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落書き帳

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[75249] 2010年 6月 3日(木)22:28:28伊豆之国 さん
おや、まだ?
[75229]オーナー グリグリさんの
自治体を越える地名
地元の町田市は、こうした地名の宝庫(アーカイブス)。そのなかでも話題になった「鶴間」([75235]白桃さん)などはまさに「横綱」格ですが、県境こそまたがぬものの、こんなのもありました‥。

 町田市上小山田町・下小山田町・小野路町/多摩市上小山田町・下小山田町・小野路町

「ありました」と過去形なのは、多摩市側では現在は町名が変更されていずれも消滅しているからです。多摩市にあったこれらの町名は、多摩ニュータウンの造成に伴い境界が変更され、昭和48年に町田市から多摩市に編入された部分です(多摩市HPより)。このHPによると、同時に「多摩市落合の一部が町田市に編入」とあるのですが、町田市には「落合」の町名は現存せず、おそらく編入時に他の町名に吸収されたと思われます。多摩市には、やはりお隣の日野市と同じ「百草」「落川」という町名があり、こちらのほうは両市とも現存しているようです。ついでに、旧住宅公団の「百草団地」も両市にまたがっていますが、多摩市側の町名は「百草」ではないようです。

都心部の各駅停車
[75228]ぐりゅんさん、他)についても反応したいのですが、文章が長くなりそうなので、後ほど‥
[75273] 2010年 6月 4日(金)21:02:40播磨坂 さん
自治体を越える地名
こんばんは。
今回も地元から。

東京都文京区水道/新宿区水道町

探せばいくらでもありそうです。
東京都区部の場合、住居表示実施でかなり「自治体を越える地名」が減ったように思います(文京区雑司ヶ谷町/豊島区雑司ヶ谷町、文京区高田老松町・高田豊川町/豊島区高田本町・高田南町など)。
[79598] 2011年 11月 3日(木)12:39:11k-ace さん
自治体越えの地名(南あわじ市)
k-aceです。

グリグリさん
「自治体越えの地名」コレクション「過去に分断し合併により再び一緒になった例」の未収録のモノを。
旧緑町倭文…(現南あわじ市倭文…)/旧三原町倭文…(現南あわじ市倭文…)/
三原郡倭文(しとおり)村でしたが、1957年6月1日に倭文村の一部(委文、高、流)が三原町に編入(境界変更)。同年7月10日に倭文村(安住寺、庄田、神道、土井、長田)は広田村と合併し、緑村に(1960年4月1日、町制施行。緑町に)。
2005年1月11日に緑町、西淡町、三原町、南淡町の4町が合併し、南あわじ市となり再び一緒になっています。
旧西淡町志知…(現南あわじ市志知…)/旧三原町志知…(現南あわじ市志知…)
1957年7月1日、三原郡志知(しち)村は合併で西淡町の一部となりました。同年10月1日、西淡町の旧志知村の一部(佐礼尾、中島、難波、松本)が三原町に編入=境界変更(残りは西淡町のまま)。
2005年1月11日に緑町、西淡町、三原町、南淡町の4町が合併し、南あわじ市となり再び一緒になっています。
その名残が南あわじ市立西淡志知小学校と南あわじ市立三原志知小学校(HPは三原町立志知小学校のまま更新されていない)ですね。合併前は西淡町立志知小学校と三原町立志知小学校でした。
[79600] 2011年 11月 4日(金)07:38:35ひぃ さん
自治体越え地名
ふとコレクションを見ていたら
地元のもので載っていないのがあったのですが、
これはいかがでしょうか?

長野県 北安曇郡 池田町 陸郷
長野県 安曇野市 明科南陸郷(旧:東筑摩郡明科町南陸郷)
長野県 東筑摩郡 生坂村 北陸郷
(地図はこちら

そしてもう一つ、同じく池田町と生坂村です。
池田町 広津
生坂村 東広津
(地図はこちら


あと、
参考「過去に分断し合併により再び一緒になった例」
として、
長野県安曇野市の穂高(旧穂高町穂高)/穂高北穂高(旧穂高町北穂高)/豊科南穂高(旧豊科町南穂高)

同じく安曇野市の豊科光(旧豊科町光)/明科光(旧明科町光)
はいかがでしょうか?


