この話題も五月雨式になって申し訳ありません。
「問一」に関連して,
[71690] で1956年に成立の一歩手前まで行った 鳩山内閣(←もちろん,由紀夫首相でも邦夫首相でもなく,一郎首相の) の小選挙区案(ハトマンダー)について,「複数の衆議院小選挙区がある市」を見てみました。そこで,もう少し時代をさかのぼりましょう。
明治憲法の時代,現在の国会に当たる「帝国議会」の衆議院議員の選挙制度は 小選挙区制(1889年) → 大選挙区制(1900年) → 小選挙区制(1919年) → 中選挙区制(1925年) → 大選挙区制(1945年) → 中選挙区制(1947年) と変遷していきました(括弧内は,それぞれの選挙制度が制定された年。その制度で実際に選挙が実施されたのは,いずれもその数年後です)。
つまり,現行の小選挙区制に先立って過去に2度,小選挙区制が実際に採用されていたのです。
そもそも最初に帝国議会が創設されたとき,衆議院議員の選挙制度は小選挙区制から出発したのでした。
(なお,帝国議会のもう一方の院(上院)である貴族院では,衆議院(下院)とは違って,全議員を同じ制度で一斉に選挙するのではなく,さまざまな選出母体からそれぞれ違った方法で議員が選出されました。任期も選出母体によりバラバラで,したがって貴族院には「総選挙」はありません。ついでに,全く違う理由ではありますが,現行制度の 参議院 も,全員の選挙が行われた最初回(1947年)を除いて半数ずつ改選しますから,やはり「総選挙」はありません。地方議会は通常,全員を一斉に選挙するのですが「総選挙」とは言いませんね。だから「総選挙」が行われるのは衆議院議員だけです。)
さて,その最初の衆議院議員の選挙制度ですが,これは 1889(明治22)年2月11日 に公布された「衆議院議員選挙法」(明治22年法律第3号)によって定められています。
この 1889年2月11日 という日付,とても重要です。「きげんぶし(紀元節)」?… いや,もちろん紀元節(きげんせつ)には違いないのですが,ただの紀元節ではなくて,この日に「大日本帝国憲法」(明治憲法)が“発布”されました。衆議院議員選挙法は,憲法と同じ日に公布されたのですね。ある意味,当たり前と言えば当たり前ですが。ちなみに,同じ日に公布された 明治22年法律第1号 は「徴兵令」,同第2号は「議院法」です(なお,「法律」全体の“第1号”は,前年(1888:明治21年4月17日)に公布された「市制・町村制」です)。
この“オリジナル衆議院議員選挙法”では,選挙区について以下の通り定めています。
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第一条 衆議院ノ議員ハ各府県ノ選挙区ニ於テ之ヲ選挙セシム其ノ選挙区及各選挙区ニ於テ選挙定員ハ此ノ法律ノ附録ヲ以テ之ヲ定ム
(第二条・第三条略:府県知事による選挙監督,郡長・市長を選挙長とする規定)
第四条 一市ノ域内ニ於テ数選挙区アルトキハ府県知事ハ区長ヲシテ其ノ選挙長タラシムヘシ
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第4条で,1つの市が複数の選挙区にまたがることが予想されていますね。
そこで,具体的に選挙区割りと定数を定めた「附録」を見ましょう。こんな選挙区かあります。
東京府 | 第1区 | 麹町区・麻布区・赤坂区 | 1人 |
| 第2区 | 芝区 | 1人 |
| 第3区 | 京橋区 | 1人 |
| 第4区 | 日本橋区 | 1人 |
| 第5区 | 本所区・深川区 | 1人 |
| 第6区 | 浅草区 | 1人 |
| 第7区 | 神田区 | 1人 |
| 第8区 | 下谷区・本郷区 | 1人 |
| 第9区 | 小石川区・牛込区・四谷区 | 1人 |
京都府 | 第1区 | 上京区 | 1人 |
| 第2区 | 下京区 | 1人 |
大阪府 | 第1区 | 西区 | 1人 |
| 第2区 | 東区・北区 | 1人 |
| 第3区 | 南区 | 1人 |
ちなみに,東京府第10~12区,京都府第3~6区,大阪府第4~9区は,それぞれの府の郡部が属する選挙区です(大阪府第8区 には 大鳥郡・泉郡 とともに「堺区」が含まれる)。
つまり,東京市・京都市・大阪市 の3市が「複数の衆議院小選挙区がある市」でした。
ところが,この法律の「附録」には「東京市」「京都市」「大阪市」の記載はどこにもありません。なぜかといえば,それはこの法律の公布日に注目。1889年2月11日には,まだ「市制」が施行されていないのですね。日本全国,どこにも「市」が存在しないのです。この「附録」に記載されている行政区画は「郡区町村編制法」によるものなのですね。だから,大阪8区にあるのも「堺市」ではなく「堺区」なのでした。
