奄美よりも本地に近く、1889年に最初から町村制が施行されていた地域ですから、郡役所が名を変えて居残ったという感覚でしょうか。

新潟県佐渡:昔は一島で一国をなす 日本海の島 ということでは隠岐と同様ですが、本地により近接。
長崎県五島:もとは、広大な松浦郡の一部。やはり 本地に近接した島嶼。
長崎県壱岐:昔は一国だったということでは 対馬と同様ですが、本地からの距離ば対馬よりずっとに近い。
熊本県天草:現在では架橋により陸路で行けるくらいの近接。
鹿児島県熊毛:種子島と屋久島とを主島とする大隅諸島。町村制以前には奄美の金久支庁種子島出張所。

1926年の25支庁には含まれていませんが、1945年6月には兵庫県淡路支庁も誕生。
これも昔は一島で一国をなす島嶼でしたが、日本の中心部の瀬戸内海に設置された支庁は珍しい存在です。
敗戦間近という特別な時期。明石海峡の通行でさえ危険になり、支庁設置になったのでしょうか?

山間部の12支庁は[71798]で記しました。これも上記の5地域と同様に、郡役所が名を変えて居残ったという感じです。
“首都?(宮古、若松、高山、木本、新宮)”と書いていましたが、若松は南会津支庁の区域外でした。南会津の行政中心は田島でしょうが、同じ南会津郡内といっても、只見地方から大川上流の田島に出るのは若松よりも大変そうです。



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