最後に、これは細かいことですが、同じく
参考「過去に分断し合併により再び一緒になった例」
にある長野・岐阜県の旧神坂村の「詳細」の部分ですが、
旧長野県山口村神坂(現岐阜県中津川市神坂)/岐阜県中津川市神坂
現在は「岐阜県中津川市馬籠」です(参考
[79601] 2011年 11月 4日(金)12:23:09k-ace さん
Re:自治体越えの地名
[79600]ひぃさん
池田町広津/生坂村東広津は[76056]EMMさんが挙げており、コレクションにも既に収録済みです。

参考「過去に分断し合併により再び一緒になった例」
として、
長野県安曇野市の穂高(旧穂高町穂高)/穂高北穂高(旧穂高町北穂高)/豊科南穂高(旧豊科町南穂高)
これは私も先月見つけたんですが、過去に分断した形跡がないんです(なので触れませんでした)。1874年?に合併で東穂高村(1921年、穂高町に)、北穂高村、南穂高村ですから。なので1889年の町村制施行時は単独村制になってます。西穂高村もあったのですが、こちらは現在の安曇野市穂高牧、穂高柏原のようですね。
#「過去に分断した」がないと膨大な量になると思いますよ。

安曇野市の豊科光(旧豊科町光)/明科光(旧明科町光)
こちらは該当例のようなので補足。
分断されたのは、1955年1月15日のこれこれの上川手村(1875年?までは光村)の一部がここのようです。地図
[79627] 2011年 11月 14日(月)18:56:14k-ace さん
ときわ路パス、自治体越えの地名
k-aceです。
昨日は茨城県民の日ということで「ときわ路パス」を使って旅行してきました。範囲外の真岡鐡道にも別途料金払って乗りましたが。そして鹿嶋市で一泊。そして今日は鹿嶋市内を訪問・散策。鹿島神宮の大鳥居は震災による倒壊で未だ無く、再建にも費用や時間が掛かるようで、寂しい光景でした。その他にも震災の影響と思われるところがありました。
茨城県(鹿嶋市)宿泊により、生涯経県値が1アップしました。
#本日は埼玉県民の日ですが、埼玉県には入りませんでした。

グリグリさん
「自治体越えの地名」コレクション「過去に分断し合併により再び一緒になった例」で未収録のモノを。
蔵小田(くらおだ)
旧日置町大字蔵小田(現長門市日置蔵小田)/旧油谷町大字蔵小田(現長門市油谷蔵小田)
蔵小田村→日置村大字蔵小田(1889年)でした。
油谷町新設(1954年5月1日)
大津郡菱海村、宇津賀村及び向津具村を廃し、その区域並びに日置村大字蔵小田(一部を除く。)の区域をもって油谷町を置く
で大部分は油谷町大字蔵小田となり一部が日置村(後に日置町)大字蔵小田のまま残りました。
平成の大合併でどちらも長門市(2005年3月22日)となり再び一緒になりました。
[83718] 2013年 7月 24日(水)20:09:51【3】k-ace さん
自治体越えの地名(過去に分断し合併により再び一緒になった例)
[83710]グリグリさん
ある方からご指摘
それだけ書くのもなんだったんので、メールにて指摘させていただきました。

