今日(もはや昨日ですが)、奈良県まで出張に行ったのですが、途中、新幹線で多摩川を渡っているときに、「考えたら大きな川をたくさん越えるな」と思い、渡った大河を順に書き連ねると次のようになりました。
荒川、隅田川(渡ったのではなく、くぐったのですが)、多摩川、相模川、酒匂川、富士川、安倍川、大井川、天竜川、浜名湖(番外)、矢作川、木曽川、長良川、揖斐川、瀬田川、桂川、淀川、大和川、木津川。そのほか、中小河川、水路等は数知れず。
ま、だからどうだと言うことは別になく、川がたくさんあって、そのそばに街ができているのを再確認しただけですが。
川に注意しながら窓外を眺めていると、琵琶湖の東側で次のような看板を目にしました。
「愛荘町 ここはどこの県?」
いったい何のことかいな、と思っったのですが、しばらくして「愛知中学校」、「愛知高校」の大きな看板と、それぞれに添えられた「えち」という読仮名を見て納得しました。看板の「愛荘町」はもともと「愛知川町」だったのでしょう。確かに、滋賀県民(とここの常連)以外で、愛知高校を「えちこうこう」と読んでくれる人はほとんどいないでしょうからね(古いグーグルマップを見ていると、「愛知川図書館」に「Aichigawa Library」という英語の読みが当てられていました)。
渡った川を見れば分かるように、新幹線で新大阪まで行き、大和路快速で奈良県に入ったのですが、大阪(梅田の方がしっくりくるが)から乗ったので環状線の海側を半周して天王寺から関西本線を経由しています。途中、西九条の駅に停車したとき、反対側の車線に極彩色の電車が停まっていて、「なんじゃこれは」と思っていると、桜島線(いまは「ゆめ咲線」と呼ぶようです)を走るUSJ行きの電車でした。ディズニーリゾート線の、いかにも「リゾートムード盛り上げ」という列車はあまり好きではないのですが、USJ電車の派手というよりケバさには「ついていけんな」という感覚を持ちました。
で、西九条を出てしばらく進むと、大阪市立の「咲くやこの花中学・高校」という看板が。発想は分かるのですが、東京都が「いざ言問わん高校」をつくるかというと、大江戸線を命名した「あの」都知事でもそこまではやらないでしょう。
私はもともと、文化的には関西の影響下で育った人間で、いわゆる大阪的な発想や言動にはあまり違和感を感じないのですが、上の2件には「ついていけんな」という感想です。東京生活が長くなって、知らず知らずのうちに感性が染められているのかしらん。
しばらく前に、朝日放送の人気番組である「探偵ナイトスクープ」を東京MXで見ていたときに、奈良県に住んでいて堺市に通っている人が、電車を使うより大和川を舟で下るほうが早いのではないかと考え、実行してみたというネタがありました。確かゴムボートを使って川下りに挑んだと思いますが、川の水深が浅すぎて至るところで座礁し、容易に前進できず、結局職場に着いたのは夕方だった、とうオチだった思います。今日、阪奈県境の地峡部で大和川の流れを観察していたところでは、確かに水深は非常に浅く、とても舟で下れそうにないということを改めて確認しました。
ということで、東京から奈良県王寺に着くまで、まったく退屈することなく過ごすことができました。こういうとき、地理好きというのは得ですね(単なる暇人という声もあろうが)。
川の話のついでに。
[77004] hmt さん
おそらく目黒川水系の蛇行する窪地に由来する「蛇窪」の地名は
蛇窪が位置していたのは、目黒川ではなく立会川の谷だと思います。立会川は、かつての碑文谷村当たりに源流があり、上下蛇窪村の南を東流、現在の大井町駅のあたりで流路を南に転じて現在のように立会川駅の東側で海に注いでいたようです。
また、「窪」の地名は平地にできた窪地ではなく、両側の尾根から見て低くなっているところ、つまり谷地を意味するのではないかと思います。明治42年側図の2万分の一地形図を見ると、上蛇窪と下蛇窪の間には、立会川から北に伸びる谷地があり、その最奥部に当たる現在の戸越公園駅の近辺には、「谷戸」という小字があります。おそらく、蛇「窪」とはこの谷戸地形を表す地名だろうと思います。
ところで、この種の調べ物をするのに格好のツールに「今昔マップ」があります。その名の通り、首都圏、中京圏、関西圏の3地域について、明治(または大正)時代から現在までの地形図を閲覧できるようにした優れものです。簡易GIS「MANDARA」を開発した埼玉大学の谷謙二氏の作品で、
こちらからDLできます。地図イメージの多くはネット上からDLするようになっているので、データを揃えるまでに少し時間がかかりますが、すべて完備すると非常に使いでがあります。
もしご存じでなければ、試してみてください。