でも前述の通り,すでに「市制・町村制」(明治21年法律第1号)は公布されています。「市」が設置されるのは既定事項だから,本文の第1条や第4条に「市」が登場するのです。実際,この法律が公布された2ヵ月後の1889年4月1日から順次「市制」が施行されて,1890年7月1日に 第1回総選挙 が実施されることになります(この日をもって 衆議院議員選挙法 が施行)。そしてその年の11月29日に 第1回帝国議会 が開会され,この日“初めて”大日本帝国憲法が施行されました。
1900年,第2次山県内閣は衆議院議員選挙法を全面改正して小選挙区制を廃止し,代わって大選挙区制を導入しました。これは基本的に各府県ごとに定数を割り振って,府県単位で議員を選出するというものです。ただし,当時はまだ稀少な存在であった「市」は府県(郡部)選挙区から分離して1選挙区とされました。東京市は11人,京都市は3人,大阪市は6人が割り振られた“大選挙区”でしたが,ほかの市は定数1の“事実上の小選挙区”でした(1902年の改正で横浜市の定数は2人に増やされました)。
これが再び改正(部分改正)されて「小選挙区制」に戻したのが1919(大正8)年,“初の本格的政党内閣”の 原内閣(政友会) でした。「複数の衆議院小選挙区がある市」は以下の通り。
東京府 | 第1区 | 麹町区・四谷区 | 1人 |
| 第2区 | 麻布区・赤坂区 | 1人 |
| 第3区 | 芝区 | 1人 |
| 第4区 | 京橋区 | 1人 |
| 第5区 | 日本橋区 | 1人 |
| 第6区 | 本所区・深川区 | 3人 |
| 第7区 | 浅草区 | 2人 |
| 第8区 | 神田区・下谷区 | 2人 |
| 第9区 | 本郷区 | 1人 |
| 第10区 | 小石川区 | 1人 |
| 第11区 | 牛込区 | 1人 |
京都府 | 第1区 | 上京区 | 2人 |
| 第2区 | 下京区 | 2人 |
大阪府 | 第1区 | 西区 | 3人 |
| 第2区 | 東区 | 2人 |
| 第3区 | 北区 | 3人 |
| 第4区 | 南区 | 3人 |
やはり,東京市・京都市・大阪市 の3市ですね。
ここで注目すべきは,「小選挙区制」なのに“定数3”なんて選挙区があることです。
実は,1889年の“第1次小選挙区制”でも 214 の“1人区”に対して“2人区”が 43 ありました。これで都合,総定数300 となるのですね(奇しくも,現行の小選挙区の定数と同じです)。2人区を作った表向きの理由は「市郡を分割しない」ため。
もちろん,1919年の“第2次小選挙区制”でも表向きの理由は同じなのですが,こちらの場合,295 の“1人区”に対して“2人区”が 68,“3人区”が 11 もあります(都合,総定数は 464)。「2人区を 20 も作った」と批判された ハトマンダー どころではありません。
種明かしをすれば,従前の大選挙区制で“事実上の小選挙区制”であった 市部選挙区 はそのまま,郡部選挙区 を分割したのですね。これで有利になるのは“第一党となるべき政党”,つまり与党である政友会。事実,この後,1920年5月10日に実施された第14回総選挙では 与党・立憲政友会:278(+113),野党・憲政会:110(-11),同・立憲国民党:29(-6) と与党の圧勝でした(括弧内は前回総選挙からの増減)。あまりに露骨。
その後,原首相が暗殺された後に第2次護憲運動が盛り上がり,(男子)普通選挙制の導入をめぐって政友会が分裂して実施された 1924年5月10日 の第15回総選挙で「普選法導入」を公約とした“護憲3派”(憲政会,政友会,革新倶楽部)が圧勝。1925(大正14)年の衆議院議員選挙法全面改正で,いわゆる「普通選挙法」が成立,男子普通選挙と同時に“中選挙区制”が導入されました。各選挙区の定数が「3~5人区」であるのはなぜかというと,これを作ったのが 護憲“3派” だからだってさ…。
詳しくは
こちら をどうぞ。
つぶやき…
今回の解答にあたって多くの方が参照している Wikipedia の
ここ 。何か,構成や言い回しがウチのページに似ているんだよね。履歴を見ると,「2002年区割変更」とか「選挙区が分割されている市区町村」という章が追加されたのは 2008年1月26日(協定世界時で) のことらしい。
ま,深くは追求しないけど,パクったのはこちらじゃないからね。