本題。
最近世間を震撼させている周南市金峰(みたけ)の事件。
旧自治体では都濃郡鹿野町(金峰字郷)のようですが、金峰(みたけ)=葡萄狩りで有名な徳山市では?とtwitterでペーロケさんから頂き、調べてみると、どうやら題名の通りのようです。
町村制施行前は都濃郡金峰村で、町村制施行時の合併で隣の須万(すま)村との合成地名で須金(すがね)村となったようです。1955年7月に須金村は分割され、西部の大字金峰のうち字郷、奥谷及び大字須万のうち字秘密尾、奥畑が鹿野町に編入され、その他が都濃町に編入されたようです。都濃町は1966年1月に徳山市に編入され、金峰と須万は徳山市と鹿野町に分かれていたことになります。そして2003年4月、徳山市、新南陽市、鹿野町、熊毛町が合体して周南市となり、一つの金峰、須万に戻りました。郵便番号は旧徳山市のものに統一されましたが、小中学校の通学区域は旧徳山市、旧鹿野町で分かれたままのようです。
ということで
旧徳山市金峰(現周南市金峰)/旧鹿野町金峰(現周南市金峰)
旧徳山市須万(現周南市須万)/旧鹿野町須万(現周南市須万)
ということでしょうか。
周南市須万(旧徳山市)にある福田フルーツパークによると、
須万という地名はその昔、壇ノ浦の戦いに敗れた平家一族、中納言雅頼の子、秋月丸が父を訪ねて、平家一族潜居の噂がある当地にたどり着いた折、故郷播州の須磨を偲んで名付けたと伝わっています。
金峰という地名は神亀5年(728)大和国吉野の金峰山の御獄より蔵王権現をこの地に勧請した際、それまでの地名を金峰と改め、呼称も御嶽をもじってミタケにしたと伝わっています。
金峰(みたけ)。難読地名ですが、こういう由来のようです。
にしても「故郷播州の須磨」ってどこ?摂津の須磨なら知ってますが。

「金峰」の文字だけ見ると鹿児島県の「キンポウ」旧日置郡金峰町(現南さつま市)が出てきます。こちらは町内にある金峯山が由来とのこと。
[83744] 2013年 8月 4日(日)16:55:32【1】伊豆之国 さん
自治体越え地名
もうかれこれ実質2年半余りも更新が滞ったままになっている「自治体越え地名」コレクションですが、未収録と思われる中からいくつか見つけましたのでここに…。

まず、「日本一暑い町」から。
岐阜県多治見市姫町/可児市姫ヶ丘
由来・経緯についてはこちらの記事がありました。]
江戸時代、ここは美濃国可児郡姫村だったようです。明治22(1889)年からは姫治村
昭和の大合併時に隣の多治見・可児のどちらに合併するか村内で意見が対立
昭和35(1960)年に村を二分して多治見、可児とそれぞれ合併したそうな
「変遷情報」にも、この分割合併が出ています。
1960(S35).4.1 岐阜県 編入 多治見市 多治見市, 可児郡 姫治村の一部
1960(S35).4.1 岐阜県 編入 可児郡 可児町 可児郡 可児町, 姫治村の一部


次に、「清川村」に関する記事([83701] hmt さん)にリンクされた地図をたどって行くうちに見つけたもの。
神奈川県厚木市棚沢/愛甲郡愛川町棚澤

ついでに、「番外編~分断地名の合併による解消」から([80240])。
新潟県白根市/西蒲原郡味方村西白根→新潟市南区白根(各町)・西白根
[83964] 2013年 8月 17日(土)10:16:00EMM さん
「自治体越えの地名」コレ情報提供
[83952][83960]オーナー グリグリ様
「自治体越えの地名」コレの対応ありがとうございました。
変換ミスが多くて申し訳ありません。気をつけねば…

さて、未収録の自治体越え地名について、新たな情報提供です。
石川県関係は角川地名大辞典で由来を確認しています。

金沢市福増町/白山市福増町
現在は近接状態ですが、間に挟まっている金沢市いなほ二丁目のほとんどの区域はもともと区画整理後に金沢市福増町から町名が変わったところ(こちらの中の「金沢市いなほ工業団地土地区画整理事業(第2工区)」をご参照ください)なので、かつては隣接していた事になります。
元々は鎌倉期より文献中に見える福益荘で、江戸期までに福増村(上福増村)と下福増村に別れ、明治の大合併後はそれぞれ石川郡旭村大字福増→石川郡松任町福増町→松任市福増町→白山市福増町、石川郡安原村大字下福増→金沢市福増町…と変遷しています。

小矢部市岩武/南砺市岩武新
近接状態な上、岩武は町域が錯綜状態、岩武新は南砺市の準飛び地で地図上の町名の記載がわかりにくい…と言うことで見逃していました。

高山市荘川町尾上郷/大野郡白川村尾神
ちょっと気になった物件。
いずれも集落部分は御母衣湖に水没。

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続いて、参考「過去に分断し合併により再び一緒になった例」です。

白山市米光町/白山市西米光町(旧松任市米光町/旧石川郡美川町西米光町)
戦国期の資料には米光村とあるものが、江戸期までに東米光村と西米光村に別れたようです。
明治の大合併後はそれぞれ石川郡笠間村大字東米光→石川郡松任町米光町→松任市米光町→白山市米光町、石川郡蝶屋村大字西米光→石川郡美川町西米光町→白山市西米光町…と変遷しています。

白山市佐良/白山市西佐良町(旧石川郡吉野谷村佐良/旧石川郡鳥越村西佐良)
西佐良は佐良の西方にできた出村である、とのこと。
明治の大合併以降はそれぞれ石川郡吉野谷村大字佐良→白山市佐良、能美郡吉原村大字西佐良→能美郡鳥越村大字西佐良→石川郡鳥越村大字西佐良→白山市西佐良町…と変遷しています。

南砺市福野軸屋/南砺市井波軸屋(旧東礪波郡福野町軸屋/旧東礪波郡井波町軸屋)
南砺市広安/南砺市上広安(旧東礪波郡井波町広安/旧東礪波郡井口村広安)
南砺市立野原東/南砺市立野原西(旧東礪波郡城端町立野原/旧西礪波郡福光町立野原)
南砺市下吉江/南砺市吉江中(旧東礪波郡福野町下吉江/旧西礪波郡福光町吉江中)
射水市小杉白石/射水市白石(旧射水郡小杉町白石/旧射水郡下村白石)
富山市羽根/富山市婦中町羽根新(富山市羽根/旧婦負郡婦中町羽根新)※富山市婦中町羽根は離れたところにある
富山市神通/富山市八尾町西神通・八尾町中神通(旧上新川郡大沢野町神通/旧婦負郡八尾町西神通・中神通)
富山市猪谷/富山市東猪谷(旧婦負郡細入村猪谷/旧上新川郡大沢野町猪谷)
富山市西番/富山市下番(富山市西番/旧上新川郡大山町下番)※富山市中番(旧上新川郡大山町中番)も近くにある。要精査?
坂井市春江町木部西方寺/坂井市坂井町木部新保(旧坂井郡春江町木部西方寺/坂井郡坂井町木部新保)
坂井市春江町西長田/坂井市坂井町東長田(旧坂井郡春江町西長田/旧坂井郡坂井町東長田)

「元」物件は、きちんと探すと平成の大合併だけに限ってもかなりありそう。昭和の大合併以前まで手を伸ばすと…考えたくない。
[83965] 2013年 8月 17日(土)18:49:05k-ace さん
自治体越えの地名(過去に分断し合併により再び一緒になった例)
参考「過去に分断し合併により再び一緒になった例」の問題について。気持ちは分かりますが[83964]EMMさんのものを採用すると全国でとんでもない数になりそうな予感がします(江戸時代以前から明治、昭和、平成の大合併まで大風呂敷を広げることになります)。概ね市制町村制施行以降に2つ以上の自治体を分断し、合併等により再び一緒になった例のみに絞ったほうがいいように思います。発端の長野県・岐阜県の「神坂」からするとこれでいいのでは? 現状でも市制町村制施行より前に分断(と言っていいのやら)と思われるものが既に収録されておりますが。

一応私は市制町村制以降に分断した例を書き込むように心がけています。一件それとは違う例を挙げ([79419])後に訂正([79530])してますが。


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